ちゃぷちゃぷミュージックのLIVE

ちゃぷちゃぷミュージックが主催したライヴの紹介をいたします。

「ChapChap Music presents Sella Live at Opus」 10月18日 2015年

Sellaのライヴを、オーパスで開催いたしました。午後4時から6時までのSellaのワンマン・ライヴでした。1曲川口賢哉さんの尺八が共演。2曲では、マネージャー、ベーシスト、その他Sellaの諸々のサポートに忙しい石光さんもベースで共演。客席は満員御礼状態。新曲も交えての熱演は、正味90分。元々MCには定評があるトトちゃんだが、この日はなおいっそうにパワーアップして、まるで漫才になったところもあった。2ndアルバムの準備も順調に進んでおり、次回は「CD発売記念ライヴ」となることでしょう。

ライヴのスタートは、トトちゃんが控え室から歌いながら登場!

パスタにケーキ。お酒無し。健全な打ち上げ!?

CD「崔善培:自由」の最後の一枚を、萩の味噌醤油屋さんがお買い上げ!

「ChapChap Music presents Sella Live at Stage.M with 岡田昭夫&川口賢哉 Duo 」 6月13日 2015年

トトちゃんユミちゃん姉妹ユニット「Sella」のライヴをStage.Mで行いました。前座は、萩「たまねぎ畑」&岡田味噌醤油(有)の御主人・岡田昭夫さんのギターと、NYC在住でカール・ベルガー・オーケストラにも在籍されている尺八奏者でジャーナリストの川口賢哉さんのヅオ・インプロヴィゼイション。30分ぶっ続けの1曲でした。尺八の音量を考慮して、岡田さんはノイジーな轟音は意識的に避け浮遊感漂う演奏をされていました。尺八は結構激しい表現となり、この対比も面白かった。メインのSellaは、最近安定感を増し、曲も色んな表情を見せるようになって来た。途中のトトちゃんのMCも慣れたもので、主催者の私を結構いじってくれた。

全く異質な2ステージはお客さんにどう映ったか。しかし、客4人とは??

 

 

Stage.Mの後は、パーティー中のオーパスに乱入し、川口さんは山根浩志のピアノと即興演奏に興じた。その後、今度は印度洋にも乱入し尺八のソロを演奏と、防府のライヴの名所巡りだった。

「ドラ☆美保 at 印度洋 6月4日 2015年

ある日、若林美保さんから「4日に山口に遊びに行きます。」とメールが届いたと思ったら、いつの間にかドラびでおこと一楽儀光のブログに「ちゃぷちゃぷレコード presents ドラ☆美保 at 印度洋」と紹介されているではないか。その時点であと二週間だった。集客が不安だったが、終わってみると大盛況とはいかないが、平日で宣伝期間が短かったワリにはたくさんのお客さんが来られて嬉しかった。

OAの「きららちゃん」が遅くなりそうなので、急遽「ドラびでお」のソロから始めたが、ダンサーの大脇智知さんも参加し、ドラびでおとダンスのデュオとなった。お互いが反応し合った良いパフォーマンスが見れて得をした感じだ。続いて、ゆる~い所から突然絶叫に変わることもある個性的な「きららちゃん」の演奏。地方のアンダーグラウンドにもこんな質の高いユニットが存在するのが嬉しい。ドラ☆美保のライヴでは常連のOAと思っておいて下さい。

さて、メインの「ドラ☆美保」は、音も踊りもコンビネーションも益々上昇しており、毎回見る度に見る者の度肝を抜いてくれる。出て来る音もミニマル・ミュージックからロックの轟音までとその振幅は大変広い。おまけにレザー光線が空間を縦横無尽に飛び交う。それに呼応した美保ちゃんのパフォーマンスは、力強さ、美しさを共に備えたアートでありエンターテイメントである。「お芸術」なんかでは断じて無い。だからこそ大きなパワーを内にも外にも放出出来るのだ。

 

「防府市 カフェ・アモレスのライヴ回想録」at Studio Jazz屋 11月3日 2014年

カフェ・アモレス時代に行ったライヴの映像を中心に、90年代フリー・ミュージックを回想するというイベントをStudio Jazz屋で行いました。東京から臼井淳一さんを招き、映像を見ながら当時の様子や裏話も含めてお話をさせていただきました。このような人前でのおしゃべりも初めてなことと、ヴィデオ・デッキの操作の不慣れも含め、とても満足の行く内容とはいかず、お客さんにはご迷惑をおかけしたと深く反省しています。臼井さんの機転の利く進行がなければ一体どうなったことやら。お客さんは6人と、ノルマには程遠いものではありましたが、広島から来られた人もおられ、また20年ぶりの再会の人もあり、大変嬉しかったです。Kさん、差し入れまでいただきまして大変有難うございました。さて、2回目は有るや無しや。

「ドラ☆美保」Live At 印度洋 12月21日 2013年。

2013年12月21日、印度洋で「ドラ☆美保」のライヴを行いました。「ドラ」は、「ドラびでお」こと一楽儀光。「美保」は、ストリッパー、AV女優、モデル等々で大活躍の若林美保。現在のドラびでおのシステムは、今年で終了。来年からは新兵器が登場するので、印度洋での最後の現行システムでの最後のライヴとなった。美保ちゃんは、今回が防府初お目見え。ライヴの最初は、山口市在住の狂気の?フォークシンガー佐々木匡士(マサト)さんの、ちょっと他には見当たらない超個性的な歌と演奏。最後の曲は大いなる感動で客席を席巻。美保ちゃんも「最後の曲は良かった。」と大いに気に入られた様子。拍手にも力が入っていた。続くは「ドラびでお」現行システムの最終披露となった。毎度おなじみの映像と音なれど、やっぱり気合が違っていた。一時代の終わりを告げるライヴだったし、新時代の幕開け宣言でもあった。さて、次はお待ちかね「ドラ☆美保」だ。YouTubeで評判になったヴィデオも見ているし、美保ちゃんのシルエットが映像に重なって云々・・・で、分かったつもりになっていた俺の軽い脳みそは、これまた軽く吹っ飛ばされた。なにしろ、目の前で美保ちゃんの裸体が舞うのだ!そりゃあ冷静でいろというのが間違っている。と、書きたいところだが、これが鼻血も出さず?裸体(その美しき事! そして強靭な事! しなやかな事!)の動きと映像と、そこに重なる美保ちゃんのシルエットと、音による瞬時に計算された(そこが即興の良さ)トータルな芸術性(猥雑でもあり、昇華された美とでも言おうか)の瞬発力にはクラクラした。美術館のオープニング・イベントに招待されたのにも頷ける。新兵器も登場する来年はもっともっと過激に美しくなっている「ドラ☆美保」が見れることだろう。

集客は目標の半分以下とナカナカのもの。それと、感動は別。・・・と、言うことにしときます。それにしても、前日のアシッド・マザーズ・テンプル&スペース・パラノイドと共倒れとは!? トホホ。

「ドラ☆美保」。「ドラ」があまり写っていません。あしからず。

佐々木匡士(マサト)さん。彼こそ「地元シンガー」じゃ、勿体ない!熱演、激演。

           印度と青鬼&赤鬼。

「ごはんの大盛り」を注文したら、なんと漫画に出て来るようなこんなてんこ盛りが!初めは冗談だろうと思ったら、いつもこんならしい。

お客さんと。美保ちゃんと、白波多カミンちゃんと、この真ん中のきれいなおねえちゃん、いやお姉さんとで「アイドル・グループじゃー!」と、一楽師匠が吠えておりました。その後真ん中のおねえちゃん、いやお姉さんの素性?を印度さんより聞き出したところ、「きららちゃん」というキーボードと歌のコンビのバンドの歌ってる方と判明。依然名前は不明。

 

 夜中の2時すぎ。俺とカミさんは、この日は朝の5時から起きており(カミさんの出勤時間が早い為)、もうヨレヨレ。

実は美保ちゃん、俺より背が高いのだ。21日、22日両日は、美保ちゃんと食事したり、お茶したりと、楽しくやっておりました。へへへ。人生たまにはこういうこともないとなー。はははははは!

 

         若林美保・写真集「劇情」。

    手書きのスケジュール。いいねこういうの。

ドラトーーク at 印度洋 7月20日 2013年。

7月20日、印度洋で「一楽儀光ドラトーーク」を開催。あるとき一楽師匠に「演奏するのは準備だなんだで面倒くさいから、しゃべくりだけで儲けようぜ。」と、冗談を言ったら、聞いたその日に印度洋を押さえ、日程も決めているではないか!決まったからには、やらなきゃいけない。ギャラも決めた。やるのはトークショウ。じゃあ、入場料は¥1500だなあ。ということになった。しばらくして、「お前も印度(のマスター)もしゃべるんじゃ!」と、一方的な要求。「俺も!?」と、ビビるが、印度さんは「じゃあ、僕が司会をします。」と、度胸の座ってることよ。俺、未だかつて人前でしゃべったことなんてない。実は、印度さんも「僕だって、司会なんてしたことないですよー。」なんて言ってる。少々不安になって来た。トークだけのはずが、そこはミュージシャン、演奏もしたくなったらしい。「やっぱ、演奏もするわ。秘蔵ヴィデオも公開じゃ!来た人にはDVDのプレゼントじゃ!」と、大盤振る舞いなイベントになってしまった。これで¥1500は安すすぎないかと思ったが、すでにチラシも配っているし、今更どうにもならず、「このまんま行くしかねーべなあ。」と、言ってる内に20日がやって来た。

当日夜の8時になっても、だーれも来ない?!「やめて焼肉食いにいくかあー。」なんて言っていたら、ぼちぼちお客さんが集まりだしたので、ぼちぼち行くか(行くって焼肉屋じゃなくて、トークショウ始めるかの意味)と、俺も印度さんもステージ側に移動。俺は一楽師匠の背後。印度さんは反対側に座った。と、思ったら印度さんが「徹子の部屋」のテーマをマイクに向かってハミングし始めた。そして、「白柳徹子です。」とやった!これで、お客さんをグイっと引き込んだ。もうそこで、俺、印度さんを尊敬してしまった。その後も名(迷)司会ぶりを発揮。俺は、カミさんに「あんたが出しゃばって話したら、お客さんが引くから、あまりしゃべるんじゃない。」と、強く釘を刺されていた。聞き役に徹していたので、トークショウは結構スムーズに進行して行った。時々は、ツッコミも入れさせていただいたが。印度さんの司会ぶりもよかったが、一楽師匠もトークは慣れたもので、お客さんを大いに沸かせていた。色々な秘蔵映像を披露したが、やっぱりドラびでおの最初期の作品「赤穂浪士、松の廊下」のインパクトは今見ても凄いものだった。あと、一楽家の「ファミリーコンサート」での次女の「ドラびでお」には驚いた。ドラムを始めてたったの4か月というではないか!でも、中学生になった今は、全く興味が無くなったらしい。あのまんま、オヤジのマネしてちゃ、将来困ったもんになったろうから、これでよかったのだ。と、いうことにしておく。

SMAPの番組出演、ラフォーレ原宿のCM、ヴェネチア・ヴィエンナーレ、ボブ・ディランと同じステージに立ったこと、福島でのイベント、灰野敬二さんとのステージ映像等々を観て、話していたら二時間も経っているではないか。あっという間の二時間。そろそろ演奏ということになった。いつものエロ、グロ、ナンセンスてんこ盛りのショーの始まりだ。16人(この倍は来て欲しかったなあ)のお客さんは、大いに盛り上がっていたので、「やって良かった。」と、自分に言い聞かせる私でありました。

笑いの絶えないトークショウ。でも、少しは人のためになる話をしたのかなあ?この三人じゃどうしようもないわなあー。

ドラびでおLIVE!

名(迷)司会者の白柳徹子さん。いや印度さん。この日は、彼のおかげでホント助かった。イベントの成功は彼の功績大。何事も本気の印度さん。打ち上げで、YCAMのお兄ちゃんと、これまた本気の喧嘩になって、「オラ!外に出んかい!」と言って、出て行った。俺達はほっといて後から出て行ったが、いつの間にやら終わっていた。俺は「ほっとけ。今頃抱き合って泣いてるぞ。」と言ったのだけれどねー。さて。本人のみぞ知るってか。その印度洋、開店して最初のライヴが灰野敬二さんだってことが判明。これは、店の勲章です。威張ってました。それだけじゃない。ここは、大友良英さん、内橋和久さん、姜泰煥さん、梅津和時さん、ユージン・チャドボーンさん、ネッド・ローゼンバーグさん、サム・ベネットさん、マニ・ノイマイヤーさん、シェリー・ハーシュ(ヒルシュ?)さん、ジャンニ・ジェビアさん等々といったインプロヴァイザーから、アシッド・マザーズ・テンプル&ナントカカントカ(覚えきれない)、吉田達也さん、山本精一さん、伊東篤宏さん等々書ききれない強者達、そして山本達久君のような東京で「山口組」と言われている注目のミュージシャンの巣窟のようなお店(看板はBarになっているけれど、印度さんは「ウチはスナックです。」と言っていた。)なのです。

打ち上げは、印度洋の近くの焼肉屋さん。ホルモンを焼いたら、油が下に落ちて、ボウボウと火柱が上がるではないか。そこで火消に使われたのが、「氷」?! 効果バッチリ。投入しすぎて炭の火まで消えそうになった。肉と氷のツーショットって、そうそう無いだろう。

実は、イベントの数日前、駅を歩いていただけで脹脛(ふくらはぎ)を肉離れしてしまい、全治三週間だった一楽師匠。彼の脹脛は、世の中で食べる物が全く無くなっても、こいつを千切って食ってれば三日は持ちそうなほど太くてデカい。「ステーキ食わせろ。食ったら肉がくっ付く。」と、真顔で言うようなヤローです。打ち上げが終わって歩いていたら、「ねえ、ステーキはいつ?」と、真顔で聞いてきた。ミュージシャンは、このくらいじゃないと生きていけないのだ。若い衆は、よく見習って、肉をたかりなさい。(俺以外に)

この日一番酒を飲んでたのは、多分カミさんです。「割り勘だから、得した。」と、のたまわれておりました。こいう時酒のダメな俺は損をするんだよなあ。

酔っぱらったカミさんの撮影の為、ブレブレ。左は「Kadath」(www.kadath.jp)というバンドをやっている人。(名前を忘れてしまった。俺近頃人の名前が覚えられないのだ。一楽師匠に「お前はもう終わってる。」と言われてしまった。終わった人間からギャラを巻き上げるなんて、そっちこそ「終わっちまえ!」だ!)昔一楽師匠と一緒にバンドを組んでいたそうだ。右から二人目と三人目は、ついさっきまで喧嘩をしていたはずだ。とにかくめでたしめでたし。夜は更ける。

金大煥&崔善培 Live at アスピラート

1999年、11月26日 防府駅前に有る「アスピラート」というホールのリハーサル室を借りて金大煥さんと崔善培さんのデュオ・ライヴを行った。リハーサル室でというのが悲しい。ホールでやったら悲惨な目に会うからなあ。金さんと崔さんには、これまでこのお二人さんに姜さんも含めると、しょっちゅうこの中の誰かが防府に来ていた感じだった。が、金さんと崔さんのデュオ・ライヴはこの日が最初だった。有りそうで無かったのがお二人さんのデュオだった。崔さんには金さんと演奏したテープを貰ったりはしていたが、防府では正真正銘この日が初めてだった。ちょっと不思議な感じ。その貰ったテープで聴ける演奏が、これまで聴いてきた金さんの演奏とはガラリと変わっていたのだった。金さんといえば、プク、タム、シンバルだけのシンプルなセットに、それとは逆に片手にバチやスティック等を三本持って、金さんの言うところの「ワン・ビート」で独特の音の波を作り出すというのが常識。それが、このところ大きく変化してドラムの音がしているのだった。でも、そこは金さん。普通じゃない演奏だった。プクの演奏をドラムに置き換えた感じ。ライヴ当日、いつものようにドラムは照喜名仙子さんに借りた。すると金さんは、スネアーにタオルをガムテープで止め出した。どうやら、響きを抑えるためだったらしい。さあーて演奏開始。崔さんは、エレクトリック・トランペットを披露された。ちょっと残念だったのがスピーカーからノイズが結構な音量で出ていたのだった。お客で来ていた「印度洋の印度さん」は「こんなもんでしょ。」とは言っていたけれど、セカンド・セットはアコースティックで吹いてもらった。前半と後半で演奏の違いが現れて結果良かった。金さんのドラムの迫力には圧倒された。今までの演奏も良かったが、このドラムでの演奏も最高だ。韓国独特の11拍子も使われていた。各セットの終わりの頃は、崔さん一人で演奏をして、金さんは書のパフォーマンスをされた。ファースト・セットの終わりの時は、金さんはなんと、水で書いた!瞬間字が見える、そしてすぐ消えるのがいいのだ。「これが、フリーなの。」と、言われた。これには感激。セカンド・セットの終わりの時は、文字を逆に書く「鏡文字」で般若心経を書かれた。この書は、帰国後行われた展覧会に出品されたらしい。金さんのドラムの演奏に関して面白い話が有る。姜さんと金さんが久しぶりに共演をするというコンサートがあった時、金さんは練習用の小さく軽いドラムを持って行ったそうだ。すると姜さんは、金さんが通常のドラムは重いから練習用を持って来たものとばかり思って怒ったらしい。実は、金さんは、この練習用のドラムの軽く乾いた音が欲しかったので、決して楽をしたかったワケじゃなかったのだった。一見普通のドラムに戻ったように見えて、そこは金さんなりの変化球が用意されてたってワケ。このライヴ後お二人とは一度も会えずにいる。金さんはすでに亡くなってしまった。あの世で会いましょう!

 

防府日報の記事。

その他の写真は、「写真集」のコーナーへ。

YujiさんのLIVEだ-! この感激分かるかあ!の巻。1998年3月6日。

サブさん、「こうなりゃピアノ特集だ!」と言って連れて来てくれたのが、なんと高橋悠治さん!もう、俺もカミさんも興奮したのなんの。「ついに俺達もここまで来れたんだー!」てなもんだった。そりゃあこれまでも、レコードやCDをせっせと集めて聴きまくったミュージシャン達(「ベースだと誰が好き?」と聞かれて、「バール・フィリップス」と答えていた者が、その当人のライヴが出来て、オマケにリーダーアルバムではなかったにせよCDを作れたんんだから、これまででも十分すぎるほど素晴らしい経験をさせていただいたってものだ。レオさん、金さん、姜さん、崔さん、佐藤さん、サブさん、高木さん、Evanさん、サインホさん、Alexさん、Akiさん、ミシャさん、ハンさん、Butch、Nedさん、George等々皆そうだ。)と仕事が出来てなんと幸運なことと思う。思うが、Yujiさんは俺の中では別格な存在なのだ。(もう一人別格な人がいる。小杉武久さん!)そりゃあケージ、コルトレーン、マイルス、サッチモ、C・パーカー、B・パウエル、エリントン、グールド、テュードア、ビートルズの四人、ドルフィー等々まだまだいるけれど、彼等にはあの世に行ったって、まあ会えることはないだろう。この世で会えるってのがいいのだ。当たり前か。そんな俺だからYujiさんと初対面の時は、さすがに緊張した。話をしている内に緊張もとけてきたが、隣にサブさんがいたのが緊張を緩めてくれたのだろう。さて、ライヴのお話。演奏会場は、佐藤さんの時と同じく山口市のC・S赤れんが。お客さんの数まで同じ25人だった。正直「Yujiさんで25人かあ。」と、ガックリ。数はガックリだが、演奏の方は良かったのなんの!佐藤さんの時のように、ビシバシ音が飛ぶのじゃなくて、音が大小の波の間を揺れながら現れる感じ。サブさんなんて、佐藤さんの時とは違ってドラムの椅子にほとんど座っていない。床を叩いたり、壁を叩いたり、そう、この時ドアを叩くつもりが、ドアがちゃんと閉まっていなくて、突然パカッと開いてしまった。サブさんは、「ありゃ?」とばかりドアの向こうに飛び込んでしまった。でも、それでも叩き続け、何~もなかった顔をして出て来たのでありました。お客さんは、大笑をするワケにもいかず、笑いをこらえていた。最後は二人ともが音を出しながら会場の外に出て行ってオシマイ。お客さんは、出て行ったから終わりなんだろうが、ひょっとしたら帰ってくるかもと、拍手をしたりしなかったりだったが、サブさんが帰ってきて「終わりだよ。」と言ったので、ワーッと拍手がおこった。いやー楽しいライヴだった。が、サブさんは「高橋さん、きょうは堅かったなあ。いつもなら歌を歌ったり、三味線弾いたりするんだよ。」と言うではないか。逆に捉えれば、Yujiさんのピアノがあれだけ聴けたのだから大満足!文句なんかありゃしません。文句じゃないけれど、ここに小杉さんもいてトリオだったらもっと凄いことになっていただろうなあ。

いつもピアノの調律をしてくれる澄川弘一さん。商売道具に高橋さんにサインを書いてもらい大喜び。後日、九州の調律師仲間に「何でお前が高橋悠治の調律(正確には、高橋さんが弾くピアノの調律~こんなこと書く必要はないか。)出来たんだよう?」と言われたそうだ。彼は、チェンバロの古典調律も出来る。調律してもらいたい人は、ちゃぷちゃぷミュージックまでご連絡を。紹介いたします。

カミさん手作りのチラシ。書もデザインも全て。

サブさん、佐藤允彦さんと久しぶりに共演するの巻。1997年3月26日。

店が無くなり、カフェ・アモレス主催じゃなくて、ちゃぷちゃぷレコードが主催となるライヴも少しは続いていた。(この頃はまだ「ちゃぷちゃぷミュージックを名乗ってはいなかった。)当然会場は他所の箱となった。ある日、サブさんのライヴをまたやりたいなあと思った。さて、誰とのデュオがいいだろうか?(トリオ以上は経済的に非常に厳しい)そこで思いついたのが佐藤允彦さんとのデュオ・ライヴ。早速ご両人に連絡をしてみると、アレヨアレヨと日程が決まってしまった。さて、どこでやろうか?防府じゃ、都合の良い小ホールが存在しないので、山口市の「C・S 赤レンガ」に決定。演奏しにいちいち山口まで行って帰るのは面倒だし、客集めとなるとやはり地元の防府の方がいいにきまっている。しかししかし、防府にゃ未だに(2013年現在)小ホールは無いし、作るなんていう計画もない。ピアノが置いてある100人から200人収容のホールが欲しい。行政側は、このくらいの箱が一番使い勝手がいいということを全く分かっていないようだ。アスピラートという600人収容のホールを建ててそれでヨシということになっている。まさか自分で建てられるワケがないしなあ。さて、愚痴はここまで。ここC・S赤レンガは、サブさんは一度来ている所。レオさんとのライヴをやっている。この時お客さんは、スッカラカン。レオさんは、相当メゲていたけれど、サブさんは「こんなもん、いつものことよ。」と、どこ吹く風。こういうのいいんだか悪いんだか。結果から言うと、佐藤さんとのデュオはお客さん25人と、いつもの倍以上。大赤字には違いないけれど、「ようやった!」のレベル。さて、サブさんと佐藤さんは、ずっと以前は結構共演していたし、録音も残っているけれど、このライヴはホント久しぶりだったはずだ。というわけで、やる方も聴く方もどういう演奏になるかは、やってみなけりゃ分からないライヴとなった。即興のライヴといっても、顔ぶれを見たらだいたい想像つくもんだ。想像つかないライヴって、どっちに転ぶか聴いていてヒヤヒヤもんのところがある。そこがいいのだ。俺達インプロ・マニア?って、やっぱヘンなのだろう。へたすると、ボロボロの演奏ってあるみたいだ。これって、ミュージシャンがお客さんに対して責任を果たしていないってことになるはず。高木さんは、「こんなんじゃダメなんだよなあ。」と、俺に言っていたことがあった。でも、俺達ファンは、「きょうはアカンかったなあ。前の方がえかったぞ。」で済ましていたりする。これも、いいんだか悪いんだか。で、この時はというと、これが「エカッタゾイ!」(って、どこの方言じゃい?)なのであった。この日のサブさんは「おいらはドラマー」を地で行く演奏だった。サブさんは相手によって戦い方?を変える。この日は、これまで聴いた中で一番「ドラマー」していたように感じた。佐藤さんが、結構ガンガン攻めてきたので、「フリー・ジャズ・ドラマー」の血が騒いだみたい。サブさんて、相手があっち行ったりこっち行ったりするタイプだと、それ以上にあっち行ったりこっち行ったりするけれど(まあこういった時って、ドラムの椅子に座っていないもんなあ)今回はピタリ照準を決めた演奏になった。お客さんの中に「豊住さんて、ちゃんとドラムを叩こうとすれば叩けるんじゃん。」と言ったやつがいた。ははは。

後日情報によれば、PIT・INNで佐藤さん、サブさん、梅津さんのトリオ・ライヴがあったそうだ。これ聴きたかったなあ。

楽屋に有ったチェンバロを弾き出した佐藤さん。いつもは、このチェンバロは、チェンバロ奏者以外は絶対触らせてくれないシロモノ。

打ち上げは、JAZZ喫茶「ポルシェ」さんの2F「ワーゲン」だった。カミさんが電池切れを起こしたので、午前0時をもって、主催者の二人は佐藤さんとサブさんを残して退散!防府から来ていたお客さんが「私たちが送ります。」というので、とっとと帰ってしまった。こんな主催者いないだろうなあ。俺、酒が飲めないので夜中まで起きて騒ぐのは苦手。船の仕事は、一晩中航海が当たり前なんだけれど、陸に上がるとサッサと寝てしまうんだなあ、何故か。その後残されたお二人は、さっさと帰った者なんかほっといて大いに盛り上がっていたとの証言があった。地元のJAZZシンガーが歌い、佐藤さんがベースを弾き、サブさんがタイコを叩いたという証言が残っている。佐藤さんて、地方に行ったとき地元のアマチュアとのセッションはいたしません!という方針だったはずなんだけれど、打ち上げは別ってこと?とにかく楽しまれたのだから、ほっといて帰った俺も、まずはメデタシメデタシ。

 

13年ぶりのLIVE企画!~河合孝治 レクチャー&ライヴ

2012年6月3日。「この日は何の日?」。この日は、サッカー日本代表が、オマーンに3対0で勝った日なのだ!ワオッ!でもあるが、1999年の金大煥(キム・デーファン)さんと崔善培(チェ・ソンベ)さんのDUO・LIVEをして以来13年ぶりとなる俺とカミさんが企画したLIVEの日であった。この日より、「ちゃぷちゃぷミュージック」が始動したのでありました。以降、「ちゃぷちゃぷレコード」は、カミさんの立ち上げた「ちゃぷちゃぷミュージック」の傘下に入ることとなったのであった。(って、大袈裟な)この日の主人公は、河合孝治。(本名 河合明。)俺が学生時代からの古~い付き合いだ。もう30年以上も昔のことだ。「6月に九州である映像学会に出るから、そっちに(防府市のこと)行きたい。20年ぶりに会おうや。」との連絡が入った。「せっかく来るんだったら、LIVEしないか。」、「OK!」ってなわけで、「レクチャー&ライヴ」ということになった。場所は防府市にあるオーディオ店「サウンドテック」。この二階に作られた「T2ラウンジ」というこじんまりとしたスペース。この年は、ジョン・ケージの生誕100周年ってこともあり、前半はケージの4分33秒のオーケストラ版の映像を見せて解説をし、その後河合先生(大学で講師をしているのだから「先生」にゃ間違いないわなー。)のお師匠さん湯浅譲二さんの代表的電子音楽作品「ヴォイセス・カミング」と、「イコン」を一部紹介して解説。そして、後半は自作品の二曲と、その映像付ヴァージョン(映像は、韓国人映像作家の李容旭氏の作)を一曲紹介。これは、俺の友達だから言うわけじゃなく、傑作だと思う。その内「ちゃぷちゃぷレコード」からCD化されるはずだ。二曲目は、ISCMの入選作なのであった。

ひと昔前なら、「ISCM入選」といえば、結構騒がれたものだった(まあ、現代音楽という狭い世界の話だが)。しかし、今じゃ、「そりゃ、おめでとうさん。」でオシマイ。そういう時代なのだ。「湯浅さんだけが、褒めてくれた。」そうな。泣くな河合先生。

中央が、河合孝治。

ただ今解説中。

防府日報の記事

河合孝治 レクチャー&ライヴ その2

だいたい、サッカーのワールドカップ予選と同じ日にイベントをやるなんてヤツはアホだ。TVの視聴率が軽~く30%を越えるような日にイベントをやったって誰が来る? そもそもこのイベントの主人公の河合先生も主催者の俺も、大のサッカーファンときたもんだ。河合先生なんて、直前に「日程を変更しようや。」なんて言ってきた。これは、客が集まらないことへの心配からではなくて、当日試合を見たいがために言ってきたに違いない!しかし、もう宣伝を打ってるから今更無理な話。その宣伝だが、いくら13年ぶりのイベント企画とはいえ大失態をやってしまったのだ。チラシ、ポスターのどこにも日程が載っていないではないか?!配り終えて判明。「これって、作戦なのか?」と言ってきた人もいたけど、いやただの「書き忘れてしまったー!」なのでした。これじゃ、サッカーがどうのこうのが理由にならん。このチラシの作成にはカミさんも付き合ってくれてたのだけど、「おい!日程がはいってなかったぞ。」と、責任の半分をなすりつけようとしたら、「だって私、無責任だもの。」と、見事に開き直られてしまった。なんともたくましいカミさんでした。まったく同じ日に福岡では、大友良英さんと、一楽儀光さん(以降、一楽師匠と呼ぶ)のLIVEをやってたけど、あちらの客の入りを聞いたら、師匠は「こっちは100人じゃ。そっちは10人か。大成功じゃん。」という返事。「10人で成功じゃと?」とカチンとくるも、こっちの予想は3人だったので、「まあ、これも成功か。」と、自分に言い聞かせた。しかしなー。「10人分の入場料じゃ、打ち上げ代にもならんのだ!バカヤロー!」と、どこに向いて吠えればいいんじゃー!?

印度さん。三宅jr. 河合先生。jrの友達。俺。

撮影者、カミさん。

河合孝治(明)の著作。

河合孝治参加CD.

・「永井清治+α/電子即興雑音 1999」(ドッペルゲンガーレコード)

・「トランス・アヴァンギャルディアの音楽」(sonic train)