LP/CD Review

私がこれまで聴いてきたCD,LPを紹介いたします。入手困難なディスクも有りますが、購入等の参考になれば幸いです。

59~Jon Lloyd:Four And Five(HAT HUT/1998)

Jon Lloydは90年代に入って頭角を現して来たイギリスのサックス奏者。アルトとソプラノを吹く。このアルバムでは、他にStan Adlerのチェロ、Marcio Mattosのベース、Paul Clarvisのドラムが参加。歴史に残る傑作とか、世評のすこぶる良い作品とかじゃなくても、何故か気に入ってちょくちょく聴いてしまうアルバムって誰にも有るだろうが、これが私に当てはまる。同じアルトならBraxtonの方がキレがあるし、聴き応えも十分。ソプラノだとさしづめLacyだろう。実際、この二人に大いに影響を受けたであろう。そういう音をしている。特にBraxton。このアルバムでは、ベースの他にチェロを加えているのがいい。これがピアノだったら印象は相当変わる。チェロがベースと絡み、サックスと絡む。今時テーマが存在するフリー・ジャズかと引くなかれ。見てくれだけで聴かず嫌いは損をする。ん~、でも地味なアルバムには違いないか。

 

58~Free Music Communion:Communion Structures(Fremuco/1973)

Free Music Communionは1969年にピアニストのUdo Bergnerが中心となって結成された西ドイツの北部のにある町(らしい)Wilhelmshavenのグループで、1972年頃グループとしての形が整っていったらしい。このファースト・アルバムでは、Bergnerのピアノに、Peter Nitzのトロンボーン、Herbert Janssenのヴァイオリン、Eginhard Oertwigのギターという編成。ひたすらクールで熱くならない即興演奏が続く。ドイツのフリーと言えば、シュリッペンバッハさんらの演奏みたいな質実剛健フリー(?)という印象が強いが、どちらかといえばINCUSやBeadあたりで出ていてもおかしくない感じだ。この冷え冷え感がたまらなく好きで、未だにちょくちょく聴いている。その後グループは若干のメンバーの出入りがあるも、79年と81年にアルバムをリリースしている。そこには、Torsten Muller,Davey Williams,La Donna Smithといった地元民(?)以外の著名な(?)名前も見える。おそらく彼らが呼んでは共演をしていたのだろう。

 

57~Baikida E.J.Carroll:Orange Fish Tears(Palm/1974)

Black Artists Groupや、Oliver Lakeのバンド、Muhal Richard Abramsのオーケストラ、Jack De JohnetteのSpecial Edition等々への参加で知られるトランペッター、バイキダ・E・J・キャロルの1974年フランスのPalmに録音されたアルバム。当時の雇い主?のオリヴァー・レイクのサックス、フルートと、ナナ・ヴァスコンセロスのパーカッションと、マニュエル・ヴィラーデルのピアノのカルテットによる演奏。所謂ドラマーを起用せず、ブラジルのユニークな打楽器奏者でヴォイスも匠に使うナナを起用したことが、この演奏を独特なものにしている。そして、全員が色々な打楽器をはじめ、ほら貝、カウベル、竹の笛も使い、通常のJAZZのグルーブとは違うものを目指している。特に一曲目に顕著に現れており、どこかの密林の中の音の情景を聴かせる。JAZZ的なソロは無い。他の演奏もJAZZ的熱狂は無い。でも、聴かせる音楽になっている。Palmは全くCD化の気配が無いのでLPを見付けられたら、即購入すべし!

 

56~Sakari Kukko:Will O’ The Wisp (Kerberos/1979)

Sakari Kukko(サカリ・クッコと読むのか?)は、1953年生まれのフィンランドのサックス&フルート奏者。JAZZミュージシャンと言っても良いだろう。というのは彼が長年率いているグループの「Piirpauke」の音楽といいこのアルバムといい、「JAZZ」で括るのは合わないような、広義ではJAZZでもいいような・・・。1979年録音のこのアルバムは、フィンランドの民謡(おそらく)をアレンジした演奏や、オリジナル曲を演奏。Kukkoのサックス、フルートと、ギターとピアノが加わり、曲によっては歌も入る。Side One は、トラッドや歌が多く、そこに木こりが木を切る音や、自然の音が重ねられ北欧気分に浸れる。フィンランドの湖や森の情景が頭に浮かんで来る。Side Twoは、よりJAZZの香りがする演奏で、サックスも結構アグレッシヴな音も出す。が、そこでも鳥の鳴き声が入って来たりと、ネイチャー気分満載。ところで、こういった音楽を地元民はどう感じるのだろうか。これを日本に置き換えてみよう。尺八、三味線、琴なんかと西洋楽器を組み合わせて、邦楽の香り満載のJAZZっぽい演奏を聴くとする。正直聴きたくない。違和感満載。気持ち悪い。フィンランドと日本の伝統音楽や民謡を同じ土俵では論じられないが、現代日本人の耳には自国の伝統音楽の方が違和感を感じてしまうという事態って、これは異常と言ってもいいのではないだろうか。明治からの音楽教育は大間違いだったと言える。深い所では、まだまだ残っているのが救いだが。近頃昭和の歌謡曲が見直されているのがその証拠。

                                  Sakari Kukko

             Piirpauke

 

55~Philipp Wachsmann,Richard Beswick,Tony Wren:Sparks Of The Desire Magneto(Bead /1977)

イギリスにはフリー・インプロヴィッゼイションでは有名な(と言っても、田舎じゃ私のようなはみ出し者くらいしか知らないが)INCUSというレーベルが有る。もう一つ特筆すべきレーベル「Bead」はINCUSから4、5年後にLPのリリースを始めた。アンダーグラウンド中のアンダーグラウンドで、私のような者には美味しいレーベルなのだ。全く知らないミュージシャンの演奏を初めて聴くということが何より楽しい。これは、そんなBeadの1977年録音。P・Wachsmannは、その後も活躍を続けているのでご存知の方も多いだろう。即興の世界でもそんなにいないヴァイオリン奏者だ。T・Wrenは近頃でもCDを見かける。しかし、R・BeswickはBead盤の4枚、1977年から1980年にかけての短い間しか少なくとも録音上では私は知らない。が、そのBeswickが面白いのだ。即興の世界では極端に少ないオーボエを吹く。このアルバムでは、半分以上はギターを弾いているが、オーボエに惹かれてこのアルバムを購入したのだった。ソプラノ・サックスより線が細い音なんだが、ここでの音の細切れを撒いていくような演奏には合っている。Wachsmannはその後多用するようになるエレクトロニクスをすでに使っている。この三人の演奏には、JAZZ的な熱狂はどこにも無い。しかし、キレがある。瞬発力がある。だから未だに頻繁に聴いていられるのだ。

 

54~Laszlo Dubrovay:Live Electronic(Hungaroton/1979)

Laszlo Dubrovay(ラズロ・ダブロヴァイ?)は、1943年ハンガリーのブダペストで生まれた作曲家。オペラ、バレー、オーケストラ、室内楽、合唱等々と数多くの作品を残す。シュトックハウゼンの下で働いていたこともあって、電子音楽にも積極的だ。このアルバムは、彼のライヴ・エレクトロニックの作品を4曲収めたもの。1979年のリリース。作曲は1975年から77年にかけて行われた。Dubrovayのピアノ(ハンガリーではZongora)とシンセサイザー(EMS/ARSという懐かしいシロモノ)、ヴァイオリン(hegedu),チェロ(gordonka),パーカッション(utohangszerek),チンバロンの演奏。おそらく全ての楽器の音をマイクで拾って、シンセサイザーで変調していると思われる。これこそ正に70年代のシュトックハウゼンではないか。私は、電子音だけの音響よりも、こうした生音を変調した音響の方が好きだ。音がより複雑で、力強い。今思えば当時のハンガリーは東側。でも、こういった前衛表現はハンガリーでは許されていたのだなあ。社会主義リアリズムの社会では、こういう作品を作るのは困難だったはずだが、東側といえども相当温度差があったのだろう。ハンガリーは緩かったのだろうか。未だにちょくちょく聴いているアルバムだ。CD化され再発されている。

 

53~Joseph Jarman:Sunbound(AECO/1976)

Joseph Jarman(ジョセフ・ジャーマン)、言わずと知れたArt Ensemble Of Chicago(アート・サンサンブル・オブ・シカゴ、略してAEC)のメンバー。これは、1976年に行われたシカゴ大学でのソロ・コンサートを収録したアルバム。アルト・サックス、バス・クラリネット、ソプラニーノ、フルート、ヴァイブラフォン、シンバル、ベル、ゴング等々を演奏。ゴング類はサックス等を吹奏しながら同時に鳴らしている。正にAECの「多楽器を操る」という特徴のよく出た演奏だ。日本人でも知らない人は多いと思うが、ジョセフ・ジャーマンは仏教徒だった。日本にも度々来てはライヴもし、レコーディングもしていた。結構日本との接点が多かった人だった。特に豊住芳三郎さんとは長く深い付き合いだった。なにしろ71年に単身AACMに乗り込んで行って以来の付き合いだ。このことは「フリー・ミュージック 1960~1980;開かれた音楽のアンソロジー」に収録されている「豊住芳三郎;AACM突撃日記」にくわしく書かれています。(近日発売予定) そんな先入観で聴くせいか、ジャーマンの演奏には精神性の高さ深さを感じるところがある。ここでは特にバスクラの演奏のとき。片や彼の盟友ロスコー・ミッチェルやアンソニー・ブラクストンには、スピリチュアルな部分は希薄で、もっとそこから意識的に離れた覚めた感覚を感じる。どっちがいいという問題ではない。その違いが同居していたからこそAECの面白さが有るのだ。70年代のジャーマンのアルバムはこれを含めて多分4枚くらいしかリリースされていない。AECの活動に重きを置いていたのか、70年代というフュージョン全盛だった時代のせいなのか。これをリリースしたのはAECの自主レーベルからだった。当時でも入手は困難で、都内でもすぐに店頭から消えていた。再発は無いだろうなあ。

 

52~Artur Eisen:Russian Folk Songs(Melodia/?)

旧ソ連のバリトン歌手によるロシア民謡集。1980年頃手に入れたソ連のメロディア盤LP。名前はアルトール・エイゼンとでも読むのか?英文表記の解説によれば当時のボリショイ劇場のソリストだったようだ。1956年に全ソ歌手コンテストで優勝している。このLPにはいつ録音されているのか情報は全く書かれていない。多分60年代ではないだろうか。普段はチャイコフスキー、ムソルグスキー、シューマン、グリーグ等の歌曲や日本の歌もコンサートでは歌っていたようだ。このアルバムは「オシポフ・ロシアン・フォーク・オーケストラ(英語では)」をバックにロシア民謡の数々を良く響くバスの声で朗々と歌っている。オケはおそらくバラライカやアコーディオン(これをバイヤンというのか?)が多数含まれているようだ。私はロシア語の響きが妙に耳に心地よいのだ。歌を聴いたって、意味など分かるはずもなく、歌詞は全く無視(するしかないのだが)。声の響きをどう感じるかが問題となる。ロシア語の会話を聞いているだけで、何だか懐かしい気分になる。前世のどこかで住んでいたのじゃなかろうか。暑いのが苦手だし・・。このアルバムは、私の所有する数有るヴォーカル・アルバムでも聴いた回数では結構上位に来る。今ではCD-Rにコピーして車を運転中に聴くことも多い。まずCD化は無いだろうし、LPを見付けるのも困難かもしれないが、見付けたら購入を薦める。あと、ストラヴィンスキー・オタクのあなた(そんな人いるのか?)! 一曲ストラヴィンスキーが編曲している曲も収録されております。要注目!

 

51~Fletcher Henderson:A Study InFrustration(Columbia/1923~38)

フレッチャー・ヘンダースンは1897年生まれの初期のジャズを代表するバンド・リーダー。このアルバムは1923年から38年までのコロンビア録音が集められている。興味の沸くのは1924年録音のルイ・アームストロングが参加した演奏となるだろうが、現在の視点で見るとその後のジャズを牽引して来た重要なミュージシャンの名前のオンパレードなのだ。Coleman Hawkins,Don Redman,Buster Bailey,Jimmy Harrison,Tommy Ladnier,J.C.Higginbotham,Russell Procope,Rex Stewart,Benny Carter,John Kirby,Ben Webster(何だかデューク・エリントン・オーケストラみたいだ。)等々。ニューオリンズ、ディキシーからは数歩進んだ演奏なんだが、この録音のたったの6年前がオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドのジャズ界初の録音と考えると、一体ジャズの発生って、本当にニューオリンズからなのかという疑問が湧いてくる。確かにニューオリンズからは「聖者の行進」で有名なブラスバンドが有り、間違いなくそこからジャズに発展して行ったのだろう。主にクリオール達の演奏技術や知識が背景にあって作られたのは違いない。それと、当時はいたる所にオンボロ・ピアノが置いてあって、そこでは夜な夜なラグタイムも含んだピアノ演奏が盛んだったらしい。都会では、後のスウィング・バンドに繋がるバンドもすでに存在していたようだ。そう考えると、ジャズの発生って、1900年を挟んで同時多発に少しづつ形は違えど発生していたのじゃなかろうか。ことさらニューオリンズを持ち出すのは無理があるような気がする。ニューオリンズ・ジャズからスウィング、ビ・バップ、クール、ハード・バップ、モード、フリーというように一直線に走ってる訳が無い。特に最初期は色んなのがゴチャゴチャしていたのだろう。この録音の頃になると、その後の「JAZZ」の雛形が現れている。何しろこのバンドには、ビッグ・バンド・アレンジの元祖みたいなDon Redmanがいた。ジャズのスタイルを一人で作ってしまったようなルイ・アームストロングはいる。ルイのソロを聴いてコールマン・ホーキンスは、テナー・サックスの演奏方法を確立した。ヘンダーソン楽団のアレンジを使ったおかげで後のベニー・グッドマンの成功は有った。と、この中にはその後のジャズの重要な要素がごった煮のように含まれている。自称「JAZZファン」なら絶対聴かにゃならん。

 

50~金大煥/Kim Dae Hwan:黒雨(サウンドスペース/1991)

これまで姜さんのCDを二枚紹介して来て、さんのCDを一枚もこのレヴューで登場させていなかった。あの世で「何故僕のCDを紹介しない?」と怒っているだろうなあ。でも、このホームページは、いたるところ金さんだらけなので、金さんご勘弁。さて、このアルバム、1991年に東京のスタジオで録音されたもの。スタジオ・ライヴだったようだ。金さんと、ヘーグム奏者の姜ウンイル(漢字を検索しても出てこなかった)さんのDUO。DUOと書いたが、基本的には金さんが30分と20分くらい演奏されている中に姜さんが時々入って来られる感じだ。金さんは、ここではプク(韓国の伝統打楽器)とロート・タムとシンバル一枚という晩年ドラムを叩かれるようになるまで金さんのトレードマークのようなシンプルなセットを演奏されている。勿論片手に3本、両手で6本の(ジャケット写真参照)バチやスティックで叩かれている。この3本のスティックは、狙い通りが70%、偶然が30%の打音を響かせることになる。(これは、金さん自身が言われた。)従兄弟の姜泰煥さんのサックスの演奏が、ノンブレスで永遠続く音の線(普通の音楽は、ほとんどが点を繋げて線にするが、姜さんは予め線が存在していて、それを切る作業をするという、まるで音楽を逆から捉えているところが有る。)だとすると、やはり金さんの演奏も打楽器という点を線にする楽器を使ってはいるが、姜さんと同じく基本的には元々線が存在している上に、細かい打楽器のパルスを並べて延々線を細かく切る作業をしているように感じる。これは、金さんに尋ねたら頷いておられたので、まんざら間違いなさそうだ。「音楽までが、兄弟みたいですね。」と言ったら嬉しそうにされていた。が、姜さんには物凄いライバル心を燃やされていたのも確かだった。微刻、書、音楽とその全てにおいてスーパーマンぶりを発揮されていた金さんにとっても、このアルバムはとても大事なCDだったと思う。金さんについては、このホームページを適当に開かれれば、どこかに金さんネタが出て来ます。どうぞ、探してみて下さい。

 

49~姜泰煥/Kang Tae Hwan:Korean Free Music(Yeh Eum Records/1988)

姜泰煥(カン・テファン)さんの事は、近藤等則さんが1985年に企画した「東京ミーティング1985」で知ってはいた。IMAと姜泰煥トリオ(崔善培さん、金大煥さん)とサムルノリの演奏はFMで放送されエアチェックしていたので、今でも聴ける。当時は一般的にはサムルノリにばかり注目が集まっていた。しかし、私は姜泰煥トリオの方こそ驚きだった。そもそも韓国にフリージャズを演奏する者がいた!それだけで驚きだった。当時韓国の人が日本に渡航するのがようやく解禁された頃だった。それも、銀行口座にある金額が預金されていないと日本には渡航出来ないとされていた。まだそんな時期だった。当然姜泰煥トリオの情報なんて、山口の田舎者にはほとんど届きはしなかった。1991年に日本のビクターが姜さんのCD「トケビ」を出して、また私も興味が蘇った。そして、このLP「Korean Free Music」の存在を知った。聴きたくてもどうすりゃ手に入るのかも分からない。その頃からFREE MUSICのライヴを始め出したのだったが、意外と早く興味津々なのに手が届かないでいた姜さんのライヴが出来ることとなった。やっと本人に会うことが出来て、このLPのことに話が行ったら、「韓国でも売り切れて手に入らない。」と言われて、諦めていた。すると後日突然姜さんから荷物が届き、開けてみたらこのLPが入っていた。なんとか見付けてもらえたのだった。録音は1988年の来日公演から姜さん、崔さん、金さんのトリオ演奏、姜さんと高田みどりさんのDUO演奏、姜さんのソロが収録され、ソウルでのEvan Parkerさんと姜さんのDUOとで、全4曲。80年代の姜泰煥トリオの数少ない録音が聴ける貴重なアルバムでもある。この頃は姜さんが作曲した曲を演奏している。テーマ部分が存在する。まだ「FREE JAZZ」色が濃い。しかし、高田さんとのDUOやEvanさんとのDUOとなると完全な即興演奏だ。高田さんとのDUOはカフェ・アモレスでも行っている。それは素晴らしい演奏だった。このDUOに佐藤允彦さんが加わると驚異のトリオ「トン・クラミ」となる。EvanさんとのDUOは、とても2人での演奏とは思えない瞬間も出てくる。姜さんの例のロングトーンが揺れながら大きな線を描く上に、Evanさんが、例のごとく一人四重奏で音を重ねて行く、またはその逆だったり、二人して高速の音の連射という、正に超絶の演奏だ。この演奏について姜さんと話した時、「同じ楽器どうしはやりたくない。どうしても、競い合いになってしまうから。」と言っておられた。このアルバムで一番は、最後に収録された姜さんのソロだ。短いモティーフを使ってゆったりと音を変化させて行く。空中高くのんびりと優雅に飛んでいる気分にさせられる。姜さんのソロ演奏は、同時期のツアー中の録音を集めて聴くと分かるのだが、全くの即興とは言えない所がある。大まかな構造が決められているようだし、このアルバムで聴けるように、短いフレーズは書かれてあるように聴こえる。まあスケッチ程度のものだろうが。そういえばセシル・テイラーの演奏も同じだ。盲滅法ピアノの鍵盤を高速で叩き続けているワケじゃない。短いフレーズを変化増殖を繰り返している。ただ感情の赴くまま、音を繰り出しているわけじゃないのだ。だからセシルは「この世に、フリー・ミュージックなんてあるわけがない。」という発言になる。このアルバムが韓国のポニーキャニオンからCDで再発されたら「KOREAN FREE JAZZ」とタイトルが変えられていた。カヴァー・デザインも劣化。何故だ?

 

48~Amarcord Nino Rota(Hannibal Records/1970年代半ばから4年間)

イタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニの映画音楽は、29年間に渡りニーノ・ロータが作曲をして来た。これはプロデューサー、ハル・ウィルナーが、ハンニバル・レコードの為に制作したニーノ・ロータの作品集。普通のプロデューサー、普通のレコード会社なら、甘味なメロディーで大甘のイージーリスニングで終わりそうだ。そこはハル・ウィルナー、集めたメンツも、費やした時間も尋常ではない。演奏される曲は「魂のジュリエッタ」、「アマルコルド」、「8 1/2」、「甘い生活」、「ローマ」、「サテリコン」、「ジェルソミーナ」、初期作品の「白人の酋長~青春群像~崖~カビリアの夜」のメドレー。編曲はAACM総帥ムハール、カーラ・ブレイ、シャロン・フリーマン、アムラム等といった強者ばかり。演奏するのも、ビル・フリゼール、デイヴ・サミュエルズ、ジャッキー・バイヤード、スティーヴ・レイシー、マルサリス兄弟、ジョージ・アダムス、カーラ・ブレイ・バンド。デボラ・ハリーのヴォイスというかハミングも出てくる。アムラムはシャナイを吹いたり、ペニー・ホイッスルでアドリブしたり等々、出てくる音楽も様々。しかし、全体がひとつの組曲の様に音楽が流れて行く。特に面白いのが「甘い生活」組曲。シャロン・フリーマンがフレンチ・ホルンを多重録音した音を背景に、スティール・ドラムがメロディーを乗せる。続くはムハールの10人編成のバンドがJAZZを奏でる。ヘンリー・スレッギルのフルートがいい。続くはフリーマンが間奏曲を短く演奏。そしてマイケル・ザールのアレンジしたギター、アコーディオン、ドラムの演奏にデボラ・ハリーがメロディーをハミングするというもの。これで一曲だ。こういったセンスはハル・ウィルナーならではのもの。さらに、どんなアレンジでも「ニーノ・ロータ」と分かる原曲の存在感こそ素晴らしい。傑作!

 

47~Kenny Wheeler:Music For Large & Small Ensembles(ECM/1990)

Kenny Wheeler,ケニー・ウィーラー(JAZZ雑誌等でホイーラーと表記されるが、ウィ-ラーの方が近いんじゃなかろうか?)は、1930年生まれのカナダ生まれ。52年にイギリスに渡り以後はヨーロッパ中心の活躍が続くので、イギリス人と思っている人も多いだろう。この2枚組アルバムは、1990年に録音された彼の代表作と言っていいだろう。disc 1が「The Sweet Time Suite」という八つのパートに分かれる組曲。総勢19人のラージ・アンサンブルでの演奏。disc 2の最初の3曲目までがラージ・アンサンブルが続く。アンサンブルのメンバーにはEvan ParkerとPaul Rutherfordの名前も見える。ソロは1、2曲で、あとはアンサアンブルに徹している。しかし、Evanさんの例のソプラノ・サックスのソロが出てくる曲が有るのだが、それに絡んで来るのがJohn Abercrombieの角の取れたような丸い音のギター。こんなのは、Globe Unityなんかじゃとても味わえないところだ。私は、ケニー・ウィーラーのトランペットの演奏が大好きで、グローブ・ユニティー・オーケストラの来日公演で聴いた時のことは、今でも覚えている。この時は、エンリコ・ラヴァとマンフレッド(マンフレートか?)・ショーフもいた。この二人は、パワー・プレイに徹した力技勝負で押してきた。ウィーラーは、グローブ・ユニティーでも、このアルバムで聴けるような柔らかな透き通った音色で、パワー・プレイとは逆の表現をした。過激をモットーとする前衛集団にあって、だからこそウィーラーの演奏はより記憶に残った。彼は、聴いてそれと分かる曲を書く。叙情的な美しいメロディーとハーモニーを特徴とするもので、Berlin Contemporary Jazz OrchestraのECM盤の中の「Ana」という曲でも味わえる。このアルバムでも全編味わえるが、このアルバム、結構JazzのBig Bandと言っていいような響きも濃いのだ。そこに絡むNorma Winstoneの透き通った声が心地よい。disc 2の後半は、Trio,Duoでいろいろな組み合わせが聴ける。内3曲がJohn  TaylorとPeter ErskineのDuo。アースキンが、とてもウェーザーリポートのドラマーだったとは思えないプレイで、ジョン・テイラーの透明感のある演奏と合っている。それもそのはず、テイラーはアースキン・トリオのメンバーだ。ギターのアバークロンビーとウィーラーも相性が良く、度々共演しているが、このアルバムでも浮遊感たっぷりのギターを聴かせてくれている。最後の曲がECMというレーベル・カラーに似合わないスタンダード・ナンバー「By Myself」。なんだか突然アメリカンなJazzの世界が現れる。でも、そこはECMだし、演奏するのがウィーラー、アバークロンビー、テイラー、ホランド、アースキンだ、体感温度の低いJazzになっている。

 

46~Yvette Mimeux&Ustad Ali Akbar Khan:Baudelaire's Flowers Of Evil/Les Fleurs Du Mal (Connoiseur Society/1967)

女優のイベット・ミミュー(映画タイム・マシーン~古い方~で、未来の地球に住む女性の役をしています。結構重要な役柄)が、ボードレールの「悪の華」の朗読をしたアルバム。フランス語ではなくて英語なのが少々残念。朗読に音楽が付いているのだが、これがなんとインド音楽の巨匠が二人、サロードのウスタード・アリ・アクバル・カーンとタブラのパンディット・マハープルーシュ・ミシュラ!という豪華版。録音はお互い顔が見えるように配置され、録音するにあたってアクバル・カーン達も、「悪の華」の詩を読み込んで臨んだそうだ。正直英語の朗読では所々しか聞き取れず、とても朗読を聞いたことにはならない。だから朗読に続く演奏も、詩に対してどう反応しているかまでは判断出来ない。朗読も音としてしか聴いていないのが本当のところだ。これは全ての外国語の歌にも当てはまる。(洋楽ファンの殆どは同じなのでは?) だが、朗読云々を取り払って聴いても、ここでのサロードとタブラの演奏は聴くに値するものだ。推測するしかないが、詩の内容に合った演奏の柔らかさであり激しさであったはずだ。詩に込められた感情を表現しているのは間違い無いはずだ。これまで相当聴いて来たし、シタールでサロードのフレーズをコピーしたりしていた。もしこのCDを見かけたら購入を強く薦める。

 

45~Cecil Taylor:The Quartet,Nailed(FMP/1990)

このレヴュー欄NO,45にしてもうトドメの一発を紹介! 御存知オーネット・コールマンと並ぶ元祖フリー・ジャズの生みの親! 巨匠セシル・テイラーにご登場願った。今年京都賞受賞の為来日され、まさかのコンサートも行われたことも脳裏に新しい。60年代から70年代までは類例のない(マネはたくさんいたが)怒涛のエネルギー・ミュージックを聴かせてくれたテイラーも、80年代に入ると音楽的にも仕事的にも停滞を余儀なくされていたと思う。このまま終わりかと思っていたら、1989年だったか?突然(日本に住む我々には)西ドイツのフリー・ミュージック・プロダクション(FMP)から12枚組の豪華なBOX・CDがドカーンとリリースされたのだった。セシルは死んでるどころか、ヨーロッパの精鋭集団とのオーケストラから色んなドラマーとのDUOやデレク・ベイリーとの共演まで、まだまだ現役!の姿を示してくれて我々ファンを喜ばせてくれた。その後は、大量のCDリリースが続いている。このアルバムもそんな中の一枚。セシル・テイラー以外の3人は全てイギリス人ミュージシャン。それもエヴァン・パーカー、バリー・ガイ、トニー・オクスリー(以降彼はテイラー・グループのレギュラー・ドラマーと言っていい存在になった。)という最強の布陣。
このカルテット、ハンパじゃなく凄い! 52分20秒と25分48秒の2曲のコンサート・ホールでの演奏なんだが、一瞬たりとも演奏が停滞するような所は無い。全員の集中力、瞬発力はハンパじゃない。聴いてる方も息つく暇もない80分の演奏なのだ。こんなのそうそうお目にはかかれない。これを生で体験した人を俺は羨む。必聴!

 

44~Terje Rypdal:What Comes After(ECM/1973)

Terje Rypdal、タリエ・リプダル(以前は日本のJAZZ界ではテリエ・リピダルと表記されていた。違うんじゃなかろうかとずっと思っていたら、JazzTokyoでのArild Andersen/アーリル・アンダーシェンのインタビューの中でタリエ・リプダルと発音していた。)の1973年の録音。勿論ECMからのリリース。5人編成のバンドで演奏しているのだが、そこはECM、よそのJAZZ系レーベルとは一味違う。ギター、ドラム、エレクトリック・ベース、アコースティック・ベース、それにオーボエ&イングリッシュ・ホルンの5人。サックスではなくてオーボエというだけで、響きが所謂JAZZとは変わってくる。面白いのはエレクトリックとアコースティックのベースが二人いるところだ。エレクトリックの方は主に普通のベースの役割を担当。アコースティックの方は一切リズムは刻まない。ソロを取るだけだ。そのベーシストが誰あろうバール・フィリップスさん。6曲中2曲がバールさんの作曲になり、主役のギター以上にベースが目立つという演奏。熱くスウィングするのとは違う透徹した響きをJAZZに持ち込んだ正にECMらしいアルバムだ。

 

43~Carlos "Bechegas"&Reuben Radding:Open Between(Forward.Rec/2005)

ポルトガルのフルート奏者、カルロス・ベシェガス(と読むのか?)とアメリカ人でNYC ダウンタウン界隈で活躍しているベーシスト、リューベン・レイディングのDUO演奏。ベシェガスを知ったのは、1993年、95年録音のLeo盤だった。フルートの他エレクトロニクスを使った演奏だった。てっきり現代音楽から即興に入って来たのだろうと思ったら、ポルトガルのJAZZバンドでよくいるサックスと持ち替えでフルートを吹くといったミュージシャンから始まったみたいだ。普通と逆なのはサックスを捨ててフルートの道を選んだ。それからは、フルートの特殊奏法の猛練習をしたのではなかろうか。とてもJAZZ出身とは思えない音のオンパレード。フルートじゃこうでもしなけりゃ太刀打ち出来ないだろう。尺八も相当研究したような音も使う。このCDでは特に4曲目。曲名を見たら、なんとそのものズバリ「Shakuhachi Style」でありました。尺八本曲って、ヨーロッパから見たら、そのまんまで「前衛」だろう。サインホさんが「トゥヴァの伝統から一歩踏み出せばそこはヨーロッパの前衛だった。」と言ったが、フルートはヨーロッパ側。なかなか涙ぐましい修練がいるんだろうなあ。ベシェガスとレイディングの演奏は、Improvised Musicの王道を行くような丁々発止の演奏で飽きさせない。が、あまりにもベースがフルートに寄り添いすぎているところもあり、スリルに欠ける面もある。ほとんどのインプロはこんな調子なんだが・・・。

 

42~Shankar:Who's To Know(ECM/1980)

Shankarとだけ名前が書かれているが、ラヴィ・シャンカールというヴァイオリン奏者。シタールの巨匠ラヴィ・シャンカールと同じ名前だが、ヴァイオリンの方はLのラヴィで、あのシャンカールはRのラヴィ。だからだろうShankarにしたのは。他のアルバムではL・Shankarと書かれてある。ジョン・マクラフリンとの「シャクティ」でもよく知られている。これはECMから80年にリリースされたアルバムだが、JAZZではない。本業のインド音楽のアルバムだ。22、3分の長尺の演奏が2曲収録されている。本来のインド音楽は最低でも1曲というか、一つのラーガを最低40分は演奏しないことには始まらないが、LPに収まらないといけないだろうし、そうも言ってられなかったのかも。だが、そんなことはどこかに吹っ飛んでしまう程の熱演、激演なのだ。でも、そこはインド音楽。JAZZのように感情に乗せて、まかせて熱くなるという音楽ではない。何しろ宇宙の波動を現しているのだから。(と、何かで読んだ)どこか覚めた熱さなのである。フリー・リズムから始まり、タブラとムリダンガムという2つの打楽器が入りテーマが提示され、返奏が続き最後は猛スピードで終止形に入る。というのがカチッと決まった構造で、それはいつでもどこでも変わらない。ラヴェルのボレロもインド音楽を聴くとき感じる高揚感が有る。でもオケでやらなくたって、インドじゃシタール等とタブラで十分。ところで、タブラは北インドの楽器で、ムリダンガムは南インドの楽器。音楽の体系も違う。普通一緒には演奏しないものでは?ふと疑問。内ジャケットの解説によれば、1曲目のターラは新しく考案されたものらしく、前半が51/2 beatsで、後半は41/2 beatsと書かれてある。一体こんなリズムをどうすりゃ即興で演奏できるのやら?この収録時は、Shankarの父親が演奏中リズムを取って指揮(というかターラのキープ)している。 ラヴィ・シャンカールの息子みたいな存在だったジョージ・ハリスンの曲にも、こんな演奏不可能な感じの曲があるんだそうだ。ジェフ・リンの証言では、「俺達は無理だから、それに近い4/4とかで演奏するしかない。」なんて話しているヴィデオが有る。リズムの奥深い森に入りたかったらインド音楽に入りなさい。でも、いくら聴いてもリズムを数えるのは永久に無理と悟る。でも、体で覚えてしまうと困ったことに他のいかなる音楽もリズム面で退屈してしまうことになるので要注意。最後に、Shankarのヴァイオリンはダブル・ネックのユニークな形をしている。どうも一方のネックは弾かないみたいだ。シタールの共鳴弦の効果が有るようだ。

これがShankarが使うダブル・ネックのヴァイオリン。

41~Derek Bailey&Han Bennink(ICP-004/1969)

デレク・ベイリーとハン・ベニンクのDUOアルバム。1969年の録音。ICP-004という番号が書いてあるだけでアルバムのタイトルとかは無い。そこは無名性というところなのだろうか?逆にジャケット・デザインはいつものハンさんの手書きの文字やらイラストやら写真の切り貼りやらで、もうこれだけでアート作品。これは、今でも続いている。瞬間見ただけでハンさんの作だと分かる。彼の手帳を見せてもらったが、「美術館に直行!」のシロモノだった。さて、中身だ。ベイリーはエレクトリックギターで結構激しくノイジーに弾き倒す。殺気すら感じさせる鋭い音の放射が凄い。「世界最強」の言葉が出て来る。対するベニンクの激しくも面白いこと!せわしなくドラムを叩いていると思ったら、「一体これは何?」といった音に突然変わる。だいたい楽器のクレジットがdrumは分かるが、oeoeって何? gachiって何? 私がこのLPを入手したのが1979年だった。もうそれ以来何回聴いてきたやら。多分ビートルズの「サージェント・ペパー・・」に次ぐのじゃなかろうか。LPじゃすり減るので今はCD-Rにコピーして聴いている。即興を繰り返し聴くのは結構意識的に避けているのだけれど、これだけは別。いくら聴いても、その度興奮している。鉄パイプ持って外に走り出そうなんて気分にさせてくれる。30年前だったら、このアルバムの紹介に「破壊的」だの「状況がどうたらこうたら・・」なんて書いただろうが、もうノイズは当たり前の時代(世間様は違いますよ。今でもほとんどは平和でのんきな音楽だけ。別に悪口では・・・。)。でも、1969年という録音された年代を考えれば、やっぱりこれは凄いとしかいいようがない。いや、今でも凄い演奏だ。じゃないと、35年間もこれだけ繰り返し聴いてはいない。これが、この演奏の持つ強度なんだろう。「新しい」はすぐ過去に追いやられ、追い越される運命にある。勿論変化あるのみで前進していてくれにゃきゃ、いやなきゃ(猫がたくさんいるもんで、ついこう・・)、聴いてる我々もつまらない。録音して商品化され、こうして後世(まだ言い過ぎか)まで聴き続けられる音楽こそが、「新しい」より価値が高いのかも。しかし、それも当時最先端を走っているという自負があったればこそ。CD-Rで聴いてきたけれど、やっとCD化された。でもCD+DVDの52枚組って、有り難いような「え~かげんにしてくれよ。」のような。でも、一緒に収められている写真集はお宝!これ全部がデータとしてだけ配信されて、それを全部買っていても、このデカイBOXの所有感は持ちにくいだろうなあ。へへへ。

 

40~Gary Peacock:December Poems(ECM/1977)

近頃のJAZZファンにはキース・ジャレットとジャック・ディジョネットとのトリオのベースという印象ばかりであろうと思われるゲイリー・ピーコックのソロ・アルバム。基本的にはベースだけ(多重録音の曲もある。ピアノの弦を弾いているような音も。)だが、2曲ほどヤン・ガルバレクも入ってのDUOも有る。フリー・ジャズ好きにとっては、彼はアルバート・アイラー・トリオのベースなのだ。50年代の終わりにはオーネット・コールマンとの親交もあったみたいだ。そういう意味ではフリー・ジャズ第1世代とも言えそうだ。日本人には彼のファンは多いのでは?70年に単身来日し、2年間滞在していたそうだ。主に仏教の研究での滞在だったらしく、最初は彼の滞在をジャズ関係者も知らなかったらしいが、一度知れたらほっておくワケが無く、おかげで「EASTWARD」、「Voices」と言う傑作リーダー・アルバムが残されたし、「菊地雅章;銀界」、「菊地雅章&富樫雅彦;Poesy」、「渡辺貞夫;Paysages」と言う日本のJAZZにとって宝物のようなアルバムも世に出ることになった。その後も日本人ミュージシャンとの交流は深く続き、特に富樫雅彦、佐藤允彦とのトリオ「WAVE」は特筆ものだ。さて、「December Poems」。1977年12月、オスロのスタジオでの収録。オスロで12月!「寒い!」なんてもんじゃないだろう。そんな意識があってか、この演奏の温度は低い。JAZZの熱気とは無縁の深く深く沈みこんで行くような演奏だ。まあ、これがECM録音と言われれば、そうなのかも。最終曲だけは結構熱くなる。ベースのピチカート(バールさんのようにアルコは使っていない)の一音一音がじわっと心に沁み込んで来る。ガルバレクのサックスの音も、これまた熱気を孕むとは逆の演奏で、オスロの冬空(行ったことはないけど)のごとくクールなもの。毎年12月になるとこのアルバムを思い出したように引っ張り出しては聴いている。

39~一柳慧:Music for Tinguely(edition OMEGA POINT/1963,67,69)

これは一柳慧の1960年代の電子音楽作品を3曲収録したアルバム。ゴミ?を集めてモーターを取り付けたりして動く音響彫刻を作っていたジャン・ティンゲリーが、1963年に来日し個展を南画廊で開催した。その発する音を録音し加工してテープ音楽にしたのが「Music for Tinguely」。彫刻の発する音がより重層的に電子音響と混ざり再構築されている。「Appearance」は、一柳がニューヨークに滞在中に作曲された。曲といっても図形楽譜で、3つの楽器と2台のオシレーターとリング変調器で演奏するという「ライヴ・エレクトロニック・ミュージック」。この録音ではジョン・ケージがエレクトロニクス、デヴィッド・テュードアがバンドネオン、他にトランペットの音も聴こえる。この曲なんか、現在のノイズやエレクトロニカのミュージシャンにぜひ聴いてもらいたい。60年代にすでにここまでのノイズ・ミュージックが作られていたのだ。それもライヴで演奏されていたことを知っておいて損はないはずだ。「Music for Living Space/生活空間のための音楽」は、大阪万博の太陽の塔の空中部分で流された音楽。建築家黒川紀章の建築論を人間ではなくコンピューターでしゃべらせた曲。1969年に作られたと考えるとよく作ったものだと感心する。子供の頃万博に行って太陽の塔に行って、空中をくるっと回っている透明のパイプで出来た通路をたしかに歩いているのだが、記憶がない。何しろ小学生にはこの面白さは分かってはいなかった。もう10歳歳を取ってたら、この万博は物凄く興味深いイベントやコンサートが目白押しだったのだがなあ。

38~Ringo Starr:Sentimental Journey(Apple/1969~70)

リンゴ・スターの説明は必要ないだろう。このアルバムの説明から始めます。1969年から70年にかけて録音されたリンゴの初リーダー・アルバムがこれ。意表をつくスタンダード・ナンバーばかりのソロ作だった。リンゴが子供の頃母親がよく聴いていた曲を集めて歌ったといったところだろう。聴くにせよ聴かないにせよ、リンゴの中にインプットされてきた古い曲の数々だ。ビートルズが終わりを迎えそうな気配になり、さて再出発というところでまずは原点回帰というところか。2曲カントリー系の曲が見られる他は、所謂JAZZヴォーカルでも聴かれる曲ばかりである。「センチメンタル・ジャーニー」、「ナイト・アンド・デイ」、「スターダスト」、「慕情」、「ドリーム」等々スタンダードの大道が並ぶ。その中に「アイム・フール・トゥ・ケア」と「Have I Told You Lately That I Love You?」というカントリーのスタンダードが入る。次回作が「Beaucoups of Blues」というカントリー・ソング集だが、その伏線か。だが、このカントリー集は全て新作ばかりで作られた結構凝ったアルバムだった。スタンダード・ナンバーなので、アレンジャーもそのスジのトップが集められた。御存知ジョージ・マーティン、クインシー・ジョーンズ、オリヴァー・ネルソン、エルマー・バーンスタイン、チコ・オファリル、ジョン・ダンクワース、ポール・マッカートニー、リチャード・ペリー、モーリス・ギブ、ロン・グッドウィン、クラウス・フォアマン!、レス・リードという豪華版。フランク・シナトラのアルバムと言われれば納得出来ようが、ビートルズのリンゴというのがいい。あのほのぼのヴォーカルで気持ちよさそうに飄々と歌ってる。最近出たポール・マッカートニーのスタンダード作のような余裕はないが、そこは若きし頃のリンゴだと大目にみてくれ。私はこのLPを14歳の頃に買っている。これをきっかけにJAZZのラジオ番組を少しずつ聴き始めた。JAZZといっても1920、30年代の録音をよく聴くのはこのアルバムが原点だからなのかもしれない。ビッグ・バンドの音に惹かれたのだった。コテコテのJAZZファンはこれをどう聴くのだろうなあ。

 

37~吉沢元治&高木元輝:深海(P.S.F RECORDS/1969)

五海裕治氏の素晴らしい写真をカヴァーに使った、J・IコレクションというCDシリーズから驚きの発掘音源がリリースされた。(このシリーズは全て驚きなのだが)なんと1969年10月9日、新宿にあった「汀」(JAZZ喫茶なのか?)での吉沢さんと高木さんのDUO・LIVEだ。1969年といえば、フリー・ジャズにとっては結構重要な年だったりする。日本では富樫雅彦さんの「WE Now Create」、佐藤允彦さん「Palladium」、高柳昌行さん「Independence」、山下洋輔さんの「Dancing 古事記」等が、海外ではBYGで数多くのアメリカのフリー・ジャズ・ミュージシャン達の録音、FMP第1弾Manfred Schoofの「European Echoes」、AECの「People in Sorrow」等。JAZZ関係の本では1967年のコルトレーンの死後はフリー・ジャズは失速して行ったなどと一体どこを見てるのやらといった記述が有ったりする。特に日本では1969年は重要で、メジャーレコード会社がフリーのレコードを発売し出した年でもある。その最初が「We Now Create」だった。山下を除く他の面々は結構各バンドに分散する形で顔を出しているのも特徴だ。吉沢さんもしかり、高木さんもしかり。この「汀」での演奏は、まさに当時の普段のライヴの雰囲気を切り取っていて興味深い。後年聴けなくなった高木さんの激しい雄叫びが随所で聴くことが出来る。吉沢さんは深く沈み込むような音が特に印象的だ。吉沢さんの曲「深海」では特にそれを感じる。当時はまだ「ロンリー・ウーマン」等の曲が演奏されていた。このアルバムで唯一残念なのは、全編エアコンのブーンという音が演奏に被さるように鳴っていること。私のような筋金入りのファンにとっては、こんなもんガマン出来るのだが、これからフリーでも聴いてみようかなという人は「数年待って。」と忠告しておかなければいけないかも。吉沢さんとも、このエアコンの話が及んだことがあった。吉沢さん曰く「今どこで何をしているのか分からない高木が、これを聴くことで奮起してまた演奏を始めてくれるのを期待して、この録音の悪さでもOKしたんだ。」と。当時高木さんの消息を知る者が本当にいなかった。死亡説まで流れていたくらいだった。その後、高木さんは活発に演奏活動を始められた。このCDがきっかけというワケではないだろうが。さあ、どうだろう。

36~Raymond Boni:L'oiseau l'arbre,le beton(Futura/1971)

1947年フランス、トゥーロン生まれのギターリスト。63年ジプシーのギターリストについてギターを学び、その後4年間ロンドンに滞在し帰国。68年からパリでクラシック・ギターも学んだ。69年から70年にかけてジェフ・ギルソンのバンドで活躍した。その後は、ベルトラン・ゴーチェ、バール・フィリップス、ジャン・ジャック・アブネル、沖至、ジェラール・シラキューザ、アンドレ・ジョーム、クロード・ベルナール、クロード・チャミチアンらと共演を重ねた。いかにもフランス人らしいとはステレオタイプな表現か。このアルバムは1971年録音のギター・ソロ・アルバム。おそらくこれが彼のファースト・アルバムのはずだ。デレク・ベイリーのギター・ソロ・アルバム(INCUS 2)も1971年録音と考えれば、ボニの即興の世界での立ち位置は正に時代の先端にいたと言えよう。デレク・ベイリーと同じ時代に生き、ほとんど同時にギターの革命を行ったとも言えるようだが、その表現するものは大分違っている。ベイリーはヴェーヴェルンを源とするような音をランダムに空間に配置して行くような点描写を徹底し、音楽の抽象化を求めて行ったが、ボニはそこかしこにJAZZの匂いを放つ。フリーな即興には違いないが、高速で単音を連ねるところは正にJAZZのドライヴ感だ。ウネウネとどこまでも連なって行く音が、離れたり交わったりと他の誰にも聴かれない独特なもの。音色はいかにもエレクトリックギターと言う明るさを持つのも特徴。音程や音色をあやふやにしたいのか、手袋をはめて弾いている写真を見たことが有るが、それをここで使っているのかは不明。聴いただけでは判断出来ない。

 

35~Claudia Phillips:Rendez Vous(Barklay/1992)

バールさんがらみで娘さん、クラウディアさんのアルバムも紹介。1992年リリースのセカンド・アルバム「ランデヴー」。Jazzでも、フリーでもなく、正真正銘?のポップス。3曲目「Donne-Moi Du Feu(私に火をつけて)」は相当ヒットしたらしい。デボラ・ハリーの「Rapture」以外は全ての曲に作詞や作曲に関わっているようだ。基本的にはダンスビートが全編を覆う。そこに70年代のソウルの香りのするブラスやストリングスが重なったりする。何よりフランス語で歌われており(まあ、当然だが)、同じリズムの上でも英語で歌われるのとは響きは大きく異なる。さて、バールさんを車に乗せて高速道路を走りながら「娘さんのCD持っています。」と、喜んでくれるのを期待して話したら、バールさんは不機嫌そうな、半分怒った感じで「あんなバブルガム・ミュージックなんてしやがって。あんな事やってちゃダメだ!」と言われた。その時、昔お世話になっていたはずの、バーンスタインの批判も長々やっていたが、私の英語の聞き取り能力を越えていたので、残念ながら何を言われていたかよく思い出せない。そんなバールさんも、かわいい娘さんのアルバムだ。11曲目「I'm Late」では、ドラムのバリー・アルトシュル!と一緒にマジメに?強力なビートをアコースティック・ベースでブンブンかましている。それは、さすがに本人には突っ込めなかったなあ。何しろ怒っていらっしゃいましたから。それと、当時すでに娘さんには子供さん(バールさんには孫)がいたそうで、フランスでもアイドル歌手に子供がいるのはご法度だったそうだ。それで「孫のもうりをさせられる。」とこぼしておられました。こんなネタばらしてよかったのか?

こちらは裏ジャケット。おやじさんのベースのとなりでたたずむクラウディアさんが写っている。さて、これが意味するものとは?

34~Barre Phillips:Naxos(CELP/1987)

 

 私がベース・ミュージック(JAZZだとか、クラシックだとか、現代音楽だとか、インプロヴァイズド・ミュージックだとかのジャンルを飛び越えて、ベース、コントラバスを主体とした音楽)の頂点に立つ巨匠と思っている南フランスの古い教会に住むバール・フィリップスさんの1987年の録音。Herve Bourde(sax)Jean-Marc Montera(g)Pierre Cammas(p)そしてバールさんのベースに娘さん、クラウディアさんのヴォイスも加わっている。全16曲。長くても4分台、短くて44秒という曲もある。ほとんどがバールさんの作曲。モンテラとブルデの曲も一曲づつの他、クラウディアさんが作詞した曲が6曲ある(ソロ・ヴォイスも含む)。全体をひとつの組曲と考えてもよいと思う。フリーな即興一発の過激な演奏は無い。かなり書き込まれている曲もある。ECMから出てもおかしくは無い雰囲気だ。バールさんのベースの音はあいかわらず美しく深い音色だ。何時間でも聴いていたくなる。しかし、このアルバムで一番印象に残るのは娘さんクラウディアのヴォイス!80年録音のバールさんのアルバム「Music By…」(ECM)でも同じくヴォイスのAina Kemanisと共に参加している。そしてこのアルバムへの参加だったが、その後はポップスに転身。シングル・ヒットを何枚も飛ばし、アルバムも「Black Jack!(89年)、「Rendez-Vous」(93年)、「Personal Legends」(98年)がある。「Rendez-Vous」は、日本でもリリースされたくらいだ。ちょうどこの頃バールさんと会い、このCDを持ってると言ったら、喜んでくれるはずが「あんなバブルガム・ミュージックなんてやったらダメだ!」と言われた。が、実はこのアルバムの中で1曲バールさん(b)とバリー・アルトシュル(ds)も参加した曲があり、しっかり演奏しているではないか。何だかんだ言っても父親です。

 

33~富樫雅彦:Session In Paris,Vol.1~Song Of Soil(King/1979)

富樫雅彦は、不自由な体のこともあり、海外での評価も高いのに、日本から離れられずにいた。だが、1979年ついに海外進出の機会が訪れた。当時パリを中心に活動していた加古隆の強い推薦で、オランダのフェスティヴァルから招待があったのだ。主治医からの渡航許可も出たので、この機会にパリにアパルトマンを借りて2か月くらいの滞在を決意した。その間はフェスティヴァルの他、ソロや加古隆とのDUO、盟友S・レイシーのグループとの共演、バートン・グリーンとのDUO等の演奏活動を行なった。そして、キングレコードによる二度のレコーディングも決行され、これはその一枚。録音はパリの小さなスタジオで、パリ祭の前日に行われた。共演者はドン・チェリーとチャーリー・ヘイデン。言わずと知れた、オーネット・コールマンの初期のカルテットのメンバー同士。正にJAZZの革命最前線で戦って来た者達だ。富樫雅彦とドン・チェリーは、チェリーの5年前の来日で共演を果たした旧知の仲。ヘイデンとは今回が初顔合わせだった。レコーディングは、ほとんどが2テイクでOKとなったそうだ。1テイクでOKもあったらしい。この時が三人の初顔合わせとは思えない緊密で濃密なインプロヴィゼイションが繰り広げられている。余裕すら感じられる。ドン・チェリーの数あるアルバムの中でも屈指の演奏だろう。トランペットを吹かず、鉄パイプのような物を、小さな棒で叩いた(というよりも擦るに近い)曲が有る。たったこれだけの演奏で、強く「ドン・チェリー」を感じるのだ。よほど手が合ったとみえて、ヘイデンはこのトリオでのアメリカツアーを望んだらしいが、残念ながら富樫雅彦にはそれは無理な事だった。富樫雅彦のアルバムは数多くあるが、私が最も多く聴いている一枚だ。富樫雅彦は、不自由な体のこともあり、海外での評価も高いのに、日本から離れられずにいた。だが、1979年ついに海外進出の機会が訪れた。当時パリを中心に活動していた加古隆の強い推薦で、オランダのフェスティヴァルから招待があったのだ。主治医からの渡航許可も出たので、この機会にパリにアパルトマンを借りて2か月くらいの滞在を決意した。その間はフェスティヴァルの他、ソロや加古隆とのDUO、盟友S・レイシーのグループとの共演、バートン・グリーンとのDUO等の演奏活動を行なった。そして、キングレコードによる二度のレコーディングも決行され、これはその一枚。録音はパリの小さなスタジオで、パリ祭の前日に行われた。共演者はドン・チェリーとチャーリー・ヘイデン。言わずと知れた、オーネット・コールマンの初期のカルテットのメンバー同士。正にJAZZの革命最前線で戦って来た者達だ。富樫雅彦とドン・チェリーは、チェリーの5年前の来日で共演を果たした旧知の仲。ヘイデンとは今回が初顔合わせだった。レコーディングは、ほとんどが2テイクでOKとなったそうだ。1テイクでOKもあったらしい。この時が三人の初顔合わせとは思えない緊密で濃密なインプロヴィゼイションが繰り広げられている。余裕すら感じられる。ドン・チェリーの数あるアルバムの中でも屈指の演奏だろう。トランペットを吹かず、鉄パイプのような物を、小さな棒で叩いた(というよりも擦るに近い)曲が有る。たったこれだけの演奏で、強く「ドン・チェリー」を感じるのだ。よほど手が合ったとみえて、ヘイデンはこのトリオでのアメリカツアーを望んだらしいが、残念ながら富樫雅彦にはそれは無理な事だった。富樫雅彦のアルバムは数多くあるが、私が最も多く聴いている一枚だ。

 

32~Takehisa Kosugi:Melodien(Edition Giannozzo/1984)

これはカセット・テープ。LPとCDの紹介をするコーナーだが、この録音は未だにLPにもCDにもなっていないので、仕方ない。1984年の録音かどうかはクレジットされていないが、コピーライトは1984年となっている。タイトルが「Melodien」となっている他は、「Galerie Giannozzo」というベルリン(多分西側)のギャラリー(多分)で演奏されたであろうこと以外情報が無い。楽器(?)は、小杉さんの手製のエレクトロニクスに違いない。三曲収録されている。1,2曲目はピコピコと高い音が鳴り続ける。短い点の繋がりが複数絡み合う。音量を上げて聴くと結構頭の中悲鳴を上げ出す。3曲目はジリーというノイズが割合静かに流れ続ける。現場にいなかったからはっきりとは断言できないのだが、特に3曲目は、小杉さんが作られたサウンド・インスタレーションが発している音なんじゃないだろうか。それともテーブルの上にエレクトロニクスを置いて演奏されたのか?こんなことを想像するだけで楽しいのだ。よく「見なけりゃ分からないからつまらない。」などと言う人も多いが。一頃「音響」と呼ばれる「新しい」と言われていた一派が雨後の竹の子状態に現れた時期があった。コレを聴いていたせいもあって、何で彼らが「新しい。」と言われるのか理解に苦しんだ。思想的背景はともかく、表面的な音はそのずっと前から、こうやって存在していた。「音響」を非難しているのではない。めっぽうああいうのが好きな人間だ。ある人に「演奏する側というよりも、聴く側の変化を求めてるのでは?」との意見に大きく頷いた私でありました。

どなたかCD化お願いいたします。

 

31~Bolot Bairyshev:Kai Of Altai/Alas(King/2000)

カザフスタン、中国、モンゴルと国境を接する正にユーラシア大陸のど真ん中にあるアルタイ共和国(ロシア連邦)の歌手ボロット・バイルシェフの、歌とトプシュール他の演奏の聴けるアルバム。歌と書いたが、所謂日本人(いや世界中)が想像する歌などとは想像を絶するもの。この地域に古くから伝わる「カイ」と呼ばれる唱法なのだが、超低音は出るわ、高音と低音を同時に出すわ、口笛のような音は出すわ、もうサインホさん達Improviserの「VOICE」と言っているものそのものというか、越えているというか、初めて聴いたときは驚いた。サインホさんが「トゥヴァの伝統音楽から一歩踏み出したら、そこはもうヨーロッパの前衛だった。」と言われたことがあったが、この「カイ」なんて、踏み出さずともヨーロッパを飛び越えている。我々日本人なんて、いかに狭い世界しか見ていない、聴いていないか、これを聴くとしみじみ痛感する。正に驚異の喉。

 

30~Butch Morris:Homeing(sound aspects/1987)

ブッチ・モリスさんは、即興を指揮する「コンダクション」で有名だが、90年代前半はまだコルネットを吹いていた。私は、ブッチのコルネットの演奏が大好きだった。勿論コンダクションも、東京で行われた「コンダクション」に行ったくらいだ。このコンサート当時はもうコルネットの演奏はやめていた。新宿の焼肉屋で昼間から、金大煥さんとブッチと三人で焼肉を食べていた時、ブッチのコルネットの演奏が大好きな金さんと私は、「またコルネットを吹いて欲しい。」と頼んだ。「また吹くとなると練習が大変だ。」とブッチは答えていた。さて、このアルバムは、1987年西ベルリンでFMPの「Total Music Meeting」で行われたコンサートの録音。85年がコンダクションの第1回目だが、このコンサートはコンダクションに数えられているのか?ここでは、7曲に分かれて演奏されているし、明らかに譜面が存在する。12人編成のラージ・アンサンブルだが、通常のジャズのアンサンブルとは大分変った楽器編成だ。フレンチホルン、オーボエ、ヴァイオリン、ヴァイブラフォン、ヴォイス、エレクトロニクス等々。ジャズの響きは抑えるように考えられた編成なのだろう。所謂リズムセクションは排除されてはいないので、ジャズ系アンサンブルの香りは十分感じられる。譜面に書かれた部分の音の響きは、まさにブッチのコルネットの音の拡大版だ。あの独特の柔らかく抒情的と言ってもよい穏やかな響きが心地よい。そのアンサンブルの音の中に切り込んでいくブッチのコルネットの演奏は、多くのトランペット奏者の演奏とは違うデリケートさを孕んでいる。この他ヴォイスのShelly Hirschが特に、この大作への貢献度が高い。最後に2分23秒のブッチのコルネットの無伴奏ソロでコンサートは締めくくられる。ここを聴く度に泣けてくる。今頃天国で吉沢さんと金さんとで演奏しているんだろうなあ。

 

29~Napoli Mandrin    OrchestraSerenataLutana(Felmay/2002)

2002年リリースの「ナポリ・マンドリン・オルケストラ」の楽しいアルバム。16人編成で3人の歌手も歌っている。マンドリーノ(ナポリではこう呼ばれている)は、18世紀にマンドーラという楽器が改良されマンドリーノになったそうだ。1850年に、今使われている形に落ち着いた。ここで演奏され、歌われているのは所謂ナポレターナ。1900年前後から20世紀にかけて作られた作詞作曲もはっきりと分かっているポピュラー音楽だ。昔から伝わる民謡などとは違う。このオルケストラの演奏は、「フニクラ・フニクラ」、「オ・ソレ・ミオ」、「帰れソレントへ」等の我々日本人にも馴染み深い曲も演奏しているが、よくあるイージーリスニングもどきの観光案内レベルではない。鋭さと土臭さも併せ持つ。歌も、クラシックの歌手があの歌唱方で歌う大仰さはない。正座して聴くもよし、BGMで流すもよし。

 

28~永田砂知子:波紋音・HAMON (2004)

打楽器奏者、永田砂知子の「波紋音・HAMON」という斉藤鉄平氏制作の創作打楽器の独奏のアルバム。波紋音は鉄製の丸いスリット・ドラム。美しい倍音が立ち上がる魅力的な打楽器だ。演奏されなくても、床に置いてあるだけで美しい調度品にもなりそうだし、そう言った使われ方をされてもおかしくはない程。クラシックの打楽器奏者から、吉沢元治との出会いで即興の道にも入って行かれ、デレク・ベイリーの白州で行われた「Company Week」に出演されたり、ブッチ・モリスのコンダクションにも参加されている。1997年に「波紋音」に出会われてからは、この楽器一本で演奏されて来られていると耳にした。このアルバムは相模原市の常福寺で録音されており、お寺のまわりの環境音・サウンドスケープも取り込まれている。波紋音と言っても大小様々な大きさや形があって、この録音では、それぞれの組み合わせで演奏され、全13曲を収録。7曲目は、チベットの鈴とネパールのシンギングボールの演奏。短いのは1分台。大型の波紋音を使った15分台の演奏も1曲あるが、あとは3分前後の曲が多い。みんなそれぞれの豊かな倍音を含む演奏に耳を傾けると、ちょうどジャケット写真(この場合は、第二版)の光景の中に自分もいるような気分になる。または、ずっと大昔の太古の時代にタイムスリップしたような気分にもなる。一曲、この創作打楽器を作られた斉藤氏がホーミーで参加されている。この録音を聴いた時、さて防府市でこの演奏会をするとなるとどこがいいかと考えるという、楽しさも味わった。いや、ぜひ実現しよう。掲載したジャケットは第二版のもの。宮城県登米町の能舞台での写真が使われている。初版よりも、こっちの方が音の雰囲気がよく表れているように感じる。

 

27~Franz Xaver Gruber:Stille Nacht Heilige Nacht(Originalfassung von 1820),(Overseas/1978)

私は世の宗教は一切信じない。だから自分の葬式も「絶対するな!」と伝えてある。キリスト教のように一神教だと排他的になり、他の価値観、宗教観、文化、文明までをも攻撃してしまう。だが、矛盾するようだが、何故かクリスマス・ソングが好きでCDを幅50cm(枚数で言わないところが、我ながらイカレていると思う。)くらい持っている。ビング・クロスビー、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、マヘリア・ジャクソン、カーペンターズ、チェット・ベイカー、サッチモ、リンゴ・スター、ジュリー・アンドリュース、シセル・シルシェヴー等々書いていたらきりがない。みんな英語とかの外国語なので意味が分からないのがいいのかも。では、何故聴いているのかというと、そのメロディー、響きが好きなんだろう。こういうのを本当は「好き」とは言ってはいけないのだろうが、この季節になると良く聴くのは間違いない。さて、このアルバム。1787年オーストリアのホッホベルク生まれの作曲家フランツ・グルーバーの作品集。グルーバーといえば「聖しこの夜」。このCDでは、歌詞が6番まで全部歌われている。これは現存する自筆譜の第2版。なんとオリジナル通りのギター伴奏。凄いのが、この曲の歌詞を書いたという牧師ヨーゼフ・モーア愛用のギターを使って弾いているという凝りよう。あと4版と5版までも演奏されて収録されているという珍盤といえば珍盤。後は「ホルン・ミサ」と「婚礼ミサ」。書かれた時期はロマン派の時期になろうが、ロマン派の香りがしない。適度な田舎臭さがいい。毎年この季節になると引っ張り出しては聴いている。

 

26~Wadada Leo Smith:Ten Freedom Summers(Cuneiform/2011)

ワダダ・レオ・スミス痩身の大作。CD4枚に渡る音楽で綴るアメリカの歴史物語。演奏はレオさん率いるゴールデン・カルテット&クインテット。メンバーは初代のカルテットからはベースとドラムが変更になっている。ベースは故マラカイ・フェイヴァースからジョン・リンドバーグへ。ドラムはジャック・デジョネット~故ロナルド・シャノン・ジャクソンから、山下洋輔NYトリオでも知られているフェローン・アクラフへ。彼はまだ若い頃からレオさんの元で演奏して来た。そこにもう一人フィリピン出身の女性ドラマー、スーシー・イバラが加わってクインテットとなる。彼女は富樫さんのような美しい音を持ったドラマーだ。ピアノのアンソニー・デイヴィスは、途中インド出身のヴィジェイ・アイヤーと変わってバンドを抜けたが、また帰り咲いている。彼もレオさんとは長い付き合いだ。このバンドを核に演奏は進むが、曲によっては、サウスウェスト・チェンバー・ミュージックという室内楽アンサンブルが加わる。このアンサンブルだけの部分も有る。怒涛のフリー・ジャズからすっとクラシカルな響きのアンサンブルに変わる所も、全く違和感なく音楽が進行している。この大作の完成に34年を費やしたそうだ。Dred Scott,Emmett Till,Rosa Parks,Martin Luther King Jr.等の名前から分かるように、アフリカン・アメリカンの視座にたっての歴史と言えそうだ。このアルバムは、今後マックス・ローチの「We Insist!」等と並ぶ、いや越えた存在になって行くに違いない。実際このアルバムを作ったことによって、レオさんは今年のピューリッツァー賞の最終選考まで残ることが出来た。あと一歩及ばなかったが、大きな評価を勝ち得たことに間違いない。

 

25~John Cage:Complete Piano Music,Steffen Schleiermacher(MDG/1997-2002)

Steffen Schleiermacher(ステフェン・シュライエルマヒャー?)が五年をかけて録音したJohn Cageのピアノ曲全集。なんと18枚組!これらの曲をCD単体で買い集めるとなるとお金と時間とカミさんの激怒で家庭が崩壊しかねない。1940年の「bacchanale」から始まるが、1935年の「Two Pieces for Piano」がCD13に入っていたりと、年代順に並べられているワケじゃないので、歳を追っての作風の変化を知ろうとすると難しい。近年よく演奏される「Dream」から騒音混じりの私好みの曲までゴチャゴチャに混ざっているので(最初の方はプリペアード・ピアノで統一はされているが)、ぼや~と聴く分には最高のBGMにもなる。逆にじっと耳を澄ませて聴けば、ペダルを踏んで残響を長く伸ばした音に浸るという快楽も得られる。Cageを聴くという事は、彼の思想も含めて聴くという事だ。(Cageは音楽というより文学なんだよ。と、言った人がいた。)だが、もう彼もクラシックと言ってもいいだろう。音大で教えるようになったらしいが、そうなると前衛じゃない。古典だ。ぼや~とBGM代わりに聴いて何が悪い。いや、ほんと気持ちいいのだよ。お試しあれ。70年代にこんな事言うと殺されかねなかったかもなあ。

 

24~Paul McCartney:Working Classical(mpl/1999)

ポール・マッカートニー来日記念というワケじゃないが、「ワーキング・クラシカル」を紹介。ここで「バンド・オン・ザ・ラン」や「ラム」だのを紹介する必要が無い。これまでポールは(世界中に掃いて捨てる程ポールさんはいるだろうに、「ポール」といえばこのポールさんを指す。)、スタンディング・ストーンやリヴァプール・オラトリオといったクラシカルな新作も発表して来た。が、三作目の「ワーキング・クラシカル」は、前二作とは趣が違う。三曲ほど新作が含まれるが、後はすでに発表され歌われてきた曲。ロンドン交響楽団が三曲。後は弦楽四重奏で演奏されている。だいたいポップスやロックをクラシックのオーケストラや室内アンサンブルが演奏したものは、まあろくなのがない。イージーリスニング止まりで、聴くに堪えないシロモノがほとんど。しかし、このアルバムはそんな陳腐な響きはしていない。特に「ア・リーフ」をよく聴くのだが、これとは別にピアノ・ヴァージョンがシングルCDとして出ている。いかにも、イギリス人が作りそうな音楽(私のステレオタイプかも?)だ。そりゃあベートーヴェンの9番なんかを引き合いに出されては、もちろん劣るだろう。でも、ここには現代を呼吸しているリアルさがあるのだ。だから「ワーキング・クラシカル」となる。昔には有り得ない労働者階級の作ったクラシック!(ポールは労働者階級にあらず。という本が有ったが、あほらしくて立ち読みすら止めた。)ところで、ポールは楽譜はさっぱり読めないそうなのだが(と、インタビューで言ってた。)、彼のイメージを楽譜におこす人の方が大変だろうなあ。しかし、昔読んだ武満徹の本の中で、彼が「ポールは誰それという現代音楽の作曲家について作曲を勉強してる。」とはっきり証言しているのだ。一体どっちが本当。多分武満徹の方が信憑性があるみたい。自分からは言わないもんだろう。さて?

ポールが九州場所に来て、懸賞の旗を気に入って、特別扱いで後半戦三試合に懸賞をかけた!最初にもらったのは日馬富士。そして優勝!

「a leaf」のピアノ・ヴァージョン。ロシア出身のピアニスト、Anya Alexeyevが演奏。10分くらいの曲。

23~Tschaikowsky;Symphonie Nr.6 "Pathetische" /Willem Mengelberg (Telefunken/1941)

チャイコフスキー/交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」。

指揮はヴィレム・メンゲルベルク。オーケストラは、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。録音は、1941年4月22日。

1871年生まれだから、70歳の時の録音となる。演奏は現代では考えられない音の動きをする。楽譜に忠実などという言葉は通用しない。自分に忠実な演奏というと言い過ぎか。テンポも揺れるし、弦はすすり泣くし、とにかく表現が濃い!これをヨシとすればこれ程感激する演奏はないだろう。逆にこれを認めないとなると、とんでもない演奏となるだろう。もう、唸りまくるド演歌の世界と映る人もいるには違いない。が、私はこういうのも好き。「即興性が有る。」ということも出来よう。さて、Free・Jazzファンの人、この「ヴィレム・メンゲルベルク」、どこかで聞いたような名前ではないでしょうか? そう、ミシャ・メンゲルベルク! 普通のJazzファンの人でも「エリック・ドルフィー;ラスト・デイト」は知っていますよね?えっ!?知らない?ハイ、今すぐJazzから足を洗って下さい!! このアルバムのピアニストです。ちなみにドラムはハン・ベニンクです。ミシャさんの父親がヴィレム・メンゲルベルクの甥なのだそうだ。とにかく家系は凄い音楽家ばかり。そこに毛色の変わったのが現れたワケだが、私には大歓迎。というか、だからこそ歴史に名が残せる音楽家になれたのだ。その彼のCDが出せたなんて子子孫孫への誉れとなろう。が、私には子供がいない。ひとつ問題が、ミシャさん本人から聞いたのだが、この「ヴィレム・メンゲルベルクとは関係ない。」と言われたのだ。ある演奏会場では、そこの館長があまりにも「メンゲルベルク様の血筋のお有りになる方で・・・」というものだから、演奏中に椅子をピアノの中に放り込んだらしい。そんなことが多いものだから「関係ない。」と言われたのかも。それとも血筋は本当にガセネタなのか。

どうも、本当の話らしいのだが。さて?

やはり本当に血筋なんだそうです。顔も似てるし。

 

22~Nam Jun Paik;Works 1958、1979(Sabu Rosa/1958~1979)

白南準(ペク・ナムジュン/Nam June・Paik)の1958年から1979年までの録音を収録。内3曲はたったの21秒から4分10秒のサウンド・コラージュ作品。目まぐるしく前後の脈絡もない具体音が交錯する。時代を感じるとはいえ、こう言うのが大好きだ。実際30年近く前は影響を受けて自分でも貧弱な機材で作っていたものだ。自分の場合、パイクというよりは、直接の影響は中学生の時買ったビートルズの通称ホワイトアルバムのジョンの曲「リヴォリューション#9」。今でもビートルズ・ファンの99.9999%が嫌っている曲。これと、ジョージのインド風味の曲に違和感どころか「じぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇ!」となったのが、今の私を形成している。さて、残りの2曲はピアノ演奏。まずは「Prepared Piano For Merce Cunningham」。Merce・Cunningham のダンスの為にパイクがプリペアード・ピアノで即興演奏した録音の、編集前の完全版。実際はテープ編集されたヴァージョンをダンスの時には使ったみたいだ。こういう専業ピアニストじゃない人の弾くピアノ演奏は面白い。ドン・チェリーしかり。ピアニストならこうは弾かないよなあ、といったところだ。ガゴーーン、ギョーーン、ギギーーーと書いておけば想像出来るだろう。(自分のヴァキャブラリーの欠如をこうしてゴマカス。)対して2曲目のピアノの演奏はTAKISという人(何者?)との即興演奏だが、こっちはかなり具体的なメロディーが継ぎ接ぎされて出て来る。ロマン派、バロック、どこかの民謡風&グチャグチャが、ごちゃ混ぜで続く。サウンド・コラージュを生演奏していると思ったらいい。仙台の美術館でパイクとボイスと金大煥さんの3人展が催されたことが有った。金さん宅でそのパンフレットを見せてもらったことがある。

 

21~Agnes Baltsa:Songs My Country Taught Me (Deutsche Grammophon/1985)

今にも倒産しそうな(してしまった?)国ギリシャ出身の名メゾ・ソプラノ歌手(つまりクラシックの歌手。)、アグネス・バルツァが故国ギリシャのフォークソングを歌ったアルバム。もちろんギリシャ語で。いわゆる民謡ではなくて、ミキス・テオドラキス、マノス・ハジダキスといった最近?の作曲家の作った歌を歌っている。ここで歌われている歌は、ギリシャでは猫でも知っている程ポピュラーなのだそうだ。テオドラキスは右派政権によって投獄され、彼の音楽は演奏することが禁じられたことがあった。つまり、結構骨のある歌の数々がこのアルバムには並んでいるということなのだ。これらの歌は基本的には男が歌うそうだ。バルツァは普段のクラシックの唱法は封印し、これら骨太フォークに挑戦。躍動感あふれ力強い歌唱はさすが!ただの企画物ではなく、これらの歌に強い共感を持つことによって出て来た本音の歌。伴奏も素晴らしい。大好きなブズーキが鳴っているだけで気持ち良い。ブズーキの祖先のようなトルコのサズ、もっと西に行ってポルトガルのギターなんかの音が好きなもんで、こんな乾いた明るい音が聴こえるだけで楽しくなる。長年聴きまくって来た本当の愛聴盤。だから、これを聴きながらこの文章を書いていない。なぜかJohn・Cageのピアノ曲が今流れている。現代音楽はもうBGM、イージーリスニング。

 

20~Lacy,Togashi,Satoh:Apices (Studio Songs/2000)

2000年10月15日、埼玉県深谷のエッグファーム(Space Whoといえば分かる人もいるだろう。)で行われた、Steve Lacy,富樫雅彦、佐藤允彦のトリオ・ライヴ。防府じゃ絶対不可能なライヴが可能なSpace Whoさんが羨ましかった。深谷と言ったって池袋から30分も電車に揺られていれば着くんじゃなかったっけ?こっちは、一日がかり。交通費、宿代、ギャラ&メシを三人分(富樫さんの場合+2人分?)払った日には、もうホール・コンサートじゃなきゃペイ出来ない。それで客20人じゃ、俺は一体どうなるの?というお話。さて、このCDは、佐藤さんが録音し保管しているファン涎ものの音源を次々と公開販売しようじゃないかという企画の第5弾! 三人は1975年のレイシー初来日からの交流。特に富樫さんは、ライヴやアルバム作りと長く深い交流を持たれていた。一曲目のモンクの「エピストロフィー」以外は、レイシーと富樫さんの曲が演奏されている。変幻自在に美しい音達が空間を飛び回る。うるさいばかりがフリーじゃない。「Blinks」は、この中では最も激しい音が発せられるが、それでも彼らの演奏には余裕が感じられる。断崖絶壁の瀬戸際ばかりがフリーじゃない。この録音後レイシーも富樫さんも亡くなり、もう絶対聴く事の出来ない演奏だ。皆さん心してこれらの音と対峙すべし。佐藤さんは、長いキャリアを誇る大ベテラン。さぞかし驚きの未発表録音を所有されているはず。我が家にも、その一部をコピーしていただいている。こんなのじゃ物足りません。どんどん「秘蔵音源シリ-ズ」を続けて下さい!

 

19~Hamza El Din:Escalay (Nonesuch/1970)

ハムザ・アラーウッディーン(エル・ディーンとかウッディーンとも呼ばれているが、アラビア語だとアラーウッディーンが正しい。)は、1929年にスーダンのワディー・ハルファ郊外で生まれた。言語はヌビア語。故郷はアスワン=ハイ・ダムの底に沈んだ。カイロでウードを習得後は、ローマに渡りクラシック・ギターを学んだ。その後は、アメリカで演奏活動や大学でのウードとスーダンの音楽の教鞭をとった。その彼が1981年に琵琶の研究で来日し、TVに出たりコンサートも行ったりと、日本人にヌビアの音楽文化に接する機会を与えてくれた。当時キングレコードの民族音楽のシリーズのLPがたくさん出ていて、その中にハムザのLPも有って、本当によく聴いていた。このCDはNonesuchから出た70年のワシントン大学での録音。「エスカレー(水車)」、「ファカルーニー・昔の想いが甦る」、「タールの歌」の三曲。「エスカレー」は21分30秒という長尺のウードと歌による曲。水車番をするヌビアの少年の一日を描いている。「ファカルーニー」はエジプトの美空ひばり?ウム・カルスームの持ち歌を編曲したもの。「タールの歌」はでは曲名通りウードではなくてタールという大きな枠の片面太鼓を叩きながら歌った曲。ハムザの声は温かく、少し擦れたところがいい。彼の演奏と歌は民族音楽とは言えないだろう。少なくとも伝統音楽ではない。新しく作った歌でもあるし曲でもある。しかし、ダムの底に沈んだ故郷の文化を世界に伝えるという使命を果たすには十分機能している。東京にいた頃、一度コンサートに行くことが出来た。人柄も大変良さそうだった。世界中どこでも招かれるはずだ。日本で制作されたアルバムも多い。

18~Kokoo:Moon (マクセル・イーキューブ/2001)

「Kokoo」は、尺八と2人の筝のトリオ。この邦楽器3人が、この楽器編成からは想像出来ない音楽を奏でる。ビート、リズム、即興もアリ。メンバーは尺八が中村明一、筝が八木美知依、磯貝真紀の二人。元々中村さんは随分前から何でもアリの尺八奏者だった。日本全国の本曲を掘り起し、それをステージで披露し、録音してCDをリリースするという、尺八の本道を歩む傍ら、斉藤徹さん達と即興もし、ジョン・マクラフリンとJAZZもやり、現代音楽等々と、八面六臂の大活躍。「密息」と題した本も凄く売れたと聞く。「笑っていいとも」にも出られたそうだ。八木さんはブロッツマンと即興するほど過激な人。そんな3人が、ここでは歌も歌っている。それも、山頭火の句に曲を付けて歌って演奏した曲「close your eyes」だ。かなりこぶしをきかせた邦楽の人らしい歌になっている。だが、演奏そのものはこのジャケットデザインのように、モダーンな音。3曲入りのミニアルバム。このCDの存在を知った時は、すでに売り切れだった。後年Amazonで定価より高い額で買ったら、ジャケットが水没したらしく、ヨレヨレだった。山頭火の地元、防府市民は一家に一枚!

 

17~EllenFullman:BodyMusic(ExperimentalIntermediaFoundation /1992)

Ellen Fullman/エレン・フルマンは1957年メンフィス生まれの女性の作曲家。彼女の音楽的キャリアは、エルヴィス・プレスリーが1歳だった彼女の手にキスをしたことから始まった。元々は彫刻を学んでいたらしい。それが功を奏して誠にユニークな発想で音楽を作ることになったのだろう。80年に、ミネアポリスで開催された「ニューミュージック・アメリカ」で、メタル・スカート・サウンド・スカルプチャーを着た「Streetwalker」というパフォーマンスを行った。そのすぐ後から、「Long String Instrument」と呼んでいる自作の「楽器」を開発して行った。これが広い部屋全体を使う必要のあるもので、長~い金属弦を部屋中に張り巡らし、これを純正律に調弦する。奏者は指や恐らく手の平も使って、弦を擦って音を出す。曲によっては弦を弾いてもいるが、このCDだと、それは一部分のようだ。Scott LehmanDaniele Massie,Jane Botkin,Metis Policanoとフルマンが、2人、3人、4人と曲毎に入れ替わって、広域、中域、低域に分かれて演奏している。1分31秒という短い曲もあるが、4人が演奏する「Work For 4(1987)は20分の曲。聴き応えアリ。Long String Instrumentの演奏風景は、YouTubeで見ることが出来る。豊かな倍音が響き渡るドローンが聴いていて心地よい。生で聴いたらさぞかし夢心地かも。(寝てはいかん!)

 

16~トルコの伝統音楽~ヒルミ・リットのカヌーン

「トルコの民族音楽」となっているが、楽器のカヌーン自体はアラブ音楽ではどこでも使われているポピュラーな楽器。だが、日本人で本物を見たり聴いたりした人は数少ないのでは? カヌーンはヨーロッパのチターみたいな楽器だが、決まった曲を演奏するわけじゃない。マカームを使ったタクシーム。つまりインド音楽のようにある音列を使った即興演奏。楽器の構造ももっと複雑に出来ている。同律に調弦された三本の弦が26コース、つまり78本も張られている。以前はガットだったそうだが、今はナイロンらしい。演奏は、筝のように弦をはじく。調弦をするだけで日が暮れそう。初心者だと、調弦が終わった頃には、最初に調律した弦はもう緩んでるのでは? アラブの音楽は、微分音程は当たり前。カヌーンは、演奏中に九分の一に音程を変えられるペグが付いていると聞いたことがある。このLPはもう30年以上前に買って、何度聴いたことか。というか、他にカヌーンの独奏の録音を知らない。合奏や歌伴なら結構あるんだが。華麗でありキレの有る音の連なりは、何度聴いても気持ちいい。乞うCD化!

 

15~Mark Charig:Pipedream (Ogun/1997)

マーク・チャリグ(と読むのか?)は、1944年生まれのイギリス人コルネット奏者。これは、多分彼唯一のリーダー・アルバムのはずだ。この「唯一」というのが不思議でしょうがない。エルトン・ディーン、キース・ティペットらのアルバムで多数聴ける他、ロック・ファンなら御存知キング・クリムゾン、ソフト・マシーンでも彼の演奏を聴くことが出来る。ロックファンの方がはるかに多いと考えると、JAZZ・ファンよりもロック・ファンの方がチャリグの演奏を耳にする機会は多いと言える。まあ、そんなにコルネットの音に注目するロック・ファンて少ないだろうけど。元々R&B畑から出て来た人なんだが、それが「嘘だろう?」と思わせる程彼のコルネットの音色は澄み切った美しい音だ。ヨーロッパらしい音と言える。ドン・チェリーやレオさんのようなノイズ成分の多い個性的な音ではない。このアルバムは、各種キーボードを操るキース・ティペットと、ヴォイスのアン・ウィンターとのトリオ演奏を収録。アメリカの黒人さんや日本人には絶対出せないであろう音の響きは、彼等ならではのもの。ピーンと張り詰めた空気感が漂う。地味な人の地味なアルバムだが、知らないと絶対損をするぞ。

 

14~アフガニスタン民族音楽大系

これは、アフガニスタンがタリバンや他の外国勢力に国土をメチャクチャにされる前に、各地で収録された民族音楽を収めたLP五枚組の大作。藤井知昭氏と日本コロンビアによる大仕事だ。イスラムの国らしくアザーンの詠唱から始まる。パシュトゥーン族、タジック族、ハザラ族達の音楽や、カンダハル、ファイザバード、マザリシャリフといった町の色々な音楽家達の演奏だけではなくて、大道芸人による演奏まで様々な音楽が聴ける。今となっては、存在すらしていないかもしれない音楽も多いだろう。これは単なる民族音楽のLPのセットというだけではない。世界遺産といってもいいのではないだろうか。私は、タンブールという弦楽器の演奏をこれまで何度聴いてきたことか。豪華なブックレットも含めて、ぜひCD化してもらいたい。

 

13~姜泰煥:素來花~Sorefa (Audioguy Records/2011)

2011年、姜泰煥が67歳にして録音した、アルトサックスの独奏による二枚組のCD。その年齢と二枚組というヴォリュームに驚く。しかし、それよりもここで演奏されている音楽の深さに驚かされるだろう。「集大成」とは書かない。それでは、ここで終わってしまうから。まだまだこの先が待っている。とはいうものの、これまでリリースされた姜泰煥のアルバムの中では、屈指の内容なのは間違いない。なんだかんだ言っても、姜泰煥はソロに限る!と、極論と言うか本音を吐いてしまう。実際、どんなセッティングで誰と共演しようと、彼は変わらない。変わらないどころか、彼の個性だけが突出して際立って聴こえて来る。それだけ個性が強いのだ。一音「ブオーッ」と鳴っただけで、姜泰煥の世界に全体が染め上げられてしまうのだ。と、なると誰とでもの共演は、意味を成し得ないかもしれない。あるミュージシャンは、「姜さんとやると、こっちが合わせるしかない。」と言っていた。また、ある人は、トン・クラミで共演している佐藤允彦をして「姜さんと共演出来るピアニストって世界中探したって佐藤さんくらいなものだ。それだけ佐藤さんが凄いってこと。」とも。インプロヴァイザーとしては、誰とでも共演出来ないのは、失格なのかもしれない。だが、それがどうした。それ以上の確固たる自分の世界を持っているのだ。 「姜泰煥」と言うひとつのジャンルと言ってもいいくらいだ。姜泰煥のソロを聴いてると、ジャズだ、フリー・ミュージックだ、インプロだ、古いだ、新しいだ、そんなことはどうでもよくなる。姜泰煥の創る音楽は、人類が創造してきた芸術の中でも、最高峰に位置するものだ。彼と同時代に同じ空気を吸えることに、感謝しなければいけない。このCDを制作してくれた朴在千に大感謝!カムサハムニダ! 音質もすこぶる良い。

 

 

このCDのプロデューサーの朴在千(Park Je Chun)さん。

打楽器奏者としても素晴らしい人。ピアニストの奥さんMiyonさんと、現在の姜泰煥さんのトリオのメンバー。

12~コルシカ島の民謡

これは、マギー・ザンニという歌手の歌う地中海に浮かぶフランス領の島、コルシカ島に伝わる民謡が聴けるアルバム。民謡とはいっても「ソレンツァーラ」も聴ける現代的なアレンジも施されたもので、厳密には民族音楽とは言い難い。しかし、そんなことは聴いてるうちに関係なくなる。フランス領とはいえ地中海に浮かび、長年に渡って異民族の支配を受け続けてきた歴史を持つ島だ。地中海のイメージから明るい歌だと思われるかもしれないが、違うのだ。

抵抗に明け暮れた歴史を持つ人々の歌は力強いものだ。マギー・ザンニの声は独特の力強さと、明るさの両方を併せ持つ。活き活きとした生命力の溢れた歌声から嘆きの声まで、まさにこれぞアメイジング・ヴォイス! 頼む。これをCD化してくれー!

 

11~宮田まゆみ&高田みどり:星雲~Nebula (Sony/1987)

雅楽で使われる笙は、近頃では、東儀秀樹の出現によって、一般人にも大分身近な楽器になってきていると思う。東儀よりもずっと前に笙の存在感のUPに貢献したのが宮田まゆみだ。80年代彗星のごとく現れた感じだった。いつも真っ白な衣装を着て、凛とした佇まいから鳴り響く笙の音色にクラクラしたものだった。古典のみならずCage達の現代曲も積極的だったのも嬉しかった。このCDは、同じく彗星のごとく現れた感じがしたパーカッションの高田みどりさん(こちらは、知り合いなので「さん」付け)とのDUOアルバム。これを聴いているといつも頭の中はコズミックフロント状態になる。宇宙ものの番組の音楽は、ほとんどが電子音を使っているけれど、よっぽどこのアルバムの音楽の方が、たった二人の演奏なれど、宇宙の広がりが感じられるというものだ。これは、リリース後すぐに廃盤状態になり今では入手困難かもしれないが、しつこく探す価値の有るCDだ。それよりも、再発してくれないものかなー。

 

10~Kakraba Robi&高田みどり:African Percussin Meeting (Sony/1989)

1983年に、ガーナからカクラバ・ロビがやって来た。確かその後も何度も来日されていたはずだ。NHKなんかでもよく出ていたと記憶している。池袋の西武デパートで、ロビの制作と書かれた「コギリ」が売っていたりもしていたくらい人気もあった。あの頃の西武デパートは、ビルマの竪琴まで売っていたんだぞ! で、このアルバムだけど、アフリカの達人と、近頃の表現だと「なでしこ打楽器奏者!?」高田みどりが共演となるだろうか。高田さんは、バリバリのゲンダイオンガクの打楽器奏者ってことになるんだろうが、実は許容入力の果てしなく大きく広い人なのだ。「あんた前世はアフリカ人だったのか?」の出来る人。ロビ相手に、何の違和感もない音空間を作り出している。これまた入手困難だが、寝る間も惜しんで探すべし。いや、再発しろ!

 

9~Jose Carreras:Sings Catalan Songs (Sony/1991)

ホセ・カレーラス(カタルーニャ語だと、ホセがジュゼップになる)が故郷カタルーニャに伝わる民謡や、この地方で活躍していた有名無名の作曲家による歌曲、そしてモンポウ、トルドラの歌曲を歌ったアルバム。面白いのは、何故かノルウェーのグリーグの「T'estimo」をカタルーニャ語で歌っているのだ。多分この歌が、この地方で大変好まれて歌い続けられていたのだろう。歌に限らず、音楽は他所の地域に入り込んで生き残るなんてことは、どこにでも見られる現象だ。その地域のオリジナルと思っていたら、実は遥か離れた所から昔伝わったなんてことも多いので、偏狭なナショナリズムなんて、バカバカしいことなんだ。意外と思わぬところで文化はリンクしているものなのだ。御託はさておき、カレーラスの歌声のなんて美しきことか。まるで、バルサのサッカーみたいだ。って、これを書きたかったんだろうという指摘は当たっています。それはともかく、やっぱ「鳥の歌」はいい歌だなあ。

 

8~川崎燎:Prism (EAST WIND/1975)

高校の二年生の時だったと思うが、なんと防府にギル・エヴァンス・オーケストラがやって来たのだ。すっ飛んで防府市公会堂に行った。席は、C席。とにかく一番後ろの安い席だ。しかし、会場はガラガラだったのだ。真ん中あたりにオケのメンバーの家族と思わしき集団がいたが、聴衆という者はホントパラパラだった。律儀に後ろに座ってるのもバカバカしくなって、一番よく見える真ん中あたりに移動した。この頃は、まだJAZZを聴き始めてさほど経っていなかったので、ギル・エヴァンスがいか程の者か、あんまり分かっちゃいなかったと思う。しかし、そんなボンクラ学生でも、演奏には驚かされた。ジョージ・アダムス、ボブ・スチュワートなんかが過激なソロをぶちかましていた。そんな中見知らぬ日本人とおぼしき長身、長髪のギタリストが、大きな体を激しく動かしながら凄いソロを取っていた。コンサートが終わっても興奮しっぱなしだった。翌日学校に行っても興奮冷めやらずで、音楽好きの連中を捕まえては、「スゲーギターを聴いたでよ!」とまくし立てていた。そこはガキらしく、「ジミー・ペイジがナンボのもんじゃい!」てなことを言っていたはず。その時出ていたギルのLPは「There Comes A Time」だった。川崎燎が、これ。「Prism」だ。当時は、まだクロスオーヴァーと言っていたはず。今はフュージョンと呼んでいるが、ここで聴ける音楽は、これから想像できるフワフワしたシロモノじゃ全く無い。リズムこそフォービートじゃないが、結構HOTな演奏だ。8曲中3曲の短いブリッジが挿入されるが、これがどれも傑作。結構過激な音なのだ。

 

7~川崎燎:Eight Mile Road (EAST WIND/1976)

「プリズム」に次ぐ、イースト・ウィンド第二弾。こちらはサックスのサム・モリスンが入っている。結構ブイブイ吹き倒している。サム・モリスンは、後にマイルス・バンドに加入したはずだ。川崎は、作曲もすぐれていて、カッコイイ曲を作る。このアルバムは、高校の連中にも結構人気で、何人も持っていた。音質も良いので、数曲カットした高音質盤も出た。それも買っていばってたヤローもいたなあ。それだけ当時は人気があったのだろう。この後、日本人で初めてRCAというメジャーからアルバムを出した。「ジュース」というアルバム。

 

6~渡辺貞夫;マイ・ディア・ライフ (Flying Disc/1977)

これが出たのは高校生の時だった。毎週土曜日の夜、FM福岡(防府じゃ、どうにか聴くことが出来た)で、渡辺貞夫の「マイ・ディア・ライフ」をやっていた。この後が、油井正一の「アスペクト・イン・ジャズ」だった。この曲は番組のテーマ曲だった。この番組の凄いところは、全て生演奏だったのだ。けっしてレコードを流したのじゃなかったのだ。その頃は、青木誠の「ゴールデン・ライヴ・ステージ」という、これまたライヴだけの番組もあった。これなんか、グローブ・ユニティー・オーケストラの放送をしたのだぞ! さて、このレコード、実はシングル盤なのだ。そうEPです。問題はB面! 「マライカ」というアフリカ民謡を演奏しているのだが、なんとなんとナベサダさんが歌をご披露しているという珍盤なんですねー、コレが。けっして上手いとはいえないが、ちゃんとスワヒリ語で歌ってるのが健闘賞もの。今では、「マイ・ディア・ライフ」はCD化されているけれど、さすがこの「マライカ」はボーナス・トラックとしても入っていなかった。このEPでしか聴けません。

 

5~The Beatles:Anthology 3 (EMI)

「何故ここにビートルズが?」と思われた方、実は俺ビートル・マニアなのでした。文句あっか! ビートルズこそ、俺の基本なのだ。生まれて初めて買ったレコードは、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ/ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のEP盤。それも、ディスクが赤く透明なやつ。誰かに貸して返ってこなかったとみえて、手元にはとっくに無い。どついたりしないから、正直に返しなさい! 「アンソロジー」シリ-ズはCD3セットとDVD・BOXだった。CDなんて今じゃAmazonなんかで叩き売り状態だ。ようするに、これを売ったヤツは、買う、聴く順番を間違えているのだよ。オリジナルを充分聴きこんだ後に手を出すべきだったってこと。俺なんか1958年に録音された、クオリーメンのたった一枚だけ存在するレコードが聴けるというだけで、発狂モノだった。さてと、何故「アンソロジー3」かというと、ここに入ってる「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」がいいのだ。マスター・テイクより好きかも。勢いがある。しかし、これをあの「ホワイト・アルバム」に入れてしまったら、全体のバランスが崩れるように思う。あそこには、あのテイクこそ入るべきだってことは、当たり前田のクラッカー。

 

4~長安の夢~中国の琵琶 (キングレコード・/1981)

中国の琵琶は「ピパ」と発音する。ここで演奏している女性は何樹鳳(He Shu-Feng)さん。中国の琵琶は、日本のと比べると、そうとう違う。フレットの数は30くらい有るし、撥で弾くのじゃなくて、五本の指にプラスティックやセルロイドの爪をテープでくっ付ける。まるでフラメンコ・ギターのごとく指が目まぐるしく動く。ギターと違うのがトレモロなどの弾き方。親指、人差し指、中指、薬指、小指の順に動かす。中国は長い伝統を持つ。伝統楽器もたくさん今に続いて使われている。日本と違うのは、日本は昔から伝わることは形を変えず伝えようとするけれど、中国人はそこらへんは頓着せずに、時代時代に変化発展することをいとはない。琵琶も以前はフレットも少なく、撥で弾いていたらしい。さてさて、この何樹鳳さんの演奏を、防府で聴いているのだ。まだ小泉文夫さんが存命の頃「シルクロード音楽の旅」というコンサートを各地でやられていたことがあった。これが、防府にもやって来たのだった。もう、すっ飛んで行った。ラオスのケーン、中国の筝、イランのウード等々、実際に見ることも聴くことも難しい楽器が次々とステージに出てきた。そんな中、何樹鳳さんの弾く琵琶の演奏にみんな度肝を抜かれたのだった。その時演奏された曲が「十面埋伏」だ。演奏が終わるや否や、客席がどよめいた。それはこのCDの一曲目に入っている。聴けば分かる。

 

3~井上敬三:Keizo Inoue In Moers '81 (Trio/1981)

私が学生の頃、東京では、「じじいがサックスを逆さまに持って、フリーを演奏するらしいぞ。」と、噂がたった。ケイゾー先生(と、呼ばせていただきます。)は1922年生まれだから、私達が噂をしていた頃は、57歳頃だったのかなあ。今ではとてもジジイ呼ばわりは出来ない歳だ。だいたい現在の私自身の歳でもあるが・・。でも、あの頃は凄く歳に感じていたものだった。その後は何度かPIT・INNなんかでライヴを見ている。凄いパワーだった。その頃のケイゾー先生と同年齢の私は青息吐息なんだから(大袈裟でした。)、この歳になってみて、先生の元気の良さ、というよりも感覚の若々しさには恐れ入ります。その元気なチャンジー(と、ジャズ界隈では呼びます)、ケイゾー先生が、単身FREE MUSICのメッカ、メールス・フェスティヴァルに乗り込んだ記録が、このアルバム。当時バリバリの前衛のギュンター・クリストマンとパウル・ローフェンスとのトリオ演奏と、ケイゾー先生のソロ演奏が収められている。思わず「オ~ッ!」と叫んでしまいそうになる瞬間が有る。日本フリー・ミュージック史に残る名盤なのだ。先生に会った時は、まだCD化されていなかった。「あれ、CD化したいものですねー。」と話したら、「LP用に選曲しなければいけなかったんだけど、もうヘトヘトに疲れていたんで、ソロは適当に選んだんですわー。」だって! 私が持ってるCDは二枚組で、選ぶのが面倒くさかったというソロ演奏が全部入ってるお得盤。メールスでのライヴの様子を聞いたときの答は、「大いにウケまくって、アンコールに次ぐアンコールで、とうとうネタが切れたんで、前のプールに飛び込みましたわー。」でした!もっともっと長生きして演奏してもらいたかった。

 

 

2~池田芳夫:Fragrance (Fragrance Offfice/?)

カフェ・アモレスのライヴはフリーばかりと思っていた人が多かったみたいだけど、JAZZのライヴも、数は少ないながらもやっていた。JAZZの場合どうしてもトリオ以上になるし、ドラムも入って結構音がでかくなる。店は住宅街の真ん中にあったので、JAZZのライヴは無理があったことも、やらなかった理由のひとつ。JAZZの演奏って、ずっと音量的にはピークが続くが、フリーの場合は、聴かない人には意外かもしれないけれど、結構静かな時も多いのだ。もう一つは、JAZZの連中は俺がやらなくたって他にやってくれる所が多い。しかし、フリーの連中は俺がやらなかったら東京以西どこにもなかったなんてことも多かったのだ。こっちも月に一度、せいぜい二度が限度(お客さんは、二度は小遣いが足りなくなると言っていたなあ。)、正直二度赤字を食ったら死にそうになる。そうなると、JAZZの人は、「すみません。できません。」となるわけだった。そんな中池田芳夫さんと岡本広さんのライヴはぜひやりたかった。ずっと池田さんの大ファンだったのだ。池田さんのベースの音も、彼の書く曲も好きだった。(実際にお会いすると、その人柄もすぐれた人だった。)それに、ギターとのデュオならアモレスでもいけると思った。ギターの岡本さんは、この時初めて聴いたけれど、池田さんもそうなのだけれど、ファンキーさ加減がちょうどいいのだ。JAZZって、やっぱり黒人の匂いって必要だと思う。近頃スイングしないヨーロッパのJAZZがウケているみたいだけれど、嫌いじゃないが、すぐ飽きる。ヨーロッパはやっぱフリーだぜ! それはともかく、このアルバムは池田さんの自主制作盤第一号。とにかくいいのだ。いいけど、まだ手に入るのかは不明。池田さん、どうなんでしょうか?

ライヴの様子。

1~Duke Ellington&Johnny Hodges (Storyville/1962&64)

これは、初めて買ったJAZZのLPだ。なぜこれを選んだのかは覚えていない。JAZZを聴くようになるずっと前の小学生の頃から、なぜかデューク・エリントンとルイ・アームストロングの名前は知っていた。具体的にどんな音楽なのやら知らずとも知っていた。これが、この二人の凄いところだ。マイルスだって、JAZZに興味を持ったからこそ知りえた程度だ。そんなわけで、このLPが原点になっている。もう、何度聴いてきたことか。JAZZにくわしくなった今だと、彼らの晩年の演奏だとか、色々と付帯物が纏わり付いた聴き方になるが、これを聴く時はな~んも考えずにただ楽しんでいる。裏話的にはこれは結構コレクター向きなアルバムなのだ。エリントンの7曲の録音は、その昔日本では、GOOD・YEAR系のタイヤ販売店のPR用レコードとして配布されたのが最初だったらしい。4曲のジョニー・ホッジスの方は、1964年にレオナード・フェザーが本とレコードからなる「レヴォリューション・オブ・ジャズ」を出版するときに、添付するレコード用に録音されたものだった。今では、エリントンの方は、曲数も増えてSTORYVILLEからCDで出ている。曲順がこのLPと全く違うので、聴いていて違和感を感じる。

こちらはCD。ジョニー・ホッジスの4曲は入っていない。1966年フランスで録音されたエリントンのソロ・ピアノが二曲収録された。2曲といっても、11分35秒のメドレーと、8分26秒の「New・World・A-Comin’」という、これだけで食べた気分になれそうなシロモノ。ところで、ジョニー・ホッジスの4曲はどこに行っちまったんだろうねー?知ってる人がいたら教えて下さい。

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