これは、1979年ベルリンにおけるFMP代表のペーター・ブロッツマン(as、ts、cl、b-cl)とICP代表のミシャ・メンゲルベルク(p、voice)とハン・ベニンク(ds、ts、cl、etc)のコンビの合体トリオ・ライヴ。ミシャ&ハンのデュオ・アルバム、そしてハン&ペーターのデュオ・アルバムは結構リリースされている。ミシャ&ハン「Instant Composers Pool 010」、「Midwoud ICP-013」、「ICP-017&018」(カセット・テープ)、「ICP-023」。ハン&ペーターはFMPに、「Ein Halber Hund Kann Nicht Pinkeln」と「Schwarzwaldfahrt」。ハン、ヴァン・ホフ、ペーターの3人になるとたくさんリリースされているが、ミシャ、ハン&ペーターとなると、このトリオの演奏のアルバムはこれだけかも知れない。ヨーロッパ・フリーと言えばまずこのあたりを思い浮かべるファンも多いのでは? サックス暴走族ブロッツマンも、自由気ままにあっち行ったりこっち行ったりのICPコンビが相手だと、暴走してばかりもいられない。何しろ、ドンと打つと倍返しして来るハン・ベニンクと、やはりドンと打つとこっちはひょいとはぐらかされてしまうミシャ・メンゲルベルクが相手だ。となるとこっちも飄々と自由気ままに行くしかない。よって、ここでは全者一丸となって怒涛のフリーと言った所は、エネルギー・ミュージックを信望するタイプのファンが期待する程には無い。だが、一体この先どう展開するんだか分からない演奏こそが即興演奏の一番面白い所なのだ。解放されまくった男達による、「ヨーロッパ・フリーの真髄」がここで聴ける。有難い事にCD化によって、大幅に収録時間が増えた。このアルバムは、リリース当時話題に(狭い範囲ですけど)なったものだった。まさか、私がこれから35年も経ってCD、ハン・ベニンク「DA DA 打打」とミシャ・メンゲルベルク「逍遥遊」をリリースするとは夢にも思わなかった。ハンも、ミシャもデュオの相手は豊住芳三郎です。
「ジャズ・リアリティー」は1965年に結成されたCarla Bley(p)、Mike Mantler(tp)、Steve Lacy(ss)、kent Carter(b)、Aldo Romano(ds)のクインテット。JCOAの二人にS・レイシー・トリオが合体した形。第二期のメンバーは、S・レイシーがペーター・ブロッツマンに、K・カーターがペーター・コヴァルトに変わった。残念ながらこの録音は残っていないようだ。カーラ・ブレイはピアニストであること以前に、作曲家としての才能を認められた。ここでも、後年何度も繰り返し演奏される曲が含まれている。このアルバムは「フリー・ジャズ・ピアニスト」カーラ・ブレイの演奏を聴くことの出来る数少ない(ひょっとして唯一の?)アルバムではなかろうか。以降彼女は作曲家、バンド・リーダー(カーラ・ブレイ・バンド)として大活躍をする。ゲイリー・バートンの「葬送」、チャーリー・ヘイデンの「リベレーション・ミュージック・オーケストラ」の諸作もカーラ・ブレイの作曲したものだ。
Paul Bley/ポール・ブレイは、1932年カナダ、モントリオール生まれのピアニスト。11歳で音楽院を卒業。17歳でアルバータ・ラウンジのハウス・ピアニストに、オスカー・ピーターソンの後釜に収まったりと、若い頃から天才ぶりを発揮する。50年代後半、ジャズの前衛化にオーネット・コールマン、ジミー・ジュフリーらとその一翼を担っていた。このアルバムは、65年録音のESPでの第二作目。Steve Swallow(b)、Barry Altshul(ds)とのトリオ演奏。自作の一曲とアネット・ピーコック作の一曲を除けば他は全てカーラ・ブレイの曲を演奏している。一曲目の「アイダ・ルピノ」は美しく印象的な曲。これ以外の曲も後年度々演奏を繰り返される曲が多く含まれている。ブレイのピアノは同じフリー・ジャズ・ピアニストと言っても、セシル・テイラーとは対照的。ブレイのピアノはよく耽美的とか、リリシズムの形容詞が付く。妖しい美しさのある音だ。
一音だけで「美しい!」と唸らせる音を持った稀有なミュージシャン二人によるデュオ演奏。ひとりは日本ジャズ界を飛び越えて、日本の音楽界を代表する、いやそれどころか今後現れることがないだろう正に奇跡の存在と言っても良い富樫雅彦。もうひとりは、パリ・コンセルバトワールで作曲をメシアンに師事し、現代音楽を習得しながらも、ジャズ、特にフリー・ジャズ・ミュージシャンとしても独自のポジションにいた加古隆。そんな彼らふたりの80年東京での録音。前年の79年にはパリでこの二人にアルバート・マンゲルスドルフ(tb)と、ジェニー・クラーク(b)を加えた日独仏3カ国のミュージシャンよる録音が実現している「Session In Paris,Vol.2」。まだ富樫がヨーロッパに行ったことが無かった頃、ヨーロッパに行ってみたいなと思いながら書いた曲が「ヴァレンシア」。加古隆に捧げられている。加古もこの曲をヨーロッパ各地でたくさん演奏をしたそうだ。一度耳にすると離れないテーマ・メロディーを持つ曲だ。この曲を壊さずにインプロヴァイズするのは並みの演奏家では困難だろう。テーマは演奏のきっかけや即興の素材にくらいにしか認識していないような者のこの曲を使っての演奏は聞きたくない。加古の作曲した「今夜は雪」も同様。ここで富樫がゴーンと静かに鳴らすゴングの音色の静かで美しいこと! 富樫雅彦のピアノでのデュオと言えば、盟友佐藤允彦となるだろう。佐藤との阿吽の呼吸の演奏も素晴らしいが、加古との演奏も後世に残すべき作品となった。
富樫雅彦と高橋悠治。日本が生んだ天才二人によって作られた大変ユニークな音楽が収録された、1976年録音の秀逸なアルバム。前半は富樫作曲の二曲「半明/Dawn」、「禮魂/Li-Hun」。後半は高橋作曲の「黄昏/twilight」。「半明」(3パートに分かれている)は富樫&高橋による指定された短いモティーフを使っての即興。「禮魂」は二人に坂本龍一と豊住芳三郎が加わって「半明」のテーマを使っての即興。「黄昏」は高橋ゆうじ(息子さんの方)も加わった、これぞ高橋悠治!というユニークな曲。ホー・チ・ミンの詩の現代の中国語の発声と言葉のリズムから導き出されたものから構成された曲。使われている楽器も、クビン(フィリピンの口琴)、トムトム、インドネシアの竹筒、木片、タイの小さなシンバル、シンセサイザー等々。高橋悠治と坂本龍一によるクビン(マウスハープによるオスティナートは詩の行に応じた発声と同じ。)から始まる。その後は決められたルールに従って、その枠の中でいかにインプロヴァイズするか、出来るかといった演奏が続く。全くのフリーでは到底表現しきれない音楽だ。かと言って、おたまじゃくしばかりでも表現しきれない音楽。作曲と即興のバランスがちょうどいい具合に取れていると言えよう。不思議な音の物語。
Peter Kowald/ぺーター・コヴァルトは、1944年ドイツ、マッセルベルク生まれのベース奏者。ヨーロッパ・フリー第一世代として、亡くなるまでシーンを先導していた最重要人物。彼がいたからこそ、イギリスのミュージシャン、ドイツのミュージシャン等々の交流が始まったと言われる。この72年録音のアルバムは、彼のファースト・リーダー・アルバム。これ以前の録音では、P・ブロッツマン、M・ショーフ、K・ベルガーらのアルバムで彼の演奏を聴くことが出来る。ここでは、G・ChristmannとP・Rutherfordの二人の個性的でいて強力なトロンボーンに、Peter van de Lochtのアルト・サックスとPaul Lovensのドラムというユニークな編成。コヴァルト自身もベースの他、チューバやアルペンホルンも演奏している。van de Lochtはこのアルバムでしか聴いた事が無いサックス奏者なのだが、このグループの突貫小僧的働きを見せて活きがいい。何より二人のトロンボーンがいい。二人の違いが如実に分かる。同じ楽器を二人にした意味がよく出ている。最後の曲は、アルプスの山々を想像出来るのどかな曲だ。
Manfred Schoof/マンフレート・ショーフは、1936年ドイツ、Magdeburg生まれのトランペット奏者。ケルンで作曲家、Bernd Alois Zimmermannに師事。その頃、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハと出会った。二人共ギュンター・ハンンペルのグループに参加し、これがドイツ最初のフリー・ジャズ・グループとなった。66年初リーダー・アルバム「Voices」を録音。67年、現代音楽のレーベル、Wergoへ吹き込んだこのアルバムは、ドイツのフリー・ジャズ黎明期の傑作。ショーフのトランペットの演奏は、音の粒子の密度が高く、細かな音の粒が高速ですっ飛んで行く感覚だ。激しいと言うよりも、まずはそのスピード感が爽快だ。Gerd Dudek(ts,ss,cl,perc)、Jacky Liebezeit(fl,perc)、Alexander Von Schlippenbach(p,perc)、Buschi Niebergall(b)、Sven-Ake Johansson(perc)と言った後年も共演を続けることになる盟友達との熱く激しい演奏が聴けるが、カチっと構築された曲の中から大きくはみ出すものではない。知的にコントロールされた演奏。最後の「Glokenbar」と言う曲は、各自が色んな打楽器(小物ばかり)を持ってのクールな演奏。これが面白い。AACMのミュージシャンが集まって演奏してもこうはならないだろうというもので、アフリカン・アメリカンとの血と文化の違いがこんな所でも感じられる。
これはデトレフ・シェーネンベルクとのデュオや自己のグループVario,そしてグローブ・ユニティ・オーケストラでの活躍で知られるギュンター・クリストマンのソロ・アルバム。彼のソロと言うとトロンボーンやベース、チェロによる無伴奏ソロ・アルバムと思われようが、さにあらず。勿論、彼流のユニークなトロンボーン、ベースのソロ演奏も聴く事が出来る。そんな中に混ざって、ブレス音だけの曲や、サウンド・コラージュ作品が聴けるのだ。これが大変面白いし興味深い。六カ国語でトロンボーンの解説をじゃべらせ、これを重ねたテープ作品が有ったり(日本語は、ジャズ評論家の副島輝人氏)、79年の新宿の街で録音した街頭の色々な音を短く切り取って、繋ぎ合わせ編集したテープ作品が有ったりと、単に「即興演奏集」に終わっていない。このアルバムがリリースされてすぐ買って聴いて、相当影響を受けた。勿論トロンボーンやベースの演奏も大好きなのだが、テープ作品の強く惹かれた。カセット・レコーダー(ソニーのデンスケと呼ばれていた)とマイクを持って、クリストマンもほっつき歩いただろう新宿の街をグルグル回りながら街の音を録音したのだった。私の場合は45分間の無編集のまま現在も録音が残っている。
Tristan Honsinger/トリスタン・ホンジンガーのチェロと、Gunter(
正確にはuにウムラウト)Christmann/ギュンター・クリストマンのトロンボーンとベースのデュオ・アルバム。1978年録音。こんなに人を苛立たせ、嘲り、不愉快にさせ、笑わせ、呆れさせ、楽しませ、感激させてくれる音楽は、そう無いだろう。二人は、美しい音、綺麗な旋律、華麗な音の振る舞い等々と言うヴォキャブラリーなんて、自分の中にこれっぽっちも存在していないが如く、音を軋ませ、破裂させ、切り刻む。聴き手は、バラバラにされた音の断片が飛び交う空間の中で、ニタリとして薄笑いをしながら聴き入る。う~ん、これでは演奏する方も聴く方もビョーキではないか。音楽なり芸術にどっぷりハマるってことは、傍から見ると、そうビョーキなのです。我々ビョーキ持ちは、この演奏を聴いてより症状を重くしては喜んでいる訳なのです。こんな事を書きたい衝動に駆られる音楽が正にこの二人の演奏なのです。傑作!
JCOA、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ委嘱シリーズの中でも最もアヴァンギャルド・オーケストラらしい作品が、1975年コロンビア大学のWollman Auditoriumで演奏、録音されたリロイ・ジェンキンスによるこのアルバムだ。シカゴ、セントルイスとNYCの人脈を動員。Kalaparusha、A・Braxton、J・Cooper、L・Smith、D・Redman、D・Holland、J・Bowie、Sirone等々。フレンチホルン、テューバ、シンセサイザーも含む大所帯の壮大な作品だ。リード、ブラス、弦楽器、打楽器それぞれの楽器群を、オーディトリアムの四隅に配置。その真ん中にジェンキンスが位置し、ヴァイオリンを弾き、指揮をした。18名のミュージシャンが、個となり全体となり、有機的に絡み合いながら響きの重層を構築する。聴衆は音の銀河の中をグルグル回りながら、様々に変化する様子を眺めて旅をするようだ。ジャズのオーケストラ作品は数々有れど、これは最上級の作品。
Noel McGhie/ノエル・マッギーはジャマイカ、オーチョ・リオス出身。スティーヴ・レイシー、マル・ウォルドロン、クリフォード・ソーントン、アーチー・シェップらと共演して来たドラマー。特にS・レイシーのバンドでの活躍が重要で「The Gap」、「Estilhacos」で彼の演奏が聴ける。レイシーの参加したマル・ウォルドロンのアルバム「Journey Without End」「Mal Waldron With The Steve Lacy Quintet」でも数枚聴くことが出来る。クリフォード・ソーントンのアルバムでは「The Panther And The Lush」でマッギーの演奏が聴けるが、残念ながらシェップとの共演は録音がリリースされていないようだ。このアルバムは、私が知る限りにおいては彼の唯一のリーダー・アルバムではなかろうか。実は、ノエル・マッギー目当てで買ったアルバムではなくてトランペットの沖至が参加していたから、と言うのが正直な所だった。沖至の他は、Georges Edouard Nouel(p)、Lovis Wavier(b)、Gorge Joao(as,ss)。日本人のトランペット、ブラジル人のサックス、マルチニーク人のエレクトリック・ピアノとベース。マッギー自身もジャマイカ出身と言う多国籍型バンド。正に世界中から多国籍多人種が集まるパリらしいではないか。特に、この中に日本人の沖至がいると言うのが、思いっきりグローバルなグループに仕立て上げている。どの曲も軽快、爽快で聴いていて心地よい。そう、これはフリー・ジャズじゃないのだ。沖至のトランペトが美しい音色を奏でる。沖至のアルバムのコレクターは要注意の作品。
Jacques Coursil/ジャック・クルシル?は、1938年パリ生まれのトランペッター。育ったのはデンマークのコペンハーゲン。16歳の時コルネットを始める。59年から3年間(2年間の兵役も含む)セネガルに滞在。65年NYCに進出。「サニー・マレイ」(ESP/1966)でレコーディング・デビュー。サン・ラ、フランク・ライトらと共演。69年以降パリを中心に活躍。69年録音の本作は、オリジナル曲2曲とビル・ディクソンの曲1曲を収録した彼のファースト・リーダー・アルバム。J・Coursilの他Arthur Jones(as)、Beb Guerin(b)、Claude Delcloo(ds)が参加。全者一丸となった熱く激しいフリー演奏ではなく、4人が少し距離を取ってインタープレイを繰り広げた素晴らしい演奏だ。BYGにはもう一枚、この4人にアンソニー・ブラクストン、バートン・グリーンが加わった「Black Suite」も有る。その後彼は、教育と研究の為演奏活動から離れるが、04年久々TZADIKより復帰作をリリースした。
Richard Teitelbaum/リチャード・タイテルバウムは、シンセサイザーが産声を上げた頃から、この最も「原始的な楽器」(と、彼は認識していた。)を操って来た第一人者。何しろモーグ製作の第2号機を使っていたのだ。その彼が民族音楽の研究をし、異なった地域・文化の音楽家を集めた「ワールド・バンド」を結成していたのも興味深い。76年秋に日本の伝統音楽の研究に為に来日し、横山勝也氏の弟子となり尺八の習得に励んだ。その間、日本のフリー・ミュージック・シーンを具に見て回った。そして、富樫雅彦との増上寺ホールでのコンサートが実現した。その後、加古隆(p,perc)、中川昌三(fl,as)も加えた録音がこれだ。簡単なリフに挟まれ、4人の即興演奏が続く。緊張感を孕んだ静的な時間が流れる。富樫のパーカッションとタイテルバウムのシンセサイザーの電子音に間に何の違和感も感じられない。電子音とアコースティックな音とがぶつかると、音同士が分離して気持ち悪い事も多いのだが、ここではそれは無い。B面はビコに捧げられた曲。
60年代から、現代曲の演奏から即興演奏まで幅広く演奏するヴァイオリニストでもあり作曲家、Malcolm Goldstein/マルコム・ゴールドスタインの1979年ハートフォード「リアル・アート・ウェイズ」での無伴奏ソロ・ヴァイオリンのライヴ録音。おそらく自費出版だろう。レーベル名らしきものが書かれていなくて、MG-1とだけクレジットしてある。両面20分少々の一曲だけが、編集されずに収録されている。即興を編集すると「作品」になってしまう。91年にも同じ「Soundings」というタイトルのCDがリリースされているが、こっちは現代曲(J・Cage、P・Olivelos、P・Corner、J・Tenney、M・Goldsteinに混ざってO・Colemanも)を演奏している。ヴァイオリンの音色と言えば、殆どの人はクラシックのヴァイオリン奏者(近頃はもっとポップなヴァイオリンも多いが)の奏でる「美音」を想像されることだろう。ここでゴールドスタインが演奏するヴァイオリンからは、あなたの想像する音色の正に正反対の音が鳴り響いています。ギシギシ鳴っています。メロディーの断片すら有りません。この楽器の素材である木、金属の弦、馬の尻尾が素材のまま鳴っている感じ。これを聞くと、クラシックのヴァイオリン奏者が逆に無理をして「美音」を出しているような・・。その為に小さい頃から訓練、練習を重ねているんだが。それを通り越したゴールドスタインのような者が、そのもっと先に有る何かに向かって進んでいるのです。
Ronie Boykins/ロニー・ボイキンスは、1935年シカゴ生まれのベース奏者。ハイ・スクールを卒業後、マディ・ウォータース、ジミー・ウィーザースプーン、サラ・ヴォーン、ジョニー・グリフィン、ラサーン・ローランド・カーク、エルモ・ホープ、ジョージ・ベンソン、メアリー・ルー・ウィリアムス、エリック・クロスらとの共演歴を持つ。このように、フリー・ジャズのみならずストレートなジャズも同時に演奏して来た。58年サン・ラ・アーケストラに参加。その後66年までアーケストラに在籍していた。サン・ラのESP盤「The Heliocentric Worlds vol.1.2.3」や、サン・ラのレーベル「サターン」で、彼の演奏をたくさん聴くことが出来る。サン・ラの他、チャールズ・タイラーの70年代中期の3枚のアルバム、スティーヴ・レイシー「N.Y.Capers&Quirks」でも演奏が聴ける。75年録音の本作は、ESP最後のジャズの録音となった。R・Boykins(b,sousaphone)、Joe Ferguson(ss,ts,fl)、Monty Waters(as,ss)、James Vass(as,ss,fl)、Daoud Haroom(tb)、Art Lewis(perc)、George Avaloz(congas)といった7人編成のアンサンブル。サン・ラの影響も当然有ったのだろう。このアルバムで聴ける彼の作曲、編曲も彼のベ-スの演奏共々素晴らしい。単にホーン奏者にソロを回せるだけのような単調な演奏に終わらせてはいない。二人同時にソロを取らせる曲もある。こういう所は長年アーケストラに在籍していた所から来るのだろう。5曲目ではスーザフォンを演奏している。サン・ラの60年の録音「Rocket No.9 Take Off For Planet Venus」でのボイキンスのソロが、フリー・ジャズ・イデオムの中では一番最初のアルコによるソロと位置づけられているようだ。デヴィッド・アイゼンソンやアラン・シルヴァよりも早い。
Abdul Wadud/アブダル・ワダドは、数少ないチェロのインプロヴァイザーの一人。今でこそ即興演奏をするチェロ奏者は結構な数を見るようになったが、70年代はまだまだ少なかった。彼は楽譜にも強く即興の腕もあるのであっちこっちで引っ張りだこだった。アーサー・ブライス、ハミエット・ブルーイェット、アンソニー・デイヴィス、ジュリアス・ヘンフィル、オリヴァー・レイク、ジェームス・ニュートン等々の多くのアルバムでワダドの演奏を聴くことが出来る。「By My Self」は、その名の通り彼のソロ・アルバム。77年NYC録音。活躍の割には彼名義のリーダー作はどうもこれだけではなかろうか。彼の持つテクニックと音楽性がストレートに聴くことの出来る貴重なアルバムだ。時にギターのように。時にアラブのウードのように。美しく豊かな音から、弦を軋ませるノイジーな音まで実に多彩。そして、実に多彩な音楽性を持ったミュージシャンであることか。
ジャズ・ファンがBarney Wilen/バルネ・ウィランと聞いて思い出すものは、50年代のバド・パウエルとの共演、「死刑台のエレベーター」や「危険な関係」といったサウンド・トラックへの参加。そして80年代半ばからリリースが増えたあたりからの、円熟したテナー・サウンドといったところだろう。日本でも人気が高く、日本のレーベルからもたくさんのCDが出ていた。正にオーソドックスなテナーマンといった感じだ。しかし、彼はピグミーの音楽を求めて幾度となくアフリカに赴いたり、またはパンク・ロックへの接近といった姿も見せるミュージシャンなのでもあった。その多彩な一面の中にフリー・ジャズも含まれていた。これは67年のモナコ・グランプリの実況録音に、フリーな演奏を重ねたもの。アルバムの録音は翌68年。元々はドキュメンタリー・フィルム用の録音だったようだ。演奏は、バルネの他は、Francois Tusques(p,org)、Beb Guerin(b)、Eddy Gaumont(ds)。テュスクのピアノが凄い。主人公のバルネを食っていると言ってもいいほどだ。テュスクのアルバムにも、バルネは参加している。
ドイツのジャズ評論家Joachim Ernst Berendt/ヨアヒム・エルンスト・ベーレントは、1965年から67年にかけて、「ジャズ・ミーツ・ワールド」というアルバムの企画をMPSの為にプロデュースした。これはその第1作目。ジャズとインド音楽の融合を試みたもの。インド側からは、ビートルズの映画「ヘルプ」でシタールを弾いていたDewan Motihar(ジョージ・ハリスンは彼の演奏を聴いてインド音楽、ひいてはインド文化に興味を持ったのだった。)と、タンブーラのKusum Thakur、タブラのKeshav Satheが参加。ジャズ側は、Irene Schweizer Trio(ベースがUli Trepte、ドラムがMani Neumeier)に、Manfred Schoof(tp,cor)とBarney Wilen(ss,ts)が加わったクインテット。ジャズとインド音楽は似て非なるもの。インド音楽はラーガとターラを演奏中には基本的に変えることは出来ない。シタールには共鳴弦が張ってあって、演奏するラーガに合わせて調律されるので、途中ラーガを変えたとしても、演奏中に共鳴弦を調律し直すのは物理的にも不可能だ。さて、ではジャズ側はどう対処するかだが、ここに集まった「ジャズ・ミュージシャン」は普通の「ジャズ」の人達ではない。当時最先端を突っ走っていたフリー・ジャズ・ミュージシャン達だ。バルネ・ウィランも当時はこうした演奏もしていたのです。ラーガとターラの枠を基調にはするが、あまり遠くへ飛んで行かない限りの範囲内で「フリー」に行こうということになったという演奏だ。インド音楽との違和感は無い(と、断言するには少々違和感は拭えないけど・・)。まことにスリリングな演奏を展開しているのは確かだ。実験的な段階で留まっている感は拭えないが、個人的にはこれまで結構な回数聴いて来たのだった。
Noah Howard/ノア・ハワードは、1943年ニューオリンズ生まれのアルト・サックス奏者。最初はサンフランシスコで活動し、Byron Allen/バイロン・アレン(as)やSonny Simmons/ソニー・シモンズ(as)らと共演を重ねていた。65年(ジャズ十月革命の翌年)にNYCに進出。サン・ラ、アーチー・シェップ、アルバート・アイラーといったフリー・ジャズの先頭集団と共演を重ねて行った。このアルバムは、ESPの第二作目となるジャドソン・ホールでのライヴ録音。前作では参加していなかったチェロ(Cathrine Norris)とピアノ(Dave Burrell)を加えた六重奏団(ベースはNorris Jones,ドラムはRobert kapp)による重圧な演奏だ。デイヴ・バレルが力強いピアノを聴かせる。ベースの他にチェロも加えたのが演奏に厚みを加えることとなった。一作目でも参加していたイギリス人のトランペッター、Ric Colbeck/リック・コルベックは、ここでも活躍。ハワードのアルト・サックス共々燃焼、爆発する。ハワードは作曲能力も高く、ユニークなメロディー感覚を持っている。
Marion Brown/マリオン・ブラウンは、1935年ジョージア州アトランタ生まれのアルト・サックス奏者。彼は60年代を代表するフリー・ジャズ・ミュージシャンでもあり、また逆に異質な存在でもあった。時代は「破壊せよ!」と声高らかに叫んでいた。確かにブラウンもその真っ只中にいた。ジョン・コルトレーンの問題作と言われた「アセンション」(65年録音)にも参加している。これと同年に録音された彼の初リーダー作がこれだ。ブラウンの他、Alan Shorter(tp),Ronnie Boykins(b),Reggie Johnson(b),Rashied Ali(ds)そして一曲だけだがBenny Maupin(ts)も参加している。トランペットのアラン・ショーターは、ウェイン・ショーターの兄。弟よりも先鋭的な道を歩んだ。一曲目の「カプリコーン・ムーン」が軽快なカリプソ風ナンバーで人気があるが、その後も彼は「ラ・プラシータ」のような人気曲を作っている。他の2曲ではフリーキーな熱いソロを取るが、イマジネイションがどんどん膨らんで行く様を見て取れる。いくら激しい演奏になろうとも、彼のサックスからは野放図な音は出て来ない。所謂「猫の喧嘩」と揶揄される手合いとは一線を画す。私個人では、ジャズ史上五指に入るアルト・サックス奏者なのだ。
Tony Oxley/トニー・オクスリーは、1938年生まれのイギリス屈指のドラマー。ロニー・スコッツ・クラヴのハウス・ドラマーをしていた。71年のINCUSの設立にも参加。ジャズもフリー・インプロヴィゼイションも第一級の腕前。70年代からエレクトロニクスの導入に積極的だった。この69年録音のアルバムは彼の初リーダー・アルバム。Kenny Wheeler(tp,fh),Derek Bailey(g),Evan Parker(ts),Jeff Clyne(b)という、当時ジャズの演奏と並行してフリー・インプロヴィゼイションの試みを行っていた仲間達が集まった。当時のジョン・スティーヴンスの「スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル」のメンバーとほとんど同じというのも面白い。完全即興という訳ではなく、即興と作曲との関係をまだ保ったもの。すでに完全即興を行っていたパーカー、ベイリーも曲の流れに逆らうことのない演奏をしている。その分ベイリー達の演奏に物足りなさを感じるのは否めない。それも今の時点で聴いている者の耳だからで、69年という年代を考えると、当時とすれば十分先鋭的に聴こえたことだろう。近年のオクスリーはセシル・テイラーの片腕的存在になって共演を続けている。
Dudu Pukuwana/ドゥドゥ・プクワナは、1938年南アフリカ生まれのアルト・サックス奏者。自己のバンド「ジャズ・ジャイアンツ」で、62年ヨハネスブルグ・ジャズ祭に出演。その後クリス・マクレガーの「ブルーノーツ」に参加。64年アンチーブ・ジャズ祭に出演。そのままヨーロッパに留まった。69年一時期南アに帰るが、また出国。自己のバンド「アッサガイ」や「ジラ」で活躍する。この73年オックスフォードでの録音のアルバムは、Mongezi Feza(tp),Bizo Mogqikana(ts),Louis Moholo(ds),Harry Miller(b)という全員が南アフリカ出身の仲間達による演奏。VirginからまさかのCD化! どの曲も覚え易い楽しいメロディーばかりだ。プクワナ達も歌っている。アフリカの大地の匂いが、太陽が、熱気が立ち込める。エルトン・ディーンら英国勢との「ダイアモンド・エクスプレス」もお薦め。
これは何とも大変楽しく愉快なアルバム。Maggie Nicols/マギー・ニコルズとJulie Tippetts/ジュリー・ティペットは、共にイギリスで1970年代から活躍する女性ヴォイス・パフォーマーの先駆的存在。これは、78年ロンドンのスタジオでの録音。二人は、ヴォイスだけではなくて、ボンゴ、シンバル等の打楽器、空き瓶に加え掃除機(ジャケットには、どこかのライヴ・ハウスで”演奏中”の写真が写っている)使ってのパフォーマンスを繰り広げている。多重録音も使い、多彩な表現を聴かせてくれる。まず、1曲目から笑わせてくれる。二人が、何やらしゃべくりながら鼻歌を歌ったり、大笑いをしているだけなのだ。こっちも聴いてて楽しくなって来る。と言うか笑ってしまう。空き瓶に息を吹き込みながらリズムを取ってみたり、掃除機の吸引で声を変えてみたり(これ、子供の頃みんなやったことがあるだろう?)と、なかなかオチャメな二人でした。
Tamia/タミア、1949年生まれの歌手であり、ヴォイス・パフォーマー。Pierre Favre/ピエール・ファブルとの活動歴が長く、ECM等でたくさんの録音を聴くことが出来る。78年パリ録音のこのアルバム、タイトルが「TAMIA」とだけ。レーベルも彼女自身のレーベル(多分?)。気合を感じるではないか。これが彼女のファースト・アルバムのはずだ。それでいてこの完成度!凄い! 全編彼女の声(というか直接”喉”と言いたい曲も!)だけを使って、これだけのヴァリエイションを聴かせてくれる。森の中の声。鳥の鳴き声。祈りの声。尺八の音色。「First Polyphony」という曲だけは、タミア以外にも多くの声が参加し、声だけのオーケストラを作っている。合唱ではなくオーケストラだ! 人間の声が持つ情報量のなんと多いことか。なんと力強いことか。そして暖かいことか。
Sonny Sharrock/ソニー・シャーロック、1940年ニューヨーク州オニシング生まれの「革命的ギタリスト」。シャーロックの前に、ギターをこんな風に弾くなどという発想を、どれだけのギタリストが考えただろうか。正にギターの革命児。彼はバークリー音楽院で正式に音楽を学んでいる。時々いるヘタウマとは元々の土台からして違う。後年のソロ・アルバムに顕著なのだが、ブルースの影響が強い。このアルバムにも「ブラインド・ウィリー」と題した曲が有る。このアルバムは、シャーロックのリーダー作になっているが、実際は夫人のリンダ・シャーロックとの共同の作品。全曲リンダのヴォイスがシャーロックのギターと同格並みに活躍する。ギターも破壊的だが、リンダのヴォイスが強烈。肉声の強度は計り知れないものだ。聴き終わっての印象は、リンダのヴォイスの方が強く尾を引く。共演ではミルフォード・グレイヴスのドラムがやはり凄い。オーヴェルニュの「バイレロ」をやっているのが意表をつく。
Michael Gregory Jackson/マイケル・グレゴリー・ジャクソン、1953年ニュー・ヘヴン生まれのギタリスト。ワダダ・レオ・スミスさんの影響を受けて、クリエイティヴ・ミュージックに開眼。76年録音の「Clarity」が最初の成果。ここにはレオさんの他、Oliver Lake,David Murrayも参加している豪華版。その次にリリースされたのがこのアルバム。エレクトリック&アコースティック・ギターの他、パーカッション、バンブー・フルート等も使用。詩の朗読も一曲有る。彼のソロと、ファースト・アルバムでも共演したオリヴァー・レイクとのデュオで構成されている。ギター・プレイは、他のフリー系ギタリストのような破壊的なものではない。フリー・ミュージックと言うよりは、「クリエイティヴ・ミュージック」と呼ぶ方が似合っている。彼独自の音の世界が創造されていて、誰かに似ているというものではなく、これからどんな音楽を作ってくれるか将来を期待していたのだが、その後は方向転換をしてR&Bに接近。ミック・ジャガー、カルロス・サンタナ等と共演するようになった。だが、一度サブさんと日本ツアーをするために来日したことが有った。レオさんにサブさんを紹介されての来日だった。
これはNed Rothenberg/ネッド・ローゼンバーグ(本人の発音を聞いたところでは、本当の発音はネド・ロズンベーグに近かった。何度挑戦してもちゃんと発音出来なかった。)が1989年から92年にかけて作曲した曲を91年と92年に録音したソロ・アルバム。ネッドさんは、80年代初頭からリリースを始めた自身のレーベル「LUMINA」から無伴奏のアルト・サックス、バスクラリネット、尺八等のソロ・アルバムを発表して来た。当時はジョン・ゾーンと並ぶ新世代を代表するサックス奏者のイメージを持っていた。「The Crux」は、80年頃の演奏と比べると、明らかに音の選択により深く注意をはらい、音を選び演奏しているように伺える。演奏の進化そして深化なのだろう。現在も続けている尺八の修練からの影響も大きいいように思う。実際ここでは尺八本曲「巣鶴鈴慕」をアルト・サックスで演奏したり、尺八で師の横山勝也氏に捧げる曲を演奏している。と、思えば「Maceo」というMaceo Parkerに捧げた曲も有ったりする。彼のルーツはR&Bだったりするのだ。このアルバムを聴いていると、ふと姜泰煥さんの顔が浮かんで来ることが有る。お互いが尊敬しあう間柄で、演奏までもがどっちがどっちか分からなくなるところが有るくらいだ。まだ、姜さんがネッドさんの存在すら知らなかった時のこと。姜さんが送られて来たネッドさんのCDを聴いていたら、姜さんの奥さんが「私の知らない所に、もう一人のあなたがいた。」と言われたのだとか。
パイプ・オルガンで前衛音楽。と、考えたらリゲティの名前が真っ先に浮かぶだろう。彼は、「ヴォルーミナ(1961~62)」と「エチュード(!967)」というトーン・クラスターを多用した(というか、ほとんどというか)衝撃のオルガンの為の曲を作曲している。この2曲は、パイプ・オルガンと言えば教会音楽という概念を吹っ飛ばしてしまった。正に驚異の音楽だった。即興の世界にも、このパイプ・オルガンを使って過激な音をぶちかましてくれたミュージシャンがいたのだった。それがFred Van Hove(フレッド・ヴァン・ホフ~本当の発音はどうなんだろう? ファン・ホーフェ?)だ。ピアニスト Van Hoveの時は、パワープレイよりも、どこか飄々として、隣でベニンクやブロッツマン達が大暴れしていても、ひとり他所を向いてまるで無関係と言った塩梅で、ピアノをポツリポツリと弾いているような所がある。ところが、オルガンの前に座ると豹変する。人間が変わったように、怒涛のクラスターの嵐をおみまいするのだ。リゲティ共々オルガンを扱うと、ここから轟音を轟かせたい気分になるのか?Van Hoveは教会の中を轟音で満たすだけではなく、所々彼らしいユーモラスな音使いや、
ふっと息を抜く音が出て来る。来日した折、日本の教会でも演奏したがったようだが、まず日本では演奏させてはもらえないだろう。
オーストリアのミュージシャン、Muhammad Malli(ss,ds),Fritz Novotony(arabian-fl,e-flat-cl)等は「Reform Art Unit」と言うグループで長年に渡り活動を共にしているが、もう一つグループを持っていた。それがこの「Three Motion」だ。正直なところ、この二つのグループの中身の違いがよく分からないでいる。メンバーさへも、大きな違いが無く、音楽もそう。さて、このThree Motionsのメンバーはというと、先の二人にPaul Fickl(vln,el-p,ts)、Walter Schiefer(ds,Perc),Heintz jager(b)と言う地元勢に加え、タイトルの「With Soloists From Chicago,New York and Vienna」の通り、Anthony Braxton(as)とClifford Thornton(tp)も参加という豪華版。1978年に行われた(おそらくウィーンで)First International Music Workshop-KREMS-でのライヴ録音。1曲目はコルトレーンの「Impressions」。ソーントンは加わっていない。ブラクストンが飛ばす。だが、他の連中はと言えばヴァイオリンやアラブの笛(何だろう?)を演奏しているのだ。ブラクストンのソロの後が笛とヴァイオリンでは突然音楽の様相が様変わりしてしまう。ユニークな「インプレッションズ」と言えばいいのかどうか? 2曲目はドラムを叩いていたMalliがソプラノ・サックスに、ヴァイオリンのFicklがテナー・サックスに、笛を吹いていたNovotnyはクラリネットに、パーションを叩いていたSchieferがドラムに其々持ち替えて、よりジャズらしい響きになった。とは言うもののストレートに飛ばすものではなくて、管が4人もいるワリには騒々しくなくて交通整理の行き届いた演奏だ。3曲目はMalliのソプラノ・サックス、ブラクストンのアルト・サックス、ソーントンのトランペットの三人だけのアンサンブル。慌てず騒がず三人の淡々とした会話が続くといった感じか。
Loek Dikker/レーク・ディッカーは、オランダのピアニスト、作曲家、バンド・リーダー。ウォーターランド・アンサンブルやビッグ・バンドを率いて来た。自身のレーベル「WATERLAND」も主宰し、70年代には一度見たら忘れられないジャケット・デザインのアルバム(特に1、2作目)をリリースしていた。80年録音の「Summer Suite」は、アムステルダムで行われたジャズ・フェスティヴァルでのライヴ。ここでは「ウォーターランド・アンンサンブル」を名乗ってはいない。メンバーはL・Dikker(p)、Ferdinand Povel(as)、Gerd Dudek(ts)、Mark Miller(b)、Martin van Duynhoven(ds)。実はメンバーにドイツの「シーツ・オブ・サウンド」ゲルト・デュデクが参加しているので手に入れたアルバムだったのだが、これが思わぬ拾い物だったという訳だ。ディッカーの書く曲のメロディーは、どこかの映画音楽かのような印象を受ける。各人のソロもストレートなジャズの範囲内だが、時にデュデクが激しいブロウをかます。そこは、グローブ・ユニティ常連の血が時々騒ぐのか。これらの曲からも分かるように、近年は映画音楽の作曲家としての名を馳せるようになった。このアルバム、これまで結構聴くことが多く、私にとっての裏名盤なのだ。だが、これは、どう大目に見ても、フリー・ジャズではない。彼のフリー・ジャズ・ピアニストの姿を見たい(聴きたい)人には、彼のレーベルWaterlandで、79年録音された「Mayhem In Our Street」がお薦め。Keshavan Maslak(as,ts,b-cl,hum-ha-horn)、Loek Dikker(p)、Mark Miller(b)、SunnyMurray(ds)と言う強力な布陣。ディッカーのアンサンブル「ウォーターランド・アンサンブル」には、Pierre Courbois(ds)や、ヴィレム・ブロイカー・コレクティーフのメンバーでもある、Willem vanManen(tb)、BoyRaymakers
(tp)らの姿も見える。
Theo Loevendie/テオ・レーヴェンディ(でいいのか?)は、1930年アムステルダム生まれのアルト&ソプラノ・サックス奏者。しかし、Loevendieにすれば「昔話」になるだろう。現在の彼は、所謂現代音楽の作曲家と言う事になる。オペラ、協奏曲、室内楽等々数多くの作品を発表している。協奏曲というフォームに親近感を感じているようだが、元がジャズ・ミュージシャンだからだろうか。ジャズのビッグ・バンドって、ジャズ版協奏曲のような一面が有る(ひとつの楽器だけがソロを取る訳ではないが。)。このアルバムは、彼のジャズ時代、1977年のライヴ録音。T・Loevendie(as,ss)、Arjen Gorter(b)、Martin van Duynhoven(ds)ともう一人のテナー・サックスのカルテット演奏なのだが、そのテナー・サックスが、あのキャンディー・ダルファーの父親にして、今ではポップでファンキーなHans Dulfer/ハンス・ダルファーなのである。ここでは今では想像もつかないような激しくパワフルなサックスを吹いている。今の彼も、バックの音は今風なポップでファンキーな音だが、彼自身の演奏はポップにはなっているが、テナーサックスの音自体は今も昔もぶっとい音を出している。四人が熱い演奏をしているのだが、自由な束縛しない”作曲”が機能しており、ホットだが整然とした印象も受ける。ここら辺りの塩梅がちょうどよい塩加減になっており、彼が後に作曲家一本で進んで行くことになったのも分かると言うものだ。サックスの演奏をやめたのはもたいないような気もするが、時には吹いているのだろうか。彼ら4人の演奏は74年にももう1枚出ている。
Marzette Watts/マーゼット・ワッツ、1938年アラバマ州モントゴメリー生まれ。テナー&ソプラノ・サックス、バス・クラリネット奏者にして、画家、詩人でもある。劇団も持っていたようだ。総合格闘家ならぬ総合芸術家というところか。66年録音のこのアルバムは、ワッツの音楽部門の発表といったところであろうか。B・ランカスター(as,fl,b-cl)、S・シャーロック(g)、C・ソーントン(tb.cor)、K・ベルガー(vib)、J・ブース(b)、H・グライムス(b)、J・C・モーゼス(ds)といった豪華な(今の目で見ると。当時はみんな若かった。)メンバーによる集団即興演奏。2ベースによる迫力のある演奏だ。単にソロを回すだけに終わらず、かと言ってただ混沌としたものに陥ってはいない。ワッツのリーダーとしての力量が伺える。プレイ自体は、ワッツ以外のサイドメン達に目が(耳が)行ってしまうのは、このメンツなら仕方がないか。特にギターのS・シャーロックが凄い。
たったの一枚しかアルバムを残さずにシーンから消え去って行ったミュージシャンは数多い。アルバムが無いだけで、ライヴの現場ではバリバリ活躍しているというミュージシャンも、これまた多い。Lowell Davidson/ロウェル・デヴィッドソンも、このアルバムだけでシーンから消えて行ったミュージシャンの一人。音楽の世界からは足を洗った形だが、生物化学でハーバード大学に入り、後研究者生活を送ったという秀才なのだった。実験中の事故が原因で90年に他界している。アフリカン・アメリカンのピアニストだが、セシル・テイラーの系譜に属さず、どちらかと言えばポール・ブレイに近い。パワー・プレイに身を置いていない、クールな演奏だ。共演者がベースがゲイリー・ピーコック、ドラムがミルフォード・グレイヴスと言う凄い布陣だ。と言っても、現代の目で見ての話。いくら凄腕でも、知名度の点ではまだまだの時期だ。このアルバムの知名度も知る人ぞ知るレベルだろう。だが、知らないでいると損をします。・・・かな?
Mike Osbourne/マイク・オズボーンは、1941年イギリス、ヘレフォード生まれのアルト・サックス奏者。イギリスには、ジャズだ、ロックだ、アヴァンギャルドだと言わずに何でもこなすヴァーサタイルなミュージシャンが多い。キング・クリムゾンの録音にはMarc Charig,Jamie Muir,Keith Tippett,Harry Miller達が参加していたりする。ロックともジャズとも言えそうなバンドが多かったのもイギリスの特徴だった。そんな中の一人とも言えるのがこのオズボーンだ。1971年録音の本作には、Louis Moholo(ds),Chris McGregor(p),Harry Miller(b)という南アフリカ勢に、これまたヴァーサタイルなトランペッターHarry Beckettを加えたユニークなもの。色んな要素がごった煮な状況にあった当時のロンドンのシーンを垣間見せてくれる。初リーダー作(多分)の本作が彼のアルバムとしては一番トンガッてるように思う。しかし、怒涛のフリーにはならず、ノリの有る部分も聴かれる。長尺の二曲だけだが、ダレる所は無い。一気に聴ける。
John Taylor/ジョン・テイラー、1942年マンチェスター生まれのピアニスト。近年MPSの「Decipher」がよく再発されているのでご存知の方も多いだろう。これと同年の1971年に録音された本作は、John Tayler(p),Chris Laurens(b),Tony Levin(ds)のJ・テイラー・トリオに、Kenny Wheeler(tp),Chris Payne(tb),Stan Sulzman(as),John Surman(ss)それに翌年テイラーと結婚することになるNorma Winstone(voice)が加わった豪華な陣容となった。テイラーは、リリカルで牧歌的とも言える美しい曲を書く。そしてピアノも同様美しい響きが特徴だ。だが、甘さに流れないハードなエッジも合わせ持つのも彼の特徴だ。近年やけに増えた甘いだけのヤワなピアノとは一線を画す。同じ資質を持つトランペッターがいる。ここにも参加しているKenny Wheelerだ。この二人に夫人となったNorma Winstoneを加えた名グループ「Azimuth」が結成された。
富樫雅彦、1997年8月15日のスタジオ録音。SPACE WHOのソロから10年後のソロ・アルバム。こちらは、富樫さんとは長年の盟友、ピアニストの佐藤允彦さんが、自身でプロデュースするレーベル、BAJ Recordsの為に企画されたもの。この時点で富樫&佐藤の共演歴は二十数年にも渡っていた。富樫雅彦のなんたるかを世界で最もよく理解しているプロデューサー(この場合)の発案で作られたこのソロ・アルバムは、これまでのものとはかなり印象が異なる。録音のせいもあるのかは分からないが、一打一打の音の強度がこのアルバムが最も強く鋭い。これまで富樫さんの演奏は「歌っているようだ。」、「美しい音」等々の形容詞が付いて来た。このアルバムでの演奏は、これまでの「富樫雅彦」を絞って絞って出て来たエキスだけで出来上がった演奏に聴こえる。一言で「厳しい音楽」になっている。そんな演奏を導き出せたのはプロデューサーが佐藤允彦さんだったからに他ならない。
埼玉県の岡部町(現在は深谷市)にあるSPACE WHOで1987年10月26日に録音された、冨樫雅彦のソロ・アルバム。ここは私設の小ホールで、ピアノもスタインウェイがデーンと鎮座している。以前「なんでも鑑定団」の出張鑑定in深谷で町の様子を見たことがあったが、正直なんでこんな田舎でこんな凄いライヴ(富樫雅彦、佐藤允彦、高橋悠治、小杉武久、スティーヴ・レイシー等々)を度々打てるのか不思議に思ったような所だ。しかし、池袋からは電車であっと言う間に着くという事が分かって、羨ましく思った。防府でライヴをやろうとなると、ツアー中でなければ「東京(ほとんどの場合。ソウルからというのも有ったが)と山口までの往復交通費、宿代、メシ代、ギャラ」×人数分となる。これでこっちも儲けようなんて火星に行くより夢物語だ。さて、話がそれた。このLP、私のはsampleと、印刷してある。ジャケットが一枚一枚少しづつ違っているらしい。そもそもプレス枚数も100枚とかではなかったか?富樫さんに事後承諾のような形で作られたという噂も聞いたのだが? 演奏だが、所謂フリー・ジャズのような熱を帯びた熱いドラム・ソロとも、現代音楽の打楽器の独奏によく聴かれるカクカクシカジカとキッチリと構成された硬い不自由なそしてヒンヤリしたシロモノでもない。富樫さんの打音は切れ味鋭くそして、一音一音が美しい。あいまいな響きは一音とて存在しない。その時の気分、ノリ一発の演奏も存在しない。クールといえばクールか。でも、この温度感がちょうどいい。吉沢元治さんが富樫さんについて言われた言葉に、「富樫は共演者が”ここでこの音が欲しい”と思ってたら、正にそこに最高の音を入れて来るんだよ。」が有る。
Terra Arsa/テラ・アルサ(乾燥した地球)は、シチリアの三人のミュージシャンによって結成されたユニークなトリオ。ソプラニーノ&アルト・サックス、アコーディオン、倍音唱法をGianni Gebbia/ジャンニ・ジェッビアが、ヴォイス、Marranzano(ジューズ・ハープ)、スモール・パーカッションをMiriam Palma/ミリアム・パルマが、ドラム、パーカッション、ディジェリドゥー、倍音唱法をVittorio Villa/ヴィットリオ・ヴィラが其々演奏する。一曲だけギターのJean-Marc Montera/ジャン・マルク・モンテラが加わる。地中海に面する多様な地域の様々な音楽要素が重層的に現れる大変興味深い音楽だ。正に、地中海の真ん中に位置し、北アフリカ、イベリア半島、トルコ等地中海東岸、バルカン半島、ギリシャ、イタリア本土に囲まれたシチリア島ならではの音楽。単に「ナントカ風」と一言で表現しきれないユニークさを持っている。ミリアム・パルマの持つ声の強力な事!彼女の声に出会えた事だけでも、このアルバムの価値が私にはある。女性のヴォイスなのだが、結構ドスの利いたノドを持ち、結構多様する倍音唱法以上に、その声の強烈さ、濃さにひれ伏す事になる。それまで全く存在を知らなかったので、なんだかお宝発見みたいな感覚だった。パルマの声を軸に演奏が展開して行く。ジャンニの明るく軽めのサックスの音が彼女の声に絡みついて行く。ヴィラも打楽器やヴォイスも交えて、演奏全体の色彩感を増す。実はこれ、ジャンニの初来日の時、彼からもらったCDなのだ。入手は困難かも。だが、97年のヴィクトリアヴィルでの演奏がVICTOから「IL LIBRO DEGLI EROI」と題されてリリースされているので、こちらは入手しやすい。
*本当のレーベル名の表記はMOREのOの真ん中に斜線が入る文字。この表記の仕方が分からない。
Gianni Gebbia/ジャンニ・ジェビアは、1961年にシチリアのパレルモで生まれ、今もパレルモに住んでいる。地元パレルモで、即興音楽のフェスティヴァル「Curva Minore」を主催。イタリアのジャズ誌では、Top Jazz Pollに選出。映画も制作している。95年のこの録音は、彼のサキソフォン・ソロ・アルバムとしては2作目。彼はアルト&ソプラノ・サックス、ソプラニーノを自由自在に操る高度なテクニックを持つ。エヴァン・パーカー、ネッド・ローゼンバーグ等々の歴代の強者達とも堂々渡り合える力量がある。共演歴は、フレッド・フリス~タラソフ~吉沢元治~ハイナー・ゲッベルズ~ワダダ・レオ・スミス等々書き上げて言ったらキリがない。ここではアルトのみ。演奏は、短いもので1分18秒、長くても6分55秒の曲が17曲並んでいる。テクニックの羅列を聴かされるのかと言えば、そうではない。彼は、自身の持つ高度な技量と自身の考える音楽をすでに直結させており、テクニックを聴かせて驚かすようなレベルではすでにないのだ。彼の生まれ育った土地柄なのか(私の”シチリア”に対する思い込みなのか?)、その音楽は深刻ぶったものではない。明るい表情で、軽みがある。これを、「音楽が軽い」と考えるかどうかは、聞き手の自由なんだが・・。ライヴでは、サックスにゴム手袋を被せて、吹き込まれる息と、キーの開閉によって、ゴム手袋が縮んだり膨れたりすると言う茶目っ気のある演奏も見せる。YouTubeで見る事が出来るので、お楽しみあれ。彼と知り合ったきっかけはとは。ある日、見知らぬミュージシャン(それがジャンニ)からCDが届いた。「ネッド・ローゼンバーグにコンタクトを取るべき。」と紹介されたとのことだった。このCDが気に入った私は、彼の初来日に協力し、防府でもソロ・ライヴを行った。だから、思い出深いアルバムなのだ。彼は岡山市の曹源寺に毎年来ては禅の修行をしており、「常楽/Joraku」を名乗る。
Charles Moffett/チャールズ・モフェットは、1929年テキサス州フォートワース生まれのドラマー。同郷のオーネット・コールマンはモフェットの一歳年下。十代の頃は、オーネット、デューイ・レッドマンらとジャムセッションを行っていた。50年代は8年間ハイ・スクールで音楽教師をしていたが、61年NYCに出てオーネットとの共演を再開した。彼の参加した65年録音のオーネットのバンドの「Chappaqua Suite」、「An Evening With O・Coleman」、「At The Golden Circle 」はジャズ史に燦然と輝く金字塔だろう。69年録音のこのアルバムは、音楽一家”モフェット・ファミリー”による初アルバム。一家と言っても、コダリル(この時7歳!)、モフェット jr.(9歳!)は作曲で参加!? コダリルは、一曲目で父親がヴァイブラフォンを叩いている横でドラムを演奏している。さすがに、ちょっとたどたどしいが・・。7歳と考えれば上出来。父親はドラム以外のもヴァイブラフォン、歌、トランペットと忙しい。だから、もう一人Dennis O'Tool(ds)を加えている。ベースは堅実にWilbur Wareを。テナー・サックス、アルト・クラリネットとプロデューサーとしてPaul jeffreyが参加。モフェットは、ドラムを叩くよりはヴァイブラフォンを叩きたかったようで、”ドラマー・チャールズ・モフェット”を期待すると肩透かしを食らうかも。演奏は録音の年を考えると、オーソドックスな感じは否めないか。
Prince Lasha/プリンス・ラシャは、1929年テキサス州フォートワース生まれのアルト&バリトン・サックス、フルート、クラリネット奏者。オーネット・コールマンとは幼なじみで、勉学も音楽も共に学んだ間柄。そのせいか、この二人は音楽までもが兄弟のようだ。とは言ってもその後のオーネットほどの飛翔はラシャには無かったのだが。ラシャは、54年オークランドで、これまたオーネット・スタイルのソニー・シモンズと出会い、意気投合して双頭グループを結成した。62年録音の本作は、グループのファースト・アルバム。ラシャは、ここでは主にフルートを吹く。そのせいもあって、相方のシモンズの方がよく目立っている感じは否めない。音楽のコンセプトは、正に同郷のオーネット流「フリー・ジャズ」。と言うか、まだまだこの頃は、後に多様化を見せるフリー・ジャズ/フリー・ミュージックには程遠い時期だ。みんな手探りで新しい道を探っていた頃で、その大きな手本としてオーネット・コールマンという存在があったのだった。所謂フリー・リズムとは言い難い。旧来のジャズの形からほんの一歩踏み出したといったところだろうか。このコンビは70年代にもアルバムを残している。
Byard Lancaster/バイヤード・ランカスターは、1942年フィラデルフィア生まれのアルト・サックス、フルート奏者。バークリー音楽院、ボストン音楽院に通う間にフリー・ジャズに興味を持ち、60年代中頃より注目を浴びる。68年録音の本作は、彼の初リーダー・アルバム。フリー・ジャズと言うよりは、彼のアフリカン・アメリカンとしての血のざわめきに正直に向かい合ったブラック・ジャズといった感じか。注目はソニー・シャーロックの参加だろう。しかし、殆ど伴奏(彼が!)に徹しており、ソロらしいソロはほどんど無いのが少々残念ではある。異色なのが大スタンダード・ナンバーの「ミスティ」と「オーヴァー・ザ・レインボウ」の2曲。思い入れたっぷりのドロドロの演奏。8曲目は、やっと出ましたシャーロック! この曲で主役を取らせてもらえた。
Urs Voerkel/ウルス・フェルケル(でいいのだろうか?)のピアノ、Peter K.Frey/ペーター・K・フレイ(でいいのか?)のベース、それにFMPのハウスドラマーみたいなPaul Lovens/パウル・ロフェンスのパーカッションのトリオの1976年の録音。フェルケルの録音は同じくFMPにこのアルバムと同年にソロ・アルバム(S'Gschank)が有る。しかし、かれの録音は70年代にはこの二枚しか見当たらない。近年INTAKTから二枚組が出ていたが、それ以外を知らない。おそらくスイス人なのだろうか。ベースのフレイに至っては、このアルバム以外見当たらない。そんな二人にロフェンスが加わったアルバムなんだが、珍品扱いするべからず。バンドの形態としては所謂「ピアノ・トリオ」なんだが、三者対等の「ナニナニトリオ」とは言えない演奏だ。ピアノはあえて言うならばシュリッペンバッハ派と言って差し支えはないだろう。(本家ほどのパワーもスピードも少々劣る気はするが・・。)硬質な響きでパワー・プレイも点描写で抽象的表現も有り、三者が丁々発止音を繰り出す正に「インタープレイ」だ。フレイのベースもロフェンスと十分渡り合える力量があるし、ユニークなプレイなんだが、アルバムがこれ一枚とは(私が知らないだけかもしれないが)不思議。ロフェンスは言わずもがなの好プレイ。ドラムの範疇を大いに逸脱した演奏が聴ける。
Martin Theurer/マーティン・トイラーは、1954年ドイツ、ルール生まれのヨーロッパ・フリーの第一世代に次いで現れたピアニスト。次世代期待のピアニストだったというイメージがある。79年西ベルリン録音のFMPからリリースされた本作は、ピアノ・ソロ。彼のデビュー・アルバムだ。FMPでは、81年にロフェンスとのデュオ。82年には、何とシュリッペンバッハとのピアノ・デュオ・アルバムを録音している。とにかくアイデア豊富というか引き出しの多い人で、プリペアード・ピアノや内部奏法も使い(当時はフリー・ジャズでは、プリペアード・ピアノや内部奏法を聴くことは稀だったように思う。一部使うことはあっても、一曲丸ごとプリペアード・ピアノを弾きまくるのは少なかった。)、彼のその使い方はユニークで、単にピアノの打楽器化を越えたものだ。とてもピアノとは思えないノイジーな響きも厭わない。彼の演奏はスピードとパワーを兼ね備えたもので、LP1枚が、あっという間に終わってしまう爽快さが有る。82年に東京で「16 Panmusik Festival’82」と言う、現代音楽とフリー・ジャズのミュージシャンや評論家を集めたコンサート、シンポジウムが有った。ジャズ側からは、ペーター・コヴァルト、ギュンター・ゾマー、佐藤允彦等々が参加し、インプロヴィゼイションだけではなく、現代音楽の作曲家の作品(このイベント用に作曲された曲)も演奏した。その時トイラーも出演していた。副島輝人さんの証言では、コンサートを聴いた高柳昌行が「この中に本物が二人いる。レオ・スミスとマーティン・トイラーだ。」と言われたそうだ。
*このレヴューは、牧野はるみさんが書かれたレヴューです。
音楽産業及び現象から完全に離れた所にレオ・スミスは存在する。「スピリット・キャッチャー」は創造における音によるアプローチを忠実に表現した三つの作品から成っており、A面のImageでは、ハーモニーがメロディーを呼び起こし、音色がヴィジョンへと広汎されていく美しい世界が展開される。B面The Burning Of Stonesはハープのアンサンブルの為に作曲された作品で、これをバックにスミスはソロ・トランペットの即興演奏を行っている。Spirit Catcherは、アークラスメイション(当時はアークリアンベンション)と名付けられたスミスの記譜法ならではの、ミュージシャン個人が自己に挑戦し、それと同時にアンサンブルとしての調和が要求される、緊張感溢れる秀作である。
Paul Lovens/パウル・ロフェンスは、1949年ドイツ、アーヘン生まれのドラマー。70年代からシュリッペンバッハ・トリオのドラマーとして、グローブ・ユニティのドラマーとして、その他数多くのFMP等のアルバムに名前を刻むヨーロッパ屈指のドラマーの一人だ。これは、イギリスの同じくドラマー、ポール・リットンと共同で設立したレーベル「Po Torch Records」からの78&79年録音のデュオ・アルバム。ドラマー二人のデュオなんだが、そう感じられる所は少ししか聴く事が出来ない。この二人、オーケストラをグイグイとスイングさせる事も出来るドラマーなんだが、ここではそれをどこかに置いて、ドラマーから大いに逸脱したノイズ発生器と化している。リズムも無ければ、ビートも無い、聞き分けられるようなパターンすら皆無。ジャズ系と言ってよい二人のこの大いに逸脱した演奏は、当時同じくジャズを変えたい、ジャズから離れたいと願うミュージシャンに大きな影響を与えたものだった。
Paul Lytton/ポール・リットンは、1947年ロンドン生まれのドラマー。60年代にはロンドンでジャズを演奏していた。同時にタブラもインド人のタブラ奏者に就いて習っていたようだ。69年からFree Improvisationを開始。エヴァン・パーカーとデュオを続けていたところに、ベースのバリー・ガイが加わり、エヴァン・パーカー・トリオとなった。現在でもこのトリオは続いている。また、エヴァン・パーカーの「エレクトロアコースティック・アンサンブル」のメンバーとして、パーカッションとライヴ・エレクトロニクスを演奏している。このアンサンブルで来日ツアーもあった。ドイツ人ドラマーのパウル・ロフェンスとの共同レーベル「Po Torch Records」からリリースされたこのアルバムは、リットンの初のソロ・アルバム。77年西ドイツ、アーヘンと、79年ベルギー、Plombieresでのライヴから収録されている。ドラムの他、ホームメイドの楽器やライヴ・エレクトロニクスも動員したもので、所謂「ドラム・ソロ」とは相当趣を異にする演奏だ。叩く、擦る(振り回す、投げる?)ことによって出て来るサウンドにエレクトロニクスの音も加わる。エレクトロニクスの音って、アコースティックの音に混ざると、混ざり合うことなく分離して聴こえて違和感を覚えてしまうことがある。しかし、リットンの演奏にはそれを感じることはない。とても打楽器の演奏とは思えない響きが満載なので、そこに電子音が混ざっても同化してしまうのだろう。電子音といっても、その使い方は補助的なものだが。打楽器奏者の演奏する音楽の極北に至ってる気がするんだが・・・。
シカゴのAACMからは、次世代の優れたミュージシャンがどんどん現れる。その代表格的な二人、カヒル・エル・ザバーとエドワード・ウィルカーソン(二人は、AACMの会長を務めていたことがある)に、ライト・ヘンリー・ハフを加えたこのトリオは、その後も長く続く重要なグループの一つだ。アンサンブルの名前通り、ここでは単なる勢い任せのフリー・ジャズは演奏されず、自らのルーツ、アフリカ、それも太古のアフリカの大地のリズムと、現代のアフリカン・アメリカンの文化を混ぜ合わせた音楽が展開される。リーダーのザバーは、手製のバンブー・フルートを吹き、ゴングとシンバルだけでフロントを煽り、通常のドラマーの領域を大いに逸脱する。本作は、1981年ドイツ・レコード批評家賞を受賞した。名盤!
ドン・モイエ。1946年NY州ロチェスター生まれ。言わずと知れた「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」のドラム&パーカッション奏者。大学で打楽器を専攻。あの顔のペインティングからは結びつかないが、アカデミックな中で打楽器の基礎を学んでいるようだ。デトロイト・フリー・ジャズというグループで活動をし、68年に渡欧。渡欧中、S・レイシー、P・サンダースらと共演。69年にパリでAECに合流した。AECは彼の参加により、多彩で強力なリズムを獲得することとなった。75年録音の本作は、彼のソロ・アルバム。アフリカン・アメリカンの持つリズムを越え、汎アフリカ(いや汎地球というと大風呂敷になるか。)のリズムを、モイエ一人で叩き出す。所謂現代音楽の打楽器の演奏に見られる、整然としたクールさとは無縁。彼の血の中に流れるリズムが自然と表出されており、心地良い熱狂を伴う。とは言え、所謂「ドラム・ソロ」とは別もの。クリシェだけで構成された凡百のソロとは次元を異にする。豪快な連打もあるが、ほとんどは空間を意識した割合静かな演奏の方が多いくらいだ。ジャンルを越えた打楽器アルバムの傑作。71年、単身AACMに参加した豊住芳三郎氏は、モイエとスティーヴ・マッコールと三人でパーカッション・アンサンブルを結成していた。
これはドイツの革新的トロンボーン・プレイヤーで、ドイツ・ジャズ界の重鎮アルバート・マンゲルスドルフのグループが来日した折、新宿のジャズ喫茶「DUG」で行ったライヴの模様を収録した日本のマイナー・レーベル「TBM」がリリースしたアルバム。80年前後、この姉妹店「DIG」共々「DUG」もしょっちゅう入り浸っていた。一杯のコーヒーで何枚もLPを聴いていたものだった。だからこそ分かるのだが、この演奏が行われた「DUG」にはバンドが演奏出来るようなステージはおろか、狭いスペースすら無いのだ。写真を見ると店の一番奥のテーブル二個分くらいの場所でMangelsdorff(tb),Heinz Sauer(ts),Gunter Lenz(b),Ralf Hubner(ds)のカルテットが演奏している。レコードで聴いている分には、音が分離して聴こえているが、実際にここの空間に身を置いて聴いていたら、激しい音の塊が次々に飛んで来て大変だったことだろう。ここで言う「大変」は「凄く気持ちいい」と同義語なんだが。一口に「ヨーロッパ・フリー」と言っても様々なんだが、ここで聴ける演奏は「ヨーロッパのジャズ!」だ。もちろん「フリー」なんだが、「ジャズ」なんである。ジャズの熱気がムンムンしているのだ。ジャズはこうでなきゃ!
これは、1971年に録音されたデレク・ベイリーの最初のソロ・アルバム。一度リリースされた後、一部曲を差し替え、白地に名前とタイトルだけ書かれたシンプルなジャケット・デザインに変更して再発された。ここで紹介するのは、再発分も含めて全てが収録され、ジャケットも初版に戻されたCDだ。完全即興が10曲。ミシャ・メンゲルベルク、ウィレム・ブロイカー、ギャヴィン・ブライヤーズ作曲の三曲という構成になっている。ベイリーと言えば正に革新的、超絶的なギターの演奏家であることも重大だが、それ以上にフリー・インプロヴィゼイションのグル的存在だ。新しくファンになった人には、全く白紙の状態で行う完全即興以外の彼の演奏なんて思いも付かないだろうが、ここでは古くからの盟友ブライヤーズと、演奏家/作曲家として異才を放つ二人のオランダ人、メンゲルベルクとブロイカーの超ユニークな”曲”を演奏しているのだ。どの曲も、ベイリーの完全即興に負けず劣らず超個性的で、初めて聴いた時の衝撃を未だに忘れられないでいる。妙なフレーズが今でも鼻歌で出て来る始末。この頃のベイリーのギターの演奏は、殺気をも含む切れ味の鋭さを持っていた。その後「殺気」は減じて行った。が、吉沢元治さんは、「それで良かったんだ。それで色々なミュージシャンと演奏可能になったんだから。」と言っておられた。
*このレヴューは、横井一江さんが書かれたレヴューです。
詩人白石かずことサム・リヴァースの歴史的共演。詩の朗読と音楽によるコラボレーションの最高の瞬間を捉えた録音だ。白石かずこは日本を代表する詩人であるだけでなく、日本におけるポエトリー・リーディングのパイオニアであり、現在も第一人者。リヴァースらのミュージシャンとは、この録音で初めて会った。詩は文字から解き放たれ、音韻となり、フリー・ジャズと相見える。コトバと音楽によるインタープレイは、詩を立体的に浮かび上がらせ、活字にはないリアリティで時代の空気と共に蘇る。共演者達は日本語を解さない筈だが、完璧に白石の詩を理解し、演奏しているかのよう。リヴァースの録音でも五指に入る出来だ。そんな奇蹟ともいえる時間を切り取った貴重なドキュメント。
*このレヴューは横井一江さんの書かれたレヴューです。
「これは全くラジオのようなもの、音楽以外の何ものでもない」タイトル曲の冒頭が何をか語らん。唄うというよりは呟くように繰り出されるコトバの背後で、フラジャイルで繊細な感性が震えている。異色の歌い手ブリジット・フォンテーヌとまさに前衛そのものだった時期のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ。60年代も終わろうとする頃のパリ、その時代でなければあり得なかった出会いが、類い希な作品を残した。抒情的でありながらも過激さを秘めている音。密やかな甘い罠がどこかに仕掛けられているのか、これを聴いた者を虜にする。この時期のフォンテーヌには、オトナと少女の間を彷徨う摩訶不思議なオーラがある。ふとパリにはブルトンが出会ったようなオンナがどこかにいるような気がした。
*このレヴューは、牧野はるみさんが書かれたレヴューです。
ジャズはアメリカン・ミュージックであるが、世界中にクラシックの演奏家が存在する様にジャズもしかり。学校の音楽室にエリントンの写真は未だに無いまま、ジャズの定義は益々曖昧になって来ている。ヨーロッパ人にとってアバンギャルドであることは反体制である。しかし職業として芸術を選んだ場合、その実験的行為がユニークな現象として人々に受け入れられるのも、ヨーロッパならではである。Globe Unityは70年代初頭におけるその成功例の一つである。このライヴでは、シュリッペンバッハ、ショーフをはじめとする、当時のフリーミュージシャン達の気鋭が感じられる。会場が楽器の音で一杯になり、息が苦しくなるくらいの気迫で迫って来る。これを聞くときは、ヴォリュームを上げ、ヨーロッパのフリーをお楽しみ下さい。
*このレヴューは、牧野はるみさんが書かれたレヴューです。
Human Arts Ensembleはセントルイス他の芸術家グループ・個人をひとまとめにヒューマン・アーツ・アソシエーションとも呼ばれる。アフリカン・アメリカンにとって人種差別との戦いは現在においても日常だが、六十年代当時の芸術家達の間に芽生えた社会的責任感は、アメリカ各都市の地域社会に大きく貢献した。A面でアフガニスタンの音楽が取り入れられている事からも判る様に、世界中の音楽及び思想を差別なく研究し、自分達のサウンドを作り上げて行くグループの寛大な姿勢が表れている。芸術家は創作を通じて人々に真実を伝える役割を担っている。だからこそ今何を感じているかを表現できる優れたミュージシャン程、世界中の人と繋がる音楽が作れるのである。
*ジャケット写真はFREEDOMからの再発CD。
旧ソ連にフリー・ジャズが存在していたことだけでも十分衝撃的だったのに、このアルバムの内容たるや当時の西側諸国の想像をはるかに越える代物だった。旧ソ連と言っても、今ではバルト三国の一つのリトアニアを活動の拠点としていたというのも面白い。モスクワを中心としたソ連から見れば周辺地域であったことが幸いしていたのであろうか、今現在から見ても(聴いても)十分すぎるほどこの音楽はユニークである。「自由の無い国の、自由すぎるほどの音楽」、「何モノからも開放された音楽」が繰り広げられている。「ガネリン・トリオ」と称されるこのトリオも、元々はガネリンとタラソフとのピアノとドラムのデュオだった。そこにサックスのチェカシンが加わることで、ガネリン・トリオは結成された。多楽器を使い、エレクトロニクス(わざとチープな音を使う)も動員し、ジャズ以外の要素も取り入れ、演劇的なステージ・パフォーマンス・・・と書くと何だかAECみたいだが、既製の概念を乗り越えようとすれば、おのずとこうなるのか? 地下で蠢くマグマのようなエネルギーに満ちた音楽だ。トリオは87年に解散。
Uirich Gumpert(1945年東ドイツ生まれ。p)率いる,Heinz Becker(tp,fl-h),Manfred Hering(as,ts),Ernst-Ludwig Petrowsky(ss,as,cl),Helmut Forsthoff(ts),
Conrad Bauer(tb),Klaus Koch(b),Gunter Sommer(ds)と言う、当時の東ドイツの精鋭部隊が集まったバンドの79年の西ベルリンでのライヴ録音。U・グンペルトは、クラウス・レンツのグループで演奏していたが、その後独立して自己のグループを結成した。このワ-クショップ・バンドは、72年からスタートした。当時は、東ドイツのミュージシャン達ということもあって、他のFMPで聴ける西側のミュージシャン以上に興味をそそられたものだった。見たことのない壁の向こう側見たさといったところだろうか。そんな私の思い入れなんか嘲笑うように、彼等の演奏は腕達者が深刻ぶった顔をせずに、カーラ・ブレイ・バンドも真っ青なカラフルで自由闊達な快演を聴かせてくれた。このアルバムは、東ドイツのVEB Deutsche Schallplatten と、西ドイツのFMPの共同製作で、このジャケットのAMIGA盤は東ドイツ。
こちらはFMP盤。
Gerd Dukek/ゲルト・デュデクは、1938年ドイツ、グロス・デーベルン生まれのサキソフォン奏者。Buschi Niebergall/ブシ・ニーベルガルは、1938年ドイツ生まれのベース奏者。色々な楽器を習得する中で最終的にベースを選択。一方医学も学んでいたそうだ。Edward Vesala/エドワード・ヴェサラは、1945年フィンランド、マンティハソウ生まれのドラマー。シベリウス・アカデミーで学んでいる。この三人が集まって、77年のFMPが主催するフェスティヴァル「Workshop Freie Musik」に出演した。これは、その録音から編集されたアルバム。デュデクは、テナー、ソプラノ・サックスの他フルートとインドの笛シャナイも吹いている。彼は現在までリーダー作を含め数多くのアルバムを残して来ている。その多くはここで演奏されているほどフリーではない(グローブ・ユニティ等への参加作は、勿論ゴリゴリの演奏だが)。彼の激しい演奏を聴きたければこれが最も適している。ベースのニーベルガルは、亡くなるのが早かったせいもあって、ヨーロッパ・フリーの第一世代のわりには録音が少ないし、リーダー作も無い。トリオ編成で、彼のベースをしっかりと聴くことが出来ることも、このアルバムのいいところだ。何しろグローブ・ユニティのボトムを支えて来たベースは力強いに決まっている。でも、この二人、日本では相当地味な存在には違いない。ドラマーのヴェサラの方が知名度は勝っているだろうなあ。
Joe McPhee/ジョー・マクフィー(1939年 マイアミの生まれ。ts,ss,tp)の1976年スイス、Jazz In Baselでのライヴ録音。スイスのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックの”大メジャー”レーベル「Hat Hut」の最初期のアルバム。Hat Hutは、70年録音の「Joe McPhee/Black Magic Man(Hat Hut/A)」からスタートしたが、76年録音のこの「Rotation」までの連続4枚はジョー・マクフィーのアルバムが続いている。アルバムの番号はアルファベットのAから始まっていた。26文字以降までリリース出来るとは当初思ってもみなかったのではなかろうか。ちなみにY/Z番は、「Jimmy Lyons/Push Pull(78年)」。ジョー・マクフィーと言えば、自身のレーベル「CJR」から1969年から74年にかけてアルバムをリリースしては来たが、あくまでアンダーグラウンドの存在。そんなマクフィーのアルバムを立て続けに作るのだから、プロデューサーはよほどの入れ込みようだ。さて、このアルバム。80年前後私は、電子音が鳴ってる現代音楽やフリー・ミュージックのLPを手当たり次第(せいぜい少ない小遣いの範囲でだが)に、買い漁っていた。これは、そんな中で見つけたLPだった。だから、お目当てはマクフィーと言うよりも、シンセサイザーのJohn Snyderの方だったというのが正直なところ。だが、一曲目のマクフィーのテナー・ソロの、フレーズなどというものが解体された、サウンドそのものの様な演奏で、一気にお気に入りに入ってしまった。二曲目はソプラノ・サックス・ソロ。これは逆に、ゆったりとカーヴを描くような演奏。続く曲からは、お目当てのシンセサイザーが加わる。この頃のシンセはまだモノフォニックで、分厚い音はまだまだライヴで出すのはなかなか困難な時代だ。シュナイダーはシンセの生音?を使い、シンセから出た音を他のエフェクター等を通すことはしていないようだ。現代の耳からは、正直チープな音響に聴こえてしまうのはいたしかたがない。マクフィーの他、Mark Levin/マーク・レヴィンのトランペットも一部加わっているが、何しろマクフィーもサックスの他トランペットもサックスと同等に吹奏してしまうものだから、正直レヴィンの存在は、よく耳を澄まさないと、いたのかどうかも分からなくなってしまう。このアルバムがきっかけで、その後マクフィーの後を追っかけるようになった。
Moondog/ムーンドッグ、本名Louis Thomas Hardinは、(1916年~1999年)アメリカ、カンザス州生まれの盲目の詩人、作曲家、自作楽器の製作・演奏・・と、書けば何やらいかにも「アーティスト」と、かっこよく呼べそうだが、1943年NYCに移住してからは、その滞在期間30年の内20年は路上で生活していた。しかし所謂ホームレスとも呼べないというから、とにかく訳のわからない生活様式を送って来ていたようだ。いつもヴァイキングみたいな格好をしていたらしい。そのくせ、バーンスタイン、トスカニーニー、C・パーカー、B・グッドマンらとの交流もあったというから、ますます訳が分からない。こんな人が普通の音楽をやる訳が無い! 1956年にprestige(マイルスの4部作で有名なJAZZの”有名な”マイナー・レーベル)に録音された本作は、アルバムとしては、53年Epicに吹き込まれたファースト・アルバムの次に当たる。すでに49年には「Snaketimes Rhythm」という彼の音楽の特徴をよく現したタイトルのシングルが発売されていた。彼の音楽はJAZZとクラシックとアメリカ先住民の音楽とNYCの路上で聞こえる街の騒音を、混ぜたらこうなったといった按配だ。2曲目の「Lullaby」は、妻Suzuko(日系人?)が生まれて6週間になる娘の為にムーンドッグの作った子守唄を日本語で歌う。4曲目は、彼の作った詩の日本語訳をSakura Whiteingが朗読する。その他、自作の打楽器を叩いていたり(先住民の音楽の影響が大きい)、NYCの路上の騒音(カエルの声も)が演奏に被せてあったりと、とにかく一筋縄でいかないこんな音楽を50年代に作っていたという驚きと、これを49年から録音してリリースするレーベル(後にはメジャーまでが録音した)が結構存在したというのも興味深い。74年からはドイツに移住し、数百もの曲が当地で管理、出版された。99年ドイツで亡くなっている。後年のミニマリスト達(ライヒ、グラス・・)に尊敬され、彼らに影響を強く与えていた。
これは、南フランスのPuget村にある古い教会(1200年の歴史があると、聞いた覚えが・・・)、Chapelle Sainte Philomeneで行われたバリー・ガイとバール・フィリップスと言うベースの両巨頭による1989年のライヴの録音。この教会は、実はバールさんの住まいでもあるのだ。教会の管理人といったところだろうか。言わば、自宅での気心知れた友人とのライヴといった趣もあるのだ。自宅でもあるが、やはり教会と言う世俗と離れた異空間ではある。特に共演のバリー・ガイや、この日のお客さんにとっては。この状況が演奏に影響を及ぼさないはずは無いだろう。単に、広いスペースであるとか、響きが多めであるとか、そう言った物理的な影響もあろうが、やはり教会の中という「場」の作り出す作用は有るものだ。演奏者にも、お客さんにも。ここでは、二人のデュオだけではなくて、お互いのソロも2曲づつ演奏されている。デュオも1曲目を除けば2分台からせいぜい8分台と、短めの演奏が結構ある。今では、ベース同士のデュオ・アルバムは結構な枚数存在する。コヴァルトを含め、この三人こそが、その歴史を作って来た人達だ。ベースのデュオの場合、ギシギシとノイズ発生器と化すことが多いが、ここでの演奏は、それらとは少々趣が異なる。音がのびのびと開放されているよう感じる。心が開放された状態で、音楽を奏でる事への喜びが、聴き手であるこちらにも強く感じる事の出来る素晴らしい演奏だ。「ベース・ミュージック」が有るのなら、これぞその頂点!長く聴き続けられる一枚。傑作です。
Chapelle Sainte Philomene
バールさんの車が映ったまんま絵葉書にされてしまったそうです。
Amalgam/アマルガムは、1939年イギリスのヨーク生まれのアルト&ソプラノ・サックス奏者、Trevor Watts/トレヴァー・ワッツが1967年に結成したグループ。初めは、ベース奏者のBarry Guy/バリー・ガイとのデュオだった。その後は、John Stevens/ジョン・スティーヴンス(ds)、Kent Carter/ケント・カーター(b)、keith Tippett/キース・ティペット(p)、Jeff Clyne/ジェフ・クライン(b)等々が参加した。フリー・ジャズを基調に、ロックやフォークをも取り込んだユニークなグループに変化して行った。1969年録音の本作は、ワッツ、クライン、スティーヴンスのトリオによるストレートなフリー・ジャズ演奏が聴ける。夫人に捧げた曲”Judy's Smile"を三度も繰り返して演奏し、トラック2,3,4と並べて収録している。同じ曲でどこまでインプロヴィゼイションを変化、展開出来るかに挑戦したものだ。これは聴いてのお楽しみ。尚最後の曲だけ、ベースはバリー・ガイに変わっている。
このCDは「スティーヴ・レイシー、高橋悠治、小杉武久;ディスタント・ヴォイセス」(1975年録音)と、「高橋悠治+佐藤允彦」(1974年録音)という正に信じられないアルバム二枚をカップリングした超お買い得CD。おまけに一枚に収まっている。値段がお買い得なのではない。超弩級即興アルバムが一枚に収録されたのである。「ディスタント・ヴォイセス」はレイシー、高橋、小杉の三人が各自の専門の楽器の他、各種打楽器、ラジオ、歯ブラシ、糸車、脚立、そろばん、茶碗、碁石、声等々を使ってのこれぞフリー・ミュージックを繰り広げる。イディオムに縛られない自由な即興演奏の見本のような演奏だ。レイシーのこのような演奏は、おそらくここでしか聴くことが出来ないのではなかろうか。「高橋悠治+佐藤允彦」は、アコースティック・ピアノのデュオと、シンセサイザーやプリペアード・ピアノを使ったデュオに別れる。現代音楽の高橋とジャズの佐藤のデュオなんだが、ここではそんな区別はどこかに行ってしまった。三曲の曲名がみなシルクロードの地名が付けられている。しかし、どうやら演奏との関わりはなさそうだ。エレクトロニックな演奏の方は、リミックス時に二人によって、これも即興的に処理されていったようだ。私にとっては、火事の時持って出るCDの一つ。