CDLP-001 Sabu Toyozumi/豊住芳三郎:Chasing The Sun/太陽を追う

A1 Chasing the Sun        (15:05)
Acoustic Bass – Simon TanAlto Saxophone – Rick CountrymanDrums – Sabu Toyozumi
 
A2 Impermanence: Beginning         (4:10)
Acoustic Bass – Simon TanAlto Saxophone – Rick CountrymanErhu – Sabu Toyozumi
 
B1 Impermanence: Conclusion       (3:51)
Acoustic Bass – Simon TanAlto Saxophone – Rick CountrymanErhu – Sabu Toyozumi
 
B2 No Social Relevance                  (15:57)
Acoustic Bass – Simon TanAlto Saxophone – Rick CountrymanDrums – Sabu Toyozumi
 

前、この欄に、サブ豊住とリック・カントリーマンのデュオ『Sol Abstraction』のレビューを書いた。
カントリーマンはアメリカ人だが日本で出会った夫人はフィリピン出身ということで、この2人の録音もフィリピンでのライブが多い。
フリージャズ、インプロの噂をまったく聞くことが無い地から届くことが面白い。以前のレビューで考察した一部を繰り返す。
フィリピンは、古くはスペインのカトリシズムに洗礼され、のちにはアメリカ文化に強い影響を受けた。多島文化、多種多様な部族が、この過程で統合され、宗教、言語、人名も標準化したといえるだろう。戦前から彼らの音楽はアメリカ志向になり、しかも技術的には相当に洗練された。いわばデラシネであろう。だからというべきなのかもしれないが、リズムの桎梏を脱し、調性を無視するフリージャズ的アプローチは無い。インド、東南アジア、ブラジルなど熱帯、回帰線の間の地域、文化圏は、リズムの支配が強く、生活共同体は、まず踊るべき音楽、ともに歌うことを強く志向する。これは日本国内を見ても似た傾向はあるように思う。端的に言えば、幻想であろうともゲマインシャフト性を重視するほど調性と拍に保守的ということだ。
社会状況と天然自然の環境と人々の共同体が安定していれば、フリーだのインプロだの、非イディオマティックだのという方法論は生まれてくる必然性は無いのかもしれない。新ウィーン楽派が二十世紀初頭に、そしてフリージャズが北米の60年代に興ったのも理解できる。あるいはソ連崩壊のあと、パンドラの匣が開いたように旧ソ連支配地域の音楽家が活発になった。ある種のフリージャズ化が興ったのだ。
サブとカントリーマンは、フィリピンで「ジャズの十月革命」を起こすだろうか。
このアルバムでは、地元出身のベーシスト、サイモン・タンが参加している。他に出ていたカントリーマン企画のアルバムでも、タンはかなりの寄与をしている。『Search For The Five Senses』, 『The CEenter  Of Contradiction』,  『Prelude Aan Prepositions』。私の知る限りフィリピンの唯一のフリージャズ(を拒否しない)ミュージシャンと言えるかもしれない。極めて控えめな演奏だ。しかし、何も三者が猛然と競う必要などないのだ。しかし、それにしても静かすぎる。カントリーマンだけが張り切っているように聞こえてしまう。
私は共感する。カントリーマンの意志に。彼なくしてこのレコードは存在しなかった。そして強力な助っ人としてのサブがいた。だが、それだけでは、その地でのフリー意識はマレビトの、去来する芸として終わってしまうかもしれない。地元出身の、リズムではなくパルスに呼応するミュージシャンが必要なのだ。
今時ならばDJ達でも良かったのかもしれない。しかしDJとは何物か。彼等は専用のミキサー、PAシステムを得て初めて音楽に達する。彼等のサウンドはデータの中にある。
そうではなく、今ここで何のデバイス、ツール、ギアもなく、楽器と対峙し、あるいは歌わせる者。そういうミュージシャンが必要だった。
タンが果たして今後、地元のシーンを形成して行くことが出来るのか。いや根本的には彼自身がそういう必要を感じるのか否か。見守って行きたい。

金野吉晃 

Jazz Toyo レヴュー