CPCD-302 Masafumi Rio Oda:electric-Abyss

Masafumi Rio Oda 2ndアルバム。ジャズ界や現代音楽界から非常な好評を得た1stソロアルバム『Synthesized, then desynthesized.』リリースより約一年、アメリカ、ドイツ、そしてタイ等の電子音楽祭での国際的な入選を経て、満を持してのリリース。ストイックな1stに比し、一曲一曲が聴きやすい長さで、また近年の織田の、リズミックな要素、美しい音響、また時に調性的な旋律に対する積極的な関心が反映されている。

\2500(税込み)

 

Masafumi Rio Oda  織田理史 (理央)

1. Sad Atmosphere
2. Abyss
3. Nostalgia Mass
4. Festival of Things-in-Themselves Ⅰ
5. Festival of Things-in-Themselves Ⅱ
6. Festival of Things-in-Themselves Ⅲ
7. Fragile Water
8. To the Re:Opening…

Recording, Mixing (M1, M2 & M8), Mastering, Guitar (M1&M8) :Hideaki Kondo (Bishop Records)
Violoncello (M1&M8) : Masafumi Rio Oda
Produced by Koji Kawai
Co-produced by Takeo Suetomi (Chap Chap Records)


「さよなら、エニウェトック」

私も時々DJの真似事をしている。そしてどのような素材をどう生かすか、組み合わせるかを考える事は楽しい。音楽のことなど忘れているときにふと、あれとこれを組み合わせてみたらどうだろうかとか、思いつくのである。

例えば、実際にやってみて心地よかったのは、モンクのソロに、SL時代の操車場や駅構内の音を組み合わせたときだ。郷愁の情景が浮かび上がった。またポーリーン・オリヴェロスの早期の電子音の波に乗せてサード・イアー・バンドや、マリオン・ブラウンの「カプリコン・ムーン」などをミックスするのは実に愉悦的だった。

まだまだある。雨の音、河の流れ、風、惑星探査機からの信号など環境音を一時好きで集めていたがこの時の為だったのかとさえ思える。

DJもスタイルが多様なジャンルだが、知る限り受けの良いのは「和もの」、ヒップホップ、そしてテクノである。

テクノの愛好者は、どうもかつてはプログレ派だったり、音響系といわれる特異な即興演奏派だったりするようだ。テクノ派もその中で方向性は分かれるが、決してダンス志向ではない、むしろサウンドの傾聴に重きを置く一群がある。私もその一派には近いかもしれない。

さて、この音楽、electric-Abyssを一聴したとき、極めてテクノ的な印象を持った。すぐにでも私のDJソースに加えたいと思った。

分かり切っているとは思うが、現代のテクノ音楽の特徴はまずその全過程がコンピュータ上での製作であり、サンプリングと電子音の多様な組み合わせ、プログラミング=コンポジション=サウンドデザインであることだ。過程も結果もすぐ聴覚で確認される。これまでの音楽と違う点といえば、この作業には終わりが無いということだ。逆に言えば何処で終わらせても良い。

テクノには終わりも始まりも無い。つまりそれは数多のゲーム音楽にも通じる特徴である。

またディレイの多用も特徴のひとつである。自己サンプリングしてループとなることもある。この果ての無いディレイ、ループは70年代にイーノが作品に定着させ、アンビエントというジャンルを開拓した。

同じような、あるいは僅かに変化するサウンドが繰り返し聴覚を刺激する。これはABYSS=深淵ではなく、波打ち際のようだ。無限に打ち寄せる粒子の波。ホラチウ・ラドレスクの弦楽四重奏にもこうした印象が有る。

その感覚は、私が中学の頃はまっていた英国の作家、J.G.バラードの<濃縮小説>「終着の浜辺」(1964)を、半世紀ぶりに想起させた。ある時代の精神を反映した心理の廃墟を描いた傑作。しかし全然海など出て来ない。バラードの小説はいつも死を求める主人公の葛藤に満ちている。

そう考えると、まさにこのelectric-Abyssは、もう一度心理的深淵の周縁、「終着の浜辺」に打ち寄せる、誰も知らない郷愁を誘うレクイエムに聴こえてくるのである。

金野吉晃

Jazz Tokyoレヴューより

小森俊明氏によるレヴューです。

 

Masafumi Rio Oda: electric-Abyss(Chap Chap Records/2020)

Electronics & Cello: Masafumi Rio Oda

Guitar: Hideaki Kondo

 

 織田理史(理央)の2ndアルバムである。筆者は彼の1stアルバムのレヴューの中で、彼の楽曲が胚胎する音楽的引き裂かれの展開を期待した。本アルバムにおいてそれがリアライズされているのかどうかを即断することは出来ない。というのもここに収められた楽曲はシリアスなものとポップなものに大別されるものの、それら2つの傾向の共存自体がポストモダン的な音楽的振る舞いに回収され得るものかも知れないからだ。だいたい、1stアルバムで「黙示録」を指向/試行した表現者が、2ndアルバムでは“Abyss”(深淵)と題されたJ-POP風の楽曲―因みに筆者はこのジャンルの音楽を限定的にしか聴取しないので、こうした大雑把な形容しか出来ない―を収録していたりするのだから、引き裂かれの実相については当面保留にしておこう。勿論、両アルバム間に生起し得るコンテクスチュアリズムへの必要以上の依存は慎まなければならないが。ワシントン州立大学主催電子音楽祭入選作品である3曲目の“Nostalgia Mass”は、mass(質量)よりはあたかも無重力状態における原子の高速移動を思わせる、しかし密度の極めて高い楽曲。7曲目の“Fragile Water”はeviMus主催電子音楽祭(独)入選作品。「脆い水」と訳せるこの楽曲には、織田個人および彼が所属するユニット「空観無為」とコラボレーションを継続的に行っている世界的アース・アーティスト、池田一氏によるウォーター・アートが反映しているのは間違いないだろう。その音響は、織田が池田とコラボレーションを行った屋久島にしとしとと降る雨音を想像させる。そしてそれらが時にダンサブルなリズムを刻んでいるところに、近年の織田の音楽的傾向が垣間見られる。

さて、この濃ゆいアルバムに見える織田の意気込みはなかなかに凄い。一方、その仮定的「両極」の狭間に咲く3曲から成る可憐な組曲に束の間の休息を見出したのも、偽らざる事実である。いよいよ織田の音楽的引き裂かれの展開が楽しみだ。小森俊明(作曲家/ピアニスト)