ちゃぷちゃぷ通信

Tne New York Jazz City Records review 2020 by Andrey Henkin

The New York Jazz City Records

 

The Aiki Masahiko Satoh/Sabu Toyozumi (NoBusiness) Future of Change Sabu Toyozumi (Chap Chap) ReAbstraction Sabu Toyozumi (FMR) by Andrey Henkin

 

Drummer Yoshisaburoh “Sabu” Toyozumi is Japanese free jazz royalty, a lifer in a range of situations since the late ‘60s, when he was in his early 20s, through to the current day and elder status, both with countrymen like Mototeru Takagi, Masayuki Takayanagi, Kaoru Abe, Toshinori Kondo, Masahiko Togashi, Tetsu Saitoh and Masahiko Satoh and international improvisers such as Bob Reid, Peter Kowald, Wadada Leo Smith, Peter Brötzmann, Paul Rutherford, Kenny Millions, Arthur Doyle, Barre Phillips and more. The Aiki is another entry in Lithuania’s NoBusiness’ partnership with Japan’s Chap Chap, co-produced by the former’s Danas Mikailonis and the latter’s Takeo Suetomo, from whose archive of concert recordings the series derives. Toyozumi is found in duo with pianist Satoh—a couple of years older and as seminal in their country’s avant garde world—in Yamaguchi City in 1997 for two improvisations, just over 30 minutes and a hair under 20, respectively. In this equal partnership, the roles of each player are pliable, Satoh at points emphasizing the piano’s foundation as a percussion instrument and Toyozumi light and airy around his kit, creating whirls of melody and texture. The titles, “The Move for The Quiet” and “The Quiet for The Move”, are descriptive as the first is expansive and stays at a reasonable volume while the second is much more explosive. Drummers, perhaps more than any other instrumentalist, can shape free improvised encounters to their liking. While every player is capable of dynamics and density, those behind the kit can prod their partners into shambolic overdrive or egg them on into near-silence. Collaborators of more recent vintage for Toyozumi are alto saxophonist Rick Countryman (14 years younger), expatriate in Manila, Malaysian tenor saxophonist Yong Yandsen (33 years younger) and Filipino bassist Simon Tan (27 years younger), the four men working in various combinations since 2016. Two concert recordings from the Philippines made three days apart in early 2020, one as a trio sans Tan, the other as a full quartet, show how much free improvisation is of the moment, sounding completely different even with the same principals. Future of Change comes first and, although being a trio date, feels more like a duo, as the dueling saxophones of Countryman and Yandsen become a wall of sorts against which Toyozumi can volley his rolls, cracks and crashes. The three pieces are of descending length, 35:53, 24:34 and 12:46, respectively, and maintain a certain energetic focus typical of such performances. Despite disparities in their age and origin, Countryman and Yandsen come at the music similarly, even often occupying one another’s range. Toyozumi doesn’t prod so much as he corrals. Surprisingly, the addition of Tan for ReAbstraction, rather than making the proceedings more dense, opens up the five pieces, creating a more balanced ensemble and one that takes increased chances by varying the volume and layering. That the improvisations are shorter also displays more attention to detail, knowing when to finish up rather than missing cues as to good conclusions. Also of note is a long stretch of Toyozumi playing erhu (Chinese spike fiddle), sawing away with the fury of Nero waiting for the fire department.

 

追悼 近藤等則 Jazz Tokyo

時代を駆け抜けた近藤等則 chap chap Records 末冨健夫

 

text by Takeo Suetomi 末冨健夫

手元に、「音楽’74 10月号」(日本現代・ジャズ・音楽研究所)という雑誌がある。

「日本のミュージシャン 今、我々は・・・」というコーナーで、近藤俊則トリオの3人によるインタヴューが載っている。まだ「等則」と名乗る以前の近藤さんの貴重なインタヴューだ。トリオのメンバーだった徳弘崇(b)と土取利行(ds)も一緒だ。上京してまだ2年ほどの時期の、演奏できる場所がまだまだ少なかった頃の彼らの心情、信条が吐露されている。

ニュージャズ・シンジケートへの参加等、70年代半ばの日本のフリージャズ・シーンの様子が窺えるインタヴューだ。ちなみに、この後、このサークルは「ミュージック・リベレーション・センター・イスクラ」と名乗るようになり、私はイスクラになってから参加したのだった。

このトリオの後、近藤さんは高木元輝さんとのEEUを結成。モルグ舎を主宰する。76年、LP『コンクリート・ボイセス』をリリース。78年からNYCに拠点を移し、杉山和紀と共にBellowsを、日本ではIMAという自主レーベルを興した。Bellowsでの無伴奏トランペットのLPは当時買ってよく聴いたものだった。

私自身は近藤等則さんとの直接の面識はとうとう持てずじまいだった。だが、70年代半ばからジャズを聴き始めていた事もあって近藤さんは常に私の視界の真ん中にあった。上京してからは、機会を見付けては彼のライヴを見に行ったものだ。

Peter Brötzmann&Han Bennink+EEU+1」を中野と市ヶ谷で、「Evan Parker、森山威男&近藤等則トリオ」を青山で、「近藤等則、河野雅彦、Billy BangPaul Lovens」を吉祥寺で、「近藤等則、小杉武久、豊住芳三郎、羽野昌二、郷津晴彦」を池袋で見ている。

写真は、青山でのコンサート後に、一緒に行った友人が近藤さんとも知り合いだったので、楽屋裏まで押しかけて行って撮らせていただいたもの。まさか、後年私がEvan Parkerさんのライヴを企画し、CDLPをプロデュースするなんて夢にも思わなかった頃です。

正当な訓練を受けているとは思えない彼のトランペットのいい意味で自己流の(私の認識違いかもしれないけど)破天荒な演奏は、私には粋でかっこよく感じられた。音だけではなくて、Tokyo MeetingICP Orchestraの日本公演を実現するなどのヴァイタリティー溢れた行動力に惹かれたものだった。TV-CMに出たり、トレンディードラマに出演したり(これは、私には縁が無かったが)と、世間一般への露出は、アンダーグラウンドの世界を世間につなげる大きな役目を果たしていたと思う。

この辺りから、近藤さんは、日本での顔と海外での顔を使い分けていたようだ。海外では、Peter Brötzmannをはじめとするインプロヴァイザー達と丁々発止と渡り合う姿を、日本ではロックに接近した音楽を見せた。ひとつエピソードがあって、シュリッペンバッハさんが日本に来ることになって、近藤さんに共演を依頼したら断られたそうだ。シュリッペンバッハさんは、日本に来て近藤さんがやっている音楽を聴いて、「これじゃあ、私と日本でやりたがらないはずだ。」と言われたとか。

その後、エレクトリック・トランペットを演奏しTVで特番が放送されたりと、常に変化をし続ける姿は、歳を重ねる毎に益々輝いて見えた。YouTubeへ動画を配信し、元気そうに見えていたのに、突然逝ってしまわれた。ついこないだ沖至さんが逝かれたばかりだったのに、特に近藤さんは今どき71歳で逝くのは早すぎませんか。合掌。

 

 

追悼 沖至

2020年8月25日パリで沖至さんがお亡くなりになられました。

 

「社長、元気?」

                                                             末冨健夫

 

沖至さんは、気さくな人柄だった。私にも、「社長、元気?」と、メールをよく送って下さっていた。

でも、本当なら、そんなに気楽に接していい人ではないのだ。何しろ、あの生きる伝説のトランペット奏者、Itaru Okiなのだから。

 

1974年、沖さんがパリに移住をされるとき、朝日新聞は「これは、頭脳の流出である。」と書いた。

 

1960年代末の日本のジャズ界には、高柳昌行、富樫雅彦、佐藤允彦、吉沢元治、高木元輝、豊住芳三郎、そして沖至という未知の領域に足を踏み入れた正にサムライがいた。

彼等は、アメリカの模倣に終わらない新しい自分たちのJAZZを創造した。今だからこそ、彼等の音楽が世界のどこにもない独自なものだった事が理解できるのかもしれない。

彼等の多くはすでに鬼籍に入っている。だが、沖至は佐藤允彦と豊住芳三郎と共に、現役で、最前線で活躍をしていた。

彼の音楽は、唯一無二の個性を持つ。前衛でありながらも、どこか人肌の暖かさを持っていた。これは、まさに彼の性格そのものだ。

 

私は、1996年1月2日、当時経営していたcafé Amoresで、沖さんと井野信義さんとのデュオを企画した。私は、沖さんを私淑する韓国のトランペッター、崔善培さんに、共演をしたいかどうか連絡をしてみたら、即答で「OK!」だった。崔さんは、たった1回のライヴの為に奥さんと来日された。

井野さんは、崔さんとは旧知の仲だったが、沖さんとは初めて会うのだった。だが、演奏は初めての共演とは思えない音の交流が聴けた。

現在、この時の録音は、No Business Recordsから「紙ふうせん」と題したCDLPでリリースされている。

 

2年前には、久しぶりに沖さんを防府市にお呼びしてライヴを行った。ユニークな形をしたトランペットを始めて生で聴くことが出来た。打ち上げでは、ビージーズのレコーディングに参加した昔話等に話の花が咲いたものだ。

 

つい最近までメールのやり取りをしていたのがウソのように、突然あの世に旅立たれてしまった。あちらの世界では、旧友たちと、もうセッションを楽しんでおられる事でしょう。

 

合掌。

 

こちらは、Alan CummingsさんによるThe Wireへの追悼記事です。

 こちらは、Jazz à  Paris

 

沖至 告別式 

 

沖至さんが、1974年パリに移られた時、朝日新聞の天声人語で「沖至のパリ移住は一つの頭脳流出である」と書きました。しかし、この度の沖至さんの死去は、「世界における頭脳の喪失」に他なりません。私は、70年代から沖さんのレコードやCDに親しみ、90年代には沖さんのライヴの企画やCD,レコードのリリースも含めて深く関わらせていただくことが出来ました。大変光栄な事でした。私なんかにも気さくに「社長、元気?!」といつもメールを送って下さっていた沖さんがいなくなるなんて、ぽっかりと心の中に穴が空いた感じです。来年には、沖さんに託された録音が、日の目を見る事になる予定です。これをお見せ出来ないのが残念で仕方ありません。あちらの世界では、高木元輝さん、田中保積さん、富樫雅彦さんら旧友とのセッションをお楽しみください。合掌。

 

末冨健夫 9/3

 

Jazz Tokyoに追悼文が掲載されています。