CPCD-010 Sabu Toyozumi & John Russell:Empty Spontaneity/無為自然

1 Song for AUNTIE VAL and UNCLE DAVID  
2 Dear Hiraku Genji  
3 SOMONKA/相聞歌  
4 SAKIMORIKA/防人歌  
5 AZUMALITA/東歌  
6 GANSHU no TOMO/厳岫の友  
7 I Miss You  
8 KANJITSUGETSU/閑日月  
Recorded live at Common Cafe, Osaka on 28 May 2013 and at Jazz Spot Candy, Inage Chiba on 3 June 2013.
YouTube はこちら
AGLTAでも販売中。

追悼 ジョン・ラッセル

 

イギリスの即興シーンで、デレク・ベイリー以降最も重要だったギターリストのジョン・ラッセルさんが1月19日に亡くなられた。随分前から体調が悪いのは聞いていて、最近ではこの日が来る覚悟は出来ていたのだが、実際の訃報に接して体から力が消え失せてしまった。

ジョンさんは、1954年ロンドン生まれ。私と5歳違い。ちょっと旅立つのが早すぎやしませんか?

 

ジョン・ラッセルさんは、17歳でロンドンの即興シーンに登場し、リトルシアタークラブ(ジョン・スティーヴンスが運営に携わっていた。)で演奏を始め、デレク・ベイリーに1年間師事しギターを学んだ。ジョンさんのギターの演奏スタイルは師匠のベイリーに負うところが多いのは確かだ。だが、ジョンさんは、師匠とは当然違う資質を持っている。ベイリーは、恒常的なグループを持とうとはしなかった。特定のミュージシャンと継続的に長く共演を重ねる事も無かった。さしずめ、子連れ狼か座頭市かの道の歩み方か。だが、ジョンさんはエヴァン・パーカー、ジョン・ブッチャーらと長年共演を重ねている。さらに重要なのは、1991年から続くMopomosoMOdernisn– POst MOdernism – SO what?の略)や、1980年代初頭から始めたFêteQuaqua(この原型は1973年頃から始まる。)といったソロからラージ・アンサンブルの即興演奏のコンサートを途切れることなく彼が中心となって継続し続けた組織者の面だ。ベイリーのカンパニーにも通じるところがあるが、カンパニーでは同じミュージシャンを基本的には2度呼ばない。一回限りの真剣勝負。そこで発生するスリルにわくわくするのだ。一方のMopomoso/ FêteQuaquaでもカンパニーのような一回生の真剣勝負も聴けるが、恒常的なアンサンブルも出演する。一回限りに重きを置くか否かでは、即興演奏への考え方やアプローチは大きく違って来る。

パーカー、ラザフォード、ベレスフォード、コックスヒルといった著名なミュージシャンに混ざって、名前を聞いただけではどんな演奏をするのかも我々日本人には皆目分からないようなミュージシャンまでが、大勢ここで演奏している。それを動画に撮りYouTubeの番組でいつでも見れるようにするといった現代のメディアも積極的に活用している姿勢も先見の明があった。これらから即興音楽を広く世間に発信し、演奏家と聴衆を増やす姿勢には頭が下がる。

 

ジョンさん自身の音楽、演奏は師匠ベイリーのような相手を切り捨てるような鋭さ(90年代以降はベイリーもそのような殺気は鞘に納めるようになったが)は無い。他者やアンサンブル全体の邪魔をしない程度の主張はする。調和を大事にする演奏と言える。フリー・ジャズの戦いの音楽とも、70年前後からしばらく続く、喧騒を良しとするフリー・ミュージックとも違う地平を早くから眺めていたのがジョンさんだった。

ジョン・ラッセルさんのギターの特徴の一つに、ハーモニクス・倍音の豊かさがある。これは師匠のベイリーにも同様の事が言えるのだが、前衛<ノイズと言う図式から思い浮かべるような、さぞかしノイジーで刺激的な音を放出しているものと思われるかもしれないが、ジョンさんのギターの音は鋭さも勿論なのだが、倍音が豊かな美しい音を大事にしているのだ。ベイリー以上にジョンさんのギターからは豊かな倍音が常に立ち上がっている。ベイリーのソロを聴いていると、ちょうど60分になったところで目覚まし時計のタイマーが鳴りだし、やおら演奏をやめるといったものがあった。これは、彼の演奏はどこまでも道行の過程であると言う事だ。だが、ジョンさんのソロの演奏の最後は、終止形を思わせる形をもって演奏を終了させることが多い。それを持って彼の演奏スタイルは旧態に属すると見るや否や。即興演奏でも終わらせ方は重要だと私は考えている方だ。一方で、サウンドインスタレーションのような常に持続し続ける音の形態にも惹かれるし、偶然性や不確定性の音楽にも惹かれる。そう、ジョンさんの音楽は偶然の作用で音楽を作っているのではない。

 

そんなジョンさんのアルバムの中でも、ソロ・アルバム「hyste(psi 10.06/2009年録音)をお勧めしたい。St Peter’sと言う教会のナチュラルな響きも美しいギターのソロが聴ける名作。多くのギター・アルバムの中でも屈指のアルバムだと思う。

 

先年、ちゃぷちゃぷレコードでは、豊住芳三郎さんとジョン・ラッセルさんの千葉と大阪でのライヴ録音からセレクトしてCD「無為自然/Empty Spontaneity(CPCD-010)を制作・リリースする事が出来た。ジョンさんのアルバムをプロデュース、リリース出来て大変光栄に思っている。

 

Mopomosoも含め、膨大な即興演奏の録音が残っているはずだが、ジョンさんの演奏も含めて1枚でも多くのCD,LPの形にして残して欲しいところだ。YouTubeだけでは満足しない私のような古い人間もまだまだ多い(ハズ)。2つのスピーカーを前にしてジョンさんの音楽と対峙する聴き方を古いとは言わせないぞ。は、ジジイの世迷言か?

 

ジョンさん、現世では実際にお会いする事ができませんでしたが、あの世ではemailなんぞではなくて実際に会ってお話ししましょうね。

合掌。

(末冨)2021/01/22

 

 

 

 

 

 

 

#1489 『豊住芳三郎&ジョン・ラッセル/無為自然』

ちゃぷちゃぷレコード CPCD-010

SABU豊住芳三郎(ds,per,erhu/二胡、胡弓)
ジョン・ラッセル(g)

1.Song for AUNTIE VAL and UNCLE DAVID
2.Dear Hikaru Genji
3.SOMONKA 相聞歌
4.SAKIMORIKA 防人歌
5.AZUMAUTA 東歌
6.GENSHU no TOMO厳岫の友
7.I Miss You
8.KANJITUGETSU 閑日月
All composed by Sabu Toyozumi / John Russel

プロデューサー:末冨健夫 (Chap Chap Records)
録音:2013年5月28日 大阪Common Caféにてライヴ録音
2013年6月3日 稲毛Jazz Spot Candyにてライヴ録音
エンジアニア:Kunimitsu Tsuburai

 

“SABU”豊住(ds,per,er-hu/二胡、胡弓 1943 ~)にとってジョン・ラッセル(g、1954~)は無二の親友であり、音楽的にもいわゆるツウカアの間柄でお互いの気持ちが分かりあえる関係である。
“SABU”豊住はヨーロッパに行くとしばしばジョンを訪ね友好を深め共演を重ねている。また、日本にもこれまでに6回招聘していて、本アルバムは2013年に招聘した際の「大阪Common Café」と「稲毛Jazz Spot Candy」でのライヴを収録したもの。

即興演奏家として50年、富樫雅彦(ds)や高木元輝 (reeds)に始まり、シカゴのAACM、ニューヨークのジョン・ゾーン(sax)、ヨーロッパのペーター・ブロッツマン (reeds)やミシャ・メンゲルベルク (p)等々、世界中のインプロヴァイザー達と共演し交流を深めてきた“SABU”の心境がこのジョン・ラッセルとのデュオの中に浮き彫りにされていてなかなか興味深い。
当然のことながら全編フリーであり、あらかじめ決められたテーマ、モチーフなどはなく完全な即興である。
“SABU”の音楽はいつ聴いても無邪気になれるがここでもその本領が発揮されている。
音になれ合いがないから聴く方も無心になれ、どんな気分の時でも心を空にしてくれる。
“SABU”はここでドラムのほか二胡や胡弓を弾いている。
バスドラを踏みスティックを捌きながら弓を弾き一人二重奏を行う。
“SABU”天性の素早い動き、身のこなしの敏捷さはここでもいかんなく発揮されていて相方のジョン・ラッセルに効果的な刺激を与えているようである。

ジョン・ラッセルはデレク・ベイリー(g)やソニー・シャーロック(g)に触発されてフリー・インプロヴァイザーの道を歩んだギタリストと云われているが音色がとても綺麗である。
アンプを通しての音ではあるが濁りがなく明るく澄み切っていて“SABU”の音の中からくっきりと浮かび上がり“SABU”とのコントラストを際立たせ、同時に調和もとっている。

“SABU”はジョンによってすべてを開放され意のままに思う存分叩き、弓を弾く。
空間にはじけるシンバルが生々しく響く中を二人の瞑想と対話が間断なく続く。
根底にある二人の心根の優しさが時を超えてありのままのエモーションを語りかけてくる。
一切決め事のない完全な即興であり、事前に曲名や曲想があってのものではないが4年の月日がたって“SABU”が付けたタイトルや曲名に“SABU”の最近の胸の内が現れているのでそれはそれで思いを巡らせながら聴くと面白い。

このアルバムのタイトル「無為自然」は老子が使った言葉として知られているがこのタイトルが現在の“SABU”の生き方そのものを表しているようで、近年はあるがままに生活し、あるがままの音楽を奏でる域に到達したようである。
ジャケットの絵も“SABU”自筆のもので、白いカンバスの上にいくつかの円が点在しているシンプルなものであるが”SABU”の今の心境があらわれているようでなかなか味がある。
ミュージシャンにはマイルス・デイヴィス(tp)やロスコー・ミッチェル(reeds)、富樫雅彦(ds,per)等々、絵画の分野でも特異な才能を発揮した人が多いが“SABU”もそうしたアーテイストの一人であり、『kosai yujyo』(Improvising Beings ib14/ INaudible CD 008/009、2010~2011)や『逍遥游』(ちゃぷちゃぷレコード 1994)でもジャケットに”SABU”の絵が使われている。

(1)<Song for AUNTIE VAL and UNCLE DAVID>はジョン・ラッセルのおじさんとおばさんへ捧げたもの。
そして“SABU”は日ごろから古文に親しんでいるというが、(2)<Dear Hikaru Genji>は源氏物語、(3)<SOMONKA 相聞歌>(4)<SAKIMORIKA 防人歌>(5)<AZUMAUTA 東歌>は万葉集から名付けたものである。
またアルバムの締めくくりは(8)<KANJITUGETSU 閑日月>。

コスモポリタンとして50年、半世紀にわたって世界中のどこへでも意の向くままに旅し多くの人々、風景に溶け込みながら飄々と自らの世界を貫いてきた“SABU”はついにこの境地に達したのであろうか。

“SABU”はこの6月デンマークのワークショップに参加する。そこでジョン・ラッセルと再会する予定だというし、ジョンはこの10月には来日するという話もある。
二人のコンビネーションは現在も進行中である。

本アルバム『豊住芳三郎&ジョン・ラッセル/無為自然』(ちゃぷちゃぷレコード)は『Free Music 1960~80:開かれた音楽のアンソロジー』とその『Disk Guide編』の2冊を企画制作するなどフリー・ミュージックに力を注いでいる「ちゃぷちゃぷレコード」によって世に出された貴重なライヴ音源であり、近々“SABU”豊住芳三郎の本も出版するという。
今後のちゃぷちゃぷレコードの創作活動に注目してゆきたい。

出典:Jazz Tokyo

 

Sabu Toyozuki&John Russell:無為自然/Empty Spontaneity

(Chap Chap/2013)

 

サブ・トヨズミとジョン・ラッセル

 

サブ・トヨズミは、ジョン・ラッセルこそ音楽における彼の最高の友人だ、と一度私に話したことがある。彼らはイングランド、ベルギー、そして2002年以降毎年二人で訪れている日本でツアーを行い、時には精神を等しくするような魂でもってステージを分かち合った。

 集団即興音楽のエスプリとしての、つまり理解、対話、緊張と不和、感受性と傷、また物理的調和と愛/信頼、これらのエスプリとしての諸々の魂は、経験の核に存在している。瞬間における音の探求、そして音楽行為を通じた運動、色彩、振動と質感の創発的な調和の創造という経験の核に、だ。

 

このギタリストは、無調性の瀬戸際に至るまで、搔き鳴らし、擦り、そしてクラスターやハーモニクス、持続する上行音といったものを用いる。音楽的な音程と雑音との境界は曖昧になる。パーカッショニストは、叩き、擦り上げ、引っ掻き回し、轟く彼のビートはドラムとシンバルの表面や縁に溢れ出る。彼らの音楽は身体上、空間上、そして彼ら自身と聴衆を取り囲む空気の上で、広がり渡り、浮遊し、拡散し、延び広がり、染み渡り、そして駆け動く。

 

何年にもわたり、ジョン・ラッセルは他の即興奏者と多くの強力な音楽的関係を築いている。そしてそのうちのある者たちに、「レッド・ローズ」での「サブ・トヨズミと仲間たち」というスペシャルイベントのために彼と共に参加するよう頼んだのだ。その今では無くなってしまった

「レッド・ローズ」とは、ダルストンのボルテックスに移る以前、ジョン・ラッセルが17年間にわたって名高い「Mopomoso」コンサート・シリーズを開いた場所であり、そこでジョン・ブッチャーやフィル・ミントン、フィル・ワックスマンなどといった輝かしい奏者たちと共にフリー・インプロビゼーションとして知られる普遍的言語を発展させてきた場所である。

 サブは、現在74歳になるが、ジョン・ラッセルとの出会いまでは、ジョン・コルトレーンやラッシード・アリが彼のある東京のクラブでのギグに参加した1966年の夕方から、ペーター・ブロッツマン、ペーター・コヴァルト、バール・フィリップス、ジョン・ゾーン、ワダダ・レオ・スミス、ミシャ・メンゲルベルク、エヴァン・パーカー、マッツ・グスタフソン、そしてポール・ラザフォードといったようなフリー即興奏者との数えきれないほどの日本ツアーに至るまで、音楽生活としての集中的な旅をしているのである。

 サブはハン・ベニンクとデュオを録音した唯一のドラマーであることに加え、ロスコー・ミッチェル、ジョゼフ・ジャーマン、アンソニー・ブラクストン、ワダダ・レオ・スミスといったような人々と共に、そしてパーカショントリオとしてはスティーブ・マッコールおよびドン・モイエと共にAACMのメンバーとして、シカゴで奏され日本で制作された一つのアルバムのためにチャールズ・ミンガスその人によって依頼されたドラマーである。

 日本においては、フリー・ミュージックの分野の伝説的な国内開拓者たちのメンバ―として無視できない役割を演じた。そうした国内開拓者のなかには、後期の阿部薫、吉沢元治、高木元輝、高柳ジョジョ〔高柳昌行〕といったメンバーがいたが、こうした彼の音楽上の兄弟たちは悲劇的なことに他界してしまった。

 70年代初期のロンドンの即興シーンにおいて、ジョン・ラッセルはフリー即興音楽の開拓者たちの最もずば抜けたコミュニティーの一つの中では、最も若かった。そうしたフリー即興音楽の開拓者には、ほんの二、三例ではあるが、ジョン・スティーヴンス(ジョン・ラッセルにリトル・シアター・クラブでの初のギグを提案した人物である)、エヴァン・パーカー、デレク・ベイリー(ジョン・ラッセルにギターを指導した人物である)、ポール・ラザフォード、そしてバリー・ガイらがいる。毎年毎年、何十年にもわたり、ジョンはこのシーンでの主要な奏者と共に技術に磨きをかけた。そうした主要な奏者のうちには、マールテン・アルテナ、パウル・ローフェンス、ギュンター・クリストマン、ラドゥ・マルファッティがいる。ジョン・ブッチャーとフィル・デュラントとの彼の影響力あるトリオは、新しい音と相互作用とを探求しつつ、この音楽が演奏され聴かれうる仕方を広げていきながら、電撃的なポストモダンに通じる曲がりくねった道を示してきた。今や彼は、エヴァン・パーカーとジョン・エドワーズ、そしてクラシックのヴァイオリニスト福田賢子や「ダウン・ビート」誌でジャズトランペット・ヒーローのベスト100の中に選ばれた伝説的なセッション・マンであるヘンリー・ローザーなどの驚嘆すべきプレイヤーたちと(しばしば)好んで演奏している。

 

 サブ・トヨズミとジョン・ラッセルは共に、八つの調整されていない不協和/協和音の魅力的なショーを展開していく一方で、暗闇に石を投じながら、一面の壁画を施された洞窟の壁に一つの光を当てている。そのショーでは、それぞれの楽器の限界が、彼らの余裕ある音楽技量と馴染んでいる。サブが中国の二胡の上のゆらゆらするグリッサンドを弄ぶとき、彼は絹糸の泣き音を赤子の夢の如く奏している。そしてジョンの微笑みが、彼のギターの弦の上を諸倍音が滑ることで、浮かんでくるのである。

 

(Jean-Michel Van Schouwburg)

 

John Russell プロフィール by寺内久

ジョン・ラッセル John Russell    (1954-2021)

フリー・インプロヴィゼーションのギタリスト。主にアコースティック・ギターを弾いた。

1954年、ロンドン生まれ。ケント州の祖父母の元に育つ。17歳でロンドンに移り、ジョン・スティーヴンスが拠点としていたリトル・シアター・クラブをはじめ、ロニー・スコッツ、ユニティ・シアター、ICAなど初期のフリー・インプロヴィゼーションの現場に足を踏み入れる。

1975年、若干20歳の時に、そのギター・レッスンに通ったこともあるデレク・ベイリー、後年、頻繁に活動を共にすることとなるエヴァン・パーカーらの運営するIncusから、最初のレコード『Teatime』(スティーヴ・ベレスフォードらとのさまざまな共演が収められている。)をリリースする。

1979年、同じくIncusから初のギター・ソロ『Home Cooking』をリリース。LMC(ロンドン・ミュージシャン・コレクティヴ)の設立、MUSICS誌の創刊に携わるなど、当時よりロンドンのアンダーグラウンドな即興音楽シーンを支えてきた一人であり、ピアニストのクリス・バーンと1991年にRed Rose Clubで始めたフリー・インプロヴィゼーションを核とする月例コンサートMopomosoは、会場をVoltex Jazz Clubに変え現在も継続されている。

1978年、近藤等則、ロジャー・ターナーとUKツアーを行う。その際の録音をターナー、アンソニー・ウッド(The Wire創刊者)と設立したCawレコードから『Artless Sky』としてリリース。また、80年代初頭、ロンドンを訪れた小杉武久(Cunningham company)や鈴木昭男(Company Week)を自宅に招きセッションを行ったこともあったという。

1980年、ギュンター・クリストマンのVarioに参加。1984年、ジョン・ブッチャー、フィル・デュラントとの歴史的なトリオを結成、さらに、この3人にパウル・ローフェンス、ラドゥ・マルファッティが加わったNews From The Shedとしての活動など、行動の範囲を広げ、それらの成果は1988年にブッチャー、デュラントと共同で立ち上げたActaやマーティン・デイヴィッドソンのEmanem等からリリースされている。

20014月ドイツのサックス奏者シュテファン・コイネと共に初来日を果たす。その後も豊住芳三郎との6回に及ぶ日本ツアーを行うなどし、多くの日本人ミュージシャンと交流を持った。

2013年、エヴァン・パーカー、ベーシストのジョン・エドワーズとのトリオを含む、9人のメンバーによるMopomoso UKツアーを敢行する。その記録は、2016年にアイルランドのピアニスト、ポール・G・スミスと共同で始めたレーベルWeekertoftから『Making Rooms』として残されている。

2018年、ノルウェーの打楽器奏者、ストーレ・リアヴィーク・ソルベルグとのデュオによる日本ツアーを行う。田中泯、ピーター・エヴァンス、坂田明、大友良英、田中悠美子、松本健一、.esらと共演。

2019年、クリストフ・シャルルの企画により武蔵野美術大学の訪問教授として来日。10代半ばで学校を離れているラッセルとって、特別な感慨もあったと思われる。これが最後の日本滞在となった。

2021119日、癌との闘病の末にロンドン、ウォルサムストウの自宅で亡くなる。享年66歳。

ラッセルの共演者は余りに膨大だが、ここまで名前が挙がっている以外に、ロル・コックスヒル、フィル・ミントン、マギー・ニコルス、ヒュー・デイヴィス、テリー・デイ、マーテン・アルテナ、ジョン・ローズ、バリー・ガイ、ヘンリー・ロウサー、福田賢子(さとこ)、サーストン・ムーア、エディ・プレヴォー、池田謙、ミッシェル・ドネダ、マッツ・グスタフソン、レイ・ラッセル、ヘンリー・カイザー、ルオ・チャオユン、島田英明 など思い浮かべることができる。

 

photo by Caroline Forbes.