1987年5月27日の第1回目をスタートに世田谷区経堂にあった「Galerie de Café 伝」を舞台に、写真家の桑原敏郎の主催による高木元輝のソロを基本にしたライヴが第1期、2期に分けられて1999年7月まで行われた。
Nadja 21/キングインターナショナルによって先に高木のソロだけを集めた(一部、杉本拓gとのデュオも含まれる)『Love Dance』がCD5枚組のヴォリュームでリリースされ、我々高木ファンの度肝を抜いたのだった。これに続く 『Duo&Solo』は、高木元輝と吉沢元治による2枚と1989年8月23日に行われた吉沢のソロ1枚を加えた3枚組CDとしてリリースされた。
高木と吉沢は、60年代半ばから共演を重ねており、1968年に結成された吉沢元治トリオ(高木元輝、豊住芳三郎ds)こそが日本では初のフリージャズ・グループと言われている。その後も、高柳昌行や富樫雅彦を中心にしたグループで、高木や吉沢は共に演奏を重ねて行った。1969年のアルバム『深海』は、当時の二人のデュオを収録したアルバムとして特に重要だ。本作『Duo&Solo』は、『深海』以来の二人によるデュオの記録として貴重だ。「伝」での高木のライヴは基本的には高木のソロが基本としてスタートしたが、1回目のソロのライヴを客として聴いていた吉沢の「次、高木とやるよ。」の一言で2回目にして二人のデュオが久しぶりに実現したのだった。
『深海』から18年。二人の音楽はそれぞれ進化・深化して行き、それぞれ別の道を歩んでいた。さて、そんな二人はいかに同じ時間と空間を共有したか? 高木は、この時期70年前後のヨーロッパを震撼させたあの激烈な演奏から、元々高木の中にあった歌への回帰が顕著に見られた。吉沢は、どこかのサークルに属することなく無伴奏ソロを中心とした活動を行っており、世界中を眺めても突出した個性を見せていた。このアルバムでも聴けるように、ベースにアタッチメントを取付けエフェクターを通して変換・変調された音と生の音を変幻自在に混ぜ合わせながら、世界のどこを眺めても見当たらない個性的で独創的な音楽を創造し続けていた。このCDの3枚目の吉沢のソロは、この時期の無伴奏ソロがまとまって聴ける大変貴重な録音と言える。まさに名演!
そんな二人のデュオはどんな演奏になったのか。異なって少し離れて並行して建っている螺旋階段を二人が上っている最中、少し離れたり絡み合ったりをしながら時間と空間を共有している。長い演奏の途中に高木の曲<ストーン・ブルース>の他<アリラン>、<家路>、<バラ色の人生>といったメロディーが浮かんでは消えを繰り返す。高木のサックスの音色の美しさは特筆ものだ。吉沢が加わることで演奏の空間をぐっと広げ、演奏の密度を一気に濃密にしている。吉沢のベースの演奏は過激でもあるが、高木同様の「歌」を感じさせるものだ。実際吉沢は歌が好きだった。二人の共演はその後90年代に入って、豊住芳三郎を加えた吉沢トリオの復活ライヴや、崔善培tpを加えた吉沢、高木、豊住のカルテットが韓国で演奏をしたりと続いて行った。
さて、ここからは私と吉沢さん(ここからは、さん付けで)との関りを少し書いておこうと思います。
私が防府市内の新興住宅地の一角で喫茶店café Amoresを開店したのが1989年5月のこと。一年後から店内でライヴをやり始めました。当初は地元のジャズやクラシックのアマチュア・ミュージシャン達の演奏を提供していましたが、1992年に入ってからフリー・ジャズ、フリー・ミュージックのライヴも行うようになりました。最初は、学生の頃からの知り合いだった広瀬淳二さんを呼んではライヴをやっていましたが、ある日吉沢元治さんのマネージャーから電話が入りました。私は、広瀬さんの次は吉沢さんをなんとか防府に呼びたいと思っていたので、あちらからコンタクトを取って来られたことに驚いたものです。もっと驚いたのが、一緒に防府まで行くと言われたのが、なんとブッチ・モリス!
店内ライヴを始めた早々に吉沢元治&ブッチ・モリスのライヴを実現出来たのでした。この時の演奏の素晴らしさは、いまだに肌感覚のレベルで記憶に残っています。ブッチ・モリスの東京でのコンダクション公演と、私の船の仕事の事で上京する日がぴったり同じだったので、東京での2回目のコンダクションを見る事が出来ました。ブッチ・モリスさんと金大煥さんと、新宿の焼肉屋で昼間から焼肉を三人で食べたのはいい思い出です。モリス、吉沢&金トリオのライヴをやろうと金さんと二人で直談判するも、ブッチ・モリスさんは、コンダクションがメインになっていて、コルネットを吹いていないので、演奏するとなると練習しなきゃ。と、言っていました。と、言う訳で実現はしませんでした。
その後は、吉沢さんと金大煥さん、吉沢さんとバール・フィリップスさん、吉沢さんとエヴァン・パーカーさんらとのデュオや、吉沢さんのソロを。さらに吉沢さんの紹介でジン・ヒ・キムさん、ジョージ E.ルイスさんのライヴを防府で出来ました。
吉沢さんの紹介でデレク・ベイリーさんのライヴを防府でやろうとなりましたが、「ベイリーのギャラは高いから、俺がマネージャーとして付いて行くよ。演奏はしない。」と、吉沢さんから提案がありました。しかし、ベイリーの招聘先の人が「東京ではギャラが取れないから田舎でしっかり取ろう。」と言っていたのを吉沢さんが横で聞いて、吉沢さんらしく?一気に沸点に達したようで、「デレクのライヴは中止だ!」と電話して来られ、あえなく中止になってしまいました。こっちは、そんな事は百も承知で地方でライヴをやって来ているので、残念でした。
大阪で、白桃房の公演があり、吉沢さんと金さんが出演するというので大阪まで行きました。これにはもうひとつ理由があって、吉沢さんと小杉武久さんのライヴを防府でやろうと吉沢さんと計画し、そのために小杉さんに直談判するというものでした。しかし、小杉さんにはその気は無くライヴは流れてしまいましたが、その後の私と小杉さんとのお付き合いが始まり、昨年(2021年)、CD『小杉武久&高木元輝:薫的遊無有』に形となって残りました。
やっとここで、吉沢さんと高木さんが出て来ます。崔善培さんが、韓国に吉沢さんと高木さんと豊住芳三郎さんを呼んでカルテットで演奏しようと計画し、彼らを韓国に呼び寄せたのですが、私と私のカミさんも一緒に来て欲しいと言われるのでした。二つ返事でソウルまで行きました。ライヴの会場は大きなジャズクラブのJANUS。私一人でソウルに行ったときもJANUSには行きましたが、そのJANUSが移転して立派になっていて驚いたものです。とてもフリージャズが演奏できるような雰囲気ではありませんでしたが、そこは崔さんの顔なのでしょう。客席には姜泰煥さん、金大煥さん、朴在千さん他韓国オールスターといった面々が顔を揃えていましたが、反面客席はガヤガヤとあまり聴いている感じではありませんでした。
吉沢さんは、色々なライヴ録音をカセットテープで送って来られていました。「70年以前のはダメだけど、それ以降はどの録音を出しても文句は言わない。」と言っていましたが、それだけ自身の演奏に自信があったのでしょう。その中から選んでCD化できればと思っています。
Jazz Tokyo #2168レヴュー
藤井郷子は、2018年に「還暦を記念して」毎月新譜を12回に渡ってリリースし続けるという破天荒な企画を実行し、それを達成して見せた。単に12枚と言うが、実際の作業はそれはもう大変だ。このことはプロデュースする側なら強く実感できる。だが、その音楽を創造する側は、それをはるかに超えて大変。同じことを繰り返すのなら別だが、毎回違うアイデアや方向性を変える必要がある。それは単にネタが多ければいいというものではない。一つ一つが創造性が富み、尚且つ「藤井郷子」であらなければならい。本作は、その12枚が終わった後に制作された1枚なのだが、あれだけのリリースの後に、まだこれほどの作品を作り得るだけの能力を残しているとは驚きだ。それも、ソロ・ピアノなのだ。「もうこれ以上何が残されている?」の状況に、傑作をものにしたのだった。その内容とは?
ここでは全編通常のピアノの奏法による演奏はほとんど聴かれない。内部奏法や特殊奏法にほぼ特化した演奏が15編集められている。弦をはじく音、叩く音、かきむしるような音等々が続く。音像全体に残響が常に強く広く響き渡っている。特殊な演奏なのかもしれないが、これが妙に私には心地よいのだ。靄のかかった広い土地をずっと眺め続けている感覚を持ったのだった。映像的な音とも言えよう。もっと言えば彼岸から聴こえて来るような深遠な音。藤井に、聴力を失った祖母が「今まで聞いたこともないような美しい音楽が聞こえる。」と話してくれたことがあったそうだ。そんな言葉を信じることが出来る音楽がここにあるのかもしれない。
近藤直司は、1962年生まれのテナー&バリトン・サックス奏者。のなか悟空&人間国宝というバンドや数々のセッションで野蛮?でエネルギー溢れる演奏をしている人だが、本業は精神科医で大学教授というのだから面白い。永田利樹は、1959年生まれのベーシスト、作曲家。早坂紗知、林栄一、板橋文夫、山下洋輔、ワダダ・レオ・スミスらとの共演歴がある。瀬尾高志は、1979年生まれのベーシスト。ガット弦を使用し、太くて豊かな音が特徴。板橋文夫、Simon Nabatov、石田幹雄といったジャズのみならず、カルメン・マキ、デーモン閣下、一噌結幸弘等々と共演の幅も広い。本作は、2015年吉祥寺になったSound café Dzumiにおけるライヴを収録したLP。シドニー・ベシェの「Petite Fleur」、近藤直司のバリトン・サックスによる無伴奏ソロで演奏した「Lonely Woman」、ドン・チェリーのアルバム・タイトルにもなっている曲「Desireless」の他、4曲のFree Improvisationが収録されている。二人のベーシストによる演奏は、技巧とアイデアを屈指して正面からぶつかり合うような迫力があるが、ここに近藤のバリトン・サックスが加わるとより熱く分厚い演奏となる。ベースが2本、そしてバリトン・サックスという低音楽器ばかりが集まったトリオ演奏は、聴いていてずしりと腹に来る濃い演奏だ。永田と瀬尾のベースの演奏の個性の違いを聴く楽しみも大きい。近藤の演奏も強力無比だ。
Tom Wheatley/トム・ウィートリーは、ロンドンを拠点に活動しているベーシスト。2018年収録の本作は、ベース・ソロ・アルバムのLPだ。A面は20分12秒の1曲のみ。最初はレコード盤に傷が入っていて針飛びでもしているのか?と、勘違いしてしまったような短いパッセージを執拗に繰り返すところが有ったり、アルコで低音を響かせての轟音を立てたりと20分を飽きさせない。B面は、3曲に分かれており、それぞれ選ぶ音を特化して特徴を付けている。総じてノイジーな演奏で、Peter KowaldやBarry Guyの演奏を想起させるところがある。彼が参加したアルバムは、「Yoni Silver(b-cl),Mark Sanders(ds),TomWheatley(b):
NAX/XUS」(Confront)や「John Edwards(b)&Tom Wheatley(b):
Yoke Ⅱ」等がリリースされている。まだアルバムは少ないが、共演歴は
多彩で、Billy Steiger(vln)、 UteKanngiesser(cello),ElvinBrandhi
(electronics)、 Jim White(ds)、Yoni Silver(b-cl)、John Edwards(b)、Terry Day(perc)、John Russell(g)、Ken Ikeda(electronics)、
Sue Lynch(ts)、Grundik Kassyansky(electronics)、Kay Grant(voice)、Adrian Northover(electoronics)、SteveNoble(ds)、Caroline Kraabel(as)、Dawid Frydryk(tp)、Eddie Prevost(perc)、Audrey Laure
(as)、Guillaume Viltard(b)、SeymourWright(as)DanielBlumberg
(g,vo)、Hannah Marshall(cello)、Li-Chin Li(sheng)等々のベテランも含めた世代も超えた共演を重ねている。エレクトロニクスとの共演も多い。
また、アーティストとのコラボレーションも多く、それらはYouTubeでも見る事が出来る。他には「Paulo Alexandre Jorge ImprobableTrio:
Elements」(creative Souces)、「The Dime :The Dime Notes/
London」(Fremeaux&Associes)の「DanielBlumberg&Hebronix:LIV」(Mute Artists Ltd)のようなロック・アルバムでもTom Wheatleyの演奏を聴くことが出来る。また、マシーン・ベースを演奏した収録時間が600分と900分に渡る録音をカセットテープでリリースもしている。
「即興ベーシスト」で終わらない幅の広い活動をしているようだ。
Sverdrup Balance(風成循環~風の応力によって駆動される大洋の水平方向の流れ)という名前の付いたバンドによる2018年ブリュッセルでのライヴ録音。アルバム・タイトルの「Isla Decpcion」とは、南極海のサウス・シェトランド諸島にある19世紀から、航海の避難場所となっている火山島。温泉が出たりペンギンの繁殖地として有名。Sverdrup Balanceは、LawrenceCasserley
(electronics)、三浦陽子(p)、Jean-Michel Van Schouwburg(voice)
の3人によるグループ。カサリーは、60年代後半から電子音響関係では中心的な存在で、電子機器自身による音響の発生ではなくて、他のミュージシャン達が発する音のみを処理するSignal processing instrumentを開発・使用している。1995年以降インプロヴァイザー達と積極的に活動を始めた。三浦陽子は、東京生まれのピアニストで、海外での活動が多く、リーダー作も多い。Jean-Michel Van Schouwburgは、1955年ベルギー生まれのヴォイスパフォーマー。色々な楽器を演奏していたが、1996年以降は、ヴォイスに専念している。男声のヴォイスは少ない中、重要な位置を占める。音楽評論家としてもすぐれたレヴューを書いている。さて、2018年ブリュッセルでのライヴ録音の本作は、この3人の素晴らしい演奏が聴ける傑作だ。お互いが反応し合って音響を作り上げると言うよりも、「風成循環」のバンド名が示すように、各人が音響の流れ(Stream)を読みながら操船をする操舵士となる。全体の状況を読みながら自らの発する音を、流れに寄り添うように、または反発するようにピアノやヴォイスを発して行く。カサリーは、二人の発する音を取り込み瞬時に処理し空間に配置して行く。今、どの音に反応して処理したのかを探るのも面白い。現代の即興演奏の見本のような演奏だ。
クリストフ・ガリオは、1957年スイス、チューリッヒ生まれのサクソフォン奏者、作曲家。自身のレーベルPercasoを主宰し、多くのCDをリリースしている。Unit Records,Atavistic,AylerRecords等々からのリリースもある。1988年から「Day&Taxi」と言うサックス、ベース、ドラムスによるトリオを結成し存続している。メンバー・チェンジはあったが、現在でも続く長寿ユニットだ。この最新作は、ガリオ(as,C-Melody sax)の他、Silvan Jeger(b,voice)、DavidMeier(ds)。彼らの前作は2枚組の大作だった。今回は22曲入りのアルバムで、短い曲は36秒で、5分から8分の曲の合間に間奏のような形で三分の一くらい挟まっている。アルバム・タイトルが「Way」となっているが、散歩中、または長い人生の道程には、大小様々な事が起こると暗示しているのだろうか。演奏もスピードアップしたものは無く、ときに早足、ときにゆっくりと変化をつけている。フリー・ジャズとインプロの間を行くような演奏で、その振幅が面白い。色々な局面が現れる。作曲と即興のバランスがうまい具合にとれている。その塩梅のよさは注目すべき。
Ivo Perelman/イヴォ・ペレルマンは、1961年ブラジル、サンパウロ生まれのテナー・サックス奏者、また画家でもあり、展覧会での展示やCDのカヴァーアートでもたくさん見る事が出来る。テナーサックスを手に取る前は、チェロ、クラリネット、トロンボーン、ギターを演奏していた。1986年ボストンに移りバークリー音楽院に入るも1年で離れ、ロサンジェルスに移った。そこで毎月ジャムセッションに参加する事で、次第にフリー・インプロヴィゼイションを身に付けて行ったが、本格的にやるには、とNYに移住。その後は、ドミニク・デュヴァル、ウィリアム・パーカー、アンドリュー・シリル、ラシード・アリ、レジー・ワークマン、フレッド・ホプキンス、ジョー・モリス、マシュー・シップ等々と共演を重ねて行く腕を磨いた。1960年生まれと同世代のマシュー・シップとは、現代も共演は続き、ペレルマン、シップにプラス、ドラマーやホーン奏者を加えて数多くのアルバムを制作している。ペレルマンの初リーダー作は、1989年録音の「Ivo」で、日本ではキング・レコードから発売されて、私も出てすぐに買ったものだ。アイアートやフローラ・プリムらも参加した、ブラジル色の強い作品だったが、力強いテナーサックスの音には大器を感じたものだった。数作ブラジル色のあるアルバムが続いたが、1996年の「Cama De Terra」は、マシュー・シップとウィリアム・パーカーとのトリオ・アルバムで本領発揮と言ったところだった。その後はシップとのコラボレーションは現代まで続き、本作のようなデュオ・アルバムも多い。二人とも、無限に音楽が湧き出て来るかのようで、丁々発止とはこの事。
.esは、「ドット・エス」と読む。これは、スペインのインターネット・ドメインの.esから来ているそうだ。2009年10月頃、大阪市にある林聡主宰の現代美術画廊「ギャラリー・ノマル/Gallery Nomart」でのあるライヴで共演したピアニスト、SARAと橋本孝之(as、g、ハーモニカ)が、.esを結成。ギャラリー・ノマルを拠点にリハーサルを重ね、ライヴを行って行った。ファースト・アルバムは、P.S.F.RecordsよりリリースされたCD「VOID」。橋本は、アルト・サックスの他、ギターとハーモニカを演奏する。まるで阿部薫ではないか。事実、橋本は、阿部薫には相当影響を受けていようだ。勿論単なるイミテーターではない。阿部薫の情念は、どろどろの艶歌の世界のように自己の奥深くに沈殿して行くが、橋本にはそれは感じられない。もっと外の世界に向けて音を放射する。本作は、2015年滋賀県の酒游館で行われた.esのライヴを収録したアルバム。橋本は、ここではアルトサックス、サックスのマウスピースを装着した尺八、ハーモニカを演奏している。SARAはピアノを。SARAの内部奏法を含めたピアノの響きは、FREE JAZZのそれではない。橋本のサックスの演奏も、阿部薫一派と言ってしまいそうになるが、もっとクールに整理された感覚から音は出されている。Free Jazzとも現代音楽とも言えない独特な感覚が新鮮だ。ここからは、音楽の新たな地平が見える。彼らは、拠点が現代美術の画廊であり、各地の美術館での演奏が多い事もからも、スタンスの違いが見て取れる。橋本は、サックス・ソロ、ハーモニカ・ソロのCDをリリースしている。.esとノイズとの共演や、現代アーティストとの共作アルバムも多い。だが、残念なことに2021年5月10日に病魔に勝てず亡くなった。
Mopomosoは、1991年John Russell(g)とChris Burn(p)によって創設された。あらゆる形態の即興音楽に演奏する場を与え、現在も継続を続けている世界中を見ても、最も長い歴史を持つ組織だろう。若手からベテランまで、相当数のミュージシャンが関わって来た。17年間毎月、ロンドンのレッド・ローズ・コメディ・シアターでコンサートを開催し続けて来たが、2008年2月からは、ロンドンのVortexに舞台を移動している。参加したミュージシャンの名前を書いて行くと、それだけで原稿がいっぱいになるどころか足りないくらいだ。我々日本人でもよく知る者から、名前すら知らないようなミュージシャンまで出演しており、私がロンドンに住んでいたら・・と、つくづく残念に思うし、羨ましくもある。その中心に存在するのがジョン・ラッセルなのだが、彼の存在は、もっと知られてもよいと思う。一ギタリストを超えた重要な存在なのだ。さて、このアルバムだが、Mopomosoの2013年4月23日~30日にかけて行われた21周年記念のコンサート・ツアーからの録音を選び、4枚のCDに収録しブックレットを付けたBOXセット。この時点で5年間続いていたKay Grant(voice)&Alex Ward(cl)のデュオ。ヴォイスとクラリネットの変幻自在の変化が楽しい7曲。Alison Blunt(vln)、Benedict Taylor(viola)、David Leahy(b)による弦楽器だけのトリオが8曲。「これが即興か?」と思えるほど音の構築感が凄い。Companyにも参加しているピアニストPat Thomasのソロは、重厚でスピード感のある畳みかける演奏から、細かい響きにも注意を向けた演奏まで幅が広い。Evan Parker(sax)、John Russell(g)、John Edwards(b)の演奏は、「イギリスの即興」で思い浮かべる正にあの音だ。ツアーでは、Keith Tippett(p)は、ブリストルのみの参加で、CDには含まれていないのが残念。
喜多直毅は、1972年盛岡生まれのヴァイオリン奏者。国立音楽大学在学中より、タンゴ・オルケスタで演奏をしている。卒業後はリヴァプール・インスティテュート・フォー・パフォーマンス・アーツで作編曲とジャズ理論を学ぶ。1997年ブエノスアイレスに4か月間滞在し、フェルナンド・スアレス・パスにタンゴ奏法を学ぶ。帰国後2000年からTangophobicsを結成し活動を始めた。2018年には、久田舜一郎(小鼓、声)、大島輝久(謡)、角正之(dance)とで、能楽「葵上」を上演し、好評を博す。Sebastian Gramss(b)、Halard Kimmig(vln)、斎藤徹(b)とのユニット「OFF/STRING」での公演。さがゆき、翠川敬基との「ファド化計画」、黒田京子とのデュオ等々、活動の幅が大変広い。2011年には、初の単身ヨーロッパツアーを敢行。斎藤徹の紹介で、Frederic Blondyと出会い、パリのサンメリ教会で、即興のデュオ演奏の収録となった。フレデリック・ブロンディは、1973年ボルドー生まれで喜多とは全くの同世代のミュージシャン。ボルドー大学では、数学と物理学を学び、ボルドー国立音楽院で、ピアノと音楽理論、作曲を学んでいる。来日経験もある、即興の世界ではピアノのニュースターの一人。この二人の教会の中での録音は、天上の高い空間が感じられる高音質で収録されており、二人の発する豊かな倍音が心地よく響く。喜多のヴァイオリンは、クラシックのそれではなくて、ノイズ成分も適度に混ざった音で、時にギシギシと音を立てるところもある。ブロンディの演奏は、内部奏法も多用した演奏で、ヴァイオリンと打楽器のデュオのような部分も多い。全体的に静寂が支配する厳しい響きを持った好演奏となっている。
Nicolas Letman-Burtinovic/ニコラス・レットマン・バーティノヴィックは、フランス、ノルマンディー生まれのベース奏者。1998年に渡米し、その後はニューヨークをベースにして演奏に作曲に活躍を続けている。アーチー・シェップ・バンドのレギュラー・ベーシストも務め、ケン・マキンタイアに師事し、ギレルモ・グレゴリオ、ユセフ・ラティフ、オデアン・ポープらとも共演を重ねて来た。演奏だけではなくて、同時に5つのライヴのシリーズを持つ等の活動も活発に行っている。彼が率いるグループの一つがVOX SYNDROMEだ。ニコラス(b)、Robin Verheyen
(ts,ss)、Akira Ishiguro(el-g,classical-g)、Ziv Ravitz(ds)、
Nick Anderson(ds)によるベースレスで、2ドラムスの変則的なアンサンブルが、ニコラスの曲を演奏する。短いものは、22秒から、長くても7分台の曲が21曲並んでいる。短い曲の中でも瞬時に展開が変わる。リズムの構造を注視しているようで、複雑に変化していく展開に、聴く方も耳が離せなくなって来る。一度、ニコラスがコルトレーンの演奏についてのレクチャーをしてくれたことがあった。後期コルトレーンは、フリージャズを演奏していると思われているが、彼によると、ちゃんとコルトレーンの音を採譜してみると、その構造が見えて来て、決してフリーな演奏をしていたのではないことが分かると言うものだった。野放図な演奏とは一線を画すということだ。このように彼は音楽を理論的に考え、演奏のテクニックも重視している姿勢を窺わせた。このアルバムからも、それを見て取れるだろう。
Christoph Schiller/クリストフ・シラーは、1963年シュトゥットガルト生まれのピアノ、スピネット、ヴォイス。シュトゥットガルトとハンブルクで美術を学んだ後、バーゼルでピアノと音楽理論を学んだ。1987年以降、即興演奏のコンサート活動を開始。
Birgit Ulher/ビルギット・ウルハーは、1961年ニュルンベルク生まれのトランペット奏者。ウルハーも最初はヴィジュアル・アートを学んでいる。2006年より、トランペットの他、ラジオ、スピーカー等を演奏に組み込んだ演奏を今日まで行っている。ダンサーとの共演も多い。フェスティヴァル「Real Time Music Meeting」を10年以上に渡って主催している。本作は、2010年ハンブルクで収録されたデュオ・アルバム。シラーは、ここではピアノではなくて、スピネットを演奏している。スピネットは、チェンバロを小型化したピアノ以前から存在する古楽器。鳥の爪で弦をはじく構造なので、早いパッセージは不可能だし、音量も小さい。通常の即興演奏に使うには他の楽器とのバランスが取れないが、ここで演奏されているような、小音量でセンシティヴな表現には似合っている。パワー系のフリー・ジャズ/インプロヴィゼイションでは到底考えられない、細やかな響きに耳が集中する。とは言え、スピネットはプリペアードされており、ノイズを発するし、ウルハーのトランペットも、通常聴けるトランペットの開放的な音は皆無。ラジオのノイズとブレンドされた奇妙な音が楽しい。
「I treni inerti」は、Ruth Barberan/ルース・バーベランとAlfred Costa Monterio /アルフレッド・コスタ・モンテリオのユニット。バーベランは、1966年バルセロナ生まれのトランペット奏者。コスタ・モンテリオは、1964年ポルトガル生まれのアコーディオン奏者。1992年にバルセロナに移住し、1995年から即興演奏を始めている。ヴィジュアル・アートとの共演が多いようだ。本作をリリースしたFlexion Recordsは、Jonas Kocherが主宰するスイスのレーベルで、2011年から16年にかけて多くのCDをリリースして来た。環境音を含んだ楽器の演奏に的を絞った誠にユニークな作品を制作していた。本作も、そうした1枚で、2010年9月29日の夜、3時から5時の間、sant vicenc de calders駅近くのオリーヴ園で収録されている。その間2台の貨物列車が通過しているが、その音も収録されている。トランペットもアコーディオンも、静かな環境を邪魔しないように、トランペットもアコーディオンも、ほぼロングトーンを使って、あえて強い表現を避けている。そんな中に、貨物列車が通過して行く音が時々重なる。こうした演奏が、日本の鹿威しや水琴窟とリンクするのか否か。日本人とその他の人々の右脳左脳の働きが異なるという説があるが、このような録音を聴く時も当然違って聴いているのだろうが、さてどうどらえて、感じているのだろうか? ジャケットは、サンドペーパーで作られて、中にCDとフォトカードが封入されている凝りようだ。
ポーランド南部の古都Krakow/クラクフでは、毎年、Krakow Jazz Autumn Festivalが開催される。ポーランド内外のバンド、グループ、オーケストラが集まり盛大に催されている。日本のピアニスト藤井郷子はフェスティバルの常連だ。彼女が出演することでも分かるだろうが、フリー・ジャズにも大きく門戸が開かれている。どこかに国の保守的なジャズ・フェスとは一線を画す。2010年の第5回目には、バリー・ガイ率いるニュー・オーケストラが出演した。11月16日から19日にかけての演奏が収録されている。4日間も同じオーケストラが演奏したのではなくて、このオーケストラを構成するメンバーが、ソロからデュオ、トリオを中心に、多くて8名のアンサンブルまでを組んで演奏したものが、5枚のCDに分けられて収録されているユニークな企画だ。ソロは、Agusti Fernandez(p)と、Mats Gustafsson(bs)のみ。デュオは、Fernandez(p)
&Guy(b)、TrevorWatts(as)&Johannes Bauer(tb)、Fernandez(p)
&Gustafsson(bs)、Evan Parker(ts)&Paul Lytton(perc) 、Maya Homburger(baroque vln)&Guy(b)。トリオは、Evan Parker,Barry Guy&Paul Lyttonのレギュラー・トリオが、ディスク2を全部占めている他は、Johannes Bauer(tb),Per-Ake Holmlander(tuba)&Hans Koch(ts,ss,cl)、TARFALA TRIO~Gustafsson,Guy&Raymond Strid
(ds)、Watts,Guy&Strid、Watts,Herb Robertson(tp)&Kochが聴ける。そしてEvan Parker TrioにFernandezが加わったカルテット。Fernandez,Bauer,Strid,Watts,Robertson,Lytton,Holmlander,Gustafsson8名のアンサンブルで、全部で5時間以上の演奏を聴く事が出来る。
全員が、無伴奏ソロでも十分聴かせる実力を持った者達ばかりが集結するのが、即興オーケストラの強みなのだ。だからこそ、こうした企画も成り立つ。また、こんな企画を立案実行するフェスティヴァルサイドも素晴らしい。また、これだけの個性をまとめあげる事の出来るリーダー、バリー・ガイがいるからこその企画でもある。これだけ聴くと、どうしてもオーケストラの演奏も聴きたくなるが、それは、このアルバムの翌年にリリースされている。
1990年代までは、即興音楽を演奏し、またはその聴衆は欧米と日本くらいという地球規模で眺めれば、狭い世界で生息している感じだった。そんな状況だが、80年代には、韓国からは姜泰煥、金大煥、崔善培、朴在千らが現れ、実は旧ソ連には濃密な即興のシーンが存在していたと言う情報が我々にも届き出していた。90年代には彼等の来日公演も頻繁に行われて行った。だが、ここで紹介する中近東にも即興演奏のシーンが存在しているとは想像すらしていなかった。極東の島国への情報の伝達はそんなものだ。まだまだ知らない事だらけと思っていて正解だ。ここで紹介するアルバムは、レバノン人3人による即興演奏なのだが、初めて聴いた時は衝撃だった。”A”Trioメンバーは、Mazen Kerbaji(tp)、Sharif Sehnaoui(g)、Raed Yassin(b)の3人。共に1970年代にベイルートで生を受けた者達だ。Yassinは、ベースを演奏する他、ヴィジュアル・アーティストとしても同時に活躍をしている。KerbajとSehnaouiは、2000年にIrtijalという即興のフェスティヴァルを毎年開催し、Al Maslakhというレーベルも立ち上げ、多くのCDのリリースを行っている。さて、本作だが、トランペットとアコースティック・ギターとベースによる、オーヴァーダビングも編集もされていない生の録音なのだが、曲によってはその3つの楽器が本当に演奏されているのかと疑ってしまう程のノイジーな演奏で。一体どのようにして、このような音を出しているのか演奏の現場を見てみたくなる。このような過激な表現を出来る者達が彼の地で活躍していると考えれば、世界中には驚くようなミュージシャンがもっともっと存在しているのだろう。
Andrea Neumann/アンドレア・ノイマンは、1968年ドイツ、フライブルク生まれ。ベルリン芸術大学で、ピアノを学んだ。1995年以降はベルリンを拠点に活動を続けている。
ジーナ・パーキンスの演奏するプリペアード・ハープに触発されて、ピアノの鍵盤を取り除いた響板と弦だけの「インサイド・ピアノ」をデザインし、ピアノメーカーのBernd Bittmann
がノイマンの為に制作した楽器?を演奏している。フォーク、カミソリの刃、ポテトマッシャー、ミキサー等々の台所用品や日用雑貨、様々なバチ、ヴァイオリンの弓、そして自分の指等々を使って、はじいたり、こすったり、叩いたりして演奏をする。発せられた音は、コンタクトマイク、ギター用ピックアップで拾われ増幅される。所謂プリペアード・ピアノとは違い、鍵盤が存在しないので、ピアノの内部奏法だけで演奏していると思えばよい。だが、コンタクトマイクで増幅された音は、通常の内部奏法で聴こえて来る音響とは、少々違って、空気感、空間の感触があまり感じられない、素の音が大きくなって聞こえて来る感じだ。
広瀬淳二の制作したセルフメイド・サウンド・インストゥルメントと同じ音の感触がある。正に、むき出しの音。だが、こちらは、ピアノの響板はそのままなので、その響きは大きく音に影響している。さて、本作は、EP盤くらいのサイズの折りたたまれた紙に付けられたCDという凝った体裁をしている。ノイマンのインサイド・ピアノとミキシング・デスクによる30分弱のソロが1曲だけ収録されている。静寂が支配する中を、インサイド・ピアノから発せられた音達が、ギギ、ギューン、ゴンっとゆったりとした間隔を持って立ち上がって来るユニークな演奏だ。
Sophie Agnel/ソフィー・アニェルは、フランスのピアニスト。本作は、パリ近郊のMont-euilのLes Instants Chaviresで収録されたライヴ録音。全3曲、無編集で収録されている。
全編に渡って、プリペアード・ピアノによるノイズの奔流に驚かされる。紙コップ、灰皿、飛び跳ねるボール、釣り糸等を使って、ピアノをプリペアード・ピアノに「変換」している。プリペアード・ピアノと聞くと、ジョン・ケージの作曲した曲が思い浮かぶと思う。しかし、ここで聴ける演奏には、沈黙は存在しない。終始ノイズが渦巻いている過激な音響に包まれるのだ。通常のピアノの音は、滅多に鳴ってはくれない。ジャズ・ピアノ(フリー・ジャズ・ピアノといえども)流の突っ走って行くような爽快な演奏も、ここでは聴けない。だが、ピアノの響きを活かした、だが刺激音に包まれたノイジーな音響が、勢いを持って次々に交錯するように現れる。違った意味で、誠に爽快な演奏なのだ。演奏にスピード感があるので、所謂現代音楽とは違ったピアノ音楽になっている。それにしても、トータル50分の間、演奏が一瞬たりとも淀む事が無いのだ。一体、今どうなっているのか想像しながら聴くのも面白いだろう。息つく間もない50分! この演奏を目の前にした当日の聴衆も、さぞかし驚いたことだろう。現場に立ち会うことが出来た者が、羨ましい。
Peter Evans/ピーター・エヴァンスは、1981年シカゴ生まれのトランペット奏者、作曲家。オハイオのオバーリン・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージックで、クラシックとジャズを学んでいる。当時は、マーラー、ベートーヴェン、バッハ、ショスタコーヴィチ、コルトレーン、ブラクストン、E・パーカー、現代音楽、電子音楽に夢中になっていたようだ。それと同時に、自分の音楽を模索していた。2003年以降は、ニューヨークを拠点に活躍を続けている。自己のグループ、アンサンブルでの演奏から、他のグループへの参加も含めて、数多くのステージや録音をこなしている。音楽学校に在籍中から、ソロ・トランペットの演奏を始めていた。トランペット・ソロは、「自分の発展や成長を試す鏡」と捉えている。本作は、ソロ・トランペットを収録した2枚組CD。CD-1は、ブルックリンのスタジオでの収録。1曲3分から18分の7曲が収められている。CD-2は、ブルックリンのI-Beamにおけるライヴから6曲を収録。マイクにベルを近づけての録音で、トランペットから出される極微細な音響も含め、誠に多彩な音を組み合わせて演奏を構築してみせる。正に、驚異の演奏が聴ける。技術が技術に奉仕しているだけの冷たい演奏に非ず。音ひとつひとつ、またはその集合体の強度とスピードがとても強く早い! 私自身がこれまで聴いて来たソロ・トランペットの概念を覆されたほどだ。現代最高のトランペット奏者の一人。
ヘンリー・グライムスは、ESPにリーダー作「The Call」が有るように、60年代のフリー・ジャズ・ムーヴメントを駆け抜けたベーシストとして著名だが、50年代半ばにはすでにジャズ・ベーシストとして大活躍をしていたのだった。ベニー・グッドマン、ジェリー・マリガン、リー・コニッツ、レニー・トリスターノ、ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンク等々そうそうたるジャズ・ジャイアント達と共演を重ねて来たのだった。映画「真夏の夜のジャズ」でも演奏する姿を見ることが出来る。60年代のフリー・ジャズ・ムーブメントに参加してからも、セシル・テイラー、アルバート・アイラー、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、ドン・チェリー、スティーヴ・レイシー、ビル・ディクソンらと共演を重ね、その重鎮ぶりが窺える。だが、69年西海岸に移ってからは、ぷっつりと音信が途絶え、いつの間にか死亡説が流れるようになった。2002年、ジャズファンのソーシャルワーカー、マーシャル・マロットにより貧困の中“発見”された。そのニュースは、ジャズ界を一気に飛び回った。グライムスへの支援の輪が広がり、その中からベーシスト、ウィリアム・パーカーが、楽器を持たぬグライムスにベースを贈ったのだった。その後は、セシル・テイラーを始め名だたるミュージシャン達との共演が始まった。CDも続々リリースされたのだが、ここで紹介するのは、2008年に収録されたベースとヴァイオリンによる無伴奏ソロ、それもノンストップの76分47秒と、77分08秒の2曲だけの、CD2枚組というスーパー・ヘヴィー級のアルバムだ。2020年COVID-19の犠牲になって亡くなってしまった。
内橋和久は、1959年生まれのギターリスト、ダクソフォン(親友だったハンス・ライヒェルが創作したユニークな楽器)の日本では唯一の演奏家、作曲家、編曲家、プロデューサーとして八面六臂の活躍だ。1983年頃から即興演奏を中心とした演奏活動を開始。アルタードステイツ、ファンタズマゴリアでの活動は特に重要。彼のギターは、所謂ギター・サウンドからも遠く離れたような音にもなるが、多種多彩な音響を絡ませてはギターの音を変容させて、ギターの概念を遠くに追いやってくれる。それでもギターであることへのこだわりのある演奏を行っている。そこがいいのだ。劇団維新派の音楽監督は20年以上に渡る。彼は、1996年から毎年「フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンス」と言う、内外から先鋭的なミュージシャンやグループを終結させたフェスティヴァルを主催・運営を続けて来た。また、大阪のフェスティヴァルゲート内にオルタナティヴスペース「BRIDGE」を運営していた。本作は、そのBRIDGEで行われた「二人会」での演奏を収録したライヴ・アルバムだ。内橋の相手は、内橋より21歳年上で、現代音楽の巨匠、高橋悠治だ。ここで高橋は、ピアノとラップトップコンピューターを使って、内橋のエレクトリック&アコースティック・ギターとの即興演奏を繰り広げている。二人の音の紡ぎ合いは、見た目以上のスピード感がある。音を紡ぐと言うよりも、丁々発止の音のせめぎ合いが続く。聴く方も、一瞬たりとも気を抜けない厳しさだ。臨場感溢れる音像が素晴らしい録音だ。「U9」とは、悠治の「悠」と和久の「久」を合わせたものらしいが・・?
富樫雅彦の枕元には、足を外したRoland HP-900Lというエレクトリック・ピアノが置いてあった。楽想が思い浮かんだらこれを弾いていた。佐藤允彦は、ほぼ一ヶ月に一回は富樫宅を訪れては、富樫の作った曲を、ピアニストとして指定されたテンポで弾くという事を続けていたそうだ。富樫はこれを録音して繰り返し聴いて、この録音を「原曲」と呼んでいた。これまで佐藤は「Plays 富樫雅彦」を3枚リリースしていた。そこでも、フェンダー・ローズで演奏したのもあったが、富樫は「うん、いいね。」とは言うものの「原曲」とは違うと納得はしていなかったそうだ。そこで、佐藤は、富樫家からRolandHP-900Lを持ち出し、鍵盤のアクションを修理・調整し、スタジオに持ち込んで演奏し、録音した。こうして、富樫家での「原曲」を再現した。富樫研究の為にも最適のマテリアルと成り得る。これまでの録音でも聴ける曲も含まれているが、ローランドのエレクトリック・ピアノでのソロなので、相当印象は違う。歌詞を付ければ歌になるような、口ずさめるメロディーが多い。富樫は、「フリー・ジャズ」と思われているし、実際そうなのだが、彼の作る曲は優雅で、かわいらしかったりする。曲が終わると「この後はド・フリーにやれ」と指示されたと佐藤允彦のインタヴューを読んだことがある。曲とのコントラストを大きくつけたかったのだろうか。12曲中5曲はアコースティック・ピアノでの演奏。
これは、4人のAACMのミュージシャンから成るユニット「Frequency」による2006年にリリースされたアルバムだ。Edward Wilkersonは、1953年インディアナ州テレフォート生まれのテナー・サックス、クラリネット奏者。8 Bold SoulsやShadow Vignettesといったアンサンブルのリーダーとしてもよく知られている。元AACM会長。Nicole Mitchell
は、1967年シラキュース生まれのフルート奏者。カリフォルニア大学等で学んだ後の、1990年にシカゴに移住し、路上パフォーマンスをしながら、黒人文化の出版社、サードワールドプレス社に勤務していた。AACM参加。後、AACMの会長にもなった。1995年以降はHamid Drake(ds)との共演が長く続いている。作曲にも長けておりブラック・アース・アンサンブルを率いて、アルバムも多い。Harrison Bankheadは、1955年ウォーキーガン生まれのベース奏者。AACMのメンバー。Fred Anderson(ts)との共演歴が長い。オリヴァー・レイク、ロスコー・ミチェル、ヴォン・フリーマンらとの共演も多い。ウィルカーソンの8 Bold Soulsのメンバーでもある。Avreeayl Raは、1947年シカゴ生まれ。彼もAACMのメンバーだ。1984年~88年の間は、Sun Ra Arkestraのメンバーだった。ニコール・ミッチェルのブラック・アース・アンサンブルのメンバーでもある。生粋のAACMミュージシャン、それも元会長が二人も参加したカルテットが悪かろうはずはない。AACMミュージシャンらしく、全員が一つの楽器に拘ることはない。ウッド・フルート、エジプトのハープ、ベル、カリンバ、ネイティヴ・アメリカンの笛も動員した演奏だが、演奏が散漫になることはない。ある意味安心して聴いていられる。でも、これは実力なくしてはあり得ない。ミッチェルのフルートはさすがの演奏。
Ellery Eskelin/エレリー・エスケリンは、1959年カンサス州ウィチタ生まれのテナー・サックス奏者。10歳からテナー・サックスを演奏し、彼のアイドルは、ジーン・アモンズ、ソニー・スティット、リー・コニッツ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンだった。1983年にN.Y.Cに進出。多くの作曲家、インプロヴァイザーと共演を重ねた。当時から、25枚を超えるアルバムをリリースしている。1994年に、Andrea Parkins/アンドレア・パーキンス(p,accordion,sampler)、Jim Black/ジム・ブラック(ds)とトリオを結成し、アルバムも多い。本作は2004年に、トリオ結成10周年を記念したアルバムで、中核をなす3人の他、Marc Ribot/マーク・リボー(g)、Melvin Gibbs/メルビン・ギブス(el-b)、Jessica Constable/ジェシカ・コンステイブル(voice)の3人が加わっている。トリオも通常のピアノではなくて、アコーディオンやエレクトロニクスも操るパーキンスと言うところもユニーク。ゲスト参加したギブスは、ロナルド・シャノン・ジャクソン・デコーディング・ソサエティやヴァーノン・リードと共演をしている重量級のエレクトリック・ベースだ。そこに個性派ギターリストのリボーに、コンステイブルのヴォイス(彼女とパーキンスは、デュオ・アルバム「The Skein」がある)と言う、聴く前は一体どんな演奏になるのか想像がつかないもの。エスケリンのサックスはジャズ臭漂う濃い味わいがある。そこに絡むのが主流から外れた者達と言うユニークなアルバムだ。
黒田京子は、1957年東京生まれのピアニスト。大学卒業後、1982年から2年間、高瀬アキに師事し、ジャズ・ピアノを学んだ。1984年から演奏活動を開始。新宿PIT INN朝の部に出演していた。「ORT」を主宰し、ブレヒト・ソングやカーラ・ブレイの曲を素材に、演劇やエレクトロニクスも含めた脱ジャンル的な活動を行っていた。同時に、「機械じかけのブレヒト」として、篠田昌巳(sax)、広瀬淳二(sax,etc)、大友良英(turntable,g,etc)とライヴ活動を行う。1990年以降は、坂田明(as)、斎藤徹(b)、早坂紗知(as)、酒井俊(vo)、カルメン・マキ(vo)などのバンドのメンバーとしても活動。坂田明(as)トリオのメンバーとして、およそ12年間に渡って恒常的に活動し、共演は現在も続いている。黒田が出演をしている大泉学園の「in F」では、翠川敬基(cello)と太田惠資(vln)とはよく共演を重ねていた。だが、この3人でのトリオは2003年4月23日のライヴが初めてだったようだ。その日は全編インプロヴィゼイションだった。2004年、in Fでの「2004黒田京子企画」として、このトリオをセッションではなく、ユニットとして出演することとなった。ジャズでは、ほぼ無いと言ってもよい「ピアノ三重奏」と言うことになる。ユニットとなった事で、「曲」もオリジナルも含めて演奏することになった。メンバーが各々書いた曲の他、ここではヒンデミットの「Hindehinde」の他、富樫雅彦の曲「Haze」、「Waltz Step」、「Valencia」が演奏されている。最後は、ブーラームスのピアノ三重奏曲第1番で締めくくられている。太田のフーメイあり、翠川得意の滑稽でひねった曲ありと、一気に楽しめるアルバム。ヴァイオリンは後に、喜多直毅に代わった。
Gendos(Gennadi)Chamzyry/ゲンドス・チャムジリンは、1965年旧ソ連、トゥヴァ共和国で生まれた。祖母がシャーマンの家系で育ち、彼も祖母の跡を継いでシャーマンとなった。サインホ・ナムチラクによるライナーノートによると、1983年に、サインホが夏季休暇でトゥヴァに帰省した時、初めてチャムジリンと出会ったようだ。その時すでに、チャムジリンはトウヴァの音楽を演奏する「Cheleesh(虹)」と言うグループのディレクターとして大変有名だった。彼もまたサインホと同じように、伝統音楽の世界から一歩踏み出すことで、西洋では前衛と呼ばれる世界に入って行った。彼は、Mergen MongushとVresh Milojanと三人で「Biosintes」を結成。FMPより、アルバム「First Take」がリリースされた。彼らは、ロシアやヨーロッパのアヴァンギャルド・ジャズを扱うフェスティヴァルに数多く出演した。アフリカン・アメリカンによるエネルギー・ミュージックとしての「フリー・ジャズ」は、すでに遠い過去のものとなり、ヨーロッパでは現代音楽の範疇として捉えられてもいるフリー・インプロヴィゼイションにも限界が見えて来たと言われていた頃、西洋からは対極にあるような地域のローカルな、しかし西洋人にとっては(我々日本人にも)未知の世界から逆照射された音楽が即興の世界に参入して来たのだった。アジアの風が吹いたのだった。本作は、チャムジリンの素を全開させた正にシャーマンの音楽が聴ける貴重なアルバムだ。
「カムラニエ」は、シャーマンの儀式の名前。
Helene Breschand/エレーヌ・ブレシャンは、1966年パリ生まれのハープ奏者、作曲家。ジョン・ケージ、ルチアーノ・ベリオ、平義久、リュック・フェラーリ、マウリシオ・カーゲル、または自作といった現代音楽の作品を演奏する他、即興演奏も行っている。ミシェル・ドネダ、ジョエル・レアンドル、エリオット・シャープ、シルヴァン・カサップ、マルク・デュクレ、ジーナ・パーキンス等々共演者は多数に及ぶ。Adeline Lecce(cello)、Sylvain Kassap(cl)、Franck Masquelier(fl)、Philippe Cornus(vib,perc)とのアンサンブル「Ensemble Laborintus」
では、シュトックハウゼン、フェラーリの作品を演奏している。アルバムも多数リリースされている。映像、ダンス、映画等々とのコラボレーションも盛んに行って来た。屋外空間でのサウンド・ワーク、即興演奏、イベントも積極的に行っている。そんな多面的な活動の中に、ギターリストのJean-Francois Pauvrosとの共演は特に多く、本作はVICTOの為に2004年から5年にかけて録音されたスタジオ録音からなる8曲が収録されている。アルバム・タイトルの”sombre”が物語るように、闇の中に響く様々な音に耳を澄ませるような演奏が続く。フリー・ジャズ、フリー・ミュージック、フリー・インプロヴィゼイションと言った言葉からは浮かんで来ない音響が支配する音楽だ。闇夜を手探りで進んで行っている時に、頭の中をよぎるような映像を音に変換したかのような感じ。しかし、ポーヴロスのギターからは、時にロック・テイストな音が現れる時もある。突然、現実に引き戻らされる。ブレシャンのハープは、スモール・パーカッションの如く鳴ったり、美しいハープの音も勿論現れるが、概ね聴き手がハープに求める音はあまり期待しない方が良い。だが、ここでの音楽は「美しい」。
ドイツ、いやヨーロッパ・フリー界を代表するピアニストが、セロニアス・モンクが作曲した全楽曲57曲を演奏し、収録した3枚組CD。ジャズ・ファンなら誰でも知っている「
Round About Midnight」、「Evidens」、「Brilliant Corners」、「Bemsha Swing」、「Off Minor」等々、書いていったらきりがない。メンバーは、Alexander von Schlippenbach(p),Axel Dorner(tp),Rudi Mahall(bcl)と言ったグローブ・ユニティやベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラでも活躍するフリー・ジャズ/フリー・ミュージック界では名うてのインプロヴァイザーに加えて、Jan Order(b)とUli Jennessen(ds)の堅実なリズム隊で構成されたグループ。シュリッペンバッハに限らず、ヨーロッパのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックの演奏家達の多くは、モンクの曲を取り上げることが多い。特に、スティーヴ・レイシー(出身はアメリカだが)、ミシャ・メンゲルベルクは、モンクの曲を演奏したアルバムを数多くリリースしている。レイシーは、モンク自身との共演歴もある。そして、彼らに共通して言えるのは、はっきり言ってアメリカのオーソドックスなジャズ・ミュージシャンが演奏するモンクの曲よりも、断然フリー系の連中の方が面白いのだ。狭苦しい型からはみ出している超個性的な、だが美しいモンクの曲たちは、メインストリームからはみ出ている連中の演奏する方が、逆にかみ合っている。シュリッペンバッハ達の演奏は、意外にストレートな感じだが、時々のはみ出し具合に、こちらもニヤリとしてしまう。
阿部薫と豊住芳三郎のデュオ・アルバムがリトアニアのNoBusiness Recordsからリリースされました。私がプロデュースしているChapChap Seriesの2枚『アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ & 高瀬アキ/ライヴ・アット・カフェ・アモレス』と『崔善培カルテット/アリラン・ファンタジー』と同時リリースだったので、これもChapChap Seriesだと思われた人もいましたが、全く別のもので、これは、フランスのimprovising beingsのJulien Palomo氏による尽力でリリースが実現したものです。
もともとは、2015年にリリースされたユニバーサル・ミュージックの「埋蔵音源発掘シリーズ」の中に加える予定でした。私が1990年代にライヴを企画して、録音していた音源を主に使って、20枚を順次リリースするという企画でしたが、結局一回目の5枚をリリースしただけでシリーズは頓挫してしまいました。
このシリーズに使う音源を選定する作業では、録音年代も違い、このライヴに全く私が関与していない阿部&豊住の音源でしたが、一応候補に挙げていました。ライヴに関与していないと言えば、常滑市での『ポール・ラザフォード&豊住芳三郎/The Conscience』もそうなのですが、これはNoBusiness RecordsのChapChap Seriesからのリリースとなっています。
ある時、豊住さんから「この録音はJulienのレーベルから出させてくれない?」との依頼が届きました。Julienは豊住さんのCDをすでにリリースしていたこともあり、そのお礼の意味もあって、豊住さんはimprovising beingsからのリリースを望まれたのでした。私は二つ返事でOKいたしました。当時それに対する反発はユニバーサル・ミュージック側からも起らず、「では、Improvising beingsからのリリースになります。」となったのでした。
しかし、いくら待ってもリリースはされません。結局、Julienもこのリリースは断念してしまいました。そして、アメリカのSIWAからLPでリリースとか、函館のレーベルからと、二転三転と流浪の旅に出てしまった感がありましたが、Julienのしぶとい尽力のおかげで、この度 NoBusiness Recordsからのリリースとなったというワケです。
「Kaoru Abe & Sabu Toyozumi」とクレジットされていますが、ここで聴かれる演奏は”オーヴァーハング・パーティー”と呼ばれる阿部と豊住の二人によるユニットによる演奏になります。ALMから阿部薫の死後にリリースされたアルバム『オーヴァーハング・パーティー』は、すでにファンの間では有名なアルバムとなっています。これはアルバム・タイトルですが、実は二人のユニットの名前でもあったのです。このユニットの名前は、阿部自身も大変気に入っていたようです。
さて、今回リリースされたアルバムは、CDが『万葉歌』、LPが『挽歌』とタイトルされています。CDは、1978年7月7日、吉祥寺「マイナー」での2曲と、同年1月13日、初台「騒」での録音から3曲が収録されています。LPでは、「騒」での3曲のみが収録されています。CDとLPのタイトルを変えるところが凝り性の豊住さんらしい。自分のアルバムとなると、今日がカヴァーの印刷の日と言うのに「やっぱり、あそこを変更させて。」なんて言ってこられるくらいですから。リリースした後からも「ああした方がよかったなあ。」なんて言われます。
阿部はアルト・サックス、ソプラノ・サックス、ソプラニーノを演奏。豊住はドラムス、パーカッションを演奏。阿部は、他者との丁々発止としたバトルを繰り広げるよりも、ソロで独自の世界を構築(構築はしていない?自らを破壊?)する姿が似合う。「ひょっとしたらアンサンブル・ワークは無理なのか?」とも思える阿部だが、豊住とのデュオだと、「解体的交感」ではないが、そんなフレーズも頭に浮かんで来るほどのコンビネーションが見られる。だが、「反応」とはまた違って、お互いがお互いの道を進みながらもテレパシーで繋がり合っているかのような音の反応が起こっている。これは、豊住のライヴを見て聴いていると当たり前のごとく見られるところです。阿部とのデュオで特に顕著なワケではありません。阿部にとっては、同時代に豊住がいたことは大変幸運だったと思う。他に、手の合う、ユニットを結成できるほどの人材がいたかどうか...?
このアルバムは、阿部はサックスのみを演奏しているが、ALMでの『オーヴァーハング・パーティー』では、アルトサックスは1曲のみ。あとは、アルト・クラリネット、ギター、マリンバ、ピアノ、ハーモニカを演奏している。まさしくマルチ・インストゥルメンタリストだ。
阿部薫と聞いてすぐさま浮かぶ、あの強烈なビブラートとノイジーな音色を伴った魔界からの雄たけびの如きアルトサックスの演奏は1曲しか聴けない。また豊住芳三郎もALM盤では弱音の繊細で緻密な演奏が多くみられて、後年のFree Improvised Music/インプロの世界観がすでにここで現出している。その意味でも凄く価値のあるアルバムなのだが、サックスの音を浴びたい、そして豊住の怒涛のフリー・ドラミングを全身で浴びたいと言うファンには、今回リリースされた『万葉歌』『挽歌』はジャスト・フィットするのではないだろうか。ALM盤とは違った側面を見せる今回のアルバムは、今後ALM盤と対をなすアルバムとして後世の記憶に残って行くのではないだろうか。ところで、もう一作『蝉脱』(Qbico) が有るのも忘れてはいけない。日本のJAZZ史を越えて音楽史に残るであろう『オーヴァーハング・パーティー』をこの機会にぜひ聴いてみていただきたい。阿部も凄いが、豊住のドラムにも注視して欲しい。こんな稀有な二人が遭遇、合体したユニットは世界広しと言えども、そうそうありはしないから。
ジャケットだけ見るとA・ブラクストンがデューク・エリントンの曲を演奏しているかのように思えるかもしれないが、スイスのミュージシャンがブラクストンとエリントンの曲を演奏しているアルバム。RolandDahindenは1962年スイスのZugで生まれ、ウェズリアン大学でブラクストンやアルヴィン・ルシエに学んだトロンボーン奏者。ジャズ、フリー・インプロヴィゼイション、現代音楽を演奏し幅広く活躍している。クインシー・ジョーンズの特別編成のオーケストラに加わり、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでマイルス・デイヴィスと共演もしている。HildegardKleebは、57年Zug生まれのピアニスト。R・Dahinden夫人でもある。87年からデュオで演奏を始め、92年からはヴァイオリンのDimitris Polisoidisを加えたトリオで活動している。この3人にエレクトロニクスのRobertHoldrichを加え、ブラクストンとエリントンの曲を演奏したのがこのアルバム。ブラクストンのNO.257にNO.30,31,46,69,90,136も加えた演奏らしいが、一体どこがどこやら聴いて分かる類の演奏ではない。即興のきっかけ程度に思えばいいだろう。Dahindenのトロンボーンは、トロンボーンと聴いて想像するような音は微塵も出さず、ミュートを使って瞬時に短く色んな音を矢継ぎ早に放射する。ピアノとヴァイオリンはジャズ系インプロヴァイザーとは違うサウンドの展開だ。このアルバムではエレクトロニクスのHoldrichが大活躍し、全体的にエレクトロ・アコースティックな演奏になっている。
Anne LeBaron/アン・レバロンは、1953年ルイジアナ州、バトンルージュ生まれのハープ奏者、作曲家。コロンビア大学他で学び、カルアーツで教鞭を取っている。作曲家としては、オーケストラ作品から、合唱曲、エレクトロニックな作品までと幅が広い。同時に、ハープを使った即興演奏も早くから取り組んでおり、1979年リリースのTrans Museq盤では、La Donna Smith,Davey Williamsとのトリオでの即興演奏を聴く事が出来る。相当に破天荒な演奏が聴ける。2002年から2010年にかけて収録された本作は、様々な組み合わせの演奏が18曲。ハープのアコースティックな演奏から、アンプリファイされ、エレクトロニクスも使った演奏まで、8か所でのライヴで構成された2枚組のアルバムだ。エレクトロニックなソロから始まる。その後は、Wolfgang Fuchs(contrabass-cl)、Torsten Muller(b)、Ronit Kirchman(vln)とのトリオ。Leroy Jenkins(vln)とのデュオ。Chris Heenan(as)、Torsten Muller(b)、Paul Rutherford(tb)とのカルテット。Georg Graewe(p)、
John Lindberg(b)とのトリオ。Kristin Haraldsdottir(viola)、Nathan Amith(cl)とのトリオ。Kiku Day(尺八)、Kanoko Nishi(筝)とのトリオ。
Earl Howard(electronics)、Leroy Jenkins(vln)とのトリオと続く。クラシックの演奏で聴けるハープの華麗な音は微塵も聴こえて来ない。
プリペアード・ハープと呼んでも良いようなノイズ混じりの音が、あちこちから聴こえて来る。どの演奏も、フリー・ジャズ的な熱い、早いところは無く、細かな音の断片が交錯する、所謂Free Improvisationの典型と思えば正解だ。このような演奏をする彼女のオーケストラ作品がどういうものなのか聴いてみたいものだ。
Raku Sugifattiは、Radu Malfatti(tb)と杉本拓(g)二人によるユニット名と言ってよいのかどうか・・。Radu Malfatti/ラドゥ・マルファッティは、1943年オーストリア、チロル地方の町インスブルック生まれのトロンボーン奏者/作曲家。ヨーロッパ・フリーに興味のある人には70年代から注目されて来た。FMPにアルバムが有る。杉本拓は、1965年東京生まれのギターリスト、作曲家。1991年頃から2年間はチェロの演奏に専念し、セカンド・アルバム「Slub」は無伴奏チェロの演奏だ。これを機にチェロは封印。マルファッティも杉本も1990年に入ってからは、極端の音数の少ない演奏に向かい、共に多くの支持を得て、大きな影響を与えて行った。本作は、超ミニマリストと言ってもよい二人が組んだ2枚組アルバム。ディスク1は、71分18秒になる長尺の曲。2003年に、マルファッティはウィーンのスタジオで、杉本は東京のスタジオで各々録音をし、それをミックスして作られた。極端な言い方をすると、「忘れた頃に音が1音だけ鳴る。」音楽が延々と続くコンセプチュアルな音楽だ。楽器の音が無い部分は、デジタル的に音をゼロにして全くの無音にしてしまうという極端な方法が取られた衝撃的な1曲になっている。半面、ディスク2の方は、ウィーンと東京でのライヴ演奏を収録している。こちらも、トロンボーンとギターの音はディスク1と同じように極端に切り詰められた演奏。だが、楽器の音が無い部分は、会場内や周辺のノイズが聴こえて来る。ジョン・ケージの「4分33秒」との関りを想像してしまう。環境音に耳を澄ませると、様々な音が聞こえて来る。しかし、ここではそこに楽器の音も加わるのだが・・さて。
Franz Hautzinger/フランツ・ホウツィンガーは、1963年オーストリア生まれのトランペット奏者。グラーツ音楽アカデミーとウィーン音楽院でトランペットと作曲を学んでいる。マイルス・デイヴィスに強く影響を受けたとの事だが、1999年に録音されたソロ・トランペット・アルバム「Gomberg」(GROB)を聴いた時は、衝撃的だった。どこにもマイルスの影すら見当たらないもので、クォータートーン・トランペットと言う「微分音を使ったトランペット」なのか、特殊な構造を持ったトランペットなのか、よく分からないままCDを買って聴いてみたのだった。微分音云々以前に、楽器である事すら飛び越えて、先祖返りでもしたように、菅(くだ)の中で空気が振動して発する物音を、トランペットのベルの部分をおそらくマイクに思いっきり近づける事で、ミクロの振動を大きく増幅して、際立たせて聴かせる演奏だった。これは、ホウツィンガーが最初に行ったと言う訳ではないのだが、そこの部分を切り取って拡大する事で、演奏の、音楽の在り方。そして我々聴衆の音楽の聴き方に対して問題定義を突き付けて来たのだとも言えるだろう。さて、前作の無伴奏ソロに続いて、同じくGROBEから、今度はこの録音から30年以上も前に、先ほどの問題定義を正に衝撃的に突き付けたギターリストのデレク・ベイリーとのデュオ・アルバムが届けられた。ベイリーは、ここではエレクトリック・ギターを使い、音の揺らぎや豊かな倍音を立ち昇らせる。鋭利な単音のランダムな連鎖はいつもと変わらない。しかし、ホウツィンガーの管の中の空気を響きそのものと言った音響に合わせるかのようないつもとは異なった音も使っている。
Evan Parker/エヴァン・パーカーが、2001年10月11日ロンドンのSt Michael and
All Angels Churchで行ったソプラノ・サックスのソロ・コンサートを収録したアルバム。
ただし、27分を超える1曲目は、オーディエンスが入場する前に演奏して録音したもの。2,3曲目が、コンサートからの収録になっている。エヴァン・パーカーの無伴奏ソプラノ・サックスのアルバムは、「Monoceros」をはじめ、これまでも何枚もリリースされて来ている。これらで聴かれる演奏は、唯一無二のもので、音楽史上に必ず残り得るものと信じるが、私としては、現状、本作が最上位に位置する1枚だと思っている。「Monoceros」は、彼のソプラノ・サックスの演奏が、それまでの粗削りでノイジーな(そしてそれゆえに魅力的でもあったが)ものから、まるで様式美を獲得したかのような洗練されたスタイルに確立されたアルバムだった。本作は、そこから遥か先の世界を構築し表現したアルバムになっている。ワン・ポイント・ステレオ・マイクで録音されており、会場になった教会の響きが、この演奏をさらに効果的な響きへと誘ってくれている。こうして聴くと、彼の音楽は、あくまでもヨーロッパの血が濃く流れるものなのだと感じる。バール・フィリップスさんと吉沢元治さんとの会話の中で出て来た言葉に、バールさんの「我々の演奏している音楽は、ウェスターン・ミュージックだ。」というものがったが、まさにエヴァン・パーカーもそうなのだ。
Sylvie Courvoisierは、スイスのローザンヌ生まれのピアニスト、作曲家。1997年以降はブルックリンに在住。Joelle Leandreは、1951年フランス・Aix enProvence生まれのベーシスト、作曲家。アンサンブル・アンテル・コンタンポラン、マース・カニングハSylvie Courvoisierは1968年スイス・ローザンヌ生まれのピアニスト、作曲家。98年ム、ジョン・ケージ等の現代音楽フィールドでの仕事とデレク・ベイリーらとの即興演奏と、両輪での活躍をする。SusieIbarraは、フィリピン系アメリカ人のドラマー、パーカッション奏者、作曲家。ハイ・スクール時代はパンク・ロックをやり、大学時代にサン・ラを聴いてジャズに興味を持ったそうだ。ドラムはミルフォード・グレイヴス等について学んだ。CourvoisierとIbarraは、IkueMoriとのトリオ・Mephistaのメンバーでもある。この二人にLeandreが加わった一見オーソドックスなジャズのピアノ・トリオで2001年TaktlosFestivalに出演した時の録音と、スタジオ録音で構成されたアルバムがこれだ。彼女達のこの演奏をジャズの範疇とするか否かは色んな意見があるだろうし、演奏している当事者がどう思っているかは分からない。が、三者の切れ味するどい丁々発止のやりとりは、他の音楽ではそうそう聴ける代物ではない。聴き手の感性をスパっと切り裂く鋭さがここにある。Ibarraのドラムの演奏は富樫雅彦を思わせる切れと美しさを感じる。ところで、Sylvie Courvoisierの名前の発音が、日本人にははなはだ困難。よって、日本語表記も不可能に近い。だからなのか、以前から大変気になるピアニストだった。
これはベルリン在住の高瀬アキの、人によっては意表を突くアルバムだろう。何とW.C.Handyの「St.Louis Blues」、「Memphis Blues」、「Way Down South Where the Blues Began」、「Yellow Dog Blues」、「MorningStar」と言った曲を、高瀬アキ(p)、ルディ・マハール(b-cl)、フレッド・フリス(g)、ニルス・ヴォグラム(tb)、パウル・ロフェンス(ds)と言うこれまた意表を突くメンバーで演奏しているのだ。W.C.ハンディを「ブルースの父」と称するのは、本家ブルースマンからすれば「俺達のモノを横から盗み取って大きな顔しやがって!」かもしれない。いや多分そうだろう。ここでは、そのブルースを、本来ブルースを根っ子に持たない、おまけにオーソドックスなジャズミュージシャンですらない日独英の先鋭的ミュージシャンによって演奏されたのだ。こういった場合「ただの素材です。面白そうだからやってみました。」か、「身に染み付いたものじゃないけど、ブルースへの憧れは捨てきれずに持っていて、自分達なりの解釈でやってみました。」だろう。彼らは後者であると思いたいし、そうなのは演奏からにじみ出ている。こうした素材を扱う時、中途半端に身に染まっているアメリカのミュージシャンよりも、海を隔てたミュージシャンの方が素材にどっぷりと浸り込まない分、演奏も素材の外に自由に飛び出す事が出来て、面白くなれるものだ。どっぷりの演奏は本家本元にまかせときゃいいのだ。それにしても面白い!
「Le Amants De Juliette/ジュリエットの愛人達」と言う、ユニークな名前のトリオの、フランスのレーベルQuoi de Neuf Docteurからの1994年、1998年のリリースに次ぐ、三作目。メンバーは、Serge Adam/セルジュ・アダム(tp)、Benoit Delbecq/ブノワ・デルベック(p)、Philippe Foch/フィリップ・フォッシュ(table,perc)の三名。フィリップ・フォッシュは、パーカッションを演奏するが、タブラを主体にしたもので、これが相当演奏全体のイメージを作る。それだけ、タブラという打楽器は存在感があるものだ。単にビートを刻むのではなくて、細分化された無数の組み合わせが、それだけでひとつの宇宙を形成してしまう。今や、フランスの、いや欧州の代表的ピアニストと言ってよい、ブノワ・デルベックのピアノは、時にポール・ブレイのような耽美的な美しさを現す。ここでは一番年長になるセルジュ・アダムのトランペットは、明るく柔らかな音色で、ピアノとタブラの上で絡み付くように宙を舞っている。ドン・チェリーが活躍するコリン・ウォルコットのECM盤が思わず頭に浮かんだが、それと同等の感触を持っている。タブラが活躍している事でエスニック色がぷんぷんと漂うように思うだろうが、意外にそうはならないとことが面白い。冒頭の曲で、デルベックは、プリペアード・ピアノを弾いている。それがタブラと絡んで「異国情緒を醸し出す。」というステレオタイプに陥っていないところが秀逸。近年も、アルバムのリリースがある。
1990年代から2000年代にかけてのMichel Doneda/ミッシェル・ドネダ(ss)と斎藤徹(b)の邂逅は、日本のフリー・ミュージック、インプロヴァイズド・ミュージックにとって、大変重要な1ページとなっていた。ドネダのサックスからは、ジャズの匂いはあまり感じられない。時にはそういった演奏もするが、音楽そのものの概念を書き換えたとも言える大転換を行った一人でもあった。音数を絞って、気息そのものといった音をサックスから発し、環境、サウンドスケープの中に溶け込んでしまう。その環境自体が大きく「音楽」と化す。埼玉県上尾市にあるバーバー富士が主宰するシザーズというレーベルから、1995年録音の「ドネダ、斎藤、アランジュール:M’uoaz/ムオーズ」がリリースされた。当時のバール・フィリップス・トリオの二人と、タラモンティ・アントネラ(vo)と斎藤徹による傑作アルバムだったが、その次作「春の旅 01」はより強力なアルバムとなっていた。2001年のドネダと斎藤のフランス・ツアーから収録された全6曲が収録されている。1曲毎に演奏の環境が変わっている。屋内、屋外有り。シアターの俳優達の台詞が加わったり、子供たちの声が加わったり、ギターや小鼓が加わったり等々。その場や環境、共演者にドネダも斎藤も溶け込んで、むやみに大きな音を発することもなく、自らを鹿威しや水琴窟にでも変身させたような感じだ。1999年のふたりの日本ツアーでは、各地でのゲスト(チョンチュル・ギ、ザイ・クーニン、沢井一恵)も含めた演奏の録音から3枚のアルバムが制作されるというひとつのピークを迎えていた。それに続く本作は、より彼らの本質が伺える傑作!
ジャズの2大巨頭、ツートップと言ったら誰だろう? 「マイルスとコルトレーン」って声があっちこっちから聞えて来そうだ。彼らは確かに凄い。その影響力たるやたしかにツートップと言っても過言ではないだろう。だが、ちょっと待って欲しい。現在世界中で演奏されているジャズの種を蒔いたのは1900年前後のニューオリンズを中心とした地域(ほぼ同時にアメリカ各地でも起こっていたと思うが。ニューヨーク、ボストン等々)で演奏していたクレオールやアフリカン・アメリカン達だ。その中から1901年生まれのルイ・アームストロングが、ひとりでその後のジャズの、いやもっと広くポピュラー音楽の基礎を作って行ったと言っても過言ではない。一方ワシントンD.C.では、1899年にデューク・エリントンが生まれている。サッチモと違って育ちのいいエリントンは、小学生の頃からピアノと音楽理論を学んでいた。1916年にピアニストとしてデビュー後は、後年自身のバンドを率いてプリミティヴな都市型民族音楽とも言えそうなジャズ(と当時呼ばれていたのかどうか?)をサッチモとはまた違った方法で進歩・発展させ、まさに唯一無二の音楽を構築して行った。この二人の存在が無かったら、現在のジャズの姿はかなり違っていたものになっていたはずだ。現在のジャズの直接の方向性は、その後に出て来たチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、バド・パウエルらに負うものが多いが。マイルスもコルトレーンも彼らの存在が無かったらもっと違う人生を送っていたはずだ。
さて、前置きが長くなった。そのサッチモに多大な影響を受けた日本人のデキシーランド・ジャズの第一人者のふたり、外山喜雄と恵子夫婦率いるデキシーセインツは、今年で46年目を迎える息の長いバンドだ。長さだけではない、彼等の経歴は、日本ジャズ史上最高の輝きを放っている。1967年移民船「ぶらじる丸」に乗り、船旅でアメリカに渡った。豪華客船の船旅とは正反対な長旅なので、勘違いしないように。渡米後5年間を夫婦二人でジャズの修行に費やした。NYなんかじゃくてニューオリンズ! 最初に住んだのがあのプリザベーション・ホールの真裏の安宿。毎晩ホールで行われている演奏の音が聞こえて来たそうだ。さて、ここからが凄い。そのプリザベーション・ホールに出演し、ニューオリンズの古老達と演奏を共にしていたのだった。1800年代生まれのまさにジャズが産声を上げていた頃の歴史を共に歩いて来た者達との共演は、「新宿PIT INNに出ていました。」とか「ヴィレッジ・ヴァンガードに出演したことがあります。」の次元をはるかに超えた重みを持つ。そんなミュージシャンが日本人にいるという事だけでも、外山喜雄&恵子のふたりの存在の重要度が分かろうと言うものだ。ジョージ・ルイスの葬儀に参列し、演奏も行った。聖者の行進のごとく実際にニューオリンズの葬儀の列に参加して演奏もしている筋金入りのジャズ・ミュージシャン!
ふたりは、1975年に帰国し、「外山喜雄&デキシーセインツ」を結成。1983年の東京ディズニーランド開業以来2つのバンドを率いて毎日演奏をし、それは2006年まで続いた。彼らの演奏を聴いた人は、この23年の間に通算1000万人を超えるらしい。おそらく日本で最も聞かれたジャズの演奏ではなかろうか。
今年は、ウォルト・ディズニーとルイ・アームストロングの生誕120年になるのを記念して、外山喜雄&デキシーセインツは、ディズニーの様々な曲を演奏しこの偉大な二人に捧げるアルバムを作りました。それが、この『デキシー・マジック・ビビディ・バビディ・ブー、Again』です。なぜAgainが付くかと言うと、2000年に『デキシー・マジック・ビビディ・バビディ・ブー』をすでにリリースしているのでした。ルイ・アームストロングには、『Disney Songs The Satchmo Way』というサッチモが歌い演奏するアルバムがあり、ディズニーとサッチモの華やかさ、楽しさ満載のアルバムは、私も長年聴き続けて来ました。その中に、もう1枚の楽しいアルバムが加わったのが、『デキシー・マジック・ビビディ・バビディ・ブー』でした。それから21年後に再び吹き込むことになったのが、本作となります。前作からドラムスのマイク・レズニコフが木村おうじ純仕に、クラリネットが鈴木孝二から広津誠に変わり、ソプラノ・サックスの田辺信男が数曲加わる。トロンボーンの粉川忠範とベースの藤崎洋一は不動のメンバーだ。
サッチモの演奏でもそうだが、ディズニーの曲はジャズ、それもこのようなトラディショナルのスタイルの演奏にぴったりとハマっている。曲によっては、ラテン/アフリカン・リズムが飛び交ったり、〈フレンド・ライク・ミー〉のようにどこかエリントン・サウンドの香りがしたりとなかなか多彩な表情を見せる。ところで、私は、ディズニーの映画は正直言うと見たことが無いのだ。アメリカのアニメはせいぜい「トムとジェリー」くらいしか知らないので、曲毎のレヴューは不可能。だが、『Disney Songs The Satchmo Way』と『デキシー・マジック・ビビディ・バビディ・ブー』のおかげで鼻歌を歌えるようになった曲もある。さすがに〈ビビディ・バビディ・ブー〉、〈ハイホー〉、〈チムチム・チェリー〉(コルトレーンも演奏している)、〈星に願いを〉くらいは知っているが...。そういえば〈星に願いを〉は、リンゴ・スターも歌っていたな。これらの曲をデキシー・スタイルで演奏する『デキシー・マジック・ビビディ・バビディ・ブー』『Again』は、サッチモの『Disney Songs The Satchmo Way』共々お薦めいたします。「音楽は楽しけりゃいいじゃん。」には大いに反発する私ですが、この3枚は大いに楽しめます!
ジャズ・ファンを自認する人でも、ほとんどがビ・バップ以降。実際はハード・バップ以降からフュージョンあたりまでが多いようだ。チャーリー・パーカーすら聞かない人が多い。ましてやスウィング以前となるともっと減る。ニューオリンズ/デキシーランド・ジャズともなると絶滅危惧種かもしれない。今時、自称ジャズ・ファンにキング・オリバー、ジョージ・ルイス、バンク・ジョンソン、キッド・オーリー、ジミー・ヌーン、トミー・ラドニア(本当の発音は違うらしい)、マグシー・スパニア、ジョージ・ウェットリング、エマニュエル・セイルス、ジェリー・ロール・モートン、アーヴィング・ファゾーラ、オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド等々と言ったって「名前くらいは聞いたことがあるような無いような...?」に違いない。古い音楽だし録音だし、とっつきにくいかもしれないがぜひ聞いて欲しい。ジャズ全体を見る目が変わって来ます。日本では、まずは「外山喜雄&デキシーセインツ」を。外山喜雄氏のトランペットや歌をもっと楽しみたい人には、『ラルフ・サットン&外山善雄:デュエット』がお薦め。そして、外山恵子氏のバンジョーやピアノがもっと聴けるアルバムの出現を強く望みます!
巻上公一は、1956年生まれ。ヴォイス・パフォーマー、ホーメイ、口琴、テルミン、コルネット、作詞・作曲、詩人、演劇、映画、そして現代も続く長寿バンド「ヒカシュー」のリーダー等々多面的な活躍をする。ヒカシューの名前は、武満徹の曲「悲歌」から取られた。「Jazz Artせんがわ」、「湯河原現代音楽フェスティヴァル」、「熱海未来音楽祭」といったジャンルを横断したフェスティヴァルのプロデューサーとしての活動は特筆出来る。1995年にNYCで録音された本作「Kuchinoha」は、その後巻上公一が、ヴォイス・パフォーマーとして、世界各地のフェスティヴァルに召喚されるきっかけとなったソロ・ヴォイス・アルバム。エフェクトや編集一切無しの、素のままの喉の音、口の音、頭蓋骨の響きと言った具合の強烈な音の連なりが聞こえて来る。大きく開けられた口の中、声帯までものぞき込むかのような生々しい肉体を感じる声の、口の響きを浴びることになる。ヴォイス・パフォーマーは、キャシー・バーベリアンから始まって、今日では数多く存在し、夫々が個性豊かなのだが、巻上のヴォイス・パフォーマンスはそれらとは位相が大きく異なった得意なパフォーマンスだ。演劇者で歌手で朗詩も行う芸達者ぶりを反映したヴォイス・パフォーマンスと言えるだろう。思わず笑ってしまうようなところも。トゥヴァのホーメイに出会い、今ではその普及にも尽力している。最後にアルファベットで記載された曲名を日本語で記しておこう。
1.石榴/ざくろ 2.百日紅/さるすべり 3.檀/まゆみ 4.木槿/むくげ 5.土筆/つくづくし 6.鈴掛/すずかけ 7.青柳/あおやぎ 8.玉葛/たまかづら 9.花薄/はなすすき
Guerino Mazzola、1947年スイス、ウスター生まれのピアニスト。Heinz Geisserは、1961年スイス、チューリッヒ生まれのドラムス、パーカッション奏者。二人はデュオ・チームを結成して、これまで「Tonis Delight-Live in Seoul」、「”Folin”/The Unam Concert」、「Someday」、「Live At Le Clasique」の4枚のアルバムをリリースしている。演奏場所は、ソウル、東京、藤沢市、メキシコ・シティーと多様だ。このデュオのコンビに、Rob Brownが加わったトリオの演奏が聴ける1996年ニューヨークで録音されたアルバムだ。Rob Brownは、1962年バージニア州ハンプトン生まれのアルト・サックス、フルート奏者。16才の時にはジャズ、ブルースのバンドでツアーもしていたそうだ。1981年にボストンに出る。1984年にニューヨークに出た後は、ボストン時代からの仲間だったマシュー・シップと組んでデュオを中心にトリオ、カルテットを組んで演奏活動をしていた。その後ウィリアム・パーカーと出会い、彼のグループやオーケストラで長年共演を続けており、参加アルバムも多い。ジョー・モリスとも共演は長く、「Joe Morris-Rob Brown Quartet:Illuminate」(Leo Lab)をリリースしている。そのRob BrownとGuerino Mazzola,Heinz Geisserの共演は、長らくトリオを組んでいるかのようなコンビネーション抜群の演奏で、全く淀みがないテンションの高い演奏が続く。丁々発止とした演奏は、フリージャズの持つ最良の瞬間だ。Mazzolaのピアノは、強度とスピード感に溢れたもので、それと共にRob Brownを鼓舞するGeisserのドラムスは、元々がクラシックの打楽器を学んでいる事もあって、あいまいな音はなく、一音がクリアーで演奏のダイナミックスが広い。Brownのasも良いが、フルートは時に尺八を思わせる深い音色と管を通る風を感じさせるものだ。
Clusone 3は、オランダの強者3人Michael Moore/マイケル・ムーア(as,cl,melodica,panpipe)~彼は、生まれはカリフォルニアの北部で、80年代初頭にアムステルダムに移住。Ernst Reijseger/エルンスト・レイズグル(cello)、Han Bennink/ハン・ベニンク(ds,perc,p,voice)によって結成されたユニークなトリオ。その何処がユニークなのか? インプロヴァイザーとして知名度も実力も突出している三人が集まって演奏しているのは、アーヴィング・バーリン、ジョニー・マーサー、ゴードン・ジェンキンスと言った、所謂スタンダード・ナンバーなのだ。もちろん、三人によるフリーな即興も混ぜられているが、どれもスタンダード・メドレーの間のつなぎのような短い演奏だ。本作は、Clusone 3の5作目に当たる1996年フランクフルトでのジャズ・フェスティヴァルに出演時のライヴ録音。3つのメドレーから成る全18曲(1曲はアナウンス)が収録されている。ブレヒト&ヴァイル「BilbaoSong」、7月のコンサートなのになぜか演奏される「ホワイト・クリスマス」と言った中に混ざって、ミシャ・メンゲルベルク、トリスタン・ホンジンガーと言った同僚たちの曲も並ぶ。もちろん、メンバー3人による曲もメドレーの中に挟み込まれている。短い3人によるフリーな即興も含めて違和感なく18曲が進行するという統一感が感じられるもので、いつものフリーな即興のセッションとは大きく趣が異なっている。だが、ICP オーケストラや色々なアンサンブルでは、オランダのインプロヴァイザーは、作曲された曲を演奏する事は日頃から手慣れたものだ。そこには常にユーモアを忘れない彼等ならではの音楽が作られる。レイズグルのチェロもムーアのサックス、クラリネットもハンのドラムスも何と引き出しの多い事か。
田村夏樹は、1951年滋賀県大津市生まれのトランペット奏者。ピアニスト藤井郷子の夫君でもあり、二人の共同での活躍は目を見張る活躍ぶりだ。中学校のブラスバンド部でトランペットを始める。京都のネグリジェサロンでプロデビュー。上京後は、キャバレーのハウスバンドを経て、スマイリー小原とスカイライナーズ、今城嘉信とザ・コンソレーション、宮間利行とニューハードで演奏した。その後、フリーランスになってからは、アイドル歌手のツアー・バンド、TV、スタジオで活躍。1986年バークリー音楽院に入学。87年帰国し、「Fanky Fresh」、「飛不動」で演奏活動をする。93年には、ニューイングランド音楽院へ入学。その後は、国内外を股にかけて活躍を今日までヴァイタリティー豊かに続けている。本作は、1997年Brooklyn, New York Systems Two Studiosで録音された無伴奏トランペット・アルバムで、彼のファースト・アルバム。田村のトランペットは、それまでの学歴や経歴から見えてくるスマートなものではなく、彼が作る曲の曲名にも現れているように、ICP Orchestraにでも入ったらさぞかし似合っているような、諧謔味も混ざり合ったユニークなものだ。だが、ストレートにトランペットをぶちかましたら一気に持って行かれそうな勢いも持つ。反対にトランペットの管の中に息を吹き込むだけの微細な音響までを自在に操る。ファースト・アルバムの本作で、すでにそれは開陳されている。曲によっては、深いリバーブをかけて洞窟の中での響きのような音から、一本の管を吹き鳴らしているような音まで、全12曲、多彩な音響を繰り出すので、あっと言う間に55分が終わる。その後の怒涛のCDリリースには驚かされる。
このアルバムがリリースされるとの情報を知った時の反応は、「デレク・ベイリーが、パット・メセニーと共演??」or「パットと同じギターで共演するベイリーって、何者??」に分かれたのは容易に想像がつく。だが、メセニーは、既に敬愛してやまないオーネット・コールマンとは、1985年に共演を果たし「Song X」を残している。それまでの作品では、1980年録音の、デューイ・レッドマンらとの「80/81」が秀逸だった。1992年録音のソロ・アルバム「Zero Tolerance For Silence」には正直驚いた。当時発売されていたのが「シークレット・ストーリー」なのだから、ここで展開されるノイジーなギター・ソロは想像もしていなかった。それに続く本作だが、1996年12月13,14日のニッティング・ファクトリーでのクラブ・ギグとスタジオ録音からなる3枚組! ライヴのインフォーメーションでは、メセニーはXとして伏せられていた。立ち見を入れても収容人数300人のニットに、「We Live Here」のメセニーを求めて殺到されても困る事態に陥ってしまう。当時ベイリーと共演をしていたベンディアンとメセニー・グループのワーティコの二人が一緒にアルバムも作るほどの間柄だったことで、お互いの師匠どおしの共演を計画して実現となったようだ。Disc-1は、1曲のみの長尺の演奏で、正に怒涛のフリー! ベイリーらしくないとも言えるかも? ドラマー2人がノリを見せる時、違和感を感じてしまうが・・。他の2枚は、短くまとめられた全15曲。メセニーは、色んなギターを用意して、ベイリーと対峙するが、ベイリーは「あのベイリー」だ。ちなみにベイリーは、メセニーの事を知らなかったそうだ。
ヒュー・デイヴィスは、現代音楽、特に電子音楽の分野では1960年代以降の最重要人物の一人と言ってもよいだろう。シュトックハウゼンのプライヴェート・アシスタントを務め、ライヴエレクトロニクックなアンサンブルのメンバーだった。デイヴィスは、家庭用品を材料にして作ったShozygと呼んでいる創作楽器を作り、演奏を始めたが、その初期の姿は、1968年から1971年まで続いたThe Music Improvisation Companyの2枚のアルバムで聴くことが出来る。これは、デレク・ベイリー(g)、エヴァン・パーカー(ss)、ジェイミー・ミューア(perc)、クリスティン・ジェフリー(vo)との、即興演奏では歴史的な伝説的グループだ。1996年録音の本作は、デイヴィスと、Max Eastley(ARC)、Hilary Jeffery(tb)、Hans-Karsten Raecke(Blas-Metall-Dosen-Harfe)らとのデュオが3曲と、John Russell(g)とRoger Turner(perc)とのトリオ4曲が収録されている。EastleyとRaeckeとの創作楽器同士の演奏は、一体どこまでがデイヴィスが発している音なのか、はたまた他の2人の発する音なのか判別するのが難しい。ノイジーなんだが、所謂ノイズミュージクのそれではなくて、弱音でサワサワと日常のどこかで聴こえて来そうな音達の戯れのようだ。まことにデリケートな音達に耳をすませることのできるディープ・リスニングな時間を楽しめる。さて、「楽器」との共演はいかに? ジョン・ラッセルのギターは、元々が金属の針金をはじくような演奏なこともあって、創作楽器の二人との演奏を聴いた後でも違和感が無い。ターナーの打楽器然り。ジェフリーのトロンボーンは、弱音を基調にした音数を極力絞った吹奏だが、音の一つ一つは時に倍音唱法でも聴いているような感覚になる。デイヴィスとの共演も違和感なく、デリケートな演奏が心地よい。
Adam Bohman/アダム・ボーマンは、1985年にコーネリアス・カーデューのスクラッチ・オーケストラのメンバー等が集まって結成された、エレクトロニクス等々でジャズには属さないフリーな即興演奏を行っているグループMorphogenesisのメンバーの一人。ジャケットに掲載されている写真を見れば分かるように、色々なガラクタと言っても良い物を、直に触って、叩いて、こすって様々なノイズを出す“演奏”をしている。ここでは、それに加えて、語りも多く含まれる。演奏時間は、1分台のものから10分までと、ほとんどが短かい14トラックから構成されている。96年にロンドンのVortexでのライヴ以外は、自宅での録音のようだ。Morphogenesisのメンバーで、このアルバムをリリースしたレーベル、PARADIGM DISCSのオーナー、Clive Grahamによって録音され、アレンジが施されている。よって、生のノイズではなくて、編集が加えられて作品化されていると言ってよい。
聴こえて来る音は、ジャケットの写真に見えるガラクタの生の騒音(見ての通りか)が生々しい。70年代終わり頃~80年代初頭にかけて、日本でもアンダーグラウンドなシーンでは、このようなエレクトリック/エレクトロニックではない、生のノイズを聴かせるライヴは、結構な数が存在していたので、ボーマンの演奏を聴くと懐かしくもある。これを、現在までも続ける意地を感じる。近年は、ベルギーのヴォイス・パフォーマーのJean-Michel Van Schouwburgとのアルバムを残しており、アルバムは結構多い。
Chick Lyall/チック・ライアルは、1958年スコットランド生まれのピアニスト、作曲家。グラスゴー大学で音楽を学んだ。その後、ボストンのニューイングランド音楽院ではジョー・マネリに師事している。映画、ラジオの為の音楽やジャズ・アンサンブルの為の作曲の他、「バスクラリネットとコンピューターの為のThreads」といた現代曲も作曲している。チック・ライアルと、スコットランドにおいて様々なスタイルのドラムの演奏で知られていたDavid Garrett/デヴィッド・ギャレット(1958年生まれ)と、ベーシストのDavid Baird/デヴィッド・ベアード(1962年生まれ)が、1986年に結成したのがGreen Room。当初は、ジャズ・トリオとしてスタートしたが、次第に様々な音楽の壁を飛び越えて、電子音も含んだ多彩な音響を含んだ演奏へと変化して行った。1994年スコットランドでの録音が、Leoの姉妹レーベルLeo Labからリリースされた。聞いた事の無い名前のグループとミュージシャンだったが、3人が各々自分のメイン楽器の他に、エレクトロニクス等々を使用した演奏に興味が湧いた。アコースティックをベースにしながら、電子音やパーカッション類を効果的に混ぜ合わせながらエレクトロ・アコースティックな即興演奏が聞こえて来た。続く1996年に録音された本作は、チャップマン・スティック、エレクトリック・チェロ、テープ、ヴォイス、プリペアード・ピアノ、ダルシマー、キーボード、シンセサイザー、バンブーフルート、打楽器を3人が操り、前作以上に多彩で多様で重層的な音響を作り出している。ライアルとギャレットの二人はその後もGreen Roomを続け、2000年以降もFMRから新作をリリースを続けている。
Bojan Zulfikarpasic/ボヤン・ズルフィカルバシチ(現在は、BojanZ)は、1968年旧ユーゴスラヴィア、現在のセルビア、ベオグラード生まれのピアニスト。1988年に、パリに移住している。89年には、ベスト・ヤング・ジャズ・ミュージシャン・オブ・ユーゴスラヴィアを受賞。本作は、98年のスタジオ録音。リーダー作としては、3作目に当たる。参加メンバーはBojan-Z(p),Vojin Draskoci(b),KudsiErguner(ney),JulienLourau(sax),Vincent Mascart(sax),Tony Rabeson(ds),Predrag Revisin(b),Vlatko Stefanovski(g),KarimZiad(prec)。Ziadの演奏するパーカッションは、karkabou,bendir,taarjija,La-tchatcheと、この表記だけだと何やら分からないが、バルカン半島や中近東あたりで聴ける音が聴こえて来る。そして、Ergunerの演奏するネイ(ダブルリードの笛で、ナイとも呼ばれて広く分布している)が全編に渡って活躍する。使用される楽器だけではなくて、音楽そのものが非常に強くバルカン半島や、その近郊のアラブ音楽の影響を受けたものだ。ジャズという大きな鍋に、ボヤン・Zの生まれ故郷のセルビアの音楽を代表に、バルカン半島の音楽(ロマの影響が濃い)や近郊のアラブの音楽をぶち込んで、グルグルとかき混ぜたら出来上がったような演奏だ。彼らならでは創造出来る音楽で、ジャズのワールドワイドな波及と、アメリカ以外の地域、それもヨーロッパだけじゃない地域へのローカル化が化学反応を起こした結晶のような音楽だ。アルバム・タイトルの「Koreni」は、Rootsの事。
Agencement/アジャンスマンは、1962年石川県金沢市生まれの島田英明によるソロ・プロジェクト名。70年代金沢市で発行されていた音楽誌「Avant Garde」の編集に携わる。1978年京都でのデレク・ベイリー達の公演を体験後の翌年、ヴァイオリンによる即興演奏を始める。1984年にヴァイオリンの音を歪ませた演奏が聴けるソロ・アルバムをカセットテープで少数リリースしている。85年からは、ヴァイオリンの音に電子変調を加え、細切れに切り刻み、それを多重録音し、多層な構造をもったミニマルな音響を作り出すソロ・プロジェクトを始めている。それを「アジャンスマン」と名乗った。アジャンスマンとは、フランスのポスト構造主義の哲学者Gilles Deleuze/ジル・ドゥルーズとFélix Guattari/フェリックス・ガタリの著書の中に現れる言葉から取られている。本作は、アジャンスマンの1991年の作品。ヴァイオリンを演奏した音を、デジタル・リヴァーブを使った変調、テープを使った変調を施した音源を更に重層的に録音を重ねて行き制作された「電子音楽」、「テープ音楽」の一種とも言えるだろう。弓での演奏とピチカートによる演奏も含めて、切り刻まれたヴァイオリンの音が、どこを切っても同じとも言えるし、全く違うとも言えるミニマルな音の連なりが永遠と続く。細部では複雑な音の重なり方、連なり方、絡み方を見せる。本書で扱っている即興演奏、即興音楽とはある意味真逆の音楽ではある。こうした録音技術による作品の制作とは別に、本名、島田英明を名乗って、ヴァイオリンを演奏し、数々のインプロヴァイザー達との共演も続けている。その中には、Evan Parker、John Russell、豊住芳三郎らの名前も見える。また、細密な抽象画も描く。
1988年、SUN RA ARKESTRA/サン・ラ・アーケストラが来日ツアーを行った。サン・ラ・アーケストラの名前は、我々のような長年フリー・ジャズに親しんで来た者には、知らぬ者はいない。だが、一般的な音楽ファン、ジャズ・ファンでさえも、さて、サン・ラ・アーケストラのコンサートに足を運んでくれるものなのか?と、心配になったものだった。当時は、バブル全盛真っただ中の日本。今では考えられない規模のジャズの野外コンサートがひしめき合っていた。その頂点が、「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」だった。毎年テレビでも放映されていた。1988年のステージには、マイルス・デイヴィスのグループが立っていた。そのステージに、まさかのサン・ラ・アーケストラも立ったのだった! 当然、テレビでも放映された。ファンとすれば狂喜乱舞である! 実は、サン・ラは、当初、このオファーには心が動かされなかったらしい。「なぜ、俺様が極東の島国くんだりまで、飛行機の長旅をしなきゃならんのだ?!」てな感じだったらしい。だが、同じステージにマイルス・デイヴィスも立つと聞いて心変わりしたそうだ。そんなこんなで、サン・ラ・アーケストラが来日したのだった。だが、もっと驚く事件?があったのだ。サン・ラ・アーケストラがなんと新宿PIT INNに出演したのだった! ここで紹介するのは、そのステージの模様を捉えたアルバムなのである。全8曲。イントロに続いて「Cosmo Approach Prelude」から始まる。途中「さくらさくら・・」とメロディーが挟まれる。彼らなりの日本への賛辞なのだろう。後は、スウィングからフリーまで、エリントンあり、ファンクも味付けされてのごった煮で楽しませてくれる。EP三枚組も出た。
Werner Ludi/ヴェルナー・ルディは、1936年生まれのスイスのアルト・サックス奏者。残念ながら2000年に亡くなっている。FMPのブロッツマンとのデュオ等でも知られている。BurhanOcal/ブルハン・オチャルは、トルコの打楽器奏者。チューリッヒに住む。共演者が幅広い。ジョルジュ・グルンツ、マリア・ジョアン・ピリス、ジョー・ザビヌル、クロノス・カルテット、ジャラマディーン・タクマ等々と豪華な顔ぶれだ。ジャンルも様々。1988年録音の本作は、二人のデュオ・アルバム。ブルハン・オチャルは、通常のドラム・セットにあらず。大小様々なダラブッカ、自作のドラム、シンバル、ゴング、ベル、そして弦楽器のタンブールも披露する。所謂フリー・ジャズのデュオとは大きく趣が異なる。たしかに、ヴェルナー・ルディのアルト・サックスのプレイは、フリーキーなサウンドも厭わない激しさもあるが、ブルハン・オチャルの独特なリズムと乾いたサウンドに乗せて、縦横にサックスのサウンドを繰り出して行く。4曲目では、オハルのタンブールの演奏が聴ける。それに合わせるサックスの音は、平均律では音と音の間隔が広すぎると感じてしまう。もっと、細かい音の動きが欲しくなる。
埼玉県の岡部町(現在は深谷市)にあるSPACEWHOで1987年10月26日に録音された、富樫雅彦のソロ・アルバム。ここは私設の小ホールで、ピアノもスタインウェイがデーンと鎮座している。このLP、私のはsampleと、印刷してある。ジャケットが一枚一枚少しづつ違っているらしい。そもそもプレス枚数も100枚とかではなかったか? 富樫さんに事後承諾のような形で作られたという噂も聞いたのだが? 演奏だが、所謂フリー・ジャズのような熱を帯びた熱いドラム・ソロとも、現代音楽の打楽器の独奏によく聴かれるカクカクシカジカとキッチリと構成された硬い不自由なそしてヒンヤリしたシロモノでもない。富樫雅彦の打音は切れ味鋭くそして、一音一音が美しい。あいまいな響きは一音とて存在しない。その時の気分、ノリ一発の演奏も存在しない。クールなんだが、温度感もほどよく感じることが出来る音楽だ。この温度感がちょうどいいのだ。吉沢元治さんが、富樫さんについて言われた言葉に、「富樫は共演者が”ここでこの音が欲しい”と思ってたら、正にそこに最高の音を入れて来るんだよ。」が有る。海外のミュージシャンも、こぞって富樫雅彦との共演を望んでいたが、残念ながら鬼籍に入られその望みは絶たれてしまった。
1989年埼玉のSpaceWhoに、富樫雅彦、佐藤允彦、峰厚介、井野信義のカルテットが出演した。「全曲ビ・バップでやってみよう。」となった。リハなしぶっつけ本番だった。その時富樫雅彦の体に、昔さんざん演奏し身に染み込んでいたジャズの血が騒いだようだ。今、ビー・バップを演奏するとなると他の3人のレベルには太刀打ちできないと考え、最初のこのバンド「J.J.Spirits」の録音まで2年を要している。1991年収録の2枚がリリースされ好評を博した。3作目は翌年夏のライヴ・アンダー・ザ・スカイでのライヴだが、ここでは富樫と佐藤のオリジナルが演奏された。さて、この4作目は、93年のスタジオ録音なのだが、全曲オリジナルなのは前作と同じ。だが、ここではビートのあるジャズを演奏することは無く、峰厚介を除く3人には日常的なフリーな演奏になっているのだった。全て富樫の曲が取り上げられている。フリーとは言え、ゴリゴリとパワーで押し切るようなフリー・ジャズではなく、抑制の効いたクールな表情を持った空間の感触を感じさせる演奏だ。でも、J.J.Spiritsのテーマ曲の「Monk'sHat Blues」の導入部は生で聴いたら凄い迫力だっただろう。フリーな演奏となると峰厚介はどうなるのかが、フリー・ジャズに普段馴染んでいるリスナーの注目部分となることだろう。激烈とな言えないが、パワーで押すところは押す。フリーの猛者3人に入っての演奏だが、堂々の演奏は立派。
ジャズファンには、1970年代のハンニバル・マーヴィン・ピーターソンのグループで演奏する彼女の演奏をご存知の方は多いだろう。ジャズには珍しいチェロ奏者として注目をされた。フリージャズの動きをこまめに追って行っている者には、Leroy Jenkins’s The Jazz Composer’s Dieder Murray/ディーダー・マレイは、1951年NYC,ブルックリン生まれのチェロ奏者。 Orchestra:For Players Onlyの参加が知られるだろう。ムハール・リチャード・エイブラムス、ヘンリー・スレッギル、ジュリアス・ヘンフィル、アーチー・シェップらのアンサンブルに参加し、多くのアルバムにも参加してる。ジェームス・ブラウンとの共演もあるようだ。現代音楽の演奏と作曲でもたくさんの成果を現しており、ダンス、オペラ、合唱曲の作曲でも大変評価が高い。Fred Hopkinsは、1947年シカゴ生まれのベーシストで、ヘンリー・スレッギル、スティーヴ・マコールとのトリオAIRのメンバーとしても有名だ。マレイとホプキンスは、ヘンリー・スレッギルのアンサンブルに同時に参加をしていた仲で、多くのアルバムで二人の演奏が聴ける。本作は、1992年に録音された二人によるチェロとベースのデュオ・アルバムだ。マレイのチェロは、ジャズ・ベーシストが余技に演奏しているようなレベルに非ず。ホプキンスはと言うと、元々がチェロを弾きたかったのに、楽団にチェロが置いてなかった為、ベースを演奏するようになった経緯がある。単に「マレイの後ろでバックを務める」レベルに非ず。二人のアイデアが湧き出て止まらない感じの演奏は、弦楽器二人だけの演奏をはるかに超えており、聴き手も時間を忘れる。翌年にも二人の演奏は録音され、Black Saintから「Stringology」としてリリースされた。
マリオン・ブラウンは、コルトレーンの「アセンション」に抜擢され、ESP、Impulseと言ったレーベルに重要な録音を残した60年代のフリー・ジャズの闘士の一人だった。しかし、ESP盤での「カプリコーン・ムーン」のようなリリカルな曲を作り演奏をしたり、そのアルトサックスの音色も当時のアーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、ガトー・バルビエリらのようなノイジーな音色ではなく、ジョニー・ホッジスがフリー・ジャズを演奏しているかのような軽やかで明るく柔らかい感触を持った音色だった。実際、1950年代、ブラウンはジョニー・ホッジスのバンドに参加した事もあった。1969年のアルバム「Port Novo」のようなHan Benninkと渡り合ったハードな演奏もあるが、70年代に入ってからは、ジョージア3部作のように自身のルーツに向き合った心象風景を現したような傑作を連発して行った。70年代半ばになると、よりオーソドックスなスタイルに向かって行った。とは言うのの、無伴奏ソロ・サクソフォンのアルバム、Gunter Hampel(vib)とのデュオ・アルバムも残している。1979年リリースの「November Cotton Flower」は、当時の傑作アルバムだ。1978年と79年には来日公演もあった。本作は、1992年日本のヴィーナス・レコードのためにNYCで録音されたもの。当時、ブラウンはギターとピアノを従えたトリオでの演奏が多かったが、ここではベースとドラムも加えたクインテットで演奏している。恩師と言ってよいコルトレーンの曲名をアルバム・タイトルに持って来て、コルトレーンの「After The Rain」も演奏し、コルトレーンに捧げたオリジナル曲「Ode To Coltrane」を演奏している。演奏からは、成熟した薫りが立ち昇る。
No Man’s Landは、ドイツ人Jürgen Königerによって1984年に設立された当時の主にニューヨークを中心とした先鋭的な音楽シーンを紹介していた重要なレーベル。Fred Frith、Christian Marclay、Tom Cora、Zeena Parkins、Lindsay Cooper、David Garland、Zoviet-France、Half Japanese、Skelton Crew、Iva Bittovaの中に混ざって藤井郷子のGato Libreも有ったりもする。「Island of Sanity」は、エリオット・シャープがプロデュースしコンパイルした80年代半ばのニューヨーク・アンダーグラウンドの沸々と煮えたぎるような新しい音楽シーンの正に創成期を切り取ったアルバム。2枚のLPの中に、Wayne Horvitz率いるThe President、Skeleton Crew、Christian Marclay、Charles K.Noyes、Butch Morris,Bill Horvitz&J.A.Dean、Sam BennettらのBosho、Mrtin Bisi、Elliott SharpらのMofungo、David Garland、Carbon、Robert Previte、David Fulton、David Linton、John ZornらのLocus Solus等々超個性豊かな全22曲が聴ける。通常の音楽のコンパイルものだと、ミュージシャンやバンドは変われど、全体の雰囲気は想像を超えるものではないけれど、この2枚組LPは違う。当時はNew WaveどころかNo Waveとの呼ばれていたが、一人一グループが夫々の新しい音楽を作り上げて行っていた。各々が我々聴き手の想像をはるかに超えた鮮度とエネルギーが満ち満ちた音楽を創造しており、もうそこにはFree Jazzも、Rockも、Funkも、Improvised Musicさえもが混濁と化した鍋の中に放り込まれて煮込まれて行ったのだった。もはや一つのジャンルとして「」付け出来るはずもなく、だからこそのエネルギーが噴き出て行ったのだった。だが、この大きな流れも時間と共に、時代に取捨選択されていくのは仕方のない事。この中から、一部のスターが生き残り、次のシーンをその後現れた若い者達がまた新たに作り上げる。その循環こそが大事なのだ。
Pheeroan aKLaff/フェローン・アクラフ(Paul Maddox)は、1955年デトロイト生まれのドラマー。日本では、山下洋輔ニューヨーク・トリオのメンバーとしてよく知られている。イースタン・ミシガン大学では、映像史、弁論、比較政治学、スピーチ、演劇を学んでいる。エール大学では、アフリカ芸能史、ジャズ、デルタ・ブルースの歴史を修めた。その頃から演奏を始め、Dwight Andrewsと「DejaVu」を結成した。1976年ワダダ・レオ・スミスと出会い、彼のアンサンブル「New Dalta Ahkri」に参加しアルバムも残した。スミスとの関係は現在も続き、多くの共演アルバムがある。その後、Oliver Lake、Anthony Davis、Henry Threadgill、Anthony Braxton、Jay Hoggard、Geri Allen、山下洋輔ら共演は多数に上る。1977年と78年には、ニューヨークのシェークスピア祭に俳優として出演もしている。伝統的なジャズのビートに固定されない幅広い彼のドラムの演奏は、それまで学んで来たアフリカからブルースまでの影響や、その文化的背景や、演劇、スピーチからの影響も大きいのだろう。初アルバムは、1979年の「House Of Spirit:Mirth」(Passin’ Thru)は、ドラム・ソロ・アルバムだった。続くアルバムがこの「Sonogram」だ。すぐれたミュージシャンでプロデュサーのRobert Mussoが立ち上げたレーベル「MU Records」からのリリース。Pheeroan ak Laffの他は、John Stubblefield(ts)、Carlos Ward(as)、Sonny Sharrock(g)、Kenny Davis(el-b,b)。グループの編成自体は特に変わっている訳ではないが、シャーロックの超個性的なギターが加わった事で、ギターが第三の管楽器のように聴こえたり、時に爆発するようなソロを取って演奏を異次元に連れて行ったりもする。フロントとバックのリズムが異なっていたり、またはその逆であったりと、アレンジも凝っている。リズム・キーパーに終わらないリーダーとしての大きな力量を開示した力作。
Barry Guy/バリー・ガイ(ベーシスト、作曲家)率いるThe London Jazz Composers Orchestraは、1970年に結成された。1972年のThe English Bach Festival at The Oxford Town Hallで演奏された「Ode」は、当時INCUSからリリースされ、1996年には、スイスのレーベルIntaktから、コンプリートな形で再発されている。そのIntaktから、Barry Guy &
The London Jazz Composers Orchestraのアルバムは、リリースされ続けており、今日まで8枚のCDと1枚のDVDがカタログに残っている。尚、1983年リリースの「Stringer」は、FMPからのリリース。本作「Harmos」は、1989年チューリッヒで収録されたオーケストラの4作目に当たるアルバム。総勢17名による、43分を超える曲が1曲収録されている。バリー・ガイが参加しているエヴァン・パーカー・トリオの3人は勿論の事、バール・フィリップス(b)、ポール・ラザフォード(tb)、トレヴァー・ワッツ(reeds)、ハワード・ライリー(p)、ヘンリー・ロウサー(tp)、ラドゥ・マルファッティ(tb)、フィル・ワクスマン(vln)、マーク・チャリグ(cor)等々のリーダー格が勢ぞろいした豪華な布陣だ。バリー・ガイ作曲の「Harmos」は、柔らかで厳粛なムードのメロディーとハーモニーを中心としている曲だ。その合間を縫って、エヴァン・パーカー、ポール・ラザフォードら1音聴けば誰と分かる個性を持った者達が、ソロや複数でのソロの絡みで誠にパワフルな演奏を繰り広げている。作曲された部分と彼らの過激なソロの対比や混ざり具合が面白い効果を上げている。本作以外の作品も、どれも必聴だ。
Didier Petit/ディディエ・プチは、1962年フランス生まれのチェロ奏者。6歳からチェロを学んだ。12歳の時、ミッシェル・ポルタルとベルナール・リュバの演奏を聴いたことで、大きな衝撃を受けて自身の音楽の方向性を見つけたようだ。その後は、Sun Ra ArkestraとAlan Silva Celestrial Communication Orchestraに強く惹かれて行った。後、Celestrial
Communication Orchestraに参加し、「Desert Mirage」で彼の演奏が聴ける。フランスの即興演奏の重要なレーベルのひとつ、In Situを1989年創設。Daunik Lazro、Michel Doneda、Joelle Leandre、Herve Bourde、Le Quan Nihn、Denis Colin、Francois Tusques、Jac Berrocal、Un Drame Musical Instantane、Lois Sclavis、Helen Breschandらフランスの重要なミュージシャン達の他、Steve Lacy、Sakis Papadimitriou、Joe McPhee、Malcolm Goldsein、Carlos Zingaro、Evan Parker、Xu Feng Xiaらも取り上げて、質量ともに重要なレーベルに成長させている。本作は、In Situからではなくて、イギリスのレーベルLeo Recordsからのリリースだ。ここでは、ディディエ・プチは、19世紀にドイツで製作された古いチェロを演奏している。全12曲に分かれたチェロによる無伴奏ソロが収められている。内9曲は、チェロ1本による長さが4,5分のソロ演奏だが、最後の3曲は多重録音になっている。ピチカートとアルコを使い分けたゆったりとした、又はせわしないノイジーな演奏が混ざり合う。最後の多重録音された3曲は、その前に聴こえて来た様々な演奏パターンやテクニックを同時に混ぜ合わせた感じで、再生の音量を上げて聴くと結構迫力がある。古いチェロの持つ楽器のボディの響きも捉えられた録音からは、木の振動を感じさせる。2013年に録音された、Petit(cello)、Sylvain Kassap(cl)、Miya Masaoka(筝)、Xu Fengxia(guzheng/古筝)、Larry Orchs(ts)による「Humeurs」(RegueArt)が新鮮な響きを聴かせて、推薦したい。2016年には、北京でソロ・アルバム「D’Accord」(RegueArt)を録音している。
オーネット・コールマンの故郷のテキサス州フォートワースに1983年に、バックミンスター・フラーが設計したジオデジック・ドームに囲まれたスタジオ、劇場、レストラン、屋上庭園等が集まった総合施設「キャラヴァン・オブ・ドリーム」が設立された。オーネット・コールマンも地元の文化施設の設立に関わりがあったようだ。その施設が運営したレーベル「キャラヴァン・オブ・ドリーム」からは、オーネット・コールマン、ロナルド・シャノン・ジャクソン、ジェームズ・ブラッド・ウルマーらのアルバムがリリースされた。そのキャラヴァン・オブ・ドリームからリリースされた本作は、1987年に収録されたオーネット・コールマンのユニークなアルバム。LPの1枚目は、1959年当時ジャズ界を震撼させたドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン、ビリー・ヒギンズを擁した「オリジナル・カルテット」を。2枚目は、当時の「プライム・タイム」の演奏が収められた2枚組としてリリースされた。このアルバムのユニークな点は、対照的な二つのグループが同じ曲を7曲演奏していることだ。アコースティックなオリジナル・カルテットと、エレクトリックなアンサンブルのプライム・タイムが、同じ曲を演奏することで、何が同じで何が違うのか。アコースティックな演奏をしている当時から「ハーモロディック」の概念は曲作りにも反映されていたそうだが、本作は、オリジナル・カルテットから始まる30年間を総括したアルバムとの位置付けも出来るだろう。羽織った衣装は違えど、彼の演奏の本質は何ら変わってはいないことが分かるアルバムでもある。
Ahmed Abdullah/アーメド・アブドゥラ(tp,fl-hr)、Marion Brown/マリオン・ブラウン(as)、Billy Bang/ビリー・バング(vln)、Sirone/シローン(b)、Fred Hopkins/フレッド・ホプキンス(b)、Andrew Cyrille/アンドリュー・シリル(ds)と言う正にオールスターが集まった、その名も「The Group」。一回限りのレコーディング・セッションで集まったのではないのが凄い。マリオン・ブラウンとシローン(Norris Jonesとしても知られている)は、ジョージア州アトランタの同郷の仲。1966年録音のマリオン・ブラウンのアルバム「Why Not」と、同年のアーチー・シェップの「Three For Shepp」にも揃って参加している。ここでは、シローンともう一人のベーシスト、フレッド・ホプキンスも参加しており、これ以上無いほどのツゥー・ベース・ヒット!の組み合わせが嬉しい。グループの屋台骨をしっかりと支えている。そこに百戦錬磨のドラマー、アンドリュー・シリルが加わるのだから、これ以上何を望む?と聞きたくなるくらいだ。そして、70年代のロフト・ムーヴメント以来シーンの先頭を風を切って進んでいたビリー・バングとアーメッド・アブドゥラが加わる。アルバム冒頭は、ブッチ・モリスの曲から始まる。ブラウンのソロがいい。お馴染みミンガスの「Goodbye Pork Pie Hat」では、アブドゥラの20年代のエリントン・バンドから抜け出して来たようなご機嫌なソロが聴ける。ブラウンの名曲「La Placita」は、ブラウンは勿論だが、バングの力演が聴ける。アルバム全編に渡って、バングのソロは快演だ。そのバングの曲に続いて、ミリアム・マケバの「Amanpondo」は、25分の力演! 1986年NYCでのこの貴重な録音は、アブドゥラの靴箱の中に25年間眠っていたのだそうだ。無事サルベージされて感謝。
Gerry Hemingway/ジェリー・ヘミングウェイは、1955年コネチカット州、ニュー・ヘヴン生まれのドラマー、作曲家。彼の祖母はコンサート・ピアニスト、父はヒンデミットに作曲を学んでいたと言う音楽一家だった。自身は、10歳の頃ドラムを始め、17歳でプロになりジャズを演奏していた。当時のニュー・ヘヴンには、Wadada Leo Smith、Anthony Davis、George E.Lewis、Anthony Braxtonが住んでいた。彼らとの共演は、若いヘミングウェイにとっては他では得られない大きな糧となった事だろう。70年代後半に、Mark Helias(b)、Ray Anderson(tb)と共に、「BassDrumBone」と言う名前のトリオを結成した。1983年から94年にかけて、Marilyn Crispell(p)、Mark Dresser(b)と共に長年アンソニー・ブラクストン・カルテットのレギュラー・メンバーとして活躍をした。リズム・セクションの3人は、マリリン・クリスペル・トリオとしても活動をしていた。ここでの活躍が、彼の名を広く知らしめる事にもなった。何より、彼のドラマーとしての腕前にはいつも感心させられたのだった。本作は、1985年、地元ニュー・ヘヴンのスタジオでの録音。Helias(b,el-b)、Anderson(b,tuba)という長年の盟友に加え、David Mott(bs)、Ernst Reijseger(cello)の参加したクインテットでの演奏だ。全5曲、曲毎に変化に富んだ作曲家としてのヘミングウェイの力量も見せたアルバムになっている。トロンボーン(チューバも)、バリトン・サックス、チェロ、ベースという重心の低い楽器だけを揃えて、それを非常に効果的に表現出来る曲になっている。ボトムをベースに任せて、チェロはより自由に曲調に合わせて演奏する。特に2曲目は、低音域だけを重く響かせる12分余りのユニークな曲だ。ヘミングウェイは、ドラマーというよりは打楽器奏者の雰囲気で、繊細な音を叩き出している。
現代のジャズ・シーンでの最高のバリトン・サックス奏者の横綱は、ジョン・サーマンとハミエット・ブルーイェットが東西を分けると言っても過言ではないだろう。特に、ハミエット・ブルーイェットは、ハリー・カーニー以降の最高のバリトン・サックス奏者ではなかっただろうか。過去形で書いたのは、2018年残念ながら亡くなってしまったからだ。フリー・ジャズ・ファンなら知っていて当たり前のような活躍をして来たブルーイェットだろうが、一般的なジャズ・ファンはどうなのだろうか。もしチャールズ・ミンガスのアルバム、「Mingus at Carnegie Hall」をご存知なら知らず知らずのうちにブルーイェットの演奏を耳にしているはずだ。このライヴ・アルバムには、Charles McPherson(as)、John Handy(as,ts)、George Adames(ts)、Roland Kirk(sax)と言う強者達のサックス奏者の集まったグループなのだが、ブルーイェットのバリトン・サックスは大いに活躍を見せている。R・カークの大暴れは別格だが・・。そんなジャズからインプロヴィゼイションまでをこなすブルーイェットの両面が聴ける1983年のSweet Basilでのライヴ録音がこれだ。Hamiet Bluiett 5
のバンド名で出演しており、ブルーイェット(bs,cl,a-fl)の他、John Hicks(p)、Fred Hopkins(b)、Marvin Smitty Smith(ds)、Chief Bey(African ds,perc)と言う、幅広い演奏が出来るメンバーを揃えている。1曲目は、ウェイン・ショーター作曲の「Footprints」では、クラリネットが聴ける。続くオリジナル曲「EBU」ではバリトン・サックス。「Song Song」ではフルート。その後の3曲は全てバリトン・サックスでバラードからノリノリのブルースの演奏が聴ける。なんでもこなせるメンバーだからこその演奏なのだが、ヒックス達の演奏も、彼等の通常のアルバムからは聴けないような多彩な顔を見せてくれている。
デューイ・レッドマンは、1931年テキサス州フォートワースと言うオーネット・コールマンと同じ町に生まれた。サンフランシスコでファラオ・サンダースらと演奏していたが、1967年にニューヨークへ進出後は、同郷のオーネット・コールマンのグループに参加して、「ニューヨーク・イズ・ナウ」、「ラヴ・コール」、「パリ・コンサート」等々の傑作を残している。脱退後は、キース・ジャレットの通称アメリカン・カルテットへの参加が注目される。現在のキース・ジャレットの姿からは、デューイ・レッドマンとの共演はあり得ないようなイメージかも知れないが、オールド・ファンには、そんな濃い時代のキース・ジャレットも今のソロやスタンダーズ・トリオ同様にキース・ジャレット像を形作っているのだ。「Death and the Flower」、「The Survivor’s Suite」、「Fort Yawuh」等々も聴いて欲しい。レッドマンが参加したアルバムで、意外でもあったし、聴いて納得だったのが、1980年にリリースされた「Pat Metheny:80/81」だ。マイケル・ブレッカーとの2テナー・サックスを吹き合ったアルバムで、お互いの強い個性の違いが、パット・メセニーの設定した場でせめぎ合って楽しめた。この時、メセニーのオーネット・コールマン・フリークが露わになった瞬間でもあった。この録音の2年後に同じくECMに吹き込まれたのが、本作「The Struggle Continues」だ。チャールズ・ユーバンクス(p)、マーク・ヒライアス(b)、そしてオーネットのグループ仲間だったエド・ブラックウェル(ds)が参加したカルテットは、所謂フリー・ジャズと言うよりは、オーソドックスなジャズの演奏だが、そこはかとなく60年代のオーネットのグループの香りが漂うのだ。
2018年9月4日 私は、1996年1月2日以来の久しぶりの沖至さんのライヴを防府で開催した。96年のライヴは当時経営していたcafé Amores/カフェ・アモレスで行った、沖さん、井野信義さん、そしてスペシャル・ゲストでわざわざこの日の為だけに来日してもらった崔善培さんとのトリオ・ライヴだった。この日の録音は、No Business Chap Chap Seriesから「紙ふうせん」としてCD&LPでリリースされ、なかなかの好評を得ることになる。
2018年のライヴは、防府天満宮を下った場所にあるcafé Opus。ピアノが置いてある瀟洒な店だ。この日は、沖さん、川下直広さんと波多江崇行さんとのトリオ・ライヴ。久しぶりに会う沖さんは、相変わらずの異国情緒?を漂わせる強いオーラを纏ったままだった。演奏はというと、噂だけは聞いていた自作のユニークな形をしたトランペットや、民俗楽器の笛を操ってのフリーからスタンダード・ナンバーまで、沖節と言えそうな沖さんしか演奏しえない個性を持った演奏を堪能させていただいた。
このライヴの後に、東京では沖さんと佐藤允彦さんとの久しぶりの共演があると知り、胸が躍ったのだった。沖さんと佐藤さんは、富樫さん、高木さんを含めた日本のフリージャズ史の最初期を飾る伝説の(幻のと言ってもいいかも。なにしろ音源が残っていないのだ。あるいは発掘されていないのか?)Experimental sound space group(ESSG)のメンバーだった。だが、それ以降は、1985年と1993年の佐藤さんの欧州ツアーでの共演くらいという数少ないもので、2018年10月7日公園通りクラシックスでのライヴは実に25年ぶりというものだった。これは、沖さんからの「是非トーサとDUOをやりたいんです。」と、たっての願いが実現したライヴ。我々ファンとしても是非是非聞きたいDuo Liveではないか。これを知った時は、東京まで飛んで行きたかったが、残念ながらそれは叶わなかった。
だが、ライヴの音源(佐藤さんが録音していたもの)が、こうしてCDと言う形になって、我々の耳にも届くことになった。私は、まだCDが発売前にこれを書いているのだが、佐藤さんから送られて来たデータ・ファイルをCD-Rに焼いて(古い人間ですから)聴いていたのでした。実は、早くから佐藤さんに「ちゃぷちゃぷレコードから出さない?」との打診があったのだけど、色々と事情がありまして?断念したという経緯もあったりしています。
さて、発売されるCDでは、お互いのソロが2曲。デュオが5曲の合計7曲。曲名は「Message1~7」と書かれている。佐藤さん自身が編集されたもの。
ライヴの始まりは、まずは沖さんの無伴奏ソロ・トランペットが10分くらい続く。佐藤さんは、沖さんの気持ちを乱すのを恐れてその間一音も弾かれなかった。25年ぶりの沖さんのトランペットの音を聴衆も含めて一番堪能していたのは佐藤さんだっただろう。佐藤さんの頭の中を走馬灯のように、沖さんとの懐かしい想い出の光景が浮かび上がっていたのではなかっただろうか。10分くらいたって、ここぞという場所に佐藤さんの打鍵が振り下ろされる。低音の一撃だった。瞬時に空間が緊張するのが分かる。沖さんのトランペットの音も一気に緊張をはらむ。しばらくDuoが続き、その後佐藤さんのピアノのソロになる。この演奏が凄まじい!色々なピアノ・ソロを聴く機会が多いが、近年まれにみる壮絶なソロなのだ。言っては悪いが、「1941年生まれですよね?」と聞きたくなる。パワーもスピードもあふれ出るアイデアも、とめどもなく奔流となって聴き手に襲い掛かる。無尽蔵のアイデアとパワーに圧倒されるのみ。続いて二人によるLush Lifeをモチーフとした演奏が始まる。壮絶な嵐の後の日の当たる海を感じるもので、一旦こちらの耳もリセットされる。そして、「待ってました!」と思うのは私しかいないかもしれないが、沖さんの民俗楽器の笛の演奏だ。シンプルな笛だけで、ここまで豊かな表情を見せるのは、あとはドン・チェリーとワダダ・レオ・スミス以外にはいない。素朴な音が沁みる演奏。これに見事に合わせられる佐藤さんのピアノもさすが。その後もデュオが続くが、この日の〆はシャンソンの名曲「バラ色の人生」だった。沖さんのトラペットの音がよく似合う。ドラマチックな25年ぶりの邂逅の〆にふさわしい演出だった。
全部で70分あまりの演奏だが、25年ぶりの邂逅とはいえ、おそらく「次はどうする?」といった事前の会話は一切なされていなかっただろう。これがインプロヴァイザーたる所以であり特権であり、我々もそこから湧き出て来る他では味わえないスリルを共有するのだ。沖さんの色彩感溢れる音色と変幻自在の演奏がもうライヴで聴けないのは残念だが、こうして残されたアルバムで後50年、100年と聴き続けられるのだ。佐藤さんには、まだまだ20年はこのままのエネルギーで突っ走ってもらいたいなあ。それだけ、凄い演奏でした。また、沖さんのトランペットのような肌触りの演奏を出来る者は本当に少なくなっている。これも時代の流れかもしれないが淋しい気がする。
兎にも角にもCD化実現に感謝!
*Jazz Tokyoレヴューより転載。
謝明諺/シェ‧ミンイェンは、1981年台湾、台北生まれのサクソフォン奏者。
ブリュッセルのハーグ王立音楽院で、John Ruocco とJeroen Van Herzeeleに師事。
2012年に台中サクソフォン‧コンクールで優勝。ジャズ、ロック、フォーク、ヒップホップ、エレクトロニクスからアヴァンギャルドまで様々なプロジェクトに参加し活躍している。
ファーストアルバムの「Firry Path」、日本人ミュージシャンとの「東京中央線:Lines & Stains」、「Non-Confined Space/非/密閉空間:Flow,Gesture,and Spaces」と言ったアルバムは、1作毎にジャズを基調としながらも、アコースティックなジャズからエレクトロニクスも導入した先端的なものまで多彩な演奏が聴ける。
本作「上善若水」は、台湾気鋭のピアニスト・李世揚/ Shih-Yang Leeと豊住芳三郎(ds,二胡)との即興演奏を収録したアルバムだ。彼のアルバムの中では異質な部類に属するかもしれないが、彼のたくさん有る引き出しの一つとも言えるだろう。演奏は、空間を広く取った録音の効果もよくて、サックスの存在感のある音や繊細な音、ペダルを効果的に使ったピアノの音の細やかな音、そして豊住の変幻自在なドラムや二胡の厳しい音色が絡み合った演奏がリアルに耳に飛び込んでくる。豊住は二胡を選択する事が多い。これが「サックス+ピアノ+ドラムス」から受ける印象とは異なるユニークな演奏に仕立て上げている一つの要因でもある。今、台湾は東アジアの重要な即興演奏も含む音楽の拠点になっている。
マッテオ・フラボニは、長く世界中のリズムを求めて旅を続けた。2019年ついにインド、ムンバイにてレコーディングを敢行することとなった。地元インドのジャズ・ミュージシャンのAnurag Naidu(el-p)、Shirish Malhotra(as,ss,fl)にイタリア人のGianluca Liberatore(b)を加え、2曲だけだがヒンドスタニー音楽を演奏するヴァイオリン奏者Sharat Chandra Srivastava(vln、西洋のヴァイオリンとは奏法が大きく異なる。)も参加している。
インドこそリズムの宝庫だ。西洋音楽では到底及ばないリズムの多彩さは、インド音楽の大きな特徴だ。カルナータカとヒンドスタニと言う2つの大きな音楽の潮流があり、インド亜大陸を大きく二分している。よく知られているラーガは季節や時刻ですら演奏するに当たって規定され、西洋には無い微分音程が用いられる。ターラで規定されているリズムの複雑さは、コンピューターの演算レベルにある。ジャズのように感情の高ぶりやノリで演奏する場面はインド音楽には無い。
そんなインド音楽とジャズの融合か? これまでジャズとインド音楽の融合は無かったわけではない、アリ・アクバル・カーンとジョン・ハンディの共演。ヨーロッパのフリー・ミュージックのミュージシャン達がシタール奏者と共演したアルバム。ラヴィ・シャンカルとバド・シャンク。ジョン・マクラフリン・シャクティは、よりインド音楽寄りだった。ヴァイオリン奏者のスブラマニアムとL・シャンカルのジャズ・アルバムは多い。
さて、本作だが、ことさらジャズとインド音楽を融合させた演奏にはなってはいない。こちらのステレオタイプな発想はブチ砕かれる。あくまでもジャズのフィールド内での演奏だ。だからと言って通常のジャズのビートとは違うのだ。一見タイトなリズムなんだが、複合リズムになっていたりする。フラボニらしいリズムの仕掛けが施されている。しかし、それを難解には見せずに心地よい音楽に昇華させているところがにくい。
注目は地元インドのジャズミュージシャンというところになるだろう。これも、日本人が演奏するジャズだからとフィルターを掛けて聴くことがないのと同じく、世界中の国や地域で、人種・民族を問わず演奏されているジャズだから、ことさら「インド人の演奏するジャズ」と、フィルターを掛けなくても良い。とは言え期待はすると言うものだ。それを叶えてくれるのが、Sharat Chandra Srivastavaのヴァイオリンだ。2曲しか参加していないのが少々残念なのだが、こちらの期待答えたインドのヴァイオリンらしい音色と小節(こぶし)を効かせた演奏が聴ける。正直、彼のヴァイオリンをもっと聴きたかったなあ。
このアルバムは、Vol.1となっている。Vol.2.3とこの企画は続いて欲しい。生演奏を聴いてみたいものだ。
本作は、2016年にリリースされたマッテオ・フラボニ・クインテットのアルバムだ。
フラボニのドラムスの他は、自らのビッグ・バンドも率いているMassimo Morganti(tb)、イタリアのジャズ・シーンの最前線で活躍するサックス奏者Marco Postacchini(sax)、シンフォニー・オーケストラでの演奏もする気鋭のベース奏者Gianludovico Carmenati(b)、そしてピアニストの Emanuele Evengelista(Fender Rhodes)によるクインテット。
アルバムのテーマは「ラテン」。フラボニは、これまでジャズのリズムをメインにしながらも、様々な国や地域の多彩なリズムを探求して来た。今回のアルバムでは、ラテンに照準を合わせた様だ。
さて、「ラテン」とは何か? 私のような日本人には分かっているようで分かっていないところがある。「ラテン」は、古代から続く地中海世界の言語であり、文化を指す。ルーマニアや中南米もその文化圏に属する。「ラテン音楽」と言えば、主にスペイン語圏の音楽が思い浮かぶ。ヨーロッパの和声とジャズ、ゴスペル、ファンク、ブルースと言ったアフリカ系アメリカ人の音楽要素に加えて、アフリカのリズム、カリブ海のリズム等々が混ざり合って混血して出来た様々な音楽~スカ、レゲエ、サルサ、ミロンガ、マリアッチ、フォルクローレ、サンバ、ボサノヴァ等々が。
そんなラテン音楽の要素とジャズを混ぜ合わせてこれまでもディジー・ガレスピーのアフロ・キューバン・ジャズなんかが演奏されて来たし、キューバからはイラケレと言ったグループも現れた。チック・コリア然り。
本作だが、1曲目のアフロ・キューバン・ジャズからスタートする。ガレスピーのアフロ・キューバン・ジャズと比べると、燃える様なビートとリズムではなくて、現代的なクールな表情だ。続いては、ブラジル音楽の軽快なリズムが心地良い。フェンダー・ローズの起用が心地よく響く。アコースティック・ピアノではリズムのメリハリが強くなるので、ローズの使用はこのアルバムの色付けをかなりの部分背負っているところがある。演奏全体の重心が少し高くなっている。トロンボーンもサックスも様々な曲想にマッチした軽快な演奏が楽しい。
その後の曲は、これのどこが「ラテン」なんだろう?と、浅学の私には疑問符が浮かぶ。「これもラテンの部類にはいるのだろうか?」「フラボニの意図は何なんだろう?」と。
カリブ海、南米から中近東(「The Rythm of A Camel」と「A Muslim Call」)続いて日本かも?(IKIGAIと題された曲がある。)そして最後はニューオリンズに行きつく。地球を東回りをして一周したと考えれば壮大な音楽の旅だ。これのどこまでが「ラテン」なのか?
そんなことまで考えなくても、ハードバップを基調に、様々なラテン・リズムを混ぜ合わせて作られたカラフルなジャズの演奏を楽しめばいい。全8曲、曲毎に異なった表情を見せる演奏は何度聴いても楽しいのだ。「ラテン音楽」は楽しくなければつまらないではないか。
それにしても、フラボニの体にはどれだけのリズムが入っているのだろうか。