Christina Kubisch/クリスティーナ・クービッシュは、1948年ドイツ、ブレーメン生まれの70年代から活躍するサウンド・アーティストの先駆者の一人。67年からシュツットガルトで絵画を学ぶ。続いてフルート、ピアノを(ジャズも)学んでいる。後に電子工学も修めている。70年代初頭からコンサート、パフォーマンスを始める。ホースから噴射した水をスティール・ドラムに当てて演奏したり、グローブをはめたり、ガス・マスクを被ってフルートを演奏したりと伝統的奏法からの逸脱を図った作品を発表。だが、80年代には「自分が観客から注目を集めるような状況でのパフォーマンスに耐えられなくなった。」と、ステージ上のパフォーマンスを客が見るだけのような作品からは離れて行った。客が能動的に関わって音響を変化させたり出来る音空間を創造するような方向に向いていった。ミラノで電子工学を学ぶ時に知った磁気誘導が、クービッシュの作品を作る事に重要な役割を占めて来るようになる。多くの磁気誘導ケーブルを使ったサウンド・インスタレーションを制作している。彼女の代表的な作品に「エレクトリカル・ウォークス」がある。改造した無線ヘッドフォンを装着すると、断続的なノイズを聴く事になる。歩いて位置を変えると音も変わる。聴こえて来ている音は、今いる場所で発生している電磁波が音響化されたものだ。このヘッドフォンは、電磁波を音に変換するように作られている。これを装着して街を歩けば、電磁波を変換した音と共に街の騒音も一緒に聴く事になる。彼女は、また音と光を用いたインスタレーションも多い。このアルバムは、「スピーカー・フィールド」シリーズのひとつ「Diapason」で、スピーカーに蛍光塗料を塗り床に配置。そこに15個の医療用の音叉(64~2048hz)で作られた音を流す。低音の倍音が美しく響く。高音はコンと短く音を立てる。水琴窟を聴いている錯覚を起こす。
スタンリー・カウエルは、1941年オハイオ州トレド生まれのピアニスト。アート・テイタムと同郷になるが、テイタムは、カウエルの家に来ては何時間もピアノを弾いていたそうだ。それを間近で聴いていたとは羨ましい限り。勿論カウエルのフェイヴァリット・ピアニストにはマッコイ・タイナーやセシル・テイラーと並んでアート・テイタムも入っている。69年マックス・ローチ・グループでの同僚チャールズ・トリヴァー(tp)と「ミュージック・インク」を結成。そして、白人の支配するレコード業界から距離を置いて、黒人ミュージシャン自身によってプロデュースされ、演奏され、運営される組織「ストラタ・イースト」を立ち上げた。これは当時画期的な出来事だった。本作「りジェネレイション」は、そんなアフロアメリカンの意識、心情、情熱を凝縮した内容になっている。カウエル(p,syn,kora,mbira..)の他、エド・ブラックウェル(perc)、マリオン・ブラウン(fife,wooden fl),ビリー・ヒギンズ(gembhre,snare ds..)、ジョン・スタブルフィールド(zurna)等々曲によってメンバーを変えながら、アフリカ(ここでは西アフリカ~モロッコのグナウの影響大)~アメリカ南部のブルース~ソウル・ミュージックとアフロアメリカンの音楽の流れをたどっている。多くのミュージシャンが参加しているが、自分の専門の楽器よりも、アフリカ由来の楽器を主に演奏している。当時のアフリカ回帰運動に呼応した音楽の代表作。
これは、Incus CD62としてリリースされたデレク・ベイリーの1983年ウィスコンシン州ミルウォーキーでのソロ・コンサートを収録したCD。元々は、83年のベイリーの日本ツアーで販売するために作られたカセット・テープだった。私は池袋のStudio 200でベイリーを聴いているが、それが83年だったのかどうかも、そこでカセットテープを買ったのかも思い出せないでいるが、とにかくこれは持っていた。ベイリーのLP、CD含めて最も多く聴いたのがこれだった。カセットテープの品質が良いとは言えず、CD-Rにコピーして聴いていた時期もある。それが、INCUSでCDとしてリリースされたのは有難い。ジャケットそのものがジョージ E.ルイスのライナーノート言ったカヴァーアートも面白い。何より演奏が秀逸。さて、こう言った即興演奏をして、何のどこがいいのか? 他と違うところはどこなのか、何が違うのか? 私個人の聴感上の好みに由来するものなのだろうが・・。約55分の演奏だが、音楽が停滞したり、中だるみも無い。スムーズに流れて行く。ランダムに音が紡がれて行くのだが、全体として見ればひとつの河の流れとなっている。そこが、ケージらの偶然性や不確定性とは違うところだ。即興はいかにアナーキーになろうとも、演奏者の意識が強く演奏に介在する。その時々の体調や気分が演奏の善し悪しに大きく作用する。体調、気分がいいから演奏がいいとも限らないところも面白いのだが。さて、やっぱりこの演奏が他のと比べどこがどう良いのかの問に戻る事になる。私にはいまだ回答不能。少なくとも他よりたくさん聴く事が多かったのはたしか。オリジナルのテープが見つからない。CDが出たので廃棄してしまったか・・?
1962年春、ニューヨークで結成されたヴォーカル・グループ。その名も「The Group」。自信満々のネーミングと言える。アン・ゲイブル、ラリー・ベンソン、トム・カンプマンの三人からなるコーラスグループで、これは彼ら唯一のアルバム。三人とも、ホテルやナイトクラブで歌ったり、ブロードウェイ・ミュージカルの端役で出たり、TVショウに出演をしたりしていた。全くの無名と言って良い三人なのだが、内容はすこぶる良い。良いどころかジャズ・ヴォーカル・アルバムとしても屈指の傑作と言えるのではなかろうか。アルバムは、エリントンナンバー「スイングしなけりゃ意味がない」から始まる。彼らの技巧派としての姿を、しょっぱなから披露だ。続いては「バット・ビューティフル」で洗練された叙情性も備わっている事を知らしめる。スキャットよし、ノリよし、グルーヴよしと、非の打ち所が無いくらいの内容なのだが、内容とセールスが結びつかなかったのか、彼らはこれ一枚で終わってしまった。63年末には解散してしまい、またそれぞれがTV番組のバックコーラスに埋没して行った。これもアメリカのショービジネスの厳しさか。尚、アレンジは、ドン・セベスキーで、ゴージャスな編曲でこれも素晴らしい・・のだが、これ一枚とは、セベスキーも思わなんだろうなあ。
新井英一(本名、パク・ヨンイル)は、1950年生まれのシンガーソングライター。父親が韓国清河(チョンハ)出身の韓国人で、自らをコリアンジャパニーズと称す。71年21歳の時渡米。この時乗ったブラジル丸には、豊住芳三郎も乗っていた。横浜で、35年ぶりくらいに再開し、共演をしたそうだ。渡米後放浪の旅をする間に歌手を志した。帰国後、内田裕也に見出され、29歳の時「馬耳東風」でデヴュー。86年父親の故郷清河を訪れた。95年、清河への訪問とそれまでの自己の半生を綴った「清河への道~48番」をリリース。TBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」のエンディングテーマに選ばれたり、レコード大賞・アルバム大賞に選ばれる等の大きな反響があった。48篇に及ぶ歌によるロードムービーをみるかのような内容だ。歌詞は詩篇とも言えるし、48篇連ねられた日記とも言える。同じメロディーが48回繰り返されるが、詩と彼の声の強さ、そして伴奏のアレンジの面白さ、ユニークさで飽きることはない。いわゆるサムルノリの演奏や、カヤグム併唱、板倉克行のピアノ、村上二郎の篠笛が彼の歌の周りに彩を与える。一人の男の生き様をあからさまに表現したピュアな歌は、聞き手の心に強く訴えかけて来る。
能の囃子方は、小鼓方、大鼓方、太鼓方、笛方の四人が揃って合わせて「四拍子」(しびょうし)と呼ばれる。これに謡と仕舞が加わり能の舞台が整う。大倉は、大鼓一つで独奏を始めた。小鼓と大鼓とが合わさって陰と陽をなすのだが、それを一人で表現しようとした。挿花家・栗崎昇から花を生け込む一時間の間に一人で大鼓を打って欲しいとの依頼があり、それを受けたことがこのスタイルの始まりだった。相当な肉体的な苦痛も伴った苦行とも言える修練を重ねた結果が今に繋がっている。今では大鼓一つを持って、世界中を周り他流試合を行っている。その記録のひとつがこのアルバムだ。2003年ホールを使っての高品質な録音が、大鼓と声を理想的な形で捉えている。大鼓でも、独奏曲はほんの少しながら存在する。ここでは、「物着」(道成寺に挿入されている)他全3曲の独奏が演奏されている。そして、イギリスのパーカッション・アンサンブル「バックビート・パーカッション・カルテット」との共演が2曲。イギリスのヨークに日本音楽センターを開設した程の日本通の作曲家、ロジャー・マーシュの曲を演奏している。西洋の打楽器アンサンブルと大鼓のブレンドが無理なく行われ、大鼓が違和感なく溶け込んでいる。邦楽をよく知る作曲家ならでは。他4曲は、モンゴルのグループ「アジナイホール」との共演。このグループから2人の馬頭琴・モリン・ホール奏者が参加している。馬の毛で作られた弦を用いた楽器と、馬の皮を用いた楽器通しの共演となっている。大鼓の乾いた打音とモリンホールの相性も良いが、大倉の発する声が、能楽を越えて、モンゴルの草原を飛び交うような様が心地よい。伝統の世界に足をしっかりとつけながらも、外の世界に飛び出し、尚且つ世界に一人しかいないスタイルを創造した大倉の存在は、後発の若い邦楽の演奏家には大きな勇気を与えた。
私を知る者が、ここに三枝成彰を出して来る事に疑問符が沸くかもしれない。正直、苦手です。しかし、「太鼓協奏曲:太鼓について」は紹介しないと。これは、早稲田大学交響楽団の「2000年ドイツ演奏旅行」の為、三枝に委嘱され出来上がった作品。林英哲の太鼓を使った協奏曲仕立ての曲。和太鼓と西洋オーケストラの組み合わせは、シロートが考える以上に作曲するのが難しい。音量、音質共にバランスが非常に取りにくいのだ。「和太鼓の持つ激しさと西洋音楽の美しいメロディーを両立させて欲しい。」との依頼だった。メロディーよりも、曲全体の姿かたちをどうするかに作曲者は腐心した。そこで出した結論は、謡曲風の語りを取り入れるだった。島田雅彦が語り部分を書いた。初演時には狂言師の野村万之丞が語ったが、この録音(ライヴ)では大倉正之助が語り、大鼓を打つ。この台本が良い。太鼓の成り立ちから現代までの太鼓と人間の関係を語る。大倉の語りにも迫力がある。そこに和太鼓が絡む。語りをどこに入れるかは、大倉が即興的に決めて入って行った。林の和太鼓のカデンツァも、もちろん即興だ。特に前半は、林と大倉のデュオと言ってもいいくらい。時々稲葉明憲の篳篥が入って来る。正直、この3人だけでオーケストラは無くても私は困らない。と言ったら作者に怒られるか。
ソニー・ロリンズ。言わずと知れたジャズの巨匠であり、テナーサックスの生きる伝説だ。コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、ジョン・コルトレーンらと肩を並べる存在。人気面ではジャズ史上最大かも。人気絶頂で突然引退し、練習にあけくれ、復帰したら音楽が変わっているといた常に前進を続けた。フリー・ジャズのテナーサックス奏者のフエヴァリット・ミュージシャンを聞けば、コルトレーンよりもロリンズ派が多いような気がする。彼らは、ホーキンス~ロリンズの系譜上で進化を続けて来たと言えるのではなかろうか。そんなロリンズの、無伴奏ソロが聴ける唯一のアルバムがこれだ。今でこそフリージャズ/インプロでは普通にサキソフォン・ソロは珍しくもないが、ロリンズのようなメインストリームのジャズ・ミュージシャンでは、まず聴く事はないだろう。それまでも、カデンツァ風に無伴奏で演奏はしており色んなアルバムでも聴けたが、丸ごと無伴奏は、これが初めて。NYC近代美術館での56分にも及ぶコンサートから収録された。「Soloscope」と題された1曲のみ。実際は色んなメロディーが浮き上がっては消える。そこをきっかけにロリンズ節とも言える変奏が止めどもなく流れて行くのだ。時は、相当アグレッシヴになり、まるでデヴィッド・マレイの無伴奏ソロでも聴いている気分にさせられる。が、実際はマレイがロリンズ風なのだ。最後は、まるでコールマン・ホーキンス。ジャズの、テナーサックスの歴史を遡って演奏を締めくくた。この無伴奏ソロの後には、日本でオーケストラと共演と言う正反対の仕事をするのだからスケールが大きい。ちなみにロリンズは、東洋音楽にも強い興味があったそうで、龍的、篳篥、笙、能管等もコレクションしているそうだ。
田中雅彦は、1935年生まれの1958年から91年に渡りNHK交響楽団に在籍していたコントラバス奏者。61年頃から80年代にかけては、独奏者として、室内楽奏者として日本の第一人者として有り続けていた。彼に献呈された独奏曲は10曲を越える。現代音楽のコントラバス発展に大きく寄与した貢献は大きい。本作は、75年12月2日のリサイタルに寄せられた三善晃「リタニア」、池辺晋一郎「モノヴァランスⅤ」、広瀬量平「ラクサーナ(相)」、平義久「コンヴェルジャンスⅡ」が収録されている。録音は、78年になる。三善と広瀬の曲には、有賀誠門の打楽器も加わている。三善の曲では、コントラバスと打楽器(ティンパニが基調となっている)が対等な形で進行する。田中をして「コントラバス界に本質的な貢献をした作品」と言わしめた作品。池辺の曲は、電気増幅、変調も含めた曲。閉じた構造を持たない作品なので毎回違った結果になる。個人的には、この曲が一番のお気に入り。広瀬の曲も閉じた形式じゃない。コントラバスの倍音とアンティークシンバルの絡みが気持ち良い。音楽が広々としている感じ。大陸的と言ってもいいかも。平の作品は14分近い大作。コントラバスへ斬新な技法を提供したとも言える曲で、多様な表現を伴う傑作。
ハリー・ベルトイア(アメリカだと、バートイアか?)は、1915年イタリア、サンロレンツォ生まれの彫刻家、即興詩人。15歳の時デトロイトに移住し、ペンシルバニアで亡くなった。50年代から音響彫刻を制作し、それらをSonambientと呼んでいた。一般的には金属で作られた彼のデザインした椅子が有名かもしれない。Amazonでも売っているが、1個¥20万近くもする! 彼は、この椅子の収益で彫刻の制作に専念出来たそうだ。オブジェとして鑑賞するだけでも楽しい作品だが、これから鳴らされる音は想像を超える。クセナキスの電子音楽作品かと間違える程の音の渦が鳴り響く。正にゴーーーー!なのだ。これを彼はペンシルバニアの森の中にある納屋で録音したそうだ。最初にLPで発売したのが1970年。それから亡くなる78年までに10枚のLPを制作した。私が所有するのは、ベルトイア・スタジオがその全録音をCDとCD-Rに収録しリリースした7枚。現在は、CD10枚組にブックレットも付いたCD・BOXがリリースされている。日本では、モダーン・ミュージックから金野吉晃氏のコーディネイトで1枚だがリリースされたことがある。
名声のわりにはリーダー作の少ない音の魔術師ギル・エヴァンスの最高傑作(と思っている)がこれ。RCAの中でも最大のスタジオにジョージ・アダムス(ts)、ハーブ・ブシュラー(b)、川崎燎(g)、ジョー・ギャリヴァン(synperc)、ビリー・ハーパー(ts)、マーヴィン・ピーターソン(tp,vo)、デヴィッド・サンボーン(as)と言ったソロを取るミュージシャンから、(prec)、スー・エヴァンス(ds)、(tp)、ブルース・ディトマス(ds)、ボブ・スチュワート(tuba)、ピート・レヴィン(syn)、等々総勢23人を集結。初日はマイクが足りなかったそうだ。アルバム・タイトルにもなったトニー・ウィリアムスの曲「There Comes A Time」は16分間同じリフが続くシンプルな曲なれど、川崎燎の強烈なギターが、音の渦の中から飛び出して来たりと全く飽きさせない。ジェリー・ロール・モートンの「キング・ポーター・ストンプ」のような古い曲までもが新鮮に響く。CD化に際して、「The Meaning Of The Blues」はオリジナルLPだと6分だったのが20分のロングヴァージョンに変更されているのも嬉しい。全編シンセサイザーの電子音が飛び交い、ジャズ初期から未来までをこの中に全部詰め込んだような画期的なジャズ・オーケストラ・アルバムになっている。このオーケストラはこの後防府市公会堂でコンサートがあったのだ。私は高校生の時聞きに行って、川崎燎のギターやジョージ・アダムスのテナーサックスのソロに仰け反ったものだった。
北インド古典音楽の名家ダーガル家に生まれたズィア・モヒウッディン・ダーガルによるルドラ・ヴィーナの演奏。ルドラ・ヴィーナは、ヒンドスタニ音楽で演奏される120cmくらいの竿の両端に50cmはあろうかと思われる大きなふくべが付けられた弦楽器。演奏弦が4本と、チカリと呼ばれるリズムやドローンを受け持つ3本の弦からなる。シタールのような共鳴弦は持たないし、20~26個のフレットも固定されている。片方を肩にかけて演奏するが、最近はジャケットで見られるように、南インドのヴィーナのように片方の膝に乗せて弾くようになっているようだ。通常ビーンと呼ばれることが多い。カルナータカのヴィーナと演奏も音もよく似ている。シタールの華やかさには欠けるが、聴きこむほどに味のある落ち着いた音だ。このCDでは、北インドではよく知られたラーガ・ヤマンを演奏している。フリーリズムでゆったりと演奏されるアーラープだけで40分間続く。そこにリズムが加わり出したジョールと、それが早くなるジャーラが30分弱収録されている。シタールのようにタブラは加わらない。タンブーラのみ。アーラープは、悠久の時が流れるかのようにゆくりとフリーリズムで音が紡がれて行く。リズムも無ければ、明確なメロディーすら無い。これって、西洋的にはアヴァンギャルドとしか言えないだろう。このアーラープこそがインド音楽の真髄の部分で、聴いていると時が止まる。どこか遠い宇宙にでも飛んで行っているような感覚になる。同じ音型を繰り返しているようなチープな瞑想音楽なんか聴くくらいなら、インド音楽を聴くべし。1990年ダーガルは、ロッテルダム・コンサーバトリーで講義を行い、この録音を行ったが、この3ヶ月後にボンベイ(ムンバイ)で亡くなった。
これは、クレメール(vln)と吉野直子(harp,箜篌)の96年5月のリサイタルの際して録音されたアルバム。ほとんど、コンサートのプログラムから選曲されている。1891年のサティ「星たちの息子」以外は全て20世紀の作品ばかり。この「星たちの息子」も、75年武満徹の編曲。宮城道雄の「春の海」と、ニノ・ロータの「ゴッドファーザー」が取り上げられてるのもユニーク。他は、武満徹「スタンザⅡ」(ハープとテープのための)、カイア・サーリアホ「ノクターン」(ルトフワフスキの思い出に)、ジョン・ケージ「6つのメロディ」、アルヴォ・ペルト「鏡の中の鏡」、シュニトケ「古い様式による組曲:パントマイム」、リヒャルト・シュトラウス「ダフネ練習曲」、ジャン・フランセ「5つの小さな二重奏」と言った、現代曲と言っても聞きやすい美しい曲が多い。だが、もちろんイージーリスニングではない。演奏時間だけが短いだけで、それぞれが作者の特徴のある魅力的な曲ばかりで、聴き応えもある。ヴァイオリンもハープも、多様な響きに満ちている。その多様さを表現すべく選曲されたのが分かる。その中でもアルバムのタイトルにもなっている高橋悠治「Insomnia/眠れない夜」(ヴァイオリンと箜篌のための版)が、一番の聴きもの。このリサイタルのために書かれた新作で、国立劇場が復元した箜篌が使われている。箜篌は、古代中央アジア、東アジアで演奏されていた23弦の楽器。素朴な響きが心地よい。特殊な調律を施された箜篌が静かに音階を繰り返して行く上に、クレメールがマンデリシュタームの詩をを朗読し、ヴァイオリンで二胡のようなスライディング・トーンを使って自由に弾いて行く。音楽と対峙して聴くもよし、静かにBGMで流すもよし。
日野皓正は、1975年にNYCに移住した。一年たった76年に本作「寿歌」(ほぎうた。祝歌とも書かれ、お祝いの歌の意味。)を録音した。参加メンバーは、日野皓正(tp,flh,perc)、セシル・マクビー(b)、日野元彦(ds)、
ムトゥーメ(と、表記されているが、現在はエムトゥーメ、perc)。曲名の「暁光」、「豊穣」、「融和」、「寿歌」、「悠久」、「妖精」、「終焉」が示すように、日本を意識した曲想になっている。日本を離れて、NYCに住み、ヨーロッパを含め海外での演奏活動や日々の生活の中で、彼の中の日本人としてのアイデンティティーが逆にあぶり出されて来たのではなかったのだろうか。それをジャズの演奏で表現しようと思ったのだろう。ドラムは、弟の元彦。彼がいないと演奏が不可能だった曲が何曲かある。実際、エムトウーメは、日野の要求するリズムがなかなか出来なかったようだ。和太鼓かと思うようなリズムや音が聴ける曲もある。「ソレ、ソレ、ソレ」と掛け声から始まる曲もある。こう書くと、なんだか安易に日本趣味を盛り込んだだけと思われるかもしれないが、さにあらず。ジャズを土台に、日本の音楽の要素を混ぜ合わせ、イヤミにならないバランスを保って表現されている。なにより日野のよく鳴っているトランペットが流暢に歌い上げる。マクビーのベースも、バックにソロに大活躍だ。少々残念なのは、当時のアコースティック・ベースに取り付けられたピックアップのせいで、音色がよろしくない。現在の水準では有り得ないのだが、当時はこれが主流をなしていた。元彦のドラムとエムトゥーメのパーカッションは、ここで表現される音楽の創造に大きく貢献している。最後の曲では、このふたりの叩く間を大きくとった打音に、日野のトランペットが舞うように踊る。ケージの竜安寺でも聴いている気分になった。
サビーカスやマニタス・デ・プラタの次の世代のフラメンコ・ギターの名手、パコ・デ・ルシアの1974年の、テアトロ・レアルでのコンサートを収録したライヴ・アルバム。普段はオペラやクラシックしかやらない格式を誇る殿堂にフラメンコがステージに立つのは、ひとつの事件だったかもしれない。パコは、アンダルシアの港町アルヘシーラスに生まれた。小学校も2年までしか行っていないそうだ。だが、彼には天才的なギターの素養が隠されていた。ギターを弾くのに必要な頑丈な爪も持っていた。兄との初録音は12歳の時。初リーダー作は1967年。フラメンコの世界から外の世界へ大きく羽ばたく一因となったのは、77年のアル・ディ・メオラ「エレガント・ジプシー」に参加したこと。81年のジョン・マクラフリン、ラリー・コリエル、パコの3人で世界ツアー。コリエルに代わってディ・メオラが参加したアルバム「Friday Night In San Francisco」のヒットが大きい。ジャズ・ファンは、このあたりからパコを知ったのではないか? さて、本作だ。広い会場には立ち見が出るほどの満員となった。クラシックと違い、フラメンコは、ステージと客席(普段は手が届くような場所だ。)とが一体となって興が乗るものだ。ここでは、こんなに広いところなのに客も心得たもので、歓呼の凄さもしっかりと収録されている。フラメンコは、12拍を1単位としたリズムだが、トーケ・リブレと呼ばれるフリー・リズムもある。一定のリズムは、トーケ・デ・コンパス。ここでも、その両方が聴ける。とにかくギターの演奏と聞いて思い浮かぶような音楽を軽く飛び越えている。アコースティック・ギターからこんなに力強い音が出るものか!? 弦を弾く強さに加えて、ほとんど弦に指を叩きつけているのじゃなかろうかと思える程の打音と言ってもいいような音までが(テーブルクロスをかき破る。と表現される。)、スピード感いっぱいの演奏に盛り込まれる。だが、舞曲は舞うように奏でられ、哀愁のこもった表現も忘れない。
スタン・ゲッツ、1982年の録音。ゲッツのテナー・サックスの他は、ジェームス・マクニーリー(p)、マーク・ジョンソン(b)、ヴィクター・ルイス(ds)、ビリー・ハート(ds, plyas"very Early","I Wish I Knew","Come Rain Or Come Shine"only)。「ブラッド・カウント」(ビリー・ストレイホーン)、「テンパス・フュージット」(バド・パウエル)、「ヴェリー・アーリー)と言ったジャズ・ミュージシャンのナンバーと、スタンダード・ナンバーがバランスよく配置されている。この頃のゲッツの音は、芯の強さの中に温かみもあり、サックスから放たれるサウンドは、結構なスピード感も備えていて、誠にバランスが良い。何より、スムースに流れていくまるで歌でも歌ってるかのような語り口は、彼ならではのものだった。カフェ・アモレス時代は、店のBGMとして、頻繁に流していたから、私が今まで聴いて来たジャズ・アルバムの中でもトップクラスの回数を誇る。このアルバムの中では、特に「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」が私のお気に入りで、他の人のアルバムでこの曲を演奏しているものを買ってみようと探したら、意外に少ないのに驚いた。ドラムに、ビリー・ハートがいるのも、意外と言えば意外な人選だ。ベストバイとかディスクガイドとかでは取り上げられる事もないが、こういうアルバムこそがが、生涯に渡って聴き続けられるものだ。
日本を代表するオーボエ奏者だった宮本文昭は、現在指揮者の道を歩んでいる。オーボエ奏者時代のアルバムは、モーツァルト、イタリアン・バロックと言ったクラシック・アルバムから、TVCMにも使われたオリジナル曲から、ジャジーなアレンジのアルバムと数多い。そのどれをも柔軟にまた高度な技術をもってこなす器用さが彼にはある。本作は、アレンジに佐藤允彦を起用したジャズとオリエンタルな香りが充満する充実したアルバム。宮本は、オーボエの他、オーボエ・ダ・モーレ、オーボエ・ミカンギも演奏している。佐藤のピアノ、ハープシコード、シンセサイザーの他、高田みどり(perc)、毛利伯郎(cello)、吉野弘志(b)、山木秀夫(ds)、豊島泰嗣弦楽四重奏団が参加。「オンブラ・マイ・フ」、「ラフマニノフ:ヴォカリース」、「ラヴェル:ハバネラ」、「グリーン・スリーヴス」、「ショパン:ノクターン」、「サティ:回転木馬/ジュ・トゥ・ヴ」、「鳥の歌」等々を全て佐藤が編曲している。曲は誰でも知っていそうなものばかりなれど、そこは佐藤允彦。オリジナルとはハーモニーを変えたり、パガニーニが中南米風になったり、ラフマニノフがジャジーになったりと手を変え品を変えして、全体がどこかオリエントな雰囲気になっている。オーボエというダブルリードの楽器のルーツは、元々アジアのものなので、ぐっとオーボエの領域を拡大させての編曲なのだろう。達人ぞろいのメンバーなので、演奏もスムーズで、尚且つ味わい深く、単なる聞き易いだけのイージーリスニングには終わっていない。昔喫茶店をやっていた時には、頻繁にBGMとして流していた。思わず聞き耳を立ててしまうBGMでもあった。とある中華料理店で、トン・クラミの3人と副島輝人さんと昼食中に、これがBGMで流れて来て、「これ佐藤さんがアレンジしたやつですね。」と言った途端、高田さんが「私も演奏してるわよ。」と突っ込まれた。今でもよく聴くCDです。
Bojan Zulfikarpasic/ボヤン・ズルフィカルバシチ(現在は、Bojan Z)は、1968年旧ユーゴスラヴィア、現在のセルビア、ベオグラード生まれのピアニスト。88年に、パリに移住している。89年には、ベスト・ヤング・ジャズ・ミュージシャン・オブ・ユーゴスラヴィアを受賞。本作は、98年のスタジオ録音。リーダー作としては、3作目に当たる。参加メンバーは、Bojan-Z(p),Vojin Draskoci(b),KudsiErguner(ney),Julien Lourau(sax),Vincent Mascart(sax),Tony Rabeson(ds),Predrag Revisin(b),Vlatko Stefanovski(g),Karim Ziad(prec)。Ziadの演奏するパーカッションは、karkabou,bendir,taarjija,La-tchatcheと、この表記だけだと何やら分からないが、バルカン半島や中近東あたりで聴ける音が聴こえて来る。そして、Ergunerの演奏するネイ(ダブルリードの笛で、ナイとも呼ばれて広く分布している)が全編に渡って活躍する。使用される楽器だけではなくて、音楽そのものが非常に強くバルカン半島や、その近郊のアラブ音楽の影響を受けたものだ。ジャズという大きな鍋に、ボヤン・Zの生まれ故郷のセルビアの音楽を代表に、バルカン半島の音楽(ロマの影響が濃い)や近郊のアラブの音楽をぶち込んで、グルグルとかき混ぜたら出来上がったような演奏だ。彼らならでは創造出来る音楽で、ジャズのワールドワイドな波及と、アメリカ以外の地域、それもヨーロッパだけじゃない地域へのローカル化が化学反応を起こした結晶のような音楽だ。アルバム・タイトルの「Koreni」は、Rootsの事。
Jean-Claude Eloy/ジャン・クロード・エロアは、1938年生まれのフランス人作曲家。パリ音楽院でダリウス・ミヨーに師事。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会で、プスール、メシアン、シュトックハウゼン、シェルヘンらに学ぶ。バーゼル音楽院ではブーレーズに師事した。初期作品は、習った作曲家のような作品を書いていたが、次第に西洋音楽の在り方に疑問を抱くようになり、東洋音楽に興味は向いて行った。そして電子音楽の作曲家として知られて行くようになる。1972~3年にかけて作られた「Shanti」は、ナチス時代の戦禍の中で収録された音を使ったミュージックコンクレート作品で、強烈な印象を残した。そして、1977~78年にかけて、NHK電子音楽スタジオで本作「楽の道」は制作された。以前は2枚組LPで出ていたが、近年4枚組で登場。ディスクは「東京」、「不識」、「流動」、「回想」と分けられている。フィールド・レコーディングを行い、その音源を様々に加工を加えられた。加工せずに、パチンコ店の音や街の喧騒がそのまま聞こえて来るところが多い。そこに猛烈な勢いで、または柔らかく現代でいうところのハーシュノイズが覆いかぶさる。ノイズ・ミュージックの欠片も無い時期に(特に前作Shantiは、1972年の作)すでにこんな音響を作り出していたのだ。ノイズの奔流の中から時折具体的な音が顔を出すところが、現在のノイズ・ミュージックには無いところだが、この具体音が周りを取り巻いている轟音をかいくぐって存在感を示して来る。当時、NHK・FM「現代の音楽」の放送で、まだ製作途中で発表される以前に少し放送された記憶があるのだが? 電子音楽の傑作!
富樫雅彦の枕元には、足を外したRoland HP-900Lというエレクトリック・ピアノが置いてあった。楽想が思い浮かんだらこれを弾いていた。富樫とは長年の盟友の佐藤は、ほぼ一ヶ月に一回は富樫宅を訪れては、富樫の作った曲を、ピアニストとして指定されたテンポで弾くという事を続けていたそうだ。富樫はこれを録音して繰り返し聴いて、この録音を「原曲」と呼んでいた。これまで佐藤は「Plays 富樫雅彦」を3枚リリースしていた。そこでも、フェンダー・ローズで演奏したのもあったが、富樫は「うん、いいね。」とは言うものの「原曲」とは違うと納得はしていなかったそうだ。そこで、佐藤は、富樫家からRoland HP-900Lを持ち出し、鍵盤のアクションを修理・調整し、スタジオに持ち込んで演奏し、録音した。こうして、富樫家での「原曲」を再現した。富樫研究の為にも最適のマテリアルと成り得る。これまでの録音でも聴ける曲も含まれているが、ローランドのエレクトリック・ピアノでのソロなので、相当印象は違う。歌詞を付ければ歌になるような、口ずさめるメロディーが多い。富樫は、「フリー・ジャズ」と思われているし、実際そうなのだが、彼の作る曲は優雅で、かわいらしかったりする。ところが、曲が終わると「この後はド・フリーにやれ」と指示されたと佐藤允彦のインタヴューを読んだことがある。曲とのコントラストを大きくつけたかったのだろうか。12曲中5曲はアコースティック・ピアノでの演奏。佐藤は、曲が終わってもド・フリーにはなれず、即興なのにまるで書かれてあるかのように、富樫の曲からイメージを膨らませている。作曲家、編曲家としては、突然別の方向とはいかないようだ。普段BGMとして軽く流していても、部屋のインテリアになりそうな音楽です。
ジョン・クラークは、1944年NYC、ブルックリン生まれのフレンチ・ホルン奏者。ジャズでフレンチホルンと言えば他には似た名前のジョン・グラースと、ヴンセント・チャンシーくらいしか思いつかない。クラークは、イーストマン音楽院でフレンチホルンを学び、作曲とインプロヴィゼイションをジャッキー・バイヤード、ラン・ブレイク、ジョージ・ラッセルに学んだ。共演の幅が広く、スティング、フランク・シナトラ、B・B・キング、ジョニ・ミッチェル、ダイアナ・ロスからジェリー・マリガン、ジョニー・グリフィン、マッコイ・タイナー、オリヴァー・レイク、カーラ・ブレイ、オーネット・コールマン等々。そして何より、ビル・エヴァンス・オーケストラの常連だ。96年のこのアルバムは、そのギル・エヴァンス・オーケストラの同僚達が多数参加したもの。ブルース・ディトマス、アレックス・フォスター、ハワード・ジョンソン、ピート・レヴィン、川崎燎らが参加している。コルトレーンの「India」からアルバムは始まる。トレヴァー・クラークのシタールも参加している。「My One and Only Love」と「Airegin」以外はクラークの曲で、全10曲を収録。曲毎にメンバーを増減させて演奏の色を変えて、全体をうまく構成している。彼のフレンチホルンの音に、トランペットやサックスの攻撃的な音を望む事は出来ないが、楽器の特徴を知りつくした者による、ジャズ・フレンチホルンらしい柔らかな、そしてちょっとくすんだ音色を屈指してサックスやトランペットと渡り合っている。防府市にギル・エヴァンス・オーケストラが来た時、彼もいたはずだ。
Modern Jazz Quartet/MJQは、1967年から69年にかけてビートルズが設立したレーベルAppleと契約した。ポール・マッカートニーの好みを反映したのか。アップルの社長がMJQと関係があったとも言われているが、ジャズサイドから見れば驚くほかはない。ともあれ、68年に「Under The Jasmin Tree」、69年に本作「Space」の2枚がリリースされた。プロデューサーは、ピーター・アーシャー。彼はMJQの大ファンだったらしく、この仕事が出来て嬉しかったそうだ。アップルと言えばビートルズの息のかかったポップスやロックの面々のレコードが並ぶが、このMJQだけは異色と見えて、なかなか再発されなかったが、近年はCDで容易に手に入る。ビートルズは(この場合ポール)、メアリー・ホプキンのアルバム製作には深く口出しをしたが、MJQはやりたいようにさせたようだ。MJQとしても、この時初の8トラックのレコーディングが経験出来ている。1曲目と2曲目の「Visitor From Venus」と「Visitor From Mars」は、広大な宇宙を表現したのか、中心がなく、どこにも落としどころがないような感じの演奏で、これはアップルならでは収録出来たと言えるかもしれないトラックだ。ルイスはともかくミルト・ジャクソンのこんな演奏は珍しい。3曲目は一転して、スタンダードの「Here's That Rainy Day」。4曲目は、ジョン・ルイスがユーゴスラヴィアのザグレブで知り合ったザグレブ・ラジオ・ビッグバンドの指揮、編曲のMiljenko Prohaskaの曲「Dilemma」を取り上げた。そして最後は、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」から第二楽章(ジャズでは、マイルス・デイヴィスの演奏が有名。MJQもローリンド・アルメイダとフル・オーケストラで録音している。)。この曲は、マッカートニーもことのほかお気に入りだそうだ。ギター・パートをルイスがピアノで弾いているのだが、ヴォリュームを下げて聞いていたらギターかと思ったくらいだ。それにしても、コニー・ケイの役割は面白い。どうみても「ドラマー」じゃない。パーカッショニストの役割をドラムを使って行っている。ケニー・クラークからコニー・ケイに変わって、MJQとしては大正解だった。それにしても、CDの盤面が例のリンゴになってるのは、違和感があると同時になんだか嬉しい。私、実はビートルマニアなのだ。子供の頃、分厚い「ビートルズ辞典」なる本を持っていて、そこにアップル全作品が掲載されていて、ジャズを全く知らない頃からMJQの名前だけは知っていたのだった。
1967年9月25日、NYCのスタジオに、マーシャル・ブラウン(v-tb)、ジョー・ヘンダーソン(ts)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)、カール・ベルガー(vib)、エディ・ゴメス(b)、ディック・カッツ(p)、ジム・ホール(g)、リッチー・カミューカ(ts)、レイ・ナンス(vln)という豪華なそして名人が集められた。リーダーは、リー・コニッツ(as,el-as,ts)。これだけのミュージシャンを一同に集めて、コニッツは各人とのデュオを録音しようと図ったのだった。通常何回かに分けて録音しそうなものだが、コニッツはテンションを維持したまんま一気に録りたかったのだ。基本的にはデュオなんだが、「アローン・トゥゲザー」では、まずコニッツの電気サックスのソロで始まり、エルヴィン、ベルガー、ゴメスとのデュオを行い、最後にカルテットで締めている。ここでは完全なフリーだ。最終曲ではレイ・ナンス以外全員が参加したアンサンブルでアルバムを終わる。マーシャル・ブラウンとのデュオでは、ルイ・アームストロングのOK盤でのソロを二人でそっくりそのまま演奏したり、テナーに持ち替えてレスター・ヤングの数少ない曲「ティックル・トゥー」をカミューカとのトゥー・テナーでレスターのアドリブをそのまま演奏したりと、尊敬する先人への敬意を表している。ジム・ホールとのデュオは、一枚のグラフィック・スコアだった。ホールのギターの音色は電子音と言っても頷いてしまうようだ。全くのフリー・インプロヴィゼイション! いや、図形楽譜が前にあるので、「現代音楽」か? とにかく即興なのは違いない。長年エリントニアンとして活躍したレイ・ナンスとは、全くのフリー・インプロヴィゼイション。恐るべきかなエリントニアン。傑作です。
トニー・ウィリアムスは、マイルス・グループにフリー・ジャズを持ち込んでみたり、ジョン・マクラフリンとライフ・タイムを結成し、ハードなジャズロック(いやフュージョンの先鞭か?)で世間を(と言ってもジャズ界ですが)驚かせたり、はたまた突然60年代マイルスに回帰したようなバンドを組んでみたりと(これはこれでいいバンドだったが)、ファンを手のひらの上で踊らせている。95年の本作は、パット・メセニー、マイケル・ブレッカー、スタンリー・クラーク、ハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムスというスーパー・グループにオーケストラを合体(曲によってはオケは外れる)させたアルバム。と、書くといかにもお金のあるメジャーが安直に考え出した企画モノと考えるのが普通。いや、喜ぶジャズ・ファンの方が多いか。ところがどっこい(表現が古くてすまん)。アルバム・タイトルになってるWilderness(荒野とか)をテーマにしたコンセプト・アルバムなのだった。1曲目にまず驚かされる。トニー作曲の7分半の曲なんだが、バンドは入らずオーケストラのみ。作曲編曲もトニー。これが、まるでコープランドでも聞いているようで、アメリカの荒野眼前に現れて来るような壮大な響き。トニーがこういった作曲センスを持っていたのを知らなかっただけに驚くやら感心するやら。全13曲は、組曲のようになっている。同一テーマを持つ曲が出て来る。内3曲は作曲したJohn Van Tongerenがオーケストレイションも行っている。1曲、スタンリー・クラークも作曲、オーケストレーションも行っているが、演奏の腕も達者だが、作編曲能力にも長けているのだ。オケの上でハービーがソロをとったり、オケのバックでトニーとハービーのインタープレイが聞こえたりと、色々と趣向を凝らしてあり飽きさせない。6曲目のThe Night You Were Bornは、録音の前年に飛行機事故で亡くなったウェイン・ショーター夫人、アナ・マリアに捧げた美しいバラード。
アンソニー・ウィリアムスは(当時人気のあったプラターズのリード・ヴォーカルがトニー・ウィリアムスだったこともあり、区別するためにアンソニーと名乗っていた。)、後にトニー・ウィリアムスとして知られるジャズ史上後世まで名が残るであろうドラムの名手。1945年シカゴで生まれ、幼少時にボストンに移住している。ボストン時代にアラン・ドウソンにドラムの手ほどきを受けた。十代の頃のトニーと、秋吉敏子がトリオを組んでいたこともあったそうだ。ボストンではサム・リヴァースと共演をしていた。ここでは、そのサム・リヴァースとウェイン・ショーターのツゥー・テナーをフロントに置き、ゲイリー・ピーコックのベースに、ハービー・ハンコックのピアノとウィリアムスのドラムと言う豪華な布陣。だが、この時ウィリアムスは若干19歳だったのだ。しかし、すでにハービー、ショーターと共にマイルス・グループでジャズ界の最先端を突っ走っていた頃で、アルバムで言うと、マイルスのプラグド・ニッケルあたりだ。このアルバム、マイルスに対してトニー、ハービー、ショーターがやけに突っかかっていく。ついてこれなかった?ロン・カーターの代わりに、当時アイラーのグループで演奏していたバリバリのフリー・ジャズ・ベーシスト、ゲイリー・ピーコックを加え、ショーターがいると言うのにボストン時代からの縁の深いサム・リヴァースも加えて、オリジナル曲だけで、マイルス・グループでは出来なかった事を全面的に展開したのが、このアルバム。どの曲も不穏な空気を駄々酔わせている。そういった時代だったのかもしれないが、後年のフージョン(と言うよりもロック)を演奏していた頃のトニーとはまるで別人の如く。だが、同時にセシル・テイラーとデュオを残したり、デレク・ベイリーとの録音も残している。もう少しこっちの演奏もして欲しかった。2曲目は、トニーのドラム・ソロです。
1968年デューク・エリントンと彼のオーケストラは、ラテン・アメリカ・ツアーに出た。ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、そして南米ではないがメキシコを演奏して回った。前年にはアジアを回って「極東組曲」を作ったように、この「ラテン・アメリカン組曲」を作曲しアルバムを作った。残念ながらジャケットにはオーケストラのメンバーのクレジットが一切書かれていない。だが、68年当時のエリントン楽団は、勤続何十年にもなるスター軍団がまだまだ元気に在籍していた頃で、ある意味黄金期だった。クーティー・ウィリアムス、キャット・アンダーソン、ローレンス・ブラウン、ジョニー・ホッジス、ポール・ゴンザルベス、ラッセル・プロコープ、ジミー・ハミルトン、ハリー・カーニー、サム・ウッドヤード等々。果たしてこの録音に彼ら全員が参加しているかどうかは、じっくりとソロを聽いて判断するしかないが、みんないるように聞こえる。エリントンが、ツアー中に感じたラテン・アメリカの印象を曲にしているのだが、単純にラテン音楽を取り込んでそれらしく作曲するワケが無くて、そこはいつもの重厚かつリズミカルでカラフルなエリントン・サウンドが横溢している。もちろんラテン・アメリカの音楽の要素はそこかしこにはちりばめてあるので、タイトルに偽りはない。エリントンのアルバムでは、地味なのか取り上げられる事もほとんどないようだが、ジャズ・ファン初期の頃LPを買って毎日のように聽いていたせいもあるのか、今でも折に触れてはよく聴いている。
David Eyges/デイヴィッド・イージスは、1950年サンフランシスコ生まれのチェロ奏者。53年一家はマサチューセッツ州バーモントに移住。5歳でピアノを、11歳でチェロを始めた。ボストン大学、マンハッタン音楽院で学んだ。若い頃ジャズに夢中になったが、NYに出てからは、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズ、ライトニン・ホプキンズ等のブルースに熱中し、バンドでブルース・ギターも弾いた。チェロを弾きながらも、アカデミックなクラシックの道には進まず(オーケストラやシアター・アンサンブルに所属したことはある)、ジャズの数少ないチェロ奏者の道を選んだ。このアルバムでも共演している、バイヤード・ランカスター、サニー・マレイ、ポール・ブレイ、セシル・マクビー、サーマン・バーカー、ジーン・リー、ジャッキー・バイアード。そして特にアーサー・ブライスとは長く共演を続けており、デュオ・アルバム「Sky」がある。ファースト・アルバムは、77年録音の「The Captain」マーク・ホワイトケイジ(as)、ロニー・ボイキンス(b)、ジェフ・ウィリアムス(ds)とのカルテット。80年NYでのライヴ録音の本作は、バイヤード・ランカスター(as,ss,fl)とのデュオ。お互い引き出しの多い者同士の、自由闊達なスリリングな対話が続く。彼のチェロは、ジャズとブルースに魅了されているくらいだから、楽器がクラシカルなものとは言え、演奏はリズミカルだったりブルース臭を出すのも厭わない。どころか積極的に出す。だから、アルコでの演奏よりは、ピチカートの方が多いくらいだ。翌年は、このふたりにサニー・マレイを加えたトリオのアルバム「Crossroads」をリリースした。日本のヴィーナス・レコードからリリースされたポール・ブレイの「Modern Chant」ではブルース・ディトマスとトリオで共演している。
Billy Bang/ビリー・バングは、1947年アラバマ州モービル生まれのヴァイオリン奏者。ビリー・バングは子供の頃マンガのキャラクターから付けられたたあだ名で、本名はWilliam Vincent Walker。青年期にNYのブロンクスに移る。コルトレーンとオーネット・コールマンに強く影響を受けたバングは、リロイ・ジェンキンスに師事し、自己の音楽を築き上げて行った。徴兵されベトナム戦争に従軍した彼は、帰国後は反戦運動に入っていった。ベトナム戦争をテーマにしたアルバムもリリースしている。John Lindberg/ジョン・リンドバーグは、1959年ミシガン州ロイヤル・オーク生まれのベース奏者。77年NYへ移住。アンソニー・ブラクストンのグループに長く在籍していた。現在はマラカイ・フェイヴァースの後任として、ワダダ・レオ・スミスのゴールデン・カルテットのメンバーでもある。その他引く手あまたの活躍をしている。本作は79年録音の、二人のデュオ・アルバム。同じ79年6月には、この二人にJames Emery(g)を加えた、「String Trio of New York」の、イタリア、ミラノで録音したBlackSaint盤「First String」をリリースしている。こちらのデュオは、9月ハリウッドでの録音。ストリング・トリオ・オブ・ニューヨークのアルバムだけでも20枚近くになる。バング亡き後も、Charles BurnhamやRegine Carterを加えてバンドは継続している。さて、このアルバムだが、ヴァイオリンとベースによる1対1の対話である。時にお互いの無伴奏ソロにもなるが、ほとんどは二人による正に丁々発止の音の掛け合いが続く。この緊迫感はそうそう聴けるものではない。リンドバーグは、アルコにピチッカートと弾き分けてバングのヴァイオリンとくっついたり離れたり、下から支えたり、はたまた覆いかぶさったりと、通常のベースの領域を軽く超えた演奏だ。お互いの瞬発力、引き出しの多さに驚嘆。
このアルバムを店頭で発見した時は、フランク・ロウとユージン・チャドボーンの名前が並んでいる事に、しばし目を疑った。フランク・ロウと言えばESP盤でのテナー・サックスの咆哮で我々に強烈な印象をつけ、その後のロフト・シーンでの活躍も、共演者と言えば、アフリカン・アメリカンの同胞達。ESP盤の頃の咆哮からは次第に変化を見せ、音を切るようにはなったが、以前ぶっとい音と迫力は変わっていなかった。片やユージン・チャドボーンと言えば、Parachute盤で聴けるような、もう通常のギター演奏の常識からは最も遠い地点に立っているような、とてもじゃないがアフリカン・アメリカンのプレーヤーとは相性が合わない、合わせられないタイプのギターリストとばかり思っていたから。だが、Parachute盤では、チャドボーンが曲名の後に(To Roscoe Mitchellや、Leo Smith)と、入れているので、彼らの音楽に影響を受けた上で、このような演奏スタイルに至ったっのは知ってはいたが、実際共演とかは想像の外だった。77年録音されたふたりのデュオは、予想外の相性を見せたのだった。アイラーの「ゴースト」や、ロリンズの「セント・トーマス」なんかも演奏しているが、ロウの演奏はいつもとそう変わっているワケではなく、ぶつ切りのフレーズをいつもの調子で並べている。チャドボーンも自分の流儀を軌道修正しているワケでもない。だが、なんだかふたりの調子が合っているのだ。こちらの勝手な先入観が邪魔をしていたワケだけだ。よく聴けば、ちゃんとふたりはお互いビシっと反応しあっているではないか。それにしてもロウのサックスの音は、ダミ声のブルースマンが低い声で唸っているような感じだ。それに、アコースティック・ギターを掻きむしるような音で、対応しているチャドボーンの、この水と油のような関係は、他では聴けないユニーク極まる演奏だ。
これは、2007年フィンランドのスタジオで録音されたワダダ・レオ・スミス、ミン・シャオフェン、フェローン・アク・ラフによるトリオ演奏。フェローンとレオさんの付き合いは1975年頃からと長い。当時のレオさんのアンサンブル「New Dalta Ahkri」の最初のドラマーとして若きフェローンは参加した。レオさんが今でも最も信頼を寄せるドラマーだ。ピパ奏者のミン・シャオフェンは、ピパで伝統音楽からコンテンポラリー・ミュージックまで演奏する。シカゴで行われたニュー・ミュージック・アンサンブルのためにレオさんは曲を書いたが、そのコンサートにピパのコンチェルトでミンが出演していた。その後ミンのためにレオさんはピパのソロの曲を作曲している。ミンの演奏はピパ独特の華麗さに加え、パワフルな演奏が特徴。レオさんの母親に捧げられた曲。亡くなったとき衝撃を受けたビリー・ホリデイに捧げた曲もある。レオ節とも言えるレオさんのトランペットのフレーズに、何とも多彩なドラミングでフェローンが絡む。山下トリオでの彼の演奏と比べるともっともっと自由闊達だ。それはグループのコンセプトによる違いだろうが。そんな二人にミンのピパが力強く、スピーディーに切り込んで行く。時々ヴォイスも。誠にスリリングな瞬間の連続する演奏だ。このトリオの名称になる「Mbira」は、2つのパートに分かれたバレーの曲だそうだ。
カレン・マントラーは、1966年NYC生まれ。ヴォーカル、ピアノ、シンセサイザー、オルガン、グロッケンシュピール等々を演奏。そして作曲も。カーラ・ブレイとマイケル・マントラーの娘。85年~87年バークリー音楽院で学んでいる。母親カーラのバンドではオルガンを主に弾いていて、色んなアルバムのレコーディングに参加しており演奏はたくさん聴くことが出来る。カーラ・ブレイ・バンドだけではなくて、父親のマイケル・マントラー、ロバート・ワイアット、日野元彦、スティーヴ・スワロウのアルバムでも聴ける。本作は彼女のリーダー作。アーノルドという名前の彼女の愛猫にちなんだ作品をこれまで「My Cat Arnold」、「Get The Flue」の二枚リリースしていたが、本作はその愛猫が亡くなった事で、その告別のつもりで作ったようだ。カレン・マントラーの歌とオルガン、ピアノ、ハーモニカ、シンセサイザー、グロッケンシュピールの他は、マイケル・エヴァンスがドラム、各種打楽器(鍋釜総動員といった感じ)でサポート。Farewellと題するくらいで、カレンの歌も演奏もどこか物悲しさに溢れている。彼女の歌は、大向うを唸らせるタイプではなくて、ブリジット・フォンテーヌのような感じを想像してもらえればよい。曲名も「Farewell」、「Brain Dead」、「Arnold's Dead」、「My Life Is Hell」、「Help Me」、「I Hate Money」、「Beware」等といった感じでどれも暗い。聴いててこっちまで落ち込むようだが、なぜか聴いてしまうアルバムなんです。ハーモニカの音が身に滲みる。
Curtis Clark/カーティス・クラークは、1950年イリノイ州シカゴ生まれのピアニスト。すぐにロスアンジェルスに一家は移住。ピアノを習い、カリフォルニア芸術学院で学び、卒業後にNYへ移った。NYでは、デヴィッド・マレイ、ビリー・バング、アビー・リンカーン、チャールズ・タイラー、オスカー・ブラウン jr.らと共演。その後渡欧し、アムスレルダムに長らく滞在した。ジョン・チカイ、ハン・ベニンク、エルンスト・レイズグル、マイケル・ムーア、エレンスト・グレムらと共演。またアメリカに戻り、現在はニュー・イングランドに住んでいる。彼のピアノは、デューク・エリントン、セロニアス・モンクの系譜を継ぐものだ。「華麗な」とか、「流麗な」と言った麗句は似合わない。本作は、79年アムステルダムで録音されたピアノ・ソロが5曲と、80年にNYで録音された、デヴィッド・マレイとのデュオが2曲収録。ソロ・ピアノは、3分から5分台までの割合短い曲ばかり。どれもモンクが作曲したのではと勘違いするような、また彼の演奏も、モンクの演奏を思い起こさせるものだ。音がすんなりとは流れない。水があっちの岩、こっちの岩にぶつかりながら流れて行く光景が浮かぶようだ。その流れる速度は、モンクよりは、もっと現代的に早い。デヴィッド・マレイとの1曲目「Blue Sounds Blue」は、タイトルが物語るような、またカヴァー・アートが物語るようなブルーな雰囲気の9分に及ぶ演奏。私は、この頃のマレイのテナー・サックスの音色や演奏が好きだ。無駄に高音でいななくような真似はこの頃は少ない。どうも自分自身のクリシェに陥ったような演奏が近年は多い気がする。サポートするクラークも、ここでは柔らかな絨毯をマレイの為に敷いているような演奏をしている。デュオの2曲目は2分の短い演奏。2010年には、リトアニアのNo Business Recordsから「Taagi」がリリースされている。
1969年4月、富樫雅彦(ds)と高柳昌行(g)の双頭リーダーを有するクインテットが結成された。彼ら二人に沖至(tp)、高木元輝(ts、コーンパイプ)、吉沢元治(b)が参加した。だが、沖至がヨーロッパへの長期滞在を目指してグループを去った事でカルテットになった。アルバムの冒頭、高柳のギターの音が不思議な音色と共に地から湧き出て来たかのように響き渡る。そこに高木のテナー・サックスを軋ませる咆哮が加わる。さらに吉沢のひきつったようなチェロのアルコが絡む。そして富樫のドラムがランダムなパルスを伴って参加する。ここに日本におけるジャズの新しい章が始まったのだった。アメリカのフリー・ジャズとも、ヨーロッパ・フリーともどこかが違う。具体的にどこがどうとは言葉に表せない何かが違うのだ。アフリカン・アメリカンの闘争、民族の血による表現が日本人にあるわけがないし、出来てもそれは模倣の域を越えるオリジナリティを確保するには難儀な作業だ。また、ヨーロッパの長い伝統に培われたクラシック、そして現代音楽の伝統と、それに対するアンチも、日本には無い。だから、日本人独自のと意気込んで「邦楽の要素を」、「民謡の要素を」などと考える必要はない。今の己をさらけ出すだけで、そこにはこの土地に生まれ育った者としてのDNAが、意識無意識関わらず、何か出て来るものだ。ことさら「フリー」を持ち出さなくとも、3拍子は存在しない土地なれど、尺八の本曲に代表されるような自由なリズムが元々存在した。2曲目なんかは、高木のコーンパイプと富樫のドラムは、どこか懐かしい村祭りと言えなくもない。4曲目は、高柳昌行・ニュー・ディレクション・ユニットの漸次投射を暗示する。このアルバムは、「日本ジャズ賞」を受賞したが、富樫本人は満足出来るような出来ではなかったとの証言を聞いた。
John Fischer/ジョン・フィッシャーは、1930年ベルギー、アントワープで生まれたピアニストであり、コンピューター・アートのパイオニアでもある。70年代のNYのロフト・ジャズ・シーンで活躍した。67年にPerry Robinson/ペリー・ロビンソン(cl)と出会い、行動を共にし、67年から75年にかけては、The Composers Collectiveを組織し、Leonard Streetにあるフィッシャーのロフトで数多くのコンサートを行った。当時の演奏は「Poum!」と「Interface」で聴くことが出来る。Interface/インターフェイスは彼が結成したグループ。Perry Robinson(cl)、Mark Whitecage(reed)、Rick Kilburn(b)、Laurence Cook(ds)、Mario Pavone(b)、Armen Halburian(perc)、John Shea(b)、Tom Whaley(ds)、Jay Clayton(voice)のレギュラー陣(メンバーの移動があったようで、アルバム毎に変わっている)に加えて、Marion Brown(as)、Lester Bowie(tp)、Arthur Blythe(as)、Charles Tyler(bs)、Phillip Wilson(ds)等の豪華なサイドメンが参加していた。75年7月25日、ENVIRONがオープンし、インプロヴァイズド・ミュージック、モダーン・ダンスのモームと言われるほど活発にコンサートを企画していた。AACMの面々をはじめ、ブロッツマン、シュリッペンバッハ、イレーネ・シュヴァイツァーと言ったヨーロッパ・フリーのミュージシャンも多数出演した。ジョン・フィシャーも数多く出演していた。このアルバムは、ENVIRON DAYSとも呼べる日々の記録を、ENVIRON他、自身のロフトでの録音も含めて11曲収録されている。彼は、これまで、多くの自主制作盤をリリースして来ていたが、ここでは約半分は、未発表録音だ。彼らの演奏は、ヨーロッパ・フリーほど先鋭化せず(フィッシャー自身はヨーロッパ出身なのだが)、かと言って「」付きのジャズには終わっていない。伝統の上に自由な発想で色んな要素を混ぜ合わせて行った演奏になっている。程よい温度感のフリー・ジャズという感じ。ペリー・ロビンソンのクラリネットのソロも2曲収録されている。ブライス、ボウイ、フィッシャーのトリオ演奏も2曲聴ける。マリオン・ブラウンやチャールズ・タイラーをフューチャーした曲もある。
これは、70年代のNYロフト・シーンの雄、フランク・ロウ率いる11人編成の彼のオーケストラによるライヴ録音。ロフト・ジャズ(と、言う音楽ジャンルは無い)と言う言葉では、あまり繋がらないような名前が、オーケストラのメンバーに幾人か見えるのが面白い。リーダーのFrankLowe(ts),JosephBowie(tb),ArthurWilliams(tp),PhilipWilson(ds),JohnLindberg(b),Lawrence”Butch”Morris(cor),Billy Bang(vln)と、ここまではロフト・シーンでよく見かける名前だ。これにJohnZorn(as),Eugene Chadbourne(g),Polly Bradfield(vin)となると活動のフィールドも音楽も違うのではないかと思ってしまう。それだけフランク・ロウの交友関係の広さもあるだろうし(彼は50年代はStaxレーベルの為にスタジオに度々入っていた。ミュージシャンの交友関係はその当時から広かった)、彼の音楽のキャパシティーの広さもあるだろう。このオーケストラでも、ゾーン、チャドボーンらの演奏は、たくさんの音に混ざって、それまでのロフト・シーンでは鳴っていなかったようなサウンドをオーケストラ内部にしっかりと混ぜ込んでいる。ビリー・バングとポリー・ブラッドフィールドのデュオになる瞬間なんかは、ロフト・ジャズと言われるレコードからはあまり聞くことの出来ない、ギシギシとノイジーな音が響く。この頃の、ロウのテナー・サックスの演奏は、ESP盤で聞かれたようなパワーとスピードで押し切ってしまうような演奏ではなくなって来ており、ブツブツと音を切り刻んで行くようなスタイルに変わって来ている。ジョン・ゾーンの演奏がこの頃どうだったのかが気になるところだろう。当時すでにチャドボーンの我々に衝撃を与えてくれた(リアルタイムでは、「これは一体なんだ?!」が正直なとろこだった。)アルバム「School」、「2000 Statues」で聞こえて来るような過激な演奏はほどほどにしている。だが、チャドボーンとロウは、同年デュオ・アルバムもリリースしており、これは衝撃だった。まるで別物と思われている二人が邂逅し、当時の感覚では誠にヘンな演奏をしているのだった。
クリストフ・ガリオは、1957年スイス、チューリッヒ生まれのサクソフォン奏者、作曲家。自身のレーベルPercasoを主宰し、多くのCDをリリースしている。Unit Records,Atavistic,Ayler Records等々からのリリースもある。1988年から「Day&Taxi」と言うサックス、ベース、ドラムスによるトリオを結成し存続している。メンバー・チェンジはあったが、現在でも続く長寿ユニットだ。この最新作は、ガリオ(as,C-Melody sax)の他、Silvan Jeger(b,voice)、David Meier(ds)。彼らの前作は2枚組の大作だった。今回は22曲入りのアルバムで、短い曲は36秒で、5分から8分の曲の合間に間奏のような形で三分の一くらい挟まっている。アルバム・タイトルが「Way」となっているが、散歩中、または長い人生の道程には、大小様々な事が起こると暗示しているのだろうか。演奏もスピードアップしたものは無く、ときに早足、ときにゆっくりと変化をつけている。フリー・ジャズとインプロの間を行くような演奏で、その振幅が面白い。色々な局面が現れる。作曲と即興のバランスがうまい具合にとれている。その塩梅のよさは注目すべき。
Amina Claudine Myers/アミナ・クロディーン・マイヤーズは、1942年アーカンサス州ブラックウェルで生まれたピアノ、オルガン、ヴィーカリスト。子供の頃、ゴスペル・ハーモネットと言う合唱隊に入り南部を巡業して回った。また、ゴスペル・フォー&ザ・ロイヤル・ハーツと言うグループに参加していた。60年代の初めリトルロックのカレッジを卒業後、シカゴに移住。教師をしながら、ソニー・スティット、ジーン・アモンズらと共演。66年AACMに参加。初録音は、カラパルーシャの69年のアルバム「Humility」。76年NYに出て、自己のトリオで活動する傍らオフ・ブロードウェイでも活躍する。ガレスピー、シェップ、マレイ、ブライス、スレッギル、ジェンキンス、ジム・ペッパー、フランク・ロウ等々と共演し、録音にも参加。ムハールとはデュオ・アルバムもある。特に大事なのは、60年代から同じグループでも演奏していたレスター・ボウイだ。レスターとは、オルガン・アンサンブルを結成して、90年代にはDIWから2枚のアルバムCDも出している。さて、イギリスのLeoの第1弾としてリリースされたのが、クロディーン・マイヤーズの母親に捧げた「Song For Mother E」(79年NY録音)だ。Leoと言えば旧ソ連時代の先鋭的な(いるはずがないと思われていた!)ミュージシャンのアルバムを大量にリリースしているレーベル。その最初の船出に選ばれたのが、まるで真逆を行くようなブルース、ゴスペルに根ざしたクロディーン・マイヤーズのアルバムだったのが面白い。翌年も、今度はベッシー・スミスに捧げたアルバムもLeoから出している。これは、フェローン・アク・ラフとのデュオ。彼女はオルガンを多用している。ゴスペルに根ざしたディープな音と声だが、彼女がAACMミュージシャンなことも忘れてはいけない。まるで、プログレッシヴ・ロックでも聴いているような曲もある。同じ曲をピアノとオルガンで弾き分けも。
私が高校の1年生の時、1975年前年にリリースされた「山下洋輔トリオ:クレイ」という山下トリオのメールス・フェスティヴァルでのLPを買った事から、フリー・ジャズとの付き合いが始まったのだった。それからは、山下洋輔のLPが出る度に買うという習慣が出来た。以降は時系列に沿って聴いて来たことになる。上京後は、新宿PIT INNが近かったこともあって、山下洋輔の出演時にはよく行っていたものだった。あるときから聞いた事のあるような童謡風のメロディーを演奏しだしたのだった。でも、原曲がおぼろげにわかる程度にアレンジしてあって、一体どの曲なんだろうかと思っていたところに、このアルバム「砂山」が出た。山下洋輔(p)、坂田明(as,a-cl)、小山彰太(ds)のトリオに、向井滋春(tb)、清水靖晃(ts)、杉本喜代志(g)、中沢健二(tp)、岡野等(tp)のアンサンブルが加わって、彼らのソロもある。初代山下トリオの71年の録音に「山下洋輔トリオ with Brass12」があるが、それ以来のアンサンブル・ワークだ(筒井康隆の2枚は除く)。この「砂山」と題されたアルバムは、「砂山」、「うさぎのダンス」、「あの町この町」も全て中山晋平の曲。ジャケットは、ぬり絵作家の蔦谷喜一の作品。我々昭和の生まれには懐かしい。中山晋平童謡集の趣のあるアルバムだが、「あの町この町」は、それと分かるメロディーが弾かれるが、「砂山」も「うさぎのダンス」も、相当にアレンジが施されていて、ちょっと聴いたくらいでは分からないくらいだ。だが、このアレンジがいい。アルバム冒頭、波の音から始まり、そこに小山彰太のドラムが入ってくるあたりは、聞き手の気分も高揚する。ドラマチックに展開する演奏は、山下の次なる変化が如実に表れていた。翌年のソロ・アルバム「インヴィテイション」では、グリーンスリーヴス、チュニジアの夜等のオリジナル以外の曲が多くなった。
Lee Konitz/リー・コニッツは、1927年イリノイ州シカゴ生まれのアルト・サックス奏者。シカゴのルーズベルト大学で音楽を学んだ。最初はクラリネットを吹いていたが、テナー・サックス、そしてアルト・サックスに至った。あるコンサートでレニー・トリスターノに出会い、彼に師事。47年、48年とクロード・ソーンヒル楽団で演奏。NYに移住し、マイルス・デイヴィスと会う。49年から51年にかけてマイルスと共演し、「BirthOf The Cool」参加。49年初リーダー作を録音。53年スタン・ケントン楽団に参加。49年コニッツも参加しているレニー・トリスターノのグループが演奏した「Intuition」、「Digression」が、ジャズ史上初のフリー・インプロヴィゼイションの録音と言われている。コニッツは、クール・ジャズとサックス奏者と呼ばれるが、それは初期の頃の事で、70年代はポール・ブレイやカール・ベルガーらとも共演を重ねていた。カール・ベルガーとは、チューリッヒでのデュオ作「Season Changes」や「Woodstock Workshop Orchestra」(ドン・チェリー、ジョージ・ルイス、トム・コラ、オリヴァー・レイク、リロイ・ジェンキンスらも参加)、「New Moon」(ミラノでのオーケストラでの演奏に参加。オリヴァー・レイク、リロイ・ジェンキンスらと参加)と、79年は3枚のアルバムをカール・ベルガーと残している。78年、ポール・ブレイが主催したIAI フェスティヴァルに参加。ジミー・ジュフリー(ts,b-fl,cl,ss,fl)、ビル・コナーズ(g)、ポール・ブレイ(p)と出演した。ジュフリーとコニッツの対話のようなデュオが3曲。ジュフリーとコナーズのスパニッシュ風味のデュオが1曲。ジュフリーとブレイのフリーなデュオが1曲収録されている。ジュフリーは、曲ごとに楽器を取り替える。相手によって自在に演奏を変化させるジュフリーの凄さが際立つ。87年コニッツは、何と、デレク・ベイリーのカンパニーに参加! ベイリー、タイテルバウムらと共演。
Joe Lee Wilson/ジョー・リー・ウィルソンは、1935年オクラホマ州ブリストウ生まれの歌手。ロスアンジェルスのシティー・カレッジで歌唱法を学ぶ。50年代終わりからプロとして歌い始めた。一時期メキシコに住み、レコード「In The Great City」(Powetree)を、吹き込んでいる。62年にNYに移住。アーチー・シェップ、モンティ・ウォーターズ、ソニー・ロリンズ、リー・モーガン、マイルス・デイヴィス、ジャッキー・マクリーン、ファラオ・サンダースらと共演。シェップのアルバム「Things Have Got To Change」(71年)、「Attica Blues」(72年)、「The Cry Of My Peole」(72年)、そしてMtumeの「Alkebu-Lan」(71年)に参加したことで知名度も上がっていった。72年ソーホーに、「レディース・フォート」をオープン。70年代ロフト・シーンの活性化に一際大きな役割を果たした。76年録音の本作は、WHYNOT主宰の悠雅彦が彼に惚れ込んで制作したアルバムだ。始めて、レコーディングの話をウィルソンにしてから5年の歳月が経ったが、結果的には76年の時点で彼が率いていたレギュラー・グループ「ボンド・ストリート」での録音となった。ボビー・ハッチャーソンの参加も希望されたが、スケジュールが噛み合わなかったようだ。メンバーは、ウィルソンの他、モンティ・ウォーターズ(as,ss,fl)、フィルダー・フロイド(tp,fh)、モリ・シロー(g)、フジワラ・キヨト(b)、ジョージ・アヴァローズ(ds)。ウィルソンの歌声は、鈍く光るいぶし銀の如し。そのシャウト唱法は、アフリカン・アメリカンならではのもの。特に、Side.Aの2曲が圧巻。13分49秒に及ぶ「ModeFor Trane」の熱気、迫力たるや尋常ではない。NY奥深くのロフトの日常がこんな具合だとしたら、今すぐにでもタイム・ワープしたくなる。彼の場合、近年多いヴォイス・パフォーマーではない。歌詞のある歌を歌ってる「歌手だ」。だが、歌詞があってこその訴えかける主張や圧力が半端じゃないのだ。
Monty Waters/モンティ・ウォーターズは、1938年カリフォルニア州モデット生まれのアルト・サックス奏者。最初はR&Bのバンドを渡り歩き、B.B.キング、リトル・リチャード、ライトニン・ホプキンス、T・ボーン・ウォーカー、ジェームズ・ブラウンらと共演をした。その後ジャズを演奏するようになり、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、アート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズらと共演した。なんとも、R&Bにせよ、ジャズにせよ豪華な名前が並んだものだ。自身のオーケストラを組織したこともあった。69年NYに移住。ロフト・シーン深くに演奏の場を移し、ファラオ・サンンダース、デューイ・レッドマン、ラシッド・アリ、ドナルド・ギャレットらと共演。エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムスというドラムの両巨頭とも演奏している。80年代からはパリに移住し、チェット・ベイカー、ジョニー・グリフィン、マル・ウォルドロン、サニー・マレイらと共演。このように共演歴は人並み以上に凄いにも関わらず、このアルバム(75年録音)まで、リーダー作どころか、サイドメンとしても一枚も吹き込みが無かったと言うから驚く。メンバーは、当時のレギュラーのベーシストだったロニー・ボイキンズ(サン・ラーとの共演が長い)と、ドラムのジョージ・アヴァロウズ。彼は、60年代前半は、エリントン、ベイシーの両楽団で演奏経験がある。そして、時々共演していたという増尾好秋がギターで参加した。彼の存在がここでは大きい。ウォーターズのサックスは、経歴からも分かるように、ブラック・ミュージックの大道を行くようなエモーショナルなサックスの演奏をする。タイトル曲が面白い。どこか日本の音階を感じる。増尾がいい。作曲も独自なものを持っている。もし、本作が無かったら彼の存在を我々日本人が知るようにはまだ当分ならなかった事だろう。
Bengt Berger/ベンクト・ベリエル(と、読むのか?)は、1942年スウェーデン、ストックホルム生まれのドラマー。インドのヒンドスタニ、カルナータカ両方の音楽と、西アフリカの音楽、特にガーナの音楽を学び、自身の音楽に取り込んでユニークな演奏を行っている。北インドのタブラも南インドのムリダンガムも両方師について習得している。ドン・チェリーとの交流も深く、「Organic Music Society」(71年、72年)、「Eternal Now」(73年)にも参加し、タブラ、ムリダンガム、チベットのベルやシンバル等を演奏している。BengtBerger(ds,perc,rassel),ChriterBothen(ss,b-cl,cl,p,gunbri,ballni),NickeStrom(b,rassel),KjellWestling(as,ss,b-cl,fl,cello,p,fiol)のカルテットによる75年録音によるアルバム「Spjarnsvallet」は、上記のドン・チェリーの2枚のアルバムに直結している無国籍感満載のB・Bergerのおそらくファースト・リーダー・アルバム。ドン・チェリーのアルバムでもよく聞くことの出来るチェリーの(オリジナルというよりもどこかの民謡のメロディーを引用したのではないだろうか)曲や、オーネット・コールマンの曲も演奏されている。二人のリード奏者も主要楽器以外も演奏しているようだが、fiolやgunbriやballniでは一体どれがいつ鳴っているのかは、残念ながら判別不能。アブドゥラ・イブラヒムの音楽にも通じるようなアフリカの音と、インドの音と、ジャズの音が渾然一体と現れる。Bergerの巧みなドラムや打楽器類の演奏が全体を引っ張り、音楽の方向性を示す。リード奏者二人がサックスを演奏すると途端にこの時代のフリー・ジャズに無国籍の状態から引き戻してしまう。これはこれで活きのある演奏なのだが、Bergerの音楽は無国籍が似合う。81年には、ECMから、ここでの演奏の拡大ヴァージョンが聴ける。大幅に演奏者が増え、女声や子供の声まで含まれる大作。
これは、1940年代から演奏を続けて来たベテランのスタン・トレイシーが、50歳前後の時に、録音当時は30歳前後と、二世代下のジョン・サーマンと、キース・ティペットとそれぞれデュオを行った2枚のアルバムから再編集して1枚に収めた再発CD。残念ながら、収録時間の関係から各々1曲ずつカットされている。オリジナルは、トレイシーにレーベルSteamからのリリースで、ジョン・サーマンとの「Sonatinas」(78年)。キース・ティペットとの「TNT」(74年)の2枚。ジョン・サーマンは、bs,ss,b-cl,tenor recorder,Synthを。トレイシーは、p,synthを演奏している。CDでは、全7曲、サーマンは、各種楽器を持ち替えながら、同時にシンセサイザーも演奏し、時にメロディアスに、時にリリカルにと引き出しの多さで楽しませてくれる。シンセサイザーは主に、シーケンサーを使った先にインプットしておいた音型の繰り返しが多い。この時代の彼の演奏にはよく聞かれる。引き出しの多さでは、おそらくサーマンの上を行くであろうトレイシーも、リズミカルになったりサーマンを挑発したりと、変幻自在のデュオになっている。ここではゴリゴリのフリーは封印。74年のトレイシーとティペットのデュオは、共にアコースティック・ピアノのみ。こちらは、結構アグレッシヴな演奏になっている。打鍵楽器よろしく、かなり激しく打ち付けるような激しい音の絨毯爆撃が行われる。単音を素早く走らせるよりも、空間いっぱいに音を敷き詰めるような演奏だ。これが、「Dance」と名付けられているのだから、激しい踊りだ。途中、すっと音が減る。その対比も効果的。ピアノ・デュオの傑作。CDでは前半のサーマン&トレイシーのデュオと並べて聴く事が出来る。どちらもトレイシーのデュオなのに、演奏の違いもあって楽しいCDになっている。
Khan Jamal/カーン・ジャマルは、1946年フロリダ州ジャクソンヴィル生まれのヴァイヴラフォン奏者。本名はWarren Robert Cheeseboro。一家はフィラデルフィアに移住。グラノフ・スクール・オブ・ミュージックとコウムス・カレッジで学んだ。個人的にビル・ルイスに師事。ビル・ルイスとは、ジャマルがマリンバを演奏したデュオ・アルバムを77年に録音しリリースしている。「コズミック・フォース・アンサンブル」を結成。その後「サウンズ・オブ・リベレイション」を結成。B・ランカスター、サニー・マレイ、サン・ラ、F・ロウ、N・ハワード、S・リヴァース、D・バレル、A・シェップ、ジェローム・クーパー、G・モンカーⅢ、テッド・ダニエル等々多くのフリー系ミュージシャンと共演を重ねた。72年録音の本作は、KhanJamal(vib,marimba,cl),Dwight James(ds,glockenspiel,cl),Alex Ellison(ds,African perc),Billy Mills(b),Monnette Sudler(g),Mario Falgna(soundeffect)という管楽器を加えない(一部クラリネットを持ち替えて吹いているが)アンサンブルによるフリー・ジャズ。ジャマルの自主制作で、300枚プレスだった。ジャケットも、名前が書いてあるだけのいたってシンプルな装丁だった。始めて聴いた時、2台のドラムとヴァイブラフォンとベースにサドラーのギターという編成と顔ぶれから想像していたものとは、全く予想を覆されてしまい驚いた。しばらく、自分のオーディオ装置の故障かと疑ったくらいだ。それは何かと言うと、明らかに電子音が鳴っているし、ドラムやヴァイブラフォンにしても、突然エコーやディレイがかかって鳴り出すのだ。演奏者自身がエフェクターを操作しているのかと思ったら、よくクレジットを見るとsound effectと書いてあるではないか。これで納得。この時代、このようなジャズにこんなエフェクトをリアルタイムにかけてライヴを行うとは、ジャマルの先進性に驚いた。かと思えばマリンバで乗りの良い演奏も含まれる。モネット・サドラーは、サニー・マレイのアンサンブルにも参加していた女流ギターリスト。
1966年、閣議決定により千葉県成田市三里塚に新東京国際空港の建設が行われることになった。これに反対する農民、住民により反対同盟が結成され、青年行動隊、婦人行動隊、老人行動隊、少年行動隊が組織された。71年、機動隊を投入し住居田畑を取り上げる強制執行が強行された。抵抗を繰り広げる反対同盟に全国から支援する者達も結集し、死傷者が出るほどの闘争に至った。その青年行動隊が主体となって「幻野祭」が71年第1次と第2次強制執行の合間を縫う時期に開催された。場所は、三里塚駒井野・天神峯。時は、8月14,15,16日。音楽と踊り(盆踊り)を通して、反体制運動への一体感を揺り起こそうと思ったのか。だが実際は歓喜と怒号と石が飛び交うアナーキーな空間、場と化したようだ。このアルバムは、初日のステージから収録されている。ロックからはDEW、ブルース・クリエイション、頭脳警察、そして反ロックとも言えそうなロスト・アラーフ(灰野敬二の証言では、これがどういうフェスなのか予め知っていたら出演しなかったそうだ。みんなで一体感なんて彼にはそぐわない。演奏は大きな石が投げつけられて来る中で行われた。)。ジャズからは、高柳昌行 ニュー・ディレクション(高柳、森剣治、山崎弘)。落合俊トリオ(落合、米川進一、荒井立男)。高木元輝トリオ(高木、米川進一、原寮)が収録されている。録音は無いらしいが、阿部薫もソロをやった。その阿部だが、クレジットはされていないが、高木トリオに飛び入りしているのがはっきりと分かる。そのステージには、勝手に上がり込んで来た者が踊っていたり、客席では裸になった者が走り回ったり、勿論ステージには怒号(歓声は無し)と共に物が飛んで来た。ニュー・ディレクションの時も同じく。曲間に収録された論争で混沌とした状況が伺えるだろう。
菊地雅章は、1939年東京生まれのピアニスト。東京藝術大学音楽学部作曲科で学んだ。弟の雅洋も同じ作曲科を出ている。60年代、美空ひばりの伴奏をした事もあった。68年ソニー・ロリンズの来日ツアーに参加。バークリー音楽院に入学。だが、そこでの教育システムに見切りをつけて、翌年帰国。70年2ピアノ、2ドラムズのグループを結成し、アルバム「POO-SUN」(プーさん、とは彼のあだ名)を発表し大好評を博した。本作「ポエジー」は、その翌年の富樫雅彦とゲイリー・ピーコックを迎えてのトリオ・アルバム。当時ピーコックは、日本に滞在していた。元々CBSソニーがこのトリオの企画を立ち上げるも、富樫のアクシデントで立ち消えた。代わりに村上寛がドラムを叩き、「イースト・ワード」がリリースされたのだった。富樫復帰後にこのセッションは行われることになった。1曲目の「ミルキー・ウェイ」以外は全て菊地の作曲。富樫は、ドラムの他グロッケン、マリンバ、ゴング類も使って、単なるリズム・キーパーや伴奏の域を大きく超えた菊地のピアノとは対等な立場で演奏している。これはゲイリー・ピーコックのベースも同じだ。菊地のピアノは時に寡黙となり、時に饒舌にもなるが、基本的には空間的と言ってもよい音の間合いを大事にした演奏だ。余談になるが、菊地~富樫~ピーコックのライヴが決まっていた時、突然の富樫のアクシデントのせいで演奏が出来ない事態になった。そこに富樫の代わりに呼ばれたのが豊住芳三郎だったことはほとんど知られていない。当時の菊地は、「Re-confirmation~再確認そして発展」(70年)、「菊地雅章+Gil Evans」(72年)、「End For The Beginning」(73年)等々名作の目白押し。91年、菊地と富樫は、今度はデュオ・アルバム「コンチェルト」をリリースした。2枚組の傑作。必聴、必携。
Misha Mengelberg/ミシャ・メンゲルベルクは、1935年旧ソ連キエフで生まれたピアニスト、作曲科。母親がハープ奏者で、キエフで演奏することになっていた為、当地で誕生した。父親は映画音楽の為のオーケストラを率いていた。ハーグのコンセルヴァトワールでピアノとヴァイオリンを学んだ。59年ママチュア・ジャズ・ミュージシャンのコンクールで優勝した。62年ハン・ベニンクと出会いカルテットを結成。64年のフルクサス・フェスティヴァルに参加。エリック・ドルフィーの「ラスト・デイト」にはハン・ベニンク共々参加。Han Bennink/ハン・ベニンクは、1942年オランダ、ザーンダム生まれのドラマー。父親はクラシックの打楽器奏者だった。少年の頃からドラムとクラリネットを演奏していた。60年代初期は、ベン・ウェブスター、ソニー・ロリンズ、リー・コニッツ、ジョニー・グリフィンらと共演していた。66年には、ミシャ、ピート・ノルディックらとニューポート・ジャズ祭に出演。次第にフリー志向が強くなり、ブロイカー、ブロッツマンらと共演を重ねて行った。67年ブロイカー、ミシャ、ハンでInstant Composers Pool(ICP)を設立。本作は、ICPの第2作目に当たる。ミシャとハンのコンビに、デンマークのサックス奏者で、ニューヨーク・コンテンポラリー5、ニューヨーク・アート・カルテットで活躍したジョン・チカイ(as)が加わったトリオ。トリオなんだが、聴いてるこちらの耳は、ほとんどハン・ベニンクのドラムに行ってしまう。それまでのジャズ・ドラムに限らず、どれと比べてもハンの演奏の特異ぶりは際立っている。対するミシャも、まるでモンクの演奏を高速回転させたような彼以外にはいないこれまた特異ぶりを見せる。このふたりと比べると、チカイの演奏は、当時これがどう聴こえていたのかは分からないが、今の耳で聴くと、ひとっところから離れられないじれったさを感じるのも確か。
Alan Sondheim/アラン・ソンドハイム(でいいのだろうか?)は、ペンシルバニア州Wilkes-Barre生まれの謎多きコンポーザー・パフォーマー。現在は、コンピューター言語がどうたらこうたらと、私には意味不明の分野でご活躍のこと。と、思ったら2005年以降大量のCD.LPがリリースされている。おまけに古巣のESPからも、新作CD「Cutting
Board」~AlanSondheim(g,fl,ukulele,sarangi etc),Christopher Disparra(ts,bs),EdwardSchneider(as)をリリースしている。60年代のESPの2枚だけで、その後の足取りが長らく不明とされていたくらいだから、2000年以降の活躍には喝采。さて、このESP盤だが、この前年に「Ritual-ALL-7-70」出た後の彼のセカンド・アルバム。参加メンバーは、アラン・ソンドハイム(moog synth,prepared-p,tb,jaltrang,hawaian –g,dilruba,g,ss,bass-
recorder,marimba,melodeon)、June Sondheim(p,voice)、Gregert Johnson(fl,piccolo,moog)、JoelZabor(ds,table,moog)、PaulPhilips(tp)、John Emigh(ts)。全12曲。短いのは、1分9秒。長いので7分25秒と、どれも短く、どれもみんなお互いの共通した曲のイメージが希薄。これは、所謂フリー・ジャズのアルバムでは無いのだ。ESPだからと随分前に買ってみたら、予想と違っていた。だが、違っていて逆に良かったアルバムのひとつだった。ソンドハイムの作曲した曲を演奏したコンテンポラリー・ミュージックのアルバムと言えるだろう。「だろう。」と書いたのは、「現代音楽」と聞いてイメージするような音楽とも何だかズレてるようで、何とも摩訶不思議な音楽なのだ。68年という時代に、シンセサイザーの電子音が鳴り出すわ、色々な民族楽器(と言っても長年の修行を要するような楽器じゃなくて・・。中にはタブラなんかも含まれてはいるが)が出て来たり、奥さん(多分)のヴォイスが活躍したり、フリー・ジャズぽかったり、ソンドハイム本人も、様々な楽器を持ち出して弾いている。とりとめが無いようで、あるような・・。そんなとっ散らかり具合が魅力な一枚だった。
これは、フランスのレーベルFractal Recordsによる、1999年から2002年にかけて録音、制作された日本の色々なミュージシャン、グループのコンピレーション・アルバム。このレーベルは、一筋縄でいかないところがあって、フランク・ライトの「Center Of
The World」、ジャック・ベロカル「Musiq Musik」、クセナキス「Persepolis」、アーサー・ドイル&サニー・マレイ「Dawn Of A New Vibration」、アシッド・マザーズ・テンプル等々と、電子音楽の名作からフリー・ジャズ、はたまた日本のアンダー・グラウンドの雄までとレーベル・オーナーの好みを正直に並べている感じだ。そしてこの2枚組コンピレーションもそうで、日本のアンダーグラウンド全体をこれで俯瞰出来るとまでは言わないが、2000年当時のかなりの部分を聴く事が出来るのも確か。と、言ってる私だが、ロックの方となるとフリー・ミュージック、現代音楽などと比べると甚だ疎い。正直、このCDで初めて聴いたバンドやミュージシャンが半分にもなる。なぜこれを取り上げたのかと言うと、ある日永井清治さんから1枚のCD-Rが送られて来た。そこには、2曲収録されていた。それが、このCDにも収録されている「Object」だった。空間をノイズでいっぱいにするような密度の高い音の粒子の洪水のような演奏だが、かすかな違いを感じる程度の2テイクがCD-Rには入っていたのだった。このどちらかをCDに入れるから選んで欲しいと手紙には書かれてあって、自分の選んだ方が、このCDに収録されてあったのだった。永井さん自身もこっちを選ぶつもりだったのだろうけど、あえて私にも聞いて来られたのだろう。なんだか、このCDに微力なりとも協力出来た気分になって、このCDは大事に収納してある。次によく聴くのは、川端一か。彼は防府市のBar印度洋によく出演されるので、生を聴く機会が多いのだ。
セロニアス・モンク。1917年 ノースキャロライナ州レッドウ生まれのピアニスト、作曲家。それ以上の説明を要しないほどのジャズ界の巨人だ。巨匠の言葉は似合わない。「巨人」なのだが、他の巨人達と比べると、どうも立ち位置が少々違っているようにも思える。モンクと言えば、あの不協和音、ユニークなメロディーにリズム。それ以上にユニークすぎる人間像か。代表作は山ほどあるし、モンクらしさを言うならソロ・アルバムを紹介すべきかも。本作は、1963年 フィルハーモニック・ホールでの10人編成のビッグ・バンド(編曲はホール・オーヴァートーン)と、ソロと、ラウズ、ウォーレン、ダンロップというレギュラー・カルテットの演奏が収録されている。ビッグ・バンドには、スティーヴ・レイシーも参加している。残念ながら、レイシーの出番は少ない。サド・ジョーンズとフィル・ウッズの活躍が目立つ。だが「アイ・ミーン・ユー」では彼らしいソロをとっている。当然のことだが、モンクをフリー・ジャズ・ミュージシャンなどと言いたくて取り上げているのでは無い。ピアノ・スタイルなんて、ビ・バップ以前のハーレム・スタイルと言ってもよいくらいだ。そんなモンクに影響を受けたり、贔屓にしているフリー・ジャズ・ミュージシャンのなんと多いことか。研究家と言っても良いレイシー然り、セシル・テイラー然り、シュリッペンバッハ然り、ミシャ・メンゲルベルク然り。セシル以外はみんなモンク作品集を作っている。シュリッペンバッハに至っては、一晩でモンクの曲を全曲演奏してしまうコンサートをやったりCDも作ったりだ。ミシャは、モンク以上にモンクしてる? どうも、アメリカよりもヨーロッパのミュージシャンの方が、よりモンクの本質を突いた演奏をしているように思う。モンクがピアノから離れて踊っている映像を見たことがあるが、まさにモンクの演奏まんまだった。
Andre Jaume/アンドレ・ジョームは、1940年フランス、マルセイユ生まれのサックス、クラリネット、フルート奏者。56年からクラリネットを始め、60年にサックスに替えた。マルセイユを中心として活動する即興音楽探求グループGRIMの設立に参加。地中海のフォークロアも取り込んだユニークな活動を行っている。特に、コルシカ島の男声ポリフォニー・コーラス「タヴァーニャ」と、民謡の旋律を取り上げたアルバム「Incontru」(NATO/84年)は必聴! 自主レーベルCELPも設立し、数多くの良質なアルバムをリリースしている。Michel Redolfi/ミシェル・レドルフィは、1951年、同じくマルセイユに生まれた、エレクトロニック・ミュージックの作曲、演奏家。ニースのCentre International De Recherche Musicale(CIRM)のディレクターを務めている。水中で演奏し、水中で録音したりと、ユニークな発想は、評判が高い。アルバムも相当数リリースされている。マルセイユつながりのふたりが共演したこのアルバム(残念ながら録音年代が分からない。70年代後半あたりか、せいぜい80年代前半)は、フリー・ジャズと電子音楽が正面衝突してしまったユニーク極まる演奏。ジョームは、サックスやクラリネットを演奏する。レドルフィーは、シンクラヴィア、シンセサイザーを演奏。そこに、ジャン・マルク・モンテラのギターと、Jacques Diennetのキーボード、Frank Roton Le Meeのヴォーカルも加わる。ミュージック・コンクレートのテープも予め作ってあるように聞こえるのだが、これをライヴで演奏しているとなると凄い。多分これほどの音の変化はテープではないか。ジョームも、ここではジャズ・サキソフォン・プレーヤーであることは横に置いて、どちらかといえばレドルフィーの世界に身を任せている感じだ。これ、私の大好物であります。
Cecil Taylor/セシル・テイラーは、1933年ロングアイランド・シティ生まれのピアニスト。父親が上院議員の召使、コックをし、アマチュアの歌手でもあった。母は、良家の出で(セシルの祖母は先住民との混血)ピアノの演奏もした。当時の黒人としては恵まれた家庭に育った。5歳からピアノを習い始めたが、ピアノ教師の夫君がNBC交響楽団の一員だったことで、打楽器も教わった。ニューヨーク・カレッジ・オブ・ミュージックで作曲と和声を学ぶ。51年には、ニューイングランド音楽院に入学。バルトークやストラヴィンスキーに熱中する。同時にビ・バップのハーモニー、コード・チェンジも学んだ。当地でジジ・グライス(このアルバムの後半に収録)に会っている。51年、チャーリー・パーカーとも出会った。当時のセシルはバド・パウエル・スタイルだったようだ。NYに出て、ジョニー・ホッジスのバンドに参加。(ジョン・コルトレーンもホッジスのオーケストラに参加し、録音も残している。)初録音は55年Transitionに吹き込まれた「Jazz Advance」。56年ファイヴ・スポットに出演。翌年、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演した。その時の録音が、ここで紹介するアルバムだ。片面は、当時からの知り合いでもあったジジ・グライスとドナルド・バードの双頭コンボの「ジャズラボラトリー」による演奏。当時、グループ・エクスプレッションを目指した先進的なグループだった。セシルのグループは、ファースト・アルバムと同じメンバーで、スティーヴ・レイシー(ss)、ブエル・ネイドリンガー(b)、デニス・チャールズ(ds)のカルテット。勿論後年のあの怒涛のフリーは聴けない。だが、すでにその萌芽は伺える。エリントン、モンクのゴツゴツとしたピアニズムを引き継いだピアノに、レイシーのソプラノ・サックスの軽やかさがよく似合う。セシルの足跡を追うことは同時にフリー・ジャズの行程を追う事だ。
Ken McIntyre/ケン・マッキンタイヤーは、1931年マサチューセッツ州ボストン生まれのアルト・サックス奏者。オーボエ、バスクラリネット、フルート、バスーン、ピアノも演奏する。40年~45年にかけてピアノを学んでいたが、アルト・サックスに転じ、ジジ・グライス、チャーリー・マリアーノらに師事した。53年兵役のため日本にいたこともある。54年ボストンに戻り、ボストン音楽院で作曲科で修士号を受けた。58年ブランダイス大学でニ年間教える。60年、エリック・ドルフィーと出会い、アルバム「Looking Ahead」を残す。前作「Stone Blues」に次ぐ、62年録音の本作は、John M.Lewis(tb),Ed Stoute(p),Ahmad Abdul-Malik(b),Warren Smith(ds)のクインテット(tr.6のみ)と、Jaki Byard(p),Ron Carter(b),BenRiley(ds),Lu Hayes(ds,tr.5のみ)のカルテットにマッキンタイヤーのアルト・サックスとフルートが加わる。「Laura」以外は彼の作曲。彼の演奏は、セシル・テイラーの名作「Unit Structures」やBill Dixon 7-tetteの64年のSavoy盤でも聴けるが、本作は、そう言ったフリー・ジャズを想像されると少々困る。ジャッキー・バイヤード、ロン・カーターと言った名手を従えたジャズのアルバムと思っていただいた方がいい。アヴァンギャルドの片鱗はあるものの、基本的にはチャーリー・パーカーとエリック・ドルフィーの中間点にあるような演奏だ。中途半端と言えば中途半端。だが、哀愁を帯びた1曲目といい、なかなかいい曲が揃っているし、これはこれでなかなか聴かせるアルバムなのだ。63年の「Way,Way Out」以降は、演奏よりも大学で学んだり、教鞭を取る方を優先させた。70年代Steeple Chaseに録音するようになるまでアルバムは無い。70年代からは、アルバムも多く、「Hindsight」、「Home」、「Open Horizon」、「Introducing The Vibrations」(日野皓正が参加)、「Chasing The Sun」、「In The Wind」、「New Beginning」等々が聴ける。彼にしか表現の出来ない音楽を作り上げている。チャーリー・ヘイデン、リベレーション・ミュージック・オーケストラにも参加し、これはヴィデオでも見ることが出来る
Judy Dunaway/ジュディ・ダナウェイは、1964年ミシシッピ州生まれ。作曲、即興演奏、インスタレーションを行う。何がユニークかって、彼女は風船を使ったインスタレーションはまあ、ありそうだが、何と風船を“演奏”するのだ。子供の頃誰でも風船の表面をこすって、キュキュと音を出した経験はあるだろう。まさにあれを自身の“楽器”として用いているのだ。CDを試しに買ってみて、恐る恐る聴いてみたら、本当にあの風船の表面を擦る音だった。こんな事に興味を抱き、即興演奏したり作曲したりするダナウェイとはどんな経歴なのだろうと調べてたら、NY州立大学やウェズリアン大学(アルヴィン・ルシエに学んでいる)でアカデミックな教育を受けてるではないか。この経歴なら通常の楽器やエレクトロニクスで創作、演奏活動をしそうなものだが、彼女はこの風船を選ぶ事で独自の立ち位置を確保した。さすがに、その風船の“演奏”は「風船で遊んでます。」のレベルじゃない(当然だけど)。肘を使って音程を大きく変えたりと日々の練習で発見したであろう様々なテクニックを屈指して“演奏”している。なにより、その音の刺激は相当なもので、もしこれを大きく増幅して流したらさぞかし耳が痛いだろうと言った具合だ。8曲中半分は彼女のバルーン・ソロ。おそらく即興演奏だろう。風船を持ったインプロヴァイザーも、彼女の肩書きのひとつだ。Dan Evans Farkasのエレクトロニクスとのデュオも違和感なく風船が電子音に溶け込む。「Bluebird」は、彼女の風船の即興演奏が収録されたCDを、刀根康尚がプリペアードCDにしたもの。予測のつかない音の連続で、ただでさえノイジーな風船の音が、さらにバラバラにされて聞き手を襲う。風船インプロヴァイザーとしてジョン・ゾーンやロスコー・ミッチェルとも共演している。風船による作品は40曲を越えるという。
刀根康尚は、1935年東京生まれの前衛芸術家、作曲家。評論家。小杉武久、塩見允枝子、武田明倫、水野修孝らと、1958年「グループ・音楽」を結成。刀根以外は全員東京芸大の学生達だった。グループ名を考えたのは刀根。このグループは、日本で最初の集団即興演奏を行った。次第にグループは、小杉と刀根が中心となって行き、音を出す行為よりも身体的行為の方が主になっているような場合もあったが、それら全てを「演奏」と呼んだ。一柳慧に紹介されたジョージ・マチューナスに誘われ、刀根はフルクサスに参加する。ハイレッド・センターや風倉匠とも共演。当時の反芸術運動の中心的存在の一人になって行った。72年に渡米。創作活動を活発に行う。74年~79年には、マース・カニングハム・ダンス・カンパニーの仕事をしている。85年のブッチ・モリスの第1回目のコンダクション「Current Trends In RacismIn Modern America」に、刀根はヴォイスで参加してる。93年に作られた「Musica Iconologos」は、中国最古の詩集「詩経」から二つの詩を選び出して、その詩の漢字を一文字づつスキャンし、画像データに変換。その画像データをコンピューターにデジタル・データとして読み込ませる。そのデータをサウンド・データに変換。それがCDになり、こうして我々が聴いている。結果としたあるCDも大事だが、それ以前のプロセスを実際にこの目で見てみたいものだ。漢字が音に変換されるというが、具体的にその漢字のどこがどう最終的な音に関わているのか等々が気になる。が、実際ここで鳴っている音は、そんな感情もぶっ飛んで行くような猛烈に刺激的なノイズに覆われている。現在のノイズ・ミュージックは、これから起こるであろう音の創成には、プレーヤーの意思が演奏を左右する。だが、刀根のこの作品は、漢字を音に変換するためのプログラムは先に作られてはいるが、作者の意思では結果は予測出来ない。
奈良の春を呼ぶ行事の一つに東大寺の「お水取り」がある。これは1200年前から続く年に一度の法会である「修二会(しゅにえ)」の一般的な呼び名だ。この春を迎える寺院の行事のひとつ「修二会」は東大寺だけのものではなくて、薬師寺、法隆寺、長谷寺等にもあるのだが、東大寺修二会の規模の大きさは他を圧する。三月一日から十五日未明までの間練行衆に選ばれた十一名の僧侶によって連日連夜続けられる行法。彼ら十一名の悟りを得るといった小さな目的ではなく、春の初めにあたって、人類全てが犯した罪の全てを彼らが背負い、懺悔し、汚れを落としさり、改めて訪れる年の平安、豊穣、幸福を祈るというもの。一日の中で六回の法要が繰り返し行われる。このCDでは、2月28日と3月10日の法会を収録されている。CDなので音しか聴こえない。映像で見るダイナミックな篝火などを見ることは出来ないが、その代わり、聲明(唱える時刻等によって、リズミカルだったり、ゆったりとしていたり、力強いものだったりと様々)や、法螺貝の音、鈴の音、「走り」の音(これは内陣を50回以上巡り続ける苦行のひとつ)等々を目を瞑って聴いていると自分も参加しているような錯覚を起こす。一度実際に行って見て見たいものだ。
Trio Basso/トリオ・バッソは、Eckart Schloifer/エックハルト・シュロイファー(viola)、
Othello Liesmann/オテロ・リーズマン(cello)、Wolfgang Guttler/ヴォルフガング・ギトラー(b)の低音トリオ。1982年ヴィッテン新室内楽デイでデビュー。ヴィオラ、チェロ、コントラバスと妙なトリオを組んだものだが、この楽器の組み合わせの曲ってあるのだろうか。委嘱するしかないような気もする。さて、このアルバムだが、この三人による即興演奏が収録されている。即興なら楽器編成がどんなだろうといくらでも出来る。ここでの問題は、これが演奏された場所だ。ケルン市営ガス、電気、水道局が記念建造物として管理している「ゼフェリン」と呼ばれる巨大地下水槽がある。改築工事を控えて空っぽになっていたところを狙って、この中で演奏したのだが、ここは驚くべき事に残響時間が45秒と言う途方もない自然なエコーというかディレイがかかるのだ。録音は、楽器にかなりオンマイクで録っていることもあって、音の輪郭がぼやける事はない。演奏者は、こうしてスピーカーからの再生音を聴いてるリスナーとは違い、残響の方がよく聴こえていたのではなかろうか。その長い残響を計算に入れながら、また反応しながら演奏は進む。ときに声も発する。あまり演奏速度を上げたり、長く弾くと音が団子になって押し寄せて来るだろうから、演奏自体はかなり断片的に行われ、音の無秩序な混沌は起こらないし、うまく避けられている。ここまで残響が多いと、とても3人の演奏には聴こえない。CDを再生する場合は、なるべく大きな音量でどうぞ。残響がよく聴こえます。
これは、ヴォイジャー2号が、1986年1月24日に地球に送って来たUranus/天王星のデータを元に作られている。宇宙空間には極々薄い水素分子とかがフラフラしてる?くらいだから(本当の意味での真空は存在しないらしい。反物質、ニュートリノ、ダーク・マター、ダーク・エネルギー等々が有るそうだ。見えないし、感じられないけど。)地球上で聴けるような音は存在出来ない。だが、音の元になるものは様々な電波として無数に飛び交っている。気体が無いから、人間はそれを音として認識出来ないだけだ。このCDは、NASAに保存されている膨大なデータから、天王星の発する様々な電波の中から人間の可聴な範囲の20~20.000Hzの部分をサウンド化したもの。ここに記録されている情報は、
1 太陽風と惑星や衛星の磁気圏との相互作用で放出される荷電イオン粒子
2 磁気圏そのもの
3 惑星と大気の間で反射を繰り返している電波
4 宇宙自身の電磁ノイズ
5 惑星、衛星、太陽風の荷電粒子の相互作用
6 惑星の輪から放出される荷電粒子
なのだそうだ。このCDを作ったのはアメリカのブレイン/マインド・リサーチ社で、そもそもの目的は、これを聴いてリラックスする為のもの。そんな事は、横に置いといて聴くと、正に電子音楽そのものではないか。これを瞑想とかに使い、商売にした会社の狙いはともかく、こうして聴けるのは有難い。持続した重層の電子音響が変化して行く様は、十分「電子音楽」として楽しめるどころか、驚くやら楽しいやらの1枚。他にも、土星の輪、天王星の衛星ミランダ、木星とその輪と、衛星イオも出ているようだ。今ではYouTubeでも色んな星の音が聴ける。どれもこれも面白い。
これは、京都遷都1200年となっているが、遷都を祝っての企画モノだけに終わっていない大変興味深いアルバム。京都どころか平城京以前の五世紀半ばには允恭天皇の葬儀に新羅楽が奏されたとの記述もあるほど、古代から日本はシルクロードの東の終着点として大陸、半島の文化が流れ込んで来ていた。正倉院御物にはそんな時代の楽器や少ないにせよ楽譜が残されている。この御物や他の文献資料及び専門家の想像力を結集して、古代の楽器と楽譜の復元をし、実際に演奏してみせたのが、ここで聴ける録音なのだ。平安京を遡り、平城京、はたまた斑鳩の里を飛び越え、遠く大陸の当時演奏され、聴かれたであろう音楽がここで奏でられる。本当のところはタイムマシンでもない限り無理な話だろうが、現代においては意識的に省かれた響きや、忘れ去られてしまった響きをこうして100%ではないにせよ復活させてみるのは、なのも復古趣味や懐古趣味に終わらない。未来の音楽への何かのヒントにもつながるというものだ。現代では消えてしまった音楽からなのか、私の体のDNAがそうさせるのか、新鮮な響きもそこかしこに聴こえて来るのだった。とくに「長秋竹譜"曹娘褌脱”」は24分に及ぶ大曲。ここまで復元した関係者の執念に感服。
チャールズ・アイヴズは、1874年コネチカット州ダンベリーに生まれた。シェーンベルクとは同年齢。1898年イエール大学作曲科を卒業後、生命保険の代理店をして生計を立てていた。空いた時間を作曲に費やしていたのだろう。聴衆の反応を気にすることなく、自分の作りたいように作曲を続けた。音楽界から隔離されていた事が吉と出た(人によっては凶なのかも?)ようで、当時すでに無調、4分音、セリー、トーンクラスター、偶然性等々戦後になって聞かれる事になる前衛的な音響の数々を1930年に引退するまでに作り上げていたのだった。当盤は、そんなアイヴズの1903年から16年にかけて作曲された作品を収録している。どれも多様な語法が混在し、まるでコラージュ作品のような音楽が聴ける。異なった音楽が同時進行をしているような箇所もある。そんな中で、突然、街のブラスバンドが明るい音楽を響かせたりもする。こんな音楽を、他でも耳にする事が出来る。アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ率いるグローブ・ユニティだ。異なった要素を持つ音楽の同時進行がここでも聴ける。交響曲第4番は、オーケストラに合唱団を加えた大編成だ。アイヴズの曲には、どうも実際に演奏される事をあまり想定してはいなかったような編成の曲がある。
向井山朋子は、アムステルダムを拠点に活躍するピアニスト。「向井山朋子財団」を主宰し、自身がディレクター、プロデューサーを務める。インスタレーション、写真、ダンス等とのコラボレーションも積極的に行いイチ・ピアニストを越える正に”アーティスト”。2000年に録音された本作も、作曲家に委嘱した曲を弾きましたと言うようなアルバムに終わっていない。全5曲の内向井山自身の曲も含めて、田中カレン、権代敦彦&Merzbowと、日本人作曲家の作品が3曲並ぶ。あとはおそらくオランダ人作曲家だろう。この5曲がそれぞれ相当な個性を持つ曲ばかりで通して聴いても聴き飽きる事はない。田中カレンの曲は、テクノのリズム、スピードをピアノ・ソロでリアライズしたもの。Michel van der Aaの曲は向井山のピアノにピアノの音を加工したエレクトロニックなサウンドが重なる。Toek Numanの曲は、ジャズを感じさせるところもある本作では最も古風な佇まいを見せる曲。向井山の曲は、彼女の5歳になる娘による朗読と、88歳の老女の声をコラージュした音がピアノに重なる。どこか懐かしい旋律が絶えず流れる。Merzbowと権代敦彦による曲は、Merzbowが向井山の声と彼女のCDからサンプリングし作ったノイズを、権代がさらに5つのパートに分割した。そのノイズとピアノが折り重なって演奏される。現代音楽でのノイズサウンドと言っても行儀のいいものだが、ここでは正に通称ジャパノイズと呼ばれるノイズが現代音楽にも入り込んで行ったのだった。
ハインツ・ホリガーは、1939年スイス生まれの現代最高のオーボエ奏者であり作曲家の一人。これは日本コロムビアが制作した61年から71年にかけて作曲された作品を集めたアルバム。バルトークとコダーイの助手をつとめていたこともあるハンガリーのヴェレシュ。ポーランドのペンデレツキ。韓国の尹伊桑/ユン・イサン。旧ソ連、トムスク生まれのデニソフ。そしてホリガーの自作曲が2曲演奏されている。この10年間の現代音楽の多様性を垣間見る事の出来る内容になっている。ホリガーの曲は、循環呼吸を使った曲と、もう一つはオーボエではなくエレクトリック・フルートの曲で、フルートと言うよりは一本の管(くだ)の共鳴だけで成り立っているような演奏だ。オーボエによる循環呼吸を使った曲は、常に重音の連続。姜泰煥さんの演奏を思い起こさせる。でも、こっちは71年の作品なのだ。このアルバムの中で個人的に最もよく聴いて来たのは、尹伊桑の「ピリ」だ。韓国の小さなダブル・リード楽器のピリをタイトルにしたオーボエの独奏曲。ピリの世界をオーボエで表現しようと試みられているが、それは成功したと言えよう。一本の筆で長い一枚の紙に音を様々に変化させて書いて行くような演奏。厳しい響きを持つ。この1曲だけで買う価値アリ。
Phill Niblock/フィル・ニブロックは、1933年生まれの音楽、フィルム、写真、ヴィデオを使ったインター・メディアーティスト。1958年からニューヨークを中心に活動を続けている。60年代半ばからインターメディアによるパフォーマンスを行っている。映画、スライド、ヴィデオ、音楽が同時進行する。彼の作る音楽は「究極のミニマル・ミュージック」と呼んでもいいだろう。このアルバムは、2003年から2005年にかけて制作された9曲が3枚組CDに収録されている。一つの楽器を一つのマイクで収録し、コンピューターのハードディスクにダイレクトに録音する。その音源を元に1曲を20分前後に加工し組み上げていく。組み上げると言うよりも重ね合わせて行くと言った方がいいかも。基本的には長いドローンが永遠と続き、曲によっては音のアタックがほとんど感じられずにずっと続く持続音を聴く事になる。使われている楽器は、ギター、チェロ、リコーダー、ヴィオラ、サックス、トランペット等々と言ういたって普通の楽器なのだが、音を伸ばされ、重ね合わされ聴いて行く内に、これが何の楽器の音なのかが分からなくなって行く。倍音のゆっくりとした変化に身を任せると気持ち良い。
日本では特に人気の高いジャズ・シンガー、ヘレン・メリル。クリフォード・ブラウンとの例の「You'd Be So Nice To Come Home To」の名唱で一気に火がついて以来人気は不動のものになった。日本での人気は、メリルが東京千駄ヶ谷に居を構えてしばらく滞在していた事や、彼女の人柄にもよるだろう。その後は佐藤允彦、山本邦山らとの共演を楽しんでいた。アルバムも数多く制作されている。山本邦山との録音をマイルス・デイヴィスに聞かせたら、笑顔で褒めたと言う。そのメリルのここでの相手は、ピアノ、エレクトリック・ピアノのゴードン・ベック。基本的にはピアノ伴奏による歌唱になるのだが、曲によってスペシャル・ゲストが入る。ヴァイオリンのステファン・グラッペリと、何とスティーヴ・レイシーなのだ。グラッペリは期待通りの華麗なスウィングを聞かせる。レイシーやいかに? フュージョンのサックスとは別世界にあるレイシーの独特な音色や唯一無二のフレージングと、メリルのハスキー・ヴォイスが期待以上の相性の良さを見せる。「Round About Midnight」を一緒に演奏し歌っている。そう、レイシーはモンクとの共演歴も長いのだ。
John Stevens率いるSpontaneous Music
Ensemble(SME)の1973年と74年の録音。とかくデレク・ベイリーが即興演奏のグルとして語られることが多いが、ジョン・スティーヴンスの即興の世界での役割はとても重要なのだ。彼なくしてイギリスの即興シーンは語れない。正に重要な牽引車だった。彼が組織したSMEの名前を冠したアルバムは、1966年の「Challenge」から始まる。イギリスの重要なインプロヴァイザーのほとんどはSMEを経験していると言ってよい。本作は、1973年のJohn
Stevens(perc,cor,voice)&Trevor Watts(ss)のデュオと、この二人にKent Carter(b)を加えたトリオの演奏。1974年のJ・Stevens(perc,cor),Evan Parker(ss),Trevor Watts(ss),Derek Bailey(g),Kent
Carter(cello,b)という豪華なメンバーを集めたSMEの演奏が収録されている。正に、「Improvised Musicはかくあるべき」といった見本のような演奏だ。オリジナルのリリースは1986年のLP。それでも、コンサートから12年もたってから日の目を見たことになる。EMANEMは長く即興の現場を見て聴いてサポートして来たMartin
Davidsonのレーベル。現在でもリリースは続く。
John
Coltraneは、1967年7月17日午前4時にこの世を去った。遺作となったのは「Expression」で、同年の2月と3月に録音されている。1995年になって、2月15日録音分が日の目を見ることになった。アリス・コルトレーンが保管してる録音から収録された。「Expression」にも収録されている「Offering」以外は全て未発表だ。後期コルトレーンにはいつも共演していたファラオ・サンダースの姿はここにはない。この録音の前年の日本公演で聴けるような激烈な演奏はここでは全体の一部になっている。明らかに次の表現へと足を進めている。サンダースはいないが、後のメンバーは、アリス・コルトレーン、ジミー・ギャリスン、ラシッド・アリといつものレギュラー陣だ。激しさ一辺倒ではなく、どこか静謐な空気が流れている。もちろんフリーな演奏なのだが、怒りを外に向けただけの音楽ではなくて、もっと精神の高みを目指したものだ。交流があったとされるラヴィ・シャンカールからの哲学的、宗教的な影響もあるのだろう。もっと生きていたら、この後どう音楽が発展して行っただろうか。
Kronos Quartet(David Harrington~vln,John Sherba~vln,Hank Dutt~viola,Joan
Jeanrenaud~cello)は、1978年に結成された現代曲を専門にする弦楽四重奏団で、通常の活動はケージ、ライリー、グラス、シュニトケ、ナンカロウ等の戦後の現代曲の演奏が主で、せいぜい遡ってバルトーク、ヴェーヴェルン、ショスタコーヴィチあたりか。彼らのアルバムは、1984年の「Monk Suite」(ロン・カーターと共演したセロニアス・モンク集)、86年の「Music by
Sculthorpe,Sallinen,Glass,Nancarrow,Hendrix」(ジミ・ヘンドリックスのPurple Hazeを演奏)、87年の「White Man Sleeps」(オーネット・コールマンのロンリー・ウーマンを演奏)、88年の「Winter Was Hard」(ジョン・ゾーンの曲を演奏。クリスチャン・マークレイ、太田裕美も共演)、90年の「Five Tango
Sensations」では、アストル・ピアソラと共演と、正に破竹の勢いで、衝撃的なアルバム・リリースを続けた。何より取り上げる曲が従来の弦楽四重奏団とは相当に意表を突くので、現代音楽ファンのみならず、ジャズ・ファン、ロック・ファンの注目を集めたのだった。その後、毎回毎回色々な企画を立てては数多くのアルバムをリリースしている。その度にセンセーションを巻き起こす。さて、このアルバムだが、今度の焦点は弦楽四重奏のイメージからは最も遠い感じのするアフリカ大陸なのだ。Dumisani
maraire,Hassan Hakmoun,Foday Musa Suso,Justinian Tamusuza,Hamza El Din,Obo Addy,Kevin
Volansの曲を演奏している。クロノスの演奏する弦楽四重奏の他、タール、コラ、ウード、歌等が曲によって加わる。どの曲もゲンダイオンガク臭は薄く、アフリカの匂いが立ち込める。アフリカの雄大な大地を思わせる旋律やリズムにクロノスのストリングスの音色が心地よく絡んで行く。
クロノスによって、ムーハー・リチャード・エイブラムス、ロスコー・ミッチェル、ワダダ・レオ・スミス(George Walker;Forth Moment of Strings Quartet No.2)の作曲による曲の演奏会が催されたことがあった。残念ながら未だCD化されていない。
Connie Crothers(p)は、カリフォルニア大学で学んでいた頃、レニー・トリスターノの「Requiem」を聴いて衝撃を受け、その後トリスターノ門下に入る。1973年カーネギー・リサイタル・ホールでデビューを飾った。この録音はその翌年の収録。同じくトリスターノの門下生のJoe Solomon(b)とRoger
Mancuso(ds)とのトリオ演奏と、ピアノ・ソロが並んでいる。トリオの演奏はあまり動きのないリズム・セクションの上をクロザーズのピアノが中心から離れたり近づいたりしながら、浮遊感を漂わせている。当時のジャズ・ピアノと言えばビル・エヴァンスかマッコイ・タイナーのような演奏が主流を行っていたが、そのどちらとも違う演奏なところがいい。トリスターノ門下なのだから当然なのだが。トリオの演奏はいかにもトリスターノ流なのだが、ソロ・ピアノとなると全くのフリー。事前に何の取り決めも用意せず演奏に臨んだようだ。個人的には、ソロだけのアルバムも聴いてみたかった。なにしろアルバムというものが少ない人で、他に私が持っているのは、マックス・ローチとのデュオ・アルバム(LP)があるだけ。だが、近年YouTubeで、彼女自身がFree
Improvisationのやり方と言って映像を公開している。もっと録音を残して欲しかったが、リリースしてくれるレーベルが無かったのか?
これはCD3枚+DVD1枚に、1948年から1980年までの電子音楽の歴史をコンパクトにまとめた画期的なもので、資料的価値も大きい。電子音楽は、20世紀に入ってからのテクノロジーの発達と並行してその姿も変わって行った。テレミン、トラウトニウム、オンド・マルトノー、ハモンド・オルガン、テープ、シンセサイザー、コンピューター、そして自作による様々なエレクトロニクス等々。音楽作品としては、テープにオシレーターの音を固定して行くものや、具体音を固定して行くミュージック・コンクレート。そのテープと生楽器との共演。そしてハードウェアの発達に伴ってライヴでも演奏出来るようにもなった。今では、それが当たり前の時代になり、所謂現代音楽の領域よりも、ロック等のポピュラー音楽では電子音抜きでは考えられない。即興演奏も、従来のアコースティック楽器とエレクトロニクスの共演は普通に行われている。ノイズ然り。このCD+DVDセットで扱われているのは、所謂現代音楽の領域での作品。元々が「こうでなくてはいけない。」というルールの無い音楽なので、テクノロジーの発達と音楽そのものの領域の拡大・拡張に伴い聞こえて来る音響も様々で、聞き手の好奇心も「次は次は」と、とめどもなく続く。Clara
Rockmoreのテレミン~Pierre Schaefferのミュージック・コンクレート~Stockhausenの「Kontakte」~MEVのライヴ・エレクトノニックな即興演奏~湯浅譲二の名作「Projection Esemplastic for White Noise」~Luc Ferrariの「Music Promenade」~La Monte Young、Steve
Reich,Terry Rileyらのミニマル・ミュージック~Alvin Lucierの「Music On A Long Thin
Wire」~その他、Xenakis,Oliveros,Bayle,Risset,Babbitt,Cage,Tudor,Subotnick,Lansky,Ashley,Curran,Varese,Messiaen,Maxfield,Behrman,Eno,Schulze等々で電子音楽の歩みを辿るには最適なセットだ。
Joe Mcpheeは、1969年に自身のレーベルCJRから、いかにもNYアンダーグラウンドな連中との、だが目を見張る演奏を記録しLPをリリースしていた。それと同時にスイスの新興マイナー・レーベル HAT
HUTが続々と彼のLPをリリースし続けた。中には無伴奏テナー・サックス・ソロや、ソプラノ・サックス、テナー・サックス、トランペット、ポケット・コルネット等を使い分けた2枚組まである。初期のHAT HUTはまるで彼の為にあったような感じだった。そんなHAT
HUTがスイス銀行やルフトハンザ航空の支援を受けるまでのレーベルになるとは、初期を知っている者には驚く他はない。さて、このアルバムだが、1990年チューリッヒのスタジオで4日間に59テイクを重ねて録られた中から選曲された13曲が収録されている。マクフィーはここでは、フリューゲルホーン、ポケット・トランペット、ソプラノ・サックス、エレクトロニクスを演奏している。マクフィーとAndre
Jaume(ts,b-cl,cl)、Raymond Boni(g)の3人を核として、それにUrs Leimgruber(ss,ts)、Leon Francioli(b)、Fritz Hauser(ds,perc)が加わる。「Love Life」、「Footprints」、「Here's That Rainy
Day」、「Voice」だけは楽譜が用意されているが、後は完全な即興演奏になっている。完全即興と言っても、すでに力任せのフリー・ジャズの時代ではなく、かといってベイリーらのとも違い、どこか穏やかな感触がある。「Little Piece1~5」は、パーカッションのF・Hauserと各人との2分くらいの短いデュオ。スタンダード・ナンバー「Here's That Rainy
Day」が入っていることに聴く前には違和感を感じたが、聴いてみると元々が柔らかな感触の曲だったことも幸いしてか、居心地の悪さは感じられず、逆に他の演奏と同質の肌触りを感じた。ベースとフリューゲルホーンのデュオです。マクフィーのアルバムは数あれど、私個人はこれを聴く機会が一番多い。
ジャケットだけで判断すると一体何のCDなのか分からないが、これは1996年に結成された現代音楽を演奏するアンサンブル・Eighth Blackbirdが演奏するFrederic Rzewski作品集。Eighth BlackbirdはMolly Alicia Barth(fl),Michael J.Maccaferri(cl),Matt
Albert(vln,barration),Nicholas Photinos(cello),Matthew Duvall(perc),Lisa Kaplan(p)の6人。演奏される曲は、どれもRzewskiの曲で、これが初の録音となる「Pocket
Symphony」(2000)。不特定の旋律楽器のための曲で、65の音符からなる構成音の上に番号が置かれ、一定の規則に従って演奏するのだが、途中間違えたら、その箇所から弾き直さなければならない。そこで、演奏にズレが生じ、モアレ現象を起こすという「Les Moutons de
Panurge(パニュルジュの羊)」(1969)。1971年のアッティカ刑務所で起こった暴動の際に、服役中の囚人から送られて来た手紙を曲にしたという「Coming Together(1971)」(Matt
Albertによるナレーション)の3曲が収録されている。ジェフスキーはゴリゴリの左翼作曲家なんだが、そんなイメージとは裏腹に、いやだからなのか、彼の音楽は強い主張を伴うものの、聴衆を置き去りにするような過激な表現は取らない。だが、「Coming
Together」は、ナレーションの強い主張が聴き手の心に直接強く伝わる強烈さを持っている。「パニュルジュの羊(付和雷同する者の意味もある)」は、ミニマル・ミュージックの重要作のひとつ。さて、この演奏はどこで、何箇所間違って繰り返しているのだろう? 「Pocket Symphony」は、4分程度の短い曲が6つ並んだもの。ジェフスキーが、Eighth
Blackbirdの為に書いた曲。
これは、高柳昌行の第2期と第3期 ニュー・ディレクション・ユニットの録音を集めた5枚組CD・BOX。1977年6月2日の渋谷ジャンジャンでの第2期のユニット・高柳、飯島晃(g)&藤川義明(fl,cl,as,ss)による藤川のasソロも含めた演奏(ここでは山崎弘は入っていない)から、1978年10月6日 同じく渋谷ジャンジャンでの第3期のユニット・高柳、飯島、森剣治(fl,cl,as,ss)、井野信義(b)、山崎弘(ds)、瀬山研二(sub perc)までの演奏が聴ける。藤川が参加した時期のアルバムは、これまで皆無だったし、第3期のユニットのアルバムも「Live at Moers Festival」(TBM)だけだったので、この時期の録音のまとまったリリースは有難い。当時、高柳の私塾の生徒の一人だった田中康次郎氏が録音していたものを高柳自ら編集し保管していたテープからのCD化なので一部ノイズが乗るところもあるが総じて録音状態はよい。演奏は、これまでのニュー・ディレクション・ユニットの方法論に違わず、ユニット全員がパワー全開で激烈な音を放射するMass Projection/集団投射と、静的なGradually Projection/漸次投射に分けられる。私自身も何度かライヴに行っているが、このアルバムで聴けるような山崎のドラム・ソロや藤川のアルト・サックス・ソロのような場面は経験していない。Mass Projection中にドラム・ソロになることはあったが。これは高柳による編集なのかもしれないが、どうだろう? ところで、1980年頃私は高柳さんと親しかったある人から、ジャンジャンでの78年の録音をカセット・テープ(多分オリジナルからのコピー・テープ)渡され、それをダビングして今まで持っていた。それは、このCD/BOXの中の78年2月10日の演奏と同じものだった。有難いことに、オリジナルの音質で聴けるようになった。このような貴重な音源をこのような形で聴けることになって感謝あるのみ。
FLUXUS/フルクサスとは、ラテン語で「変化する。流れる。下剤をかける。」の意味。1961年ジョージ・マチューナスが自身のレクチャー、パフォーマンスについて「FLUXUS」を呼ぶようになり、翌年9月、西ドイツ、・ヴィースバーデン市立美術館で開催された「フルクサス国際現代音楽祭」では、Alison Knowles,Wolf Vostell,Emmett Williams,Dick
Higgins,Nam June Paik,Ben
Patersonらが参加した。ここでの成功から翌年ヨーロッパ各地でのコンサートに発展し、フルクサスに同調する者が世界各地に現れた。音楽家だけではなくて美術、舞踊、詩も含む。地域も多彩だが、参加アーティスト達個人個人の主義主張や線引きもかなり曖昧で、FLUXUSはグループではなくて、一つの生き方や運動のあり方と言ってよい。だが、マチューナス自身は芸術家の集まる形のある組織を作りたかったようだし実行もしていたが、思いの他フルクサスに賛同する者が多く、FLUXUSという言葉が一人歩きをしてしまった感もある。だから、このアルバムに収録されている演奏やサウンド・アート(インタビューも)は、「FLUXUSとはこうだ。」とひとつのスタイルで言い表せられない。John
CageのRadio Music(1956)、ヨーコ・オノの「Toilette Piece」(水洗トイレの水が流れる音だけ)、La Monte Youngの「Dream
House」等々と、普通じゃない”音楽”だらけなんだが、どれも既製の概念から外れよう外れようとはしているのだ。実際にはCDに収めることも不可能なようなイベント作品がほとんどだったろうから、ここで聴けるのはその中でも比較的”マトモ”な作品と言えるのかも。残された写真を見ると、いい大人がハチャメチャしてるだけみたいなのも多い。だが、そこには各人主義主張が含まれていたのだった。と、思いたい。(笑) 全18曲収録。
Bob Ostertagは、1957年 ニューメキシコ州アルバカーキ生まれ。70年代から80年代初頭にかけてテープやエレクトロニクスを使って、NYダウンタウン界隈の先鋭的なミュージシャン達と即興演奏を日夜繰り広げていた。突然引退し、ニカラグアの反政府ゲリラと寝食を共にするというジャーナリストになり、CIAだかFBIだかのブラックリストにも名を連ねたそうだ。そんな彼が後大学教授になるのだから面白い。80年代後半帰国してからは、今度はサンプラーを使って演奏を始めた。このアルバムは、彼の最初のソロ作品だ。サンプリングのソースとなった音源は、これまで演奏して来た録音からの断片を集めたもの。数多く共演して来たFred Frith(g)やJohn Zorn(as)などを含む。これらが、パッチワークのように張り巡らされ、切り貼りされる。既製の楽器を使ったインプロヴァイズド・ミュージックのあり方を大きく書き変えた。
アン・マクミラン(ジャケットではMcMillianになっているが、他の表記ではMcMillanとあるが、どちらが正しいのか?)は、アメリカの作曲家。50年代にエドガー・ヴァレーズのテープ作品の制作に関わったことがあるようだが、「Poem
Electronique(1958)」のことか? ヴァレーズ唯一の電子音楽作品だ。このアルバムは、70年代動物の営みから発生する音や、様々な環境音を用いて音楽作品を作ることを目指していたが、これはその最初の成果で、1978年のリリース。蛙の鳴き声、虫の音、ゴングの音、車のクラクション、船の汽笛等の具体音を使いミュージック・コンクレート作品に仕上げられている。特に4曲目「Gateway
Summer Sound」は、暑い夏の夕方、どこか田舎の畦道を散歩中に聞こえてくる様々な音を楽しんでいる風情だ。音による情景描写。
Clark Terryは、1948年から51年まではカウント・ベイシー楽団。1951年から60年まではデューク・エリントン楽団に在籍し、その後はNBC-Studioのリーディング・プレーヤーとしても働き、映画音楽も作っている重鎮トランペッター(フリュ-ゲルホーンも)。Wes
Montgomeryは親指で弦を弾く奏法でユニークな音色でも有名なジャズ・ギターのスター。1965年4月。コンサートとTV収録の為にたまたまこの二人がオランダに居合わせたのを機会にHilversumのVARA-Studio 7でスタジオ・セッションが行われた。リズム・セクションは現地オランダのミュージシャンが選ばれた。Pim Jacobs(p)、Ruud Jacobs(b)、Han
Bennink(ds)の三人。モンクの「Rhythm-A-Ning」「Straight,No Chaser」。エリントンの「In A Mellotone」。そしてスタンダードの「Just
Friends」の4曲が演奏されている。一音だせば誰の演奏か分かるC・テリーとW・モンゴメリー(と、日本では表記されるが、モントゴメリーじゃないの?)は、さすがの貫禄。ジャズ特有のスウィング感が心地よい。これぞ王道の演奏。サポートするドラムズは、何とその後ヨーロッパ・フリーのドラマーと言えばこの人!となったハン・ベニンクなのだ。彼は、この前年同じHilversumでエリック・ドルフィーと「ラスト・デイト」を吹き込んでいる。ここで聴かせるハン・ベニンクの演奏は、あの豪快極まる破天荒な演奏とはうってかわった軽快にスウィングするジャズ・ドラムなのだ。これを聴くと後年の破壊的な演奏が信じられない。日本でも、この録音がCDで発売されていたが、リズム・セクションがハロルド・メイバーン等アメリカ人として表記されていた。だが、このCDの裏ジャケットには演奏中の写真が掲載せれている。ちゃんとハン・ベニンクが映っているのだ。
1989年?埼玉のSpace
Whoに、富樫雅彦、佐藤允彦、峰厚介、井野信義のカルテットが出演した。「全曲ビ・バップでやってみよう。」となった。リハなしぶっつけ本番だった。その時富樫雅彦の体に、昔さんざん演奏し身に染み込んでいたジャズの血が騒いだようだ。だが、体の障害の為に両足が使えなくなった為、両腕だけでの演奏になり、音楽も大きく変わった。独自の音楽を創造し続けていったのだった。今、ビー・バップを演奏するとなると他の3人のレベルには太刀打ちできない(バスドラ、ハイハットが使えないという物理的な問題と、自然にジャズのビートが出せるか。もう20年以上もビー・バップはやっていないのだ。)と考え、最初のこのバンド「J.J.Spirits」の録音まで2年を要している。1991年1月にバップ・チューン、スタンダード・ナンバーを録音し、Vol,1&2としてリリースされ好評を博した。つづく3作目は翌年夏のライヴ・アンダー・ザ・スカイ(TVでも放映された)でのライヴだが、ここでは富樫と佐藤のオリジナルが演奏された。「パラジウム」が演奏されたのも嬉しかった記憶がある。さて、この4作目は、93年のスタジオ録音なのだが、全曲オリジナルなのは前作と同じ。だが、ここではビートのあるジャズを演奏することは無く、峰厚介を除く3人には日常的なフリーな演奏になっているのだった。全て富樫の曲が取り上げられている。フリーとは言え、ゴリゴリとパワーで押し切るようなフリー・ジャズではなく、抑制の効いたクールな表情を持った空間の感触を感じさせる演奏だ。でも、J.J.Spiritsのテーマ曲の「Monk's
Hat Blues」の導入部は生で聴いたら凄い迫力だっただろう。フリーな演奏となると峰厚介はどうなるのかがフリー・ジャズに普段馴染んでいるリスナーの注目部分となることだろう。Peter Brotzmann、Evan Parker、David S.Ware、David
Murray等を思い浮かべては少々困るが、峰は峰流のフリーな演奏を繰り広げている。激烈とな言えないが、パワーで押すところは押す。聴く前に勝手に想像していたよりは熱演だった(と言うと失礼だが)。フリーの猛者3人に入っての演奏だが、堂々の演奏は立派。当時姜泰煥さんとこの峰厚介の演奏について話した時、姜さんはとても褒めておられた。この2年後にリリースされたレギュラー・バンド(サックスは、フリーが専門の広瀬淳二。佐藤、井野は同じ)と聴き比べるのも一興。
1980年頃だったか、旧ソヴィエト連邦のフリー・ジャズ・グループ「ガネリン・トリオ」を西側の紹介し、我々の度肝を抜いてくれたLeo Recordsが、1990年頃、1980年から1989年にかけてのソ連の数多くのフリー・ジャズの録音が収録されている2つのBOX・CDをリリースした。ガネリン、クリョーヒン、サインホ、ヴァピーロフ、レジツキー、ヴォルコフ、ガイヴォロンスキー、チェカシン、タラソフ等々即興ファンなら誰でも知っている名前がずらっと並んでいる。Leo Recordsから80年代に入ってぞくそくとリリースされるソ連のミュージシャンだったが、このBOXセットで初めて聴いたミュージシャンも多かった。その中に「TriO」があった。1985年に、Sergey Letov(reeds)、Arkady Shilkloper(french Horn)、Arkady Kirichenko(tuba)によって結成された管楽器だけのトリオがTriOだった。そこに後に世界的に知られることになるヴォイス・パフォーマーのサインホが加わった演奏もこのBOXセットには収録されていた。ここでは、Shilkloperに代わってAlexandr Alexandrov(oboe,fl,cl)が参加している。さて、このアルバムだが、それから10年後の1998年の再開セッションだ。メンバーは、Letov(bs,ss,b-cl,piccolo,swanee whistle)、Alexandrov(bassoon,swanee whistle)にYury Parfenov(tp,althorn)の三人にサインホのヴォイスが加わる。旧ソ連出身のミュージシャンは総じて演奏技術が卓越している。高度なテクニックにプラスして、西洋やアメリカには無いスラヴや遠くシベリア、モンゴル(サインホはトゥヴァ共和国の出身)の伝統を強く感じさせる音使いが多い。それだけで、これまで聴いていたフリー・ジャズ/フリー・ミュージックとは大きく違う印象を持つ。また、彼らにとっては自然な感覚なので、奇をてらったサウンドにはなっていない。彼らの出現は、即興音楽の幅を一気に広げてくれたのだった。
山崎泰弘、1940年生まれのドラマー。ジョージ川口に師事。63年新世紀音楽事務所に参加。「銀巴里セッション」にも名を残す。ここで高柳昌行と知り合い以後「ニュー・ディレクション」のメンバーとして長年行動を共にする。この1978年のライヴ録音は、ミュージック・リベレーション・センター・イスクラからカセット・テープでリリースされたもの。私はこの録音の1年後にイスクラに参加したので、これには直接関わってはいない。今となっては大変貴重な山崎のソロ演奏が聴ける。ニュー・ディレクションの演奏スタイルに大きな影響を受けている演奏で、Gradually Projection/集団投射から始まってMass Projection/漸次投射に至る。セカンド・セットも同じ流れの演奏になっているが、Mass projectionの最後はドラム以外にもエレクトロニクスによる激しいノイズを伴った激烈な演奏を叩きつけて終わる。高柳昌行らが抜けたニュー・ディレクションの演奏と考えても、あながち間違いではないだろう。音楽の作り方は、ほぼニュー・ディレクションの方法を受け継いでいると言える。あれだけの長い年月、あれだけの個性の強い、表現が強烈な音楽を共に作り上げて来たのだから、そうたやすく全く違った演奏にはならなかっただろうし、またそれをさせないほどのニュー・ディレクションの音楽のあり方だったのだ。高柳がアクション・ダイレクトに方向を変え、一人でパフォーマンスを行うようになって、高柳の元を離れた山崎は失速してしまったが、近年また往年の迫力を感じさせる演奏を始めている。イスクラには、「山崎泰弘&飯島晃」のデュオ録音がまだ眠っている。
キング・レコードからリリースされたCD「Breakthrew」で注目されたピアニスト、加納美佐子のこれもNY録音のCD。キング盤が1996年1月30&31日の録音だが、こちらは2月6&7日と、そのすぐ後に録音されている。共にカルテットによる演奏で、Thomas Chapin(as,fl)は両方に参加しているが、ベースとドラムは変更されている。前作はRon McClureとJeff
Williamsだったが、こちらは藤原清登とMatt Wilson。セロニアス・モンクの「Well,You Needon't」以外は全部加納の曲が演奏されている。リリースしたのは、当時NYの先鋭的なジャズの中心地だったKnitting
Factory。加納美佐子は、山口県岩国市の出身で、島根大学で音楽を専攻し、NYのマンハッタン音楽院で学んでいる。ジャズはリッチー・バイラーク他に付いて学んだ。テッド・カーソンのバンドに加わり、アルバム「Traveling
On」に参加。前作同様アグレッシヴな内容で、トーマス・チェイピンが縦横無尽に活躍する。とても表現が多彩で反応の早い演奏をする。加納のピアノもスピーディー且つ強靭な演奏だ。曲も多彩な表情を見せる。加納さんとは共通の知人がいたこともあって、一時期交流があり、未発表録音をいただいているのだが、そこではトーマス・チェイピンではなくネッド・ローゼンバーグがサックスを演奏していたり、ドラムがジェリー・ヘミングウェイやサム・ベネットだったりと、興味深い演奏が多い。演奏されている曲の中にバルトークがあったりもする。最近噂を聞くことが無くなったのだが、演奏をされていないのだろうか?
1998年宇部空港の外を歩いている時、高橋悠治さんが「今度新しいバンドを作るんだ。」と言われた。その翌年、fontecからこのCDがリリースされた。バンドと言う言葉からは一致しづらい楽器と奏者が集まっている。バンド結成の一つの要因となったのは、三絃の高田和子が、詩人・藤井貞和から「糸」と題した詩が書かれた二つ折りの原稿を渡されたことから始まった。糸は三絃の糸であり、人と人を結ぶ縁の糸でもある。その後、伝統楽器のグループを作ることになった時、高橋悠治さんが名前を「糸」にしようと提案されたそうだ。メンバーは高田和子(三絃)、西陽子(箏)、田中悠美子(太棹)、石川高(笙)、神田佳子(打物)、高橋悠治(企画・構成・一絃琴演奏)の6人。伝統の邦楽から飛び出してボーダーレスに活躍されている強者ばかりが集まった。「糸」の為に作曲したのは野村誠、大友良英、高橋悠治、新垣隆、武智由香。子供の数回し遊びを元にしたゲーム・ピース(野村)。使う音は三つに限定された曲(大友)。各楽器異なる調子に調弦され統一された拍の音律もなくうつろう音の上に、町田康の詩が重なる曲(高橋)。村上春樹、上野千鶴子、野村誠の言葉の断片を伴う曲は最近ゴースト・ライター騒ぎで世間の注目を浴びることになった新垣隆の作。絃の響きが空間を浮遊し漂うような武智の曲。曲によっては客席の笑い声が聴こえて来る。絃楽器の単音の響きに石川高の演奏する笙のゆったりと流れるように鳴り響く音が、空間を豊かにする。高橋悠治さんの解説に「ここでは、だれもやらなかった新しいことを付け加えるのではなくて、むしろ、だれでもやっていることから余計なものを取り除くことによって、東西の伝統を「くずし」ながら、「ひらく」ことを考えている。」と、ある。
これは1987年にスタジオで録音された当時の富樫雅彦のレギュラー・グループによる演奏だ。当時まででも富樫のアルバムはリーダー作だけでも40は越えていただろう。だが、レギュラー・グループの録音となると、10年ぶりの録音となったようだ。メンバーは富樫の他は、橋本静雄(b)、広瀬淳二(ts,ss)、佐藤春樹(tb)。佐藤春樹は、キャリアのわりには録音が少ないミュージシャンで、こうして演奏がたっぷりと聴けるのは嬉しい。80年前後は新宿PIT
INNで彼のグループの演奏を聴きに行っていたものだった。もう一方のフロントの一人。広瀬淳二は、この録音の当時はインプロヴァイズド・ミュージックのサックス奏者であり、セルフ・メイドのノイズ・マシーンを作ってはノイズ・ミュージックを演奏し、ジャズとは離れた音楽を創造していた。そんな彼が富樫雅彦のレギュラー・グル-プのメンバーに長年に渡って参加するとは当時意外な気がしたものだった。ここでの彼のサックスの演奏は、インプロを演奏している時の姿とは違い、リーダーの意に沿う形でのもっと抑えた吹奏を行っている。とは言うものの、ライヴの現場では、井野信義(b)がメンバーだった頃は、演奏途中ベースとサックスのデュオの局面になると、まるでバリー・ガイ(b)とエヴァン、パーカー(ss,ts)のデュオのような激しい演奏になることもあったそうだ。セルフメイド・ノイズ・マシーンを持ち込んだこともあったそうだが、富樫の反応は「ん? そういうことね・・。」だったとか。このグループは、基本的にはジャズ・バンドのグループだ。ここで聴ける演奏はそこから逸脱はしていない。
現在、日本のみならず世界的にも最重要なベーシスト、斎藤徹が4人の弦楽器の奏者を集めてストリング・カルテットを作った。クラシックで言うところの弦楽四重奏に非ず。斎藤の他は、栗林秀明(17絃箏)、佐藤通弘(津軽三味線)、廣木光一(g)という弦楽器とは言うものの異質な音楽どうしが集まった。ともに伝統からアヴァンギャルドまで何でもござれの卓抜したセンスと技量を誇る当時斎藤とは共演を繰り返していた者達ばかりだ。斎藤の言葉に「弦を強く弾くと、どの弦楽器も同じ音になる。」がある。その弦楽器を4人で弾くとどうなるか? ここに集まった者達は、楽器の違いもあるが、何より普段は箏曲、津軽三味線、ジャズを主なフィールドとして活躍する。その彼らと4人で行った即興演奏やいかに。ここでは、邦楽やジャズといった民族性によりかかることもなく、さりとて「弦楽器みな兄弟」といった気持ち悪さも避けられている。異種の音楽を出自に持つ者が集まった即興演奏の場合、このどちらかに偏ってしまった演奏に出会うことも多いものだ。アルバムの後半は、この4人に溝入敬三(b)、溝入由美子(篳篥、オーボエ)、ウィル・オッフェルマンズ(fl)、石川高(笙)、村岡健一郎(笙)、羽生一子(perc)、上田純子(薩摩琵琶、声明)という現代音楽と雅楽とジャズから集まった誠にユニークな編成のオーケストラによる集団即興演奏が聴ける。即興と言ってもここでは斎藤によるブッチ・モリスのコンダクションのような指揮が行われているように聴こえる。ジャケットには図形楽譜が掲載されているが、これが使われているのだろうか。野放図な混沌とした演奏にはなっておらず、相当に構成を感じさせる。かと言って即興のパッションも十分。
Another World・アナザー・ワールド。異世界、別世界とでも言うか・・。単順には今見えてる世界とは別の世界。それは人それぞれにその概念は異なることだろう。UFO。臨死体験。SF。今我々がいる次元が張り付いているとされる5次元空間。宗教やシャーマニズムで語られるあの世。パラレル・ワールド。マルチヴァ-ス。量子の世界。今しがた知覚した記憶とは別に脳に取り込まれ、奥底で保持されている記憶。早い話が、今自分がいない(と思っている)世界。このCDには、14秒から長くても4分47秒までの長さの人のインタビュー、語り、サウンド・アートに使用した音源、ホーミー、ブッチ・モリスのドクメンタ9でのコンダクションの演奏、長く聴くと幽体離脱が出来ると言われるヘミシンク音等々が74分25秒間99トラックに細かく分かれて収録されている。聴く場合は、CDプレーヤーのランダム機能を使うことが前提になっている。これに今聴いている場所で聴こえる環境音も一緒に聴こうと言うものだ。短くズタズタにされた音を聴いて行く内に、思わずANOTHER WORLDを垣間見ることになるのであろうか? 椅子に座ってじっと耳を傾けるには相当の忍耐力が必要となる。寝っ転がって聴いていると、いつの間にか寝てしまっていた。起きたら「別世界」には・・・いなかった・・・。ちょっと残念。
雅楽は、平安時代(10世紀頃)にそれ以前の5世紀頃から大陸、朝鮮半島、東南アジアから入って来た様々な音楽(唐楽、高麗楽、渤海楽、林邑楽等々)に上代から続く日本(と言う国以前)の音楽(って、どれを指すのだろう?)を混ぜ合わさって出来た宮廷音楽。現在神社でも聴くことは出来るが、一般的には宮内庁式部職楽部の演奏を思い浮かべることだろう。1467年から10年続いた内乱・応仁の乱以降江戸開府までは途絶えてはいたが、雅楽は世界最古のオーケストラと言われている。そんな長い伝統のある雅楽にも、現代作曲家による現代の雅楽を新しく作ろうと言う動きが国立劇場を中心に出て来た。シュトックハウゼンの「HiKari」(1976)などもあったりする。武満徹も雅楽の作曲に挑戦した。そして1973年にまずは「秋庭歌」を完成させ演奏された。79年にはこれに一部舞を加えて「秋庭歌・一具」とし、東京楽所によって演奏された。雅楽は西洋音楽と比べれば、楽器の奏法も極度に制限され、概ね高音に偏り、西洋クラシックのオーケストラとはまるで異なる音色が使われている。だからこそ作曲家は挑戦意欲に駆られるのだろう。笙の持続音は永遠を感じさせる。篳篥の響きは天空を舞うが如し。武満は、通常使われる調子(音階)にはこだわらずギリシャ旋法を用いたりと、所謂雅楽の伝統を大きくはみ出し、中国大陸、朝鮮半島のもっと遠くのアジアの地域までを射程にした音楽を雅楽の楽器を用いて表現したものと言えよう。
John
Cageが1946年から48年にかけてプリペアード・ピアノの為に作曲した16のソナタと4つのインタリュードからなるこの曲を日本で一気に有名にしたのは、1975年に録音され日本コロムビアから翌年リリースされた高橋悠治による演奏だろう。今でも再発され続けている。ここで紹介するアルバムは、遡ること10年前の1965年、ストックホルムで録音されリリースされた同曲のLPの再発CD化されたものだ。高橋悠治は、当時ベルリンを拠点にして活躍し、クセナキスについて学んでいたが、66年にはニュー・ヨークに移動した。ヨーロッパからアメリカに移住する最後の置き土産のような録音がクセナキスではなくケージだったと言うところが何かを暗示しているようだ。この曲の録音は現在では多くのピアニストによって演奏され、数多くアルバムもリリースされている。高橋の65年録音のアルバムは、この曲の最初の録音ではないだろうか。曲の初演は46年、献呈されたピアニスト、マロ・アジェミアンによって一部が演奏され、48年ケージ自身によって全曲演奏された。ケージがこの曲で表現しようとしたものは、インドの哲学にある「不変の感情」とされる。人間の持つ様々な感情とそれらに共通する安定への指向である。元々プリペアード・ピアノは、1935年黒人舞踊家シヴィラ・フォートに依頼された打楽器のための「バッカナーレ」だったが、ステージが狭くヘンリー・カウエルと共同でピアノを使って演奏出来ないかと考案されたものだった。46~48年に作られたこの曲では、すでに打楽器の代用と言う発想はすでになく、プリペアード・ピアノと言う独立した楽器の表現となっている。予想外の音の組み合わせからなる淡々と続く音響の変化に身を委ねる。録音はMONO。
Sylvie Courvoisierは1968年スイス・ローザンヌ生まれのピアニスト、作曲家。98年以降はブルックリンに住んでいる。Enja,Intakt,Tzadik,ECM等からたくさんのアルバムをリリースしている。Joelle Leandreは、1951年フランス・Aix en Provence生まれのベーシスト、作曲家。アンサンブル・アンテル・コンタンポラン、マース・カニングハム、ジョン・ケージ等の現代音楽フィールドでの仕事とデレク・ベイリーらとの即興演奏と、両輪での活躍をする。Susie Ibarraは、フィリピン系アメリカ人のドラマー、パーカッション奏者、作曲家。ハイ・スクール時代はパンク・ロックをやり、大学時代にサン・ラを聴いてジャズに興味を持ったそうだ。ドラムはミルフォード・グレイヴス等に付いて学んだ。CourvoisierとIbarraは、Ikue Moriとのトリオ・Mephistaのメンバーでもある。この二人にLeandreが加わった一見オーソドックスなジャズのピアノ・トリオで2001年Taktlos Festivalに出演した時の録音と、スタジオ録音で構成されたアルバムがこれだ。ジャズ・ファンの間でよく交わされる会話で、ビル・エヴァンス・トリオのインタープレイがある。彼女達のこの演奏をジャズの範疇とするか否かは色んな意見があるだろうし、演奏している当事者がどう思っているかは分からない。が、三者の切れ味するどい丁々発止のやりとりは、他の音楽ではそうそう聴ける代物ではない。女性ばかりのトリオ演奏だとかの聞き方は全く用を成さない。聞き手の感性をスパっと切り裂く鋭さがここにある。編成のオーソドックスさも全く気にせずとも良い。Ibarraのドラムの演奏は富樫雅彦を思わせる切れと美しさを感じる。ところで、彼女達三人の名前の本当の発音が出来る日本人がいたらエライ。私は、聞き取ることすら無理だった。よって、日本語表記も不可能。
1978年、フリー・ミュージックの代表的な西ドイツ(当時)のレーベル・Free Music
Productionから突如、フリー・ジャズ/フリー・ミュージックとは一見全く関係ないようなアフリカの民族音楽のLPがリリースされた。これはそのCDヴァージョン。西アフリカのセネガル、マリ、シエラレオネ、コートジボアール等に囲まれた小さな国・ギニア共和国(日本ではオスマン・サンコンさんの国として知られている)のミュージシャン・Fode
Youla率いる4人のミュージシャンによるタムタム等の打楽器中心のグループ「Africa Djole」の、1978年ベルリンでのWorkshop Freie
Musik'78でのライヴ録音。何故ギニアの音楽が、当時最先端の音楽を聴かせる音楽のフェスティヴァルに出演したのか?と、不思議だった。その後メールス・フェスティヴァルでも、アフリカン・ダンス・ナイトが毎回開かれたりもして来た。地図で見ると、我々日本人が考えるよりはヨーロッパにとっては、アフリカはちょっと遠い裏庭みたいな感覚なのかもしれない。植民地だったことも大きいだろう。そんな?マークはともかく、ここで聴ける音楽の力強いこと! ギニアの各部族のトラディショナルを中心にシエラレオネのトラッドも演奏されている。一口ギニアと言っても、マリンケ、スースー、ソラニ等々多数の部族に別れ言語もその数だけ存在するような地域だ。ここでは6の部族の音楽が聴ける。正直、そこに大きな違いが分かるほどの特徴は私には分析不可能。ただただここで鳴っている音に身を任せているだけだ。これぞリアル・ブラック・ミュージック。ジャズがアフリカの血を引くというのは理解しているが、これを聴くと相当エネルギーが減じているような気がするが・・?
それを「洗練」と言うのだろうか?
沖至は、1941年兵庫県須磨の生まれで、幼少時には日本ジャズ界の重鎮・南里文雄にトランペットの手ほどきを受けている。学生時代にはデキシーランド・ジャズを演奏していた。66年に上京し、69年に富樫雅彦ESSGのメンバーとなった。富樫は蝶の採集で有名だが、沖も同じく。このアルバムでは、ジャノメチョウ、オオガマダラ、アサギマダラ、ミドリシジミ、カラスアゲハ等の蝶の名前が曲のタイトルに付けられている。そんな中に混ざって、「I'm Getting Sentimental Over You」「I Wish I Knew」「Misterioso」「You Are So Beutiful」「Round Midnight」と言ったスタンダード・ナンバーが混ざる。12曲目は尊敬する南里文雄に捧げた「ほほえむ南里さん」が聴けるのが嬉しい。さて、演奏だが、全編彼のトランペットとフリューゲルホルンによる無伴奏のソロなのだ(一部多重録音もある)。その楽器が面白い。彼は楽器のコレクターでもあるのだが、自分で作ったりもするのだ。ここでもそんなユニークな形をした自作の楽器を吹奏しているようだ。蝶の曲名が付いている演奏は、ノイジーだが優しいサウンドが宙を舞う。自然を描写しているようでもあり、自然に臨む彼の心象風景を表しているようだ。スタンダード・ナンバーでは淡々とメロディーを紡ぐ。このほのかな暖かさが心地よい。沖至のトランペットの音は、いくらノイジーに吹奏したとしても、自然界に存在するざわめきに似た雑音、騒音の類と同列のもので、聴き手の耳を不快にはさせない。自然と体に入って来るものだ。トランペット・ソロのアルバムにまたひとつ傑作が加わった。
1960年代、集団即興演奏をするグループが数多く出現した。それらには様々な方法論、技法、思想(政治思想も含む)が混在していて、これこそ「集団即興」と一言で言い表せない程だった。簡単に集団即興のグループを紹介しておく。ルーカス・フォスのImprovisation Chamber Ensemble(1957結成)。グループ音楽(1958)。ロバート・アシュレイOnce
Group(1960)。ラリー・オースティンのNew Music Ensemble。エヴァンジェリスティのNuova Consonanza(1964)。ゴードン・ムンマのSonic Arts Group(1966)。フランスで結成されたGroup d'Etude et Realisation Musicales(1966)。グロボカールのNew Phonic
Art(1969)。タージ・マハル旅行団(1969)。その他シュトックハウゼンのケルン・グループ。AMM。ポーリン・オリヴェロス。デヴィッド・バーマン。ラ・モンテ・ヤング。テリー・ライリー。フィリップ・グラス。スティーヴ・ライヒ。アルヴィン・ルシエ。フォルケ・ラーベらトロンボーン奏者が集まったKulturekvartetten。プラハのQUAX。その他フリー・ジャズ・ミュージシャンの演奏(ICP、FMP、Incus、AACM等々で聴けるような)のも含めると、いかにこの時期に活発に行われたのかが分かると思う。それぞれに聴こえて来るサウンドの表情や音楽の成り立ちは異なってはいるが、どれも既製の概念をぶち破ろうとする姿勢は同じ。そんな中、1966年ローマで結成されたのがこのムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァだ。フレデリック・ジェフスキー、アルヴィン・カラン、リチャード・タイテルバウム、アラン・ブライアント、キャロル・プランタムラ、イヴァン・ヴァンダーらによって結成された。みんながローマの一地域に住んでいたらしく、コミューンを形成していたようだ。演奏もそんな共同体意識にそっていて、1969年のアルバム「Sound
Pool」は16人のミュージシャンとオーディエンスも含む全員で騒然とした演奏を繰り広げている。この4枚組CDは、1967年から2007年までの録音を収録している。カラン、ジェフスキー、タイテルバウムといった中心メンバーに、スティーヴ・レイシー、ギャレット・リスト、カール・ベルガー、ジョージ・ルイスと言ったフリー・ジャズ寄りのミュージシャンが加わって演奏している。そのことからも、タイテルバウムらのエレクロトニクスのサウンドとレイシー達のアコースティックなサウンドが混在した集団即興演奏となっている。60年代からMEVはシンンセサイザーをライヴに導入していた。窓ガラスや空き缶の音を電子変調を加えたりも早くから行っていた。67年にはそんな彼らの演奏を聴いた者が暴動を起こし問題になったなどということもあったそうだ。
高橋アキは、1968年 まだ芸大大学院生1年の時、日独現代音楽祭で、篠原真「ピアノのためのディスタンス」、武満徹「ピアニストのためのコロナ」で衝撃的デビューをした。70年に最初のリサイタル。76年に収録されたこのアルバムは、クセナキスの「Evryali」、武満の「For Away」、ケージの「A Valentaine Out Of Season」「A Room」「Music For
Marcel
Duchamp」、サティの「Gnossiennes(全曲)」、ドビュッシーの「前奏曲集・第2巻より霧・風変わりなレヴィーヌ将軍・月の光がふりそそぐテラス」が演奏されている。エヴリアリとフォー・アウェイはともにガムランの影響を受けて作曲された曲。武満の方は最後に一瞬ペログ音階が現れる程度だが、クセナキスの方は大きく触発されたようで、ガムランを聴くようにダイナミックな曲になっている。ケージの曲は40年代に作曲されたプリペアード・ピアノの短い曲。ケージにも影響を与えたサティのグノシェンヌは1890年から作曲が続いた曲で、ここでは全曲演奏されている。4番~6番は近年になって発見されたそうだ。今では誰でも知っているサティの有名な曲だが、日本では1976年に録音された高橋悠治の弾くサティと、79年から始まって80年代に全曲演奏し録音された高橋アキのサティ全集によって、一般の人々にもサティが浸透して行ったのだった。ここでの録音は、高橋アキによる最初のサティの録音になる。高橋アキのサティの特徴は、ジムノペディ、グノシェンヌに顕著なのだが、全体的にテンポが他の多くのピアニストよりも若干遅めにとっていることだろうか。彼女の演奏を聴き続けて来た私は、他のピアニスト(兄の悠治さんは除く)の演奏が早すぎて聴こえてしまう。最後はサティとは友人関係でもあったドビュッシーの1913年の作品「前奏曲集・第2巻」から3曲。まさに音が霧のように響く「霧」等、それまでの西洋クラシックの音楽とは異質な響きは、現代にあっても古臭さを全く感じさせない。と言うか、ドビュッシーやサティの音楽が現代の音楽の基調となっていると言ってもいいのではないか。武満、クセナキス、ケージと並べて聴いても何の違和感もなく聴ける。
リゲティ全集・5は、「Mechanical Music」。バレル・オルガン、プレイヤー・ピアノ、メトロノームの為に作られた曲が収録されている。バレル・オルガンは、主に路上で演奏される。穴を開けられたペーパー・ロールを、くるくると回すと、オルガンのような音が出て、音楽を奏でる。全16曲が聴ける。どこかの公園の片隅で、ほのぼのと聴いている気分になりそうだが、演奏されている音楽は、キーボードを使ってジャズでの演奏しているかのようにも聴こえて、結構アグレシヴだったりもする。だが、その音色はどこか間の抜けた可愛らしさがある。人間が弾かないプレイヤー・ピアノだと、人間には肉体的に演奏不可能な演奏をさせることが出来る。そこをかなり意識して作曲をされているように思う。今時は、バレル・オルガンにせよ、プレイヤー・ピアノにせよ、サンプリングして、コンピューターにやらせれば簡単なのだろう。特にバレル・オルガンに思うのだが、せっせと手で回すという行為を見ながら、と言うところがいいのだ。このアルバムで最もユニークなのが、1962年に作られた「Poeme Symphonique for 100 Metronomes」。このフルクサス的と言っていい曲は、100台のピラミッド型のメトロノームを使った数多いリゲティの曲でもダントツのユニークさを誇る。最初はブリキの天井に無数の雨だれが打ちつけるような音の洪水なのだが、時間が経つにつれてだんだんと音の粒が一箇所に向けて収縮して行く。そして最後には一つのリズムに100台のメトロノームが落ち着くのだ。一体どういう原理からそうなるのか? 地球の自転や磁場の影響なのだろうか? 100台ものメトロノームを集めるのも大変だろうなと、コンサートを主催したりもしている私は思う。
これはSONYがリリースしたリゲティの全集の6「鍵盤楽器の為の作品集」。第3巻に続くもので、2台のピアノ曲、4手の為のピアノ曲、チェンバロの為の曲(ハンガリアン・ロックが有名)、オルガンの為の曲が収録されている。年代的には、1942年から78年までに作曲された作品が集められている。リゲティ自身の言葉によれば、これらの作品で、「熟しているのは、70年代に書かれた作品、2台のピアノの為の3曲、ハープシコードとオルガンの曲。」だそうで、ハンガリー修行時代に書かれたものは習作との位置づけのようだ。Elisabeth
Chojnackaの演奏するチェンバロの曲は、これまでにも録音され他レーベルでも聴くことが出来た。初めて聴いた時は、これがチェンバロの演奏か?と驚いたものだ。おそらくチェンバロそのものはモダーン・チェンバロなのだろう。チェンバロでこのような早い演奏は機能的にも難しいはず。個人的に好きなのは、オルガンの曲「Volumina」だ。導入部からしてクラスターが怒涛のごとく押し寄せる強烈な曲なのだ。実際、これを演奏するにはオルガンを選ばないと、電磁回路が焼け落ちるらしい。演奏もまさに聴く人間が焼け落ちてしまいそうな迫力だ。リゲティと言えば、この曲に限る!
これは、Vladimir Miller率いるMoscow Composers OrchestraにSainkho Namtchylakをソリストとして迎え、1994年ドイツで行われた2つのコンサートから収録したアルバム。この頃は、ソ連崩壊後まだ6年。80年代、Leo Recordsからガネリン・トリオを筆頭に旧ソ連の地下深くで活躍していたフリー・ジャズ・ミュージシャンの知られざる活動が紹介されていたとはいえ、まだまだ謎の多いロシアのフリー・ジャズ・シーンは物珍しさと実際聴いた時の衝撃に冷めやらぬといった時期だった。このモスクワ・コンポーザーズ・オーケストラを聴いて、やっとロシアにも即興オーケストラがあったのかと知るに至ったというところだった。総勢15から17人のオーケストラには、basson,tibetan horn,didjeridooといったあまりジャズでは使われない楽器も動員され、特に2曲目(Heinz-Erich GoedeckeとSainkho作曲)でこれらが活躍する。ミラー作曲の3曲目「March of The Animals」が面白い。正に色んな種類の動物達が目の前を次々と行進して行くような感じだ。こうした愉快な表現は、ジャズの世界ではほとんど聞かれないが、これを前衛ジャズ・オーケストラがやってしまうのも面白い。アルバムを通して、多くの楽器の達者なソロが聴けるが、サインホのヴォイスがひとたび発せられると、他の楽器がどんなに同時に彼女の声におおい被さろうとも、その存在感は際立つことこそあれ減じることはない。これは、サインホのおそるべき声から来るものだが、人の声は楽器と比べればその表現の幅は比較にならないほど広く大きいと言えるのだ。その声を、通常の限界をはるかに凌駕して操るサインホのヴォイスが一際目立ってしまうのは当たり前のことなのだ。
これは1995年にJan Williams指揮、Maelstrom Percussion Ensembleにとって演奏され録音されたJohn Cageの「Imaginary Landscapes」のおそらく初の完全版のアルバム。「Imaginary
Landscape」は、No.1(1939)からNo.5(1952)まである。こうして全曲聴けるようになったのは有難い。1939年作曲のNo.1が衝撃的だ。使われる”楽器”?が、2台の回転速度の異なったターンテーブル。ミュートされたピアノ、シンバル。最初期のエレクトロアコースティックな作品と言ってもいいだろう。この時代にこんな発想を思いつくとは。No.2&3は、打楽器アンサンブルの作品だが、よくあるきっちりとしたリズム・パターンが鳴り響く演奏とは程遠い。No,4は12台のラジオを使った演奏。1951年の作品。ラジオを音源とするということは、毎度同じ音は絶対出せないということだ。同じラジオを使っても、時間と場所によって無限に違う音が発せられる。ここで鳴っているのは、たまたまこの時、この場所で鳴ってた音を使っているのだ。No,5は42の録音を使って磁気テープに録音するもの。ここでは、HAT
HUTがこれまでリリースして来たAnthony Braxtonの録音を42使ってミックスし再構成された。でも、1分31秒と短いのが少々残念。6曲目は1985年の作品「But What About The Noise Of Crumpling Paper Which he Used To Do In Order To Paint The Series Of"Papiers
Froisses" Or tearing Up Paper To Make"Papiers Dechiress"? Arp Was Stimulated By Water(Sea,Lake,And Flowing Waters Like
Rivers),Forests 」と言う長~いタイトルの付いた打楽器アンサンブルの為の曲。このアルバムでは一番長い26分の演奏。「Imaginary Landscapes」とは違って、ノイジーな演奏ではなくて、空間にぽつんぽつんと音を一個一個置いて行くような演奏。沈黙も重要な要素になっている。
1980年代に入って、一般家庭にヴィデオ・テープ、ヴィデオ・デッキが普及しだした。その後レーザー・ディスク・LDが発売された。テープとはケタ外れの高画質(あの頃の基準だと)と言うこともあって、ヴィデオ・アート作品も色々とリリースされた。それは、今よりも多い気がする。環境音楽ならぬ環境ヴィデオなるジャンルも現れた。このアルバムは、実験映像作家として有名な飯村隆彦がオーストラリアの砂漠の真ん中にぽつんと立っているエアーズロックなる大きな岩山の時間や天候によって移り変わる姿を捉えた映像作品に、リッチー・バイラーク、富樫雅彦、日野皓正が、ソロ、デュオ、トリオで演奏した音楽を重ね合わせた映像作品。その音楽だけを取り出してCD化したもの。単に、サウンドトラックとして演奏したものではない。それは、この演奏を聴けば分かる。独立した音楽としてじゅうにぶんに感じ取られるものだ。日野が多重録音して二重奏を行っている曲もある。彼はアボリジニに興味があり、実際彼らに会ってもいるそうで、アオボリジニに触発された作られた曲もある。元々は、84年にリッチー・バイラークと日野皓正のデュオ・コンサートがあり、続いてこの録音に挑むことになった時、二人の希望で富樫雅彦の参加に繋がったようだ。バイラークと富樫は、その後も何度も共演を果たし、「Tidal Wave」、「津波」、「Freedom Joy」と言ったアルバムがリリースされた。LDプレーヤーはとっくに壊れて処分。そのときLDソフトも全て処分している。DVDかBDでの再発を乞う。
ヴァイオリン奏者として、指揮者としても著名なユーディ・メニューイン(本当の読み方は?)は、クラシックのみならず幅広く音楽に理解があり、他流試合を臨むが如きクラシック以外の音楽にも挑戦して来た。1960年代半ば、インド音楽の巨匠、シタールのラヴィ・シャンカールとの共演を記録したアルバムがこの2枚だ。インドではヴァイオリンはイギリスの植民地だったこともあるだからだろうが、早くからヴァイオリンはインド音楽に取り入れられていた。それは主に南インドだった。ここで共演をするシャンカールは北インドの音楽体系に属する。南インドでのヴァイオリンの奏法は西洋クラシックの奏法とは大きく異なり、ヴァイオリンの持ち方からして全く違う。さすがに、メニューインは南インド流の持ち方では演奏が出来なかったようだ。アルバム・vol,1では、短いメニューインとタブラのアラ・ラカの演奏に始まり、シャンカールのソロ、メニューインとシャンカールのデュオと続く。本格的なインド音楽の演奏と比べれば、演奏時間の長さからも物足りない。だが、インド音楽が西洋人にとって遠い異国の音楽で、聴いたこともない時代だったことを考えれば、こうした形でメニューインという西洋音楽のスターによる紹介は、誠に意義があったと言えるだろう。vol,1では、最後にエネスコの「Sonata
No,3 In A Minor,Op.25」が聴ける。
Vol.2は、メニューイン、シャンカールとアラ・ラカによる長目の演奏が聴ける。インド音楽はせめてこのくらいは聴きたい。2曲目は、メニューインが抜ける。最後は、「Bartok;Sonata No.1 for Violin and
Piano」。メニューイン得意のバルトークで締める。この録音があったのは1966年。65年には映画「Help!」の収録時にシタールを知ったジョージ・ハリスンによって、ビートルズのアルバム「Rubber Soul」の中の「Norwegian
Wood」でシタールが使われ、西洋の一般市民にインド音楽という全く西洋音楽とは体系の異なる音楽の片鱗がわずかながらでも知られて来た頃だった。アルバム「West meets East」は、異文化に属する音楽が正面から接触した大きな成果と言える。
佐藤允彦は、仏教文化・芸術に大変広く深い知識を誇るジャズ・ピアニストであり作曲・編曲家である。これまでも、「サマーディー・三昧」「那由多現成」「観自在」等々のタイトルの付いたアルバムを多数残している。このアルバム・タイトル「如是我聞」は、釈尊の説法を弟子達が各自解釈して経文にすること。ピアノの演奏に重なって、佐藤自らが禅寺で録音した、禅寺の中で日常聞こえてくる読経や様々な環境音が聞こえて来る。多分それらの音を流しながらピアノの演奏をし、録音して行ったのではなかろうか。環境音が流れるからと言って、環境音楽を想像してもらっては困る。大きな木魚と相対した演奏であったり、禅寺の外から聞こえて来ているであろう環境音と戯れたりと、そこで鳴ってるピアノの音は、力強くも繊細な音の数々である。厳しくもあり穏やかでもある。こうした環境音との共演(後から被せたものであっても)のCDやレコードを聴く場合、外界からの環境音(騒音と言ってもよい)を一切遮断された状態で、これらの録音を聴ける人はそうそういないだろう。自宅の部屋の中で聴くと、このCDに録音されている環境音に混ざって、今CDの鑑賞中に部屋の内外で起こっている様々な騒音も一緒に聴くことになる。では、CDに入っている環境音の効果はないじゃないかと思う人もいるだろう。が、人の耳はよく出来たもので、たとでアンサンブルの演奏であっても、特定の楽器などに集中して聴き、そして聴き分ける能力を持つのだ。だから、このCDの環境音と自宅や近くで起こる騒音とは区別して聽く事が出来るのだ。これを聴きながらそんな事を考えてしまった。しかし、猫の「にゃ~」は邪魔。惜しくも逝ってしまった盟友・富樫雅彦に捧げられている。