¥2500(税込み)
1 | Emmeya (For Alex Wallace) | 12:08 |
2 | Lotus Garden (For Amiya Dasgupta) | 12:15 |
3 | Tawhid (For Lamar) | 9:50 |
4 |
Golden Hearts Remembrance, A Nur Bakhshad (For Dr. Javad Nurbakhsh) |
12:48 |
5 | Condor (Memorial For Dizzy Gillespie) | 14:42 |
6 | Mother: Sarah Brown-Smith-Wallace (1920-92) | 7:28 |
Wadada Leo Smith And N’da Kulture:Golden Hearts Remembrance (Chap Chap /1997)
トータル・ミュージックの視点。ワダダ・レオ・スミスをはじめ、アンソニー・ブラクストンやアート・アンサンブル・オブ・シカゴといったフリージャズ第3世代と呼ばれるシカゴ前衛派ミュージシャンに共有されていた音楽的美観のひとつは、ここにあっただろう。そしてその視点は、西洋音楽と衝突した異文化内の地域音楽や、一部の現代音楽という、現代の音楽文化潮流の核心にあるものと傾向を共にする。それは、地域音楽としてのジャズが、より芸術的強度/完成度を目指した時に避けることの出来ない段階であるようにも思える。トータル・ミュージックには、感覚情報としての質感や強度、聴覚情報という表象形式内での構造性のほかに、個人内や文化に対する意味作用など、多くの課題局面が存在する。しかしどの局面にも共通して言えるのは、それらの局面をより汎的に評価/認識する為に、自分が無意識にも依拠していた音楽判断上のパラダイム自体を相対化して捉え直す必要があるという点だろう。ワダダ・レオ・スミスは、アメリカ内部にあったジャズ文脈のミュージシャンとしては、かなり早い段階でこの視点に立った。そして本作は、シカゴのフリー系ミュージシャンと共に作品を発表し続けた70年代前半のスミスしか触れた事のない人にとっては、トータル・ミュージックの高みに登り詰めるスミスを知る格好の録音となるのではなかろうか。
ワダダ・レオ・スミス。1941年生まれ、ミシシッピ出身。身近にブルースのあるミシシッピという土地柄で、若い頃のスミスはブルースを演奏し、R&Bのバンドなどに加わった。そんなスミスがフリージャズの文脈で広く知られる事になるのは、アンソニー・ブラクストンの処女作「3 Compositions of New Jazz」(Delmark,1968)への参加からだった。以降、フリージャズ新世代の重要なプレーヤーとなった彼は、シカゴのフリー系ミュージシャンとの共演を軸に活動を展開した。アンソニー・ブラクストンやアート・アンサンブル・オブ・シカゴなどを輩出したシカゴ・フリージャズ・シーンの特徴は、「演奏が自由」というよりも、「音楽的により自由」という点だ。だから、ジャズ以上にコンポジションに深く踏み込む事もあれば、民族音楽としての側面を強調しに行く時もある。スミスはデビュー後にウェスリアン大で民族音楽を学んでいるが、これなどはスミスのそうした傾向を示す格好の例だろう。
フリージャズのトランペッターと言って最初に名が挙がるのは、スミスかドン・チェリーのどちらかだろう。ところが、スミスにはKabellという自主レーベルを立ち上げるまで、リーダー録音がない。こういう事が、彼にサイドマンという印象を与えていく。ところが、スミスの音楽家としての資質は、サイドマンよりもリーダー、演奏職人よりも創作する芸術家に近い。たしかに、ブラクストンのデビュー以降の諸作、あるいはCCC(Creative Construction Company)での彼の演奏は目を見張るものがある。しかしサイドマンとして参加したそれらのアルバムでさえ、スミスの果たした役割は呼ばれ芸人の範疇を超えている。実際、構造面に配慮されたブラクストンの音楽におけるスミスは単なるプレイヤーではなかった。「Anthony Braxton」(BYG Actuel,1969)の冒頭を飾るナンバー“The Light On The Delta”の作曲者はスミスであり、アンサンブル部分の秩序とフリー部分のカオスを往復するディレクションは一演奏者の立場を超え、ディレクターとしての視点から音楽を形成しに行く。CCCの第1作「CCC」でも、ソロ・アドリブではなく、グループ全体でひとつの音楽を創りあげるコレクティヴ・インプロヴィゼーションを優先させたパフォーマンスを展開させる。同第2作「CCC vol.Ⅱ」では火の出る様なソロを展開しているスミスであるから、ソロで圧倒しようとすればそれは可能であったのではないかと思うが、スミスは個人技よりも音楽全体を優先させる。さらに象徴的であるのは、マリオン・ブラウンのアフリカ音楽をジャズへ再構築した傑作「Geechee Recollections」(Impulse,1973)でも、スミスの役割は特別である。この作品で唯一独奏の機会を与えられているのがスミスであり、アルバムのラストは、リーダーのマリオン・ブラウンではなく、なんとスミスのトランペット独奏で終わる。フリージャズやフリーインプロヴィゼーションにおいて、アンサンブル的視点から自分のプレイを割り出すことの出来るプレイヤーの少なさを考えると、このリーダー的/コンポーザー的な資質は注目に値する。そして、このように音楽をトータルなものとして扱う視点、ここに達したものだけが意味の視点から音楽に分け入る事が出来るのではないだろうか。自主レーベルを立ち上げるに至ったスミスの音楽的な戦いは、ここにあったように思う。
クロス・カルチャーが音楽場に顕れる本作において、トータル・ミュージックとしての完成度は音楽の成否を分ける重要点である。音楽的強度を最優先させ、アンサンブルさせるうえでの語法の調整を取り、その上で何にアプローチしているのかを示す。楽器奏者であれば、自分自身の演奏の強度は満たせる。リーダーであればアンサンブルは整序できる。しかし、「何」についてはどうか。これは「プロ」や「職人」という音楽家としての条件だけでは安易な点にしか達することが出来ない、芸術家としての資質と思弁の要求されるところだ。このパフォーマンスにおける演奏やアンサンブルのサウンドの素晴らしさ以上の何かを感じることが出来るとすれば、そこは重要だ。自分で音楽をしない人であっても、出自の異なるメンバーの集まったこのバンドで、このパフォーマンスを行うにはどうすれば良いかの想像はつくだろう(また、それを想像する事は、恐らくかなり楽しい作業だ)。しかし、このパフォーマンスの結論を知らない状況で、無数にあるアンサンブルの落とし処をどこに見定めるか、これは容易ならざる点ではないだろうか。私には、スコア、調を指定してのアドリブ指示、そしてフレ-ムワークの指定・・・このような技術的な処置だけで、この音楽の齎すものに着地できるとは思えない。ここに、地域音楽以上にトータル・ミュージック的な側面を強く感じるこの音楽の核心があるのではないだろうか。
2010年代の視点からのフリージャズの名盤を10枚選び直せと言われたら、何が選ばれるだろう。セシル・テイラーの「パリ・コンサート」、シュリッペンバッハとサム・リヴァースのデュオ、バール・フィリップスのストリングス・トリオ・・・フリージャズという語感とは違い、セッションの延長程度の取り組みで達成できる音楽など、ひとつも残らないのではないだろうか。少なくとも私が選んだら、そうなるだろう。本作には弱点がないとは言わないが、弱点を補って余りある芸術音楽としての核心を突いた傑作、それが本作の音楽的位置であると思う。
(近藤秀秋、2016年)
Bishop Records EXIP0410 ライナーノート