ちゃぷちゃぷ通信

追悼 沖至

2020年8月25日パリで沖至さんがお亡くなりになられました。

 

「社長、元気?」

                                                             末冨健夫

 

沖至さんは、気さくな人柄だった。私にも、「社長、元気?」と、メールをよく送って下さっていた。

でも、本当なら、そんなに気楽に接していい人ではないのだ。何しろ、あの生きる伝説のトランペット奏者、Itaru Okiなのだから。

 

1974年、沖さんがパリに移住をされるとき、朝日新聞は「これは、頭脳の流出である。」と書いた。

 

1960年代末の日本のジャズ界には、高柳昌行、富樫雅彦、佐藤允彦、吉沢元治、高木元輝、豊住芳三郎、そして沖至という未知の領域に足を踏み入れた正にサムライがいた。

彼等は、アメリカの模倣に終わらない新しい自分たちのJAZZを創造した。今だからこそ、彼等の音楽が世界のどこにもない独自なものだった事が理解できるのかもしれない。

彼等の多くはすでに鬼籍に入っている。だが、沖至は佐藤允彦と豊住芳三郎と共に、現役で、最前線で活躍をしていた。

彼の音楽は、唯一無二の個性を持つ。前衛でありながらも、どこか人肌の暖かさを持っていた。これは、まさに彼の性格そのものだ。

 

私は、1996年1月2日、当時経営していたcafé Amoresで、沖さんと井野信義さんとのデュオを企画した。私は、沖さんを私淑する韓国のトランペッター、崔善培さんに、共演をしたいかどうか連絡をしてみたら、即答で「OK!」だった。崔さんは、たった1回のライヴの為に奥さんと来日された。

井野さんは、崔さんとは旧知の仲だったが、沖さんとは初めて会うのだった。だが、演奏は初めての共演とは思えない音の交流が聴けた。

現在、この時の録音は、No Business Recordsから「紙ふうせん」と題したCDLPでリリースされている。

 

2年前には、久しぶりに沖さんを防府市にお呼びしてライヴを行った。ユニークな形をしたトランペットを始めて生で聴くことが出来た。打ち上げでは、ビージーズのレコーディングに参加した昔話等に話の花が咲いたものだ。

 

つい最近までメールのやり取りをしていたのがウソのように、突然あの世に旅立たれてしまった。あちらの世界では、旧友たちと、もうセッションを楽しんでおられる事でしょう。

 

合掌。

 

こちらは、Alan CummingsさんによるThe Wireへの追悼記事です。

 こちらは、Jazz à  Paris

 

沖至 告別式 

 

沖至さんが、1974年パリに移られた時、朝日新聞の天声人語で「沖至のパリ移住は一つの頭脳流出である」と書きました。しかし、この度の沖至さんの死去は、「世界における頭脳の喪失」に他なりません。私は、70年代から沖さんのレコードやCDに親しみ、90年代には沖さんのライヴの企画やCD,レコードのリリースも含めて深く関わらせていただくことが出来ました。大変光栄な事でした。私なんかにも気さくに「社長、元気?!」といつもメールを送って下さっていた沖さんがいなくなるなんて、ぽっかりと心の中に穴が空いた感じです。来年には、沖さんに託された録音が、日の目を見る事になる予定です。これをお見せ出来ないのが残念で仕方ありません。あちらの世界では、高木元輝さん、田中保積さん、富樫雅彦さんら旧友とのセッションをお楽しみください。合掌。

 

末冨健夫 9/3

 

Jazz Tokyoに追悼文が掲載されています。