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Solo I (14:08)
Performer – Kang Tae Hwan |
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Duo I
(8:09)
Performer – Kang, Ned Rothenberg |
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3 |
Duo II
(15:17)
Performer – Kang, Otomo Yoshihide |
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4 |
Solo II
(14:17)
Performer – Kang Tae Hwan |
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5 |
Trio
(19:23)
Performer – Kang, Rothenberg, Otomo |
*大友良英は、ターンテーブルの演奏でJim Orourkeの古いギターソロの音源を使用しています。(Jim Orourke談)
副島輝人/Teruto Soejima&Ned Rothenberg
多文化世界の文化衝突とその超克の一例として、重要な録音のひとつ
1994年、岡山ペパーランドと、山口防府カフェ・アモレスにおけるライヴ録音。もともとCDでリリースされていた音源だが、今回の2枚組LP化にあたって3曲が追加収録された(但し、CD収録曲1曲が割愛)。姜泰煥を中心に選曲されたCDに比べると、姜泰煥/ネッド・ローゼンバーグ/大友良英の3者による公演である点が強調されている。
朴正煕暗殺後も軍事政権の続いた韓国だったが、1990年の民主自由党発足によって、急速に民主化が進んだ。これに呼応するかのように、日本の一部ジャズメディアが姜泰煥を取り上げはじめ、来日公演やCDのリリースが相次ぎ、ちょっとした姜泰煥ブームとなった。韓国在野の芸術音楽における最初の文化衝突点だったのではなかろうか。姜は90年代初頭の時点で、同じ音型の執拗な繰り返しとその変化というサックス独奏のスタイルを確立していた。日本の都節陰旋に近い構造やターゲットノートに半音階でアプローチする音型を多用しながら、それを執拗に繰り返し、音楽の中に入る。この音楽スタイルは、韓国のシャーマン音楽と共通する(*CD『死者への巫儀』vicg-60391など参照)。
本LP録音当時、ニューヨークを中心とした即興音楽が興隆していた。閉塞的と言える状況に落ち込んでいたフリージャズ/インプロヴィゼーションに再度生命力を与えたのは、(是非は兎も角として)ニューヨークだった。本録音で、ニューヨークで活躍していたローゼンバーグが姜と邂逅する。マルチフォニックなどの同じ特殊奏法を表現に用いる姜とローゼンバーグだが、その使用根拠が違う。この食い違いは、当時の即興シーンの縮図だ。多くの聴者にとって、姜の奏でるフォルムを追跡した末に意識に残るのは表現だろう。この点を一言で説明するに、私は「即興」という言葉を使いたくなる。ここに、既に姜泰煥と当時のニューヨークシーンが捉えていたところの「即興」の意味の差があらわれている。人間の認知的傾向からして、音にフォルムを追う事は避けがたい。しかし、演奏家はフォルム化を目的として演奏に向かっているか。ある種の演奏家はこう答えるのではなかろうか、「自分の中から出てくるものをこそ演奏したい」と。その瞬間に最もふさわしい音を発する事。ここに「即興」である必然を見るのであり、これは別の音楽シーンで表現される「より音楽的に」や「歌うように」と同義ではないか。この時点で、「即興」という言葉のシニフィエは、既に「即興で演奏する事」から離れる。更にこれが演奏「表現」のうちではなく、その範囲を大きく超えて演奏「行為」のうちに、という次元に突入する点において、東アジアの内省型音楽に共通する美的感覚が立ち上がる(こうした還元は、東アジアの芸術音楽が西洋音楽と衝突する度に何度も再起する事になる)。この意味における即興性において、韓国文化は相当レベルに達した音楽を有している。そして、姜泰煥が登場した。韓国における最初のひとりが、本筋を射抜いた人物であった事は幸運だった。独奏を本領とする姜泰煥の録音として先にリリースされた作品(mobys-0011)が入手困難であった事もあり、本作は当時も姜泰煥の代表作と見做されていたように記憶する。個人的な推薦トラックは、LP1のB面<Kang Solo Ⅰ>。この演奏に含まれる外観、内観、そしてその意味の上での扱い、それを支えるコンテキストが理解できれば、80年代以降の欧米の即興音楽シーンに欠けていたものが見えるのではないだろうか。東アジアの在野の芸術音楽史において、あるいは多文化世界の文化衝突とその超克の一例として、重要な録音のひとつと思う。(近藤秀秋)
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