LP/CD Review 2

123~Sonde:en concert(MGM/1977&78)

SONDE(ゾンデ? 高層の気象測定をする気球のことか?)は、カナダ、モントリオールのエレクトロ・アコースティックの作曲家、パフォーマー達が集まって作ったグループ。1976年から86年までの間活動していた。基本的なコンセプトは、Mario Bertoncini/マリオ・バートンシーニが考案したもので、メンバーは度々変わっていたようだ。主なメンバーは、Andrew Culver,Kieth Daniel,Charles de Mestral,Pierre Dostie,Chris Howard,Linda Pavelka. 音響彫刻を作って、それを使った即興演奏をしていた。ただ目新しい音が出ればいい、面白い音が出ればいいと作られた創作楽器じゃなくて、音響彫刻として制作されているので、見た目も彫刻として展示してあっても楽しいものだ。最近再発されたCDのブックレットには、そんな作品の写真が多数掲載されていて見ているだけでも楽しい。その写真からは、どうやって音を出しているのかが分かるものも有る。主に、叩く、弓で弾くことで音を出しているようだ。ただそれだけではなくて、彼らの面白いところは、音響彫刻から出た音をさらに電気増幅、変調を加えるところだ。まるで、広瀬淳二の制作したSelf-Made Sound Instrumentのような彫刻も有る。出た音をマイクで拾ったり、おそらくコンタクト・マイクも使っているかもしれない。エコー・マシンを使った演奏では、まるでタージ・マハル旅行団かと勘違いしそうなところもある。演奏者が声を発しているとは思えないのだが、まるで人声かと思える音も度々聞こえて来る。電子音楽と言われても不思議はないような音が響く。いや、これはライヴ・エレクトロアコースティック・インプロヴィセイションと呼んでもいいかもしれない。

 

122~Bernard Vitet:La Guepe(Futura 1971)

Bernard Vitet/ベルナール・ヴィテは、1934年パリ生まれのトランペット奏者。映画専攻の学生だった52年、あるジャズ・コンサートに行ったのがきっかけになり、トランペットを始めた。ジェフ・ジルソンらとの共演を経て、65年にフランソワ・テュスクらとフランス最初のフリー・ジャズ・グループを結成した。76年ジャン・ジャック・ビルジェ、フランソワ・ゴルジェと結成した「アン・ドラム・ミュジカル・アンスタンタネ」は重要。71年録音の本作は、彼の初リーダー作。現代音楽のようなクールな響きが全体を覆う。ヴォイスの上に様々な楽器が絡みつき演奏は展開して行く。映画を見ているようだ。「アン・ドラム・ミュジカル・アンスタンタネ」こそ映画を音で表現しているような所があるが、すでに同じ感覚を持っていたのだろう。それが後年に同じ傾向を持った三人が集まりひとつのグループに収斂して行ったという事なのだろう。79年の多重録音によるソロ作「Mehr Licht!」良い。

 

121~Conrad Bauer:Solo(Amiga/1980)

Conrad Bauer/コンラッド・バウワーは、1943年旧東ドイツのゾンネンベルク生まれの、当代屈指のトローンボーン奏者の一人。弟のヨハネスも同じく優れたトロンボーン奏者だ。プロとしての最初のキャリアは、ギタリスト&歌手としてだった。それも、Ernst-Ludwig Petrowskyのバンドだったというから面白い。ペトロウスキーやウルリヒ・グンペルトのグループで活躍中の76年からは、無伴奏ソロを始める。80年東ベルリンで録音されたこのアルバムは、その最初の成果を記録したもの。東ドイツのレーベル「Amiga」からリリースされた。全6曲。信じられないような超絶的テクニックで縦横無尽に吹きまくる。多重録音かと思ってしまう瞬間があるくらいだ。テクニックが表現手段に直結してしまっている感は、否めない。が、ここまでやってくれると「あっぱれ!」と言ってしまう。以降は、もっと余裕のある演奏をするようになる。

 

120~Fred Anderson&Steve McCall:Vintage Duets Chicago,January 11,1980(Okka/1980)

Fred Anderson/フレッド・アンダースン(ts)は、1929年ルイジアナ州モンロー生まれ。(関係の無い話だが、防府市は、このモンロー市とは姉妹縁組している。) AACMの創設メンバーの一人。65年に「クリエイティヴ・ジャズ・アンサンブル」を結成している。Steve McCall/スティーヴ・マッコール(ds)は、1933年シカゴ生まれ。彼もAACMの創設メンバーの一人。70年代はヘンリー・スレッギル、フレッド・ホプキンスとの画期的トリオ「エアー」でも活躍した。そんなAACMの重鎮二人による80年のデュオアルバム。抜群の繊細さとパワーを併せ持つマッコールを相手に、アンダースンは、どっしりとそして悠然と構え、盟友とのデュオを慈しむかのごとく対話を続ける。派手さはないが、滋味豊かな演奏。こういうアルバムこそが、自分が棺桶に入るまで聴き続ける事の出来る逸品なのだ。

 

119~Jean Charles Capon,Lawrence "Butch" Morris,Philipe Mate,Serge Rahoeson(Palm/1976)

これは、コンダクションで有名な故ブッチ・モリスが、フランス滞在中に吹き込んだ、彼の最初期の演奏を聴くことの出来るアルバム。76年といえば、デヴィッド・マレイの初リーダー作の吹き込みの年。モリスは70年代マレイのグループに長く参加していた。この録音は、その前夜に当たる。共演のフランス勢三人も、今でも活躍している。全体的に、多重録音も含めて、きっちりと構成されている。あまりフリーキーにならず、しかし自由にモノを言うといった感じ。誰かが突出してソロを取るような所はない。四人のコレクティヴ・インプロヴィゼイションだ。なんだか、ニューオリンズ・ジャズの香りもしてくる。チェロのカポンが面白い。ベースの役割を越えて、絶えずモリスやマテに対話を仕掛けていく。しかも、ラホーソンのドラムと一緒に全体をスウィング(彼等なりの・・)させている。密かな愛聴盤。後年、このブッチと会えるなんて思いもしなかった。

 

118~Read Miller:Mile Zero Hotel/The Blueprint Of A Promise(Cold Blue/1981)

Cold Blue 25cmLP ,とどめの一枚はロス・アンゼルス界隈で活躍していた詩人、ドラム&パーカッション奏者、作曲家のRead Miller/リード・ミラーの1981年録音。困ったことに自作の詩の朗読なのだ。何故困らなきゃいけないのかと言うと、私はとてもこの朗読を聞きながら翻訳出来る脳ミソを持ち合わせていないのであります。まあ、これはロックやポップスを聴く時も同じなんでありますが・・・。気を取り直して。side oneは、ミラー自身の他、ギタリストで作曲家のリック・コックスと、Janyce Collinsの三人が朗読。side twoは、ミラーのみ。朗読といっても、おそらく「曲」として作られた「作品」なのだろう。三人がバラバラに朗読しているかと思ったら、「LOVE・・・」という所でピッタリ三人の声が重なるようになっている。朗読そのものは、まるで脱力したような抑揚のないもので、これもそのようにするよう指示されているのであろう。英語を解さない者は、日本語の詩を読むことにいたしましょう。やれやれ。これでレヴューと言えるのか?

 

117~Barney Childs:Clay Music(Cold Blue/1981)

Barney Childs/バーニー・チャイルズ(1926年~2000年)は、アメリカの作曲家。Cold Blueから出たこのアルバムは25cmLP。Susan Rawcliffeの製作した陶器製の楽器の為の音楽が収録されている。ネットで検索すると陶器製の楽器の写真を見ることが出来る。どれも手作り感いっぱいのユニークな楽器達だ。部屋の調度品として飾っていても、ちょうどいい感じ。それを、Susan Rawcliffe,Lisette Rabinow,Georgia Alwan,Scott Wilkinsonが演奏している。Space Whistles,TransverseFlute,TubaFlutes,SmallNecklace Ocarina,Middle-sized Ocarinas(in E and C),Bass Ocarina,Pipes,Aztec Pipes,Double Pipe,Triple Pipesと名前が付けられている。一体どんな楽譜になっているのか分からないが、どれも質素でナチュラルで素朴な音だけで構成されている。結構即興性のある楽譜なのだろう。これを「ゲンダイオンガク」と呼ぶには、あまりに素朴すぎるような・・・? アンデス山脈や、アメリカ西部の山岳地帯、シベリア奥地、中央アフリカの村々、オーストラリア大陸、ボルネオ奥地等々どこにでも探せば出て来そうな感じのする楽器達でもあり、音楽でもありと言ったところか。お茶を飲みながら日向ぼっこがよく似合う音楽。

 

 

116~Masahiko Satoh/佐藤允彦;Multi Spheroid/多次元球面(日本コロムビア/1976)

1976年「第二回インスピレーション&パワー」(副島輝人氏主催のフリー・ジャズ大祭)、二日目に行われた佐藤允彦による「リフレクション」と題されたソロ・ピアノ・コンサートの録音。これがただのソロじゃない。三人の佐藤允彦による同時演奏とでも言おうか。オープンリールのレコーダー4台で、5秒と52秒のディレイを作り、これにリングモジュレーターを加え、佐藤自身が演奏中に其々の録音、再生、リング変調のon/offを操作すると言うもの。このシステムを組み上げるだけでも当時は大変な作業だっただろう。今なら簡単だ。楽器屋に行けばいくらでもこのシステムを組むことが出来る。だが、これが大事なのではない。(システムを組み上げたのは大変だったことでしょうが) 自分が出した音が、5秒後と52秒後に再生されるのである。その音に対してリアルタイムに反応しなければならない。おまけに、後から出て来る音をその時々に応じて、そのまま流すか、消してしまうか、はたまたリング変調するのか、これをリアルタイムに演奏しながら行わなきゃいけないのである。頭が三つは必要な気がする。実際、LPを聴いているだけでも、今聴こえたフレーズが「今帰ってきた!」、「それに佐藤さんはこう反応した。」、「あれ、聴こえて来ない?」、「電子音楽じゃないか!」等々、聴く方も正直相当疲れるし、相当に面白い!

115~Masahiko Satoh/佐藤允彦&Yosuke Yamashita/山下洋輔;Piano Duo/偶語(日本コロムビア/1973)

日本のJAZZを常に牽引し続けてきた両ピアニストによる1973年のコンサートからの録音。何と、ピアノのDUOである。この日のコンサートは前半は、佐藤のトリオ「がらん堂」(録音の少ない伝説的グループ。乞う発掘CD化)、そして山下トリオ。コンサート後半がここに収録されているピアノDUOだ。「偶語」とはなっているが、「相対して語り合う」などという生易しいシロモノではない。もうこれはピアノを使った格闘技セッションだ。とは言うものの、40分間もの間二人がド突き合ってるワケじゃない。相手の動きを観察する所もあれば、片方が引いて、音の土台を作り、片方がその上で自由に動き回る。これをお互いが行う。かと思えば正に正面衝突もある。と、いった具合で40分間が進行する。共にパワーもテクニックもセンスも持ち合わせているので、全く途中ダレるなんてことは無い。佐藤は、この半年後高橋悠治とのDUOを録音しているが、こことは全く違った演奏になっている。何ともスケールの大きなミュージシャンであることよ。

 

114~Rick Cox:These Things Stop Breathing(Cold Blue/1981)

Rick Cox/リック・コックスは、カリフォルニアの作曲家、クラリネット、そしてギター奏者(クラリネットはやめてギターに専念しているようだ。)。これは1981年のCold Blueの25cm盤。A面は「These Things Stop Breathing」。コックスのエレクトリック・ギターとMarty Walkerのクラリネットのデュオ。B面は「Taken From Real Life」。コックスのエレクトリック・ギターとヴォイスのソロ。アンビエント・ミュージックのパイオニアの一人と言われているようだが、正にミニマルな限られた音が延々と続くような錯覚を起こさせる。90年代にクラリネットと弦楽四重奏の曲を発表したりしているようだが、相当なひん作家のようだ。一体どうやって飯食ってるんだろう? 

 

113~Daniel Lentz:After Images(Cold Blue/1977&80)

Daniel Lentz/ダニエル・レンツは1942年生まれのアメリカの作曲家。このアルバムは1977年録音の「Slow Motion Mirror」、「Midnight White」、「Solar Cadence」の三曲。1980年録音の「Dancing On The Sun」の一曲からなる、なんと珍しい25cm盤LP。Cold Blueというロス・アンジェルスのレーベルは、どうしたわけか収録時間を抑えて、昔で言うところの十インチ(トウインチ)盤をリリースしていた。これもその中の一枚。ダニエル・レンツは、「Cascading Echo Systems」という演奏中の音を録音し、数十秒後に再生をするという装置?を開発し、ここでも使用している。

A面は四人のヴォイスとキーボードが、B面は一人のヴォイスとキーボードが演奏している。かなり遅れて前の音が現れて来るのだが、それを見越して作曲されている為、音の混乱は一切みられず、後のEnjaでも聴いているかのような霧のかかっているかの如き響きが心地よい。彼のアンサンブルは来日公演を果たしている。

 

112~Sonny Murray:Sonny's Time Now(JIHAD/1965)

サニー・マレイ(SONNYからSUNNY Murrayに表記が変わった)は、1936年オクラホマ州アイダベル生まれのドラマー。ただのドラマーではない、正に革命的ドラマー。ドラマーは基本的には定形ビートを刻むものだが、彼はパルス・ビートと言おうか、細かい連続したパルスをうねるように送り出す。60年代初頭のセシル・テイラーの音楽形成には欠かすことの出来ない存在だった。セシルと出会ったことで、彼の独特なドラミングは開発されて行ったのは間違いないだろう。そんな彼もプロとしての最初の仕事は、ウィリー・ザ・ライオン・スミスやヘンリー・レッド・アレンといったトラディショナルなジャズメンとの共演だったというから、何だか嬉しくなる。あんなドラムが突然地から湧いて出たワケじゃないのだ。このアルバムは、なんとフロントの二人が凄い。アルバート・アイラーとドン・チェリー。この時代これ以上の組み合わせがあっただろうか? これは今から目線の反応なんだが・・。強力なフロント陣にマレイのパルス・ビートのうねりが襲いかかる。アイラーもチェリーも激しいブロウをかまし続ける。さらに嬉しいのが、リロイ・ジョーンズによる「ブラック・アート」と題する詩の朗読が聞けるのだ。熱い時代の熱いJAZZ! それはそれはオソロシイ録音なれど、最初は「ジハッド・プロダクション」というマイナー・レーベルから自費出版の形で少量リリースされたようだ。今も昔も最先端はそんなもんだ。

 

111~Albert Ayler:New Grass(Impuls/1968)

1968年録音の「ニュー・グラス」は、長い間アルバート・アイラーの異色のアルバムと言われ続けて来た。「銭儲けの為に売れ線に走った。」と、真顔で言う者がちょっと前までは結構いたものだった。フリー・ジャズ・ファンからは「シャリコマ(コマーシャルのこと)になった。」と毛嫌いされ、普通のジャズ・ファンは元々がアイラーと聞いただけで拒絶反応を起こす。いくら「スピリチュアル・ユニティ」がジャズのガイド本に載っていようと、まず手は出さない。さて、このアルバム、何故ここまで嫌われていたか? その訳は。ここにはR&B,ゴスペルが大胆に導入されているから。ジャズ・ファンの耳は驚く程許容入力が乏しい。価値基準が「ジャズか否か。」だけだったりする者がなんと多いものよ。これ、私の長年の体験によるものである。さすがに最近は昔程ひどくはないだろうが・・・。さて? 現在では、ジャズ・ファンよりは、ロック・ファンの方が受け入れているようだ。これこそ、アイラーが目指した音楽に最も近かったのではと思ったりもするが、死の直前に録音されたマグー財団でのコンサートの演奏を聴くと、「レコード会社の圧力?」とも思ってしまう。ん~?

 

110~Ted Daniel:Tapestry(SUN/1974)

テッド・ダニエルは、1943年生まれのトランペット奏者。十代の頃、ソニー・シャーロックとバンドを作り、69年にシャーロックの「ブラック・ウーマン」でレコーディング・デビューを飾っている。初リーダー作は、70年録音のUJAMAA盤。こちら「タペストリー」は、74年オーネット・コールマンのロフト「アイティスト・ハウス」での録音。まさにロフト・ジャズ・ムーブメントの真只中の時期の演奏だ。だから熱きフリー・ジャズを想像されるかもしれないが、これが少々違うのだ。エレクトリック・ピアノを使い、音色の柔らかいヴァイブラフォンを入れ、リズムも結構ファンキーなのである。でも、正に「真っ黒け」の音楽には違いない。彼は、この当時中村達也のバンドにも参加しており、78年には来日している。中村のアルバムにも参加している。

 

109~Bruce Ditmas:Yellow(Wizard/1976)

Bruce Ditmas/ブルース・ディトマスは、1946年アトランティックシティ生まれのドラマー。マイアミで育つ。父親は、マイアミ・ビッグ・バンドのトランペット奏者だった。大学卒業後は、アイラ・サリヴァンのバンドで活躍した。ジュディ・ガーランド、バーバラ・ストライザンドらとの共演歴もある。64年から70年の間シーラ・ジョーダンと共演を続けた。68年NYに出る。ポール・ブレイ、ギル・エヴァンス、リー・コニッツ、パット・メセニー、チェット・ベイカー、スタン・ゲッツ等と共演を重ねた。IAIの「ジャコ・パストリアス、パット・メセニー、ブルース・ディトマス、ポール・ブレイ」、スティーヴ・キューンの「Live in New York」、そしてギル・エヴァンス・オーケストラの70年代中期の名作への参加でご存知の方も多いと思う。ギルのオーケストラには、79年から85年まで70年代に続き再度参加している。70年代後半は、ソロやドラム・マシーンを使った実験を重ねていた。このアルバムは、ちょうどその頃の録音で、彼のソロ・アルバムだ。ソロと言っても、通常のドラムセットを叩いているものではなくて、全編ミニ・モーグやARP2600と言ったシンセサイザーの電子音が飛び交っている。シンセサイザーと言っても、フージョン等で使われる鍵盤楽器として使うのではなくて、エレクトロニクスとして使っており、響きは電子音楽然としている。ちなみにこれらシンセサイザーは、ギル・エヴァンスからの寄贈だそうだ。通常のドラムを使ったトラックは、逆にパワフルなフリー・ジャズ。なんだかこのアルバムでは浮いた感じが無きにしも非ずだが。一曲、エンリコ・ラヴァと、ヴォイスのジョアン・ラ・バーバラのトリオになっている。このアルバムのよいアクセントとなっている。この3人だけでも1枚のアルバムで聴いてみたかった。

 

108~Michael Byron:Tidal(Real American Music/Neutral Records1982)

Michael Byron/マイケル・バイロンは、1953年シカゴ生まれの作曲家。同世代の作曲家Peter Gordon/ピーター・ゴードンと共に、カルアーツでJames Tenney/ジェイムズ・テニーやHarold Budd/ハロルド・バッドに作曲を学び、西海岸の音楽シーンで活躍。一曲目の「Entrances」は、4台のピアノの為の曲。ここではDavid Rosenboom/デヴィッド・ローゼンブームが一人で多重録音をしているようだ。短い音型が変化しながら次々と形を変え、分厚い音像を形作る。JAZZ系のインプロヴァイザーが4人集まったらこうなりそうな音にも聴こえる。ローゼンブームは即興にも長けているので、きっちりと書き込まれてはいないのかもしれない。結構JAZZ的な推進力を持つ音楽ではあるのだ。二曲目の「Tidal」は、ヴァイオリン、チェロ、ベース、ピアノ、そして長年の付き合いのピーター・ゴードンによるポリフォニック・エレクトリック・キーボードによる演奏。曲名そのままの潮の流れを見ているような、持続音が絡まりながら永遠と続くようなゆったりとした曲。このあたりが、レーベル名の示す、「リアル・アメリカン・ミュージック」なのだろう。ヨーロッパからは現れて来そうにない感覚だ。

 

107~Anthony Braxton:3 Compositions Of New Jazz(Delmark/1968)

Anthony Braxton/アンソニー・ブラクストン,1968年録音のデビュー・アルバム。A・ブラクストン(as,ss,cl,fl,Mussette,Accordian,bells,Snare Drum Mixer etc.)、Leroy Jenkins/リロイ・ジェンキンス(Violin,Viola,Harmonica、Bass Drum,Recorder、Cymbals,Slide Whistle,etc.),Leo Smith/レオ・スミス(tp、Mellophone,Xylophone,Bottles,Kazoo、etc.)のトリオに、一曲彼等のドン、Muhal Richard Abrams/ムハール・リチャード・エイブラムス(p,Cello,a-cl track 3 only)も参加している。AACMの特徴のひとつの他楽器主義がここでも見られ、各人主要楽器の他数多くの楽器を操る。どこか中心に向かって三者が突進するというフリー・ジャズではなくて、同時に多方向に音が向かって行く、空間を思いっきり広く取った演奏。時間までもが一方向に流れずに、他の宇宙空間へと飛んで行くかのようだ。AACMのもう一つの代表的グループArt Ensemble Of Chicago/アート・アンサンブル・オブ・シカゴより、ブラクストン・トリオの方がより先鋭的なサウンドを指向していたように思う。どちらが優れているという話ではない。このトリオは、この他にもBYGとFREEDOMに3作録音している。写真のジャケットはCD版。

 

106~Art Ensemble Of Chicago:LIVE(Delmark/1972)

1972年1月15日、シカゴ大学のマンデル・ホールで行われたアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(略してAEC)のコンサートを収録したアルバム。1969年、アンサンブル全員がパリに移住(この時はドン・モイエはまだ参加していなかった)。BYGやFREEDOMに多くのアルバムを吹き込んだ。メンバー5人は、主要楽器の他にも数多くの楽器を使う。全員が打楽器を操ったが、この頃はまだドラムス&パーカッションの名手ドン・モイエはいなかった。パリ在住中にモイエが参加し、アルバム「Chi-Congo」から彼の演奏を聴くことが出来る。その後帰国し、シカゴを拠点に活発に活動を始める。ちょうどその頃豊住芳三郎が単身AACMに乗り込んで行った時期だった。このコンサートの最後に演奏された日本語によるタイトルが付けられた曲「Mata Kimasu」は豊住氏が帰国する時教えた日本語を使ったもの。抜群のバネと瞬発力を備えたドン・モイエのドラムを中心に様々な楽器が次々と立ち現れる。集団即興の醍醐味を思う存分味わおう。

 

105~Sam Rivers:The Quest(Red/1976)

Sam Rivers,サム・リヴァースの1976年イタリア、ミラノでの録音。ベースのDave Holland、デイヴ・ホランドと、ドラムのBarry Altschul,バリー・アルトシュルとのトリオ演奏。リヴァースは、テナー&ソプラノ・サックス、フルート、ピアノを使用。LPの解説は、イタリア語なので、この録音についてのくわしいことは全く分からない。多分このトリオでイタリア・ツアー中に吹き込まれたものだろう。イタリアのレーベル「Red」ということもあって、まるで話題にも上がらないアルバムだが、これを素通りすると、特にサム・リヴァース・ファン(まあ、たいしていないだろうが)は損をすることになる。ホランド&アルトシュルという鉄壁のコンビの自在な演奏に、リヴァースがサックス、フルート、ピアノで丁々発止とやり合うのだ。さすがにピアノとなると、ホランド&アルトシュルには「サークル」でのチック・コリアとの切れ味鋭いインタープレイを思い出してしまい、リヴァースのピアノとの差を感じざる得ないところもある。そこは、本業ではないことを差し引けば、これはこれで十分聴かせるものを持っている。サックス、フルートとなると、貫禄がものを言うというものだ。再発は無いかな・・・? 発見したら、即購入を勧める。

 

104~Suryanarayana playing the South Indian Vina(Philips/1978)

スルヤナラヤナと舌を噛みそうな名前のヴィーナー奏者のアルバム。ユネスコ・コレクションからの一枚。楽器やカルナータカ音楽についての説明は、ラム・ナラヤンの所で説明済みなので省く。このアルバム(録音年月日は不明。このLPは1978年にリリースされた。)のユニークな所は、B面。「ラーガ・マーリカー(ラーガの花輪)」が聴けるのだ。これは、あるラーガを演奏中に、それとは別のラーガの音を最初は装飾音として滑り込ませる。その音が定着して来たら、そっちのラーガに完全に移行するのだ。これを数種類使い、まるで、幾種類ものラーガで花輪を作ったように感じられることから「ラーガ・マーリカー」と、言われるようになった。通常ラーガが途中変わることは無い。特に、シタールは共鳴弦がたくさん張ってあり、それはこれから演奏するラーガに合わせて調弦あれるので、途中ラーガを変えられたら対応出来なくなる。ヴィーナーの場合は、シタールのような共鳴弦が張られてはいないので、途中のラーガの変更が可能なのだろう。ここでは、ムリダンガムの伴奏は付けられていない。無伴奏のヴィーナーの独奏である。結構早いテンポで演奏される。これを瞑想に使うなんてことはお門違い。長年の愛聴盤。

 

103~SNAPSHOT/JAZZ NOW JAZZ AUS DER DDR(FMP/1979)

「FOR EXAMPLE 」の興奮冷めやらぬ間に、FMPは東ドイツのミュージシャンだけの演奏ばかりを集めた二枚組LP(豪華なブックレット付き)をリリースして来たのだった。当時は、ドイツはまだ東西に分かれていた。ベルリンという一つの都市が半分に分かれていたことは、今の若い者には到底ピンとは来ないだろう。カーテンの向こう側のJAZZ。それも、フリー・ジャズを垣間見ることが出来るだけで、興奮を覚えていた時代だった。1979年8月10~12日にかけてベルリンでFMPは、東ドイツのミュージシャンだけでコンサートを開催した。これは、その中から選曲されたアルバム。東ドイツのミュージシャンのアルバムは、すでにFMPは1973年のErnst-Ludwig Petrowskyのアルバム「Just For Fun」、Ulrich Gumpert+Gunter Sommer+Manfred Heringの「Old Song」を皮切りに時々アルバムをリリースして来た。しかし、それはPetrowsky,Gumpert,Sommerらに限られていた。この二枚組LPで初めて聴くことが出来たミュージシャンが多かった。当時、東ドイツにはAMIGAという国営のレーベルがあって、結構な枚数のフリー・ジャズのLPをリリースしてはいたが、さすがに入手は困難だった。ベルリンの壁もとっくに無くなって、誰が旧東独出身のミュージシャンだなんて気にもしない時代だが、結構旧東独出身の優れたミュージシャンが多いのに気づくことだろう。先に上げた三人の他、トロンボーンの達人のBauer兄弟、M・Schulze,H・Becker,K・Koch,H・Rempel等々。ブックレットは、「FOR EXAMPLE」同様、写真も豊富で見ているだけで楽しい。解説もたっぷりとある。

 

102~FOR EXAMPLE/WORKSHOP FREE MUSIC(FMP/1969~1978)

ドイツのFREE MUSIC PRODUCTION(FMP)が、1969年から1978年にかけての録音をLP三枚に収録し、豪華なブックレットと共に箱に入れたスグレモノ。LP一枚目は、S・Lacy,P・Ruthefford,H・Reichel,T・Honsinger,Van Hove,D・Bailey,A・Mangelsdorff,J・Dyaniの無伴奏ソロ。二枚目は、Schlippenbach Trio,Brotzmann/Van Hove/Bennink+Mangelsdorff,Frank Wright Unit,Schweizer-Carl Quartetのグループ。三枚目は、Willem Breuker Orchestra,Globe Unity Orchestra,Vinko Globokar&Brass Group,ICP-Tentetのオーケストラを収録。全て未発表録音のようだ。その中でも、ヴィンコ・グロボカールのトロンボーンだけでも11人+1フレンチホルン、1チューバというグループの演奏がユニーク。豪華なブックレトは、たくさんの写真が掲載されており、見ているだけで楽しい。当時の活気がこっちにも伝わって来る。読み物も豊富(ドイツ語と英語)。ヨーロッパ・フリーの全盛期の興奮を三枚のLPとブックレットで大いに味わおうと言う豪華なセットだ。これをCDのサイズにしたら、味気ないだろうなあ。特にブックレットは。

 

101~Jerome Cooper,Kalaparusha&Frank Lowe:Positions 369(Kharma/1977)

Jerome Cooper/ジェローム・クーパ(ds,perc,wooden fl ,gong-bell,saw,bike-horn),Kalaparusha Maurice Mcintyre カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイヤー(ts,cl,wooden fl,indian-bells)、Frank Lowe フランク・ロウ(ts,indianbells,whistle)の三人による1977年のライヴ録音。聴くまでは、さぞかし三人が過激に豪快に演奏しているのだろうと思っていたら、全く予想に反して、各自のソロ、デュオ、トリオと組み合わせを替え、変化を付けてのライヴだった。それに、いかにもパワープレイも得意そうな二人のサックス奏者も、特にデュオの時がそうなのだが、お互いが思慮深く会話をしているかのごとし。むやみにパワープレイには走らない。そして、ジェローム・クーパーのドラムは、ジャズのドラムと言うよりは、どこかアフリカの太鼓を思わせる独特なものだ。所謂フリー・ジャズのドラムとは相当趣が違う。短いパターンを高速で繰り返し、二人のサックス奏者を鼓舞している。特にクーパーのソロは圧巻! 普通のジャズ・ドラムのソロとは一味も二味も違う。アルバム最後は、三人の怒涛のエネルギー・ミュージクで締める。が、これもどこか余裕のあるものだ。額に血管を浮き上がらせるようなものではない。時代はすでに、1977年。60年代のようなパワープレイだけで(勿論、皆が皆なそうではなかったが)事足りる時代じゃなくなっていたのだった。エネルギー・ミュージックをフリー・ジャズだと狭義で捉えるのなら、ロフト・シーン華やかりし70年代の音楽は、すでに「フリー・ジャズ」とは呼べないかもしれない。「クリエイティヴ・ミュージック」と呼ぶ者もいた。そこから脱して次の段階に入っている時期と言える。この時期のロフト系と言われたミュージシャンの演奏のどこを取っても、60年代に聴けたパワフルで疾走するフリー・ジャズは、ほぼ聴けないだろう。より進化・深化した表現が花開いたのが70年代のロフトを中心にしたシーンだった。残念ながら、音質はあまり良くない。

 

100~Peter Brotamann&Han Bennink:Atsugi Concert(GUA-BUNGUE/1980)

1980年4月8日 神奈川県厚木市の労働会館で行われたペーター・ブロッツマンとハン・ベニンクのDUOコンサートから編集されたアルバム。銀ぎら銀の凝ったジャケットに収められていた。「厚木ジャズ・サーカス」というフリー・ジャズ好きなサークルの自主制作アルバム。当時のこの二人は、来日ミュージシャンとしたら超目玉!最大級のスーパースター!(まあ、我々ヘンタイ・リスナーにとっては) コンサートから数年後、何とこのコンサートのヴィデオをいただいたのだった。このLPというよりも、ヴィデオを見てのレヴューとなる。

ブロッツマンは正直、想像内にとどまった演奏だった。とは言うもののそのサックスの爆音は今でも十分すぎるほどの破壊力だ。私は、このコンサートの後に行われた中野と市ヶ谷のコンサートに行っているので、生音は今でも記憶にこびり付いている。とにかく凄かったのはハン・ベニンク! 一応はドラマーってことになっているのだが、この時使った楽器?だけでも、オリジナルに組まれたドラム・セット(スティックのデカイこと!)、テナー・サックス、Cーメロ・サックス、トロンボーン、クラリネット、ヴァイオリン、ピアノ(椅子で弾いた!)、大きな竹、脚立、ハサミ等々。サックスなんて、ブロッツマンより実は上手いと言う、あるサックス吹きの証言アリ。これらを取っ替え引っ替えし、ステージ上をあっち行ったりこっち行ったり、開放されてしまった子供の様。だが、目は覚めてる。どこにも熱狂したところは感じられないのだった。それは、大ブローをしているブロッツマンにも言える。このアルバムは、そんな演奏をカット編集したもの。映像は無いので、そこは想像を膨らませていただきたい。

99~Michel Pilz,Peter Kowald&Paul Lovens:Carpathes(FMP/1975)

Michel Pilz,ミヒェル・ピルツ(でいいのか?)は、1945年生まれのドイツのバス・クラリネット奏者。同じくドイツのペーター・コヴァルト(b)、パウル・ロフェンス(でいいのか?、ds)との1975年の録音。当時、バスクラ専門のインプロヴァイザーは彼だけじゃなかっただろうか。現在は同じドイツ人でルディ・マハールがいる。バスクラと言えばJAZZファンならエリック・ドルフィーやジョン・サーマンが思い浮かぶだろう。ピルツの演奏するバスクラの音色は、ドルフィー達と比べると相当固く刺激的な音色だ。生前、井上敬三さんとピルツの話になった時、井上さんは「ピルツの音色は汚いから好きじゃない。」と言っておられた。確かに木管楽器のふくよかな丸い音とは言いかねる。私は、激しいフリー・ジャズ、インプロヴァイズド・ミュージックをするのなら、これくらいの刺激は欲しい。ピルツの演奏は、グローブユニティ、M・ショーフ、沖至さんのアルバム等で結構聴く事が出来るが、リーダー・アルバムは意外と少ない。これは、コヴァルトとロフェンス(本当の発音を誰か教えて。)との刺激的な演奏が聴ける好盤。無伴奏バスクラ・ソロも聴ける。

 

98~New Music For Electric And Recorded Media(1750 Arch Records/1977)

女性作曲家Pauline Oliveros,ポーリン・オリヴェロスのアドヴァイスで制作された、女性作曲家、それも電子音楽を集めた1977年リリースのアルバム。Johanna M.Beyer,Annea Lockwood,Pauline Oliveros,Laurie Spiegel,Megan Roberts,Ruth Anderson,Laurie Andersonの1938年から1977年までの作品を収録。Meyerの「Music Of Spheres」は、1938年の作品。電子音楽の最初期の作品になるだろう。説明を読まずに聴いていたら、これがまさか1938年の曲だとは気が付かないだろう。それよりも、機材も発達した70年代の曲の方が、時代を感じる。使用するメディアの可能な範囲は限られる。その時代で作る事が出来る限界も存在するのが、新しいメディアに依存せざるを得ない芸術、音楽の宿命かもしれない。だから「つっ走るのみ!」。70年代に入ると、「シリアス・ミュージック」(いやな言葉だ)の中にPopな感覚が入り込んで来る。ローリー・アンダースンがそう。聴いて楽しいのは60年代のテ-プ音楽だなあ。

 

97~Sirone:Artistry(Of The Cosmos/1978)

Sironeことノリス・ジョーンズは、1940年アトランタ生まれのベース奏者。1970年に、リロイ・ジェンキンス(vin)、ジェローム・クーパー(ds,perc)と結成した「リヴォリューショナリー・アンサンブル」は、70年代屈指のアンサンブルの一つだった。このアルバムはおそらくシローンの初リーダー作。メンバーはフルートの名手james Newton、AECの名ドラマーDon Moye、そしてチェロ奏者のMuneer bernard FennellにSironeのベースという編成。所謂フルート・トリオにせず、Fennellのチェロを加えたのが、アンサンブルに厚みと多彩さを与えることになった。テーマ部分以外は四人のコレクティヴ・インプロヴィゼイションになるのだが、全く破綻することがなく、スリリングなインタープレイを聴かせ、見事なアンサンブルを形成している。これだけの強者が集まれば当然か。地味なアルバムかもしれないが、こういうのを一生聴き続けられる音楽と言う。このジャケットじゃあ、なかなか手に取ってもらえそうにない。私は、逆に「何じゃこりゃ?」と手に取って、ミュージシャンのクレジットを見て驚いたクチだが・・。

 

96~William Hooker:...is eternal life(Reality Unit Concepts/1975&6)

William Hooker,ウィリアム・フッカーは現在でもアルバムのリリースを続けているバリバリのドラマー。これは、1975&6年のライヴ録音を集めた二枚組アルバム。これを買ったのは1979年頃だったのだが、リーダーのドラマーのことは全く知らず、David Murray,David Wareの名前と、フッカーのふてぶてしい面構えが気に入って購入したのだった。これが大正解! フッカーの怒涛のドラムと、サックス陣が一騎打ちと言う血湧き肉躍る演奏だったのだ。だが、彼は単なる「体力JAZZ」?のノー天気なドラマーではない。彼は、詩人でもある。ここでも詩の朗読が聞ける。Hasaan Dawkins,Les Goodsonのサックスと自身の豪快なドラムの演奏に乗せて、声を張り上げることなく詩を読み上げている。これは、現在のアルバムでもよく聴くことが出来る。MurrayとWareという現在最高峰のテナー・サックス奏者の若きし頃の演奏を聴き比べられるのも楽しいアルバムだ。

 

95~Charles Austin:Miami(Atomosphere/1979)

Charles Austin,チャールズ・オースティンは、マイアミを拠点に活躍していたサックス奏者。ソプラノ、アルト、テナーのサックスのみならず、フルート、クラリネット、オーボエ、イングリッシュホルンも吹く。オースティンと言えば、必ずジョー・ギャリヴァン(イギリスのドラム、パーカッション、シンセサイザー奏者)の名前が抱き合わせのように出て来る。これまでのアルバムは二人の共同名義ばかりだ。しかし、これは珍しくもC・オースティンのリーダー・アルバムだ。(当然の如くギャリヴァンも参加している。)オースティンの地元マイアミを音で描いたといった風情を感じる。オーボエ等の柔らかい音を使って、JAZZ・JAZZしていない演奏が多いのだが、サックスに持ち替えると途端にホットなJAZZの色が濃くなる。所々男女の詩の朗読も混ざり、コンサート全体を組曲として構成してあるようだ。ビートルズの「ミッチェル」も演奏され、美しく解体されて美味。オーボエの音色がよく合っている。アメリカでは、ローカル・ミュージシャンといえども要注意。

 

94~Larry Dubin and CCMC(Music Gallery Editions/1976~78)

Larry(Lawrence Jacob) Dubin(ラリー・ダビンでいいんだろうか?)は、1931年NYC生まれのドラマー。だが、カナダのトロントに住み50年代からJAZZドラマーとして活躍していた。1978年にトロントで47歳で亡くなっている。このLP三枚組のセットは、おそらく彼への追悼としてリリースされたのだろう。76年から亡くなる年の78年までの録音から選曲されている。共演はマイケル・スノウ(カナダの音楽、絵画、彫刻、映像、映画、写真、ホログラフィー、書籍に至るまで何でもこなすスーパー・アーティスト)が率いる即興集団CCMC(来日し近藤等則と共演したことも有る)のメンバー達。M・スノウとのDUOから6人までの色々な組み合わせで演奏されている。彼はJAZZと言ってもディキシーランド・ジャズを主にやっていたようだが、70年代半ばにフリー・ミュージックを始めたそうだから、この録音で聴ける演奏は、フリーを初めて間もない頃ということか。間もないワリには、他のメンバーとの丁々発止とした迫力と繊細さを併せ持った演奏はさすがだ。このCCMCと言う即興アンサンブルは、リーダーのM・スノウの破天荒と言ってもいい程の感覚の冴えが突出していて、誠にユニークな音響空間を創出するのだ。ここでも、ピアノの他、トランペットやシンセサイザーも使って、ちょっと他では聴けない面白さなのである。ドラマーのリーダー作と言うよりも、CCMCのアルバムと聴いた方がいいかも。LP三枚と言う長さは感じない。

 

93~Polly Bradfield:Solo Violin Improvisations(Parachute/1979)

ヴァイオリン奏者、Polly Bradfield ポリー・ブラッドフィールドの1979年録音の無伴奏ヴァイオリン・ソロ・アルバム。幼い頃からピアノとヴァイオリンを演奏していた彼女は、高校生の時セシル・テイラーを聴いた事で、大学でJAZZを学ぶ。NYCでユージン・チャドボーンやジョン・ゾーンと出会い、それからはヴァイオリンに専念することとなった。セシル・テイラーに影響されJAZZを始めたらしいが、直接の影響は彼女の演奏からは感じられない。パワフルな表現は極力抑えた禁欲的な音が特徴だ。アルバム・ジャケットに、小さな頃の彼女がノコギリで木を切っている所写真がデザインされている。彼女のヴァイオリンの音を暗示している。そう、所謂クラシックのヴァイオリン奏者が出す、あの美音とは正反対で、正に「ノコギリ弾き」なのだ。意識的にそうしているワケだ。ここでの演奏には、通常のフレーズの感覚も無い。ヴァイオリンがノイズ発生器と化している。私個人はヴァイオリン・アルバムの傑作のつもり。

 

92~Lesli Dalaba:Trumpet Songs&Dances(Parachute/1978&9)

トランペット奏者(近頃はビリンバウも)、Lesli Dalaba レスリー・ダラバの1978&9年録音の無伴奏トランペット・ソロ・アルバム。内2曲ほどDUOも含まれる。Wayne Horvitsがなぜかベースを弾いたものと、ヴァイオリンのPolly Bradfieldとの演奏だ。あのトランペットの輝かしい音色を想像、期待されると肩透かしを食うだろう。大きく、強く吹き放つ音とは正反対のくぐもった音がほとんどだ。ルイ・アームストロングとは正反対の音。昔のニューオリンズでは全く相手にされなかっただろう音だ。大きな口を開けて話すのではなくて、口先だけでブツブツ小言を言っているような感じ。勿論意図的にそうしているワケだ。1曲共演しているポリー・ブラッドフィールドのヴァイオリンも、ダラバのトランペットと趣味を同じくする演奏で、よくウマがあっている。近年も、ジーナ・パーキンスやイクエ・モリ等のアルバムで演奏が聴ける。彼女は後、漢方医学に興味を示し、漢方薬、鍼を習得したらしい。

 

91~Percussive Unity:Live~Only Change Is Unchanging/Motivation(Sue Music Group/1977)

Percussive Unityは、1970年代後半に活動していたパーカッションの小幡亨、ギターの中井正之、エレクトリック・ベースの小沢靖のトリオ。1977年京都の「サンタ・クロース」でのライヴ録音。グループの形態は所謂ギタートリオだが、出てくる音はそのイメージからは相当遠い。sideAの「Only Change Is Unchanging」は、全員がsmall percussionだけで演奏をしたもの。後半少し盛り上がる所が出てくるが、基本的には音数少なく静かな演奏が続く。弛れることがないのはさすが。sideBの「Motivation」は、高柳昌行・ニュー・ディレクション・ユニットの「集団投射」のような激しい演奏。ということは、sideAの演奏は、「漸次投射」というところか。相当影響を受けているようだ。そう考えて聴くと、本家と比較すれば、録音のせいもあるのだろうが、sideBのパワー不足は否めないか。だが、sideAの演奏は、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ達の同じような局面とも違うし、ニュー・ディレクション・ユニットの漸次投射とも異なる個性を持っている。ここでベースを弾いている小沢靖はその後灰野敬二の「不失者」に参加し、そこをやめた後は、元「イースト・バイオニック・シンフォニア」の面々と、その後継バンドとも言える「マージナル・コンソート」に参加された。しかし、2008年にCOPDから肺癌に蝕まれ惜しくも死去されてしまった。何だか、同じ病気を持っている私の行く末を見るようで、妙な親近感が湧いている人。パーカッションの小幡亨はクラシックの打楽器奏者として活躍されているようだ。

 

90~張思翼/Jang Sa Ik;第1集(表記不能/1995)

張思翼(チャン・サーイク)さん、46歳にして初アルバム。チャンさんとは、数回日本と韓国でお会いしている。金大煥さんに言わせると金さんの「NO.1 カバン持ち」なんだそうだ。日本のNO.1は大倉正之助さん。私は山口のNO.1カバン持ちなんだそうな。広島の宮島で行われた金さんの展覧会&コンサートの時は、チャンさんは韓国の伝統楽器のホジョク等を演奏されていたので、てっきり国楽の演奏家とばかり思っていた。二度目に韓国に行った時、金さん、姜さん、崔さん、吉沢さん、怪獣めぐら、高木さん、サブさん、そして私とカミさんとで、李光寿(イ・グヮンス)さん、サムルノリ(若い演奏家で結成されている方。キム・ドクスさん達のではない)達が出ると言うコンサートに行った(この時、誰も入場料を払った覚えが無いんだが、これで良かったのか?)。この時、顔見知りだった張さんが出て来て見事な歌を披露されたのだが、驚いたことにお客達全員が一緒に歌っているではないか!ようするに、ヒット曲なのである。歌手だったとは、そしてこんなに人気の有る人だとは知らず、もうただただ驚くのみ。このアルバムだが、張さんの1st,アルバム。伴奏のほとんどはピアノというのも意外なら、このピアノ伴奏の見事なのにも驚き。何しろ、ジャケットの端から端までハングル文字だけなので、このピアニストの名前すら分からない。レーベル名まで分からない。だから「表記不能」と書いた。そもそもCDのタイトルも書きようがない。張さんの名前くらいは分かるんだが・・。張さんの声は力強さと柔らかさ、繊細さ、粘っこさを併せ持つ。日本人にもぜひ聴いてもらいたい。きっと彼のファンになること請け合い。それと、人格的にも優れた人で、いつも会った時はニコニコしていた。日本語も達者で「今度来る時は、私の家に招待いたします。」が口癖みたいな人だった。ところで、どうして張をアルファベットではJangって書くんだろう。崔さんも「チェ」なのにChoiだし・・・。

 

89~Pauline Pliveros&Miya Masaoka:Accordion&Koto(Deep Listening Institute/2007)

アメリカの実験音楽を常にリードして来たアコーディオン奏者で作曲家のポーリン・オリヴェロスと、ジョージ・E・ルイス夫人でもある日系アメリカ人の琴奏者で作曲家のミヤ・マサオカの二人によるデュオ・アルバム。2007年の録音。オリヴェロスのアコーディオンは純正律に調律されている。それを彼女が開発したExpanded Instlements System(EIS)に通している。彼女が率いるDeep Listening Bandでは、全員このEISに各自の音を通過させているようだ。このアルバムの演奏で、マサオカの琴の音にEISが使われているかは、判断しかねる。マサオカ自身も琴だけじゃなく、写真を見ると赤外線センサーを使った”楽器”も使っている。とても、アルバム・タイトルにあるようなアコーディオンと琴のDUOという音を遥かに越えた音響空間が広がっている。二人共作曲家としても、相当異端な(所謂ゲンダイオンガクの作曲家と比べると)存在だ。即興でも一筋縄じゃいかない音を作る。ここで演奏されている音楽を、Contemporary MusicととるかImprovised Musicととるか。はたまたExperimental Musicになるのか。いずれにせよFree Jazzからも遠く離れた即興演奏な事には違いない。我々聞き手の耳も、すでに「Jazz」からは完全に離脱した状態でこうした音楽を享受するような時代になっている。現代のテクノロジーを使いながらも、テクノロジーに使われないギリギリの線上で音楽のバランスが取れている。使用されているアコーディオンと箏という楽器もあって、音楽が冷たくならず、どこかほんのり暖かい。

 

 

88~John Cage:Variations Ⅳ(EVEREST/1965)

1965年8月、Los AngelsのThe Feigen/Palmer Galleryで行われたJohn Cageのライヴ・パフォーマンスを収録したアルバム。長時間演奏された中から切り取られているようだ。CageとTudorによる演奏なんだが、ここでは所謂楽器の類は全く使われていない。ラジオ、レコード等から偶然に流される音が何の加工も施されずに、生のまんま前後の脈絡も無くただただ流されるだけ。特にラジオの音が多いようだ。ラジオから出てくる音は、”演奏者”が狙って取り出せないので、こういったコンサートでは、非常に使い勝手が良い。”Chance"を使って作曲された曲を演奏する場合は、”演奏者”の音の好み、その時の感情等々を入り込ませてはならない。だからラジオは最適な”楽器”となる。次から次へと様々な音が取っ替え引っ替え現れるので、聴いてて飽きない。音の前後関係が全く欠如しているから飽きないのだ。「偶然性」がどうしたこうした、「不確定性」がどうたらこうたらウンチクを並べずとも、この音そのものを楽しめるようじゃないと「スノッブ」扱いされるぞ。実は、生まれて初めて買った「現代音楽」のレコードだったのだ。拒絶反応どころか、「世の中に、こんな面白い音楽が有ったんだ!」てなものだった。ビートルズの「リヴォリューション No.9」の下地が有ったおかげ。

 

87~Hozan Yamamoto&Masahiko Satoh:Silky Adventure(Polydor/1986)

1980年の「無限の譜」から6年後、今度は富樫雅彦さんが抜けた形の、邦山氏と佐藤さんのDUOアルバムがリリースされた。1986年、邦山氏、佐藤さん、地唄・三味線の藤井久仁江氏他でアメリカ・ツアーが行われた。ツアー中に佐藤さんは、邦山氏とのDUO用の曲を作曲されていた。簡単なスケッチ程度の楽譜を、二人で確認しあうだけで、見事な演奏をしてしまう姿に驚きを隠せない様を、ライナーノートを書かれたコーディネーターの人の文章から伺える。それがJAZZミュージシャンなのだよ!と、あいの手を入れたくなる。そう、邦山氏は十分「JAZZミュージシャン」と呼んでも構わない活躍をされて来た方だった。ここで演奏されている曲の中には、その後色々な形で演奏されている曲が見受けられる。「無限の譜」から富樫さんが抜けた形だが、この「絹林踏破」(シルキー・アドヴェンチャーより、こっちの方がいい)は、音楽の様相がだいぶ違う。元々が、邦楽の演奏家とのツアーで演奏されることが前提にあったのだからだろうか、「無限の譜」ほどの過激さは避けられている。だが、そこは佐藤さん! 尺八とピアノという日本音楽と西洋音楽の権化のような相反する楽器二つで、和風味あふれる曲から、「JAZZ」までと、大きく幅が触れる演奏なれど、違和感を感じさせるどころか、素晴らしく調和された音の数々を聴かせてくれる。邦楽器と西洋楽器の演奏で多いのだが、クラシックの名曲を邦楽器で、などというシロモノが結構ある。そもそも水と油ほどの違いのある音楽同士を無理に合わせたところで、大抵は聞くに耐えない。佐藤さんは、その水と油の組み合わせでも、いかにピアノという西洋音楽の権化で対決するか、うまく融合させられるかを深く考えておられ、また実践されている。ある時、佐藤さんとも共演歴の長いベースの井野信義さんが言われたのだが、「姜さんと共演出来るピアニストって、世界中探しても佐藤さんだけだよなー。弦なら姜さんの音に合わせられるけど、ピアノだと難しんだよ。」と。なぜなら姜泰煥さんのサックスの音は、まるで民族楽器を吹いているようなものだから。

 

86~Kaffe Matthews:cd cecile(Annette Works/1999)

Kaffe Matthews(カフェ・マシューズでいいのか?)。この人の経歴等何も知らず、ジャケットの臭い?で面白いかもと買ってみたら大当たりだったというアルバム。その後、エクスペリメンタル・ミュージックでは相当な評価を得ている人だと知った。1999年に、ロンドン、シカゴ、オスロの三都市で録音されたアルバム。ノイジーなサウンドが現れては消え、消えては現れ、重層的な音響を作る。コンピューターに様々な音をサンプリングして、ライヴで音を組み上げて行っているのだろうか。決して耳に優しい音を使わないところがいい。よく現代音楽の連中の言うところの「美しい」等という表現が裸足で逃げるような音響になっている。個人的には、こういうのに最も惹かれる。

 

85~The Sounds of Sound Sculpture(A.R.C.Records/1975)

カナダの「Vancouver Art Gallery」で、おそらく1975年に開催されたサウンド・スカルプチャー(音響彫刻)展に集められた作品を使って演奏、録音されたアルバム。Harry Bertoia,David Jacobs,Francois and Bernard Baschet,Stephan von Huene,Reinhold Pieper Marxhausenの1958年から1972年にかけて制作された作品が使われている。この中ではバシェはよく知られている名前だろう。1970年の大阪の万博の時、鉄鋼館の「スペースシアター」にバシェの音響彫刻が17個展示された。それを使って演奏されたのが武満徹の「四季」であり、この録音を使って「トゥワード」という電子音楽作品が作られた。ブックレットにはギャラリーで展示中の作品の写真が掲載されている。BaschetやBertoiaの作品は音を出さずとも、立体の作品としても美しい。特にベルトイアは、自身のレーベルから10枚のLPをリリースし、驚異的な音響を聴かせる。彼はユニークな椅子のデザインでも有名だ。ここに収録された録音を、彫刻とは知らずに聴くと、多くの人は電子音楽と思ってしまうだろう。それ程どれもユニークな音響なのだ。電子音ではないぶん逆に複雑で豊かな響きだ。電子音だけで作ろうとすると、結構な時間と労力を伴う。特にこの当時だと。

 

84~Mieko Hirota:My Funny Valentine(DENON/1976)

弘田三枝子の1976年録音のJAZZアルバム。彼女のヒット曲「人形の家」を、私より上の世代で知らない人はいないだろう。歌謡曲というかポップス歌手として大変有名な人だが、実はJAZZもうまい。なにしろ1965年、日本人歌手として初のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演し、ビリー・テイラー・トリオを従えて歌ったのだった。これは当時LPが出た。このアルバムは、鈴木宏昌がアレンジし、各種キーボードを演奏している。彼は当時ジャズフェスティヴァル等で弘田三枝子のバッキングを務めており、息の合った間柄だった。この頃の鈴木宏昌は名盤の裏には必ず存在していた。JAZZアルバムと言ったが、正確にはソウル・ジャズと言っていいようなファンキーな内容なのだ。これは、元々の彼女の資質だった。マーヴィン・ゲイの「What's Going On」、アリサ・フランクリンの「Day Dreaming」といったソウルそのものの他、「My Funny Valentaine」、「There Will Be Another You」のようなスタンダード・ナンバーも、ファンキーに料理されている。「Sweet Love」という自作曲は自身の歌を多重録音をする程の気合の入れ様。最後は、P・マッカートニーの「My Love」で締める。70年代半ばの音作りなのは、時代を感じさせるが、passion溢れる好盤。

 

83~エスキモーの歌(King/1967&68)

故小泉文夫氏が1967年、カナダのバフィン島周辺のエスキモー(現在は呼称が違っているようだが、ここではエスキモーとする)を、翌年アラスカのコツェビュー、ノーム周辺のエスキモーを訪ねて収録したアルバム。エスキモーの起源は我々と同じモンゴロイド。寒冷地に広く分布するわりには方言?の違いは20くらいらしい。近代化?した現代と違い、この録音が行われた60年代は今と比べれば、我々が思いつくあの自然に逆らうことなく質素な生活を営み、独自の文化を維持していた頃だ。エスキモーと言っても、内陸のカリブー漁を営む集団(ドーセット岬文化)と、捕鯨を営む集団(チューレ文化)とでは、カリブー漁という共同作業の必要のない生活と、鯨漁のように共同作業の必要の有る生活では、おのずと文化の違いが現れる。後者は、社会組織も複雑化し、外界との交流も多い。このアルバムのA面はドーセット岬文化のカナダ・エスキモー。B面がチューレ文化のアラスカ・エスキモーの様々な歌や演奏が収録されている。その地域の音楽の根源に有る童歌、漁の時に歌われる労働歌、フレームドラムの演奏、インゲルートと呼ばれているコンチェルティーナの一種の演奏(アイルランドの捕鯨人が持ち込んだアコーディオンのような楽器)、面白いのが小学校の音楽の授業風景というのまで有る。共同作業の存在しない地域の音楽の授業と、存在する地域の授業の違いが出ていて凄く興味深い。極北という猛烈に寒い環境のせいだろうか、話す時でも、大きく口を開けない。代わりに喉の奥を変化させるという独特な話し方だ。歌う時もそれは変わらない。母音が少なく子音の多い言語と合わせて、歌を特徴づけている。「歌うときは大きく口を開けて。」と言われるヨーロッパの発声の真逆を行く。共同作業の感覚が希薄なドーセット岬文化圏にあるエスキモーの歌は、本人が歌って自分で太鼓を叩いているのに、歌と太鼓のリズムが合わないのか合わせないのか、誰がやっても歌とリズムがずれるらしい。人間がどういう環境にいると、どういう文化を形作るか、音楽がどういった形をとるか等々、こういった民族音楽を聴く、学ぶことによってうかがい知れる。だから、民族音楽ファンはやめられない。

 

82~Karlheinz Stockhausen:Sternklang(Deutsche Grammophon/1975)

シュットクハウゼンについては、大好物な曲が有ったり、とてもじゃないが付いて行けないシロモノがあったりと、なかなか一筋縄でいかない作曲家。「Gesang Der Junglinge」、「Kontakte」、「Microphony」、「Aus den sieben Tagen」、「Refrain」、「Zyklus」等はよく聴いているのだが、曲名に「Licht」が付きだしたら「あんた大丈夫か?」と心配になって来る。ここで紹介した「Sternklang」も「あんた大丈夫か?」の部類に入りそうなんだが、何故か30年以上も聴き続けている。1969年に作られたらしく、その後結構な回数演奏されている。広い公園に五つのグループ(総勢21人。歌手も含む。楽器は全てアンプリファイされている。シンセサイザーで変調されているようだ。即興の世界でも知られているHugh Daviesも参加。)が大きく間隔を開けてセッティングされている。使われる音は5つのコード、純正律で作られた倍音とかLPのジャケットには説明がある。LP4面に渡って、どこかで盛り上げるなどという事も無く、起伏を感じられない、人によっては(いやほとんどの人?)退屈な演奏だ。お互いが関係あるような無いような(あるらしいのだが・・)音が流れて行く。おそらく星座を音符に現しているんじゃなかろうか? くわしい人がいたら解説願いたい。「退屈」と書いたが、たしかにそうなんだが、何故か30年以上、シュトックハウゼンと言えば「Kontakte」、「Prozession」と並んでこれをよく聴いてきた。気持ちいいとしか言い様がない。私の脳ミソも相当怪しいのだろうか?

 

81~山本邦山;無限の譜(日本フォノグラム/1979)

故山本邦山氏は、邦楽や現代邦楽のみならず、JAZZ界との交流も深く、菊池雅章、ゲイリー・ピーコックらとの日本のJAZZを代表する名盤「銀界」等々のアルバムも残されて来られた。「無限の譜」と題されたこのアルバムは1979年、邦山氏自身の希望で演奏、録音されたもの。共演に選ばれたのは佐藤允彦さんに富樫雅彦さんというこれ以上無い日本のツートップ。佐藤さんはここではピアノの他シンセサイザーも曲によっては使い分けられている。曲のクレジットは三人の連名になっている。副題には「インプロヴィゼイション」とあるが、完全即興という訳ではない。短い富樫さんのパーカッション・ソロも一曲有る。シンセサイザーを効果的に使われている「海の彩」は、正に海面がたゆたう様が聴こえてくる。かと思えば三人が丁々発止に渡り合う「即興」も有る。しかし、アルバム一枚通してこれらがうまく構成されており、組曲として聴ける。邦山氏の尺八の演奏の自在ぶりには舌を巻く。とてもフルートではこの多彩な表現は無理。一見シンプルな一本の竹筒にしか見えない笛が、フルートをはるかに越える表現能力を持つことを現代日本人にも知っていて欲しい。

 

80~David Murray:Low Class Conspiracy(Adlphi/1976)

今やJAZZ界の大御所の一人として貫禄も備わったDavid Murrayの1976年のライヴ録音を編集したアルバム。大御所と書いたが、一般のJAZZファンにとっては、視界の外なんだろうなあ。1955年生まれだから、このライヴ時はまだ21歳!(私とたったの4歳違いだ!) カリフォルニア州バークレーで生まれ。西海岸時代にブッチ・モリスさんと共演していた。75年にNYCに進出し、一気に最前線に躍り出た。これは最初期のアルバム。India Navigation盤の「Flowers for Albert」も1976年の録音だが、こっちの方が録音そのものは一ヶ月前のものが一曲含まれる。残りは、「Flowers for Albert」と同じ6月だ。同じ月の録音が2枚もリリースされたことも凄いが、翌77年になるとリーダー作だけでも知る限り7枚は出ている。まだ20代前半の若者と考えると周囲の期待は凄いものだったのだろう。何も知らずにジャケットが面白いから買ったところが、これが大当たりどころか、聴いて驚いたものだ。フリー・ジャズなんだが、アルバート・アイラーの影響を大きく感じさせるのは当然だろうが、意外とコルトレーンの匂いがせず、コルトレーンの頭上を飛び越えてベン・ウェブスターやコールマン・ホーキンスの匂いがプンプンしていて痛快だ。コレトレーンは圧縮した音を高速で吹き放つ感じだが、マレイはスウィング時代の分厚く豪快な音でフリーな演奏をする。若手に思えない貫禄をその音に感じたものだった。アルバムの一曲目はSam Rivers のStudio Revbeaで演奏されたテナー・サックスの無伴奏ソロだ。このあたりホーキンスのエコーが聴こえる。

 

79~Marilyn Crispell:For Coltrane(Leo/1987)

さて、日本の音楽ファンの中でどれほどの人がマリリン・クリスペルの事を知っているだろうか。最も過小評価されているミュージシャンの一人ではないだろうか。一度も来日した事が無い。本人は望んでいたのだが、「ツアーが組めない。」という理由で未だに実現していない。クリスペルはピアニストとして普通のコースを歩んでいた。クラシックと現代音楽を学んでいた。ある時コルトレーンの「至上の愛」を聴いたことでその後の人生が変わってしまった。大きくJAZZにシフトした。ここでJAZZ界は大きな財産がこっちへ転がって来たようなものだ。1983年のファースト・アルバム「Spirit Music」(Cadence)から始まる彼女の怒涛のアルバム・リリースは、フリー・ミュージック界ではいかに高い評価をされているかの証拠だ。セシル・テイラーも認める演奏の強度、密度、スピードは半端じゃない。ブラクストンは、長年に渡り彼女を自身のグループに加えていた。ここからも、クリスペルの高度な演奏技術が伺いしれようというものだ。ブラクストンはヘタクソ(色んな意味で)は相手にしないから。さて、このアルバム。彼女の人生を大きく方向転換させてしまったコルトレーンに捧げた1987年のロンドンでのコンサートを収録したもの。「トランジション」に入っているコルトレーンのバラード曲「Dear Lord」から始まって、同じくバラードの「After The Rain」でしめくくる。その間に彼女の作曲したコルトレーンに捧げた三曲からなる組曲やコルトレーンの「Lazy Bird」と「Coltrane Time」という割と地味目の曲が続く。ピアノ・トリオで聴かせるような疾風怒涛の演奏ではなく、コンサート丸ごと尊敬するコルトレーンへ捧げたスピリチュアルな空気が漂う演奏だ。

 

78~Vladimir Tarasov:ATTO Ⅶ”Water Music”(SONORE/1992)

 

リトアニアのドラマー、ウラジミール・タラソフを知ったのは、1978年東ベルリンで録音されLeo Recordsから出たLP「Ganelin、Tarasov,Chekasin;Live in East Germany」を買った時だった。新宿のDiskUnionの壁にLPが飾ってあって、限定70枚だとか書いてあった(記憶違いかもしれないが)。全然知らないミュージシャンだったが(当然だ。これが”ガネリン・トリオ”のLPの日本初入荷の時だったのだから)、何しろ当時のソ連の「フリー・ジャズ!」なんて宣伝を打ってあれば、これはもう触手が動くのも当然。「知らない、分からない」と普通、人はそんなレコードには手を出さないらしいが、私は逆なのだ。正直聴くまではたいして期待はしていなかった。だいたい社会主義リアリズムの行き届いた(と、当時は思っていた)ソ連に西側のフリー・ジャズの情報もたいして入っていなかっただろうから、そんなに驚くような演奏なんてしてはいないだろうし、そもそも出来るはずがないという思い込みも正直有った。それが聴いてビックリ! 「フリー」と言いながら、「フリー」の形をした形骸化した演奏が多く見受けられる当時の「フリー」を「お前ら何しとんじゃ!」とぶん殴ったような「自由」な音楽がこのガネリン・トリオからは聴こえて来たのだった。感覚も自由なら、それを具現化出来るテクニックも備えた驚異の連中だった。しかし、彼らの音楽は所謂完全即興ではない。結構きっちりと構成された曲が存在する。あるアイディアが浮かんでも、それを具体化させるためには、全くの即興ではそれは不可能だ。曲を作ることによってこそ、具体化出来ることもある。だからこそ自由にアイディアを形に出来るのだ。「禁止のための禁止」には「自由は」ない。さて、そんなガネーリン・トリオの一人、ドラマーのタラソフが、1992年NYCのギャラリーで行ったサウンド・インスタレーションの模様を録音したアルバムがこの「Water Music」。簡単に言えば天井から落ちてくる水を、下のバケツが受け止めて、バチバチ、ポチポチ、バタバタ音をたてると言うシロモノ。録音だからある決まった位置、限られ時間に録音された、水が落ちて発する音しかここでは聴くことが出来ない。そこは想像力を働かせれば、限りなく音の風景は頭の中に広がって行くというものだ。ギャラリーの中を歩きながらだとどう聴こえるだろうかとか、じっと椅子に座って聴いていても、人間って多くの色々な音の集団の中から、一点に集中してある音を大きく取り出せて聴ける動物なのだ。その能力を屈指すれば楽しさ倍増。また、頭の向き、と言うか耳の向きをちょっと変えるだけでも聞こえ方が変わる。サウンド・インスタレーションのイベントに行った時はお試しあれ。

 

77~Rick Rozie,Lee Rozie&Rashied Ali:Afro Algonquin(Moers Music/1980)

1980年西ドイツで録音されたアメリカ先住民のロージー兄弟と後期コルトレーン・グループを支えた名ドラマー、ラシッド・アリの壮絶なトリオ演奏だ。この年メールス・フェスティヴァルに出演したトリオは好評を博した。algonquinとタイトルにあるように、ロージー兄弟はカナダのOttawa川流域に住んでいるアルゴンキン族らしい。どうも資料に乏しいのだ。コンサートの時に、彼ら先住民がおかれた状況を聴衆に対しアジテイトしたそうだ。それをそのまま音楽に置き換えたような激しい表情の演奏が聴ける。しかし、ただ闇雲に声高に叫んでいるような演奏ではない。詩の朗読が有ったり、フルートの演奏も有る。そこでは先住民の血が濃く出た音楽になっている。全編に渡って兄Rickのベースの演奏は特筆もの。豊かな表現力を持つ。Rickの方は、その後もAnthony Davis等のアルバム等で名前を見かけ、このアルバムでも聴けるような存在感の有る演奏を聴けるのだが、弟のLeeの演奏は残念ながら、このアルバムでしか聴くことが出来ないようだ(実は我が家には、メールス・フェスティヴァルの時の、客席で録った録音のコピーが有るのだ。)。誠に残念だ。これだけ気合の入ったサックスもそうそう聴けるものじゃないのに。アリは、もう言わずもがなの変幻自在ぶり。

 

76~伊東篤宏;R.G.B./Pre OPTRON 1999(Edition OMEGA POINT/1999)

これは美術家、ライヴ・ハウスでの姿は立派に音楽家している伊東篤宏さんの1999年録音のリ・イシュー盤。元々は限定100枚のCDーRだった。現在は「オプトロン」として名前が知れ渡ることになった伊東さんだが、この録音の収録時は”蛍光灯の放電ノイズと光でパフォーマンスする芸術家”だったり、”蛍光灯でインスタレーションを作る美術家”だったりした頃だ。ずっと船に乗りっぱなしで情報にトンと疎い私は(船にはパソコンは無い)、蛍光灯でインスタレーションを作る人がいることだけは知っていたが、まさか蛍光灯が発するノイズと光を使ってライヴ・パフォーマンスをする人がいるということは、かなり後になって知った。面白そうとは思ったが一体どんなCDが出ているのかは、ホントつい最近知ったくらいだ。そんな彼が一楽儀光さんと印度洋に「ドラプトロン」というユニットで出演されたのが去年’13の事。もうオプトロンに釘付けだった。何しろ発想が面白い。目の付け所が違う。このCDは、まだ「オプトロン」という名称もなかった時代に自宅で録音したものを編集したもの。CDだから勿論光は見えないのだが、音が凄まじい。蛍光灯の放電ノイズがそのまんま手付かずな状態で発せられている感じだ。現在は、より”音楽”しているが、こんな野蛮な音にも強く惹かれる。

 

 

75~Sainkho:Out of Tuva(Cramworld/1986~1993)

Sainkho,サインホ・ナムチラクさんは、旧ソ連トゥヴァ自治共和国のキジル出身の歌手。(ユーラシア大陸のド真ん中!)今では即興ヴォイスの第一人者として、そのスジでは有名な存在。このアルバムはヨーロッパ進出の前の時代の録音も含まれる彼女のサード・アルバムに当たる。これ以前にはフリー・ミュージック界のメジャー・レーベル?FMPから二作リリースされていたが、どちらも即興ヴォイスを屈指した激しく厳しい内容だった。(私はそれに驚いたクチではあるが。) サインホさんは長年に渡り苦労しながら北方シベリアの民族音楽を研究し身に付けた人だ。その部分も聴いてみたかったので、ちょうど良いアルバムが出たと嬉しかった。おまけに国内盤もリリースされた。録音は1986年から1993年に渡っている。86年から88年にかけてのモスクワ時代は伝統音楽。キジル時代の民謡サンサンブル「サヤニ」も一曲聴ける。89年はその後西側でも知られることになるグループ「Tri-O」との共演。その他は、いかにもこのレーベルらしいシンセサイザーや今風のリズムも使かった所謂ワールド・ミュージック。だが、サインホさん自身の歌声の強さも有って、伝統曲に混ざってもそんなに違和感が無い。一見とっちらかっているような内容なれど、意外とまとまって聴こえるのは次のサインホさんの言葉で頷ける。「西洋の前衛ヴォイスには、北方シベリアの伝統音楽から一歩踏み出すだけで良かった。」 カフェ・アモレスでソロ・ライヴをやった時のことだ。前半が伝統音楽、後半は前衛ヴォイス・パフォーマンスと予め分けて行われたのだが、終わってみると、伝統と前衛の違いが私達には区別が付かなかった。一曲オルティンドーが歌われ、さすがにそれは伝統曲と分かったが。

 

 

74~Mai Takematsu/竹松舞:Fire Dance(DENON/1997)

この録音の時点では、まだ16歳だったというハーピスト竹松舞のデビュー作。断じてジャケットの写真に惹かれて買ったのではない。って、わざわざ断る必要はないが・・・。日頃、ゴー、ギャー、ピー、ドドドー、ウギャー等という「音楽」を聴くことの多い私も、ときどき耳障りの良い音楽を聴きたくなる時がある。そういう時には、こんなハープの音が欲しくなる。これがただのイージーリスニングでは、さすがに私も聴きはしない。ドビュッシーの「アラベスク」、パッヘルベルの「カノン」、レスピーギの「シチリアーナ」、サルツェード、ワトキンス、アッセルマンといったハープの音楽では有名な作曲家に混ざって、ケージの「In A Landscape」が演奏されている。「おクラシックしか聞きませんの。おほほ。」族が最も敬遠する作曲家の曲を正々堂々と混ぜるのも時代の変化なのか。聴けば分かるが、このケージの曲はホント美しい。普段「美しい」を敬遠する(おねえちゃんは別。)私でも、ケージのこの曲と「Dream」は美しいと感ずる。やっと、せめてこのあたりだとケージも聴いてもらえるようになったんだなあと、このアルバムのリリース時は思ったものだった。それと、これも時代の変化だなあと感じたのがエアロスミスの「エンジェル」。こういうのが自然と演奏出来る世代が今のクラシック界を担っていけば、面白くなって行くんだろうと、思ったら彼女は臨床医師の研修の為渡米したというではないか。どうもそっちに没頭中らしい。天は彼女に二物どころか三物を与え給うたか。

 

73~Terry Riley:Descending Moonshine Dervishes/Songs For The Ten Voices Of The Two Prophets(Kuckuck Schallplatten/1975,1982)

Terry Riley,テリー・ライリーは私の最もお気に入りの音楽家の一人。
日本では所謂現代音楽の範疇に入れられているが、本人はどう思っているんだろう? 作曲といったって即興の為の大まかなデザインくらいで、実際の演奏も即興演奏と言ってもあながち間違いではないだろう。このアルバムは1975年と82年のライヴ録音が収録されている。共にソロ・パフォーマンス。この7年の間で使われている楽器が随分と変わっている。75年は電子オルガン。82年はProphetのシンセサイザー。オルガンの方が何だかライリーらしいく聴こえるのは、古い録音が頭の中にこびり付いているせいなのだろうか。オルガンの音をリアルタイムで遅れて再生させたり、繰り返したりさせて、その上に音をどんどん重ねたりと、いつものライリーらしい?演奏だ。82年の方は、使われる楽器がシンセサイザーに変わったことで、より色彩感が増した。なによりこちらは彼のヴォイスも加わっており、よりインド感?が増している。彼はインドの声楽を学んでいるのだから、その声は本格的。確か、82年の方は、その昔NHK・FMの「現代の音楽」で全曲放送されているはずだ。「T・ライリー」としか書かれていないカセット・テープが残っているが、多分これがそうだ。デッキが無いので確認出来ないが。

 

72~Nobuyoshi Ino&Lester Bowie:Duet(King/1985)

これは1985年、井野信義さんはレスター・ボウイを日本に呼んでコンサートを開いた。と同時に素晴らしいアルバムも録音された。井野さんは高柳昌行さんのグループで長年フリーを演奏されて来ており、フリー系ミュージシャンとの共演と言っても、驚くには値しないはずなんだが、相手がアート・アンサンブル・オブ・シカゴのレスター・ボウイとなると話は別。正直当時は、その繋がりが把握できず、驚き半分、期待半分ってところだった。その頃の井野さんの活動からはも予想だにしなかった出来事だった。80年頃はPIT・INNで井野さんの演奏を何度も聴いていた。渡辺香津美や高柳さんのライヴ等々で。アルバム(当時だからLP)が発売されると即購入した。予想をはるかに越える内容だった。こんなにトランペットを吹きまくるレスターもなかなか聴けない(例外的に無伴奏ソロの録音有り)。吹きまくると言っても、所謂フリー・ジャズと言えば想像するようなバリバリ吹き倒すアレではない。よく楽器の演奏なのに「よく歌う」という表現をする時があるが、正にここでのレスターのトランペットがソレだ。トランペットの朝顔が唇に見える感じ。レスターは「Ancient to the Future」を標榜するAECのメンバーだ。元より幅広い音楽性を持ち合わせている。井野さんのコンサートと録音への準備が行き届いていて、レスターからこれだけの演奏を引き出せたとも言えるのでは? 何より井野さんの代表曲と言って良い「紙ふうせん」や「バクのアクビ」が聴ける。スティングの「バーボン・ストリートの月」や「家路」までも演奏されている。こういう曲を演奏するレスターなんて想像出来ようか? そうさせた井野さんの周到な準備の成果が実った、日本JAZZ界を代表するアルバムなのである。レスターがメールス・フェスティヴァルに出演した時、アブドゥラ・イブラヒムとのデュオで「紙ふうせん」を演奏したそうだ。

 

71~南インドのヴィーナー~ナゲシュワラ・ラオのヴィーナー~(King/1973)

普通インド音楽と言えば、まずラヴィ・シャンカルが弾いているシタールが思い浮かぶだろう。あれは北インドの楽器。ヴィーナーは南インドの楽器で、音楽の体系からして別物。技巧を追求していった北とは違い(北はイスラムの文化が入り込み、音楽もその影響を受けている)、南のこのヴィーナーを代表とする音楽は、主にバラモンによって演奏されてきた。彼らにとっては客受け(王族、貴族ということになるんだろう。北ではこういった階級層が客というか主人というかだった。)などという下品な感覚は元々持ち合わせてはいない。近頃はバーラチャンデルみたいな派手なのもいるが、基本的に感情だの「ウケ」なんてな人間的なモノとは無縁の音楽。宇宙的普遍性、世界観を現しているのである。よって、北と違って音色も地味、演奏も地味。しかし、その一音は深く重い。どんなに早い旋律を弾こうが、ゆっくり弾こうが、右手小指は正確にリズム弦を弾いていなければならない。シタールよりも演奏は困難だと聞いたことがある。このアルバムは入門編に最適。短い演奏が4曲。短いと言っても4曲目は15分だが。ラーガやターラもあまりに複雑怪奇なモノは避けてある。集中して聴くもヨシ、ボケーと聴くもヨシ。きっと病みつきになること請け合い。こういうのを聴いていると、他の音楽が下品に感じて来る。

 

70~Friedrich Gulda:Nachricht Vom Lande(Brain/1976)

1976年ザルツブルクでの超豪華メンバーによるライヴ録音。何しろFriedrich Gulda(e-clavichord,b-block-fl,p・・),Ursula Anders(perc),Barre Phillips(b),Cecil Taylor(p),John Surman(ss,bs,synth),Albert Mangelsdorff(tb),Stu Martin(perc)だ!
F・グルダがこのようなフリー・ミュージックをやっていやことを知っている日本人(特にクラシック・ファン)はどれだけいることやら。私自身も彼のベートーベン・ピアノ・ソナタ全集やJ・S・バッハの平均律等々色々CDを持っている。グルダをクラシックだけのピアノ弾きと捉えると、彼の半分以下の認識しか無いことになる。私の持っているアルバムだけでも、クラシック、JAZZ、自作のコンチェルト(チェロやパーカッション)、自作のピアノ曲、フリー・ミュージック、アルベルト・ゴロヴィンとわざわざ変名までして、おまけにカツラまでかぶって歌を歌ったものまで有る。フリーをやったアルバムだけでも5、6枚はリリースしているはずだ。そんなグルダに奥さんのウルスラさん、「The Trio」の三人、マンゲルスドルフ、これまででもよかろうに、何とセシル・テイラーまでも参加するという超豪華、超贅沢なコンサートが行われたのだった。写真を見るとどこかの公園にテントを張って行われた野外コンサートのようだ。最初はアンデルス、グルダ、バールさんとソロが続く。グルダはe-clavichordを弾いているのだが、ほとんど内部奏法ばかりでノイズだらけという過激さ。その後は色々な組み合わせで変化をつけながら進行して行く。全員参加の集団となっても、誰も破綻をきたすことなく、でもキレのある即興を繰り広げている。ピアノが二台の演奏なんだけれど、よく聴かないと気付かなかったりもする。もう少し行儀悪くてもいいような気もするが・・・。

 

69~Die Kleinorgel(Teldec/1960)

これはオランダのオルガニスト、アルベルト・デ・クレルクが1960年に録音した「小さなオルガンの為の作品集」。大きな教会やコンサート・ホールにドカーンと備え付けられている所謂パイプ・オルガンではなくて、18世紀まで存続していたポルタティフ、レガール、ポジティフと言った、肩からぶら下げたり、卓上のものや、飾りの多いまるで家具のような小さなオルガンを使った演奏を聴くことが出来る。12世紀には有ったとされるポルタティフは、ここでは聴けない。現存するものでオリジナルな状態のものはほとんど無いらしい。一曲目のパレストリーナの「第一旋法のリチェルカーレ」は16世紀に作られたレガールで演奏されている。さすがに小ぢんまりとした音だし音楽だ。演奏中に楽器のたてるカタコト、ギシギシと言ったノイズがよく聴こえる。楽器の音も音楽も時代を進むにつれてより複雑になりノイズも減っていく。それと反比例して興味の減じて行く俺ってヘン?

68~Alex Foster&John Lewis:Transaxdrum(Finite/1977)

Alex Foster/アレックス・フォスターは、1953年カリフォルニア州オークランド生まれのサックス、クラリネット奏者。70年代、ジャック・ディジョネットのグループ「ダイレクションズ」に参加し、「Cosmic Chiken」(76年)、「Untitled」(76年)、「New Rags」(77年)に参加し頭角を表す。マッコイ・タイナー、ミンガス・ダイナスティ(ここでは、フォスターがデレクターを務め、グラミー賞にノミネートされたこともある。)、ナット・アダレイ、フレディ・ハバード、ギル・エヴァンス・オーケストラ、そしてジャコ・パストリアス・ビッグ・バンドでは来日もし、レコード化されている。TVの「サタデイ・ナイト・ライヴ」のハウス・バンドのメンバーにもなり、一般にも知名度が上がった。スタジオ・ワークでは、ポール・サイモン、ポール・マッカートニーらのアルバムに参加している。と、メジャー街道まっしぐらに見えるフォスターだが、76年録音の本作は、少々どころか相当これまでの経歴では想像出来ない演奏をしてるのだ。ジョン・ルイスと言うドラマーとのデュオの一騎打ち。これはルイスの設立したレーベルFinite Recordsからのリリースなんだが、このジョン・ルイス、いくら検索しても出て来ない。何しろMJQで有名なジョン・ルイスと同姓同名なものだから、そっちばかり出て来るのは致し方がない。Finite Recordsからもう一枚、彼のグリープのアルバムが出ているが、そっちは70年代中期のちょっとフュージョンぽいジャズだ。こっちのデュオは、もうゴリゴリのエネルギー・ミュージック。ふたりとも爆裂している。これが、あのアレックス・フォスターかと、もう一度ジャケットを見直す事請け合いだ。だが、ジョン・コルトレーン&ラシッド・アリ、デヴィッド・マレイ&ミルフォード・グレイヴス、ブロッツマン&ベニンク等と比べるのは野暮と言うもの。これ、結構これまで聴いて来ました。

 

67~Helmut Nadolski:Meditation/Medytacje(Veriton/1974)

ポーランドのベーシストHelmut Nadolski(ヘルムート・ナドルスキ?)の1974年録音のアルバム。Nadolskiは現在でも活躍中のバリバリの現役らしい。近年もCDがリリースされているしYouTubeでも見ることが出来る。基本的にはJAZZの人なんだろうが、このアルバムはJAZZとは相当毛色が違う。Nadolskiのベース、Czeslaw Niemenのmoog、Andrzej Nowakのオルガン、Olgierd Lukaszewiczのテキストの朗読(テキストはNadolskiの作)という編成。どの楽器もゆったりとロングトーンを基調とした演奏で、決して熱くはならない。テキストの朗読もゆっくりと抑揚も無く語られる。意味はポーランド語だろうから全く分からない。(英語でも分からないだろうって? そりゃ悪うございました。)アルバムのタイトル通り「Meditation」用なのか?時々引っ張り出してボーッと聴くことが有る。

 

66~Manfred Schoof,Akira Sakata,Yosuke Yamashita,Takeo Moriyama:Distant Thunder(enja/1975)

山下洋輔トリオ(坂田明、森山威男)が1975年Stuttgart(当時は西ドイツ)で行ったコンサートのライヴ録音。ヨーロッパ・フリーの第一世代の重鎮、Manfred Schoof(tp)がゲスト参加。1&4曲目はトリオにショーフが加わった、あの頃の山下トリオを象徴するスピード&パワー全開の怒涛のフリー・ジャズ!聴いてて気分爽快。これだけ疾走感の有る音楽はそうそう無い。2曲目は、ショーフの無伴奏のフリューゲルホーンで「Round About Midnight」。少々辛口に料理。続く3曲目は、山下洋輔のピアノ・ソロ。その後の「弾き倒すばかりじゃ能が無い的ソロ?」を暗示するような演奏に当時は「アレッ?」と思ったものだった。変化の兆しというヤツだ。聴いてる方も「このままドシャメシャやってるワケにはいかんだろう。」と疑問符も湧いていたものだった。山下トリオもメンバーの変遷が有ったが、やっぱり坂田&森山のいた頃のトリオが一番!どこまでも飛んで行きそうな突貫小僧の坂田明のサックス(時々アルト・クラリネット&ハナモゲラ語)と、地べたに足をグイっとつけたような飛ばないリズム?の森山威男のドラム(芸大打楽器科出身というから面白い。さぞかし異端児だったのでは?)こそが「山下トリオ」なのだ。今の耳で聴くとフリーはフリーなんだが、結構仕掛けの多い演奏で、フュージョンみたい(?)。

 

65~ベトナムの音楽~山地民族の歌と踊り(キング/1973)

近年ベトナムの発展は目覚しく、しばしばTVでもベトナムの情報を目にすることが出来る。しかし、それはあくまで都市部でのもの。このアルバムは、フランスのジャーナリストMaurice Bitter(モーリス・ビテル)がベトナムの中央山地に赴き、全部で60くらい有ると言われる少数民族の内ラーデ族、セダン族、バーナル族、ジャーライ族の歌や楽器の演奏を録音したもの。ビテルは1959年から世界中を回っては色んな民族の音楽を収録していたらしいから、この録音も結構古いのだろう。ベトナム戦争中では無理だったはずだ。1973年と書いているのは、キング・レコードがLPを発売した年だ。ベトナムの音楽は中国の影響が強い。だが、山地民族は言語も違う(モソークメール語だっけ?)。ここに収録された歌は、子守唄、労働歌、新年を祝う歌、葬式の歌、生贄の歌なんてのも有る。勿論シンプルなんだが、その声質は結構よく透るものだ。歌によってはポリフォニーだったりする。照葉樹林地帯はポリフォニーの文化だとどこかで読んだ。楽器の演奏が面白い。東南アジアに多い笙、木琴、ゴング、琴等の独奏や合奏が聴ける。ゴングの演奏はリズム主体のもの、メロディー主体のものと違いが有る。録音の悪さも手伝ってか、凄い迫力だ。面白いのが、地面に穴を掘って、それを共鳴器にして、上に木琴を乗せた地琴! 琉球音階と同じようだ。これまた録音の悪さも手伝って凄い迫力。民族音楽を聴いてると、こんなのに出会える楽しさがあるのだ。

 

64~The Universal Jazz Symphonette Presents Sound Craft'75(Anima/1975)

これは、Earl Freemanが作曲、指揮をした75年NYCの教会でのコンサートを収録したアルバム。総勢30人に及ぶオーケストラの怒涛の演奏。アール・フリーマンは、ベーシストとしては1969年フランス滞在中に、BYGのアルバムにサイドメンとして多数録音を残している。Archie・Shepp、Claude・Delcloo、Kenneth・Terroade、Clifford・Thornton、Gong等で彼のベースを聴くことが出来るので、知っている人も多かろう。(フリー・ファンだけだろうが) 作曲といっても多分グラフィックなモノではなかろうか。大きな流れとソロ・オーダーが記されているくらいなのでは? LPの収録時間もあって断片しか収録されてはいないようだ。おそらくソロを取る者は、それ用のマイクの前に立って演奏したのだろう。ソロの背後では常に音の奔流が渦巻いている。こういった演奏の時は、「俺について来い」的演奏をするやつが出てきて、一気にそっちに持って行かれてしまったりなんてことがよく起きる。ここまでのサイズじゃなくても、ちょっと編成が大きい即興アンサンブルだと、時々起こる。それが起こっていないということは、フリーマンのコントロ-ルが効いているということ。これ、生で聴いてたらさぞかし興奮して家路についていただろうなあ。ところで、tenor sax(alto の間違いだろう)のクレジットにKappo Umega(Umezuを間違えてる。Kappoは当時こう呼ばれていたそうです。)とあるのは、当時NYCでブイブイ言わせていた(?)梅津和時さんのことです。本人に確認済。「え!こんなん持ってる人がいたんだー!」と驚かれた。 

 

63~Smoke(Session/1970?)

Smokeというアメリカ西海岸で60年代後半から70年代前半に活躍した(多分??)グループのアルバム。リーダーはテナー・サックスのkenny Washington。他にトランペットのFred Berry,ベースはChris Christy,ヴァイブラフォンはWoody Webb,ドラムはJohn Felder。検索したって出てこない程の無名のミュージシャン達だ。目玉の灰皿のジャケットに目が行って、中身がどんなのやら分からず買ったシロモノ。30年以上前の新宿Disk Unionのバーゲンコーナーでは、得体の知れないLPがゴロゴロしていたものだ。恐る恐る針を降ろしてみると、これがなかなかいいのだ。メンバーが作った曲もいい。サックスもフリー一歩手前までバリバリと吹く(所も有る)。何よりピアノを入れず、ヴァイブラフォンにしたのが正解。ピアノだとカチッとしすぎる。ヴァイブだと、良い意味で全体に浮遊感が漂う。しかし、そこは時代が時代。今やるとヘタすると小奇麗なだけの音になりかねないが、ここではエッジがするどい演奏になっている。面白いのは、このアルバムはドイツ盤なのである。MPSの関係者が1970年に西海岸に行った時”発見”して録音、リリースとあいなった模様。通りでジャケット・デザインがMPSぽかったんだ。

 

62~Oliver Lake:Passing Thru(Passin' Thru Records/1974)

オリヴァー・レイクはセントルイス育ちのサックス奏者。シカゴのAACMに範を取ったBAG(Black  Artists Group)を発足。単に音楽のみならず詩、ダンス等々の総合的な活動をする集団で、セントルイスのシーンを大きく活性化した。BAGとAACMは相互に交流もしていたようだ。。このアルバムは、72年から移り住んだパリでの74年の録音。この録音の少し後にはアメリカに帰国している。戻った後はNYCで所謂ロフト・ジャズの中心的存在になった。さて、このアルバムだが、アルト・サックスの無伴奏ソロ・アルバムだ(一曲、シンセサイザーを加えた短い曲もあるが。パーカッションも少し使っている所も。)。アルト・サックスのソロと言えば1968年録音の史上初の無伴奏サックスによる即興演奏、アンソニー・ブラクストンの「For Alto」が有るが、聴く方はどうしても比較してしまう。というか「For Alto」が基準になってしまう。レイクの演奏にはブラクストンほどの音のスピード感、切迫感は無い。「For Alto」は正に鬼気迫る音の連なりだった。これが70年代半ばという時代の違いなのか。レイクとブラクストンとの個性の違いなのか。レイクの音は、ブラクストンほどの幾何学模様は描かない。もっと、音の線や輪郭は曲線を描く。ともあれサックス・ソロの重要作には違いない。

 

61~Jothan Callins&The Souns of Togetherness:Winds Of Change(Triumph Records/1975)

Jothan Callinsと言われて一体何人の日本人が知っているだろうか。今のアメリカ人だってそうとう怪しいだろう。何年か前に検索してみたらすでに亡くなっていた。B.B.キング、S・ワンダー、サン・ラとの共演もあるらしいが、リーダー作はこれだけ。晩年は地元に根ざして活動をしていたらしい。さて、このアルバム。カヴァーデザインも手作り感いっぱい。リーダーのトランペッターも無名。じゃあ何故このLPを買ったのか。実は、この主人公は知らねども、サイドメンの名前に惹かれて買ったのでした。1980年頃新宿のDisk Unionのバーゲン・コーナーの箱で発見したのだった。Joseph Bonner(p),Norman Connors(ds),Cecil McBee(b),Roland Duval(conga,Perc)とくればJAZZファンなら触手が動こうというもの。人によってはリーダーのあまりの無名さかげんと、あまりにドマイナーを絵に書いたようなジャケットにドン引きする人もいるかも。でも、これが買って大正解!70年代半ばのまだまだJAZZが熱い時代の音が満載。当時はクロスオーヴァーと呼ばれていたフュージョンのはしりみたいな音楽にJAZZは押しつぶされていたが、それはマーケットでの話で、現場で演奏されるJAZZ自体はまだまだ熱いものだった。今のような肌触りの良い毒にも薬にもならないシロモノではなかった。このアルバムの、NYCの奥深くの黒人以外立ち入り禁止的なJAZZが懐かしい。コリンズのトランペットはちょっと線が細いところもあるが、バリバリと勢いのある演奏だ。曲もいい。JAZZはこうでなくっちゃ!
まず再発は無いだろうなあ〜。

 

60~Gliere;赤いケシの歌/Knipper;交響曲第4番~コムソモール戦士の詩(Melodiya/1963,1986)

帝政ロシア時代からソ連建国期に活躍した作曲家二人の曲を収録した旧ソ連盤。Reinhold Gliereは1875年ウクライナ生まれ。ウクライナ語ではレーインホリド・モリツォーヴィチ・フリイェールと読む。日本ではグリエールで通っている。ここではバレー曲「赤いケシの花」が演奏されている。1927年の作だが、ロマン派に中央アジアの香りを振りかけたような音。1963年ボリショイ劇場のオーケストラによる録音。後半は、1898年生まれのレフ・クニッペル。ロシア語だと、リェーフ・カンスタンチーナヴィチュ・クニーッピェル。ここでは「交響曲第4番」が演奏されている。クニッペルの名が日本で知られているのは、この4番にふんだんに出てくるある有名なメロディーによる所が大きい。映画音楽も含めて膨大な量の曲を書いているが(全て社会主義リアリズムに従った作風。ソ連に住んでいたら仕方のないことだ。中央アジアやカフカスの民族音楽の要素を濃厚に含む曲が多い。)、この曲一曲で私達日本人の記憶に深く残るものとなった。さて、それは「ポーリュシカ・ポーレ」! 歌詞はヴイクトル・グーセフ。交響曲第4番は、その「ポーリュシカ・ポーレ」があっちこっちに現れ、歌も歌われる。第4番の副題は「コムソモール戦士の歌」。その昔、仲雅美が歌ってヒットした。必殺仕置人に出ていなかったっけ?

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