LP/CD Review 4

253~Haazz&Company:Unlawful Noise(KGB/1976)

Kees Hazevoet(読み方不明)は、1963年から活動を始めたオランダのピアニストで、60年代から70年代にかけて活躍した。66年録音の「Contemporary Jazz From Holland(Relax)」と言うアルバムが彼の初録音。W・ブロイカー、M・メンゲルベルク、H・ダルファー、A・ゴルターらの名前も見れるオランダ・ニュー・ジャズ最初期のアルバムだ。76年録音のこのアルバムは、シベリアかモンゴルあたりの人物写真のジャケットと「KGB」なる異様な名前のレーベル名と、読めない名前のリーダーらしいミュージシャンに、少し購入に躊躇するも、K・Hazevoet(p、cl)以外はPeter Brotzmann(ts、cl)、Johnny Dyani(b)、Louis Moholo(ds)、Peter Bennink(as、ss、Bagpipes)&Han Bennink(cl、b-cl、perc)の兄弟と言う豪華版。正直、これを買った頃はこのメンバーでさえ、どんな人達かそんなには分かってはいなかった頃だった。だが、面白そうに感じて購入した。演奏はと言うと、これはもう全編「せーのっ! いてまえー!」のノリ。よく比喩される猫の喧嘩。それも集団での大喧嘩。ハン・ベニンクも、ドラムはルイス・モホロに任せてもっぱらここでは、クラリネットを吹き倒す。「Unlawful Noise」がぴったりの演奏だ。K・Hazevoetは、80年代以降は生物音響学?の研究者となって、演奏からは遠のいた。

 

252~Dieter Scherf Trio:Inside-Outside Refrections(LST/1974)

 ドイツのヴィースバーデンに住むDieter Scherf/ディーター・スキーフ(シェルフ?)は1941年生まれのアルト・サックス、バリトン・サックス、クラリネット、バス・クラリネット等の多彩な奏者。60年代から「Free Jazz Group Wiesbaden」(Scherf,Michael Sell~tp,Gerhard Konig~g,fl,Wolfgang Schlick~ds)を率いて、西南ドイツのクラブ等を中心に演奏活動をし、ベルギー、オーストリア、ポーランド、スイス、パリへも遠征していたようだ。自身の主宰するレーベル、LSTからの最初の3枚はレギュラー・グループのアルバムを発表。(No Business Recordsより再発された。) 続く4作目に当たるのが本作「Inside-Outside Refrections」。前作までは、レギュラー・メンバーとのアルバム等だったが、本作はポーランドのベーシスト、Jacek Bednarekと、ドイツと言うよりもヨーロッパ屈指のドラマーPaul Lovensによるトリオ演奏となっている。カサカサ、シャリシャリと弱音指向の演奏から、怒涛のパワープレイまで、アルバム一枚一気に聴かせる。主人公D・スキーフ(シェルフ?どっち?)は色々な楽器を持ち替えながら奮闘するも、ここでもパウル・ローフェンスの個性は際立っている。日本で、フリー・ジャズのリスナーをやっていると、どうも入手しやすいミュージシャンを聴いただけで、欧米のシーンを全部知ったつもりになってしまっている感じがある。こうした、自主制作盤も丹念に探し出して聴いて見ると、知らなかった動きや流れがあちこちに存在することが分かってくる。近年彼らの自主制作盤が再発されることを見ると、私が思っているよりもはるかに、彼らは欧米での知名度があったのだろうか。それとも彼らに目をつけたAtavistic,No Businessの執念だろうか。いずれにせよ、こうして聴けるようになったことは有難いことだ。

 

251~Cecil Taylor Unit:Akisakila(Trio/1973)

1973年5月、Cecil Taylor/セシル・テイラーは初来日を果たした。空港に着いたその日に名古屋へ移動しての初日の公演といい、夜行列車に乗っての移動といい、6日間の日本ツアーは大変過酷だったらしい。これは5月22日の東京公演を収録したアルバム。スケジュールのハードさが本当だったのかと思わせる程のすこぶるハードな演奏だ。C・テイラー(p)、Jimmy Lyons/ジミー・ライオンズ(as)、Andrew Cyrille(ds)の三人がハイヴォルテージのまま80分あまりを疾走し続ける。その間、一瞬たりともダレるとか間延びするとかの瞬間は全く無い。演奏する方が物凄くエレルギーを消耗するのは当然だろうが、我々聴衆もアルバム2枚を通して聴くと、ドーッと疲れる。コンサート会場で聴いた人はこんなものじゃなかっただろう。このユニットと対決する対峙すると今でもこうなる。この疲労感が快感にならなきゃ、まだまだ「未熟者」なのだ。

俺たち「特異体質」なのか?

 

250~Jimmy Lyons:Other Afternoons(BYG/1969)

Jimmy Lyons/ジミー・ライオンズは、1932年ニュージャージー州ジャージーシティー生まれ。言わずと知れたCecil Taylor/セシル・テイラー・ユニットのアルト・サックス奏者。60年にC・テイラーと出会い、以来ずっと行動を共にして来た。86年に亡くなった。69年録音のこのアルバムは、おそらく彼の「遅すぎた初リーダー作」ではないだろうか。共演のAlan Silva/アラン・シルヴァ(b)、とAndrew Cyrille/アンドリュー・シリル(ds)は、C・テイラーのグループで度々共演して来た仲。そこにArt Ensemble Of Chicago/アート・アンサンブル・オブ・シカゴのLester Bowie/レスター・ボウイ(tp)が加わる。演奏は、基本的にJ・ライオンズの親分C・テイラーの方向性と変わらない。何しろJ・ライオンズのサックスは、御大のピアノをサックスに移し替えた様な所が有り、彼のリーダー作でも、いつものC・テイラー・ユニットの行き方とそう隔たりが無いのは当然か。L・ボウイもいつになくバリバリとトランペットを鳴らしている。70年代以降は、バスーン奏者の奥さん、Karen Borca/カレン・ボルカを加えた自己のグループで活躍した。

 

249~Jeanne Lee&Ran Blake:The Newest Sound Around(RCA/1961)

Jeanne Lee/ジーン・リーは、1939年NYC生まれのヴォーカリスト。63年に渡欧。マリオン・ブラウンやギュンター・ハンペルらと共演をし、ヴォイスの新境地の開拓を行った。その後はギュンター・ハンペルと結婚し活動を共にした。ハンペルと自主レーベルBIRTHを設立し、数多くのアルバムを制作し、そのほとんどのアルバムで彼女のヴォイスが聴ける。78年と79年録音の「Freedom Of The Univers」は、ハンペルとリーのデュオ・アルバム。BIRTH以外でも、「Conspiracy(Earth Forms/1974)がある。これは、ハンペル、サム・リヴァース、スティーヴ・マッコール他8人のアンサンブルをバックに歌ったアルバムだが、リーの歌のバックでフリーな演奏を行うような曲もあり、相当ユニークなアルバム。Ran Blake/ラン・ブレイクは、1935年マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれのピアニスト。二人は、デビュー初期の頃、デュオ活動をしていた。61年録音の本作は彼等のファースト・アルバム。翌年二人は、モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルに出演し大好評を博した。ここではジーン・リーの後年聴くことの出来るフリー・ヴォイスを聴くことは出来ない。「Laura」、「Where Flamingos Fly」、「Summer Time」、「Lover Man」、「Sometime I Feel Like A Motherless Child」、「Left Alone(CDのみ)」等のスタンダード・ナンバーを歌っているのだが、天界からの贈り物のようなDeep Voiceはすでに聴く事が出来る。ラン・ブレイクのピアノの伴奏が素晴らしい。常識的な伴奏の域を越え、新しい響きを歌の後ろで奏でる。極上のバラード・アルバム。1989年、OWLに久々のデュオ・アルバム「You Stepped Out Of A Cloud」を吹き込んだ。

 

248~Urszula Dudziak:Future Talk(Inner City/1979)

Urszula Dudziak/ウルスラ・デュジャクは、ポーランドのストラコンカ生まれのヴォーカリスト。50年代エラ・フィッツジェラルドを聴いてジャズ・ヴォーカルを始める。数年後にはポーランドで最も有名なジャズ・シンガーになった。同じくポーランド人のヴァイオリン奏者Michal Urbaniak/ミハル・ウルバニャクと結婚していた(86年離婚)。夫婦は73年に渡米し、二人でバンドを組み活躍した。79年NYCで録音されたこのアルバムは、MUrbaniak(vln)Zbigniew Namyslowski(ascello)John Abercrombie(acoustic -g)Calvin Brown(el-g)Kenny Kirkland(keyb)Marcus Miller(b)Buddy Williams(ds)と言う豪華な布陣で演奏された、フュージョン・タッチの作品。彼女の音域の広いヴォイス(5オクターヴのレンジを持つ)が、エイトビートの軽やかなサウンドに乗って、空中を飛び交う。ジャズ的に言えば全編スキャットということになるのだろう。バンド演奏の他にも、彼女のソロ・ヴォイスも数曲聴くことが出来る。そこでは、スキャットの概念を飛び越えた「ヴォイス・パフォーマンス」なのである。エレクトリック・ディヴァイスも使用して、声の表現の拡張を目指した。そんな彼女のヴォイス・パフォーマーとしての実力は、「ヴォーカル・サミット」と言うグループに参加していることにも現れている。Jay ClaytonJeanne LeeBobby McFerrinNorma WinstoneMichele HendricksLauren Newtonと言った強者達と渡り合っている実力者なのである。Krzysztof KomedaArchie SheppLester Bowieらとも共演し、Stingとも録音を残している。Gil Evans Orchestraの「Live At Umbria Jazz」では共演しただけではなく、彼女の作曲した曲も演奏された。これまでにも多くのアルバムをリリースしており、「Urszla」(75年)、「Midnight Rain」(76年)はAristaから。「Urszla-High Horse」(84年)はCTIからと、メジャー・カンパニーからリリースされている。

 

247~Albert Mangelsdorff:Trombirds(MPS/1972)

Albert Mangelsdorff/アルバート・マンゲルスドルフは、1928年フランクフルト生まれの、ヨーロッパ屈指のトロンボーン奏者。アルト・サックスのエミール・マンゲルスドルフは彼の兄。共に、ドイツ・ジャズ・シーンの草分け的存在。72年録音のこのアルバムは、彼の驚異的無伴奏トロンボーン・ソロ(一部多重録音有り)。トロンボーンのソロと言えば、ポール・ラザフォード、ギュンター・クリストマン、ビンコ・グロボカール、コンラッド・バウアー等ヨーロッパには達人が多い。A・マンゲルスドルフは、そんなヨーロッパのトロンボーン界の最大の功労者、重鎮と言っても良い存在だろう。自らのヴォイスを混ぜ合わせ、一本のトロンボーンから複数の音を同時に鳴り響かせると言った特殊奏法に長けている。そんな彼の持てる技を総動員して、様々な表現を聴かせてくれる。ここまでやられると「有難うございました。」と土下座。

 

246~John Tchicai And Cadentia Nova Danica:Afrodisiaca(MPS/1969)

John Tchicai/ジョン・チカイは、母がデンマーク人、父がコンゴ人

「ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ」や「ニューヨーク・アート・カルテット」のメンバーとして60年代から有名なのでアメリカ人だと思っている人もいるかと思うが、デンマーク人なのだ。ニューヨークには5年ほど滞在していたにすぎない。チカイは帰国後「カデンツァ・ノヴァ・ダニカ」を結成。69年録音のこのアルバムは、その第二作目。総勢26名からなるオーケストラが壮大な音絵巻を描く。打楽器だけでも6人。チカイとは付き合いの長いギターリスト、Pierre Doergeや、ウィレム・ブロイカーの姿もある。ヒュー・スタインメッツのトランペットが、山頂から大空に向かって高らかに鳴り響くかの如き吹き放たれたと思ったら、次は突如山麓のジャングルの喧騒の中に音楽が入って行った。アフロ色濃厚で大迫力の演奏なんだが、全体的にどこかクールに響く。

 

245~Joseph Jarman、Glenn Horiuchi、Francis Wong:Pachinko Dream Track 10(Music&Arts/1996)

これは1996年に行われた「Asian American Jazz Festival in San Francisco」に、Joseph Jarman/ジョセフ・ジャーマン(as、fl、尺八、Conch shell、hand-perc、vocal)が招かれて、Glenn Horiuchi/グレン・ホリウチ(p、三味線、hand-perc)、Francis Wong(ts、fl、erhu~二胡、hand-perc、vocal)、Elliot Humberto Kavee/エリオット・ハンバート・カーヴィー(ds、gong、cello)と共演したアルバム。所謂2・サックス、ピアノ、ドラムによるジャズの演奏を想像されると大間違いで、J・ジャーマンもF・ウォンもサックスを吹くよりもフルートや尺八等を演奏する方に忙しい。G・ホリウチもピアノよりも三味線を弾く方が忙しい。「Jazz Festival」なんだろうが、ジャズからは相当逸脱した「即興演奏」としか言い様がない。広義にはこれも「Jazz」には違いないのだ。ジャーマンとウォンの2サックスによるデュオ部分は紛れもなくジャズの香りが立つ。しかし、さすがにホリウチの三味線が活躍を見せると、一気にワダダ・レオ・スミス言うところの「Creative World Music」の様相を示し出す。アルバム・タイトルにもなっている「Pachinko Dream Track 10」は、疾走感のあるジャズらしい演奏が20分近く続く。途中みんなが「パチンコー!」と叫んでいるが、これを聴いていたアメリカ人の聴衆は意味が分かってるのだろうか? おそらく日系人の多い聴衆だっただろうから、客席からは笑いも起こったかもしれない。 ジョセフ・ジャーマンは何度も来日している仏教徒でもある。来日中にパチンコを覚えたのだろうか。彼がパチンコをしている姿を想像すると面白い。

 

244~Joseph Jarman:As If Were The Seasons(Delmark/1968)

Joseph Jarman/ジョセフ・ジャーマン、ご存知「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」のメンバーだったAACMの重鎮。68年録音の本作は、AEC以前にリリースされた彼のリーダー作としては、66年録音の「Song For」に次ぐもの。実際この頃は「アート・アンサンブル」を名乗っていたようだ。演奏もAECに繋がるもので、抽象的な打楽器類の連打や、空間を広く使った音の処理は、ここでも聴く事が出来る。1曲目は、J・Jarman(as、ss、Bassoon、Recorder)、Charles Clark(b、cello、koto)、Thurman Barker(ds)、Sherri Scott(voice)の演奏。全編S・スコットのヴォイスが空中を浮遊する。そこに各楽器が有機的に絡み合う。2曲目は、Muhal Richard Abrams(p、Oboe)、Joel Brandon(fl)、Fred Anderson(ts)、John Stubblefield(ts)、John Jackson(tp)、Lester Lashley(tb)が加わったもの。全員が自らの主要楽器の他に色々なベル、ゴング、ハープを演奏している。このあたり、いかにも他楽器主義のAACMらしい。最初J・ブランドンのフルート・ソロから入り、その後は20分近い集団即興が続く。途中演奏が方向転換するところは、ラフなスケッチ程度の楽譜があるのだろう。喧騒の中から現れる木管の柔らかな響きが対照的で良い。最後近くは全者一丸となった破壊力満点の集団即興になるが、しばらくすると一転、各自がハープやベルを鳴らし始め、S・スコットのヴォイスが主役に躍り出て20分の演奏を締め括る。

 

243~James Zitro(ESP/1967)

James Zitro/ジェームス・ジトロは西海岸生まれのドラマーという以外の情報が無い。インドに行ってタブラを学んでいるようだ。東海岸で活動していたが、また西海岸に戻り、その後はそこを中心に活動を続けていた。初録音はこのアルバムと同じESPの1966年録音のSonny Simmonsのセカンド・アルバム「More Sonny Simons」。67年録音の本作が彼の初リーダー作となる。メンバーはAllan Praskin(as)Bert Wilson(ts)Warren Gale(tp)Michael Cohen(p)Bruce Gale(b)James Zitro(ds)という布陣。「More Sonny Simons」から、コーエンとウィルソンが引き続き参加している。日本のスリー・ブラインド・マイスにも録音のあるアラン・プラスキンはこの時まだ18歳だった。1曲目の「Freeken」は22分くらいの、当時の典型的なフリー・ジャズが聴ける。力強いジトロのドラムに乗っかって各人のソロが続く。若きアルト・サックス奏者A・プラスキンのキレのある破天荒と言っても良いくらいのソロが気持ち良い。B・ウィルソンのテナー・サックスは終始馬のいな鳴きのようだ。続く短めの2曲「Happy Pretty」は、「Freeken」ほどの過激さも重量感も無く、軽めの演奏。だが、ここでもウィルソンのテナー・ソロは豪快。続くウォーレン・ゲイルのトランペットも迫力のある演奏だ。最後の「Fourth」は、ピアニスト、コーエンの作曲したリリシズム溢れたテーマを持つ曲。だが、すぐにそれも混沌へと変わって行く。その後のジトロはチャールズ・ロイド、スマイリー・ウィンターズ、バート・ウィルソンらと共演をし活動は続けたようだが、残されたアルバムはバート・ウィルソンらとの数枚に限られているようだ。

 

242~Allan Praskin:Encounter(TBM/1971)

Allan Praskin/アラン・プラスキンは、1948年ロス・アンジェルス生まれのアルト・サックス奏者。兵役で韓国にいた時、休暇を利用して日本に来ては、日野皓正、菊池雅章、ジョージ・大塚、山下洋輔らのグループと共演を繰り返していた。金井英人の紹介でA・プラスキンと知り合ったスリー・ブラインド・マイスの社長藤井武は、彼を大いに気に入り、急遽レコーディングをすることに決めた。だがあまりにも時間が無く(もうすぐ除隊になり帰国が迫っていた。)、集まったメンバーで十分なリハーサルも出来ない状況での録音となった。収録に参加したのは杉本喜代志(g)、池田芳夫(b)、日野元彦(ds)と言う当時プラスキンが共演していた日野皓正のグループのメンバーだった。この録音時プラスキンはまだ22歳だった。演奏はフリーではないが、イン・テンポ、イン・コードの中でいかに自由に出来るか、なれるかといったもの。力強く、スピード感があり、止めどもなくフレーズが溢れるのを聴くと、まだ22歳の若者ということが信じられない。それも全くの無名に近かったのだ。もし、このアルバムが作られなかったら、少なくとも日本ではその存在すら認知されることはなかっただろう。

 

241~Bobby Few:Coming Thru(SUN/1977)

Bobby Few/ボビー・フューは、1935年クリーブランド生まれのピアニスト。60年代末Booker Ervin/ブッカー・アーヴィン(The In Between/Blue Noteに参加)Albert Ayler/アルバート・アイラーと共演。Impulsに「Music Is The Healing Force of The Univers 」と「The Last Album」(共に69年の録音)が有る。69年渡仏。Frank Wright/フランク・ライトのグループで活躍しアルバムをも残している。「Uhuru Na Umoja」(69年、70年)、「Church Number Nine」(69年、70年)、「Live Center Of The World」(72年)、「Live Last Polka  In Nancy?」(73年)。フランク・ライトやノア・ハワードが激しく暴れまわっている後ろで、フューはフリー・ジャズ・ピアノらしくないメロディアスなフレーズを紡いでいたりと、演奏に幅を持たせている。Steve Lacy/スティーヴ・レイシーのグループのレギュラー・ピアニストも務めたことがある。HAT ARTの「Ballets」(80年、81年)、「Songs」(81年)、「Prospectus」(83年)、「Two,Five& Six」(83年)で聴く事が出来る。この77年パリ録音は、ソロ・ピアノ・アルバム。「フリー・ジャズ」を期待して聴かれると肩透かしを食うことになる。これはボビー・フューが作曲した美しくまた、楽しい曲と、彼の可憐な?華麗な?ピアノを聴く為のアルバムだ。これが彼の本音の部分なのだろう。79年にもソロ・アルバム「Continental Jazz Express」をリリースしている。その他、アラン・シルヴァ(b)とムハマッド・アリ(ds)とのトリオが2枚。シルヴァ、ライトとのトリオが1枚有り。これらとは趣の違った、Cheikh TidianeFall(perc),Jo Maka(ss),Anedra Shockley(vo)とのカルテット「Diom Futa」(79年)はユニークな快作。

 

240~Elmar Kralig:Pianomusic(FMP/1978)

Elmar Kraling/エルマー・クラリンクは、おそらくドイツのピアニストなんだろうが、ネットで検索しても、何の情報も出て来ない。この78年録音のFMP盤がかろうじて紹介されているだけだった。他にはアルバムは出ていないのだろう。その後の活動も活発ではなかったのだろうか。そんな地味なピアニストのソロ・アルバムなのだが、これが私には意外なお宝だったのだ。これは想像だが、このピアニストはクラシック、現代音楽を勉強中にジャズに出会い、トリスターノ、モンク、セシル・テイラー達を知り、地元ドイツの即興シーンに入って行ったのではなかろうか。その演奏と言えば、プリペアード・ピアノや内部奏法も使った、硬質な響きが特徴。スピード&パワーで押すのではなく、曲の全体像をはっきりとさせた上で演奏を行っている。全くのフリーというのではなく、ある程度の枠はあらかじめ決めてあるようだ。「楽譜」として存在しているかどうかは分からないが・・。スケッチのようなものなのか、図形楽譜があるのか、とにかく頭のなかで構想を練った上で演奏に及んでいるのは確かだ。何も考えず、ただピアノの前に座って無の状態から弾き始めると言った演奏ではない。そもそも、そんなことが実際可能かどうか? キース・ジャレットのソロはそうだと自分で言っていたが? 無名(多分)で、すでに歴史の彼方にあるようなアルバムにも、こんな面白いものもあるのだ。シュリッペンバッハのファンが聴いたら、きっと気に入ることだろう。お試しあれ。エネルギー・ミュージックの信望者には薦めかねる。

 

239~Sean Bergin&Ernst Reijseger:Mistakes(Broken/1979)

Sean Bergin/ショーン・バージンは、南アフリカ生まれのソプラノ、テナー・サックス奏者。70年代にオランダに移住。歌手を含むグループ「MOB」を率いる他、数多くのインプロヴァイザーと共演をして来た。78年録音の本作は、54年オランダ生まれのチェリスト、Ernst Reijseger/エルンスト・レイズグル?とのデュオ・アルバム。たった5秒の曲?から、5分程度の曲まで全14曲。ほとんどはS・バージンの曲。全くのフリー・インプロヴィゼイションの曲や、モンク風の曲もあるが、南アフリカ出身者らしく、大らかな楽しくなるメロディーの曲が多い。S・バージンがペニー・ホイッスルでアフリカン・メロディーを奏で、E・レイズグルが楽しげにボンゴを叩く曲もある。7曲目は、レイズグルのソロ。チェロをギターのように弾いて哀愁のメロディーを爪弾く。演奏する楽しさが伝わって来る。ジャケット・デザインはいかにも「フリー・インプロヴィゼイション」と言っているかのようだが、中身はもっと大らかな内容。

 

238~Tristan Honsinger,Toshinori Kondo,David Toop,Steve Beresford:Imitation Of Life/Double Indemnity(Y Records/1980,81)

「Y Records」でリリースされた、80年録音のTristan Honsinger/トリスタン・ホンジンガー(cello、voice)とSteve Beresford(p,fh)のデュオ・アルバム「Double Indemnity」から2分台から6分台の短い演奏を3曲と、このセッションから未発表だった9分台の曲を2曲収録。それと、81年録音のこの二人にDavid Toop/デイヴィッド・トゥープ(el-g、bass-g、fl、alto-fl、wooden-fl、small instruments)と近藤等則(tp,voice,mutes,rattles,small instruments)が加わったカルテットのアルバム「Imitation of Life」から21分台と17分台の2曲を組み合わせた新装版復刻CD。特に、81年(この本は80年録音までだから反則だが)の方では、ホンジンガーもベレスフォードの使用する楽器が格段に増えて、おもちゃのギターまで登場する。ホンジンガーとベレスフォードのデュオも、相当にはトンでるが、81年のカルテットの方は、存在自体が反則のような4人の、ハチャメチャな即興演奏が聴ける。よく「おもちゃ箱をひっくり返したような」と形容されるが、正にこれがそう。この先どうなるのか、どこへ行くのか、どう言う終わり方をするのかサッパリ分からない。これが即興演奏を聴く楽しさの一つ。特にベレスフォードとトゥープの二人は、一つのおもちゃで遊んでいたと思ったら、すぐ放り出して他のおもちゃで遊んでいる子どもの如し。どこからどう見ても(聴いても?)もうここにはジャズどころか、フリー・ジャズですら見当たらない。単に「即興」なのだ。スノッブな連中を嘲り笑うような支離滅裂さに乾杯!しかし、これもしっかりとした音楽性と技術を持ってる者にだけ許された表現なのだ。シロートが「俺にも出来る。」と勘違いしてやったら、3分ともたずにネタは切れ、砂漠の真ん中で立ち往生となる。

 

237~John Coltrane:The Olatunji Concert:The Last Live Recording(Impulse/1967)

これはJohn Coltrane/ジョン・コルトレーンが亡くなる3ヶ月前(1967年4月23日)の演奏を収録したアルバム。コレトレーン、ユセフ・ラティーフ、ババトゥンデ・オラトゥンジの三人は「ハーレムにアフリカの文化センターを作る。」と活動していた。そしてついにこの日「オラトゥンジ・アフリカ文化センター」はオープンした。そこでコルトレーンは午後4時と6時からの二回公演をした。このアルバムでは、そのファースト・セットを聴く事が出来る。メンバーは、John Coltrane(ss、ts)、Pharoah Sanders(ts)、Alice Coltrane(p)、Jimmy Garrison(b)、Rashied Ali(ds)、Algie DeWitt(Bata drum)、Jumma Santos(perc)。元々アルバムとしてリリースを前提とした録音では無かったのだろう。ちょっとメジャーなレコード会社ではまず出さないようなブートレッグ並みの音質なのはご勘弁。しかし、演奏は凄い!亡くなる直前とは到底思えない激烈な演奏なのだ。アリのドラムもフロントの二人のサックスを煽る煽る。まるでコルトレーンの病状なんて気にもしていないがのごとく。当のコルトレーン自身が自分の病気をどこかに置いて来てしまったかのようだ。この人には「きょうはこのへんでいいか。」などと言う感情は持ち得なかったと見える。そんな几帳面さ、責任感は音に現れるものだ。いくら激しくサックスを吹き倒そうとも、彼のサックスから放出される音には優しさがある。このあたりただのノイズ発生器とは違うのだ。

236~Andrew White+:Live At The Foolery In Washington D.C. Volume One(Andrew's Music/1974)

Andrew White/アンドリュー・ホワイトは、1942年ワシントン D.C.生まれのソプラノ、アルト、テナー・サックス奏者。ハワード大学、パリ音楽院で学ぶ。帰国後、オーティス・レディングのバンドに参加。そして、アメリカン・バレエ・シアターの主席オーボエ奏者を務めた。70年からは「フィフス・ディメンション」のベース奏者となり、ウェザー・リポートの「スウィート・ナイター」にも参加。その後は、ジョン・コルトレーンの研究に没頭する。自主レーベル「Andrew's Music」を設立し、数多くのアルバムをリリース。これは、その中の一枚。1974年10月13日、ワシントン D.C.の「The "Top O'Foolery"」でのライヴ録音。メンバーはA・Whiteの他、Kevin Toney(p)、Steve Novosel(b)、Keith Killgo(ds)。コルトレーンの研究では彼の右に出る者はいないと言われるだけあって、演奏はコルトレーンどっぷりの音。コルトレーンで例えれば「アセンション」直前の音か。しかし、本家コルトレーンの音楽の持つ「重さ」はホワイトには無い。彼の音はしかめっ面はしていない。良い悪いの問題ではなく、これが彼の個性だ。

235~Colette Magny:Inedits et Introuvables(SCALEN DISTRIBUTION/1965,76,83,88)

Colette Magny/コレット・マニーは、1926年パリ生まれのシャンソン歌手、シンガーソング・ライター。19歳から経済協力開発機構で秘書を務めるも、63年突然辞職し、歌手デビューする。すぐにヒット曲を出したが、その後政治色が濃いメッセージ性の強い歌を歌い続け、アンガージェする代表的歌手になって行った。取り上げた題材が、キューバ革命、ベトナム戦争、パリ五月革命、チリ・クーデター等々。「Vietnam67」「Magny68」等々機会があれば聴いて欲しい。前衛ミュージシャンとの共同作業にも積極的だった。私は何より彼女の声が好きだ。歌手は何よりその声自体に魅力が無ければいくら志高くとも、こちらに届かないし、響かない。このアルバムは、76年録音の「チリ~爆発する人々」からヴィクトル・ハラの歌を。83年録音の「世界の子守唄」から抜粋された歌を収録。そして、それに挟まれるように、65年録音の、Francois Tusques/フランソワ・テュスク(p)が監修し、Beb Guerin(b)Aldo Romano(ds)Jean-Francois Jenny Clark(b)Daniel Humair(ds)Bernard Vitet(tp)Jean-Louis Chautemps(ts)と豪華な顔ぶれが伴奏した4曲が収録されている。残念ながら一曲、2~3分と短い。どうやらシングル盤だったらしい。フリー・ジャズ・ファン注目はこの4曲だろうが、他の曲にも耳を傾けて欲しい。声・歌の強さを堪能出来る。「音楽に政治を持ち込むな!」と幼い脳味噌で幼い声を上げている今の日本人にこそ必要な歌声だ。音楽は、それ自体が政治的な存在なのだ。たとえそれが右であろうと左であろうと。

234~Un Drame Musical Instantane:Trop D'adrenaline Nuit(GRRR/1977)

Jean-Jacques Birge/ジャン・ジャック・ビルジェは、パリの国立映画学校に学び、卒業後同校で講師を勤めた。その頃ギターリストのFrancis Gorge/フランシス・ゴルジェとアルバム「Defence De」をリリース。その後この二人にトランペット奏者のBernard Vitet/ヴェルナール・ヴィテが加わり、「Un Drame Musical Instantane/アン・ドラム・ミュジカル・アンスタンタネ」を結成。マルチ・メディアを含むこのユニークなグループは、その後も多くのアルバムをリリースして行った。77年の本作は、彼等のファースト・アルバム。心象風景を音で具現化していった感じ。ピンク・フロイドとアート・アンサンブル・オブ・シカゴが合体したらこんな感じになるかも。もっとスケール・アップしそうだが。実際映画の一場面の音を使った曲もある。次々と展開する演奏は、音の万華鏡を見ているようで楽しい。耳で見る映画というところか。

233~Keith Tippett:Blue Print(RCA /1972)

Keith Tippett/キース・ティペットは1947年生まれのイギリスのピアニスト。保守的なジャズ・ファンよりもロック・ファンの方に馴染みのある名前かもしれない。キング・クリムゾンに参加して重要な役割を果たしていた。しかし、元々はジャズ新人育成セミナーで最優秀ピアニストに選ばれる程のジャズ・ミュージシャンであったし、また所謂「JAZZ」の狭い範疇に留まる人でもなかった。同じく他の楽器で最優秀に選ばれ たElton Dean/エルトン・ディーン(as、saxello)らと自己のグループを結成し、70年にデビュー作をリリースした。71年には55人の大編成のオーケストラ作品を発表。その翌年小編成での完全即興アルバム「ブループリント」を録音した。K・Tippett(p)の他、Roy Babbington(b)、Keith bailey(perc)、Frank Perry(perc)、Julie Tippetts(voice、g、recorder、mandolin)が参加。美しいピアノの響きに安心していると、次からヴォイス、ギター、マンドリン、リコーダーのジュリー・ティペットが「あんた達、何気取ってんのよ!」てな具合に割り込んで来る。プロデュースはクリムゾンのロバート・フリップが買って出た。

232~Bobby Bradford with John Stevens And The Spontaneous Music Ensemble(Nessa/1971)

Bobby Bradford/ボビー・ブラッドフォードは1934年ミシシッピー州クリーブランド生まれのトランペッター。12歳の時ダラスに移住。ハイスクール時代にシダー・ウォルトンらと共演。53年にLAに移り、オーネット・コールマンと知り合う。ドン・チェリーの後任として、コールマンのグループでも演奏した。65年には、John Carter/ジョン・カーター(cl)と双頭グループを結成。70年代以降度々渡欧し、ジョン・スティーヴンスとヨーロッパ・ツアーを行った。71年録音の本作は、ロンドンでのスタジオ録音。スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)~John Stevens(ds)、Trevor Watts(as、ss)、Bob Norden(tb)、Julie Tippetts(voice)、Ron Herman(b)~との共演。ルイ・アームストロングに捧げたリズミカルな演奏から、ジュリー・ティペットのヴォイスが光るフリー・インプロヴィゼイションまで多彩な内容。SMEは同じバンド名なれど、ジョン・スティーヴンスが中心にいるだけで、メンバーも演奏形態がその都度変わるくらい色々な様相を示すので要注意。

231~Walter Zuber Armstrong&Steve Lacy:Alter Ego(World Artists/1979)

Walter Zuber Armstrong/ウォルター・ズバー・アームストロングは、1936年Tupelo生まれのバス・クラリネット、フルート奏者。主要楽器が物語るように、エリック・ドルフィーとアンソニー・ブラクストンに大きく影響を受けた。ニューヨーク・カレッジ・オブ・ミュージック、ジュリアード、トロントのロイヤル・コンサーヴァトリー・オブ・ミュージックで学んだ。ヴァンクーヴァーを拠点に活動をし、Paul PlimleyGreg Simpsonらと共演をした。また、ミネポリスではMilo Fineと。このアルバムでは、バス・クラリネット、コントラバス・クラリネット、ソプラノ・フルート、ボリヴィアン・ウッド・フルートを演奏している。他のアルバムではピアノ、フルート、ピッコロも。73年から自身のレーベル「World Artists」を運営し、82年までに6枚のアルバムをリリースしている。80年前後は彼のLPを都内のレコード店でよく見かけたものだった。その中でも79年アムステルダムのBim-HuisでのSteve Lacy/スティーヴ・レイシーとのデュオ録音の2枚は、色んな所で売っていた。掲載したジャケットは再発されたCDDUET」のもの。10月13日に行われたコンサートから2枚のLPに分けてリリースされたが、CDでは1枚に収められた。レイシーのソプラノ・サックスに、アームストロングのコントラバス・クラリネットの音が地響きを立てて絡みつく。または逆にソプラノ・フルートの高い音で絡みつく。しかし、百戦錬磨のレイシーは余裕で軽く受けて立つ。最後はフルート・ソロで締め括る。もし、彼がアムステルダムでスティーヴ・レイシーと共演することなく、これらのLPもリリースされることがなかったら、彼はローカル・ミュージシャンのままで終わり、日本人の耳に彼の音楽が届けられることはなかっただろう。どういういきさつでレイシーと共演出来、アルバムを残せることが出来たのか?

 

230~Mahapurush Misra:Indian Drums(Connoisseur Society/1967)

Mahapurush Misra/マハプルシュ・ミスラは、1934年インド、ビハール州パトナ生まれのタブラ奏者。ベナレス派の伝説的名手パンディット・アノケラール・ミスラの弟子。このアルバムはタブラ(右手で叩くのが「タブラ」で、左手が「バーヤ」とか「バヤン」と呼ばれる)が主役で、サロードが同じ音型を繰り返すばかりの伴奏を務めるという珍しいものだ。そのサロードが巨匠アリ・アクバル・カーンというのも面白い。ここでは5種類のターラ、「ルーパク・タール」、「ティン・タール」、「ダードゥラ・タール」、「ジャプ・タール」、「カハルワ・タール」を演奏している。ターラとは拍節周期のことで、理論的には2~108拍子が存在するが、実際使われるのはせいぜい16拍までらしい。それでも、3+2+2や2+5+3とか普段聴いている西洋音楽ではそうそうお目にかかれない。だいたい108拍子なんて分割していけばどれだけのパターンが作れることやら。コンピューターの世界。16拍子ですらよくぞ人間が即興で組み立てていけるものだと感心する。だが、そんな理論は横に置いといても、このタブラの音には理論を越えた「音楽」としての音の魅力がある。正直、インド音楽を聴いて、マートラやヴィバーグやスワループがどうこうとか、このタブラが今どこを叩いているとか、解説でも読まない限り、いや読んでも分かるものじゃない。それだけ複雑怪奇な音楽なれど、聴覚上の快感がある。インド音楽には中学生の頃出会った。ジョージ・ハリスンのおかげだ。ラヴィ・シャンカールやアリ・アクバル・カーンのLPを買っては聴いていた。インドのリズムが体に入ると、クラシク、ジャズ、ロック等々今でも退屈を感じることがある。歌ものならいいが、インストルメンタルの演奏は今でも聴いててイライラすることがある。逆に能は一体どうなっているのやら分からないので面白い。インド音楽に出会うと、1234と繰り返すだけの音楽には飽き足らなくなる。要注意!

229~Oliver Lake:Heavy Spirits(Freedom/1975)

Oliver Lake/オリヴァー・レイクは1942年アーカンソー州マリアナ生まれのアルト・サックス奏者。一歳の時セントルイスに移住。高校ではレスター・ボウイと親しくしていたようだ。これが後のAACMを参考に組織されたセントルイスのBAG(Black Artists Group)

の原点か。72年渡欧、74年帰国、NYCに進出。75年録音の本作は彼の三枚目のリーダー作。前半は当時ロフトで共演を重ねてい来た仲間、Olu Dara(tp)、Joseph Bowie(tb)、Donald Smith(p)、Stafford James(b)、Victor Lewis(ds)との演奏で、この時代の典型的な姿を見せる。私は「ロフト・ジャズ」と聞くと、このような演奏が頭に浮かぶ。ヨーロッパ・フリー程のジャズからの大きな逸脱は無い。音楽の枠組みとしての「曲」はしっかりと存在し、その中でエモーショナルにクリエイティヴなソロを取るか。次は、三人のヴァイオリン奏者とO・レイクのアルト・サックスとの共演。ヴァイオリン部分は全部書かれているようだ。その上をサックスが泳ぐ。これが三曲続く。7曲目は無伴奏サックス・ソロ。最後はJoseph Bowie(tb)、Charles Bobo Shaw(ds)とのトリオ。共にセントルイスで組織していたBAGの仲間だ。一枚のアルバムの中で彼の多彩さを伺える。

228~中村達也/Nakamura Tatsuya:Song Of Pat(Trio/1976)

中村達也、1945年栃木県大田原生まれのドラマー。彼の気合、根性、度胸、実行力は半端ではない。74年、彼はNYCの奥深く、はっきり言って日本人がとても一人で入って行くには危険な(と、当時思われていた)場所、つまり当時「ロフト・ジャズ」と呼ばれたジャズが夜な夜な行われていた界隈に、単身堂々と乗り込んで行ったのだった。そこで「俺の音楽はこれだ!」と正面からドカンとぶちかましたら「よし!ブラザー!」となったのだった。一年半の滞在期間中サニー・マレイ、レスター&ジョセフ・ボウイ、フランク・ロウ、アンドリュー・シリル、チャールズ・タイラー、テッド・ダニエル、オリヴァー・レイク、チャールズ・ボボ・ショウ等々と、色々なロフトで共演を重ねた。滞在を終え帰国前に仲間達と録音したのが、このアルバム。中村の他は、Ted Daniel(tp、Fl-h、etc)、Oliver Lake(as、fl)、Richard Davis(b)と言うそうそうたるメンバー。と言っても、R・デイヴィス以外は当時はまだまだ新進気鋭の若手だった頃。あの頃のロフト・ジャズ・ムーブメントの熱気、質の高さをストレートに聴かせてくれる。中村は自作の楽器「クォータードラムス~様々な水道管(下水管?)に皮を張って十数本束ねたもの)」も使っている。最後の曲「ソング・オブ・パット」はR・デイヴィスとのデュオ。「パット」はR・デイヴィスの奥さん。深みのある演奏はさすが。

227~Sakis Papadimitriou&Floros Floridis:Improvising at Barakos(LP/1979)

Sakis Papadimitriou/サキス・パパディミトリウ?は、1940年ギリシャ、テッサロニキ生まれのピアニスト、小説家、ブロードキャスター等々と肩書きの多い人。Floros Floridis/フローロス・フロリディスも同じくテッサロニキ生まれのクラリネット奏者。アルト&ソプラノ・サックスも吹く。79年アテネのジャズ・クラヴ「Barakos」で録音された本作は、ギリシャ初のフリー・インプロヴィゼイション盤とされている。フロリディスはブロッツマンの影響大なのか、終始吹きまくる。逆にパパディミトリウは、ジャズ、ケージらの現代音楽、そして各地の民族音楽と幅広い音楽への関心を示しているように、多彩な演奏。後年顕著なピアノの内部奏法も聴ける。私は、彼の演奏を86年のin situ盤で彼の事を知り、大ファンになった。この二人、あまりの方向性の違いと、性格の違い?でこのデュオは短命に終わったらしい。この翌年の80年、二人共無伴奏ソロ・アルバムを仲良く(悪いからか?)リリースしている。

226~Jiri Stivin&Pierre Favre:Vyletr(Supraphon/1979)

Jiri Stivin/イルジ・シュティヴィン?は、1942年旧チェコスロヴァキア生まれ。フルート、サルト・サックス、バス・クラリネット、各種リコーダー、民族楽器の笛類等々を演奏する。バロック以前の古楽の演奏から、現代曲の作曲・演奏、ジャズ、フリー・ミュージックと活動の幅は広い。旧チェコスロヴァキア盤なので日本での流通は数少なかったが、70年頃から相当数のアルバムをリリースして来ている。特にギターリストのRudolf Dasekとの共演が多い。79年録音のこのアルバムは、打楽器奏者のPierre Favre/ピエール・ファブルとのデュオを収録した二枚組大作。各種フルート、アルト・サックス、バス・クラリネット、各種リコーダーに加え、crumhorns、renaissance ranket、transverse folk pipe、fuyara、syrinx、bressan-baroque recorder、ocaria、voiceと、名前を聞いただけでは瞬時に頭に浮かんで来ないような楽器をたくさん使用している。使う楽器も多いが、彼の引き出しの多さも特筆もの。さすがにリコーダーとフルートの腕前は流席に凄い。二枚組にしなければとても収まりはしなかっただろうアイデアの宝庫。共演のP・ファーブルも百戦錬磨の強者、彼も各種打楽器で、同じく引き出しの多さでも負けてはいない。一部ヴォイスのPavel Kuhn/パヴェル・キューン(uにウムラウト)も参加。カヴァー・アートも含め大変素晴らしいアルバムだ。

225~Pharoah Sanders:Journey To The One(Theresa/1980)

これはPharoah Sanders/ファラオ・サンダースが1980年に「Theresa」に吹き込んだ2枚組のアルバム(CDでは1枚に収録)。70年代後半ははっきり言って、彼は失速していた。時代はジャズを押しのけフュージョン旋風が吹き荒れた。もう一方でロフト・ジャズの運動はアンダーグラウンドなれど活発に行われていた。そこにファラオ・サンダースの姿は見当たらなかったような気がするが(アルバムの存在だけで、実際の活動を知らずに判断してしまう我々日本人リスナーの悪い所)、実際はどうだったのだろう。さて、このアルバムだが、ファラオ復活を強く示したものとなった。勿論60年代のファラオのまんまではない。激しいテナー・サウンドは勿論聴けるのだが、全体的に音楽の重心が軽くなっている感じだ。総勢18人のミュージシャンを動員したものなのだが、その中には日本の琴(正確には”箏”)、タブラ、シタール、ハルモニウムといった楽器も含まれている。所謂フリー系ミュージシャンの姿は無い。演奏された曲の中には「アフター・ザ・レイン」、「イージー・トゥ・リメンバー」といったコルトレーンの愛奏曲も含まれる。まるでコルトレーンが乗り移ったかのような感じだ。だが、総じて60年代の自分を離れて見ることが出来るようになったようで、いくら激しく吹奏しようとも、どこか吹っ切れている音がする。自分の周りに80年代という「今」を纏うことによって、これまでとは違うファラオの音楽をその後邁進することになる。何も眉間に皺を寄せて深刻ぶった顔をして聴くだけがジャズではないだろう。これを聴いた時「フリー・ジャズ」は終わったなと思った次第。

224~Dewey Redman:The Ear Of Behearer(Impulse/1973)

Dewey Redman/デューイ・レッドマンは、1931年テキサス州フォートワース生まれのテナー・サックス奏者。オーネット・コールマンとは同郷。56年から59年の間ノース・テキサス大学で教鞭を取っていたが、後LAに移り自己のグループを率いて活動を続けた。67年にNYCに進出し、同郷だったO・コールマンのグループに参加し、74年まで在籍した。それと並行してキース・ジャレットのグループにも在籍し、多くのアルバムに参加している。73年録音の本作はセカンド・アルバム。ファースト・アルバムは66年録音のFONTANA盤。次ぐ69年はBYG盤。だから4年間リーダー作から遠ざかっていたことになる。オーネットやキースのバンドで忙しかったのか? D・Redman(as、ts、musette)の他は、Ted Daniel(tp、Moroccan bugle)、Jane Robertson(cello)、Sirone(b、wood-fl)、Eddie Moore(ds、tympani、saw、gong)、Danny Johnson(perc)が参加。チェロを加えてアンサンブルに厚みを加えている。レッドマンのサックスの音は独特の濁りがある。息を吹き込むだけではなく肉声を発しながら息を吹き込んでいるのだ。特別彼の専売特許ではないのだが、大きな個性に繋がっている。俊英テッド・ダニエル共々強力なソロを取る。チェロもベースも単なるバッキングに終わってはいない。近年ではジョシュア・レッドマンの父親としての方が有名かも。あのドン・レッドマンの血統が流れているらしいが・・・。

223~Achim Knispel:Strapse(FMP/1978)

Achim Knispel:Strapse (FMP/1978)

 

このアルバムは、まだFMPがどっちに向いているシロモノなのかすら知らない時期に、ギター・ソロだというのと、写真で見るAchim Knispel/アヒム・クニスペル?の気合の入った面構え?に惹かれて、何だか分からないまま買ったのだった。これをフリー・ミュージックとは意識せずに聴いていたように思う。その頃、フリー系のギターリストと言えばデレク・ベイリーや高柳昌行のような破壊を極めたスタイルのものとだけ思っていた。彼ら二人は、特にジャズを聴き始めて早い時期に出会ったフリー系ギターリストだったので、どうやら「こういうものだ。」と刷り込まれていたようだ。彼の面構え程には演奏の方は過激でも破壊的でもなくて、短いフレーズを繰り返すミニマル的なもので決してノイジーな音や、抽象的な音は出さない。しかし、音色と表現そのものは結構硬質なもので、決してヤワな音楽では無い。ハンス・ライヒェルと同質の感触だ。この二人、77年に同じくFMPからデュオ・アルバム「Erdmannchen」をリリースしている。そう、このソロ・アルバムより1年先に出ていたのだ。81年には同じくFMPからブロッツマンとの共演が多いドラマーWilli Kellersとのデュオ・アルバム「Eickendorfballade」が出ている。おそらく彼の録音は、この3枚だけではないだろうか。彼の演奏スタイルでは、誰とでも共演可能とはいかなかっただろう。それだけ個性が強かったとも言えるし、自分の中だけで終わっていたとも言える。何しろ、聴ける音源がこれだけのなで全容を把握出来ない。

 

222~Alfred Haurand:Vitamine A+D(RING/1976)

Alfred Haurand/アルフレート・ホーラントの演奏は、1943年ドイツ、Viersen生まれのベース奏者。ゲルト・デュデク関連のアルバムでたくさん聴くことが出来る。「ヨーロピアン・ジャズ・クインテット」等々で。所謂フリー系ベーシストとしてみなされようが、ドイツ人であってもFMPにはアルバムが全く無いというところから、彼のスタンスがうかがい知れるだろう。これは1976年に録音され「RING(Moers Musicの前身)からリリースされた彼のベース・ソロ・アルバム。一部パーカッション、フルート等の多重録音も含まれるが、これはあくまでもベースの音に軽く被さる程度の使われ方だ。効果音的と言えなくもない。彼のベースの演奏では、アルコは部分的使用にとどめ、主にピチカートが主体。音楽の表現も、ペーター・コヴァルトやバリー・ガイのように、ベースをノイズ発生器ほどまでには至らせず、ジャズ・ベースを逸脱しはしない。基本的には、ジャズ・ベーシストと言えよう。ソロ・ベース・アルバムは、「Naked」(Metram/74年)がある。アラン・スキッドモア、トニー・オクスリーとのトリオ「S.O.H」は、3作リリース。Gerd DudekRob.van.den.Broeckとのトリオ。ゲルト・デュデクも参加している「Third Eye/Connexion」他、「George Maycock/It’s Blues Time」他,Jan Huydts Trio/Brown Taste,Tony Oxley’s Celebration Orchestra/Tomorrow is Here~JazzfestBerlin 1985,Wilton Gaynair Quintet/Alpharian,Jiri Stivinとは、v.d.Broeck,Dudekとのトリオと、Daniel Humairと、デュオでは「Just The Two Of Us」をリリースしている。

 

221~Aiyokujinminjujigekijo/愛欲人民十時劇場(Pinakoteca Records/1980)

吉祥寺にその名も「マイナー」というスペースが有った。何の飾り気も無いガランとした所で、そこに夜な夜な「マイナー」なミュージシャンに限らずとにかく何か表現したい連中が集まっていた。出演者よりも客の方が少ないなんて当たり前。所謂アンダーグラウンドの巣窟だ。(その頃荻窪にも「グッドマン」というやはりアンダーグラウンドの巣窟があった。)そんな所だから長続きするはずもなく、いつの間にか閉まってしまった。このアルバムは、元店主が「ピナコテカ」なるレーベルを作りリリースしたものと聞いて、すぐ買い求めたものだった。白石民夫が音頭を取って、夜の十時から始まるライヴを「愛欲人民十時劇場」と呼んでいたと記憶している。このライヴに出演する者はカッコ付きのジャンルが存在しない。どう形容していいのか分からないシロモノも多く、だからこそ面白い訳で、まるで現在のアンダーグラウンド・シーンを見ているかのようだ。だけど、あの頃の方が、もっと訳の分からなさが充満していたように思う。今は、ノイズがジャンルとして確率してしまった(実は、勝手に「俺、ノイジャン。」と自称している輩が多いだけで、本当に「確立」したら、ノイズは終わりだ)ように思われている分、訳の分からなさ加減は薄い。実は、もっとその外側に面白い連中が現れている。さて、このアルバムには、白石民夫、Honeymoons(カムラ&天鼓)、板橋克夫&吉沢元治、灰野敬二、ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ(竹田賢一、向井千恵、風巻隆・・・)、Machinegun Tngo、佐藤隆史等々が一曲ずつ収録されている。その多くは今でも活躍している。個人的には「ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ」が収録されていることが、このアルバムを貴重なものにしている。ピナコテカは、この次に灰野敬二の「私だけ」をリリースしたはずだ。

 

220~Pheeroan akLaff:House Of Spirit "Mirth"(Passin' Thru/1979)

Pheeroan ak Laff/フェローン・アク・ラフ(Paul Maddox)は,1955年デトロイト生まれのドラマー。ドラムはクラシックのティンパニ奏者やモータウンのハウス・セッション・グループ「The Funk Brothers」のドラマーRichard 'Pistol' Allenに学んだ。20歳の誕生日にラシッド・アリと出会い大きな影響を受け、NYに出た後アリやビリー・ハートについてドラムを学び、オリヴァー・レイク、アンソニー・デイヴィスと共にワダダ・レオ・スミスのグループ「New Dalta Ahkri」に参加した。アク・ラフの名前は一般のジャズ・ファンには山下トリオのドラマーとして知られているだろう。現在も続いている長寿トリオだ。79年録音のこの初リーダー作は、ドラム・ソロ・アルバムだ。ドラム・ソロと引くことなかれ。アフリカの香りのする歌も含んだ一人打楽器アンサンブルと言ってもいいくらいだ。迫力のあるドラム演奏(多重録音も)なのだが、ただ熱に浮かされたような演奏は微塵もない。きっちりと計算され、構成されたもので、知性的と言ってもよい。今や引く手あまたのドラマーになった彼の原点。ドラム・ソロ・アルバムとして最上級のもの。

219~Munoz:Rendezvous With Now(India Navigation/1978)

 

 Munoz/ムニョスは1946年NYブルックリン生まれの、プエルトリコ系のギターリスト。現在はTisziji Munozと名乗っている。70年代中期からNYのロフト・シーンで活躍した。このアルバムと同じインディア・ナヴィゲイションの77年録音のファラオ・サンダースの「ファラオ」が初録音。翌年この初リーダー作「ランデヴー・ウィズ・ナウ」を録音した。彼のカナダ時代からの仲間Bernie Senensky(p)Claude Ranger(ds)に加えCecil McBee(b)Sat Guru Singh Ji(percvocal)Faith&Hope(vocal)が参加。彼のギターはソニー・シャーロックほど破壊的ではなく、例えて言えばカルロス・サンタナがジョン・コルトレーンの曲を演奏している感じか。シングル・トーンを 連ねるフレーズには、コルトレーンのサックスの音をギターに移し替えたような所がある。この徹底したシングル・トーンの演奏は、コルトレーンのサックスをギターで表現したいのではなかろうか。ギターの音も存在感のある豊かな音色だ。彼の音楽は、彼自身の宗教観に深く根差したもので、同じく自らの音楽に宗教観を反映させたコルトレーンに彼が惹かれるのは、自然の成り行きだったろう。20分を越える1曲目が圧巻。徐々に彼のギターの音が熱く高揚して行く。2曲目以降はヴォーカルも含めた短めの演奏。その後は盟友セネンスキーを核に置いて、ボボ・モーゼス(ds)、ラシッド・アリ(ds)、ジョン・メデスキ(org,keyb,p)、マリリン・クリスペル(p)、ラヴィ・コルトレーン(ts)、デイヴ・リーブマン(ts,ss)等と共演し、アルバムの多数リリースして行った。

 

218~Michal Urbaniak's Group(Muza/1971)

Michal Urbaniak/ミヒャル・ウルバニアク?は、ポーランドではヴァイオリンの神童としての扱いを受け、モスクワに行き、オイストラフに習った。その頃ジャズに出会いカルチャー・ショックを受けて、ジャズ・ミュージシャンの道を歩むようになった。ジャズをやるならサックス!と思ったのかどうかは知らないが、ソプラノ、テナー、バリトン・サックスも演奏するようになった。73年に渡米し、主にフュージョン・シーンで大活躍をしている。そこではサックスは止めてヴァイオリンに専念している。このアルバムは、71年ワルシャワ・フィルハーモニックにおけるライヴ録音。M・Urbaniak(vln、ss、ts、bs)、Adam Makowicz(p、Hohner Clavinet)、Pawel Jarzebski(b)、Czeslaw Bartkowski(ds)のカルテット。ウルバニアクはヴァイオリンよりも、各種サックスを吹いている方が多い。これがなかなかの腕前。A面は20分の組曲。B面はコメダ作の「Crazy Girl」、スタンダード・ナンバー「Body And Soul」、そしてオリジナルの「Jazz Moment No,1」の三曲。渡米後の彼の姿からはとても想像出来ない熱い演奏で、「Body And Soul」はまるでDavid Murrayが演奏しているかのよう。時代がそうさせたのか彼の最も過激な時代だ。その後はフュージョンに大きく転向して行った。その名も「FUSION」という名前のグループだった。

217~Tomasz Stanko:Jazz Message From Poland(JG Records/1972)

Tomasz Stanko/トマシュ・スタンコ?は、1942年ポーランド生まれのトランペット奏者。ピアニストのAdam Makowiczと結成した「ジャズ・デアリングス」は、ポーランド初のフリー・ジャズ・グループ。Krzysztof Komedaのグループに長期間参加し、大きな影響を受けている。このアルバムは、1972年旧西ドイツでのライヴ録音。Zbigniew Seifert(vln)Janusz Muniak(fltsperc)Bronislaw Suchanek(b)Janusz Stefanski(dsperc)という布陣。79年死去したZSeifertのヴァイオリンはSide A、2曲目「Heban」という曲で長いソロが聴ける。全体的に緊迫した空気が漂うクールな演奏。これは、スタンコの音楽が現在も持ち続けている特徴だ。ECMから大量のアルバムがリリースされ続けているのも頷ける。だが、決してホットにならない訳ではなくて、Side B後半ではかなり激しい演奏にもなっている。スタンコもグローブ・ユニティに参加した事がある。過激な演奏もお手の物なのだ。ベースをHans Hartmannに変えた同じグループで翌年ミュンヘンで「Purple Sun」が録音されている。70年のMUZA盤「Music For K(ザイフェルトはアルト・サックス)と、74年のMUZA盤「Twet」(ピーター・ウォーレン、エドワード・ヴェサラが参加)に、80年以降の録音を5枚収めたCDBOXが発売されている。87年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでの演奏は、「Tomasz Stanko Free Electronicによる演奏で、シンセサイザーやエレクトロニクスを大幅に導入した演奏に大きく変貌していた。スタンコのトランペットの音は、こうしたエレクトロニックなサウンドの中にあっても違和感のないものだ。一人のミュージシャンの進化の具合が窺い知ることが出来る便利なCDBOX

216~Joseph Bowie&Oliver Lake(Sackville/1976)

Joseph Bowie/ジョセフ・ボウイは、1953年ミズーリ州センントルイス生まれのトローンボーン奏者。アート・アンサンブル・オブ・シカゴのレスター・ボウイと、R&Bのアレンジャーでサックス奏者のバイロン・ボウイの弟。80年代はバイロン(ts)と、ファンクとパンク・ロックとフリー・ジャズを融合したユニット「DeFunkt」を結成し活躍した。ボウイ兄弟はセントルイス生まれで、オリヴァー・レイクとは同郷になる。O・レイクらが同地で組織した「ブラック・アーティスト・グループ」(BAG)に参加した。チャールズ・ボボ・ショウの「ヒューマン・アーツ・アンサンブル」にもO・レイク共々参加しており、二人の共演歴は長く数多い。ジョセフがこのアンサンブルに参加したのは、まだ15歳だった。O・レイクの傑作アルバム「ヘヴィー・スピリッツ」には、ジョセフも参加している。そんな二人の濃密なデュオ・インプロヴィゼイションが聴けるのが、このデュオ・アルバム。76年カナダ、トロントの「Space」でのライヴ録音。このアルバムはリリース当初から評判が高かった。デファンクト以降のジョセフ・ボウイしか知らない人には驚きの一面かもしれないが、彼はオリヴァー・レイクと対等に渡り合える程のインプロヴァイザーなのだ。兄レスター・ボウイのトランペットは、アフリカン・アメリカンの音楽の歴史を一手に引き受けたような音を持っていた。クラシックで望まれるトランペットの音色とは、真逆を行くもので、そこには人間の喜怒哀楽、そして諧謔溢れる豊かな音だった。弟ジョセフのトローンボーンの音も、レスターの系譜を継ぐもので、豊かな表現力を有する。同じことはオリヴァー・レイクのサックスの音にも言える。これは、アフリカン・アメリカン共通してのジャズ等のブラック・ミュージックを演奏する者に要求される最低限度の要素だろう。それを土台にして、次の音楽を目指すのだ。

215~Robin Kenyatta:Beggars And Stealers(MUSE/1969)

Robin kenyatta/ロビン・ケニヤッタは1942年サウス・カロライナ州チャールストン生まれ。ソプラノ、アルト、テナー・サックスとフルートを吹く。ジョン・ハンディにサックスを習った。ビル・ディクソンに認められ「ジャズ10月革命」に参加。初リーダー作「Until」に続く、69年録音の本作は、おそらく当時の彼のレギュラー・グループだったのだろう。Larry Willis(p)、Walter Booker(b)、Alphonse Mouzon(ds)が参加。「ジャズ10月革命」に参加したといっても、彼の場合はアイラー達のようなフリーキーな音を出し、疾走するタイプではない。正直、このアルバムが「フリー・ジャズか?」と言われると「?」となる。「アフリカン・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブル」という名のグループを作っている事で、彼のスタンスが伺い知れるだろう。自らの血に忠実に振舞った音楽だ。濃厚な味わい。一曲だけMuhal Richard Abrams(p)とのデュオも収録されている。

214~Tsuchitori Toshiyuki/土取利行;Breath(D・Y・M/1979&80)

これは「DYM」というレーベルからリリースされた土取利行の三枚のアルバムからの一枚。1作目はドラム・ソロ。2作目の本作はヴォイスのソロ(竹の笛、ボリビアの笛、ハルモニウム等も)。3作目はアフリカ人ミュージシャンとのアンサンブル。この時期彼のライヴには、よく足を運んだものだった。すでにジャズとは遠い地点に立っている彼の姿があった。各地の民族音楽を吸収し、ナチュラルな彼独特の音楽を創造していた。ライヴでもよく声を使っていたが、本作はその声を中心に演奏され録音されている。声といっても、所謂ヴォイス・パフォーマーのそれではなく、例えばフィル・ミントン達のようなグロテスクな奇声は発しない。息そのものを聴く感じ。竹の筒に息を吹き込み、ハルモニウムの伴奏で祈りの声を発する。あたかも電子音が鳴っているかのような瞬間も。彼は、その後サヌカイトを演奏したり、縄文時代の音楽がどうだったかを研究するようになるが、ここでの声、喉、息を使った演奏は、そんな土取利行に直結した表現になるのではないだろうか。声を発することによって、別の世界、別の宇宙に土取だけでゃなくて、私達聞き手をも連れて行ってくれるような気分にさせられる。と、書くとなんだか、ヒーリングだとかスピリチュアルだとかと錯覚してしまうかもしれないが、どうもあながち間違ってはいないような気もする。精神世界に深く入り込んでしまうような音楽ではある。

213~Moriyama Takeo/森山威男:Full Load(FRASCO/1975)

森山威男の初のリーダー・アルバム。「黄金の山下トリオ」在籍時、75年の録音。芸大打楽器科の四年先輩の百瀬和紀、五年先輩の山口保宣(恭範)とのパーカッション・アンサンブル。最初は全部譜面に書かれた曲をやるつもりだったようだが、結局何の制約も無い完全なフリーな即興になった。ヨーロッパを震撼させた怒涛のフリー・ジャズ・ドラマーと、クラシック&現代音楽の代表的打楽器奏者とのフリーな即興演奏というだけで、色々な想像をしてしまう。「現代音楽風?」、「三人で突っ走る山下トリオ風怒涛のフリー?」等々。聴く前から楽しいではないか。一曲目は、森山のパワフルなドラムに、二人の打楽器奏者も強力に反応しあった演奏。疾走感が気持ち良い。二曲目は、ヴァイブラフォンとマリンバが疾走。三曲目は、「静の山口」の面目躍如たる静かな演奏。相当ユニークなアルバムだ。

212~Peter Brotzmann&Han Bennink:Schwarzwaldfahrt(FMP/1977)

Peter Brotzmann/ペーター・ブロッツマンとHan Bennink/ハン・ベニンクはドイツの「黒い森」の中を度々ドライヴしていた時、「この自然の中に入って演奏したいと思うようになった。77年5月9日から11日の三日間、それは現実のものとなった。曇り空の寒い日に楽器を持ち込み、自然界の音とのセッションは開始された。「黒い森に怪獣出現」とか「黒い森に猛獣出現」といった表現が似合う演奏から、バードコールを吹いて森の住人と同化する演奏、子供が川の中にドボンと入って石を投げたり、水をバシャバシャやったりしているような「演奏」まで、様々な「演奏」がCD2枚(LPは1枚だった)に収められている。二人は終わって帰って、ブロッツマンは大酒を飲み(イメージ通り)、ベニンクはホット・ミルクを飲んだ。

211~Willem Breuker&Han Bennink:New Acoustic Swing Duo(ICP/1967)

Willem Breuker/ウィレム・ブロイカーは、1944年生まれのオランダのサックス、クラリネット奏者。作曲家。この67年録音のアルバムは同じくオランダのドラマー、Han Bennnink/ハン・ベニンクとのデュオ演奏が収録されている。ウィレム・ブロイカー、ハン・ベニンク、ミシャ・メンゲルベルクによって設立された「Instant  Composers Pool」(ICP)の記念すべき第1弾。ブロイカーはその後「ICP」を離れ、70年代に自身のレーベル「BVHaast」を設立した。ブロイカーはソプラノ、アルト、テナー・サックスとクラリネット、バス・クライネットを吹く。ベニンクはドラムの他タブラも含めた打楽器も叩く。というか、ぶっ叩く!この二人のパワーは半端じゃない。しかし、ただのエネルギー・ミュージックではない。ある一点を目指して猪突猛進ではないのだ。怒涛のフリー・ジャズは意識的に回避されている。明らかにフリー・ジャズから次へのステップを感じることが出来る。音楽がより多面的に進行しているのだ。瞬時に別の方向に演奏が向いて行ったり、止まったり。「ニュー・アコースティック・スウィング」という言葉が次へのステップを暗示している。同年録音されたコルトレーンとラシッド・アリのデュオ「Interstellar Space」と比較すると分かり易い。こちらはまだ「フリー・ジャズ」の範疇からの逸脱は期待されていない。凄い演奏なのには間違いないが。

210~Chris Mcgregor's Brotherhood Of Breath(RCA NEON/1970)

Chris McGregor/クリス・マクレガーは、1936年南アフリカ、サマーセット・ウェストでクリスマス・イヴに生まれた白人のピアニスト。62年Dudu Pukwana(as)、Johnny Mubizo Dyani(b)らと伝説的グループ「ブルーノーツ」を結成。64年アンティーヴ・ジャズ祭に出演後帰国せず、その後イギリスやフランスに住んだ。70年に旧南アフリカ勢にイギリスの精鋭を集め総勢13名の「ブラザーフッド・オブ・ブレス」を結成。当時は皆若かったかもしれないが、現在から見ると正にイギリスのオールスター・バンド! Louis・Moholo(ds)、Harry・Miller(b)、Dudu・Pukwana(as)、Malcolm Griffiths(tb)、Nick Evans(tb)、Mongezi・Feza(pocket-tp)、Mark Charig(tp)、Harry Beckett(tp)、Ronnie Beer(ts)、Alan skidmore(ts、ss)、Mike Osborne(as、cl)、John Surman(bs、ss)そしてリーダーのChris McGregor(p、African-xylophone)という布陣でグループのファースト・アルバムを収録した。このグループはメンバーは変わるも90年に彼が亡くなるまで継続された。彼やプクワナの作った曲は、彼らの故郷を思わせる美しく楽しいメロディーに満ち溢れている。迫力のあるアンサンブルに強力なソロ。演奏はダイナミックに展開する。20分を越える「ナイト・ポエム」は快演! 鳴り続くシロフォンを中心に、音楽は刻々と姿を変える。

209~Louis Moholo:Spirits Rejoice!(Ogun/1978)

Louis Moholo/ルイス・モホロは1940年南アフリカ、ケープタウン生まれのドラマー。Chris McGregor/クリス・マクレガーのグループ「ブルーノーツ」に参加した。その後グループは南アフリカを出国。67年以降はイギリスで活躍をする。Dudu Pukwana(as)

、Johnny Mbizo Dyani(b)、Mongezi Feza(tp)ら南アフリカ出身の者達と、ヨーロッパのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックにアフリカの血を注入した。この78年録音のアルバムは、同じく南アフリカ出身のHarry Miller(b)が設立したレーベル「OGUN」からリリースされたもの。モホロ、ディアニ、ミラーの南アフリカ勢に加え、Evan Parker(ts)、Kenny Wheeler(tp)、Keith Tippett(p)、Nick Evans(tb)、Radu Malfatti(b)のイギリス勢が加わったアンサンブル。アフリカの空や空気や太陽や大地を感じさせるメロディーが流れた後には、熱く激しい演奏が続く。トロンボーンを二人入れたことでアンサンブルに厚みが出た。エヴァン・パーカーはテナー・サックスに専念して、ここでは豪快な「フリー・ジャズ」を演奏している。モホロのドラムは特有のバネを感じさせる。同じ「フリー・ジャズ」をやっても、他のヨーロッパのドラマーとは違いが出る。それが彼がアフリカから持ち込んだ血なのだろうか。

208~Cecil Taylor:Indent(Unit Core/1973)

Cecil Taylor/セシル・テイラーは1933年NY生まれのピアニスト。オーネット・コールマン共々50年代のジャズの大きな飛躍の一翼を担った「闘将」! その類まれなスピード&パワーでもって、ジャズ界の正面突破を図った正に「闘将」。正面突破とは表現したが、昔も今もジャズ・ジャーナリズム、ジャズ・ファンにはどこか端っこの枝葉くらいの認識しかないのかも知れない。今の今まで冷徹な態度を取って来たと言えよう。今年2014年の京都賞の受賞というニュースも昨今の日本のジャズ界ではどこまでの衝撃だったのかは不明。さて、これは73年3月11日のオハイオ州、アンティオーク大学でのライヴ録音だ。当時彼はこの大学で講座を持っていたようで、このライヴはそんな中で行われたのだろう。「INDENT」とは「ギザギザ」のこと。ピアノ・ソロによる正にギザギザにされた音楽が、猛スピードで突進して来る。無鉄砲に突っ走っている訳ではない。彼は構造を大切にする。フリー・ジャズと言えば野放図な咆哮(猫の喧嘩に例える者もいるが)のイメージを持たれるが、C・テイラーの場合は全体の構造を大切に考える。彼の言葉に「フリー・ミュージックなんて存在しない。」が有る。ある意味頷ける言葉だ。このライヴの2ヶ月後C・テイラーはユニットで来日した。ユニットの録音の他ソロ・アルバムも収録された。「INDENT」と東京でのソロこそ数有るピアノ・ソロ・アルバムの最高峰の一つに違いない。

207~Alexander Von Schlippenbach:Piano Solo'77(FMP/1977)

Alexander Von Schlippenbach/アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハは1938年ベルリン生まれのピアニスト。ドイツを代表するというよりも、ヨーロッパを代表するピアニスト、作曲家。いや、前衛ジャズの世界では世界でも屈指の存在。この77年録音のピアノ・ソロ・アルバムは72年Enjaからリリースされた「Payan」に次ぐソロとしては2作目のアルバム。今回は自身のお膝元FMPからのリリース。70年代前半突如としてジャズ界にピアノ・ソロ・ブームが巻き起こった。きっかけは71年のチック・コリア「ソロ」、キース・ジャレット「フェイシング・ユー」というECMからリリースされたアルバムだった。その後「ソロの必要が有ったの?」というようなのまで粗製濫造された。A・シュリッペンバッハやC・テイラーらのピアノ・ソロ・アルバムがそのようなブームに乗ったシロモノの訳が無く、彼らの場合はソロは必然だ。そもそもピアノは単旋律の楽器ではなく、クラシックの場合を見れば一目瞭然で、ピアノ一台あれば音楽は十分成り立つ。A・シュリッペンバッハの場合、ドラムやベースなんかいなくたって、一人ピアノに向かえばひとつの大きな世界を構築出来る音楽家なのである。セシル・テイラー然り。さて、このアルバムだが、ドイツの音楽だなあーとしみじみ思う。こう言えばステレオタイプと言われても仕方がないのだが、質実剛健というか、「ベートーヴェンの血」というか、音楽のブロックをどんどん積み上げて最後に大きな建造物が出来たというイメージをこの演奏から感じるのだ。即興は過程を聴く音楽で、全体の構造を見る必要が無いとも言える。始めも無ければ終わりも無い様な演奏も多い。だが、「終わらせ方」が大事な即興も有る。ここで聴かれる演奏は、部分部分の過程を追うのも楽しく、聴き終わった後大きな構造物を眺めている気分にもさせられる。ジャンルを超越したピアノ・ソロ・アルバムの傑作。

206~Alice Coltrane with Strings;World Galaxy(Impuls/1971)

Alice Coltrane/アリス・コルトレーン、言わずと知れたジョン・コレトレーン夫人であり、ピアノ、オルガン、ハープを演奏し作曲家でもある。コレトレーンの後継者は誰?との話を聞くと「アリス・コレトレーンに決まっているだろう。」と私は思う。単に音楽のスタイルの問題ではなくて、コルトレーンの精神世界までも表現出来るのは彼女以外考えられない。ではただ単に彼女はコルトレーンの衣鉢を継いだだけの存在か?勿論違う。彼女のリーダー・アルバムを聴けば分かることだ。彼女でしか表現し得ない世界がどのアルバムからも聴こえて来る。71年録音のこのアルバムは、アリス・コルトレーンと言うよりも、彼女のヒンドゥー名、トゥリア・アパルナとしての音楽を開花させた作品と言ってもよいだろう。15人編成のストリングスが混沌とした渦を巻き、美しい旋律を奏でる中をアリスのオルガン、ハープ、ピアノが泳ぐ。そして時々フランク・ロウ、リロイ・ジェンキンスのソロが爆発する。最後に彼女のグル、スワミ・サチダナンダの語りで締め括る。アルバムの冒頭と最後はコルトレーンの愛奏曲(マイ・フェイヴァリット・シングスと至上の愛)を使ってはいるが、紛れもなくこれはアリス・コルトレーンその人の音楽だ。タイトルに「with Strings」となっているが、ストリングスの使い方がそこらへんに転がっているジャズの「with Strings」と思ったら大間違い。

205~Sunny Murray:Big Chief(EMI PATHE/1969)

Sunny Murray/サニー・マレイは、1969年アルジェで行われた「パン・アフリカン・フェスティヴァル」に出演後、数ヶ月間パリに滞在した。その間BYGに3枚と、そしてこのアルバム「Big Chief」を録音している。BYG盤は、マレイ同様にフランス滞在中のアメリカ人ミュージシャンとの共演だったが、このアルバムではAlan Sikva(b)以外はFrancois Tusques(p)、Beb Guerin(b)、Bernard Vitet(tp)等フランス勢(K・Terroadeはジャマイカ出身)との共演。A面はマレイの扇動的ドラムに駆られ全員が燃えるような激しい集団即興を繰り広げている。まさに怒涛の演奏。F・Tusquesのピアノが凄い。B面は一転スローな曲から始まり、次はH・Le Roy Bibbsによる力強く高揚感のある詩の朗読に演奏が被さる感動的な一曲。最後は美しいメロディーの短い曲で締めくくる。S・マレイは豊住芳三郎に召喚され日本ツアーをしたことが有る。

204~Umezu Kazutoki/梅津和時&Tom Cora:Abandon(Umiushi Record/1987)

梅津和時は、日本の80年代を象徴するような(と言っても、バブルで儲かったといった話ではなくて、ジャズの枠から拡大して行った・・。)人。生活向上委員会大管弦楽団での活躍。80年、原田依幸とドナウエッシンゲン現代音楽祭への出演。同年RCサクセッションに、片山広明と共に「Blue Day Horn」のメンバーとして参加。81年「ドクトル梅津バンド結成」(86年、「D・U・B」に改名。88年解散。その後、高田みどり、れいち、橋本一子と「DIVA」結成。)数多くのヨーロッパ・ツアーをこなす。忌野清志郎とは「Doctor Umezu Band&Kiyoshiro:Danger」(82年)もリリース。87年からは、アメリカでも活躍。ニューヨークを中心に数多くのセッションを重ねて行った。これは、そんな中の一コマで、梅津和時(as)とTom Cora/トム・コラ(cello)の、1987年NYCのルーレットでのライヴ録音。梅津和時はこの日はバス・クラリネットやソプラノ・サックスは封印してアルト・サックスに専念。全8曲トム・コラのチェロとの一騎打ち。正に「鍔迫り合い」の言葉が似合う。似合うのだが、ここには切った張ったの殺伐した空気は流れてはいない。Hot&Cool、あるいは「明るい」と表現してもいいかもしれない。眉間に皺を寄せて深刻ぶった演奏ではない。だがしかし、こんなに「丁々発止」の反応を見せる一瞬の隙も無い即興演奏なんてそうそう聴く事は出来ない。お互いの引き出しの多さ、反応の速さ、読みの深さの凄い事! 人は、次の行動を起こすのに、脳はその10秒前にはスタンバイしているそうだが(!)、ふたりはもっと早いのでは? デュオ・アルバムは星の数ほど有れど、このアルバムはその頂点に立つアルバムの一つに違いないと確信する。ある時(90年代初頭)、梅津さんとこのCDの話になった事があった。「あれを出した後は、もうこれ以上CDは出す必要はないと思ったくらい。」と言われていた。そろそろ再発してもいい頃ではないでしょうか。

 

203~生活向上委員会大管弦楽団;This Is Music Is This!?(Teichiku/1979)

何とも人をくったようなバンド名と言うか「楽団名」だ。「生活向上委員会」の歴史?は意外と古くて、国立音大クラリネット科在籍中の梅津和時と原田依幸のデュオで活動していた1971年から始まる。梅津は74年単身渡米。翌年盟友原田を「NYのビールはうまいぞ。」と騙しておびき寄せ・・いや呼び寄せ「生活向上委員会N・Y支部」を創設。そしてLPをリリース(ベースがウィリアム・パーカー!)。帰国後「集団疎開」を結成。それが核となってこの大管弦楽団は出来た。ドハデな衣装に破天荒なステージに目を付けた当時のマスコミに取り上げられTVでもそのステージの一部が紹介されていたものだ。オリジナル曲のなかなかマヌケな曲名(変態七拍子等)や、見た目のラリパッパさ加減に惑わされてはいけない。メンバーの多くはその後も日本の音楽シーンをお騒がせし続けた実力派揃い。梅津&原田コンビ、早川岳晴、片山広明、篠田昌己、板谷博、佐藤春樹等々。一見サン・ラ・アーケストラ風なれど、「生向委」はよりユーモア、風刺に富む。オジナル曲の中にエリントン・ナンバー「A列車で行こう」が入っている。デュークの微笑んだ顔、いや大笑いした顔が浮かぶ名演。最後の「青年の主張」は、「向上の歌」、「生活向上委員会会歌」、「変態七拍子」が続く組曲?。当時貧乏だったバンド・メンバーの悲痛な叫び「金をくれ~。」が心にしみる今日この頃。

202~The Blue Denim Deals Without The Arms:'Armed Forces' Day(Say Day-Bew Records/1977)

これはアラバマ州Tuscaloosaと言う所で1977年の夏に録音された5人から10人までの集団即興演奏が8曲収められている。Davey Williams(gasvoiceclbanjo)La Donna Smith(percvoicepclrecorderaccordionorg、g)の二人以外は聞いたことも無いミュージシャンばかりで、その後もどこかのアルバムで見かけたなどと言うこともないミュージシャン達だ。おそらく地元や近郊から集まった者達なのだろう。各人が何種類もの楽器を持ち替えながら演奏をしているようだ。色々な音が飛び交っている。ユージン・チャドボーンを思わせるようなアコースティック・ギターやバンジョーのノイジーな音が耳に付く。名人芸を披露するような演奏ではなくて、ひたすら混沌とした音空間に大勢が戯れている感じ。しかし、誰か一人に引っ張られて行ったり、パターンにはまり込むことなく自由気ままに音を放っている。実は、これが意外とアマチュアレベルでは難関なのだ。たいてい、音の大きい者や主張の強い者に合わせてしまい、演奏がパターン化してしまい、どうにも身動きが取れなくなって来ることが多い。この演奏の前に、ウィリアムスとスミスの即興演奏のワークショップでもあったのかもしれない。または、私が知らないだけで、集まったミュージシャンは、みんなひとかどの者達の集まりだったのかもしれない。突然C&W風な音が出てきたりと、結構ローカル色が味わえる。80年前後は日本でもこうした混沌としてこの先どこへ向かうのか分からないような集団即興演奏のライヴが結構聴けた。しかし、いつも同じような感じがして次第に飽きて来たものだったが、実はミュージシャン自身もどうしたらこの泥沼(毎度毎度同じような演奏に陥ること)から抜け出ることが出来るか悩んでいたそうだ。これは高木元輝さんの証言。

201~Henry Kuntz:Cross-Eyed Priest(Humming Bird Records/1979)

1980年頃だったか、全く知らない、名前すら聞いたことがないミュージシャンから自己紹介がてら数枚のLPが送られて来た。Hennry Kuntz/ヘンリー・クンツと言うアメリカ西海岸で活動しているテナー・サックス奏者だった。サックス・ソロとHenry Kaiser/ヘンリー・カイザー(g)とCharles K.Noyes/チャールズ・K・ノイズ(ノイエス?)(ds)とのトリオ、そしてGreg Goodman/グレッグ・グッドマン(p)とのデュオが収録されている。当時はヘンリー・カイザーだのグレッグ・グッドマンと言っても、まだまだ知る人ぞ知る存在だった。情報はせいぜい国内で発行される雑誌くらいしか無かった時代だ。ヘンリー・クンツの演奏は、これはもうひたすら大きく息を吸い込んで思いっきり音をぶちかますと言うもの。正直初めて聴いたときは?マークが何個も頭の中を飛び交った。「音楽がこれでいいのか?」と。演奏の展開とか何も考えていないような、ただただゴー!と鳴らしっぱなし、吹きっぱなす。ブロッツマンでもここまではやらない。しばらく聴くこともなくLPは棚の奥底に入り込んでしまった。しばらく経ってから聴いてみると、私の耳の許容入力が増したのか、結構面白がって聴いている自分がいた。その頃には私の耳も新感覚のImprovisationやノイズ(とは、少なくとも私は、その頃は認識していなかった。あくまでもロックの新しい一形態と考えていた。)の潮流に飲み込まれていたので、ヘンリー・クンツのフレーズの欠片も無いノイジーな演奏にも抵抗なく入って行けたのだった。80年代からの彼の興味は、中南米、東南アジアの民族音楽に向かって行く。演奏する楽器も、プリミティヴな笛や、ガムランの楽器類、メキシコの小さなヴァイオリン?等々。Avant Sharmanic Trance Jazz Group Opeyeや、これを拡大したOpeye Ochestraで、全く方向性の真逆のような演奏をしている。彼の自主レーベルからは、これまで2枚のLP、16本のカセット・テープ、6枚のCDがリリースされている.

200~Siegfried Kessler&Jean-Francois Pauvros:Phenix 14(Le Chant Du Monde/1978)

Siegfried Kessler/ジークフリート・ケスラーは、1935年ドイツ、Sarrebruck生まれのピアニスト。4歳からピアノを始め、10歳でコンサートを開く。バッハ、ラヴェル、ショパン等を弾くコンサート・ピアニストだったが、57年以降はジャズの道を進んでいる。ファールト・リーダー・アルバムは、バール・フィリップス(b)とスティーヴ・マッコール(ds)とのトリオのパリでのライヴ録音。「Live At The Gill’s Club」(69年)アグレッシヴな演奏が聴ける。1980年頃だったか、新宿のジャズ喫茶「DIG」に行く度に彼のアルバム「Invitation」がかかっていた時があった。アーチー・シェップが参加しているアルバムだ。これが良かったのでDIGから新宿Disk Unionまで足を伸ばし、S・Kesslerのアルバムと言うので買ったのが、この「Phenix 14」と言うギターリストJean-Francois Pauvrosとのデュオ・アルバムだった。聴いてびっくり。さっきまで聴いてたあの「Invitation」とはまるで音楽が違うではないか。相方のジャン・フランソワ・ポーヴロスの演奏はこの時初めて聴いたのだったが(そもそも彼の存在すらそれまで知らなかった)、これはマットーなジャズ・ギターとはまるで違うではないか!? お目当てのケスラーもピアノはそこそこにして、オルガンやクラヴィネットにご執心。プログレッシヴ・ロックでもなく、ジャズでもなく、フリー・ジャズでもない。即興演奏であることには間違いない。アコースティック・ピアノとギターの演奏を聴いても、まるで電子音楽といってもよいくらいの音響なのだ。今はジャンルの壁が相当に曖昧模糊となって来て、そこからまた新たな音楽が生まれて来ようとしている時期と言って良いと思っているが、これはそれを30年以上前に先取りしているようだ。話が脱線するが、このLPを間違えて45回転で再生してしまったことがあった。これが違和感なく聴けたのでビックリ。

 

199~Jean-Francois Pauvros&Gaby Bizien:No Man's Land(Un-Deux -Trois/1975)

超個性派ジャック・ベロカル、ジルベール・アルマンと結成した「カタログ」で有名な?jean-francois Pauvros/ジャン・フランソワ・ポーヴロスと、ドラマーのBaby Bizien/ギャビー・ビジアン?とのデュオ・アルバム。この75年の録音のド・マイナー盤がCD化された時は驚いたものだった。とにかく”75年”である。フレッド・フリスの驚きのギター・ソロ・アルバムが録音されたのは、この前年の74年である。この時期、ギターとドラムをハード・プレイではなくて、エレクトリック・ギター(ロック・テイストと言おうか)を使い音を断片化する方向で演奏していた者はまだまだ少なかった。フリーなギターと言えばデレク・ベイリーのヴェーベルンを想起させるあの点描か、高柳昌行の集団投射、F・フリスやK・ロウのプリペアードされた音やテーブル・ギターの解体された音がすぐ思い出される。ポーヴロスのギターの演奏はロック等で使われるサウンドを直接即興に持ち込んだもので、同じ音を解体し断片化するベイリーとはその出自の違いを感じる。現在の即興演奏に現れるギターのサウンドは、ベイリーの音よりも、このポーヴロスに似た音の方がより大きく波及しているように思える。これは、ロック系から即興に入って来た者の多さからから来るものなのだろうか。時々二人が持ち出す、バラフォン、アルジェリアン・トランペット等も、民族色はどこえやら、解体され音の粒子へと還元されてしまう。しかし、無機質な感触では無い。

198~The 360 Degree Music Experience:In:Sanity(Black saint/1976)

360度音楽経験と言う名前のグループは、60年代の終わりにドラマーのBeaver Harris/ビーヴァー・ハリスがGrachan Moncur Ⅲ/グラチャン・モンカーⅢやDave Burrell/デイヴ・バレルらと結成したもの。75年には自主レーベルを作り「From Rag Time To No Time」をリリース。総勢18名のミュージシャンが参加した力作だった。翌年イタリアのBlack Saintからリリースされたセカンド・アルバムは、13人と少し小規模になってはいるが、前作に参加していたシタール奏者Sunul Garg、コンガのTitos Sompa、スティール・ドラムのFrancis Haynesらこのグループの名前の「360度音楽経験」を強く暗示させるメンバーは引き続き参加している。シタールは少し顔を覗かすだけだろうと思っていたら、ソロも多いし、集団即興になる所でも、しっかり音が聴こえている。1曲目はD・バレル作のラテン歌謡のような甘味な曲で、この後何が起こってもおかしくないような雰囲気を暗示しているかのよう。「Open」と言う曲では、21分30秒の間Hamiett Bluiett/ハミエット・ブルーイェットのバリトン・サックスが豪快に鳴り響き続ける。

197~George Lewis&Douglas Ewart:Jila-Save!Mon.-The Imaginary Suite(Black Saint/1978)

George E.Lewis/ジョージ E.ルイスとDouglas Ewart/ダグラス・ユアートの78年録音のデュオ・アルバム。二人共AACMのメンバー。D・ユアートは、ジャマイカのキングストン生まれのアルト・サックスとフルートの奏者だが、手製のバンブー・フルート等も使い、尺八も吹く。80年代しばらく日本に滞在し、中村明一や斎藤徹らと共演していた。G・ルイスは現在ではコンピューター・ミュージックの作曲家としてもよく知られ、「コンピューターが即興演奏をする」ヴォイジャーを開発した。このアルバムでもエレクトロニクスを使っており、後年の姿を暗示させる演奏をしている。アコースティックな演奏も素晴らしいが、今の耳にはやはりエレクトロニクスを使った演奏の方に強く興味が沸く。電子音がドローンのように流れ、その上を二人のアコースティック楽器、トロンボーン(曲によっては電子変調を施されている)やアルト・サックス、バス・クラリネット、フルート等の音が浮いては消える。電子音とアコースティックな楽器の音が絶妙なバランスで混ざり合っている。リリース後すぐに買ったが、今でもよく聴くアルバムだ。

196~Kanai hideto Group/金井英人;Q(Three Blind Mice/1971)

金井英人は、1931年生まれのベース奏者。61年高柳昌行と「ジャズ・アカデミー」を設立。翌年「新世紀音楽研究所」に発展する。そこには若き日の富樫雅彦、山下洋輔、日野皓正、菊地雅章らの姿があった。研究所解散後、斬新なオーケストラ「キングス・ロアー・オーケストラ」を作った。71年録音のこのアルバムは、金井のレギュラー・グループの演奏では無い。Three Blind Miceの藤井武氏の「もう一度、銀巴里のメンバーを結集して、あの感激を現在の愛好家の人達と分かち合う様な企画が出来たら。」の思いを実現させた企画だった。勿論銀巴里へのノスタルジーだけで作られた音楽ではない。金井の作った曲以外に選ばれたのは、現代音楽の作曲家、水野修孝と七ツ矢博資のこの企画の為に委嘱された曲だった。現代音楽の作曲家と言っても、彼らは常々現代音楽にジャズの持つエモーションを取り込みたいと考えていた者達だった。当時若手の有望株だった峰厚介(as)、当時東京に滞在中だったアラン・プラスキン(as)、日野元彦(ds)、山崎弘(ds)、神田重陽(シロフォン)、原田忠幸(bs)、鈴木雅通(tp)、小泉浩(fl)、そして高柳昌行(g)が集められた。水野と七ツ矢の曲は、現代音楽の作曲家の作品ではあるが、現代曲の響きとは趣は異なる。彼らが望んでいた「エモーショナル」な演奏をジャズ・ミュージシャン達が実現してみせた。水野の曲は6人編成ながらもビッグ・バンドのような重厚な演奏。金井のベースの音は一音の重み、存在感が凄い。金井英人こそ現代日本のジャズの礎を築いた一人として高柳昌行に匹敵する人物だ。

195~Ginparis Session/銀巴里 セッション june 26,1963(Three Blind Mice/1963)

1950年代の空前のジャズ・ブームが終りを告げた60年頃の東京では、日本人ジャズ・ミュージシャンが演奏出来る場所はほとんど無かったそうだ。ジャズ・ミュージシャンの中でも特に新しいジャズを模索していた仲間だった金井英人(b)、高柳昌行(g)、富樫雅彦(ds)、菊地雅章(p)達は自分達のやりたいジャズの演奏が出来る所を探していた。銀座に有るシャンソン喫茶「銀巴里」が理解してくれて、金曜日午後を彼らに提供してくれたのだった。更に彼らは、1~2ヶ月に1度、深夜12時からオリジナル曲だけのライヴを続けた。63年6月26日のこの録音は、いささか事情が違っており、オリジナル曲は金井英人の「Obstruction」のみ。この時はこれから社会と隔離された所に行かなければならなかった高柳昌行の「お別れ会」と、そこから帰ってきた富樫雅彦の「歓迎会」の意味合いがあったからだった。1曲目の「Green Sleeves」は高柳(g)、富樫(ds)、金井(b)、稲葉国光(b)による18分くらいの演奏。この「Green Sleeves」こそ数有るこの曲の録音でも屈指の名演でなないだろうか。高柳の1音に重みのある厳しいギターの演奏は、後年のギター・ソロの音に繋がる。次の菊地の「Nardis」も同じく厳しい音だ。これが63年の音かと疑いたくなる。富樫のドラムのキレ味の鋭いこと! 続く日野皓正や山下洋輔はまだまだ自分の音を作る遥か以前の演奏なのは仕方ないが、山下の後年の怒涛のフリー演奏とは打って変わって音数の少ない演奏が意外と言えば意外。これは、「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」の日本版的な意味合いを持つ、日本のアメリカの模倣に終わらない独自のジャズの夜明けを記録した貴重で重要なアルバムだ。岡崎市在住の医師、内田修氏による録音は、これ以外にもたくさん有る。現在岡崎市の図書館が内田氏が市に寄贈された多くの録音の中から佐藤允彦さんの監修で随時CD化されている。

194~TOK:Live(TRIO/1978)

TOK/トークは、加古隆がフランス滞在中に、ケント・カーター(b)、オリヴァー・ジョンソン(ds)と結成したトリオ。73年から75年までの間は、この三人はスティーヴ・レイシーやノア・ハワードのグループのリズム・セクションを務める間柄だった。S・レイシーの「The owl」、N・ハワードの「Berlin Concert」で聴く事が出来る。このアルバムはTOKの行った78年の日本ツアーの最終日を収録したライヴ・アルバム。S・レイシーの「The Owl」で始まる。加古のピアノがどことなくマル・ウォルドロンを思わせる。加古の「Drips」では、三者の激しいインタープレイを聴かせ、「Dreams」では緊張感溢れるバラード・プレイを聴かせる。カーターの曲「The Tune」は、目まぐるしく展開が変わる。プロデューサーは稲岡邦弥氏。近年CD化された折は、このコンサートの二日後にスタジオで録音された「TOK・ダイレクト・マスター」も収録されたお得盤。

193~Kent Carter:Solo with Claude Bernard(SUN Records/1975&76)

Kent  Carter/ケント・カーターは1936年ニューハンプシャー州ハノーバー生まれのベース奏者。63年バークリー音楽院に入学。翌年の「ジャズ10月革命」に参加した。ポール・ブレイ・トリオやジャズ・コンポーザーズ・オーケストラで活躍した後、70年からはフランスを拠点に活動する。スティーヴ・レイシーのグループでは、60年代の録音からカーターの演奏を聴く事が出来る。75年&76年録音の本作は、カーターのソロ・アルバム。一部アルト・サックスのクロード・ベルナールと、フルートのミカーラ・マーカスが加わる。ソロと言っても、カーターはベースの他、チェロ、ピアノ、そして「Playtime n.2」ではラジオも用いる。これは、S・レイシーにインスパイアーをされて作られた。これらの楽器を、(b&cello)、(p、cello、b)、(4 cello)、(2as、2cello)、(cello、b)、(radio、cello、b)、(p、b、fl、melodica)、(3cello、2as、b)といった組み合わせで多重録音されている。ベースやチェロ本来の美しい音からノイジーな音までを使い、それを色々に組み合わせ、さらにサックスやフルート、ラジオの音までも加えて、一人アンサンブル(3曲はサックスやフルートが入るが)で多彩な音模様を描き出している。現代音楽の弦楽アンサンブルのように聴こえる曲も有る。B面1曲目のラジオを使った曲が面白い。ラジオはその時どんな放送が流れ出すか分からないスリルが有る。傑作!

192~海童道/Watazumido;鹿の遠音~道曲吹定・海童道祖/Watazumidoso(日本フォノグラム/1970)

海童道(Watazumido)とは「自己の素晴らしさを見出し、宇宙即ち自然の大生命の躍動を自己の中に獲得していく自己練磨の道とされる。」(LPの解説による)杖術や書による修練の他、竹管を修行に用いる「吹定(Suijo)」がある。吸定とは技倆と精神の有形無形が一になる状態をいう。吸定を行う為の道具は「定具(Jogu)」と呼ばれる大小の竹管で、中は節を打ち抜いているだけで、尺八のようには磨いてはいない。これを尺八のように用い、古来伝承された旋律を用いて即興するもの。このアルバムは、1970年録音の海童道の開祖・海童道祖による吸定の記録。「鹿の遠音」、「降り葉」、「春佐」、「息観」、「鶴の巣籠」、「山越」、「三谷」、「鉢返」を演奏、いや吹定している。所謂尺八音楽とは一線を画す。いや一般的に考えられている音楽とも一線を画すと言ってもいいだろう。音楽は他者に聴かれる事を期待するし、されもする。が、ここでは己の修練の為、修行の一つとして竹管に息を吹き込む。その動作の練達と静観による「自然法」の実践なのである。とは言え我々はこれを聴く時は、一般的な「音楽」として「聴く」ことになる。なぜなら我々は修行している身ではないから。だが、やはり海童道祖の「定具」の「吹定」は、その他の尺八の演奏を聴くのとは聴く時の姿勢が違って来るのも確か。一本の竹からこんな多彩な音が出るものかと、まず驚くことになる。繊細な音、力強い音。深遠なる音の流れにこの身を伏す。エヴァン・パーカーやスティーヴ・レイシーといった達人も尊敬の念を抱いた。豊住芳三郎は海童道祖の弟子で、杖術を習っていた。前半が豊住と道祖夫人の舞踏のデュオ。後半が道祖の吹定と講演というステージは何度か行われた。豊住と道祖のデュオも計画されリハも豊住宅で行われるも道祖の死去により実現しなかった。

191~Milford Graves&Don Pullen:Nommo(S.R.P./1966)

Milford Graves/ミルフォード・グレイヴス(ds)と、Don Pullen/ドン・プーレン(p,以前は「ピューレン」と名乗っていた。)は、1966年エール大学でのコンサートの録音を二枚のLPに分けてリリースした。これは「NOMMO」とタイトルされたVol.2の方で、おそらくセカンド・プレスではないだろうか。デザインがオリジナルと違っている。実は、Vol.1を持っていないので、こっちのVol.2しか紹介出来ない。Vol.1は、PG-1.2の片面1曲ずつ。Vol.2は、side.1PG-3.4で、sibe.2PG-5となっている。晩年のドン・プーレンは、毎年のようにジョージ・アダムスとのグループで来日し、夏のジャズ・フェスティヴァルを大いに盛り上げてくれていた。このアルバムの録音当時はセシル・テイラーばりのパーカッシヴで激しいフリー・プレイを行っていた。グレイヴス相手にパワー・プレイを仕掛ける。しかし、このグレイヴスこそはハン・ベニンク共々東西両横綱と呼んでいい程のドラマーなのである。(と、私は思っている。)グレイヴスの演奏は、とても一人で演奏しているとは思えない程だ。何度か来日し、TV(特番まで作られた。)にも出演していたが、その映像からは六人分の演奏を一人でやっているかのごとく聴こえたものだった。一打一打が力強く、リズミカルかつメロディアスでもある。このあたり、アフリカの太鼓が信号の伝達であり、生活の手段だったことへのアメリカからの返礼か。他には聴けない、どこを探してもいないタイプの、彼自身が一つのジャンルと言ってもよいくらいの独特さなのだ。プーレンは、このミルフォードに伍して渡り合う。どちらかの演奏の聴こえるチャンネルを消して聴いてみても、十分ソロ演奏として聴ける程の「デュオ」演奏。おそらく二枚のLPを一枚のCDにギリギリ収めることが可能なのではなかろうか? CD化を強く望む!

190~Ray Anderson:Harrisburg Half Life(Moers Music/1980)

今やRay Anderson/レイ・アンダースンは、ジャズ界屈指のトロンボーンのスターとしての地位にあり、「フリー・ジャズ」のイメージは無いかも知れない。しかし、彼は70年代後半、Barry Altschul/バリー・アルトシュル(ds)のトリオのメンバーとして、メールス・ジャズ・フェスティヴァルに出演し、78年にはMark Helias(b)とGerry Hemingway(ds)と共に「Oahspe」(Auricle)と言う初リーダー・アルバムをリリースしている。Anthony Braxtonとの共演歴も有りアルバムもリリースされた。このアルバムは、80年ドイツでの録音。Mark Dresser(b)、Gerry Hemingway(ds)と言う後年A・ブラクストン・グループのレギュラーに収まる凄腕コンビに、一時期デュオで共に活躍したギターリスト、Allan Jaffeを加えたカルテット演奏。A面2曲目のバラード以外は、バリバリとアグレッシヴにトロンボーンを吹く。M・DresserとG・Hemingwayの二人は変幻自在の演奏を聴かせる。ベースとドラムのコンビとしては、ジャズ界屈指だろう。様々な音楽的要素が混ざり合って展開する楽しいアルバム。

189~Woody Shaw:The Iron Men(MUSE/1977)

Woody Shaw/ウディ・ショウは1944年ノース・カロライナ州ローリンバーグ生まれ。彼は一般的にはハード・バップから新主流派のトランペッターと認識されていることだろう。一頃はフレディー・ハバードの好敵手のような存在として見られていたが不慮な事故で亡くなってしまった。77年録音のこのアルバムは、W・ショウの異色作として見ている人も多いと思う。何しろ共演ミュージシャンが濃い! Arthur Blythe(as)、Anthony Braxton(cl、as、ss)、Muhal Richard Abrams(p)、Cecil McBee(b)、Joe Chambers(ds)、Victor Lewis(ds)と言う強者達だ。しかし、W・ショウはエリック・ドルフィーと共演を重ねて来たミュージシャンだ。相手がAACMだろうが我を忘れる器にあらず。確かに、ここではフリー・ジャズは演奏されてはいない。JAZZである。しかし、ジャズのフレームの中においてさえも己を曲げてまで演奏しないのがムーハー、ブラクストン達。過激な音はあまり出してはいないが、聴けばすぐに誰と分かる。W・ショウも、ドルフィーと演奏した2曲。インドネシア音階を使った曲。反戦を題材にした曲を用意して「俺様が主人公」の気合十分。ブラクストン、ムーハー目当てに買った人にも納得の一枚。

188~Michel Portal Unit:A Chateauvallon/No,No But It May Be(Le Chant Du Monde/1972)

Michel Portal/ミッシェル・ポルタルは、1935年バスク地方のバイヨンヌ生まれのクラリネット、サックス奏者。パリ国立音楽院出身。ジャズ、クラシック、現代音楽と活動範囲は広い。モーツアルト、ブラームス、シューマン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、映画音楽等々の録音も多い。クラシックではクラリネットを演奏し、ジャズの場合はサックスも多く演奏される。共に高度なテクニックに裏打ちされたもので、クラシックもジャズも共に一級の演奏。これは72年Chateauvallonでのライヴ録音。M・Portal(cl、as、ss、b-cl、taragot)の他、Bernard Vitet(tp、cor、vln)、Pierre Favre(perc)、Tamia(vo)、Leon Francioli(b)、Beb Guerin(b)と言う2ベースにヴォーカルの入った編成。彼の演奏はいくら激しくなろうと、そこは育ちの良さ?と言うか、品の良さ?と言うか、知的にコントロールされたクールさはいつも感じるところだ。しかし冷めたものではなくて、ジャズの持つスリルや熱気は十分持ち得ている。でないとジャズは出来ない。クラシックが本業の演奏家が「ちょっとジャズもやってみました。」等と言うシロモノとは一線を画す。それどころか、彼のソロの部分だけ取り出して聴いてみても、それだけですぐれた音楽として十分成り立つ程だ。タミアのヴォイスが効果的で、演奏のヴァリエーションに貢献している。

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