カフェ・アモレス/cafe AmoresのLIVE

1990年から1995年まで行われたカフェ・アモレスが主催した

ライヴの記録です。

おじさんに感謝!

1989年、防府市の自由が丘という、目黒の自由が丘とは似ても似つかぬ新興住宅地の一画に、喫茶店をオープンさせた。丸一年が近づいて来た頃、数少ない常連さんのIさんが、「一周年記念に何かやったら。古い楽器を弾いている人を知ってるから紹介しようか。」と、言われた。「古い楽器?」と、なんのことやら分からなかったが、これが、リュート、リコーダー、チェンバロ、ビオラ・ダ・ガンバ大阪(大阪はカット。)のことだった!市内外のアマチュアの人達だったけど、興味津々で、とにかくLIVEをやってみようとなった。やってみると、お客さんは入るわ、面白かったわ、演奏した人達も楽しい人達だったわで、「よっしゃ、定期的にやりましょう!」と、なったワケ。しかし、大変残念なことに、紹介してくれた常連のおじさんIさんは、病気で亡くなられてしまった。Iさんは、カフェ・アモレスでは数少ない毎日来てくれる常連さんだった。この人がいなかったら、はたしてその後のカフェ・アモレスのLIVEは無かったかもしれないのだ。あの世に行ったら、まずIさんにあいさつに行くのだ。  合掌。

開店当時の店内。

LIVEで使っていたピアノ。

サインは、ミシャ・メンゲルベルクさん。

地元に、こんな音楽をやっている人達がいるというだけで驚きだった。 これらの写真は本人よりの許諾を得ていません。すでに、住所が分からなくなった人ばかりです。乞うご連絡を。失礼ですが、名前さえ覚えていない人が多数おられます。

看板犬たこ。

同じく、りき。

LIVE中でも、よくワンワン鳴いていた。

同じく、大吉。

お客さんのポケットに入ってしまった。

看板亀、マタマタのタマ。

ヒターの故障で、水が熱湯になってしまい死んでしまった。

お客さんに人気があったのに。ゴメン。

店内LIVE

ヨーロッパの古楽に続いては、地元のJAZZの連中も出演し始めた。アマチュアとはいえ、こんな田舎にも結構JAZZをやっている者がいたもんだった。それもこれも山口市にある老舗のJAZZ喫茶「ポルシェ」さんがガンバッたおかげだ。今じゃ、毎年このポルシェ に関わりのあるプロ、アマのミュージシャン達が集まって、市内のホールを借りて、盛大にJAZZフェスティヴァルを開催している。これも、ママさん、マスターの人柄によること大!そして、あそこにいる看板ワン公達!俺の仕事柄、時間が取れず、もう何年も店に顔を出していないけど、ママさん元気?さて、自分の店に話を戻そう。俺は、JAZZも好きだが、その中でもFREE・JAZZが最も好きだ。いや、「最も」ならDuke Ellingtonだなー。これは、いまだに変わらない。まあ、二番手になってしまったFREE・JAZZは、今では「FREE・MUSIC」、「Improvised Music」、「Creative Music」等色々な呼び方をされるようになり、オマケにノイズだの音響だのも加わって、もう「こんな感じ。」と、一言で説明が難しいものになってしまった。だからこそ面白いのだが、LIVEの宣伝とかには、この状況は大変やっかいなことになる。「JAZZのLIVEが出来るのなら、フリーだってやれるんじゃなかろうか?」と、だんだんと俺の本性が現れて来たのであった。そして、本当にそんなLIVEをやってしまったのであった。

これらの写真は、全て本人の許諾をまだ得ていません。乞う本人よりの連絡を。

広瀬淳二 ソロ・ライヴ

あれは、まだ「ドラびでお」として有名になるはるか前、「DISK・BOX」なるレコード屋をやっていた頃の一楽儀光(呼び捨て御免)に、広瀬さんのソロ・サキソフォンのLPを聴かせたところ、「こんなスゲー人が日本にいたんじゃ!」と、驚いた。「知り合いじゃから呼べるぞ。」と、言ったら、「呼ぼう!呼ぼう!」と、乗ってしまった。そして、広瀬さん(通称おひげさん)に伝えたら、「OK!」となり、あっという間にライヴが実現。なにしろ初めての防府でのライヴだ。この日はノイズマシーン(通称ガラクタ)は無し。ソプラノとテナー・サックスのみの演奏。来ていたお客さんは、だーれも、広瀬さんのことを知らない人ばかり。彼等にとっては、全くの無名のミュージッシャンだ。まあ、たいして期待もしていなかっただろう。そんなミュージッシャンが目の前で、今まで聴いたことがなかった超絶技法をくっしした演奏を繰り広げたのだから、皆ぶっ飛んだ。「スゲー!」の声。ある地元のサックス吹きの人が、「俺の出来ないことを、易々と全部やられてしまった。」と、脱帽していた。伊達に長年富樫雅彦さんのグループにいませんて。ライヴが終わって、広瀬さんに、「吉沢元治さんを、紹介してよ。」と、言ったのだけど、これがその後のカフェ・アモレスのライヴがエライことになってしまった第一歩になったのでありました。そして、後々考えてみるに、このとき広瀬さんに出会ったことが、後の一楽師匠の「今」を形成する大きなターニングポイントになったのではないだろうか。と、俺は思っているが、さて当人はどうだろう?もう覚えていないかもなー。忘れるのが得意技だもんなー。そんなこと言ってる俺も、晩飯食ってる頃には、昼飯を何食ったのか思い出せないことも多いけど。ところで、このライヴがいつ行われたのかが書いていないですよね。実は、この俺もいつのことだったのか、覚えていないのです。1990年か1991年のはず。ごめん。 写真も二度目のライヴの時かも。

これが一楽師匠のぶっ飛んだソロ・サキソフォン・アルバム。

広瀬淳二、待望のソロ・サキソフォンのCD!

広瀬淳二参加CD。

富樫雅彦&インター・アクション。

山梨県甲府市?

広瀬さんのライヴをやったすぐ後、店に一本の電話がかかってきた。「ア・ラ・パパ企画の川瀬と申します。吉沢元治のライヴをやっていただきたいのですが。」という内容。てっきり広瀬さんが紹介してくれたのだろうと思っていたら、そうじゃなかった。JAZZ・LIFEという雑誌のライヴ情報欄を見て、「即興のライヴをやらせてくれる所があった!」と、連絡してきたそうな。こっちとしては、もう大喜びでありまして、断る理由なんてなーんにも無い。おまけに「もう一人連れて行きます。」の、「もうひとり」が、なんとブッチ・モリスというではないか! 「赤字食ったらどうしよう。」とか、「こんな田舎で客が来るんだろうか。」とかの考えは、どっかにぶっ飛んでしまった。「やります。やります。」なのだ。その後の俺は、ぶっ飛びっぱなしで、たいてい「やります。」の即答オヤジとなってしまった。この電話の時、初めて吉沢さんと話が出来たのだけど、どうも吉沢さんは、「そっちには、何度も行ってるよ。近くていいよねー。」と、何か勘違いしている様子。山梨県甲府市と、山口県防府市を間違えていたのだ。まあ、防府の方はマイナーな町だもんなー。仕方ない。

怪獣めぐら登場!

吉沢さんとブッチ・モリスさんが来ることになった! これまでは、旧知の広瀬さんのように、会っても緊張することもなければ、日本語が通じないこともないので(そうなのです。私は英語も、フランス語も、ドイツ語も、、、、早い話が日本語と山口弁以外はしゃべれないのだ!ガハハ。)、気楽でいられたけれど、今度は大ファンの吉沢さん、おまけにブッチときたもんだ。初対面の時、緊張するなという方がおかしい。だが、お二人の隣にミョーなオネエチャンがいるではないか? 場の雰囲気をユルユルと緩ませてくれて、大分助かった。このオネエチャンこそ、Big・Boss・Megura、 今は怪獣めぐらと呼ばれている地球外生命体なのだ。いや、吉沢さんのマネージャーさんなのでした。それからというもの吉沢さんと怪獣めぐらには、大変お世話になりました。バール・フィリップスさん、金大煥さん、ブッチ・モリスさん、金辰姫さん、ジョージ・E・ルイスさん等々素晴らしい人達と俺なんかが交流出来ているのも、このお二人のお蔭。それからというもの、怪獣めぐらが電話をして来ると、開口一番「寿司食わせろー!」だった。ようするに、ライヴをやれば、その後打ち上げというものがセットになており、そこではおいしいお寿司が食べれるというわけだ。寿司を食うということは、その前にライヴが行われていたということになる。よって、「寿司=ライヴ」ってことなのだ。「寿司くわせろ。」 、「よっしゃ食わせたろーやないけー。」は、「ライヴ OK!」ということなのであった。めぐら流ライヴの依頼なのでした。

その寿司は、店の近所にあった、福成というお店。今は、防府駅の近くに移転して、がんばってる。美味しいのだ。

怪獣めぐら。怪獣も風邪をひく。

Butchは、あなごの箱寿司が好物。

吉沢さんとButchのDuoは、そりゃ凄いもんだった。「即興のライヴって、こんなにも凄いもんなんだ!」と、これまでLPやCDでしか聴いてこれなかった多くの(うそ。数少ない)客は、感心しきっていた(はず)。吉沢さんが弾くエレクトリック・ヴァーティカル・ファイヴストリングズ・ベースは、いわゆるベースの概念をはるかに越えた電子音響を響かせる。ブッチの吹くコルネットの音も、これまた摩訶不思議な音を響かせる。カフェ・アモレスの空気がピーンと張りつめ、異次元空間に滑り込んでしまったかのようだった。「こんなのが聴けるんだったら、これからも続けて行こう。」と、思ったのだった。この時の録音を、後日吉沢さんに渡したら、「誰かに貸したら録音を間違って消してしまったよ。」ということになり、CD化したかったのに、「バカヤロー!」なのだ。

今更どうにもならず、ガックリ。さて、打ち上げのお話。テーブルの上には、福成さんのお寿司がズラーと並んだ。吉沢さんは、俺達との会話で忙しい。「ブッチはなー、寿司は日本よりニューヨークの方が美味しい。と、言い張るんだよ。東京のどんな不味い寿司屋に、どこのどいつが連れて行ったんだろうなー。」なんてことを話していた。ブッチはとえば、そんな会話はほっといて、もくもくと寿司をパクついていた。特にあなごの箱寿司が気に入った様子。「認識を変える。こっちの方が旨い!」と言った。あったりめーだー! ところで、自分(吉沢さん)の分まで食べてしまったブッチに吉沢さんのカミナリが落ちたのは言うまでもない。

激演中のふたり。お客さんの感想で一番面白かったのは「ブッチさんて、足が長~い。」と言った女性客の一言!

吉沢さん自作のベースと、エフェクター類。

サブさん登場!

吉沢さんと並んで大変お世話になったのが(まだ現在進行形なので、「なっている。」とすべきだ。)、サブさんこと豊住芳三郎さん。(以降、サブさん。) 日本を飛び越えて世界屈指のフリージャズドラマーです。ある日、どこで知ったのか、店に電話をしてこられた。ライヴの依頼だった。その時「レオ・スミスと行きたいんだけど。」と、言われた。「レオ・スミス!」、俺のノーミソは、瞬間はじけ飛んだ。レオさんの大大大ファンだった俺は、即答。「はい、やらせていただきます。」だ。レオさんが自費出版された古いLPも全部持っているくらいなのだ。俺にとってトランペッターといえば、一にルイ・アームストロング。二にマイルス・デイヴィス。三にドン・チェリー。四にレスター・ボウイ。五にワダダ・レオ・スミス。(四と五は、同列か。)次がビル・ディクソンってな具合なのだ。断る理由なんてどこにもない。ところで、「サブさんはどうなの?」との声が聞こえてきそう。日本人でフリー系のドラマーというと、富樫雅彦さんの名前がまず挙がるだろう。次がサブさんてとこか。しかし、富樫さんはドラマーというよりも、車イスの生活以降はパーカッショニストと呼ぶべき。ドラマーといえばサブさんがNO.1の座にあるべきだと思う。なんだか、こじつけてサブさんを一番にした感じかもしれないが、ん~書いてる俺も困って来たなー。ガハハ。しかし、今も現役で世界中を飛び回って日夜色々な連中と演奏している姿は、世界屈指のドラマーの姿に他ならない。巨匠の一人だろう。ドラマーは、リズムを刻むのが仕事。しかし、サブさんは繰り返しを極力避ける。人によっては「この人、テクニックないんじゃないの?」なんて意見も出ることもある。「どこを聴いとんじゃアホタレ!」と、俺を怒らせることになるのだ。フリー系のドラマーは、ドラムセットの周りに細々と色々並べたがるけど、サブさんはそういうことはしない。ドラムセットという限定された中で、どれだけ出来るか挑戦しているみたいだ。巷では、阿部薫への評価が凄く高い。それに関しては文句は無い。サブさんは、この阿部薫とは生前幾度となく共演を重ねてきた。アルバムも残されている。「オーヴァーハング・パーティー」だ。人は、阿部の音ばかり語りたがる。しかし、この録音をよく聴いてみな。俺はサブさんの音の方に耳が行くのだ。これは、このアルバムが出た当時からいまだに変わることがない。贔屓目で言っているのじゃない。自分の耳に正直なだけだ。

上が阿部薫の無伴奏のライヴ・アルバム「なしくずしの死」。下が阿部とサブさんのデュオ・アルバム「オーヴァーハング・パーティー」。どちらも、必携の作品。

Oh! ブルースや!

レオさんとサブさんのデュオ演奏は、自由が丘(目黒のじゃなくて)のなんと自治会館という、まあなんとローカルな建物の中で行われた。床がフニャフニャの小さな会館。お客さんには、そのフニャフニャの床に座布団をひいて座ってもらった。これが不評。「ケツが痛てー。」なんだそうな。スマン。まるで、寄席気分。すぐ近所の人が、「なんだなんだ。」と、少し来てくれた。有り難い。そんな環境で行われたのがフリー・ミュージックという、このギャップがたまらん! 百戦錬磨のお二人にもさぞ新鮮だっただろう(と、いうことにしておく)。レオさんとサブさんのデュオを聴いていつも感心することがある。お互いが目配せをした様子もないのに、突然演奏の方向がガラッと変わることがある。0.1秒もないほど瞬時にだ。聴いている方も、この時ゾクッとする。以前レアル・マドリードの試合を見ていて、ジダンとフィーゴが目配せもしていないかの状況でパスを交換したのを思い出す。ちょうどこの頃、レオさんはECMから「Kulture Jazz」というソロ・アルバムを出されていたところで、このライヴの中でも、このアルバムに収録されている歌を披露された。歌を歌うといっても、長い演奏中に挟まれる形でのもの。「さあ、今から歌います。」というものじゃない。演奏が終わって、客の兄ちゃんが、「スゲー! 本物のブルースや!」と、興奮していた。そりゃそうだ。レオさんはガキのころからブルース漬けだったのだから。ステップ・ファーザーがコテコテのブルースマンだったのだから。生まれも育ちもミシシッピ州はリーランド。これまたブルースの塊で出来たような町なのだ。って、俺は行ったことは無いけど。そうらしい。もうブルースの漬物みたいな人なのだ。そんな人が抽象的な音楽を作って来たというのが面白い。しかし、近年本性が所々に現れて来てるのだ。

これはリハーサル中のレオさん。本番よりもハデな服だった。

レオさんのソロ・アルバム「KULTURE JAZZ」(ECM)

実は、大変なことが行われようとしていたのでした。

自治会館のライヴの大分前に、怪獣めぐらから「ブッチが来るのー。やってよー。」とのご依頼。しかし、すでにレオさんとサブさんのライブが決まっていたところだった。「無理。」と、断ったが、そこは怪獣、ただじゃ引き下がらない。「じゃあ、レオさんとサブさんと、パパ(吉沢さんのこと)と、ブッチの四人でやろうよ。」と、オソロシイことを言う。俺も、「こりゃ面白い!」と、瞬間思ったが、どうすりゃ皆のギャラや交通費が払えるんだ?と、現実に戻った。勇気を出して「ホント無理。」と断った。「お金なんて、どうにかなるよー。」なんてことを言われたが、どうにもならないのがお金でっせ。「すんません。ギャラ払えません。」じゃ済まないもんねー。この四人のライヴは出来なかったけど、後日お江戸では、吉沢さんと、レオさんと、金さんと、金子飛鳥さんのライヴは実現している。そして、金さんはレオさんを韓国に呼んでコンサートをしている。行きたかったなー。

自治会館でのデュオ・ライヴ。

盛り上がった打ち上げで。

副島さんに感謝。

吉沢さん、サブさんと並ぶ「お世話になりました三人衆」のもう一人が、評論家の副島輝人さんです。なにしろ姜さん、ネッド・ローゼンバーグさん、サインホさん、沖至さん、高田みどりさん、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハさん(アレックスさん)、高瀬アキさん達を紹介して下さったのだから、足を向けて寝られない。感謝感謝です。すでにバレているけど、俺は日本語以外はまるでダメ。副島さんが一緒に来られる時は、マネージャーとなり、通訳となり、こっちはおんぶにだっこ状態で楽ちんだった。そんな副島さんも、姜さんのソロ・ライヴの時は、表現者となられた。8mmフィルムの作品を、姜さんの演奏と同時に投影するというライヴも行った。副島さんは、毎年ドイツのメールス・フェスティヴァルに行って、フェスの様子を8mmで撮って、映画にされていた。日本中で上映会をされていた。これを、学生の頃、新宿にあったジャズ喫茶DIGで見たことがある。客席には高柳昌行さんの姿もあった。このメールス映画を、店で上映したが、この時は姜さんも一緒に鑑賞したのでした。その翌日にソロ・ライヴを行ったと記憶している。この映画をブルーレイで商品化して、いつでも見れるようにしてもらいたいなー。副島さん、いかが。近頃じゃ、自宅にスクリーンがぶら下がってる家もあるくらいだから。

8mmを上映中。右奥にスクリーンがぶら下げてあった。

バールさん登場!

さて、日本人が日本語を話すときは、アメリカ人やイギリス人が英語を話すときと比べて、周波数が低いのだそうだ。そのせいなのかどうかは分からないが、俺はどうも低い音を好む。だから、コントラバス(ベース)の音が大好きだ。そのベース奏者の中でも、バール・フィリップスさんがNO、1だ。そんなバールさんを防府に呼べることになったときは、本当に嬉しかった。バールさんのソロでもよかったのだが、バールさんとツートップと言えるくらい大ファンの吉沢さんも呼んで、ベースのデュオ・ライヴを行うことにした。吉沢さんに、このことを伝えると大喜びされた。まだ日本では、バールさんとのデュオ演奏をしたことは無かったそうだ。時は、1994年の4月5日。そのライヴが凄かった! 正味三時間が、あっという間に過ぎてしまったほどの激演! 即興のライヴでは、途中ダレてしまうことも無きにしも非ずなんだが、この日の演奏は全くといっていいほど、そんな瞬間は無かった。自分の中では伝説のライヴと化している。この時のファースト・セットが吉沢さんのCD「音喜時」に収録されている。セカンド・セットは、いつか絶対CD化しようと思っている。乞御期待。そのバールさんは、今ジャパン・ツアー中だ。御年78歳というのに、重いベースを担いで、日本中を回っている。   

2012年10月記す。

Chapelle  Ste Philomene   photo:Editions NEP

 

 

これは、バールさんが住んでいる南フランスにある古い教会。

ちゃぷちゃぷレコード第三弾の吉沢さんのCD「音喜時」(オキドキと読む。当時吉沢さんと怪獣めぐらが御厄介になっていた山梨県の音喜時館から取った。怪獣めぐらは「臭いからやーめた。」と、言ったけど、俺は強行突破。)。一曲目にバールさんとのDUOを収録。二曲目は金大煥さんとのDUOを収録。題字は、いつもの金さんじゃなくて、孝代の書。筝の八木美知代さんに褒めてもらったことがあった。ジャケットに誤字がある。「フィーチャリング」が、「フューチャリング」になっていた。出来上がって気付いた。ガックリ。

お互い尊敬の間柄なのだ。ネッド・ローゼンバーグと姜さん。

ある日、姜さん宅にCDが一枚届く。Ned RothenbergさんのCDだ。姜さんが聴いていると、奥さんが「私の知らないあなたが、もう一人いた。」と、言ったとか言わないとか。仕掛けたのは副島さん。姜さんも、物凄くNedさんに興味を抱く。共演をしてみたいと思う。と、これは、俺の想像。たしか、これに近い話を姜さんがしてくれたことがあった。姜さんは、同じサックス奏者とは演奏したがらない。「競争になりやすい。」からだそうだ。しかし、Nedさんとはそうはならないとの確信があったのだろう。1994年8月から9月にかけて二人のJapanツアーが行われた。防府では9月1日にライヴが行われた。姜さんとNedさん、お互いのソロと、デュオが演奏された。Nedさんは、アルト・サックスの他、バス・クラリネットも吹いた。NedさんのLPやCDは、かれこれ80年頃から聴いてきたのだが、今現実に目の前で演奏しているのが不思議なような感覚になっていた。それ程俺はNedさんのファンだったのだ。二人のCDまで作ることが出来たのは、なんとも有り難いことだった。CDには、8月30日岡山で行われた姜さん、Nedさんに大友良英さんも加わったライヴ演奏も二曲収録している。アルバムとしても、より強力になった。Butch・Morrisさんのコンダクション公演の時、大友さんと話すことがあったが、「このCDは傑作だ。」と、自画自賛されていた。実は、岡山のテープには、大友さんの自作のギターのソロ演奏も収録されているのだが、これが面白いのだ。CDに入れてやろうかとも思ったけれど、このCDは、あくまでも姜さん名義のリーダー・アルバムなので、泣く泣くカット。このツアーでは、トン・クラミ(姜さん、佐藤允彦さん、高田みどりさん)にNedさんが加わるという、超豪華なCDも作られた。こちらは、れっきとしたメジャーからの発売だ。アルバム・タイトルは「パラムゴ」。ただでさえ凄い演奏をするトン・クラミなのに、Nedさんも加わるもんだから、とんでもないCDになっている。では、ちゃぷちゃぷのCDと比べてどっちが良いと聞かれても、返答に困る。「ごちゃごちゃ言わんで両方買えばえ~んじゃい!」と、横柄な口ぶりになるしかない。ワハハ。

これは、アンコールの演奏中。

ちゃぷちゃぷレコード第一弾、その名も「姜泰煥」! 題字は姜さんのいとこの金大煥さんの書。

トン・クラミのCD。上がメールス・フェスティバルでのライヴ。下が、「パラムゴ」。スタジオでの写真がジャケットに使われているが、「ジャケットに使うのだったら、もっとちゃんとした服装にして来るわよ!」と、高田さんは、えらくご立腹だった。どう言葉を返したらいいか困った。ジャケット・デザインは、ちゃぷちゃぷの勝ち!

と、俺は思うゾ。

姜さん、こぼれ話。

これは、広瀬淳二さんから聞いた話。まだ姜さんが来日しだしてから間がない頃、姜さんがまだ立って演奏していた頃の話だ。あるライヴで、姜さんとジョン・ゾーンが共演することになった。J・ゾーンは、どうやら見知らぬ韓国人プレーヤーの姜さんのことを、見下していたらしいのだった。さて、ステージに立って二人で演奏を始めたところ、J・ゾーンが思わず姜さんの方を見て「スゲー!」と言ったのだそうな。広瀬さんは、このJ・ゾーンの声が聞こえたのだそうだ。

この後、姜さんはトレードマークとなっている、胡坐をかいて座って演奏することになる。この姿からか、色々な人が「禅がどうたらこうたら」(姜さんは、コテコテのクリスチャンです。ヨハネ・カン・テファンです。)とか書いている。が、ある人はこう言ったのだ。「姜さんはねー。体力ないから立って演奏したら倒れちゃうのよ。」 さーて、こんなことを言ったのは誰でしょう? 高田みどりさんなのでした。ばらしてしまったぞ。俺知~らねー。

姜さんが、カフェ・アモレスで演奏する時は、このインド製の刺繍の綺麗な布の上に座ってもらった。名付けて「姜さんの空飛ぶ絨毯」。

姜泰煥&高田みどり Duo Live

カフェ・アモレスも閉店間際の1995年3月。姜さんと高田さんのデュオ・ライヴを行った。このお二人に佐藤允彦さんを加えれば「トン・クラミ」になる。小さな店の中でトリオ演奏は無理があるので、デュオにしようということになったが、姜さんの相手は佐藤さんと高田さんのどちらにしようかと悩んだ。佐藤さんは、すでに店に来られているので、面識はすでにあったものの、まだ防府には来られていなかった高田さんに決定。形としては、トン・クラミ マイナス 佐藤允彦になる。しかし、逆に考えれば、トン・クラミの時よりも、姜さんと高田さんの音を存分味わえるってことだ。1+1が2にも3にも4にもなるのが即興演奏の面白い所。お互いのソロとデュオ二曲が演奏された。トン・クラミ マイナス イチどころか1+1が10くらいになった(大袈裟でスマン)名演となったのだ。できればいつかCD化

したい程だ。さて、ライヴが終わりとなったとき、高田さんがマリンバを叩き始められたのだ。何故か? 高田さんとしては、なかなか客が帰ろうとしないので、「アンコール演奏をやらないといけないかな?」と、思ったらしい。実は、客達は打ち上げに参加するために残っていたのでありました。高田さん、「あっ、こういうことね。」と、納得。アモレスのライヴは、お客さん全員参加(といたって、いつも10人前後だったけど)の打ち上げが恒例となっていたのでありました。

アンコールのつもりで一人演奏を始められた時の高田さん。これ、勘違いだったんですねー。

ライヴ後、5月27日に行うトン・クラミ防府公演の宣伝をしているところ。デュオ・ライヴを3月に行い、5月にトン・クラミをやろうとは! 我ながらあの頃は、はじけていたんだなー。

撮影は、松本晃弘さん。

トン・クラミ 防府公演~1995年5月27日

3月に姜さんと高田さんのデュオ・ライヴをやっておきながら、5月にトン・クラミをやったのか? というか、トン・クラミをやるんなら、そのすぐ前にデュオは普通やらないよなー。何故やったのか、今となちゃ覚えていないのであります。ゴメン。とにかく、1995年春には、店は閉店することになっていたのです。また船に乗ることになり、そうなるともうライヴは出来ないので、心置きなくドカンと一発ぶちかましてやろうと思ったというわけ。ドカンなら、これはもうトン・クラミ以外ないというわけだ。トリオ演奏は店じゃ無理があるので、ホールを借りることにした。デザインプラザというホールです。その頃はまだアスピラート(防府駅前にあるホールです。)は無かった。ホール・コンサートで、客50人じゃ寂しかったけれど、Free Improvisation のコンサートで50人じゃ多い方だと自分を納得させた。高田さんは、「東京と人口を比べたら、大健闘だわよ。」と、慰めて下さった。しかし、50人は50人。大赤字には違いないもんね。そうそう、姜さんは、いつも俺の顔を覗き込んでは、「末冨さん。大赤字、大丈夫?」と、言われた。さて、そんなことはともかく、演奏はどうだったのか。それはもう、凄いのなんの! 90分ノンストップだったのだ。途中だれるなんてことは全く無し。あっという間の90分だった。なんの取決めもなくソロになったりデュオになったりと即興の醍醐味を味わいつくす90分一本勝負!猪木vsドリー・ファンク jr.の音楽版だ。古い例えでスマン。演奏後佐藤さんが俺の所へとんで来て「これCD化しよう。二枚組だ!」と興奮して話されていたくらいだった。しかし残念ながら記録用のDATを用意はしていたけれど、マイクを客席の後ろの方に置いていたので、とてもCD化に耐えられる音質じゃなかったのだった。これは、失敗だったと今でも悔やんでいる。まだ問題が無かったわけじゃなかったのだ。田舎のコンサートじゃよくある、そう!PAです。あるPA屋に頼んだのだけれど、これがイモだった。まるで話にならん。高田さんは、「東京じゃ、こんなのにお金は払わないわよ。」と、怒っておられた。しょうがないから、姜さんだけマイクを通したのでありました。このPA屋に払ったお金が、このコンサートの経費で一番高かっただけに、よけいに頭にきた。ある人の紹介で雇ったので、「払わない!」という訳にはいかず払ったけどね。やれやれ。お客さんにとっての問題も発生。打ち上げは、店にドドドーとなだれ込んで始まった。宴も終わりに近づき「さあ、全員集合写真だー!」となったとき、俺、カメラをホールに置き忘れていたことを思い出した!もう、大ひんしゅく。みんないつもこれを楽しみにしていたらしいのだ。すまねーなあ。

防府日報の記事

高木元輝さん、金さん、崔さんと共演するの巻

世の中阿部薫ばかり持ち上げるが、誰かもう一人忘れちゃいませんかってんだ! そう、高木元輝(イ・ウォンヒ)さんだ。高木さんは、名前のわりには録音が少なく(各地にプライヴェート録音はたくさん残されているはずだ。)、その点だいぶ損をしていると思う。俺は加古隆さんとの「パリ日本館コンサート」と、高木さんの「モスラ・フライト」でノックアウトされたよくあるパターン。同時代を駆け抜けた阿部薫の方が世評は高い。後年、後追いで阿部を聴いたリスナーは、間章の文章なんかで実態を膨らませたイメージで阿部の音楽を聴いていると思う。こう言ったらコルトレーンだって、エリントンだって、フルトヴェングラーだって、ビートルズだってそうかもしれないが。リアルタイムに阿部を聴いている人が俺の周りにはたくさんいる。「凄かった!」と言う人、「ありゃ、演歌だよ。気持ち悪かった。」と言う人とそれぞれだ。どうも、批判を許さない雰囲気って感じるんだなあ。それは、間章に対しても感じる。それっておかしくないか? じゃあ俺はどうかというと、阿部の録音を聴くと戦慄が走るというと言い過ぎかもしれないが、たしかにいつ聴いても「スゲー!」と感じる。でも、録音によっては「こんなんまで出すことはないだろうに。」というシロモノもある。神格化なんて全くしていないぞ。 さて、高木さんのカフェ・アモレスでのライヴは、金大煥さんと崔善培さんとの共演だった。そもそもこのライヴがどうして実現したかと言うと、崔さんが、高木さんの大ファンで、どうしても共演したくてしょうがない感じだったので、「任せなさい!」と、このライヴをセッティングしたわけ。各人のソロあり、デュオあり、トリオありのライヴとなった。この時、高木さんと崔さんは、どういうわけか、ステ-ジ(という程じゃないけど)の右隅に隠れるようにして演奏するのだった。ソロのときもそう。高木さんて、結構シャイな人で、スナップ写真すら、「写さないでよー。」なんて言って恥ずかしがってたりするんです。でも、演奏中から隅に引っ込んでどうするんでかねー? そのくせ音の方は存在感バリバリ。この日のライヴで一番良かったのは、崔さんのソロだった。気分がいいのがモロ演奏に現れていた。金さんは「高木は深いねー。」と、何度も言っていた。そう、高木さんの演奏は、80年前後あたりから、以前のノイジーに吹き倒すスタイルから、より思慮深い、音を吟味して選びながら出すスタイルへと大きく変化していたのです。よく、スティーヴ・レイシーの影響を指摘されるけど、俺には「小杉武久さんと出会って変わったんですよ。」と、言われた。80年頃高木さんと小杉さんのデュオはよく行われていた。俺は、ブロッツマンとベニンクさんの初来日のコンサートに吉沢さん、近藤等則さんと参加されていた時高木さんの生を初めて聴いた。「ずいぶん変わったなあ。」と感じたものだった。

ライヴ後、崔さんは「高木さんを韓国に呼ぶ!」と言っていたが、高木さんどころか、吉沢さん、サブさんまで呼んでしまった。おまけに俺とカミさんまで韓国に行ってしまったぞ。それは、「ソウル珍道中」でどうぞ。

金さんひとり笑いながら気楽に演奏しているように見える。これには、ちゃんとワケが有るのです。アモレスでは、演奏が終わると、「写真家の松本君のフォト・セッション」となることが多かったのです。あくまで真剣な演奏風景を撮るのが目的なので、本番並みの演奏を期待しているのですが、金さんは一仕事終えた気分になっているので、もう気は緩んでいて楽しそうにしていたのでありました。これはこれで「これでいいのだ!」です。この写真は、俺が撮ったもの。あしからず。

崔さん、念願だった沖至さんと共演するの巻

副島さんから、「沖至と井野信義のライヴをやらない?」と、電話が入った。「やります!」と、即答。JAZZファンやってて、この二人の名前を聞いて興奮しないやつは、JAZZファンを止めた方がいい。韓国に、「沖至」と聞いたら興奮する人が一人いる。崔善培さんだ。沖さんを呼べることになったので、せっかくだから崔さんも呼んで共演の機会を作ってあげようと思った。崔さんと井野さんは旧知の間柄。もう、採算なんてこんな時考えていない。(良いことじゃないけどなあ)ドカンと一発ライヴをやってしまった。そのやってしまった日というのも凄い。なんと、正月だったのだ。崔さんと奥さんは、防府天満宮まで歩いて詣でたのだそうだ。「よく、場所が分かりましたねー。」と聞いたら、「凄い人ごみだったので、何だろうと思ってついて行ったら大きな神社に着いた。」んだそうだ。俺、外国に行ってこんなマネようせんわ。さて、ライヴでは、デュオありトリオありと色々楽しめた。そんな中個人的にはぜひやって欲しかった曲が有った。井野さんが作曲された「紙ふうせん」という曲。井野さんとレスター・ボウイのデュオ・アルバムにも収録されている名曲なんです。レスターも気に入っていてメールス・フェスティヴァルでは、アブドゥラ・イブラヒムとのデュオで演奏したらしい。リクエストせずとも、演奏されたので嬉しかった。打ち上げが盛り上がって、沖さんと崔さんはトランペット談義に花が咲きすぎて、夜中だっていうのに二人がトランペットを楽しそうに吹きだした。崔さんの奥さんが「もう夜中だから、近所迷惑になるから止めなさい!」と二人をたしなめていました。ワハハ。井野さんはというと、目の前に一升瓶をデーンと置いて、酔っ払いおやじと化していた。「明日の朝、早くないんだったら、朝まで飲むんだけどなあ。」なんて言ってる。俺、下戸なもんで付き合いきれません。ライヴの前日には大変なこと?が発生!ソウルの家から電話が入った。崔さんの娘さんからの電話だった。「犬が子供を産んじゃった!どうすりゃいいの?」というもの。崔さん宅は、犬だらけなんです。一番多い時は、確か52匹だったはずだ。我が家は、猫が一番多い時は24匹だったはず。負けた!

夜中だっていうのにトランペットを吹いて楽しそうだったけど、崔さんの奥さんに怒られてしまった! 向こうに見えるのは、そんなことは無視して会話中の副島さん。

「紙ふうせん」が収録されているアルバム。傑作です。

この日のライヴの写真は何故か一枚も撮っていなかったようだ。打ち上げの写真ばかり残ってる。井野さんの写真は酔っぱらったのしかないので、80年頃PIT・INNで撮った古い写真を掲載しておきます。あの頃のPIT・INNは、録音も写真もOKだった。だから今でもこのライヴの録音が我が家には残っている。トーゼン公開は出来ません。(どうしても聴きたいのならウチに来なさい。猫の毛まみれになって帰れるぞ。)これは、渡辺香津美さんとのデュオだった。写真には一部参加した清水靖晃さんが写っている。

カフェ・アモレスにアジアの風が吹く。サインホさん登場!

アジアの風が吹くって言ったって、もうとっくに金さん、姜さん、崔さんと充分に吹きまくっていたカフェ・アモレスなれど、もう一人どうしても吹いてもらわにゃならない風、いやミュ-ジシャンが残っていた。ミュージシャンというよりも、ヴォイス・パフォーマーというべきか。ロシアのトゥバ共和国出身の歌姫サインホ・ナムチラクさんだ。ヨーロッパでは、サインコと呼ばれているらしい。ヨーロッパの連中は、「ホ」の発音が出来ないらしい。外見は、白鵬関が女性になった感じと思えばよい。あれだけデカイというのじゃなくて、顔つきが日本人とたいして変わらないということ。モンゴロイドなのだ。以前FMPからサインホさんのCDが出たとき、すぐ買ってみた。とにかくぶっ飛んだ!ヴォイス・パフォーマーは近頃かなりの人数いるが、突然横綱が現れた感じがした。(それで、白鵬関の名前を先に出したってわけ。) 店内をほとんど真っ暗に近くしてのソロ・パフォーマンスだった。前半はトゥバに伝わる伝統音楽で、後半がいわゆる即興ヴォイスだった。正直伝統も前衛も区別がつかないのだ。唯一オルティンドーを歌われたときだけ「伝統の歌だな。」と、分かった。それもそのはず、サインホさん曰く、「私にとってヨーロッパの前衛は、シベリアやモンゴルの伝統音楽から一歩踏み出すだけでよかった。」と。その後、シベリアの伝統音楽を他にも聴いてみてよく分かったけれど、サインホさんに限らず、どの音楽、とくに声を使ったものは、そのまんま欧米で「前衛」と称しても誰にも分からないというか、もっと前衛に聴こえるかもしれないのが多いのだ。モンゴルのホーミーとかフーメイとか呼ばれる倍音唱法がその一例。「ヨーロッパでも倍音唱法を使う人が多くなったけど、トゥバのとは全く違う。トゥバのは体を大変酷使するもので、死んでしまうこともある。」と、サインホさんは言っていた。サインホさんも使われるが、女性なので基音が高いために、男の歌手ほどの迫力は出せないみたいだった。それはともかく、暗い中で多彩なヴォイスが響き渡ると、どこか他所の空間に放りこまれた感じだった。パフォーマンス直前のピリピリ感はサインホさん独特のものだ。後にも先にも店の中があんな雰囲気になったことはなかった。また、あのピリピリ感を味わいたい!

FMPのCD「Lost Rivers」。

サインホさん、寿司を食べるの巻

サインホさんのライヴは、1993年12月24日。つまりクリスマス・イヴだった。打ち上げは半分クリスマス・パーティー。サインホさんは、ユーラシア大陸のど真ん中のトゥバ共和国の出身。もちろん海は無い。モスクワのグネシン音楽院を出てからは、欧米を又にかけて活躍しているので、大丈夫かとも思ったが一応聞いてみた。「きょうは打ち上げで寿司が出るのですが、生魚は大丈夫ですか。」と。そうしたら、「食べたことがないけど、初めてだから試してみたい。」と言われた。これまで、危険を冒してまで音楽を追及して来られたくらいだから(当時のソ連は、モンゴル族の音楽は禁止していたらしい。禁を犯してまでして、トラクターに揺られながら長い旅をして、シベリア奥地まで足を運んで、伝統音楽を伝える人に会って、民謡を習得されていたそうだ。)、寿司の一つや二つどうってこたあない根性をお持ちの女性なのだ。なんの躊躇もなくパクパクと完食だった。メデタシメデタシ。

Voyagerに驚くの巻

怪獣めぐらが、「ジョージを連れて行くよ。」というので、「ジョージ・ハリスンは、無理だぜよ。」と、返事したっていうのはウソで、即OK! ジョージとは、George・E・Lewisのこと。と言っても、ニューオリンズ・JAZZの巨人、クラリネットのジョージ・ルイスじゃおまへん。トロンボーンのジョージです。クラリネットのジョージさんも大のファンだけど(俺ニューオリンズ・JAZZが大好物)、もうあちらの世界におられるので生は聴けません。トロンボーンのジョージは、もう一つの顔(実際顔も体もデカイ)を持っている。コンピューター・ミュージックのスペシャリストだ。そのコンピューターを使って、凄いシステム(というかソフトになるのか?)を作ってしまった。その名も「Voyager」。太陽系を長年旅をしている探査機のことじゃない。コンピューターが即興演奏するのだ! この日のライヴでは、目の前でそれを聴くことが出来て感激! ジョージのトロンボーンの演奏に対して、本当にもう一人のエレクトロニクスを操る者がいるかのようだった。惜しむらくは、内臓音源がそこらのサンプラーみたいな音だったってこと。今じゃ、大きく改善されていることだろう。「Voyager」ともう一つ面白い物を持って来ていた。スタンドの上に何やら金属の箱が乗っかっている。これが面白いシロモノで、人がこの前に立って手を上下左右に動かすと、その手の位置で色々な音が出るのだ。後で遊ばせてもらったが、これが面白いのなんの。「これ欲しい。」と、当然のごとく吠えた。名前は名だっけ?忘れてしまった。ライヴの後半は、一楽師匠と庄子さんも加わったトリオ演奏。この頃の一楽師匠はIMPROVISERとしては開発途上の頃。現在の「ドラびでお」と「Voyager」が共演したら凄いことになりそうな気がするなあ。後日、井上敬三先生に会ったとき、「ジョージに会った時、”ケイゾー、防府であんたの弟子と演奏してきたけど、ケイゾーとやりたかったなあ。”と、言うとりましたわー。ははは。」と、笑っておられました。ごめんね庄子さん。

後半のトリオ演奏。庄子さんは、バス・サックスも吹いた。

CD「VOYAGER」。おすもうさんじゃありません。

「この印籠が目に入らぬか!」

ジョージは凄いインンテリさんなのだ。何ヶ国語もしゃべるし、会った頃はカリフォルニア大学の教授をしていた。今はコロンビア大学で結構オエライさんらしい。が、実は相当オチャメな人。打ち上げの時は、色んな物まねをやってくれた。ミシャ・メンゲルベルクさん、サインホさんの物まねは大うけ。最後は「この印籠が目に入らぬか!」と、日本語でやった。「なぜ知ってんの?」と聞いたら、「アメリカでも放送していて、よく見ている。」そうだ。帰国後、「日本国内でのAACMの資料を送って欲しい。」と連絡があった。集められるだけ集めて送った。それから何年も経って、ぶ厚い本が出版された。デカイ、高い、英語だけなので未だに買っていない。誰か、これの日本版を出してくれないかなあ。売れないだろうけど。ジョージは今日系人の琴奏者のミヤ・マサオカさんと結婚されて、子供もいる。ある人が「ジョージに似てる。」というので、それってよいことなのか?

ジョージはデカイ。昔のソロ・トロンボーンのアルバムのジャケットくらいに痩せようとダイエット中らしい。さて? 最後に、ジョージに、「防府のような田舎は、日本語で言う時は、”ど田舎~!”と、言うのじゃ。」と教えたら、埼玉のSPACE・WHOに行ったとき、「ど田舎~!」と、言ったのだとか。外国人には、くれぐれもヘンな日本語は教えないように。

さて、これが目標だ。そんなことはともかく、良いアルバムです。

ヨーロッパの校長先生が、やって来た!

ヨーロッパの校長先生? さて誰のことでしょう? 正解は、ミシャさん。Misha・Mengelberg(ミシャ・メンゲルベルク)さんだ。校長先生は、俺が言い出したことじゃなくて、シチリアのサックス奏者のGianni・Gebbiaさんが、「ミシャ・メンゲルベルクと共演出来た。彼は自分達には校長先生なんだ。」と言ったのだ。それで、「校長先生」なのだ。これはジャンニだけの話じゃなくて、俺にとっても同じ。ヨーロッパには、もう一人校長先生がいる。Alexander・von・Schlippenbachさんだ。二人いたっていいだろう? アメリカじゃ、やっぱりCecil・Taylorだ。他にいるか?まあ、大きくJAZZ全般となるとルイ・アームストロングかデューク・エリントンか。ジェリー・ロール・モートンが「あほたれ!わしじゃ!」と言いそう。さて、その校長先生がカフェ・アモレスに来たんだよ!! サブさんが連れて来てくれたんだよ! どや!まいったか! 誰だ。「どうせドラマーならサブさんよりHan・Benninkだろう。」って言ったのは!誰かが本当に言ったけど、俺じゃないもんね。そのHanさんも、サブさんが連れて来てくれたのだ。俺、東に足を向けて寝られないのだ。サブさんは、神奈川県民。さて、肝心のライヴの方は、一曲30分位の2セット。アンコールのオマケ付き。ミシャさんの、モンクよりモンクしているピアノが目の前で聴けるなんて、もう俺死んでもいいと・・までは思わないが、それに近い感激だった。カフェ・アモレスのライヴは、住宅街のど真ん中にある為、ドラムは避けていたのだけれど、この日はそれを無視! どうしても、ミシャさんに店のピアノを弾いてもらいたかった。当然サブさんも、店内でドラムをぶっ叩くことになる。しかし、そこは百戦錬磨の「おいらはドーラマー」だ。TPOに合わせた演奏が出来るってもんだ。いや、別によそでもああなりましたかねー? 最後にミシャさんらしいネタをひとつ。「お茶にしましょう。」ということになって、今は潰れてしまったファミレスに三人で入って行ったのでした。サブさんと俺はコヒーを注文。ミシャさんはてーと、コヒーとパフェまでは理解出来た。が、三つ目の注文が日本人には大変意表を突くものだった。さあ~て何でしょう? なんとこれが、「味噌汁」!だったのだ。コーヒーとパフェと味噌汁を一緒に食べることが出来るからこそ、あんな音楽が作れるんだなあ。と、しみじみ思った。常識的な日常を送ってたんじゃああはなれないってことだ!

演奏前のミシャさん。

198cmの「おいらはドラマー」。

身長198cmのドラマー? こんなデカイドラマーを、平均的日本人より小さいドラマーのサブさんが連れて来た。ヨーロッパ最強のドラマー、オランダのHan・Bennink(ハン・ベニンク)さんだ! ミシャさんの次がハンさんとは出来すぎているが、こうなった。ドラマー二人のデュオ・ライヴをどこでやろうかと悩んでいたら、常連さんの小学校の先生が、先生仲間で面白い人がいて、そこの小学校のホール(体育館でも、講堂でもなくホール! 近頃の小学校って凄いなあ。)を使えるかも。と、言うのだ。すると、あっけなく使用OK(本当は、それなりの交渉が有ったと思うが)が出た。そこで作戦を考えた。子供は無料にすれば親は当然ついて来るだろう。親から入場料をいただける。子供達にも他じゃ味わえない経験をさせることが出来ると。さて、蓋を開けてみると、親達は子供は連れて来るも、親自身は家に帰ってしまった!あれ~? それはともかく、ライヴだ。せっかく広い空間を使えるのだ。ドラムセットを2台左右に置いて、その周りにピアノ、和太鼓、脚立、おもちゃ色々、竹の棒等々を配置した。演奏が始まるや、それらはすぐにてんでバラバラ状態になった。二人があっちこっちを動き回りいろんな音を出していた。ハンさんは、ピアノを弾いたり、他所の部屋に有ったサックスを取って来て吹き出したり、如雨露を吹いたり、脚立を叩いたり、歌を歌ったりと大立ち回り。サブさんも負けじと跳び回る。見ても楽しいライヴだった。さて、子供達にはどう映ったのだろうか。知っている人も多いと思うが、ハンさんはドラマーの顔の他に芸術家としても大変な人だ。チラっと見ただけで、ハンさんの作だと分かるジャケット・デザインやオブジェの数々。スケジュール帳のようなものを取り出された時、それを見た小学校の先生(美術が専門)が、「このまんま作品として美術館に置けますよ!」と、興奮していた。ハンさんは、デカイ図体に似合わず、俺たちが格闘技(その頃K-1やプライドの最盛期だった。)の話をしたら(格闘技のメッカ、オランダからやって来た人なので興味が有るかと思った。)、「暴力的なものは嫌い。スケートが好きだ。長距離をよく滑る。」と言っていた。とにかく楽しい人なんだが、そこは反骨精神イッパイの人でもある。小学校でのライヴ中、ピアノにとある黄色い旗を突っ込んで演奏された。後で、「あの旗に何か書いてあったが、あれは何だ?」と聞かれたので、「信用金庫の名前が書かれてあった。」というと、「はじめからそうと分かっていたら使わなかった。」と言われた。俺、心の中で拍手喝采していた。こうでなくちゃあねー。

小郡南小学校のホールでの演奏風景。

焼肉屋のおばちゃんと。無断掲載ご勘弁。

「海鞘(ほや)は嫌いだ。」の巻

Evan Parkerさんの日本ツアーが計画されていた。JAZZ&NOW(宮城県)の中村さんの企画だ。まだまだ外国からインプロヴァイザーがそう簡単に来日出来ない時期からツアーを企画したり、LPを出されていたパイオニアが、故中村邦雄(失礼ながらこの字でよかったか?)さんだった。今回は奥さんの英子さんが、ツアーをサポートして日本中を回られた。1980年代は今のように輸入盤(LP)を田舎者が買おうとすると、通販に頼るしかなかった。今でもそれは同じだが、Amazonなんかで簡単に買える時代だ。そこで、Free・MusicのLPは仙台のJAZZ&NOWと決めていた。現代音楽は西武デパートのアール・ヴィヴァンだった。毎月せっせと、この二店からフリーや現代音楽のLPを買ったものだ。この頃買ったLPの多くが未だにCD化されていないのは何故だ?さて、エヴァンさんのライヴをカフェ・アモレスでやることに決まった。さて、ソロでいくか、誰か加えてデュオをやるかと考えた。閃いたのが、吉沢さん。問題は、この頃すでにかなり体調を崩されていたこと。ライヴの依頼をしたら「OK!」となったが、大丈夫か不安だった。しかし、思ったより元気そうに現れられた。自作のベースは運ぶのが大変らしく、この時は「弟子のベースを借りてきた。」と、ウッドベースを持って来られた。アコースティックな演奏になるんだなと思っていたら、ちゃんとエフェクター類は持って来られていた。さあて、ここから問題が起こった。いざセッティングとなった時、アタッチメントを忘れて来ていることに気が付いたのだった。こういう仕事は怪獣めぐらの役割だったとみえて、吉沢さんは烈火のごとく怒った!怪獣も半ベソ状態。怒ったって無い物は無い。仕方ないので、俺が持っているシュアーの安物マイクを試しに使ってみたところ、何とかいけそうだったので、そのまんまライヴになだれ込んだ。そこは、ミュージシャン。演奏が始まると、何事も無かったように吉沢さんもエヴァンさんも丁々発止の熱演となり、メデタシメデタシ。デュオだけじゃなく、お互いのソロもあった。エヴァンさんといえば、超絶技巧を屈指したソプラノ・サックスのソロが大有名。それが、目の前で聴けたなんて、「もう、俺死んでもいい。」とまでは思わなかったが、でも、感激もひとしおだった。この日は、ソプラノとテナー・サックスを半々使用されていたが、テナーを吹くとJAZZの匂いがしてくるのが面白かった。楽器の特性なんだろうなあ。打ち上げは、吉沢さんの誕生パーティーとなった。ケーキの蝋燭を吹き消す時「こんなことをしたのは初めてだよー。」と、照れていた。エヴァンさんは、寿司を食べながら「仙台で”ほや”を食べさせられたけど、あれは無理。」と言っていた。俺んちの前は海だけど、ガキの頃あれが食べ物とは思わなかったし、今でもこっちの者は食べないなあ。エヴァンさんじゃなくても、あれを食べれる人は少ないだろう。ごめん東北人。突然ケンミンSHOWになった。エヴァン・パーカーといえば、この世界じゃ巨匠中の巨匠だ。エヴァンさんのライヴをやったってことで、俺の友達の一人は「ついにエヴァン・パーカーにまでたどり着いたなあ。」なんて言っていた。巨匠の一人だけど、エヴァンさんは大変付き合いやすい人だ。ちゃぷちゃぷレコード恒例の猫まみれ年賀を送ったら、「More Cats!」と、派手な背景色のメールが届いたり、絵葉書が届いたり、突然CDが送られてきたりと、有り難いのなんの。サッカーもイングランド代表を応援しております。ほんまかいな?

ライヴが気持ちよく終了。

防府日報の記事。

Alexさん&Akiさん、一台のピアノを二人で弾くの巻

とうとうというか、ついにというか、カフェ・アモレスにヨーロッパ最強のピアニストの登場となった! その名もAlexander von Schlippenbach(アレキサンダー フォン シュリッペンバッハ)さんだ。vonが付くということは、ドイツ貴族であらせられるのだよ。下々の皆の衆。実際アレックスさんがホテルにチェックインするときなんか、ホテルの者がピッシっと態度を変えるという。本人は「貧乏貴族だよ。」なんて言ってたけど。で、アレックスさんだけでも大喜びの俺だが、なんと「女傑」と言ったら性差別になるのかは知らないが、とにかく日本人のピアニストといったら、まず最初に名前を出すべき人だと思う(いや、佐藤允彦さんと同列かな?)、高瀬アキさんも一緒というのだから、盆と正月が一緒に来たようなもんだ。知っている人は多いと思うが、お二人は夫婦なのです。二人で来ても何の不思議はない。が、二人ともピアニストだ。店には一台しかピアノはない。答は簡単。連弾すればいいのだ。いいのだけれど、予め楽譜が有る音楽ならともかく、テーマくらいは有るかもしれないが、基本即興演奏だ。二人が並んで弾くと、腕や指や体が当たったりはしないだろうかなんて思ったりもした。まあ、そんなことはなく、演奏はスムーズに、過激に進行していった。2セットだったが、セットの最初はお互いのソロだった。この時のアレックスさんのソロが物凄く良かった! カフェ・アモレスの数々の演奏の中でも、トップ・クラスの名演奏だったと、今でも思う。残念ながら、この時録音レベルをミスって、はじめ高すぎたので、途中から少し落としているので、公開は無理。俺一人で一生楽しみます。ガハハ。お二人のツアーの追っかけをしていたお客さんが、「シュリッペンバッハさんの演奏では、今のソロが一番です!」と興奮していたくらいだ。アレックスさんにすれば、「この程度いつものことよ。」と言われるかもしれないが、俺は感動いたしました! 連弾の方は、同時期にFMPから出たピアノ・デュエットのカフェ・アモレス・ヴァージョン。ミンガスの曲なんかも演奏された。プリペアード・ピアノも披露された。これが聴けて嬉しかったなあ。他所のホールを借りてプリペアード・ピアノをやったら怒られそうだけど、ここは俺の店だ。パイクみたいに斧でぶっ壊さない限り何でもアリ。息が合ってるとはこのことで、さすがは夫婦だなんて言っていたやつがいたが、さて? アレックスさんの演奏って、ドイツ!って感じなんだなあ。質実剛健というか、カッチっとしてるというか。ミシャさんは、地理的にはちょっと離れているだけのオランダだが、これはハンさんにも言えるのだけれど、ひねくれてて、ねじ曲がっていて、わざわざ隙間をこしらえたり、あらぬ方向に突然変わったり、演劇的だったり、人をおちょくってたりと、諧謔味たっぷりの演奏ぶりだ。まるで正反対だけど、アレックスさんとミシャさんは、とても仲が良いそうだ。最後に、がくっときたお話。アキさんがアレックスさんを呼ぶとき「ねえ、おとーさん!」と言われたのだ。俺のAlexander von Schlippenbach像が、ガラガラと崩れ去ってしまった。

連弾中。ピアノが小さく感じた。

防府日報の記事

おやじ&おふくろが知っているミュージシャンが、カフェ・アモレスに登場!

1993年11月7日 俺のおやじ(昭和4年生まれ)とおふくろ(昭和9年生まれ)が知っているミュージシャンが、カフェ・アモレスに出演することとなった。これまではFree・Music界では有名でも、そこを一歩外れれば全くの無名なミュージシャンばかりだった。だからそれがどうしたというスタンスだった。「防府市公会堂でコンサートをやるような人と、この店でやるような無名な人が同じ入場料というのはおかしい。」と、面と向かって言ったヤツもいたが、相手にしなかった。しかし、今度来られるミュージシャンの話をすると、「どうやってギャラ払うの?」などと余計な心配する連中もいた。逆に、「ウチのすぐ裏にある店で聴けるなんて、有難う!」と、言って凄く喜んでくれた人がいた。この人は、回覧板を回す範囲に住んでた人。いいかげんには名前を出そう。佐藤允彦さんです。この名前をおやじ&おふくろに言ったら、本当に驚いていた。しかし、どうして知っているのか不思議でもあった。おふくろは、若い頃京都に住んでいて、神戸まで出かけて行って、ビッグバンドが三つも出るようなダンス・パーティーに行っていたそうだから、どかかで佐藤さんの名前は聞いたことがあるのだろうか?いや、時代が古すぎる。そういえば、高木さんを見て「昔、見たことが有る。」と、これまた時代考証がずれていることを話していた。そろそろ、話を先に進めよう。この日は、佐藤さんともう一人来られた。ベースの坂井紅介さんです。ドフリーな演奏は、この日はナシ。ナシのかわりにリンゴにされた。「何じゃそりゃ?」だって? 佐藤さんが、演奏前のいつものおしゃべりの時に、「きょうは、リンゴがどうにかリンゴに見えるくらいの演奏をします。」と言われたのだ。全く抽象的なのではなくて、もう少し形のある演奏ということ。最初は、その頃出されたCDと楽譜から、ほとんどが書かれている曲を披露された。そして、紅やんとのデュオになった。自作やモンクの曲を演奏された。紅やんは、その頃佐藤さんや日野皓正さんのバンドのレギュラーをされていた。正に日本JAZZ界のトップ・ベーシストの貫禄を示したプレイぶりだった。ぎゅうぎゅうのお客さんの熱気のため、ピアノの鍵盤がベタベタに濡れたくらいだった。店始まって以来のお客さんの数だ。これがFREEだと10人前後だもんなあ。佐藤さんに「FREEばかりやらないで、その次は儲かることをやらないと続かないよ。」と忠告されたけど、忠告を守らないでFREEばかりやったものだから、その二年後店はあの世行きとなってしまったぞ。あの世行きの後も佐藤さんには防府に来ていただいて、赤字の上塗りに貢献してもらったのでした。佐藤さんと紅やんには、打ち上げの席作りなんかも手伝っていただいてご苦労おかけいたしました。おふくろなんて、普段はミュージシャンが来ても、たいして姿も現さないのに、この日は、演奏前の食事を作ってお二人に食べさせていた。後日「あのメバルの煮付けはおいしかったなあ。」と、佐藤さんが言っていましたっけ。紅やんは、その年の大晦日に長崎のハウステンボスから電話をしてこられ、「これから、日野さんのバンドでNew・Year・Liveです。」と、羨ましい限りのお話。それから何年も経って、下松で再会することが出来てうれしかった話は、当ホームページの「昔話」のコーナーをどうぞ。

デュオの写真色々。ちょっと小さすぎたか。  ©松本晃弘

プリンセス・ドラゴン 現る!

怪獣めぐらが「JIN・HI・KIMやってよー。」というので、「よっしゃ!」と即答。「寿司食わせろ!」じゃなかったってことは、今回は怪獣めぐらは防府まで来ないということ。さて、通訳がいないぞ。さあ困った。と言っていたら防府にJIN・HI・KIMさん到着。日本語で書くと「ジン・ヒ・キム」さん。漢字にすると金辰

姫(キム・ジンヒ)。韓国の伝統楽器「コムンゴ」を演奏するコリアン・ビューティーなのだ。お住まいはNew・Yorkだけど。コムンゴでなにを演奏するかというと、FREE・IMPROVISATIONや自作曲、所謂ゲンダイオンガクってことになる。即興の相手が面白い。Elliott・Sharp、Henry・Kaiser、Alvin・Curran、Malcolm・Goldstein、Shelley・Hirsch、Sainkho Namchylak、Carlo Mariani、Adam・Plack(didgeridoo)、Mor・Thiam(african・Percussion)、Joseph・Celli(oboe,english horn,piri・・、旦那さんです。)、Derek・Bailey,Eugene・Chadbourne,Hans・Reichel、David・First、Evan Parker、吉沢元治さん、八木美知代さん、大倉正之助さん!等々、ギター弾きが多いのが特徴か。これ全部CDで聴けます。ジンヒさんの凄いところは、なんと自作のエレクトリック・コムンゴを演奏されるのだ。防府にも持って来て演奏された。

前半は、ソロ演奏。後半は、一楽師匠とのデュオ。この頃になると一楽師匠はパーカッションとエレクトロニクスを組み合わせて演奏するようになってきていた。今聴いても結構面白いライヴだ。現在の二人が演奏すると、もっともっと面白いことになるだろうなあ。これを書いている頃は、師匠香港にいるはず。この日、英語のあやしい俺は、店の近くに(でもないか)住んでいるトンガ人の兄ちゃん(あれ?名前が出てこない。ごめん。)に通訳をお願いした。兄ちゃんといっても、双子の子供がいるのだ。しかし、通訳としては役に立たなかった。だいたいトンガって何語を話すんだ?結局英語ペラペラの奥さんの登場となり、万事めでたしとなった。今頃どこで何をしてるんだろうなあ。子供も大人になってるだろう。このトンガの兄ちゃん(今は、しかっりおじさんになってるはず。)は、元々はニュージーランドとオーストラリアを往復する船に乗っていた船乗りだったそうだ。

さてと、話を戻そう。ライヴの翌日は通訳もいないので、ジンヒさんは、俺のめちゃくちゃな英語でも、仕方なく聞いてくれていた。それなりに、色んな話も聞くことができて楽しかった。小郡駅(今は、新山口駅)の喫茶店で二人でコーヒーを飲んでいたら、店のおばちゃんが「綺麗な女の人連れてるじゃない!」と、まるで夜の店の乗りでしゃべくって来た。「カミさんでも、彼女でもないよ。」と返したら、「ありゃ、そりゃ残念。」だと。大きなお世話じゃ! ところで、「プリンセス・ドラゴン」って何だ? 俺が勝手に言ってることだけど、ジンヒさんが「私の親は、私に良い名前を付けてくれた。JINはドラゴンで、HIは姫。ドラゴン・プリンセス!」というので、それをいうのなら「プリンセス・ドラゴンの方がいい。」というのが俺の意見。

ライヴの手作りチケット。

CD「Sargeng」(EAR-RATIONAL;1989年)

シチリアからの手紙

ある日一通の封書が届いた。Gianni Gebbiaと書いてある。所はシチリアだ! 「何だろう?」と開けてみたら、CDが一枚入っていた。早速聴いてみた。アルト・サックスの無伴奏ソロだ。聴いてると向こうからカミさんが、「これトーチャンの好みじゃろー。」と言った。正にそうで、全然知らなかったミュージシャンが面白いこと程楽しいことはない。姜さんやネッドさんみたいな超絶技巧の持ち主ながら、技術が技術だけに奉仕するような愚かさは全く無くて、自分の音楽をしっかりと形成している。こりゃ面白いのに出くわしたもんだと、嬉しかった。手紙には、「姜さんのCD(ちゃぷちゃぷの001番)が欲しい。」と書いてあったので、すぐ送ってあげた。さらに、防府で演奏したいと言うので「勿論OK!」となり、あれよあれよと初来日となった。初来日には奥さんのIlaria(イラリア)さんも同伴。イタリア人といえば、フットボールとワインとおねえちゃんしか興味のないようなヤツという、誠に正しい、楽しいステレオタイプが有るが、これとは全然違ってノーテンキ野郎じゃなかったのだ。半分安心、半分ガッカリといったところか。そもそもどうしてというか、どこで俺のことを知ったのかを聞いて見た。「ネッド・ローテンベルグが、ぜひスエトミとコンタクトを取るようにと言った。」という。「ネッド・ローテンベルグ?誰じゃそりゃ?」と思ったが、ネッド・ローゼンバーグ(本当は、ネド・ロズンベーグに近い。ネッドさんに何度も発音させられた。ネッドも本当はWilliamらしい。でも、「嫌いだ。」と言っていた。)だと判明。ジャンニの言い方だと、レコードは「レコルド」になる。イタリア訛りの英語が面白かったが、その後は会う度に英語らしくなっていった。さてと、ライヴの話にやっと行ける。カフェ・アモレスでも無伴奏ソロだった。CDで聴けるようなバカウマだった。お客さんも、全く知らなかったミュージシャンが、目の前で凄い演奏をするので驚いていたし、喜んでいた。姜さんと比べれば重心が高く、音も軽い感じ。そこは、生活しているシチリアの風土環境も影響しているのだろう。これはこれで、素晴らしい。演奏途中に面白いことを始めた。サックスの朝顔(っていうのか?)にゴム手袋をはめたのだ。それが伸びたり縮んだりして笑えた。こんなオチャメな感覚も持っている。これ、結構ライヴの必殺技になっているみたいだ。打ち上げでは、客の一人と日本の映画やアニメの話題で盛り上がっていた。まるで、NHKのCool・Japanみたい。ジャンニも奥さんのイラリアさんも禅宗の臨済宗を信仰している。今では、毎年秋に来日して、岡山の曹源寺に入り禅の修行に励んでいるくらいだ。このお寺は、外国人の修行僧が多くて、NHKで番組が放送された。その時イラリアさんが少し出てきたみたいだった。ジャンニは京都の本山で、偉い坊さんの前で演奏を披露したこともあったという。二人は法名(というのか?)を貰っていて、ジャンニは「常楽」、イラリアさんは「惠謹」。ジャンニは和弓もやっていて「秩父から先生がシチリアまで来て教えてくれる。」と言っていた。シチリアには、禅のサークルが結構有るらしい。コテコテのクリスチャンのイメージだよなあ、シチリアって。そこで禅とは!この夫婦の前世はきっと日本人だったんだ絶対。

常楽・Gianni・Gebbia さん。©Fabio・Sgroi

ジャンニが、金さんの書を褒める。