カフェ・アモレスのLIVE 2

ケイゾー先生に土下座!の巻

広島に庄子勝治さんというサックス吹きがいる。井上敬三先生の一番(だめな)弟子(これ、先生が笑いながら言ったのです。確か隣りで庄子さんも大きく頷いていたはず。)です。この弟子の方は、ちょくちょく店で演奏していたし、隣りの山口でも演奏していた。しかし、肝心のお師匠さんは、まだカフェ・アモレスでは演奏してもらっていなかった。師匠といえば、一楽師匠だけ。弟子より師匠の方をずっと聴きたかった。(庄子さん、失礼!) そこで、ついに防府に来てもらうことになった。店でライヴだけのはずが、俺が言い出したのか、一楽師匠が言い出したのか覚えていないのだが、敬三先生の無伴奏ソロ・アルバムを作ろうとなった。先生も乗り気。さて、どこで録音しようかとなった時、一楽師匠が(師匠が二人いてややこしい)、「俺のスタジオで録音しよう。」というので、「そりゃいいや。」となった。が、その「スタジオ」に行ってびっくり!というか唖然!一楽家の狭い部屋だった。アコースティックな響きも糞もない。エコーはミキシング時に付けろってか!俺も正直「?????」だったが、敬三先生はもっとめげていた。二人とも大人?なので、一楽師匠の前では、何ともないふりをしていた。録音中も明らかに先生ノリが悪い。とにかく終了。そして、先生曰く、「明日のライヴも録音して、どっちかを使いましょう。」と。さて、翌日はカフェ・アモレスでライヴ。前日と同じように無伴奏でソロ演奏。アルト・サックス、クラリネット、バス・クラリネットで、前日と同じ曲を再度お客さんの前で演奏された。そのお客さんって、たったの4人。これじゃ、先生またしてもノリが悪い。結局このライヴ録音もボツになった。このボツ録音でも、最後の曲でダンスの佐野眞紀子さん(先生御贔屓)が加わったテイクは、なかなかの演奏だった。後半は、佐野さん、一楽師匠、庄子さんも参加してのセッション。この時は、先生も若いもんに負けじと(というか、負ける訳がないんだが)ガンガン吹きまくっていた。少しほっとした。しかし、プロデューサーとしては、減点マイナスの100点の大失態だ。先生もメゲておられたけれど、俺も今でも思い出す度に、力が抜ける。一楽師匠、あの世に行って、二人で土下座しような。

後半のセッション。

朴在千さん、庄子勝治さん、姜泰煥さん。山口市のCS赤レンガにて。孝代が撮影。

庄子勝治さん。広島にて、豊住芳三郎さん、高木元輝さんとのライヴ。高木さんの最晩年の演奏となった。孝代が撮影。

こんな招き猫はいらんなあ。

佐野眞紀子さん、カフェ・アモレスで舞う!

「敬三先生大推薦の舞踏の女の人がいるからやってよ.」と、庄子さんに頼まれて、興味津々で「OK!」となった。とにかくどんな舞になるにかも情報ゼロの状態で当日となった。共演は一楽師匠と、勿論広島から「来んでいい!」といってもやって来る庄子さん。佐野さん、チラシを見て、「私、舞踏じゃないわよ。」だった。情報が違うじゃないか、庄子さん! そこは無かったことにして、さっさとライヴだ。確かに舞踏みたいに暗黒の世界に入り込んでいない。モダンダンスってことか。現在は「即興舞踊」と言っているハズ。衣装をひらひらさせて舞う姿は、こりゃどう見ても敬三先生御贔屓のはずだわい。単に「綺麗」な舞じゃないのは猫でも分かる。うちの春坊じゃ無理か。(身内ネタですまん) 佐野さんの舞とは対照的に一楽&庄子コンビはノイズまみれのいつもの音。その対照的なところが、このライヴの面白いところ。ライヴも終わりの頃、佐野さんが突然店の外に舞ながら出て行ってしまった。すると、それまでおとなしめに音を出していた一楽&庄子コンビが音量も音数も倍にして演奏し始めた。しかし、外に出て行った佐野さんが帰って来ない。しばらくして帰って来られ、そこでライヴは終了となった。その頃は自宅の有る下関に住んでいたけど、今はお猿さんで有名な幸島の近くに住んでいるそうだ。現在は歌も歌われ「シンガー・ソング・ダンサー」てことになっているみたい。

歌のアルバム。

正月のメッセージ。佐野さん、前世はプロバンスにいたカミーユという猫だったそうです。孝代が「私も猫だった。」と言ったが、言われなくても分かる。猫と会話してるもんなあ。

閉店した店の中で、バール・フィリップスさんの無伴奏ソロ・ライヴをやるの巻。

1995年に、カフェ・アモレスは閉店した。父親が65歳にして貨物船の新造を決めたのだ。金融機関は、俺がまた船に乗って後を継ぐことを条件に金を貸すと言う。このまんま客の少ない喫茶店を続けるのも問題があったので、また乗船して今にいたっている。最初の頃は、乗船しても、たまには岡に上がってライヴをしていた。それもじきのこと無理になってきたが。バールさんを呼んで無伴奏ソロのライヴをやったのは、ちょうどその頃のことだ。防府では無伴奏ソロ・ライヴとなったが、前日の広島までは、ドラムの豊住芳三郎さんとツアーをしていた。予算的に二人は無理だったので、サブさんには悪いけれど、バールさん一人での演奏を無理言ってやらせてもらった。勿論サブさんも防府に来てもらった。タダで通訳を雇ったようなもので、なんだか悪かったなあ。サブさんも、客席に座ってバールさんの演奏を俺達と一緒に堪能された。これはこれでサブさんは、楽しそうだった。その客なんだが、たったの8人!? まあ、いつものことだけれど、これじゃあ何のためにライヴを続けているのやら?という疑問も湧いてこようというもんだ。しかし、バールさんは熱演! 俺は、バールさんの無伴奏ソロ・ライヴをいつかやりたくて、この機会をずっと待っていた。感無量とはこのことだった。その後直接会う機会も作れなかったが、去年の暮に行われたバールさんの最後のジャパン・ツアーに際して作られたパンフレットを、バールさんが斉藤徹さんに「末冨に渡して欲しい。」と、言われたという話を聞いたときは嬉しかった。バールさんの無伴奏ソロ・ライヴの前に、吉沢さんの無伴奏ソロ・ライヴは実現していた。この時の録音は、モダーン・ミュージックより「エンプティ・ハット」としてCD化された。そうそう、この録音テープ(DAT)は、いまだに返却してもらっていませんがねー? バールさんの無伴奏のアルバムといえば、「Unaccompanied・Barre」が有名。世界初の無伴奏によるベースの即興演奏を収録したアルバムだ。現在は本と一緒になったCDとDVDがKadimaから出ているので入手可能だが、このライヴをやった頃は全くCD化されそうになかった。バールさんによれば、このアルバムは三度再発されたけれど、全部合わせても二千枚しかプレスされていないとのことだった。今回のKadimaによる再発は感謝以外無い。吉沢さんにバールさんの「Unaccompanied・Barre」について聞いてみたら「先を越されてしまった!」だった。

さて、ライヴが終わって、バールさんが客の前で、「末冨さん、カフェ・アモレスを再開して下さい。」と、何度も言われた。したいのはやまやまなれど、その軍資金も無けりゃ、やったってまた赤字に苦しみそう。

防府日報の記事。

廣木光一さんのライヴの途中で抜け出すの巻。

岩国市のギターリストの野村さん(もう亡くなられている。)の紹介で、廣木光一さんのソロ・ライヴをやることになった。野村さんが、「客は僕が集めるから。」を条件に、「OK」と返事をした。その頃は、船に乗っていたから、俺自身が動いて客集めに奔走することは不可能だった。フリー系のファンならいつもの連中にハガキでも出せば最低線は越せるが、JAZZのファンとなるとチョイト困る。だが、結果はナカナカ悲惨な状況だった。だが、廣木さんは熱演・・・と、書きたいところだが、なんと主催者の俺が途中でいなくなったのだ!? 何故か? この日は船の仕事を休んでライヴを行ったのだが、ちょうどライヴの最中に船が防府の三田尻港に帰って来たのだった。俺が接岸の時の綱取りをしないと船を港に着けられないのだ。それで、仕方なく綱取りにライヴ中にもかかわらず出かけて行ったというわけ。だから、この日の演奏を少ししか聴いていないのだ。こんなミジメな話はないよなあ。廣木さんにも大変ご迷惑をおかけしました。こんな主催者っていませんよねー。よって、ライヴの感想すら書けません。でも、廣木さんは事情を理解して下さり俺もほっとした。

打ち上げは、何事も無かったのように盛り上がって終了。

「音楽とサッカーはブラジルに限る!」と言われる廣木光一さんと。

カフェ・アモレス最初のライヴは、宮之上貴昭さんだったの巻。

店内ライヴの最初の頃は、地元のアマチュア達だった。その中に親指でギターを弾く「やまちゃん」がいた。彼の師匠は「日本のWes」宮之上貴昭さんだ。どうりで親指を使うわけだ。その師匠が近くまでツアーで来ることになった。やまちゃんは、カフェ・アモレスで師匠のライヴをやろうと言い出した。バンド丸ごとは無理なので、師匠とバンドのベース弾きとのデュオで行こうとなった。ためしに師匠に連絡すると、「OK!」との御返事。これが初めてのプロのミュージシャンのライヴだった。一体どのくらいお客さんが集まるのかサッパリ見当が付かなかったが、蓋を開けてみてビックリ! カフェ・アモレス始まって以来の大入り満員のぎゅーぎゅー詰め。こんなことは、佐藤允彦さんと坂井紅介さんのデュオ・ライヴとこれだけ。早い話が、黒字になったのは、たったの二回だけなのであった。スゲーだろう!

失礼ながらベースの人の名前がどうしても思い出せない。もう、20年以上前になるもんなあ。そういう問題じゃないってか。演奏は、ユーミンやカーペンターズの曲まで飛び出してきて、もうノリノリ!後半は、弟子のやまちゃんも参加しての楽しい一夜となった。そのやまちゃんは、カフェ・アモレスで演奏すると、お客さんがゼロなんていうこともあったが、今じゃ追っかけまでいるという人気者になっているらしい。

手前がやまちゃんこと山下正さん。現在「正新」と名乗っています。

ベースの人の名前が分かった! CDのジャケットにちゃんと載っていた。松島憲昭さんでした。ホント、忘れてすみません!土下座。

このコンビが出演した店は潰れるの巻。

福岡から富岡昌弘さん(ヴァイオリン)と江原秀信さん(ギター)がカフェ・アモレスに出演したとき、本人達から言われたのが「俺達が出た店は、その後潰れちゃってるんだよねー。」だった。ギシギシいわせるヴァイオリンとテーブル・ギターの演奏は面白かった。ノイジーな演奏は、JAZZ系の即興者達じゃ味わえない味がする。富岡さんとはお互いが小杉武久さんのファンだということでも盛り上がった。しかしである、この二人が出演して数年後、本当にカフェ・アモレスは閉店しちまったじゃないか。こんなことって本当にあるんだろうか。いやいや、こんなライヴばかりやって儲かろうはずがない。結局は、いずれ潰れそうな所しか、即興のライヴをやらないってことなのだ。それか、逆に赤字食っても大丈夫なお金持ちのどちらかだ。しかし、吉沢さんは「金持ちにゃ、即興は分からねーよ!」と、俺に言い放ったのでありました。

広瀬淳二さんと江原秀信さん。

富岡昌弘さんと一楽儀光さん。

多田正美さん、カフェ・アモレスでパフォーマンスの巻。

ある日、河合孝治(明が本名)さんから「多田正美さんのパフォーマンスをそっちでやらないか。」と、連絡が入った。彼は多田さんとは古い付き合いだった。「GAP」というイベントや即興演奏をやっているグループに多田さんの後任で河合さんが参加していたはずだ。多田さんの存在は、「GAP」や、「イースト・バイオニック・シンフォニア」の活躍で知ってはいたが、まだお会いしたことはなかった。多田さん以外の「GAP」のメンバーとは、佐野清彦さんとは何度もお会いしていたし、曽我傑さんとも一度お会いしている。もう、30年以上前のことだ。会っていない分ずっと気になっていた。1990年代頃は、多田さんのガラクタやゴミ(本人曰く)を叩いたり、細い竹を振り回したりしているパフォーマンスが収録されているCDやカセット・テープが数多くリリースされていたし、河合さん経由で情報もたくさん入って来ていた。パノラマ写真で空を写した作品が評判なのも知っていた。(北爪道夫;オーケストラ作品集のカヴァーに使われている。この中の「Side ・By ・Side」という曲では打楽器の高田みどりさんが活躍。)CDなんて、今でも時々聴いている。しかしである。多田さんのパフォーマンスをカフェ・アモレスという喫茶店の空間でどうやったら出来るんだ?響きのよいギャラリーでやるのが当たり前田のクラッカー。それなりの広さが有り、響きの良いことが多田さんのパフォーマンスの効果が出せる最低条件だと認識していた。でも、「やれる。大丈夫。」と言われるので、とにかくテーブルを片づけて空間を広げた。ということは、客席が無くなるってこと。でも、結果を先に言うと、頼み込んできてもらった人も含めて、たったの三人!俺も含めてだから、二人ってことか?で、その開いた空間に、ゴミやガラクタを集めなきゃいけない。叩いて面白い音がするものだ。ストーブ、木、竹(阿弥陀寺に行って、事情を話したら竹を切らせていただけた。今考えれば、阿弥陀寺という防府じゃ観光名所でもある有名なお寺に、ずうずうしくもよく竹を切りに行けたものだと思う。実は、住職さんが出身校の先生だったのだ。直接習ってはいなかったけれど。根回しをしてくれた人もいたし、それで可能だったワケ。)、道路標識(どうやって持って帰ったんだろう?)、自動車のホイール等々をかき集めた。ライヴ当日の開演前、多田さんは俺が用意しておいたガラクタ、ゴミ、竹、木、ホイール等々を壁に立て掛けたり、床に並べ始めた。その光景はまさにアートしていた。が、本番ではあっという間にバラバラにされてしまった。そのバラバラになる時に気持ちの良い音達が店内に響き渡ったというワケだ。細い竹を振り回している光景は、子供の頃を思い出させた。人類が「音楽」を始めた頃って、こんな感じだったんだろうか。声を発するのが先ではあったろうが。さて? この時発せられた音達は、全て日常私達が聴くともなく耳に入ってくる音達だ。ちょっと意識を音に向けるだけで、多田じゃなくてタダで音は聴けるし、楽しめる。散歩中耳にイヤホーンを突っ込んで歩いている人が結構いるが、そんなもん外して環境に充満している音達を聴いてみることを薦める。工場の騒音だって意識を変えるだけで音楽に成り得るのだ。そんなことを多田さんのパフォーマンスを聴いていて思った。さてと、パフォーマンス自体は、30分くらいだったか。その後が凄かった。3時間くらい多田さんの独演会となった。しゃべりっぱなし!それが凄く面白くって、あっという間だった。

俺個人としては、この日のライヴは、カフェ・アモレス屈指のライヴだったと思っている。現在多田さんは、マージナル・コンソート(イースト・バイオニック・シンフォニアを名乗ることを小杉さんがOKしなかったと耳にした。)で集団即興をやったり、写真を撮ったり等々と世界中を飛び回っている。驚いたのが、韓国に呼ばれて行って、ピアノを弾くという仕事をされたこと。ピアニストのイメージが全く無かったのでピンとこなかった。だが、多田さんて自分でピアノを作るほどピアノ=LOVEの人だったのだ。家にはスタイン・ウェイがドカンと置いてあるそうだ。(カミさん非常に羨ましがった。)そこで演奏されたのが、ジョン・ケージの「The・Perilous・Night」と「Four・Walls」。益々聴いてみたくなった。しかし、この曲はプリペアード・ピアノの曲。防府のホールじゃ、プリペアードさせちゃくれんだろうなあ。でも、防府でも演奏してもらいたいもんだ。世の中「アーティスト」だらけだ。ガキが歌って踊ってりゃ「アーティスト」だ。アーティストの敷居もえらく低くなってしまった。多田さんこそが「アーティスト」って呼ばれる価値を持つ!どうだ参ったか!

 

準備中。

バラバラになる前。

CDのジャケットに使われた空の写真。3曲目「Side By Side」は、高田みどりさんが演奏。

 

その頃いただいたカセット・テープ。90年代はまだカセット・テープでリリースされることも多かった。