LP/CD Review 11

810~Trio P.E.I:Dong (Yedda Lin2014)

ウィーンのトリオ"Trio P.E.I"のウィーンでのスタジオ録音。トリオ P.E.IのPは、Passion。Eは、Energy。Iは、Intensityを意味する。メンバーは、台湾出身で現在ウィーン在住のピアニスト、Yedda Chunyu Lin。1940年ウィーン生まれのサキソフォン奏者のFritz Novotony。彼はウィーン、オーストリアのフリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼイションのパイオニアのひとりで、リフォーム・アート・ユニットでの活動で有名だ。サニー・マレイ、アンソニー・ブラクストン、ドン・チェリー、マイケル・マントラー、カーラ・ブレイらと共演したりレコーディングも行って来た。Lukas Ligetiは、ハンガリーの作曲家、ジョルジ・リゲティの息子で、ウィーンで生まれている。ドラム、パーカッション、作曲と、ジャズと現代音楽の垣根無く活躍している。トリオのリーダー格は、Yedda Linだろう。他のメンバーと、同じトリオの名前で演奏をしている。全7曲収録されている。疾走感のあるフリージャズと、ピアノの内部奏法を多用したもっと抽象的な表現を行っている静的な演奏が交互に配置され、このトリオの多面性をうまく捉えている好アルバムだ。パワフルな演奏では、ピアノの音が反復的な動きを見せる。このあたり、ジャズというよりも現代音楽の影響を強く感じる。Yedda Lin要注目!

 

809~Sabu Toyozumi&Phil Minton:Crossing 渉 (Sabu-02/1997)

 

フィル・ミントンは、1940年イギリス生まれのヴォイス・パフォーマー。60年代からジャズ・オーケストラ等でトランペットとヴォイスを演奏していた。70年代に入り、ヨーロッパの先鋭的な即興シーンに身を投じた。声だけで、他の楽器に負けないほどの、いやそれ以上の抽象的な表現力を磨きあげて行った。その為の技法を開発して行き、後進のヴォイス・パフォーマーの指針となっている。本作は、1997年上尾市のバーバー富士での豊住芳三郎とのデュオ演奏が収められている。喉の奥底を覗き込んでいるかのような音から、人から発せられるとは思えないような音まで、縦横無尽に操っている。これを正に変幻自在と言うのだろう。そんなミントンのヴォイスに、豊住も「打楽器奏者」と呼ぶには、ミントンと同じく大きくズレた演奏で立ち向かう。この二人の相性は抜群と言わざるを得ない。ミントンのソロ演奏は「A Doughnut in Both Hands(1982)」「Songs From A Prison Day(1993)」「A Doughnut in One Hand(1998)」でご堪能あれ。抽象的な表現を得意とする彼だが、マイク・ウェストブルックのバンドに加わって、ビートルズの「アビー・ロード」をカヴァーしたライヴ録音「Off Abbey Road(1989)」があるので、珍しい?歌が聴ける。それもビートルズ・ナンバーが。ミントンと豊住は、韓国にも演奏で行っており、崔善培(tp,harmonica)とも共演している。我が家には、その時の録音が崔さんから届いている。崔さんも、とてもミントンの演奏をお気に入りの様子だった。

 

808~豊住芳三郎:The Ceder (no label no number/2000)

The Ceder」と題された豊住芳三郎のアルバム。これは、有りそうで無かった豊住のソロ・アルバムなのだ。ユニバーサルミュージックから2015年にリリースされたハン・ベニンクとのアルバム「DADA・打打」には1曲ソロが収録されているが、丸ごと1枚豊住のソロを収録したものは、おそらくこれだけだろう。2000年3月25日横浜のリトル・ジョンにて演奏され、収録されている。アルバム・タイトル「The Ceder」なんだが、どうもシーダー/ヒマラヤ杉・Cedarの綴りを間違えたままジャケットを印刷してしまったらしい。そこは、あまり深く詮索せずに、収録された演奏に耳を傾けていただこう。ドラム・ソロと聞くと、多くの人は、あのクリシェをずらずらと並べただけのドラムの練習をしているかのような演奏を思い浮かべられるかも知れない。または、現代音楽の打楽器の曲を演奏しているかのようなものだろうか。豊住によると、ドラムの基本的テクニックは、数えるほどくらいしかなくて、その順列組合せの違いをいかに人とは違う個性を持ったものにするかだ。などと聞かされた事が有った。そう言ってる彼の演奏は、「ドラム」と聞くと思い浮かべるような演奏からは随分と遠くに行ってしまっているようだ。とくに、誰かとのデュオになるとそれが特徴的に現れる。それも相手によって相当に演奏を使い分ける懐の深さがある。そうかと思えば、グループに加われば、しっかりとリズム・キープもするし、グルーヴもする。ここでのソロは、「ドラム」を結構意識した演奏になっている。デュオとかになると、ドラムの後ろに座ってることの方が少なかったりすることも多いが、ここでは「ドラマー」としての演奏が聴ける。だが、凡百のドラム・ソロではなく、シンプルなセットから、演奏は様々に表情を変えながら進行して行っている。音質も良い。

 

807~Sabu Toyozumi&Paul Rutherford:芳 FRAGRANCE (Sabu-01/1998)

 

No Business RecordsからリリースされたCD/LPThe Conscience」は、1999年10月常滑市での演奏だったが、この豊住とラザフォードのデュオ演奏は、その前年1998年の神奈川アートホール、上尾市のバーバー富士と無形の家での録音を、豊住芳三郎自身で編集しジャケットデザインもし、一枚一枚CD-Rに焼いた(表現が古いかも)もの。よって、一般的には流通していないアルバムで貴重。このアルバム、2種類存在する。3曲入りと、4曲入りがある。おまけに「晃/Brilliant Gawd Forbids」と言う2曲目は、名前が一緒で録音が違うという有様で、誠に豊住らしい作りになっている。ファンは、Fragranceと言う文字だけが違うジャケットと、内容違いだが同じ曲名というアルバムを2枚買わなければいけないことになります。とは言うものの、現状購入はぼぼ無理かと。こんな手作り感満載のアルバムなれど、思いのほか録音は良い。連続して来日し、ツアーを重ねるほど、この時期のふたりのコンビネーションは絶好調で、良い時期に録音され、こうして聴けるのは有り難いものだ。ラザフォードのトロンボーンは、他のトロンボーン奏者とは、まず音色からして大いに違っている。たいていジャズ系トロンボーンは、バリバリと力強く吹き放つが、彼の演奏はフリー系だのに、クリアーで柔らかい音色と流麗とも言える流線型を書で書いてるような演奏なのだ。このあたり、ジャズにおけるトロンボーンの達人JJ・ジョンソンと似たような立ち位置かもしれない。そんなラザフォードに豊住は、硬軟合わせたドラムの演奏を、付かず離れずの場面場面で適切な距離を取りながらラザフォードの軟体動物の様なプレイに相対している。

 

806~不破大輔:28 (地底レコード/2000~2001)

渋さ知らずの「ダンドリスト」として、今や、いや今後100年間は日本音楽史にその名を残すかもしれないベーシスト、不破大輔の初リーダー・アルバムがこれだ。FIKTION(不破大輔(b)、石渡明廣(g)、片山広明(ts)、豊住芳三郎(ds))と言う濃いメンツが集まったグループに、泉邦広(as,)、吉田隆一(bs,toys)、佐々木彩子(voice)、関根真理(djembe)、高岡大佑(tuba,hoomei,toys)、室館彩(voice,toys,harmonica)、吉岡みどり(vocal.voice)が曲によってゲストで参加する形で構成されたものだ。基本的には、エネルギッシュなフリー・ジャズが演奏の軸になっているが、ローランド・カークの「Lady’s Blues」、ミンガスの「Goodbye Pork Pie Hat」、ルイス・ボンファの「黒いオルフェ」と言ったジャズ・オリジナルからボサノヴァの有名曲も混ざる。さらに、日本語で歌われる「飛行機」(作曲:不破大輔、作詞:石川啄木)と言った不破オリジナル(歌詞は啄木だが)も演奏される。この一見とっちらかった全9曲だが、全部通して「不破ワールド」と呼べそうな一本芯の通ったストーリーが見て取れる。今をときめく「渋さ知らず」に通じるスケールの大きい、そしてカラフルな音絵巻がここでも聴けるのだ。不破のぶっとい強靭な音のベースを軸に、粘っこい片山のテナーサックスと、一見このグループにそぐわないようなスペーシーなギターを弾く石渡。そして、世界中見渡しても突出した個性のドラマー豊住のいつもの即興演奏とは違うビートを効かした演奏に、個性的なそしてなんとも振れ幅の広いミュージシャン達が曲ごとに絡んで行くなんともユニークなアルバムだ。このアルバムをリリースした「地底レコード」は、そのレーベル名と言い、レコード番号のB20Fと言うセンスは、同じレーベル主催者として嫉妬をいだくくらいだ。そして、リリースするアルバムのどれもが個性的でユニークで、かつ一本筋の通ったものだ。

 

805~富樫雅彦&高橋悠治:Duo Live 1995 (STUDIO SONGS/1995)

佐藤允彦監修のSTUDIO SONGSの富樫雅彦アーカイヴスの5作目は、アーカイヴの2作目の富樫雅彦と高橋悠治のデュオ(1988年ホール・エッグファームでのデュオ・ライヴ)に次ぐ、199

5年の二人のデュオ・ライヴの録音。88年は、7曲の即興演奏が収録され、内1曲は富樫作曲の「Valencia」が聴けた。95年の方は、約48分と約39分と約8分と言う2曲は長尺の演奏で、ノーカットで収録されている。二人とも88年の時の演奏とほぼ同じ楽器を使っているようだ。高橋は、ピアノ、小物のパーカッション、Akai S950、Apple SE/30は88年と同じ。95年は、「可不可」の朗読がところどころ挟まれる。アコースティック・ピアノの演奏はほんの一部と言ってよい。サンプリングされた音や電子音が、まるでもぐら叩きでもしているように、スピーカーの右や左から飛び交っている。電子音で空間を埋め尽くすような演奏は一切無し。それは、富樫のパーカッションにも言える。空間をパレットにして二人が絵を描いているかのような演奏。95年と88年の違いは、高橋の電子音が、どこか東南アジアの音楽を想像させるところか。フリー・インプロヴィゼイションも色々有るが、これは他のどこでも聴ける類の演奏ではない。オリジナリティあふれた傑作だ。

 

804~Wadada Leo Smith:America's National Parks(Cuneiform/2016)

ワダダ・レオ・スミス率いるゴールデン・カルテット(Anthony Davis,p~JohnLindberg,b~Phee-

roan akLaff,ds)の2016年作の2枚組のアルバム。今回は、ゲストのチェロ奏者Ashley Waltersが加わっている。アルバムのテーマは、アメリカの国立公園。ブックレットには、Jesse Gilbertが撮影したヨセミテの国立公園の雄大で美しい写真が掲載されている。今回のゴールデン・カルテットは、チェロが入ることにより、アンサンブルの厚みが増したことに加え、レオさん以外のリードヴォイスも増えたことにより、いつものGQの色彩感がより増している。ヨセミテ国立公園の写真の如く雄大な演奏で、たった5人とは思えない演奏の量感と質感がある。尚、このアルバムは、Down BeatのAlbum of The Yearに輝いた。同時に、レオさんはArtist Of The YearとTrumpet of The Yearにも輝き、三冠を受賞したのだった。同年、JJAでも二冠に輝くなど大活躍だった。それに引き替え日本での評価どころか、ほとんど無視された状況は悲しいものがある。

 

803~Kateryna:Babduriste (Native Colors Record/2008)

No.802で紹介したナターシャ・グジーの妹カテリーナの1stアルバム。姉と共に日本に住み、音楽活動を行っている。バンドゥーラは、コサック時代は、盲目の人によって演奏されていた歴史を持つ。50~60弦のツィターやツィンバロムを縦にしたような楽器で、指ではじきながら演奏する。音域は、5オクターブはあるので、結構低音が響く時もあるが、基本的にはハープに似た感じだ。でも、響きは中世ヨーロッパの素朴な感じで、これが心地よい。そして何より、姉ナターシャのような澄み通った声が魅力。ウクライナ民謡、ヘンデルなどのクラシックに混ざって、「ふるさと」が日本語で歌われる。伴奏をバンドゥーラだけにしたのもよい。声とバンドゥーラだけのシンプルな表現だからこそ、歌もバンドゥーラも映える。生で聴いてみたいものだ。

 

802~Nataliya Gudziy:こころに咲く花(音楽センター/2006)

今は交流は絶えてしまったけれどウクライナのYuri Killirowskyと言う友人がいたこともあって、ずっとウクライナと言う国の文化・芸術に関心がある。バンドゥーラという多弦楽器があって、このCDを聴きたくて探したら、そもそもCD自体が少ない。でも、日本在住のバンドゥーラ奏者が二人いて、何と姉妹だった。これは、姉のナターシャ・グジーのアルバム。15曲中4曲がウクライナ民謡。アルバム・タイトルの「こころに咲く花」はナターシャ・グジーの作詞・作曲。「G線上のアリア」に歌詞を付けた曲や、「ふるさと」を日本語とウクラウナ語で歌っているトラックも収録されている。民謡ではないらしいが、ウクライナの歌も多い。透き通った声とバンドゥーラのギターともハープともつかない素朴な音色が心に沁みる。彼女は、チェルノブイリ原発の被災者でもあり、9・11には東京にいたそうだ。彼女が作詞した曲「ねがい」も、不安定なウクライナ情勢や原発事故の経験等の影響もあって、単なる綺麗な曲に終わらない主張を強く含んだ曲になっている。

 

801~高橋悠治:めぐる季節と散らし書き・子どもの音楽 (Meister Music/2017)

2017年2月24日 浜離宮朝日ホールで行われた高橋悠治のピアノリサイタルの音源が早くもCDでリリースされた。タイトルの通りに、子供が弾けるように作曲された曲が並ぶ。どれも短くて、クープランのパヴァンヌ嬰へ短調の6分47秒以外は、40秒からせいぜい3分台。5本の指だけで演奏出来る曲もある。演奏されている曲は、「パーセル:組曲 第7番」「クープラン:シャコンヌ、パヴァンヌ」「高橋悠治:散らし書き」(2017年の新作)、「ケージ:四季」「バルトーク:10の易しい曲」「サティ:コ・クオが子どもの頃(母のしつけ)」「ブゾーニ:子どものためのソナティナ」「ストラヴィンスキー:五本指」「ヴェーヴェルン:子どもの曲」と、17世紀から20世紀、今世紀までの色々な曲が演奏されている。パーセルとケージが並ぶのは高橋らしい選曲だが、これが全く違和感なく耳に入って来るから面白い。自作の「散らし書き」は、古今和歌集を散らし書きにした平安時代の「寸松庵色紙」の三枚によると、ある。ピアノの和歌を詠んでいるような高橋悠治らしい音の動きが面白い。だが、これが子どもの音楽なのかどうかは・・? 私には、このアルバムの中では一番面白く聴けた曲。「20世紀前半の作曲家が子どもの音楽を書くとき、限られた素材を使った短い曲は、いままでとはちがう作曲法を試す場でもある。」そうだ。サティの曲は、1999年に作曲スケッチブックの中から発見されたそうだ。ヴェーヴェルンの曲は1965年に発見。子供の音楽と侮るなかれ。楽しく聴けます。

 

 

800~David Behrman:Leapday Night (Lovely Music/1984,86,90)

David Behrman/デヴィッド・バーマンは、1937年ザルツブルク生まれの、アメリカのコンポーザー。マルチメディアのインスタレーションも。父親は、ハリウッドの著名な脚本家。母親は、なんとヤシャ・ハイフェッツの兄弟(妹か)という血統の良さでもあった。60年代から活躍し、1966年ジョン・ケージらに次ぐ世代のAlvin Lucier,Robert Ashley,Gordon Mummaと組んだSonic Arts Unionの活動は特筆される。早くからコンピューターを使った音楽の制作で、群を抜く存在。このアルバムは、自作のコンピューターにBen Neill,Rhys Chathamのトランペットの音を連動させ、自作のも含めたシンセサイザーとヴィデオ・ディスプレイから音と映像を出したもの。ベルリンで、Achim Gieselerのアシストのもとで制作された曲。また、67年から続くマース・カニングハムとジョン・ケージからのコミッションで制作された曲(小杉武久がヴァイオリンで参加)が収録されている。コンピューター制御されたシンセサイザーから出る音は、ノイズ・ミュージックのような刺激的なものではなくて、電子音によるミニマル・ミュージックや今日のアンビエント・ミュージックにもつながる音で、電子音が浮いたり沈んだりして流れて行く様は聴いていて心地よい。小杉武久のヴァイオリンも、Catch Waveの演奏のように空中を浮遊するかのようだ。時代を越える名作。

 

799~谷川卓生:Music For Contemporary Kagura (improvising beings/2012)

谷川卓生は、1969年生まれのギターリスト。ケルン音楽大学卒業。在学中から当地で演奏活動を行っていた。2001年EXIAS-Jに参加。本作は、2005年人形師・岡本芳一と音楽を受け持った谷川卓生の共同制作による舞台「人形神楽」に使われた音源から編集された。舞台では、演奏はライヴで行われた。神楽の始まりは、天照大神が隠れた天磐屋の前で、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞った事が最初とされる。つまりこれは人を(この舞台の場合は、観客)楽しませる、共感を得る為の舞台ではなく、神事としての色が濃い舞台なのだと分かる。谷川は「演目の対象はあくまでも神であり、アーティストが忘我の境地で神の憑代となって歌舞するもの」と述べている。さて、ここでの演奏だが、谷川のエレクトリック・ギターを中心とした演奏なのだが、最初はとてもこれがキターとは思えないサウンドが鳴り出す。まるで琵琶でも聴いているようだ。これは、ギターのチューニングを4,5度も落として演奏し、作り上げたものらしい。邦楽器特有のゆりやさわりをギターで表現するべくたどり着いた谷川ならではの技法だ。前半は、川崎純のベースが加わる。彼の深いアルコの響きが幽玄を醸し出す。そこに琵琶に似た谷川の弾くギターが重なり、この世とあの世の境を映し出す。ギターの響きは、日本の琵琶から遠くシルクロードに伝わるサーズ等の響きも内包する。アルバム後半は、小山彰太と豊住芳三郎のドラムとアラン・シルヴァのシンセサイザーが加わる。エレクトロ・アコースティックな演奏は、谷川の参加しているEXIAS-JによるElectric Conceptionの演奏を彷彿とさせるものだ。ここでの谷川のギターの音は、所謂エレクトリック・ギターの範疇にあるサウンドから逸脱するものではない。シルヴァのシンセサイザーも実に効果的に鳴らされる。二人のドラマーは、節度を持ってここでの音楽の役割を全うしている。

 

798~FMT:TANGO (ALAGOAS DISK/1997)

藤川義明(sax)、翠川敬基(cello)、豊住芳三郎(ds)の三人によるFree Music Trio(FMT)は、第1作目を1978年ALMよりリリースした。メールス・フェスティヴァルにも出演し、客席を興奮の坩堝にしたほどだった。だがそれ一作でアルバムは出されなかった。メールス・フェスティヴァルでのライヴ録音がリリースされないのが残念だ。私の知人二人が、この時の彼らのステージを見ており、密かに録音もしていた。にぎやかな客席での録音で、もちろんこれを公開してどうこうという音質ではない。だが、その時のウケ具合がよく分かって面白いのだ。もう興奮の坩堝と化していた。「ズーガーバー!」(ドイツ語のアンコール!)と大声で叫んでいる。それからは、藤川のイースタシア・オーケストラ結成等各自が自身の音楽の創造に邁進していったのだった。それから時は流れて1997年突然このCDが現れたので、少々驚いたものだった。全8曲、藤川が2曲。翠川が4曲。豊住が2曲を持ち寄ってのレコーディング・セッション。曲とは言い難いのもあるが、持ち前の強烈な個性が全開の各々の演奏は、さすがのコンビネーションがさく裂している。ジャズでは、よくインタープレイという言葉を聞くが、彼らは正に超の付くインタープレイだ。インタープレイはなにもお互いが反応し合うだけじゃない。彼らの場合は、相手の攻撃を受け流す、逆にボコボコにする等々遊び心に富んでいる。さすがに「ナウ・ミュージック・アンサンブル」という日本音楽の歴史上最もユーモアとシリアスが同居したハプニング的な演奏をした集団のメンバー(藤川と翠川)だっただけはある。もっともよくそれが現れているのが7曲目「Unfortunatly I Won’t Invite You」だ。通常の「演奏」の概念から大きく逸脱し、「フリー」さえも逸脱している。3人共が意味のない言葉、わめき声を発しながら、演奏とも言えぬ騒音を撒き散らす9分28秒。日本ジャズ界で最も逸脱した演奏の記録がこれだ。傑作!

 

797~藤川義明&イースタシア・オーケストラ:三月宣言(Super Fuji/1982)

 

1984年5月にリリースされたアルバム「照葉樹林」は、藤川義明率いるイースタシア・

オーケストラの記念すべきファースト・アルバムだった。汎アジアに目を向けた極めてユニークなその演奏は大変注目され、リリース翌月にはメールス・フェスティヴァルをはじめ、ヨーロッパ各地を廻った。翌年には、NHK・FM「セッション’85」に出演。8月には2ndアルバム「Origin」をリリース。本作は、それに先立つ1982年3月30日に行われた芝・増上寺ホール「三月宣言」旗揚げコンサート(まだ、ここでは藤川オーケストラと名乗っている)と、同年11月の「フリーダム・ナウ・ジャズ・フェスティヴァル」、83年4月の赤坂・ドイツ文化会館OAGホールでの自主コンサート、83年7月新宿PIT INN、85年場所不明のライヴからも収録された2枚組のアルバム。年代や会場によっては多少のメンバーの移動があるが、常に12~3名からなる個性の強い、アクの強い日本を代表するフリー・ジャズメンが総動員された感がある。吉田哲治(tp)、小宮いちゆう(tp)井上敬三(reeds)、梅津和時(reeds)、片山広明(reeds)、広瀬淳二(reeds)、板谷博(tb)、佐藤春樹(tb)、翠川敬基(cello)、池田芳夫(b)、豊住芳三郎(ds)、横山達治(perc)等々。いったいどういう経緯なのかは分からないが、ディスク2-1には渡辺香津美(g)も参加している。ソロでは現れないが、アンサンブルで重要な役目を担っていて、ギターの音が全体の背景になっている。ソロも聞きたかったが。藤川の書く曲は、彼独特のユーモア感覚が溢れたもので、その中で各人が熱狂的なソロを取る。日本のフリー・ジャズ・オーケストラによる独自な表現が横溢した傑作。「照葉樹林」「Origin」共々必聴! 

 

796~Glenn Gould in Salzburg (Memoria/1959)

グレン・グールド、1932年カナダ、トロント生まれ。82年50歳で亡くなった。本名Glenn Herbert Gould。もっと言えば、元々の名字はGoldだった。Goldは、ユダヤ系に多い名前で、当時反ユダヤ主義が巻き起こっていた時期で、巻き込まれない為に改名したそうだ。7歳でトロント王室音楽院に合格。13歳で最優秀の成績で卒業するという神童ぶり。低い椅子にすわり、まともな食事も日に一回しかとらない。と、ゴシップ的にもネタに困らない人だったが、音楽家としても同じく異端を貫いた。その異端に見える演奏解釈や発言が世の聴衆に受け入れられもした。1956年にリリースされた「ゴルトベルク変奏曲」は、それまでの演奏とはまるで異質の音楽になっていたが、今ではスタンダードになっている。(これは演奏する側ではなくて、我々リスナーにとってはの話だが。当時の日本の評論家、リスナーからはゲテモノ扱いされたようだ。)64年のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート・ドロップアウトをし、その後はレコーディング、放送用録音、ドキュメンタリー番組制作等々で活躍し、ステージに立つことはなかった。そんなグールドの珍しいコンサート録音が、この1959年ザルツブルクで行われたリサイタルのライヴ音源だ。スヴェーリンク/オルガンの為の幻想曲、シェーンベルク/ピアノ組曲Op.25、モーツァルト/ピアノ・ソナタ第10番、J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲が収録されている。作曲年が300年を越える幅のある選曲で、西洋音楽の歴史を一気に垣間見ることが出来る。とは言うものの、グールドはロマン派はごく一部しか好まないので、ここでは演奏されていないが。スヴェーリンクは日本で言えばちょうど江戸時代が始まる前夜の時期の作曲家だが、こうしてグールドの演奏を聴いていると、まさに現代にも十分マッチする音響で古臭さは感じない。ゴルトベルク変奏曲然り。これは、私個人の好みの問題なんだが、どうにもモーツアルトが苦手だ。「音楽の本質が分かっていない!」と言われそうだが、では分からなくて結構です。

 

795~広瀬量平の音楽 (日本コロムビア/1973,83)

広瀬量平は、1930年函館生まれの作曲家。60年代はじめ、「良につけ悪しきにつけ尺八の音は日本人の心のかたちをしている」と思い、尺八を使った曲の創作始めたことから分かるように、広瀬は西洋音楽の価値観から逸脱し、日本=東洋の独自の時間間隔や空間への意識を大きく取り入れた作風をとった。本作は、「カラヴィンカ」(recorder,oboe,vln,

viola,cello,perc×2.1973)と、その拡大ヴァージョン「管弦楽のためのカラヴィンンカ」(1978)を中心に、「ピッパラ」(バスーン、ハープ)、「パドゥマ」(オーボエ)、「ポータカラ」(アルト・リコーダー、チェロ、ハープ)、「パーラーミター」(持続音を伴うアルト・フルート)、「プンダリーカ」(クラリネット、ピアノ)といったソロからトリオ編成による作品が並ぶ。そのどれもが、特殊奏法を屈指した演奏なれど、その響きは空想の庭を飛ぶが如し。曲名がそれをよく表している。特にオーボエとリコーダーの音が曲想に合っている。カラヴィンカの管弦楽ヴァージョンは、七重奏の拡大版だが、管弦楽の音がぐっと西洋の響きに引き寄せてしまい、七重奏版のよさが消されている気がする。リコーダーの上杉紅童は、山口県出身のリコーダーの第一人者で、古代笛をはじめ笛類の造旨が深い。

 

794~レナード衛藤:Leo (ewe/1996~98)

レナード衛藤は、1963年NY生まれの和太鼓奏者。スティーヴ エトウの弟。84年~92年は鼓童に所属していた。独立後、2007年自己のレーベル「クラヴ・レオ・ミュージック」を立ち上げる。太鼓アンサンブルを率いて、アフリカ(タンザニア、マラウイ、エチオピア、ジブチ)、中央アジア(ジョージア、キルギス、カザフスタン)をツアーしたり、ヨーロッパに滞在し活動したりと、その活動の幅はワールド・ワイドだ。和太鼓を使った演奏の、音楽の幅を広く大きくして行き、和太鼓の認識を国内及び世界中に認知させた中の一人と言える。ここでは、平胴大太鼓、締太鼓、宮太鼓、桶胴太鼓と言った和太鼓に加え、拍子木、チャッパ、ドラ、ドラム缶(兄の影響か)、チャイナ・シンバル、ヴォイスも導入し、全9曲多彩な演奏を聴かせる。曲によって、梅津和時(as,ss)、太田恵資(vln)、勝井祐二(el-vln)、井野信義(b)、今堀恒雄(el-g)、山根麻衣(Chorus)、山根栄子(Chorus)が加わる。和太鼓のリズムを基調としながら、大陸的なメロディー(両ヴァイオリンが活躍)とリズムが現れたり、ジャズの香りが漂ったり(梅津のサックスと井野のベースが秀逸!)と、単なる和太鼓のアルバムとは一味もふた味も違う国境を越えた表現になっている。そして、兄のスティーヴ エトウと共通するポップさやアヴァンな感覚も併せ持つ。和太鼓の可能性をぐっと広げた好アルバム。

 

793~スティーヴ エトウ/Steve Eto:在日日系米国人重金属打楽器奏者 生誕四十周年記念初音盤 (ブーガルー/1998)

スティーヴ エトウ(本名・衛藤高登)1958年ロサンジェルス生まれ。6歳までNY、ダコタハウスから数軒向こうで過ごす。父親は、第二次大戦後アメリカに移住した盲目の筝奏者・衛藤公雄。弟は和太鼓奏者・レナード衛藤。アメリカ国籍。現在は奈良県在住。小泉今日子のツアー・メンバー等数多くの歌謡曲、ポップスの仕事をこなして来た。通常の打楽器の他、現在のトレードマークとなっているのはドラム缶等の金属を叩くパフォーマンスだろう。グラインダーで火花とノイズをまき散らしたり、サンプラーを使ってヴォイス・パーカッションをしたりと、打楽器奏者の枠を大きくはみ出した活動をしている。俳優として映画出演もしている。奄美大島に魅せられてもいる。本作は、そんな多面的な活動・演奏をしているスティーヴ エトウの40歳を記念に制作された初リーダー作。ドラム缶、グラインダー、銅鑼、ヴォイス等も総動員した全11曲は、ポップで、ノイジーで、リズミカルで、ロックで、パンクで、レナード衛藤との即興演奏もあり、山本ゆかりの美声も聴こえる何とも楽しいアルバム。曲名が、これまた面白いのだ。「工場のイビキ」「兄弟仁義なき戦い」「地球上陸」「地球撤退」「狂気のハエ」「早口なイヌ」等。これ、全て小泉今日子が名付け親なのだ。現代音楽の打楽器奏者の作る音楽とは正反対のスティーヴ エトウの音楽は、正に、Laugh is important !

 

792~多田正美:空 KU・TADA IMPROVISATION (双ギャラリー/1990)

多田正美、1953年伊勢原市生まれ。71年昭和音楽短大で作曲を専攻。それと同時に即興も始める。74年「GAP」を佐野清彦、曽我傑と結成~79年。78年ALMよりLP「GAP」リリース。75年~76年神田美学校・小杉武久音楽教場に参加。そこの参加者らと「イースト・バイオニック・シンフォニア」を結成。ALMよりLP「イースト・バイオニック・シンフォニア」をリリース。楽器作り、写真(パノラマ写真を使った空の写真等)、廃材や竹等を使った即興、最近はジョン・ケージの「Four Walls」の演奏が多く、韓国での公演を何度も行っている。また、イースト・バイオニック・シンフォニアのメンバーが再度集まって「マージナル・コンソート」を結成し、海外公演も多く、CD/LPもリリースしている。ミュージシャンを越えてトータルなアーティストである。本作は、90年双ギャラリーで行われた個展「”空" 写真&インプロヴィゼイション」の間に行われた即興の記録。多田は、何々奏者ととらえることは出来ない。確かにピアノを弾くしどこかの民族楽器も鳴らす。実際、カフェ・アモレスの店内で行ったパフォーマンスでは、私が集めて来た竹、木の棒、石、交通標識等々のガラクタ。叩いて擦って響きの面白そうな物を選んだつもりだった。会場のほどよい響きもあいまって、竹や石が奏でる微細な音から、それらを叩いたり床に転がしたりした時の大きな物音が断片的に、また連続して現れる。多田の演奏風景は踊りのようでもあり、巫女の祈りのようでもあった。その時の印象のままの音がこのCDからも聴こえて来る。シンプルと言えばこれ以上シンプルに成りえない音楽。だが、その立ち上がって来る音たちは活き活きと活気に満ちている。こちらは、ただ音の波に身をゆだねればよい。その後も、CDやカセット・テープでリリースが続いた。カフェ・アモレスでは数多くのライヴを行っていたが、その中でも屈指の演奏だった。だが、客は無理言って来てもらった人を含めたったの3人! 私はと言うと、このライヴの為の”楽器”集めが楽しかった。

 

791~Long Story Short Curated By Peter Brötzmann (Trost Records/2011)

これは、ペーター・ブロッツマンをキューレーターに迎えたオーストリア、ヴェルスで2011年11月3~6日にかけて開催されたUnlimited Festivalから収録されたCD5枚を収納したBOXセット。選ばれたミュージシャンからカヴァー・デザインまで含めて、丸ごとブロッツマン!と言った、ファンにはこたえられないBOXセットになっている。シカゴ・テンテットにジョン・チカイが加わっていたり、ヴァンダー・マーク、マツ・グスタフソンとのサックス・トリオの大暴れがあったり(ブロッツマンが加わればみんな大暴れになってしまうか・・)、シカゴ・テンテットに八木美知依(筝)が加わった「Concrt For Fukushima」も演奏されている。ブロッツマンと佐藤允彦、森山威男のトリオや、ブロッツマン、Jason Adasiewicz(vib)&豊住芳三郎(ds)(このトリオは中国ツアーもしている。)そして八木美知依、ブロッツマン&本田珠也(ds)が聴けるのも嬉しいまた、ブロッツマンが参加していない演奏も含まれている。佐藤允彦のソロ。灰野敬二のソロ。八木美知依、Okkyung Lee(cello)、Xu Fengxia(Guzheng)のトリオが聴ける。エネルギー・ミュージックの権化ブロッツマンとここに集ったミュージシャン達の演奏の数々を聴いていると、世界中の様々なミュージシャン達に彼の音楽が受け入れられ、尊敬を集めているのが分かる。正に時代を作った者の偉大さが集積されたBOXセットだ。それに現在進行形なのがいい。

 

790~John Cage Shock Vol.3 (Omega Point/1962)

ジョン・ケージ・ショック第3弾は、「4’33”」の第2番「0'00"」。演奏者への指示は「最大のアンプリフィケイションが得られるようにし、抑制された行為をせよ」のみ。4分33秒という時間制限も取っ払われた。この日本公演での演奏が世界初演だった。その後、指示は増えて行き、「エレクトロニック、音楽的、演劇的なお膳立てに意を用いてはならない」が加えられた。ここでは、ケージ自らが演奏している。一体どんなことをして、今鳴っている音が出されているのか想像をしながら聴いていると楽しい。または、ただ音に身をゆだねるか。目を閉じて聴いていると、ただ日常にそれと気づかずに耳にしている、または耳を通過している音たちをわざわざ聴き耳立てて聴いているようでもある。ひとつひとつの音は結構耳障りなノイズばかりだ。だが、楽譜に記されてあるように、抑制されているので、沈黙も含めてこのノイズたちがより印象に残る。現代のノイズ・ミュージックは、沈黙をヨシとはせず、この楽譜に指示されていることの正反対ばかりを行っているともいえる。同じなのは、最大の増幅だけだ。

あとは正反対で、特にライヴの現場では、やる方も、聴く方も(聴くと言うよりも、体全体で感じていると言った方が近いかも)結構感情的な音楽だ。それをCDなんかで聴くとまた印象が正反対に違って来たりする面白さを含んでいる。ケージらのノイズの取り込みが行われたからこその、現代のノイズも存在しているのは忘れないようにしておく必要があろう。2曲目のMichael von Bielは、フルクサスのメンバー。ドイツ出身のカーデュー、シュトックハウゼン、ボイスに師事している。脈絡が無いのだが? そこがフルクサス? 一柳とチュードアの2ピアノで、明らかに偶然性を用いた曲だ。先の0'00"のノイズがピアノから発せられる音に変わったような印象を受ける。3曲目は、一柳慧(彼は、フルクサスのオリジナル・メンバーだった)の「Music For Piano#7」同じく一柳とチュードアの演奏。これも完全な図形楽譜で、ミロの絵を見ているかのような楽譜。これも沈黙とピアノから発せられる音、ノイズが沈黙の間をぬってまるでモグラ叩きのように現れては消える。

 

789~John Cage Shock Vol.2 (Omega Point/1962)

ジョン・ケージ・ショック第2弾は、ニューヨーク一派/New York

Schoolと呼ばれていたケージ達とは異質な作曲家も含まれている。カールハインツ・シュトックハウゼンの「Klavierstück X」だ。この日のチュードアの演奏が初演とも言われ、同じ日にイタリアでフレデリック・ジェフスキも演奏していたとされている。この曲は音高以外の要素も組織化したトータル・セリエリズムの曲と知られているが、聴き手にとっては、ともかく指だけじゃなく拳、肘、手首、腕を総動員した速度と強度の限界を試すようなピアノの響きはたいそう魅力なのだ。続くケージの「26'55.988」は、時間指定のあるケージの曲の一つ。26分55.988秒をどうやって計るのかと言う疑問は常にあるのだが・・。ここでは、デヴィッド・チュードア(p)、一柳慧(p)、小林健次(vln)、そして小野洋子(vo、彼女はケージらの通訳や雑事もこなしたそうだ)。各パートは、チャンスオペレーションによって厳密に確定されている。だが、この時期の作品は、予め決めておく事を限定しているので、逆に奏者は自由が与えられている。晩年は、それを許さなかった傾向があった。ここでは、とにかく小野洋子のあの絶叫が聴こえて来るのだ。ジョンとヨーコのあの叫び・奇声・咆哮が、すでにこの時代から行われていたのだ。まずはそのことに衝撃を受ける。そして、そのパフォーマンスに感動するのだ。それを今でも続けているエネルギーは、一体どこから来るのだろう。ケージ・ショックと言うより、ヨーコ・ショックに打たれる。これ、1962年なのだ!

 

 

788~John Cage Shock Vol.1 (Omega Point/1962)

1962年秋、ジョン・ケージはデヴィッド・チュードアと共に初来日を果たした。すでにケージの音楽や思想は日本に紹介されてはいたが、実際目にふれ耳に聴こえて来たのはこの年が最初だった。聴衆、音楽家、評論家を含め衝撃を与え、この2年後のマース・カニンガムの来日あたりまでをこれまで「ジョン・ケージ・ショック」と呼んでいた。大阪・御堂会館と東京・草月会館アートセンターの演奏から3枚のアルバムとして奇跡をリリースがこれだ。正に狂喜乱舞である。第1集の1曲目は、武満徹:コロナ。この年、高橋悠治により初演された武満には珍しい図形楽譜で、シートの組み合わせや回転で無限のヴァージョンが出来る。ここではチュードアと高橋悠治の演奏。クリスチャン・ウォルフ:デュオ・フォー・ピアニスト&ヴァイオリニスト。チュードアと現代音楽にも積極的だった小林健次の演奏。沈黙が支配する彼らしい曲だ。空間が緊張するのが分かる。次はお待たせ、ケージのVariations Ⅱ。6枚の透明のシートには、点と線が書かれている。それを重ね合わせ、演奏者は音の強度、高低、長さ等を決めて行く。ここでは、ケージとチュードアによる2台のピアノによる演奏なんだが、ピアノらしい響きは皆無に近い。バリバリとノイズが鳴り響き、沈黙が訪れる。また別のノイズに包まれる。電気的な処理は全くされていない生のノイズなのだが、強烈だ。これが1962年だとは! このコンサートのすぐ後ビートルズは「Love Me Do」でデヴュー。ジャズでは、まだコルトレーンはフリー・ジャズに突入していなかった。そんな時代にこんな演奏を突き付けられたのだ。「ショック」と呼ばれるのは頷ける。

 

787~Larry Coryell:The Restful Mind (Vanguard/1975)

ラリー・コリエルは、ジャズにロックの技法を持ち込んだ先駆者として名を馳せる。それまでのジャズ・ギターの音色とはまるで異なるロック・テイストなサウンド(フィードバック、ディストーション等)を武器に、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラとまで共演している。その後のジャズ・ロック、クロスオーヴァー、フュージョンの土台を築いた第一人者だ。エレクトリック・ギターを片手に歌まで歌っているアルバムも初期にはあった。イレブン・ハウスというバンドではハード・ドライヴィングなギター・プレイとバンド演奏を繰り広げ、アルバムも多い。日野皓正が参加したアルバムもあった。さて、1975年リリースの本作は、ガラリと趣が違う。全編アコースティック・ギター(スチール弦)を演奏している。おまけに共演者が異彩を放つ。シタール、タブラ、オーボエ、イングリッシュホルン、アコースティック・ギター、ピアノ、ベースというジャズらしからぬ編成で特異な、だが演奏される音楽は高いクォーリティと豊かな表現を誇るグループ、オレゴンのメンバー(ただしポール・マッキャンドレスは不参加)が曲によっては加わっているのだ。この組み合わせには少々驚かされたが、それはエレクトリック・ギターを弾き倒すコリエルのイメージのままだったから。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をはじめ、クラシカルな雰囲気を湛えたコリエルのオリジナル曲も交えた演奏は、それまでのイメージが覆されたものだった。だが、特に1曲目のようなまるでインド音楽の演奏の最後の部分が延々と続くような高速弾き倒しも披露している。そこではコリン・ウォルコットのタブラも負けじと高速のパルスを放射する。さすがに、こればかりが続くようだと疲れるが、ギター・ソロによるオリジナルが混ざり合って、アルバム全体は明るく彩られている。ギターの相方を務めることになったラルフ・タウナーがコリエルに負けじと激しい演奏になるところはオレゴンには無いものだ。オレゴンの方が大人の音楽とも言えそうだ。コリエルは、この後ジョン・マクラフリン、パコ・デルシアとスーパーギター・トリオを結成し好評を博す。だが、コリエルはアル・ディ・メオラに交代した。このトリオは最初はウケるが、聴き続けるには曲芸がすぎた。

 

786~New Jazz Syndicate 1:In The Beginning (New Jazz Syndicate/1977)

 

原尞は、1946年佐賀県鳥栖市生まれのピアニスト。88年「そして夜は甦る」の作家としての方がよく知られている。九大文学部美学美術史科を卒業後は上京し、フリー・ジャズ・ピアニストとして阿部薫、高木元輝、豊住芳三郎らと共演をした。71年の三里塚での日本幻野祭では高木元輝トリオで出演し、現在CDでも聴ける。豊住芳三郎の「Sabu-Message To Chicago」にも参加している。1974年原尞は、創造的なミュージシャン達と法政大学学生連盟・事業委員会のメンバーと共に「ニュージャズ・シンジケート」を設立した。彼らの趣旨は、「ニュージャズ・シンジケートの目的は、それら総ての個性間における限定されない相互交流を通して、創造的な音楽の発展の為の“場”を提供し、維持することである。」とある。本作は、1977年10月~12月にかけて、法政大学学生会館(ここは、アンダーグラウンド・ロック、パンク、ニュー・ウェーヴ、実験映画の根拠地としてその後も名を馳せた。)で行われた4回のコンサートから収録された録音を3枚に編集したアルバムの中の1枚。他2枚は「Don’t Play That Sentimental/Ballad」と「Forward Suspense」。80年には「The Eternal Recurrence」もリリースしている。この3枚のアルバムは、総勢21名が参加。ds,precだけで4人。(豊住芳三郎は、ゲスト参加)2 bass,2 pとリズム・セクションだけでも8名になる。ベテラン(しかし、当時はデヴュー直後!)の井上敬三(oboe.as.cl)Clive Bell(fl)、宇梶昌二(bs)、荻窪グッドマン店主の鎌田雄一(ss)の名前が見える。庄田次郎(tp)は現在も「ニュー・ジャズ・シンジケート」を名乗り活躍している。叙情性も感じるメロディーのテーマから一転、各人のソロが加わるとフリーキーで激しい演奏に変わる。原尞のピアノも、グローブ・ユニティでのシュリッペンバッハを思わせる強度抜群の演奏。その背後から怒涛のds,perc群が襲い掛かる。爽快なフリー・ジャズ・オーケストラの演奏が聴ける歴史の1ページ。

 

785~阿部薫&豊住芳三郎・Overhang Party :蟬脱 (QBICO/1978)

阿部薫と豊住芳三郎のデュオは、「オーヴァーハング・パーティー」と名付けられたユニットだった。本作は、ALMがリリースした「オーヴァーハング・パーティー」(78年8月13日の演奏。)に先立つ2月と4月の初台の騒(がや)でのライヴ録音。二人でセッションしましたと言った一過性のものではなかった。たった二人だが、ユニットとして活動していた。それだけ、阿部も豊住もお互いがお互いを必要としていたのだ。楽器こそ違えどまるで双子の兄弟の戯れをみているかのように、二人のコンビネーションがいい。だが、奥底に秘めた個性・特性は、かなり違うようだ。阿部はアルト・サックス(ここでは、アルト・サックスの演奏のみが収録されている。)を、己の肉体と同化させ、五臓六腑を吐き出すかのように音を放出する。これに似た音は、せいぜいアルバート・アイラーくらいだろうか。正に突出した個性だった。一方豊住は、そんな阿部の光速で飛んでくる情念の矢をかいくぐりながらドラムからパルスを放射する。だが、豊住にはユーモアを湛えた余裕がまだ演奏に感じられる。阿部にはそれは無い。あまりにも切羽詰まった音ばかりだ。だからこそこのユニットは機能していたのだ。阿部と富樫の共演は想像しがたい。阿部と同時代に豊住の存在があったことは偶然とは言え、お互いにとって幸運だった。私は、79年に上京しているので、その前年に他界した阿部の実際の姿は見る事、聴く事は叶わなかった。豊住も日本にいることが少ない人で、数回しかライヴに接することが出来なかった。もう一年早く上京出来ればきっとこのアルバムの現場に立ち会っただろうに。当時の知人の何人かは、阿部のライヴを何度も聴いていた。まだ、今の様なカリスマ性は我々にはなかった頃だ。「あれは演歌だよ。気持ち悪い。」と言う者。すでに神格化して語る者と様々だった。

 

784~原田依幸:Miu (日本コロムビア/1981)

原田依幸は、1848年生まれの島根県大社町生まれのピアニスト、クラリネット奏者。国立音大クラリネット科では、梅津和時と同級だった。下宿まで同じだった。74年梅津と「生活向上委員会NY支部」と名乗りロフトで活躍。帰国後「集団疎開」を結成。根城にしていた八王子アローンの閉店のため開催された「さよならコンサート」をきっかけに「生活向上委員会大管弦楽団」が結成された。78年の日比谷サマーフォーカス・イン、京大西部講堂コンサートが話題となり、朝日新聞に取り上げられると、各テレビ局に一斉に出演することになった。これは、お茶の間に「ヘンなのがいるぞ。」と、お笑いバンドのような印象を残す。だが、これまで日本に存在しなかったジャズの在り方を痛烈に示したのだった。やってる本人は結構覚めてるものだ。それだから有頂天になることもなく、2枚のレコードを残してあっけなく解散し、各自の自分の音楽、演奏に軌道修正して行った。当時は若手だったが、現在から見ると錚々たる面々がそろっている。さて、本作は、その原田のビッグバン後直後のユニークなアルバム。81年原田が結成した「新鮮組」原田(p,ocarina)、初山博(vib,marimba)、望月英明(b)、豊住芳三郎(ds,perc,etc)、翠川敬基(cello,3のみ)と、「変態組」原田(p,b-cl,ss)、初山博(vib,marimba)、山内テツ(el-b)、古沢良治朗(ds)、トニー木庭(ds)と、二つのユニットで3曲づつ演奏されている。新鮮組は、フリー・ジャズ。だが、サン・ラの後歌詞が付けられジューン・タイソンがよく歌っていた「They’ll Be Come Back」だったり、「Y’S March」はコミカルなメロディーを原田はオカリナでずっと吹いていたりと、一筋縄でいかないシカケが満載。「変態組」は、2dsと山内のel-bが、タイトで強力なリズムを終始ビシバシと決める上で、原田は相当にフリーなソロを取る。どちらにも参加している、初山のvib,marimbaがこのセッションのさらなる彩を与えている。彼の参加の意味は大きい。

 

783~Kenny Millions,Kazutoki Umezu,Sabu Toyozumi:"Soul Brothers" (Hum Ha Records/1992)

Kenny Millionsは、Kenneth Keshavan Maslakのステージ・ネーム。1950年デトロイトの下町で生まれ育ったケシャヴァン・マスラクは、モータウンの仕事をしたりしていたが、72年NYに移住し、当時沸点に達していたロフト・シーンに加わった。彼のユニークなところは、それがフリー・ジャズにとどまらず、ローリー・アンダースン、フィリップ・グラス、ラファエル・ギャレット、ジョン・ケージとの仕事にまで及ぶところだ。78年にはアムステルダムに移住し、ICPとの共演をし、ブラッセル、モスクワにも住み着きどんどん活動の幅を広げて行った。最終的には、フロリダ州マイアミに移住し、夫人とSushi Blues Barを開店した。日本にも度々訪れている。本作は、92年小岩のフルハウスでの、梅津和時、豊住芳三郎とのトリオを収録したもの。3人共がLaugh is important!なところがあるので、演奏は深刻ぶったりはしない。ストレートと言うよりは、結構曲がりくねったフリー・ジャズといった感じ。何しろ引出が多く反応も早い者同士で、演奏は全く淀むことなくスイスイと流れる。どちらかが背景に退いたり、スッと表に現れたり。Kenny Millionsは、ケージの補佐もするが、ローランド・カーク、カーティス・フラー、チェット・ベイカー、ジャック・ディジョネット、ラリー・コリエル、Dr.ジョン等々とジャズだけでも幅広く共演を重ねた経験を持っている。梅津和時も、その点に関しては負けてはいない。どころか、もっともっと幅広くジャンルを横断して来たツワモノだ。豊住然り。そんな3人の演奏は、どこかアッケラカンとした解放感がある。本作は、Hum Haと言うMillionsの自主レーベルでCD-Rで大量にリリースしている。豊住だけでも、Millionsとのデュオ、板倉克行の加わったトリオだけで5枚はリリースされている。他にもポール・ブレイ、ハン・ベニンク、大友良英、チャールズ・モフェット、セルゲイ・クリョーヒンらとのアルバムが多数ある。だが、入手は困難かも。

 

782~Peter Brötzmann&Sabu Toyozumi:Duo (Improvised Company/1982)

ぺーター・ブロッツマンは、1980年厚木ジャズ・サーカスの召喚で、ハン・ベニンクと初来日を果たした。その時、私は中野と市ヶ谷の公演を聴いている。渋谷の寿司屋でミュージック・リベレーション・センター・イスクラのメンバーとしてインタビューにも立ち会っている。その後、ブロッツマンは、ヨーロッパ・フリーのスター・プレイヤーとして幾度となく来日し日本中を廻っている。最近では、佐藤允彦、豊住芳三郎とのトリオが新宿PIT INNであった。平均年齢が70歳を越えるとは思えない迫力の演奏だったと聞いた。本作は、1982年東京でのブロッツマンと豊住のデュオ・ライヴを収録。これは、今は亡きImprovised Companyの大島孝一氏がレーベルを立ち上げての記念すべき最初のリリースだった。これに続いてデレク・ベイリー、ブロッツマン、豊住の岡山でのライヴをリリースされるも、まだ若くして亡くなられたのだった。彼がいなければこれらの音源が日の目を見ることはなかった。特に、セカンド・リリースには私も関係しており、なおさら有り難くもあり、残念でもある。さて、本作だが、ブロツマンも初来日からまだ2年後。豊住共々気力、体力が有り余っている時期で、これが悪かろうはずがない。だが、70台半ばの現在、円熟し、さらに音のキレも増してることは是非付け加えておかなければならない。特に、豊住は! サックスのヘラクレスと呼ばれるブロッツマンのハードなブロウと、豊住もスピーディーで色彩感豊かなフリー・ドラミングは、フリー・ジャズ・ファンのある種理想型と言えるだろう。だが、この頃からフリー・ジャズも新しい波が押し寄せて来て、ブロッツマンはこの数年後にはビル・ラズウェル、ソニー・シャーロック、ロナルド・シャノン・ジャクソンとLastExitを結成し世間をあっと言わせた。豊住もNY即興派のジョン・ゾーン、ネッド・ローゼンバーグらとの共演も増えて行った。

 

781~Bob Reid:The Best Of Emergency (Kwela/1976)

Emergencyは、パリでボブ・リード(b)が、グレン・スペアマン(ts,ss)、ブールー・フェレ(g)、加古隆(p)、豊住芳三郎(ds)と結成したパリらしい国際色豊かなグループ。1976年となっているが、これはLPがリリースされた年で、録音年月日が書かれてないが、America 30でリリースされた前作「Homage To Peace」の残りテイクから編集されているのだろうと思う。情念の渦のようなスペアマンのサックスと、背後からぐいぐいとプッシュしてくる太いベース・サウンド。ちょっと場違いな感じがしないでもないフェレのいかにもなエレクトリック・ギターのサウンドは、正直時代を感じさせる音色ではある。だが、演奏そのものはアグレッシブで気持ち良い。豊住のフリー・ドラムの迫力とキレはさすがだ。一気に世界の、そして時代の先端に飛び出た感がある。そんな中で、加古隆のピアノは、ひとりどこかクールな装いを見せる。そもそも加古は現代音楽が元々のフィールドなのだから、そうなるのだろうが、今日の多種多様なフィールドからの即興演奏への参入を思えば、加古は時代の先取りをしていたかもしれない。アルバム1曲目は、時代を象徴するようなタイトルと、演奏中の「Africa・・・!」の叫びが、違いに寛容でなくなってしまった今日にフィードバックしたような暗示を見せる。熱い叫び。一転して、チック・コリア作の「500 Miles High」では、スペアマンは引っ込んで、フェレのギターの独壇場だ。豊住の珍しいビートを刻む姿が聴ける。Side Bは、ペースを戻して、またソウルフル、スピリチュアルと呼べそうな熱いフリー・ジャズが繰り広げられて行く。収録時間の関係か、豊住のドラム・ソロの途中で突然演奏は切られてしまう。前作は、フランスのユニバーサル・ミュージックが再発したが、こちらはKwelaというボブ・リードの自主レーベルからのリリース。もっと完全な形での再発を望む。

 

780~Emergency :Homage To Peace (America 30/1970)

Emergencyは、パリでアメリカ人2人、Glenn Spearman(ss,ts),Bob Reid(b)、フランス人1人、Boulou Ferret(g)、日本人2人、加古隆(p)、豊住芳三郎(ds)で結成されたグループ。グレン・スペアマンは、60年代後半アメリカ西海岸で活躍していたが、パリへ移住し、同じくパリでサニー・マレイ、アーチー・シェップ、ノア・ハワード、フランソワ・テュスクらと活動していた同じアメリカ人のベーシスト、ボブ・リードとグループを結成し、父親はジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリのフランス・ホット・クラブの主要メンバーだったPierre Matelot Ferreの息子、ブールー・フェレのギター(ここではエレクトリック・ギターを弾いている。この時21歳だった。)を加えた。彼は、パリ生まれのジプシー・ギターリストだが、メシアンに作曲を学んでいる。同じくメシアンについて作曲を学んでいた加古隆と、その頃シカゴからパリに移り住んでいた豊住芳三郎を加えて結成されたのだった。当時加古と豊住は、Kako e Sabuは相当注目されていたそうだ。パリらしい国際性にとんだ編成のグループだ。AECのPeople In Sorrow(豊住のアレンジ)や加古隆のKako Tune等全4曲。スペアマンのサックスは、後期コルトレーンを思わせるが、本人も言っている通りフランク・ライトの影響が大きい。かなりアグレッシヴで、粘っこい演奏だ。グループの演奏自体も、アリス・コルトレーンとファラオ・サンダースとラシード・アリが演奏していた後期コルトレーン・グループが見せた音塊が渦巻いているような雰囲気がある。これは加古隆のピアノによるところが大きい。豊住の自在なフリー・ドラミングが背後から全体を鼓舞し、揺さぶる。フェレは、ジプシー・ギターリストのイメージは横に置いて、エレクトリック・ギターをハードにドライヴ感いっぱいに弾きまくっている。現在の加古隆ファンが聴いたら目を剥きそうな演奏だが、これも彼の今では隠された姿なのだ。そして、豊住のパリ時代の貴重な記録だ。

 

779~豊住芳三郎:藻 (Trio/1975)

1975年7月2日、日仏会館で、「豊住芳三郎“七つの海”」と題されたコンサートが行われた。高木元輝、宇梶晶二、藤川義明、庄田次郎、原尞、徳弘崇が出演した。このコンサートから高木元輝(ss,b-cl)、徳弘崇(b)とのトリオが2曲収録された。高木と豊住の付き合いは、ミッキー・カーチスのグループに参加して67年に渡欧したが、グループを離れて北アフリカ、北欧、東欧、ソ連を廻り、69年に帰国し、吉沢元治トリオに参加した。そこに高木がいたのだった。70年トリオは解散。高木と豊住はデュオ活動を行った。だが、71年には豊住がAACM参加の為渡米した。翌年からはパリと拠点に活動し、帰国したのは74年だった。豊住が帰国するのとすれ違いに高木がパリへと向かっていた。豊住は、宇梶と原とトリオを結成し、「サブ~メッセージ・トゥ・シカゴ」をリリース。その一ヶ月後には南米に行ってしまった。今度もすれ違いのように高木がパリから帰国した。高木と豊住は手紙の往復を行った。高木は豊住の帰国を待って、75年このコンサートが開催されたのだった。豊住は、日本では74年に少し演奏しただけで、高木との共演も4年ぶりだった。高木も念願かなったりで、情念を爆発させるような演奏を繰り広げている。だが、この頃になると、それまでに聴けるテナーサックスを軋ませるような激烈さは抑えられ、ソプラノ・サックス、バス・クラリネットの方を多用するように演奏は変わって行っていた。豊住の演奏も海外でたくさんのミュージシャン達と渡り合って、より鋭く、よりスピーディーに、より幅広い演奏に変わっていた。「俺が俺が」のフリー・ジャズから脱却していた。二人の濃密な音の交感に、その後名前を見ることが無くなってしまった徳弘のベースが果敢に挑む。Dsbのデュオ部分が聴きものだ。コンサートでは、この他にも演奏が残されているはずだが、日の目を見ることはあるのだろうか?

 

778~Barre Phillips,Keiji Haino,Sabu Toyozumi (P.S.F/1991)

 

灰野敬二は、先鋭的なロック・ミュージシャンとして世界にその名を轟かす。現在のノイズのオリジネーターの一人としても。本人は「俺はヴォーカリストだ。」と言っているようだが。とにかく活動の幅が広く、演奏も多岐に渡っている。一言で「こう。」と言えないのだ。一番印象の強いのは、ギターから放射される爆音だろうか。そんな彼だが、デレク・ベイリー、ぺーター・ブロッツマン、フレッド・フリス、吉沢元治、サインホ、ネッド・ローゼンバーグ、姜泰煥等々と言ったインプロヴァイザー達とフリー・インプロヴィゼイションを何度も行っているし、CDも作っている。バール・フィリップスとは、「Etchings

In the Air」(P.S.F/1996)と言うデュオ作があるが、91年の本作は、それに先立つ91年の録音で、バール・フィリップス(b)と豊住芳三郎(ds)が加わっている。1,3曲目がトリオによる演奏。不失者等で聴かせる大音量のノイジーなギター(これが灰野敬二と聞けば誰しもが思い浮かべる姿なのではないだろうか。)とは違い、エレクトリック・ギターのほとんど加工されないシンプルな音で、バール・フィリップスのベースと豊住のドラムに相対している。豊住のドラムも音量も音数も抑えて繊細な演奏に終始する。バール・フィリップスは、ほとんどアルコでの演奏だ。ベースにアタッチメントを付けて軽くエフェクトをかけているようだ。演奏は一点に凝縮したり塊となって疾走したりはしない。まわりに拡散して行くような感じで、淡々と続く。残念なのは、ギターの音量とベースの音量との差があって、ベースがよく聞こえない部分もあったりする。2曲目は、バール・フィリップスの長めのソロが聴ける。まるで、あらかじめ作曲されてるのではと思えるほどの、構成感がある。だんだんと聴いて行く内に高揚して来るような演奏だ。ジャケットのデザインは、灰野敬二自身で、B&Wのいかにもなアートワークだ。

 

777~高柳昌行:New Direction'70 live independence (P.S.F/1970)

J・Iコレクション第3回は、第1回の「Call in question」と同じく、ステーション‘70で、1970年3月11日、12日に録音された音源から編集されてリリースされた。こちらには、高木元輝は加わっていない。高柳、吉沢、豊住による演奏だ。1曲目は、テイチクの「Independence」でも演奏されていた「Herdman’s pipe of Spain」が演奏されている。吉沢のフォーク・パイプがシンプルな音色を奏でる横で高柳のガット・ギターと豊住のドラムが寄り添うように音を奏でる。もちろんそこは牧歌的とは行かないのが彼らのユニークなところだ。吉沢は、チェロも演奏するが、ピチカートでは高柳のガット・ギターの音と重なり合ってしまう場面があるのが惜しい。もっとアルコでの演奏が聴きたいところだ。豊住の適材適所に打音を置いて行く様は今でも変わらない彼独自のセンスだ。2曲目は、高柳はエレクトリック・ギターに持ち替えて、演奏は一気にMass Projection/漸次投射へ突入する。ギターのハウリング、ディストーションの使い方は、ロックのそれを参照に始まった事なのだろうが、高柳の場合はそれを効果に使うのではなく、それ自体が主役の表現として現れるのだ。ギターを使ったエレクトロ・アコースティック・ミュージックとも言えるだろう。それも質量ともに最大級の。現代のノイズに直結している。が、高柳の発するノイズは、出たとこ勝負のノイズ、いったん発せられるとどこに行くか分からないようなノイズではない。理論的背景も含めたコントロールされたノイズだ。豊住の刺激的なドラムがそこに激しく絡んで演奏の速度をフルスロットルで加速させる。残念なのは、こうした時、吉沢のベースとチェロの音が高柳が作る音の分厚い壁に遮られて聞き取れないことだ。それもあって、吉沢は高柳から離れて行くことになった。当時、ベースにはアタッチメントを付けておらず、アンプを通して増幅をしてはいなかったそうだ。

776~高柳昌行:New Direction'70 call in question (P.S.F/1970)

高柳昌行の生前の、1970年頃のアルバムは、オムニバス・アルバムを除けば、69年の「Independence」と、阿部薫との伝説的デュオ・コンサート「解体的交感」と、「A Jazz ProFile Of JoJo」くらいだっだ。「解体的交感」は、存在こそ知ってはいたが、私にとってはとっくに幻の名盤と化していて、聴こうにも聴けなかった。「A Jazz Profile Of JoJo」は、ジャズを演奏したもので、ここでは横に置いて置く。実質69年の「Independence」1枚が、かろうじて耳に出来るアルバムだった。1994年そこに突如現れたのが本作「call in question」だった。カヴァーには五海裕治氏撮影の印象的な写真を配したJ・Iコレクション第1回のリリースだ。当時の現場を知らぬ我々地方のリスナーにとっては、そして世代のもっと若い者にとっては大変有り難いシリーズだった。当時演奏する場に事欠いていた高柳が出演出来た数少ないスペースの「ステーション‘70」におけるニュー・ディレクション(高柳昌行、吉沢元治、豊住芳三郎)の演奏を収録。ゲストで高木元輝も入る。1曲目、一気にマスプロジェクション(集団投射)から始まる。ここから一気に日本のフリー・ジャズ、そして現在のノイズも含めた音楽が始まったと言ってしまいそうになる。実際は富樫雅彦、佐藤允彦、山下洋輔と、第一世代が同時に試行錯誤しながら日本独自のフリー・ジャズを形成して行ったのだが、高柳の場合は、今日のノイズ・ミュージックまでも射程に入ったスケールの大きさを見ることが出来る。まさにビッグ・バンが、ここから始まったようなスピード、パワー、質量を伴ったすさまじい演奏だ。「これが70年の演奏?」と、もう一度ジャケットのデータを見てしまう人がいるかも。2、3曲目は、一転して音は空間的な処理を施される。音と音との間隔が広く開けられる演奏に変わる。高木の空間を切り裂くサックスの音が強烈だ。高柳のフィードバックを多用した演奏にも注目。

775~斉藤徹:Coloring Heaven (AKETA'S DISK)

 

ベースの巨人。ベース(コントラバス)・ミュージックの最高峰。と、私は思っているバール・フィリップスと、彼の弟子であるようで、同僚であるようで、共に困難な道を歩む戦友とでも言える同じくベーシスト斉藤徹は、湯河原のアート・スペース「空中散歩館」に、バール・フィリップス、豊住芳三郎(ds)、栗林秀明(17弦筝)を集めた。セッションは3日間に渡った。CD4枚分の収録が出来た。その中から11曲が選ばれた。ベースのデュオが3曲。ベース2本とdsが3曲。斉藤と栗林のデュオが1曲。その他4曲は、4人の演奏となる。最後に収録された「Invitation」のみが作曲されたもので、あとは全て完全即興だ。簡単な打ち合わせ「短いもの」等はあったようだ。ベース2本、17弦筝、ドラムスと、一般的な音楽からするとなんともユニークな編成ではある。だが、そこは即興演奏。なんら不思議がることはない。この日豊住は、ドラムスの皮を全て動物の皮に張り替えて、スティックも細めのものを用意して来た。彼なりの作戦である。このレコーディング・セッションに対するヴィジョンの明確さと、彼のセンスの良さがうかがい知れる。17弦筝の栗林は、筝の柱(じ)倒しをはじめ、特殊奏法・販促攻撃を繰り出して対抗する。相手をする斉藤は、今では封印しているであろうこれも反則技のオンパレードで相対する。ギターのピック、鉛筆削り? まで繰り出した。まともな音が一切ないような8曲目では、バール・フィリップスは「今の演奏には124か所大きな間違いがあった。」と言ったそうだ。9曲目のタイトルが「Okinawa Mama」! 何だろうと思っていたら、全員プッツンと切れたみたいで、演奏と言うよりパフォーマンスと化してしまい、とうとうバール・フィリップスが「オキナワ・ママ」と歌い出したのだった。破天荒な演奏も含め、日本の即興演奏の貴重な1ページを記録した名作のひとつ。

 

 

 

774~Tristan Honsinger,Toshinori Kondo,Peter Kowald,Sabu Toyozumi:What Are You Talking About (IMA/1983)

1983年、近藤等則は「空中浮遊」と言う渡辺香津美(g)をゲストに迎えたポップなアルバムを録音している。それまでのフリー・インプロヴィゼイションとは180度違う音楽は、ファンを驚かせ、困惑させ、ある者は受け入れた。さて、同年今度はトリスタン・ホンジンガー(cello)、ペーター・コヴァルト(b)と言うヨーロッパ・フリーのチェロとベースの代表格二人に、「空中浮遊」にも参加していた豊住芳三郎(ds)と近藤等則(tp)の四人でも演奏し、本作をリリースしたのだった。このメンツだと、名前を見ただけで、聴き手はいかにもなフリー・インプロヴィゼイションを想像するだろう。それは当然と言える。なにしろその世界では名前の轟く四人なのだから。普通即興演奏は演奏時間が長い。このアルバムは、10曲も収録されており、時間も比較的短い。2,3分台の演奏が8曲になる。そして、作曲者のクレジットがある。完全即興ではないと言うことだ。さて。聴いて驚くことになった。作曲者のクレジットが有るように、きっちりと曲を演奏しているのだ。コヴァルトのウォーキング・ベースなんて初めて聴いたぞ。豊住もリズムをキープしている。豊住の場合は、ニューハードのようなビッグ・バンドと共演したり、ミッキー・カーチスのバンドにいたくらいで、珍しいことじゃないんだが。10曲中7曲がホンジンガーの曲で、残りは近藤の曲。これのどれもが、なんとも人を食ったような一筋縄でいかないシロモノで、逆に曲として形がある分、この二人のユニークさが強く現れることになった。豊住のよく言う「Laugh is impotant!」。正にこれが満載の演奏で、四人が楽器を鳴らさず、なにやら各自勝手にしゃべっていたり、そこから楽器の演奏に突入したりと、このあたり「空中浮遊」と同感覚だ。この近藤のセンスは、硬直し「フリー」と言いながらも、型を作ってしまったミュージシャンにもリスナーにも、一撃を与えた。

773~Sabu Toyozumi:Kosai Yujyo (improvising beings/2010,11)

 

kosainyujyo」一体どういう言葉だ?意味だ?といぶかていたら、日本語の「交際」と「友情」と分かり、なんだかこっちが照れくさくなったが、これは本作でも共演し、アルバム制作に深く関わったベルギーのヴォイス・パフォーマーJean-Michel Van Schouwburgが付けたそうなのだ。2010年と11年豊住はヨーロッパ・ツアーを敢行。本作は10年からブラッセルとパリの録音から、11年はブラッセルとホーフガイスマルの録音から構成された2枚組。共にCD収録限界ギリギリまで収められている。John Russell(g)Van Schouwburg(voice)以外は正直言って初めて聞く名前だし演奏だった。ヨーロッパは即興演奏が一つのジャンルとして定着しているように思える。ラジオ放送でそんな番組があるくらいだから、人材も豊富なのだろう。CD2の4曲目、豊住とOve Volquartz(ss,b-cl,contra-

Bass-cl,fl)Peer Schlechta(pipe-org)のトリオは教会の中での演奏だった。豊住の演奏は二胡。この1曲だけで45分くらいになる。長尺の演奏なれど、ダレることなく一気に聴ける名演。パイプオルガンが全体の通奏低音を受け持ち(もちろんそれに終わるはずもなく)、その上を二胡とリード楽器が自由に泳ぐ。驚くのは、豊住の二胡の演奏で、ドラマー豊住しか知らない人は、もういちどジャケットのクレジットを見てしまうだろう。教会の自然な響きが二胡の音をより豊かに響かせる。いわゆる二胡の技巧を屈指した名人芸とは違う。だが、人を引き付けるどころか、引きこんでしまう演奏になっている。Volquartzのリードも聴きものだ。この録音を軸に、Van SchouwburgとパリのギターリストPascal Marzanの所有する録音から選ばれて2枚組に編集されたのだった。他はデュオ、トリオ、カルテット、8人編成までと、楽器もヴァラエティーにとんだもので、そこで演奏される音楽も、どれも完全即興なれど、色々な表情を見せてくれる。ピパ奏者Luo Chao Yunが中国から馳せ参じた1曲目は、kris Vanderstraeten以外の7人は豊住の二胡を含めみんな弦楽器のアンサンブル。豊住は、9曲中4曲二胡を弾いている。

 

772~Tibetan Blue Air Liquide Band:空中浮遊 (Trio/1983)

近藤等則は、京都大学軽音楽部時代にジャズを演奏しはじめ、1972年上京後は、高木元輝らとEEUを結成するなど先鋭的なジャズの道を邁進し、78年にはNYに移住。即興演奏の最先端の位置に立っていた。ICPオーケストラの召喚、アルバム制作等々八面六臂の大活躍だった。が、これは世間から見ればあくまでもジャズ/フリー・インプロヴィゼイションという狭い狭い世界での話。だが、近藤は80年代に入り、一気に方向転換を図った。その最初の一歩がこのアルバム。突然のポップな演奏に?マークが何個も付いた。あまりにもこれまでの彼の演奏とかけ離れているではないか。でも日本には、佐藤允彦と言う、ポップから(中山千夏、ハイファイセット、イルカ等々)ジャズ、そしてフリー・ジャズ、映画やTV,CMの音楽等々と音楽の右から左まで同時にこなす、一体頭が何個ついているのやら?の先輩もいるので、驚くこともないのだが。近藤の場合、いささか唐突に変わり身を見せたものだからこっちも驚いた。近藤(tp)の他は、ロドニー・ドラマー(el-b)、セシル・モンロー(ds)、豊住芳三郎(perc)、ゲストで渡辺香津美(g)。ドラマーは、レスター・ボウイ、オル・ダラとも共演していた。同じくAACMに参加していた豊住と、ポップな演奏なれど、リーダーの近藤ともども一筋縄ではいかないツワモノ共の集団だ。曲名が「軽快足踏序曲」、「若い娘のハネ踊り」等々とユニーク。近藤の故郷今治の海のことなのか「瀬戸内Blue」というのもある。どれも跳ねるようなリズムが特徴で、近藤のtpの音も、一聴で分かる独特な音色をしている。時にはお囃子でも聴いているような曲もあり、世界中を旅する一見コスモポリタンに見える近藤の中身は意外と和の塊だったりする。渡辺のギターは、ソロと言うよりは、近藤のtpに絡みつくように進む。これがいいのだ。豊住もタイトなリズムの間髪を縫う自由な演奏だ。

771~片山広明、石渡明廣、不破大輔、豊住芳三郎:Fiktion (Studio Wee/1998)

1998年8月、江古田のBuddyに、四人のいかにも日本を代表する“濃い”ミュージシャンが集結。一升瓶を足元に置きながらテナー・サックスを吹き倒す片山広明。今や「渋さ知らズ」総帥として世界をお祭りの舞台にしてしまうベーシスト・不破大輔。世界を股にかけて歩き回り、その名を轟かすSabuこと、豊住芳三郎。渋谷毅、林栄一、片山広明等々の中央線界隈が似合うジャズ(私個人の勝手なイメージです)の隣に必ずいるギターリスト。しかし、ジャズ・ギターリストなのに、その音はジャズ・ギターしていない異物混入係?の石渡明廣。そんな4人の34分あまりの長尺の演奏と、不破とSabuの7,8分あまりの曲を2曲収録。1曲目の「Improvised Air」と題された演奏は、片山の「Night」と、豊住の「Fの笛」と「Tattatta」の3曲が演奏されているようだ。組曲のようにガラリと演奏が変わり、フリー・ジャズ然としたハードな演奏から、オンビートな豊住の普段の演奏ではあまり聴くことのないリズムのはっきりとした演奏が混ざっている。不破のベースは、ビートがあっても無くてもぶっとくて強靭。片山のサックスも、いかにもテナー・サックスなブイブイと言う表現が似合う演奏で、ド・フリーからRCサクセッションで聞かせた歌心溢れる演奏までと多芸多才ぶりを見せてくれる。石渡のギターが、時に浮遊感も見せるエレクトリック・ギターな音?で、彼のギターが現れると、空気が変わる。このアルバム全体で、豊住のドラム・ソロがたくさん聴けるのだが、いつものインプロでの彼の演奏とは違って、グループでの演奏の奏で途中挟まれるいかにもな「ドラム・ソロ」を演奏しているのが面白い。TPOに合わせると言うことか。これも、豊住の演奏の幅の広さを物語るものだ。2曲目は不破作曲のブルース。3曲目は、豊住作曲の徐々にゆっくりと盛り上がって行く曲。おやじ4人のポートレイト入り!?

 

770~散華楽~Creative in Hodogaya Vol.11 (MAY 2nd/2004)

 

尾山修一とケミー・西丘が主宰する「クリエイティヴ・イン・保土ヶ谷・アット・かながわ・アート・ホール」の2004年の第11回目は、イギリスからデレク・ベイリー以降では屈指のギターリスト、John Russell/ジョン・ラッセルを迎えての公演だった。共演するのは、尾山修一(sax,hand-made perc),ケミー・西丘(p,bell-tree,etc)、豊住芳三郎(ds,perc)

野村修(marimba.perc)、北山満智子(墨絵)、成瀬信彦(舞踏)。いつものように、音楽、舞踏、美術を含めたトータル・アートのステージだ。CDでは、北山の作品の一部が掲載されている。これは、ステージ上で、演奏やダンスとの共演で描かれたもの。残念ながら、いつものように舞踏やダンスはCDでは窺い知ることが出来ないのは残念。ここでは、演奏がMassになることは少なくて、弱音を大事に間を活かした空間的な演奏が続く。空間を大きな、そして大量の音で埋めるような飽和状態にすることは意識的に避けているようだ。厳しくも優しい音の数々。11回目の「クリエイティヴ・イン・保土ヶ谷」のテーマは、「音を観よう 墨を聴こう」だった。アルバム・タイトルとなった言葉「散華楽」がいい。ラッセルの弦をまさに弾く(はじく)、かき鳴らす演奏と、それに絡みつく尾山、西丘、豊住、野村の演奏も、まさに色鮮やかな花びらの数々を散らして歩くが如し。頭上からもヒラヒラと花びらが落ちてくる。45分と32分あまりの長尺の演奏(おそらくノーカットで、無編集だろう)は、木々の花咲く花散る丘を散策の途中の景色や天候の移り変わりを模した気分になる。ポカポカ陽気かと思えば驟雨にも会う。これは標題音楽ではなく、その逆を行く演奏なんだが、アルバム・タイトルや曲名につけられた言葉・単語、そしてジャケット・デザイン、墨絵を眺めていると、こんな風景が頭に浮かんで来たのだった。音だけの配信と違い、アート・ワークも含めたアルバム制作では、音楽以外での情報が聴き手に作用するものだ。

 

769~ケミー・西丘:ジョー水城に捧げる (MAY 2nd/1995)

ジョー水城は、「幻のパーカッショニスト」と呼ばれていた。彼の演奏は、それまで高柳昌行&ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツの「フリー・フォーム組曲」(TBM)、「インスピレーション&パワー」での沖至グループと高柳のグループ。水野修孝の「ジャズ・オーケストラ‘73」。沖至の「しらさぎ」のアルバムでしか耳にしたことは無かった。他には、宮間利行&ニュー・ハード「時・Eternity?-Epos」が有るが、再発される気配がない。ルイ・高橋&寺内タケシとブリージーンズのドラマーというのもあるようだ。そんな感じで、アルバム上で聴けるのはあくまでも70年代まで。その後は、私のように地方に住む者は、雑誌のライヴ情報で名前をみかけるくらいが関の山だった。だが、少ない録音で聴ける彼の演奏は、それはキレのあるもので、彼くらいのドラマーが表に出て来れないシーンの底の浅さに疑問を持っていたものだ。それは高木元輝にも言えた。そんな折、突然このアルバムが手に届いたのだった。尾山修一とケミー西丘が94年から始めた「クリエイティヴ・イン・保土ヶ谷・アット・かながわ・アートホール」というジャンルを超えた者達が集まる総合芸術のステージでは、尾山、西丘と縁の深かったジョー・水城は第1、2回目に参加している。本作は、95年のポール・ラザフォード(tb)と豊住芳三郎(ds)とCDでは分からないが、舞踏の白桃房も参加している。日本を代表するドラマーが二人そろった贅沢な演奏だ。ジョー・水城の録音はなぜか2ドラムが多い。山崎泰弘、中村達也と。単なるドラム合戦のような陳腐な演奏にはならいだろうことは、この二人なら先刻承知だ。状況判断の的確さ。全体を見渡せる演奏への洞察力。これは、ここで演奏する全員に言えること。トロンボーンの開拓者、ラザフォードが聴けるのも有り難い。残念ながらジョー・水城は97年ひとり淋しく亡くなった。

 

768~Joseph Jarman,Shuichi Oyama,Kemmy Nishioka,Sabu Toyozumi:方丈の庵 (MAY 2nd/2000)

ジョセフ・ジャーマンと豊住芳三郎の付き合いは、71年の豊住のシカゴ滞在の時から始まった。ジャーマンは、仏教であり、合気道の師範(五段の腕前!)でもある。アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーとしての華々しい来日以外にも、結構日本の地を踏んでいる。各地で豊住芳三郎とのデュオ・ライヴを行っていた。本作は、2000年7月、神奈川アート・ホールで収録された。ジョセフ・ジャーマン(oboe,fl,as,ss,klaxon,bell),尾山修一(ss,ts,bs,hand-made perc,bird-whistle)、ケミー・西丘(p,toy bells)、豊住芳三郎(ds,perc)、「The KANAGAWA QUARTET」と名付けられた4人による演奏が、12曲収録されている。短いものは2分台。長くても6分台。おそらく実際の演奏は長尺の演奏だったと思う。それを後で編集して12個に分割し、タイトルを付けたのであろう。これだけ分けられる程に演奏は刻々と多面的に展開して行ったのだ。ジャーマンと尾山は、それぞれが色んな楽器を持ちかえるので、曲毎に様々な表情を見せる。そこに絡む西丘のピアノと豊住のドラムも一人の演奏家の表現とは思えない程の多才な顔を見せる。豊住は、基本的にはドラムのセットがシンプルに置いてあるだけなのに、ここでの彼の演奏は、聴き手の頭の中には、あのドラムの姿が浮かんで来ないことも多々あるほど。いわゆるドラマーの枠を超えている演奏だが、姿はドラマーなのだ。豊住の演奏が曲の枠組み、背景を大きく形作っている場合が結構多い。尾山がテナーやバリトン・サックスを吹くこともあろうが、ジャーマンは、主に高音域を扱う楽器を多用している。オーボエは大きな篳篥のようでもあるし、フルートは篠笛、能管、尺八を思わせる音を響かせる。アルバム・タイトルは、豊住が「いつかはこんなところに住みたい。」と願っている「方丈の庵」だ。ここで聴ける音楽は、それ自体は方丈庵かもしれないが、そのまわりは広い豊かな自然が取り囲む。その真ん中に庵は建っている。そんなイメージが浮かんでくる。

767~Talk to the Spirit from the Spirit! Creative in HODOGAYA Vol.6 1999.5.30.sun.at Kanagawa Art Hall  Improvised Music,Poetry and Photographs (MAY 2nd/1999)

 

これは、ケミー西丘と尾山修一が毎年開催していた音楽だけではなく美術、舞踏等も巻き込んだトータル・アート・パフォーマンスのイベント「クリエイティヴ・イン・保土ヶ谷」の、1999年の記録。この回は詩人・白石かずこを中心としたステージだった。そこに予定していなかた者が舞はじめた。なんとそれは大野一雄だったのだ。客席から飛び入りで上がって踊り始めたというのだから凄い。そうせざるをえない気分にさせられる尋常ならざる空気が会場に流れていたとしか思えない。ステージ上はケミー西丘(p)、尾山修一(sax)、豊住芳三郎(ds)と白装束を纏い巫女となった白石かずこ。CDでは見ることは出来ないのが残念だが、森日出男の写真が写しだされていた。CDは、まずp,sax,dsのトリオから始まる。ケミー西丘の透明感のあるピアノに尾山が絡んだり主導権を握ったり。豊住は独特な間合いでもってキレのあるドラミングを披露する。さてこれからは白石かずこの登場だ。「港のメリー」では、ケミー西丘の弾く「ドンキー・セレナーデ」に、白石は「メリー、聞こえる?」と返す。そこからは一気に白石の世界が始まる。横浜の娼婦メリーの人生を謳った追悼詩と言える物語にケミー西丘は「青い目」「葬送」「エリーゼのために」でもって背景を作って行く。「コルトレーンに捧ぐ」では、尾山がコルトレーンの「スピリチュアル」を引用しては、あの時代に我々を引きずり込んで行く。燃えるようにではなく、淡々と。ここでDisk-1は終わる。Disk-2は、豊住のソロから始まり、「沙漠」へと続く。豊住のマレットが効果的だ。「ロバの貴重な涙」「日照りつづき」「カリマンタンの野豚」「シティザィノン貴方は何を見たのですか?」は詩にパーカッションがサポート。「ピョンピョン兎」はピアノがサポートする。「My Tokyo」は、長編詩。ここでは全員が加わる。段ボールの箱には2枚のCDと共に詩集も納められている。

 

766~Sabu Toyozumi/EXIAS-J:Son's Scapegoat (SIWA/2005)

本作は、SIWAから「豊住芳三郎とEXIAS-Jの共演作を」との依頼からリリースが実現した。ちょうどその頃、EXIAS-Jはダンス・映像・音楽による作品の創作にとりかかっていたところで、そこに豊住も加わっていたのだった。このプロジェクト・作品は、ロシア、リトアニア公演として披露されることになる。ここでの成果は、リーダーである近藤秀秋の理念の多くを具体化出来た。この公演の音楽のパートのハイライトを用いてアルバム化する案が出たが、録音状態に難があって実現に至らなかったようだ。そして、それはスタジオでのレコーディングへとなって行った。だが、問題が起こる。これら一連の演奏はElectric Conception02,03年と2枚のCDが、このコンセプトの元リリースされている。“avant-garde””balance of chaos”)と呼ばれるものだが、それはスタジオの環境では表現しにくいものだった。「音の統合と分離の境界域の現象」と近藤が呼ぶ響きを軸に展開する創作技法はここでは実現は困難と判断したようだ。近藤の理念が実際にはどう言うものなのかは、その現場に立ち会う事が困難な我々には判断しづらい。聴き手は、このアルバムに収められた音楽・演奏を受け取るしかない。さて、受け取った側とすれば、ここでの演奏は、現代の即興演奏の理想的な形を提示してくれたと喝采を送りたい気分だ。豊住の前作「Sublimation」を静とすれば、こちらは動。近藤と谷川卓生のエレクトリック・ギター。神田晋一郎の強靭かつ繊細なピアノ。宮崎哲也のライヴ・エレクトロニクス。河崎純のベース。ゲストで、入間川正美のチェロ。狩俣道夫のサックスとフルート。浅井祐一のトロンボーンも曲によって加わる。そしてなにより、豊住芳三郎だ。エレクトリックでノイジーな音響の渦の中心に構えて、ある時は攻撃的に、ある時は繊細に、全体像を把握しながらサウンド・デザインを描いて行く。彼は、高柳昌行・ニュー・ディレクションとして演奏した日々を思い出したのではないだろうか。

 

765~Sabu Toyozumi:Sublimation (Bishop Records/2004)

これは、豊住芳三郎の単独リーダー作とすれば、79年にALMからリリースされた「マスターピース」以来、何と25年ぶりのアルバムになる。とは、言うもののそれは彼のユニットとしての話で、その間ワダダ・レオ・スミス、ジョセフ・ジャーマン、ポール・ラザフォード、藤川義明、翠川敬基、灰野敬二、バール・フィリップス等々と何作ものリリースがあった事を無視する訳にはいかない。さて、本作は当時若手のミュージシャン達によって組織されたEXIAS-Jとの共同作業によって生まれたアルバムだ。豊住と彼らは、国内外のツアーで、それまで足かけ3年の経験を積んでいた。単にこの機会に集まってセッションを行いましたと言う安易な(即興演奏の場合、逆にこれが何かの発火点に火を付ける場合も起こるので、一概に批判は出来ないのだが)レコーディングではない。豊住の他は、EXIAS-Jの中心的存在の近藤秀秋(gut guitar)。エレクトリック・ギターでは激しい演奏を聴かせる彼だが、ここではガット・ギターに専念している。このガット・ギターだけを使ったところにこのレコーディングの特徴が窺い知れるところだ。飯塚知(as,ss)彼は62年生まれの土岐英史に師事し、ジャズからフリー・インプロヴィゼイションに参入して来た実力派。河崎純(b)は、豊住と同じく日本フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼイションを最先端で開拓して来た吉沢元治に師事した作曲家としても優れた素質を持っている。全5曲、時に爆発的瞬間もあるが、全体的に静的な演奏が続く。「フリー・ジャズ・ドラマー・豊住芳三郎」と言った紋切型の文句を想像すると、聴いて泡を吹く事になろう。カルテットの4人全員が、上空から見下ろして、全体を俯瞰しながら演奏している様が見える。繊細にして強靭な演奏で、即興演奏の究極の姿がここに現出。高度な技量と洞察力を持っているからこその演奏だ。

 

764~富樫雅彦&Guild For Human Music:Essence (日本コロムビア/1976)

70年代半ばの富樫雅彦は充実しクリエイティヴな活動を行っていた。現在から振り返ってみれば、この時期がピークだったと言えそうだ。音楽的な進化、深化となるとその後の活動も目を見張るものがあるのも確かだが、この時期は毎年のように新作がリリースされ、それのどれもが名作の誉れ高いものばかりだ。74年の「ソング・フォー・マイセルフ」をかわきりに「スピリチュアル・ネイチャー」、「ギルド・フォー・ヒューマン・ミュージック」と、ラージ・アンサンブルの名盤が続く。これらは、富樫の代表作と言うばかりではなくて、日本のジャズ界における金字塔と言える。76年録音の本作は、前作「ギルド・フォー・ヒューマン・ミュージック」が、グループ名となって吹き込まれた、前作よりは編成の少し小さくなったグループによる演奏だ。富樫のレギュラー・カルテット、中川昌三、翠川敬基、佐藤允彦に鈴木重男、豊住芳三郎、横山達治が加わる。そして夫人の富樫美枝子が1曲ワイングラスで参加している。1曲目は、豊住がマリンバを担当し、テーマ以外は全員の集団即興が続く。演奏の見通しが良く、お互いの距離感が絶妙で、こんな演奏は彼等ならではのもの。2曲目、今度は三人がパーカッションを叩く。佐藤の自在なピアノ演奏はさすが。3曲目は、2本のソプラノ・サックスがまるで笛のようで、神楽でも聴いているような錯覚を起こす。4曲目は富樫と中川のデュオ。今度は中川のフルートが尺八でも聴いているようだ。日本人ならではの表現。5曲目は、ワイングラスの奏する美しい響きの周りで三人の打楽器とピアノが遊ぶ。最後は、中川がアルト・サックスでフリーキーな激しい演奏をしている。クラシック、現代音楽での彼の姿しか知らない者には驚きの演奏だろう。名作の誉れ高い前作の後塵を掃くような残り物に非ず。

 

763~富樫雅彦:Guild For Human Music (日本コロムビア/1976)

このアルバムは、富樫雅彦の代表作と言えば真っ先に挙げられる「スピリチュアル・ネイチャー」に続くアルバムで、編成もほぼ同じで、どうしても続編のイメージがしてしまう。富樫ファンが、これをスルーしてしまう事は考えられないが、一般的なジャズ・ファンは食指が動かないかもしれないかも。しかし、それはとんだミスを犯す事になりかねませんよ。知名度的には「スピリチュアル・ネイチャー」に遠く及ばないかもしれないが、内容的には勝るとも劣らないもので、これぞ富樫ワールド!と膝を打ちたい気分にさせる名作なのです。前作に続き、本作もSJ誌ジャズ・ディスク大賞・金賞を取っていることからも評価の高さは分かると言うもの。だが、その後はどうしても「スピリチュアル・ネイチャー」の陰に隠れているとしか言えないのも確か。池田芳夫のベースのオスティナートの乗って、三本のサックスの奏でる音は、まるで神楽でも聴いているかのようだ。これは、前作でも感じられたもので、富樫の土着的なるものが姿を現している。ジャズを、アメリカの、特にアメリカ黒人のものから引き離して表現しようとすれば、おのずと自身の環境の影響が現れるものだ。だが、それを殊更強調したり、戦略的に扱うと臭くなるし、「ショーバイ」の臭いもして来るものだ。富樫もサイドのミュージシャン達もその塩梅を心得た者達ばかりで、心配ご無用。欧米のミュージシャンでは表現の困難な独自の音楽がここでは聴ける。激しいフリーな演奏も含まれるが、それもひっくるめて、世界に類例の無い富樫のイメージする音楽の世界が展開される名作。

 

762~Sabu Toyozumi,Jean Michel Van Schouwburg,Luc Bouquet:Rustrel&Paluds (Setola Di Maiale/2012)

Jean Michel Van Schouwburgは、ベルギーのヴォイス。豊住との共演は、「交際/友情」(Improvised Beings)で2曲聴くことが出来る。本作は、12年豊住が渡欧した折の、南仏プロヴァンスでのライヴ録音。この時10名程と共演したが、CDにはVan Schouwburgとのデュオが主。共演のVan Schouwburgのヴォイス・パフォーマンスは、声とのどの限界に挑戦するもので、のどの奥底が見えるような表現も行う。かと思えばささやくような繊細な表現もある。ヴォイスという「楽器」は、あらゆる楽器の中で、最も表現が多彩で、変化に富む。意味を持つ「言葉」も混入すればその表現域は正に無限大だ。豊住は、そこに限定的なドラムというシンプルな楽器だけ(最近は二胡がそこに含まれる)で挑む。豊住は、あくまで「ドラマー」であり続けて来た。「パーカッショニスト」として、ドラムの周りに色々な打楽器を積み上げ、アクロバットよろしく叩きまくるような道をあえて選ばなかった。ドラムに限定して、それでどこまで出来るのか。表現出来るのか。私は、彼の演奏から楽器の不足など一度も感じたことはない。豊住の演奏で最も不思議に思われるのが、とにかくパターンを繰り返すことがない。スピーディーでハードな演奏の時でもそれは変わらない。演奏の先をすでに分かっているかのごとく、相手の姿を見ることも無く、目配せすらないのに、瞬間に演奏の方向が変わるのだ。以心伝心とはこのことか。それは、このVan Schouwburgとのデュオでも同じく。Van Schouwburgのヴォイスも豊住の演奏と互角に勝負を挑む。対応の早さ、変化にとんだ声(のどの奥底が見えるようなと言ってもよいところも)。男性のヴォイス・パフォーマーは極端に少ないので貴重であり重要な一人だ。尚、1曲だけ地元のドラマー、Luc Bouquetが加わる。コンサートが終わってパリに帰る途中、ミッシェル・ドネダとも共演をしている。

761~Sabu Toyozumi,Fabiane Galante,Luis Conde (Jardinista! Recs/2013)

豊住芳三郎は、世界中を回っては、現地のミュージシャンと共演を続けて来た。近年は、中東、中国に加え南米のツアーも多く、現地のミュージシャンやファン達の信望も厚い。2013年には、チリ、アルゼンチンのツアーを行った。ブエノスアイレスでは、Fabiana GalanteLuis Condeと共演し、本作を残した。Condeは、サックス、クラリネットを吹き、Galanteはピアノを弾く。共にアルゼンチンでは第一級のミュージシャンで、特にGalanteは、現代音楽では相当な位置にあるようだ。ここで聴けるように即興演奏も手慣れたもの。ふたりはコンビを組んでは、海外から来たミュージシャンと共演をしているようで、16年もFred Gjerstadとのトリオ・アルバムがイギリスのFMRからリリースされている。Galanteのピアノの演奏は、ここでは即興演奏ではあるが、ジャズ出のピアニストの演奏するそれとはかなり異なったものだ。直線的にスピードとパワーで押すことはない。だが、音のキレやスピードは素晴らしく、サックスやドラムとの反応も早いし、なにより全体を見渡せる洞察力が鋭い。これは、Condeにも言えることだ。Condeの即興演奏は手慣れた感じで、当意即妙の反応。彼のバス・サックスは聴きもの。そこに絡むGalanteの音を敷き詰めるようなピアノもぞくぞくされる。豊住はそんな彼等にドラムと二胡で相対している。クラリネットと二胡のデュオになるところが面白い。豊住の二胡からは中国のにおいがあまりしてこないところがいい。ドラムの演奏は、歳を重ねて今が一番キレがあるのではないだろうか。若い頃のパワーやスピードと比べることは出来ないが、演奏のヴァリエイションは比較にならない程広がっている。広く行き渡らないアルバムかもしれないが、入手に挑戦する価値あり。

 

760~ニュー・ハード&富樫雅彦:牡羊座の歌 (日本コロムビア/1971)

宮間利行とニュー・ハードは、日本屈指のビッグ・バンドだが、そこに安住することなく、時代の先端を行くミュージシャンを起用しては、斬新なオーケストラ・ジャズを創造していた。69年には「パースペクティヴ」、70年には「天秤座の詩」、そして71年がこの「牡羊座の詩」だ。そのどれにも当時ピアニストだけではなく作編曲家として若いながらもシーンの最先端にいた佐藤允彦が関わっている。「天秤座の詩」は、佐藤允彦の作品だ。71年、富樫雅彦はある事件によって下半身不随の体となり病室で過ごしていた。そこでペダル類を使わないで演奏する方法を考えていた。そして、この「牡羊座の詩」を委嘱されベッドの上で作曲を行った。相当な部分、佐藤允彦の協力があったようだ。富樫のイメージする音を実際に譜面に起こせる者は佐藤しかいない。本作は、五つに分かれた楽章からなる組曲になっている。通常のビッグ・バンド・サウンドを想像すると、相当戸惑う事になるだろう。最後の「Ⅴの詩」こそ形のあるリズムが現れるが、それ以外は集団即興と言ってよい。ビッグ・バンド全員だけではなくてある集団だけ、その集団で突出して目立つ者がいたり、その逆だったりと、局面が変わって行く。ソロと言えそうなのは、市原宏祐のテナー・サックスとフルートと佐藤允彦のピアノくらいだ。この二人のソロは強力だ普段ビッグ・バンド・ジャズを演奏している者達が、富樫の求めるサウンドを理解し、相当にフリーキーで複雑なサウンドを構築している。彼らの実力や適応能力の程が窺える。助っ人として、豊住芳三郎もドラムで参加している。

 

759~林栄一、大友良英、豊住芳三郎:The Crushed Pellet (Studio Wee/2003)

 

林栄一、大友良英、豊住芳三郎と、日本即興界の三世代に渡る三者の初めてトリオ演奏が収録されている。林栄一と豊住は、60年代末に山下洋輔のセッションでは何度か顔を合せている。だが、その後も編成の大きなセッションなどのメンバーとして時々共演する程度だった。豊住と大友とは、この録音の前月が初めてのデュオだったくらいだ。林と大友に至ってはこの録音が初めて。一体どういった経緯でこの録音が決められたのかは分からいが、こうしたやってみなければ分からないような企画を思い付くのは、普段から即興のステージや録音を企てているプロデューサーあってのことだ。思い付くのと実行してしまう事の間は相当な距離があるものだ。こうして実行された事に感謝するしかない。聴く側も、聴くまでに自分で空想をし、実際聴いてからの違いを楽しんだりするものだ。さて、この三人、手は合うのか? 豊住がどっちにも対応出来る事は先刻承知。だが、大友と林?

かみ合うのか、はたまた破綻してしまうのか。恐る恐るCDプレーヤーのスタートを押す。想像していたよりもジャズから離れる事の出来る林と、そんな林にターンテーブルで挑む大友にも喝采を送りたいし、これに見事答える林にも喝采。豊住は、どうにでも出来る懐の深さがある。いや、この三人全員にある。このような演奏をセッティングしリリースしたプロデューサー氏にも感謝。

 

758~Abdelhai Bennani Trio:The Sundance 2 (JaZt TAPES/2012)

Abdelhai Bennani(アブデル・ベナーニと読むのか?)は、1950年モロッコ生まれのテナー・サックス奏者。15年に亡くなっているようだ。モロッコから渡仏し、アラン・シルヴァらと共演していた。Ayler, Improvised Being,これをリリースしたJaZt TAPESにアルバムは多い。彼のサックスの演奏を聴いていると、晩年の高木元輝を思い出す。テナー・サックスと言えば、アルバート・アイラー、アーチー・シェップ、デヴィッド・マレイらの馬力のあるタフな演奏を思い浮かべる。高木元輝も若い頃の演奏は激烈な音を出していたものだった。80年代以降の高木は大きく演奏スタイルを変えて、感情を爆発させることなくぐっと押さえた厳しい表現になった。Bennaniは、そんな高木元輝を相当に意識していたのではなかろうか。そんな演奏なのだ。だが、高木の持つ厳しさが彼の音には少々欠けているように感じるのは残念だ。本作は、2012年パリのBabiloで行われた、沖至と豊住芳三郎とのトリオ演奏が収録されている。沖至のトランペットからも、絞り出すかのようなノイジーな、(とは言ってもノイズ・ミュージックのようなあの爆音ではなくて)音が放たれる。時にメロディアスで柔らかな表情にもなる。豊住も、どこが一体ドラム奏者なんだろうと思わせるような演奏で、「フリー・ジャズ・ドラマー」は封印。彼の近年のトレードマークにもなっている二胡も登場する。三人が顔を突き合わせてブツブツと何やら会話をしているかのよう。

 

757~加古隆:Passage (Trio/1976)

ライナーノートを信じるならば、加古も豊住もアート・ブレイキーの来日公演を聞いてジャズに開眼したようだ。そして共に芸大に入っている。豊住は芸大とは肌が合わず退学し青学に再度入学し、そして富樫雅彦に師事し、今日Sabu Toyozumiの名で世界中に名を轟かすに至った。加古は、芸大入学後はジャズを絶ちクラシック、現代音楽を学び、パリのコンセルヴァトワールではメシアンに師事し現代音楽の道を邁進。そこには、ジャズ・マガジン誌に寄稿している音楽分析の専門家のモーリス・グルグがいて、彼の影響で加古はジャズに再度魅せられて行った。だが、時はすでにフリー・ジャズでも過去の音楽と見られていた時代だった。それを乗り越える音楽は何か? そこで行きついたのは即興音楽だった。加古は、黒人達が長年そのエネルギーを注入・放出し作り上げて行った彼らの音楽のように、日本人にも同じようなエネルギー(その質は異なるだろう)が内包されており、新しい音楽を作り出せると考えた。ボブ・リードやノア・ハワードのグループに参加し、曲も提供しジャズの世界で活躍を始めた。同時期パリにいた高木元輝と結成したグループは、ヨーロッパを震撼させたのだった。豊住は71年のAACM参加に続き、72年渡仏し翌年加古と出会った。共に「エマージェンシー」と言うグループに参加し2枚のアルバムを残している。本作は、加古の一時帰国を狙って収録された加古と豊住のデュオ・アルバムだ。加古のピアノは、繊細かつダイナミックなサウンドで、一聴現代音楽と呼んでもよさそうな演奏だ。ジャズを出自に持つ者とは明らかに異なるクールな表現だ。そこに豊住は、いつもよりは控えめな、彼の繊細さが特に現れた演奏で答えている。ブロッツマンらとのパワープレイの時とは対極の演奏で、豊住の持つ幅の広さとダイナミズムの振幅の大きさがよく分かる演奏だ。特に、ブラッシュ・ワークが冴えている。

 

756~高柳昌行&ニュー・ディレクションズ:Independence (テイチク/1969,70)

1969年と言う年は、日本のジャズを語る上でターニングポイントとも言える年だ。「富樫雅彦:ウィ・ナウ・クリエイト」、「佐藤允彦:パラジウム」、「山下洋輔:コンサート・イン・ニュージャズ」そして、この高柳昌行の「インディペンデンス」が録音された年なのだ。60年代を通して彼らはアメリカからの借り物のジャズからいかに自分達のジャズを創造するかを試行錯誤して来た。その最初の成果が一気に噴き出したのが69年だった。その中心人物の一人が高柳昌行で、共に戦線を戦ったのが吉沢元治、豊住芳三郎だった。録音は、テイチク会館内のスタジオ。1分弱のインターバル的な短い演奏を含む6曲が収録されている。後の「漸次投射」と「集団投射」と呼ばれる演奏スタイルのようには、まだはっきりとは分かれていない。だが、一気に最前線に踊り出た斬新さに満ち満ちた演奏なのは間違いのない事実だ。吉沢は、ベースの他チェロや笛、パーカッションも使う。特にチェロがいい。時に、高柳のガット・ギターと音がかぶってしまうきらいはあるが、一音一音の粒立ちと音の攻撃性は、高柳のギターに真っ向勝負を挑む。豊住のドラムは、ここに彼の原点を聞く事が出来るのではないだろうか。彼の演奏の特徴は、ドラムを使った演奏にも関わらず、パターンを繰り返す事が無い。それは、すでにここで聴けるのだった。そして、高柳だ! フィードバックを多用したり、弓弾きしたり、バターナイフを使った演奏は、従来のジャズ・ギターからは遠く離れた地点にすでに立っている。この演奏の破壊力、瞬発力、音のスピードは、同時代にもそうそう見当たるものではなかった。この3人は、オリジナリティーの獲得どころか、他に例を見ない世界を早々と構築してみせたのだった。CDでは、「ギター・ワークショップ」に収録されていた70年録音の「集団投射」も収録。

 

755~Margaret Leng Tan:The Art Of The Toy Piano (Point Music/1996)

1872年フィラデルフィアで、ドイツ移民のAlbert Schoenhutがオリジナルデザインのトイピアノを作りはじめた。壊れにくいこのトイピアノは、元々教育目的に作られたそうだ。ガムランでも聴いているような面白い音がする。どこか懐かしい、どこか物悲しい音が心の琴線をくすぐるようだ。(Schoenhutのライバル社でJaymarと言うのもあるが、50年代には両社は合併。)そんなトイピアノの為に曲を作った者がいた。1948年ジョン・ケージが「Suite For Toy Piano」を作曲したのだった。このトイピアノに惹かれていったピアニストがいる。シンガポール出身のケージ等の現代曲を弾かせれば当代きっての名奏者のマーガレット・レン・タンだ。93年リンカーン・センターで開催された「Serious Fun! Festival」で、ケージの「Suite For Toy Piano」を演奏した。彼女の存在は、その後多くのトイ・ピアノの新作を生むことになった。本作では、ケージの曲は収録されていないが、現代に生きる作曲家達の個性たっぷりの新作が集められている。スティーヴン・モンダギュー、トビー・トワイニング、ジュド・ディストラー、フィリップ・グラス、デヴィッド・ラング、ジュリア・ウォルフ、ガイ・クルチェフセク、ラファエル・モステル達の作品は、トイ・ピアノだけの曲から、そこにピアノも同時に演奏する曲も。トイ・アコーディオン、ホイッスル、キャップ・ガン、メロディカも混ぜられたりもする。このおもちゃと言って良いシンプルなトイ・ピアノから、かくも多彩な音楽が生まれようとは、正にレン・タンの存在があったからこそ。モステルの「星条旗を永遠なれ」は、ジミ・ヘンドリックスのウッドストックの演奏とは真逆を行くもので、笑ってしまう。これら新作に加え、誰でもが知ってるベートーヴェンの「月光ソナタ」、ビートルズの「エリナー・リグビー」、サティの「ジムノペディ 第3番」も演奏されているが、これがトイ・ピアノの音にはまっていて楽しいのだ。

 

754~ツトム・ヤマシタ:打~ツトム・ヤマシタの世界 (日本コロムビア/1971)

今でこそ打楽器奏者は、たくさん存在し、クラシックのオーケストラの外に進出し、たくさんの打楽器の曲も作られ演奏されている。その第一人者がツトム・ヤマシタだ。彼から「打楽器奏者」は始まったと言ってもよいくらいだ。1947年京都に生まれたヤマシタは、高校卒業後すぐに渡米し、ミシガン州のインターロッケン夏季ミュージック・スクールに学び、その後アート・カレッジに入学。翌年には講師になったと言うから凄い。バークリー音楽院ではジャズを学び、秋吉敏子とも共演をしている。67年シカゴ・チェンバー・オーケストラのメンバーとなった。69年にはシカゴの音楽祭でヒューエル・タークイの「打楽器とオーケストラの為の協奏曲」のソリストとして小澤征爾&シカゴ交響楽団と共演した。その後はタイム誌の表紙にも登場する程の注目を集めた。ヘンツェ、武満らが彼の為に作曲をした。だが、彼はもっと視野の広い音楽家だった。トータル・アート集団「レッド・ブッダ旅行団」を結成したりと、ジャンルの枠を取り払った活躍を見せた。1971年一時帰国した彼は、各地でリサイタルを行った。本作は、東京でのリサイタルの模様を収録したもの。彼を有名にしたと言ってもよいタークイの曲からヤマシタのアレンジで「踊るかたち」から始まる。彼の演奏するときの姿は、まるで踊っているようだと言われたのだった。チャンチキが使われたりして日本的な響きも聞かれる。即興部分もあるようだ。続くヤマシタ作「人の三楽章」は、図形楽譜で演奏者の即興性にまかせられている曲。ヤマシタの他、邦楽の藤舎呂悦(鼓)、藤舎推峰(笛)の二人に加わる。激しい1楽章では、佐藤は床に腰をおろして、ガラス瓶を槌で割続けた。静寂な雰囲気の2楽章は、日本庭園に響く鹿おどしでも聞いているようだ。佐藤は、紙を響かせ続け、時折長い竹で床を打った。「悲しみ」と題された3楽章は、笛の響きにドラムや真鍮板の響きが重なる。西洋のこぎりの震えるような音と鼓が重なり静かに終わる。最後の「渦」はヤマシタと笛と鼓による15分の即興演奏が繰り広げられた。相当にフリージャズ的で動的な演奏でリサイタルを〆た。

 

753~Kim SungAh/キム・ソンア:ヘグムの夢 (Nices/1994)

これは、へグム奏者・キム・ソンアがキム・チャンウォンの曲を演奏したアルバム。キムのヘグムと歌に、全曲崔善培/チェ・ソンベが参加し、曲によってハーモニカ、トランペット、コルネットを吹き分けている。そこに、ハモンドオルガン、チャンゴ、シンセサイザーが加わる。編成はトリオからカルテットとシンプルだ。ヘグムとすすり泣くような響きに、崔のハーモノカやコルネット、トランペットが絶妙に絡む。へグムとチャンゴのような伝統楽器に西洋の楽器、そして現代的なシンセサイザー(この使われ方もいい塩梅で鳴らされている。)が、なんの違和感も無く絶妙なさじ加減でバランスを保って演奏されている。伝統楽器と現代的な楽器を使った音楽の良い見本だ。キムは、ヘグムを伝統音楽として演奏もするが、インプロヴィゼイションもこなす。元々「散調・さんじょう」と言って即興演奏が存在する韓国では、邦楽の演奏家が「即興」に対する時とは違って、入って行き方に抵抗感が薄いのかもしれない。フリー・ジャズの演奏家として知られる崔善培だが、ここでは曲調を理解した暖かな演奏で主人公を食ってしまうほどの素晴らしい演奏を聴かせてくれる。崔善培ファンとしても必携・必聴の1枚。

 

752~Collin Walcott:Grazing Dreams (ECM/1977)

コリン・ウォルコットは、シタールをラヴィ・シャンカールに学び、タブラをアラ・ラカに学んだ。普通ならどちらかの楽器を選ぶところだろうが、彼はその両方を取った。インド音楽そのものをやるのではなく、広く他の音楽をやろうとするのなら、両方を習得する事は、何かと役に立つと言うものだ。コリン・ウォルコットと言えばラルフ・タウナー、グレン・ムーア、ポール・マッキャンドレスと言うオレゴン州を同郷に持つ者どうしで結成したジャズ界でもとびきりユニークなグループ「オレゴン」のメンバーとして知られる。アコースティック・ギター、ピアノ、ベース、オーボエ、イングリッシュホルン、シタール、ダブラ、パーカッションと言う、ジャズでは異質な楽器で他のどこでも聴く事の出来ない音楽を創造したのだった。そんな4人の中でも、打楽器のタブラはともかく、シタールと言うインド音楽以外では誠に扱いにくい楽器を、違和感を感じさせる事もなく溶け込ませる事が出来たウォルコットのセンスは際立っている。本作は、彼のECMでも第二作目にあたる。メンバーは、ウォルコット(sitar,tabla)、ジョン・アバークロンビー(g,el-mandlin)、ドン・チェリー(tp,wood-fl,doussin'Gouni)、パレ・ダニエルソン(b)、ドン・ウン・ロマノ(berimbau,chica,tambourine,perc)。ウォルコットは、ここではオレゴンで演奏するような各種打楽器類は用いずシタールとタブラに専念してくれているのが嬉しい。シタールは、共鳴弦が張ってあったり楽器の特性上なかなかインド音楽以外では扱いにくいシロモノなんだが、ウォルコットは、西洋の楽器とのアンサンブルの中でもその出張しすぎるほどのシタールという楽器を自然に溶け込ませる事が出来る。それも、シタールの個性を消すことなく。ここが凄い事なのだ。普通は浮いてしまう。アバークロンビーの浮遊感のある柔らかな音色と演奏がシタールにから絡みつき、ドン・チェリーの超個性的なトランペットは、まるで宙に舞っているようだ。それぞれのソロは素晴らしいのだが、ソロの受け渡しで終わるようなジャズとは違い、アンサンブルとしての全体像がそれを優先する。この後、ウォルコットとチェリーは、ナナ・ヴァスコンセロスを加えて「コドナ」を結成する事になる。ウォルコットは、交通事故死でこの世を去ったが、音楽界にとって誠に大きな損失だった。

 

751~Rahsaan Roland Kirk:The Return Of The 5000 Ib.Man (Atlantic/1975)

晩年ムスリム名ラサーンと名乗ったローランド・カークは、1936年オハイオ州コロンバス生まれ。マイルスやコルトレーンとはひと世代下になる。幼少時病院で間違った点眼液をうたれ失明を負った。盲目の黒人が生計を立てていこうとすれば音楽家、芸人等になるしか道が無かったとも言える時代、彼も音楽家を目指しサックス等の管楽器の練習に明け暮れた。ある日、サックスを3本加えて演奏する夢を見た。これが後の彼のトレードマークとなったのだった。1982年生まれのシカゴのクラリネット奏者ウィルバー・スウェットマンが、すでにクラリネトの3本吹きをやっており、彼の楽団にはエリントンやホーキンスも在籍していたらしい。スウェットマンの場合は芸としての意味合いがあっただろうが、カークは違う。見た目は曲芸かもしれないが、偏見なく耳を傾けると「一人アンサンブル」とも言える驚異の演奏なのだ。時に、これプラス鼻でフルートを吹く事もある。また、同時にサイレンを鳴らしたりとも。だから、見た目もあって「グロテスク・ジャズ」等と呼ばれたりもした。テナー・サックスのみならず、サクセロ、ストレッチなるサックスの仲間だが、見慣れない楽器も得意とするが、そのテクニックたるや相当なもので、循環呼吸で延々とソロをぶちかます。現在でこそ循環呼吸は珍しいことではなくなったが、当時出来る人は結構いたものの(エリントン楽団では、これが出来ないと入れてもらえなかったとの話を聞いた)、それを表に出してトレードマークのように演奏したのはカークくらいだった。循環呼吸の場合は、演奏自体は音量もさほど上げられず迫力に欠ける事も多いが、彼は違う。ド迫力で破壊力抜群なのだ。さて、本作だが、75年カークが脳梗塞で倒れる直前に録音されたアルバム。倒れた後は右半身不随となるも片手で演奏を続けたが、2年後亡くなった。マーキュリー時代からアトランティックに移籍してからは、カークの音楽は本能に従って、ジャズを軸にするも、元々色濃く見られたR&Bの要素も含め多種雑多な音楽が闇鍋の中を渦巻くようにごった煮で現れて来たが、本作もニューオリンズからミンガス、コルトレーンを通過してミニー・リパートンのヒット曲「Loving You」までと続く。アルバム冒頭は女声による語りから始まりコーラスも加わる。そこらのジャズ・アルバムとのっけから異なり、カーク臭を駄々酔わせる。「スウィート・ジョージア・ブラウン」ではウォッシュボードをバックにテナー・サックスを鳴らす。ピアノはハンク・ジョーンズだ。「ジャイアント・ステップス」は、コルトレーンばりに行くかと思うと、なんとコーラス隊が加わり意表を突いてくる。サックスの演奏も、ホーキンスばりの濃厚な味わいからキレのあるアヴァンギャルドな表現までと、幅広い。彼の頭の中に鳴り響くサウンドを素直に外に出せば自然とこうなるのだが、当時は何かと色眼鏡で見られたものだった。最近、やっと時代が追いついて来たと言えそうだ。私がジャズを聴き始めた頃は、まだカークは健在だったが、興味を持ち始めた頃になって急に亡くなってしまったのだった。

 

750~George Lewis and His New Orleans Stompers:Vintage George Lewis From 1954&1955 (BlueNote/Upbeat/1954&55)

これは、ニューオリンズ・ジャズのクラリネット奏者ジョージ・ルイスの1954年と55年の録音を収録した2枚組CD。リリースは、Upbeatだが、オリジナル音源はBlue Note Recordsだ。Blue Noteで、ニューオリンズ・ジャズ?と思われる人もいるかもしれない。Blue Noteの始まりは、ドイツ移民のアルフレッド・ライオンが、1938年12月23日カーネギーホールで行われた「From Spiritual To Swing」と題されたコンサートを聴いて強く印象付けられ、「こんな素晴らしい音楽は是非とも記録に残さなければいけない。」と思い立ち、レコード業界の事はまるで分からないまま、翌年1月6日NYでBlue Note Recordsを設立。アルバート・アモンズとミード・ルクス・ルイスのブギウギ・ピアノのアルバムをリリースした事からBlue Noteは始まった。元々のレーベル名はBlues Noteだったが、直前にBlue Noteに変わった。40年のシドニー・ベシェの演奏する「サマー・タイム」が最初のヒット。46年まではトラディショナルなジャズやブギウギのアルバムを制作していたのだった。ジョージ・ルイスも何枚も録音を残しており、本作は1954年3月28日のカリフォルニアでの録音と、翌年4月8日ニュージャージーでの録音のカップリング。メンバーは、共にGeorgeLewis(cl),Avery'Kid'Howard(tp),Jim Robinson(tb),Alton Purnell(p),Lawrence Marrero(banjo、54年),George Guesnon(banjo,55年)Alcide'Slow Drag'Pavageou(b),Joe Watkins(ds)。カリフォルニアでの録音は、ルイスの有名なアルバム「ジャズ・アット・オハイオ・ユニオン」の2ヶ月半後の演奏でもあって、絶好調だ。曲によっては、キッド・ハワードやジョー・ワトキンスのヴォーカルも聴ける。ジョージ・ルイスも、53,54歳の頃で油も乗り切っている。形骸化され観光化されていないニューオリンズ・ジャズの世界が聴ける。だが、20世紀初頭の本当のニューオリンズ・ジャズとどこまで同じか違うのかは、ルイス達の当時の録音が無いので何とも言えないが、演奏がジャズ発生時の面影を残しているのは確かだろう。面白いのは、ルイスの誕生した年と、ルイ・アームストロングやデューク・エリントン達の誕生した年が変わらないのだ。ジャズの発生がニューオリンズなのは確かだろうが、年齢の変わらない者達が同時期に同じジャズと呼ばれる音楽を演奏し(当時本当はどう呼ばれていたのだろうか?)、それが各自かなり違いがある。サッチモとデュークの最初期の同時期の録音を聴き比べると、相当な違いがある。ジャズは、アメリカ各地で同時多発的に発生した音楽が緩やかに統合されて都市部でスウィングとなりバップとなって行ったのだろう。

 

749~斎藤徹:Travessia (Travessia/2016)

斎藤徹は、ジャズ・ベーシストを目指しスタートするも、自身の中にブルースといわゆるフォー・ビートが無い事を痛感し、ジャズ・ベーシストの道を諦めたと言われている。だが、それと引き換えにもっと広い視野を持った音楽家として生きて行ける事になったのだから、人間何が災いとなり、幸となるかは分からないものだ。無いものねだりを繰り返しながら、物まねばかり繰り返す方が愚かな事なり。彼の視界にはジャズ、即興音楽、西洋クラシック、現代音楽、邦楽、雅楽、能楽、タンゴ、ブラジル音楽、韓国の特にシャーマニズム、演劇、ダンス、舞踏、美術、詩、書、映像等々と何とも幅広く多様な音楽・アートの世界が広がっている。その中でも、アジアとヨーロッパを含むユーラシア大陸を音楽で繋いだ「ユーラシアン・エコーズ」は印象深く、重要な位置を占める。16年永福町「Sonorium」でライヴ録音された本作は、斎藤がベース(コントラバス)一本で彼のそれまでの足跡を確認し、自身の過去・現在・未来を表現した一枚だ。演劇に付けた曲。名作「ストーン・アウト」から。画家・小林裕児の作品「浸水の森」に付けられた曲。私淑するミンガスに捧げられた曲。バッハ:無伴奏チェロ組曲から「アルマンド」。ピアソラの「エスクアロ」。そしてインプロ。たった一本のベースから、何とも多彩な音響を響かせる。1曲目の最初の音から聞き手を引きずり込んでしまう。彼の音(そして音楽)は単にテクニックとかを超えて、人の心に訴えかけて来るものだ。自身の書かれたライナーノートの一節に「“インプロ”の対義語は“作曲”ではなく、“当たり前と思われているもの”であり、“常識”であり、さらに言えば“自分自身”である。」とある。単なる型に終わっていない彼のインプロは、アルバムの最後で聴ける。ジャンル云々を超えた正に「ベース(コントラバス)・ミュージック」がここにある。

 

748~金大煥:黒莖 (nices/1991)

金大煥/キム・デファンは、80年代日本人の我々にも知られるようになった韓国で最初のフリージャズ・グループ、姜泰煥/カン・テファン)トリオのメンバーとして当時から異才を放っていた。トリオの3人(姜泰煥、金大煥、崔善培)全員に言える事だが、トリオ解散後こそ彼らの本当の才能が開花したと言える。突出したテクニックと他には聞かれない独特な個性を持った音楽を創造した姜泰煥と並びこそ劣ることはない金大煥の独特な音の世界は、今でも我々の感性に強く刺激を与え続けている。この二人は、いとこ同士で、小さい頃は同じ家に住んでいた。ふたりの突出した才能はDNAのなせる技か。トリオ解散後の金大煥は、頻繁に日本を訪れ、様々な日本のミュージシャンとセッションを繰り返していった。その中から自然と形になって行ったのが、金大煥、山下洋輔、梅津和時のトリオだった。いとこの姜泰煥が佐藤允彦、高田みどりと結成したトン・クラミに対抗して山下、梅津とのトリオを作ったのだった。「テファンが佐藤だったから、僕は山下にした。」と私に言われた事があった。いとこの姜泰煥に相当に対抗意識はあったようだった。理由はともかく、金、山下、梅津のトリオは、トン・クラミと比べその対局に位置するような演奏なので、こうしてアルバム化して聴けるのは有難い。トン・クラミは、演奏が熱を帯びてきてもどこかクールなところがあるが、金、山下、梅津のトリオは感情の奥深くのパッションを素直にさらけ出す。アジアの情念の噴出。本作では、そこにカン・ウニルのヘグムの正に東アジア人の琴線を刺激する音が絡む。本作をもっとユニークにしているのが、演奏されている曲だ。アリラン以外はコルトレーンの愛奏曲ばかりが選ばれている。こんなジャズにどっぷりの金大煥の演奏は、私はこれしか知らない。金大煥のライヴは常に曲のないフリーな演奏しか聴いたことがなかった。

 

747~藤川義明&イースタシア・オーケストラ (Mobys/1984)

新宿PIT INNの2階にニュージャズ・ホールがあった時代、藤川義明は、翠川敬基、田中保積を中心とした「ナウ・ミュージック・アンサンブル」を率いて出演していた。ハプニング満載の客席からは笑いも起こるような破天荒なステージは、当時注目されていた阿部薫とは対極を行く表現だった。79年には、藤川、翠川、豊住芳三郎のトリオ「Free Music Trio/FMT」がメールス・フェスティヴァルに出演。82年春、当時の精鋭達を集めた「藤川義明オーケストラ」を旗揚げし、芝・増上寺で「三月宣言」と称した旗揚げコンサートを行った。11月新宿PIT INNに出演する時から「イースタシア・オーケストラ」を名乗るようになった。そして84年にファースト・アルバム「照葉樹林」をリリース。リリースの翌月にはメールス・フェスをはじめヨーロッパ各地を廻った。6月17日の東ドイツでの「ダス・ビューネ・ジャズ・フェスティヴァル」でのライヴ録音はアルバム化されリリースされた。本作でのオーケストラのメンバーは、藤川義明の他、井上敬三、梅津和時、広瀬淳二、翠川敬基、豊住芳三郎、吉田哲治、小宮いちゆう、板谷博、佐藤春樹、片山広明、早川岳晴、横山達治。アルバム・タイトルが、ここでの演奏を物語る。照葉樹林は、ヒマラヤ、中国南部を通り日本に広がる常緑樹林(樫、楠等々)を指す。樹林帯と呼応するように東アジア文化圏を意識したジャズ・オーケストラ作品となっている。インド、中国、東南アジア、日本の音楽の要素を濃淡の違いはあれど匂わせる。ジャズ故に各人のソロがあるのだが、同じ楽器同士の掛け合いも多く聞かれるのが特徴。85年には、NHKFMの「セッション‘85」にも出演するほどの人気を博した。メンバーは、渡辺香津美をはじめ、池田芳夫、松風鉱一、清水末寿、原田依幸、望月英明、等々も去来した日本ジャズ界の震源地になって行った。

 

746~Columbia-Princeton Electronic Music Center 1961-1973 (New World/1961~73)

コロンビア・プリンストン・エレクトロニック・ミュージック・センターは、アメリカで最初に設立された電子音楽スタジオ。50年代はじめコロンビア大学のVladimir Ussachevsky、OttoLueningと、プリンストン大学のMilton Babbitt,Roger Sesssionの働きかけで、ロックフェラー財団の支援を受けて設立された。57年には、RCA MarkⅡ Sound Syhthesizer(通称VICTOR)が導入された。このスタジオでは、テープ・ディレイ・マシンやミキシングコンソールのプロトタイプが制作されていた。ここでの試行錯誤が、その後の電子音楽だけではなく、現在使われているスタジオ機材や、様々な音楽で使用されている電子楽器に繋がっている。このCDは、このスタジオで制作された1961年から73年までの作品が8曲収録されている。残念ながら、スタジオの設立者Ussachevsky,Luening,Babbitt,Session達の曲は入っていない。Bulent Arel,Charles Dodge,Ilhan Mimarglu,Daria Semegen,Ingram Marshall,Alice Shieldsの作品が収録されている。当時の電子音楽は、テープに固定し構成して行く以前の段階での作業だけで相当なアイデアと労力を必要とした。今のように、誰でもが安価でいつでも手に入る機材に溢れている時代ではなかった分、手作り感と情熱が溢れている。だが、さすがに現在の耳では、チープ感が漂う作品も有る事には間違いない。だが、それも現代の多くの音楽につながっているのだ。先人の試行錯誤があってこその現代のシーンの形成がある。詳細なブックレット付きが有難い。

 

745~Tania Chen,Henry Kaiser,Wadada Leo Smith&William Winant:Ocean Of Storms (Fractal/2015)

タニア・チェンは、ロンドンをベースに活動をしているピアニスト。主に現代音楽のフィールドでの活動が多く、ジョン・ケージ、コーネリアス・カーデューの曲を演奏したCDも出ている。同時に即興演奏も行っており、スティーヴ・ベレスフォード、サーストン・ムーア等とよく共演をしているようだ。ウィリアム・ウィナントも同じく、現代音楽をベースにするも(ケージ、ルー・ハリスンの曲を演奏したアルバムも多い)、即興演奏の活動も多い打楽器奏者。本作は、チェンとウィナントの二人に、Yo Miles!の双頭コンビのヘンリー・カイザーとワダダ・レオ・スミスが加わったカルテットでの即興演奏を収録したアルバム。ジャズ系のインプロヴァイザーとは違った者の方が多い為、フリー・ジャズ的なエネルギーを求められると困る。カイザーは、ここではアコースティック・ギターを弾いている。それもあってか、レオ・スミスのトランペットの音が演奏の中心として聞こえて来る事が多い。それだけ、存在感の大きなサウンドなのだが。特に、現代音楽のフィールドを主戦場とする二人が、レオ・スミスの背景描写に終わっている感も無きにしも非ず。近年、クラシック、現代音楽サイドからの即興演奏への参入が増えて来ており、これまでのジャズ系インプロヴァイザーだけでの表現から、相当軌道が変化をして来ている。一昔前には、クラシック界からは、即興は結構疎んじられていた事を思うと、状況も大きな変化を見せているものだ。こうした事で、また音楽は変化して行くのだ。カイザー、チェン、ウィナントの3人は、へグム奏者のSoo-Yeon Lyuhと共にチェロ奏者のDaniella De Gruttolaのアルバムに参加している。共に、プロデューサーは、ヘンリー・カイザー。

 

 

744~Evan Parker&Barry Guy:Incision (FMP/SAJ/1981)

エヴァン・パーカーもバリー・ガイもイギリスの即興シーンの黎明期から最先端を走り続け牽引して来た者同士。この二人にポール・リットンを加えた「エヴァン・パーカー・トリオ」は長寿を誇る即興界屈指のユニットの一つだ。たくさんのアルバムをリリースしている。エヴァン・パーカーとポール・リットンのデュオもINCUSに名作を残している。実際たくさんのデュオ・ライヴを行っては、実験を重ねて行っていたようだ。さて、ではエヴァン・パーカーとバリー・ガイのデュオとなると、これが最初のアルバムとなった。その後もガイのレーベル「Maya」からリリースされた94年録音のアルバム「Obliquities」だけではないだろうか。勿論デュオ・ライヴは相当数行ってはいただろうが。アルバムの少なさには何か理由があるのか? さて、演奏は、当時エヴァン・パーカーと言えばソプラノ・サックスがトレードマークのような感じがしていたが、ここではテナー・サックスの演奏もたくさん聴ける。バリー・ガイの感情に準拠しない乾いたそして強烈な演奏に、エヴァン・パーカーもガイにまとわりつく事無く、どこか突き放したようなギリギリの攻防が続く。このあたりは、アメリカのフリー・ジャズとは決定的に違った部分だった。だが、ジャズとしての前へ前へと突き進む推進力は大いに保たれているのも確かなところだ。CD化を乞う。

 

743~John Stevens&Evan Parker:The Longest Night vol.1 (Ogun/1978)

これは、1976年録音の、John Stevens/ジョン・スティーヴンス(ds,cor)Evan Parker/エヴァン・パーカー(ss)のデュオ・アルバム。二人は1966年から数多く共演を繰り返してきた間柄だ。イギリスの即興シーンの最初期の形を作り上げて来た者どうしのデュオ・アルバムは意外と少ない。このVol.2と、93年に同じOGUNからリリースされた「Corner To Corner」が有るだけではないだろうか。現在は、Vol,1&2と合わせて2枚組CDとして全部収録されて出されている。まだ、フリー・インプロヴィゼイションを聴き始めていた頃(78年頃か?)に購入したLPだったのだが、所謂フリー・ジャズとは大きく違った演奏に正直、最初は?マークがたくさん頭に浮かんだものだった。フリー・ジャズにもノリはある。ただ普通のジャズのスウィング感とは違うと言う程度であって、「ジャズ」としての前へ前への推進力はフリー・ジャズも放棄はしていない。それどころか猛スピードで突進して行くものだ。だが、この演奏は前への推進力が無い訳ではないのだが、細分化された音の粒子を、ぶつ切りの空間に放り投げているような演奏なのだ。エヴァン・パーカーの演奏もトレード・マークのようなサーキュラー・ブリージングはほどほどにして、高速のタンギングを多用し音をぶつ切りにして行っている。ジョン・スティーヴンスのドラムも同じパターンをただの一度も繰り返しはしない。ふたりして音の破片を撒き散らすが如き。まことにストイックな演奏だ。このような演奏が快感に変わる頃には、この世界から永久に抜け出せない耳になっていた。それどころか、ここで繰り広げられている演奏が、私には「フリー・インプロヴィゼイション」と聞くと真っ先にイメージしてしまう典型になっている。

 

742~Rashied Ali Quartet+Quintet:Moon Flight (Survival/1975)

Rashied Ali/ラシッド・アリは、1935年ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれのドラマー。グラノフ・スクールで音楽を学び、R&Bのバンドに参加。53年自己のグループでジャズ・クラブに出演。だが、その後仕事がなく、2年間タクシー運転手をした。63年NYに出る。そこでファラオ・サンンダースと出会い、共演。同時にビル・ディクソン、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ポール・ブレイ、サン・ラーらと共演。65年11月、ジョン・コルトレーンのグループに参加。コルトレーンが亡くなるまでグループで活躍した。コルトレーンとはデュオ・アルバム「インターステラー・スペイス」が有る。コルトレーン亡き後も、アリス・コルトレーンとは共演を続けた。77年、自分のロフト「アリズ・アレイ」を持つ。また、自身のレーベル「Survival」を設立。75年録音の本作は、サヴァイヴァルからのリリース。ラシッド・アリ(ds)、ジェームズ・ヴァス(as)、マーヴィン・ブラックマン(ts)、チャールズ・ユーバンクス(p)、ベニー・ウィルソン(b)。アリは、言わずと知れた、後期コルトレーンを支えた名ドラマーで、常にコルトレーンを背後からプッシュし続けた。前任者エルヴィン・ジョーンズが、怒涛のポリリズムなら、アリは高速のパルスの放射でコルトレーンに対峙した。そんな彼のアルバムだから、そのような演奏と思ったら、少し違って、マル・ウォルドロンの「ソウル・アイズ」をやってたりする。だが、これはコルトレーンの愛奏曲だった。またコルトレーン作の「ナイーマ」も演奏している。怒涛のフリーな曲もあるが、フロントの2人は、フリー一歩手前なところもある。ブラックマンは、「タリカ・ブルー」という川崎燎が参加しているグループでもやっているように、ゴリゴリのテナー吹きではないが、ここではコルトレーンに迫ろうと力演している。ヴァスは、アンドリュー・ヒルのアルバムでも聴ける。

 

741~向井千恵:Three Pieces Solo Improvisation (SIWA/1997,99)

 向井千恵は、大阪生まれの二胡とヴォイスを使った即興演奏家。75年神田美学校小杉武久教場で学ぶ。二胡を手に即興演奏を始める。地歌を中華絃耀に師事する。East Bionic Symphoniaに参加し、LPをリリース。これは、フリー・ジャズに属さない集団即興演奏のグループで、タージ・マハル旅行団以降GAPと並び重要な位置にある。81年今も続くChe-SHIZUを結成。当初は即興ユニットだったが、83年頃には自作曲を演奏するロック・グループに変わっていった。82年風巻隆とのデュオLP「風を歩く」、82年本木良憲とのデュオ・カセット・テープ(広瀬淳二のレーベルCACOONからリリース)、84年Plan Bでのソロを収録した「胡弓インプロヴィセイション」は、当初カセット・テープ(50本!)でのリリースだったが、後PSFよりCD化された。「Three Pieces」は、97年と99年のソロを収録したアルバムでLPCDの両方で聴ける。二胡とヴォイスの演奏に、ケンガリ、リング、シンバルが同時に鳴らされる。二胡は、アンプリファイされている。即興と言っても、ジャズ的な展開だとか、名人芸を聴かせるとかの正反対を行くもので、緩やかに二胡の音が持続され揺れて行く。その上に声が重なる。時に、金属音がそのまた上に重なるといった塩梅で永遠と続く感じだ。弦を弾く音を増幅させたノイジーな演奏も聴けるが、その上に重なる声がまた違う次元に連れて行く。私は、彼女の演奏を聴くと、どうしても小杉武久がオーヴァーラップして来て仕方がない。小杉のヴァイオリンと声による即興演奏と非常に本質的に同じ部分を共有していると感じる。向井は、2001年から「即興表現を体験したことのない人に、そのおもしろさを伝えたい。」と即興表現(演奏だけではなく身体的表現も含む)のワークショップを続けている。日本アンダーグラウンド界を、底辺から支えて来た者のひとり。ソロCDは他に「Crossing」(96年)もある。

 

740~Esquire All-American Jazz Concert (Hot'n Sweet/1944)

1944年1月18日、メトロポリタン・オペラ・ハウスで、雑誌Esquireの依頼でジャズ評論家によって選出されたジャズ・ミュージシャンを集めた豪華なコンサートが行われた。まずは、メンバーを紹介。ルイ・アームストロング(tp,voc)、ロイ・エルドリッジ(tp)、ジャック・ティーガーデン(tb,voc)、バーニー・ビガード(cl)、ベニー・グッドマン(cl)、コールマン・ホーキンス(ts)、レッド・ノーヴォ(vib)、ライオネル・ハンプトン(vib)、アート・テイタム(p)、ジェス・ステイシー(p)、テディ・ウィルソン(p)、アル・ケイシー(g)、オスカー・ペティフォード(b)、シド・ヴァイス(b)、シドニー・カトレット(ds)、モーリー・フェルド(ds)、ビリー・ホリデイ(voc)、ミルドレッド・ベイリー(voc)と言う「どうだマイッタか!」な豪華メンバー。これに、エリントン、ベイシー楽団から参加出来ないのは、白人の男性向け一般誌だったEsquireの読者層を考慮しての結果だろう。まあ、それを横に置いても、これだけのメンツが取っ替え引っ替えメンバーを変えながらの2枚組に渡る演奏は、何だかんだ言っても楽しいものだ。すでに前時代的なメンツに入るだろうミュージシャン達ばかりの気がしないではないが、まだまだスウィングが勢いのあった時期なので演奏にも勢いがある。楽しそうに演奏しているのが聞き手にも伝わる。時代的には、チャーリー・パーカーらのビー・バップは、まだまだ黎明期。このステージに上がれる程の世間からの支持は少なかった。それにしても、44年とは、まだまだ第二次大戦中ではないか!? オリジナル音源がエアチェックなので、音質はよいとはいえないが、十分鑑賞に耐えます。

 

739~富樫雅彦BURA-BURA (Pan Music/1986)

1986年5月14日、東京の郵便貯金ホールで富樫雅彦の音楽生活30周年を記念するコンサートが行われた。メンバーは、富樫お気に入りのメンバーが集められた。ドン・チェリー(pocket-tp,p,vo)、スティーヴ・レイシー(ss)、デイヴ・ホランド(b)という最高の布陣だ。だが、当初はチャーリー・ヘイデンを予定していたのだが、スケジュールの調整がつかず、ホランドとなった。富樫とチェリーは、1974年のチェリーの来日時の共演に続き、79年富樫初渡欧でレコーディングし「ソング・オブ・ソイル」をリリースした。この時のベースはチャーリー・ヘイデンだった。レイシーと富樫の付き合いは長い。アルバムも何枚とある。深いところでお互いの音楽を理解し合っている間柄だ。ベースはホランドになったが、これがその後の富樫の活動にも影響を与えることになったのが面白い。冨樫が、ホランドのグイグイとドライヴするベースを聴いて触発され、後のJ・J・スピリッツ結成のきっかけとなったそうだ。ホランドは、フリーな演奏にも長けており、アルバム全編に渡って変幻自在な素晴らしい演奏を聴かせる。そして、ここでもチェリーの自由さは突出している。トランペットだけではなくて、ピアノとヴォーカルでもその特異で強烈な個性を振りまいて行く。高橋悠治氏は、このチェリーのピアノを褒め、「ピアニストではとうてい考えつかない演奏をする。」と言われた。レイシー作の「ウィケッツ」は、途中ブルース調に変わるが、チェリーがマディ・ウォーターズの名前も出してブルースの解説を始めるではないか。レイシーとて個性の強さではチェリーに負けてはいない。ワン・フレーズでレイシーと分かる他には比べようがないワン・アンド・オンリーな世界を、このコンサートでも披露している。が、そんな強者達も、ここでは富樫ワールドとも言うべき世界の中の一員と化している。聴き終えて残る印象は、正にこれに尽きる。

 

738~Fred Frith:Live In Japan (ReR/1981)

フレッド・フリスは、1981年雑誌フールズ・メイトのオーガナイズで来日公演を各地で行った。灰野敬二、Merzbow、突然段ボール、サボテン、ルナ・パーク・アンサンブル等々当時の日本のアンダーグラウンドのミュージシャン達と数多くの共演を行った。私は、灰野敬二とのデュオに行っている。この時フリスは、テーブル・ギターだけではなくて、ピアノにチェーンを放り込んで演奏していたと記憶している。82年リリースされた本作は、このツアーで行われたソロだけを集めたLP2枚をボックスに入れた豪華な仕様のアルバム。現在CDで再発されているが、オリジナル・マスター・テープは紛失しており、LPからトランスファーされてリマスターされた版になる。録音は、福岡、前橋、東京、大阪の4箇所が選ばれている。通常のギター、ダブルネックのギター、ピアノ(前橋のみ)、ヴァイオリン、Pilot’s throat microphone from World War Ⅱと言うものも。聴いた限りではラジオの放送もギターに重なって聞こえて来る。前編当時のフリスのトレードマークのようなテーブル・ギターからの多彩な音響が撒き散らされる。連日の演奏で、オフ・ステージでは指から血を流していたそうだ。ライヴの時目の前で見る事が出来たのだが、ギターのプリペアードの方法は、結構荒っぽくて、これでよくギターが保つものだと正直思ったくらいだ。こうして音だけで聴くと、ギターと言うよりも、ライヴ・エレクトロニクスか、セルフメイド・インストゥルメントを思わせる音が多い。ギターを異化した音楽の代表的なアルバムとして重要。

 

737~Tchangodei,Itaru Oki&Kent Carter:Perfect Emptiness (Volcanic Records/1992)

80年代にTchangodei/チャンゴダイと言う名前のピアニストのLPがレコード店にちらほらと並び出した。リーダーのチャンゴダイは、無名なのに共演者が、マル・ウォルドロン、アーチー・シェップ、スティーヴ・レイシー、ジョージ・ルイス、ケント・カーター、沖至、オリヴァー・ジョンソンと、やけに豪華なのだ。恐る恐る買ってみたら、技巧派には遠いのだが、なんだか気持ちのいいピアノを弾くのだ。一体どういう経歴なのかと言うと、1957年西アフリカのBenin生まれとなっている。ベナン共和国だろう。同じBeninで、1967年9月19独立。翌日消滅した国もあるが? フランス、リヨンに家族が移住し、彼は転々と居住地を変えていった。街の公民館に夜中に忍び込んではピアノを弾いて独学していたらしい! リヨンに来たマル・ウォルドロンにピアノのテクニックを教えてもらい、80年代前半にリヨンに移住して来た沖至にはジャズのハーモニーを習いスタンダード・ナンバーが弾けるようになったそうだ。当時リヨンに自身のクラブLe Bec de Jazzを持ち、そこでマル・ウォルドロン、シェップ、レイシーらと共演をし、自身で設立したレコード会社Volcanic Recordsから彼らとの録音をどんどんリリースし、それを日本で私が買っていたことになる。この沖至、ケント・カーターとのトリオ作もその中の一枚。「レフト・アローン」、「ラッシュ・ライフ」と言った日本人好みな曲も演奏している。そもそも半分は東京での演奏から収録されているのだった。他は、ローザンヌでのライヴから収録。彼のピアノは、共演しているマル・ウォルドロンやセロニアス・モンクの系譜の延長にいると言ってよい。ここでは、沖至とケント・カーターと三人でまるで会話を楽しんでいるように、演奏が展開して行く。沖の演奏するトランペットと笛の類の温度感のある音がチャンゴダイのピアノと相性が抜群。それに絡むカーターのベースも同じく。

 

736~AMA-JAZZ:In One Breath (Leo/1994)

Leo Recordsの主宰Leo Feiginの元には、旧ソ連の地下に眠っている音源の数々が、ソ連を旅行した者達に託されて「密輸」のように手渡され集まっていた。その中でも驚きの一本がこのAMA –JAZZだった。旧ソ連と言っても音源の録音場所はモスクワやレニングラードだったりするのだが、AMA-JAZZは、モスクワから三千キロ離れた「神が忘れた土地」(と呼ぶ習慣があるらしい)ウラル地方のエカテリンブルクのジャズ・グループなのだ。ただでさえ「鉄のカーテン」の国のそのまたはるか奥(と言うと語弊があるかも)に、演奏技術が達者で、尚且つこんな独自な演奏をするグループがあったとは驚くしかない。AMAとは、「Association ofMusicians of Avant-garde」の略で、彼らはその後にJAZZを付け加えた。Alexander Brykin(el-b),Valery Zhilin(ds),Vladilav Talabuyev(sax,cl),Anatoly Tlisoc(p)のカルテット。1994年エカテリンブルクのスタジオで録音されている。モスクワ以上に西側の情報に疎いと思われるウラルの地で、海外に出て演奏する事もなく、フェスティヴァルで他のグループの演奏を聴く訳でもないのに、これほど多彩なアイデアに満ちた演奏が出来る事に驚くしかない。そこはプロデューサーのLeo Feiginも当然不思議に思っていたらしく、このアルバムを作るに際してその疑問をミュージシャン達に伝えたら、「感じたように、やりたいように演奏する。精神性の現れであり、自然にこうなった。」との答えだった。グループは、サックス・カルテットの形態を取るが、ベースがエレクトリック・ベースで、グループのボトムを支える以上の働きをする。フリー・ジャズ・グループでは少ないので新鮮に映る。CDをプレーヤーのトレイに入れるまでは、ロシア(録音時はすでにロシアになっている)の地方都市のローカル・グループくらいのつもりで半分興味津々、半分不安な気持ちでいたが、聽いてビックリとはこの事。避けて通ると損します。

 

735~Paul Bley with Masahiko Togashi:Echo (SME/1999)

ポール・ブレイは、1976年に初来日している。ゲイリー・ピーコック(b)とバリー・アルトシュル(ds)とのトリオだった。それから23年後、再度日本の土を踏む。5月29日の富山を皮切りに全国各地を廻った。帰国前の6月10日、横浜みなとみらい小ホールを借り切って行われたのは、富樫雅彦とのデュオ録音だった。これは、今回のブレイの来日コンサートのプロデューサーだった稲岡邦弥(「トランスハート」と言う彼が主宰するレーベルから、すでにブレイのCDを2枚リリースしていた)と、ソニーのプロデューサー上原基章のふたりの執念から生まれた企画だった。ブレイは、富樫とは面識もなく演奏を聴いたこともなかった。幸いゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンらから富樫のインプロヴァイザーとしての素晴らしさ、凄さを聞いており、「面白い経験が生まれるかもしれない。」と思って、このレコーディングを承諾したそうだ。当初は、お互いの曲を持ち寄っての演奏との計画だったようだが、ふたりとも乗り気ではなく、当日になって完全な即興演奏と決まった。打ち合わせも無く、サウンド・チェックだけですぐ本番になったようだが、これこそ「完全即興」だ。本当になんのサジェスチョンも無い状態で行われたのかと、疑問符も湧いて来るような演奏だ。一切の迷いも、停滞も無い。音の流れが一瞬たりとも滞ったりはしない。極めて厳しくも、だがしかしどこか余裕があり安堵感も漂わせる。視界が透明な広い空間に音が自由に舞っている。どちらかと言えば、これは富樫雅彦の世界が広がっているような気がするのだが。いかがだろうか。ジャズだ、即興だに関係なく、これは人類が残した大いなる遺産のひとつ。は、言い過ぎか。このアルバム、すこぶる音質も良い。なるべく大きなシステムで聴いてもらいたい。時に、腹にこたえるような低音が鳴り響く。

 

734~Bardo State Orchestra:The Ultimate Gift (Impetus/1994)

Bardo State Orchestraは、オーケストラと名乗っているが、1948年ブルックリン生まれのトランペッター、Jim Dvorak。46年スコットランド生まれのドラマー、Ken Hyder。46年リオ・デ・ジャネイロ生まれのベース、チェロ奏者、Marcio Mattosの三人によるグループだ。お互い70年代のロンドンのジャズ~インプロヴァイズド・ミュージック・シーンで、キース・ティペット、マギー・ニコルズ、エルトン・ディーン、ルイス・モホロ、クリス・マクレガー、ドゥドゥ・プクワナ、ジョン・スティーヴンス、エヴァン・パーカー、デレク・ベイリー等々との共演歴を持つ。この三人に共通するのが、音楽の興味がJazzに収まらずワールド・ワイドな事。特にアジアの音楽や文化・哲学をインドやトゥヴァ等で学んでいる事だ。集まるべくして集まった三人によるこれぞ本当のフュージョン・ミュージックと言えよう。アメリカで生まれたジャズを基調に、スコットランド、シベリア、インド、チベット、南米の音楽までも広く深く取り込んでいる。J・DvorakとK・Hyderは、お互いチベットやトゥヴァで習得した倍音唱法を巧みに効果的に使っている。まるで電子音響かと思える音の波の上をDvorakの人の声に例えるならちょっとかすれたダミ声のようなトランペットの音が流れて行く。曲によっては、得意とするフリーなインプロヴィゼイションも聴ける。95年の次作には、ついにチベット仏教の僧侶との共演作をリリースすることになる。

 

733~David Moss,John King&Otomo Yoshihide:All At Once Any Time (Victo/1994)

90年代初頭の日本の即興界隈では、大きく地殻変動が起きていた時代だった。それは、所謂フリージャズ/フリー・ミュージックで聞かれるものとは大いに異なった感触を持った音楽達だった。その萌芽は70年代後半からジョン・ゾーンを代表とする者達によって始められ、主にNYCダウンタウン界隈で盛んに演奏されていた。従来のジャズを基調とするフリー・インプロヴィゼイションからも大きくズレを持ったものだった。それも80年代を通過する内に、益々多様化して行ったのだった。それまで排除されて当然と思われたビート感も強調すれば、甘味なメロディーすら厭わない。とは言え、それは切り刻まれ、攪拌され、木っ端微塵に砕かれ、瞬時に再度結合され、凄まじいスピードで放出される事が常だった。94年ヴィクトリアヴィルのフェスに登場した3人は、正に当時を代表する者達だ。90年を前後してシーンに頭角を現して来たターンテーブルズ&ギターの大友良英。後作曲家としてもユニークな存在となったギターのジョン・キング。パーカッションとヴォイスのデヴィッド・モスが、1分台からせいぜい6分台の演奏を繰り広げている。多分、編集が入っていると思われるが? マリリン・モンローの歌声が切り刻まれ、日本語の「ちょっと待て。」が、繰り返され言葉がリズムを生む。演奏の先が読めない苛立ちと快感を聴く者に与えてくれる。彼らの通過点を記録した一枚。

 

732~Nana Vasconcelos:Saudades (ECM/1979)

ナナ・ヴァスコンセロスは、1944年ブラジル東北部レシーフェ生まれのパーカッション奏者。各種打楽器の他、ビリンバウ、ヴォイスも。70年のガトー・バルビエリの欧州ツアーに参加後、パリに移住。サラヴァのピエール・バルーと出会い、ファースト・アルバム「Africadeus」をリリース。76年エグベルト・ジスモンチと出会い、ECMから「輝く水」をリリース。ジスモンチとはその後10年間共演を続けた。70年代後半はNYに活動拠点を移し、ドン・チェリー、コリン・ウォルコットとのCODONAを結成したり、パット・メセニー・グル-プに参加したりと活動の幅を大きく広げた。79年ECMに録音した本作は、ナナとストゥットガルト・ラジオ・シンフォニー・オーケストラとの共演盤。「Cego Aderaldo」だけは、エグベルト・ジスモンチの曲で、彼も共演をしているが、他4曲はナナの作曲。3分代から18分55秒の大作まで、ヨーロッパの大地にブラジルの熱い風が吹く。オーケストラの響きは正にヨーロッパのもので(特に弦の響き)、その上をまるで異質なナナのビリンバウをはじめとした打楽器が重なって行く。特にビリンバウが印象的で、1曲目は正に「ビリンバウ協奏曲」と言える。こんな音楽はこれだけだろう。打楽器もいいのだが、特に強く印象に残るのは、ナナのディレイを強くかけたあの独特なヴォイスの響きがオーケストラの上に乗るところ。洋の東西ならぬ、洋の南北が豊かにブレンドした傑作。オリジナルLPのジャケットは、布のような肌触りだった。どこのジャンルにも属さず、どこのジャンルにも入って行けて、大きな存在感を表せる者は彼以外思いつかない。2016年3月9日死去。

 

731~Alvin Lucier:I am sitting in the room (Lovely Music/1970)

Alvin Lucier/アルヴィン・ルシエは1931年生まれの作曲家。ロバート・アシュリー、デヴィッド・バーマン、ゴードン・ムンマ(マンマ?マッマ?)らと、ソニック・アート・ユニオンを組織し、アメリカの実験音楽の先駆的役割を担った。1969年に作曲された「I am sitting in the room」(このアルバムは70年に録音されているようだ。)は、彼の代表作とも言える当時では衝撃の作品だった。いや現代これを実演しても十分聴き手には衝撃を受けるには十分。パフォーマー(ここではルシエ自身)がテキストを朗読する。詩ではなくて、この作品のプロセスの解説のような文章だ。この朗読をテープレコーダーで録音する。再生された音も録音する。これを延々と繰り返すのだ。するとテキスト朗読の声はだんだんと形をとどめなくなって行く。次第には電子音楽作品でも聞いているような歪んだノイズの奔流と化す。これが40分間続く。この徐々に声、しまいにはノイズが変化して行く様を体験するという作品。異なった部屋(その空間の材質や形状は、自然共鳴周波数を持つ。)や、異なったマイクの特性等々の条件の違いで、異なった結果を聴かせる正に実験的な作品。

 

730~David Rosenboom:Brainwave Music (em Records/1971~2001)

David Rosenboom/デヴィッド・ローゼンブームは、1947年アイオワ州シェフィールド生まれの実験音楽の作曲家、パフォーマー、即興演奏も行う。現在カリフォルニア芸術学院の学部長を務めている。ブックラーのシンンセサイザーの開発には、彼の協力が大きい。このアルバムは、バイオフィードバックを用いた70年代の作品3曲と、2001年の作品1曲が収録されている。バイオフィードバックとは簡単に言えば、「ある機能を持ったシステムが目的のために動作を始めた時、そこで起こった反作用を取り込んで行くプロセス」とされ、元々は第二次大戦中のロケットの弾道研究から生み出されたもの。これを生体に持ち込んだのが、バイオフィードバック。と、これだけでは何のことやら分からない。60年代、自律神経系の反応を用いて音楽に応用しようとする者が現れた。最も早くからこれを利用して音楽を作ったのはアルヴィン・ルシエだった。65年ケージの援助の元、脳波を用いて打楽器を鳴らした「Music For Solo Performer」が初演された。さて、ローゼンブームの本作では、4人のパフォーマーから検出された脳波(この場合アルファー波)、皮膚電気反射、体温を音に変換した作品。ハーンバートとの共作で、ピアノの演奏を聞いて現れた脳波を用いて、68年チリの大干ばつについて書かれたテキストのテープの音量を操作するもの。ピアノと音声コラージュが重なる。次に最初期の作品で、短いピアノ曲を繰り返し演奏する内に起こるアルファ波を音に変換してピアノと混ぜたもの。確率論を元にコンピューター合成された電子音が、ランダムに発信される音を聴いている内に起った脳波をまたコンピューターに戻して合成する。そこから作られた電子音を五線譜に起こす。それをオーボエとヴァイオリンで電子音と共演。これでもなんのことやら分からいだろうが、CDを買えば詳しい解説が付いているので参照されたし。とにかくユニーク!

 

729~水琴窟 (ビクター/1987)

水琴窟とは、江戸時代の文化文政の頃(1800年頃)、江戸の庭師が考案したとされる造園技術のひとつとされている。縁先とかにある手水鉢の下に、底に小さな穴を開けたカメを伏せて埋める。人が手を洗うと水が落ち、落ちた水が、開けられた穴から水滴となってカメの中に落ちて行く。すると、カメの底に溜まった水に落ちた水滴の音は、カメの内部の響きと共に外に聞こえてくる。その音が、琴を弾いているようにも聞こえたことから水琴窟と名付けられた。江戸末期、明治、大正、昭和初期までは、日本各地で作られていた。このCDで聴ける水琴窟の音は、まるで金属打楽器をよく響く小さな部屋で演奏しているかのように聴こえる。勿論決まったパターンは無く、不確定性の音楽でも聴いてるかのよう。電子音楽かと間違えそうにもなるくらいだ。サウンド・インスタレーションと呼べそうだし、これぞサウンド・アートとも言えよう。今と違って、物音も少ない江戸の昔には、これがどう聴こえていたのか。どう捉えていたのか。風鈴共々我々の先祖は「音楽」とか「演奏」とか言わずとも、こうした人口で作られた音の出る装置を考案し、それを家具のひとつとでも言えるような使い方をする。日常の中に、音を、それも人の意思でコントロールされない音を忍ばせる。これを粋と言わずして何と言う。水琴窟を、サウンド・アートと呼ぶのは容易いが、それだけでは江戸の庭師の粋や、これを家に設置した家人の粋は説明しきれまい。

 

728~武満徹:四季 (Deutsche Grammophon/1971,74)

1970年大阪の千里丘陵で万国博覧会が開催された。たくさんのパビリオンの中に鉄鋼館があった。そこには「スペース・シアター」と呼ばれた旧来のホールとは違う画期的な空間があった。千を超えるスピーカーで客席が取り囲まれていたりと、現在でも存在していない正に未来のホールがあった。そこではたくさんの現代音楽作品が演奏された。もちろん通常の演奏の概念やスケールを飛び越えた作品達だ。フランスの音響彫刻作家フランソワ・バッシェが、鉄鋼館の為に69年7月から10月まで大阪に滞在し、17個の音響彫刻を製作した。鉄鋼館で行われる現代音楽の為に、武満徹は、このバッシェの音響彫刻を使った曲の委嘱を受ける。そして作曲されたのが「四季」だ。ツトム・ヤマシタ、佐藤英彦、山口保範(現在は恭範)、ミカエル・ランタが演奏。図形楽譜と言葉によるインストラクションを使い演奏は即興的に行われている。使用する楽器はバッシェの音響彫刻と金属打楽器のみ。「ムナーリ・バイ・ムナーリ」は、イタリアのデザイナー、ブルーノ・ムナーリが武満の為に制作した本「Invisible Book」に基づいて作曲された。ランタと山口による様々な打楽器や胡弓や声(エコーマシンを通している)も使った演奏。通常の打楽器アンサンブルの演奏とは全く異なり、電子音楽でも聴いているような錯覚を覚える。「トゥワード」は、70年3月スペース・シアターで行われた山口浩一、山口保範、佐藤英彦、高橋諭によるバッシェの音響彫刻のみで演奏されたコンサートの録音を素材に、71年11月NHK電子音楽スタジオにて製作されたテープ音楽。リング変調器等を使って音を変えては編集を施している。とは言うものの音響彫刻を使ったコンサートだった痕跡は十分に残されている。現在バッシェの音響彫刻は、修復され展示されており、手続きを踏めば演奏も可能だ。

 

727~鈴木昭男:Odds and Ends (Horen/70年代~2001)

鈴木昭男は、1941年平壌生まれ。戦後愛知県小牧市に引き上げる。小さい頃より一般的な「音楽」よりは、外界の「音」に惹かれた。63年名古屋駅の階段で、ガラクタをぶち撒けたパフォーマンスから彼の歴史は始まった。60年代<なげかけ><たどり>の「Self-Study Event(自修イベント)」を開始。これは、様々な地形を訪ね「エコーポイント」を探るもの。70年エコー楽器「アナラポス」を代表とする数々の「音具」(創作楽器)を制作。武満徹の映画「愛の亡霊」のサウンドトラックにアナラポスで参加している。70年代後半から80年代にかけては、「コンセプチュアル・サウンドワーク」を。88年子午線上にある町京都府網野町で、左右両端に壁を作り、その中で一日中自然界の音に耳をすます「ひなたぼっこの空間」を行った。94年からはサウンド・インスタレーションを制作。96年、耳をすますのに適した場「エコーポイント」に、耳の形をした印を描く。その上に立って耳をすます「点音(おとだて)」を発表。このアルバムは、発表する予定もなく保管されていたテープから選ばれて2枚のCDに収録された70年のアナラポスの演奏から、2001年ベルリンを拠点に活動するEnsemble Zwischentoneの為に作られた作品まで全11曲が収められている。自然の音に耳をすますと言った彼のイメージからは意外と思える作品もある。4台のラジカセにエンドレス・テープをセットし、順に録音・再生を繰り返す「かのように」や、8本の巻いた紙の筒にワイヤーレス・マイクを2個忍ばせ、2台のFMラジオでハウリングを受信する「ハウリング・オブジェ」。「皿まわし」は、何枚かのダイレクト・カットしたレコードをポータブル・プレーヤーに掛けて、同じ音の箇所を目指して針を置く行為をくり返す。演奏して人に聴かせるのではなく、「聴く」事に重きを置いた作品ばかり。

 

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