Groupoidは大阪市東住吉区を拠点にしていた即興集団らしい。レーベルの住所がここにある。80年にスタジオ録音された本作は、タイトル通りデビュー・アルバム。だが、その次は有ったのか無かったのか? メンバーはおそらく関西を中心として活躍していた若手が集まっていたのだろう。とにかく彼らについての情報は、このLP以外に何も見つからない。この頃私は東京に住んでいたが彼等の噂すら聞いたことはなかった。唯一このLPを買ったことで知り得たものだった。当時は関西と言うと京大等でフリー・ジャズのコンサートがあったりもしていたが、主にロックのイメージが強かった。編成は9人というラージ・アンサンブルで、ひとりひとりが色んな楽器を演奏している。尺八、リコーダー、チューバ、ユーフォニウム、オーボエ、ピッコロ等も含まれる。A・B両面に一曲ずつの超尺の演奏が収録されている。A面は、フリー・ジャズらしいサックス等が咆哮をする激しい演奏。最初はtsがソロを取るが、途中からは集団即興になる。B面はうって変わって弱音志向の空間を意識した演奏。彼等のその後の活動がどうだったのか知りたいものだ。80年前後は、70年代半ばから続くニュージャズ・シンジケートを筆頭に、アンダーグラウンドでは、ジャズからロックからクラシック、現代音楽、邦楽までのミュージシャンが同時多発的に各地で離合集散を繰り返しながら、それまでのフリー・ジャズともロックとも違う何か新しい音楽を模索し始めていた頃で、何が何やら分からないような状況なのだが、何か起こりそうで面白かった時代だった。Groupoidもそんな中で活動していた関西の集団のひとつだったのだろう。
Zygmunt Krauze/ジグムント・クラウゼは、1938年生まれの、ポーランドの作曲家/ピアニスト。シンフォニー、室内楽、歌曲、オペラ、ミュージック・シアター等々幅広く、たくさんの作品を書いている。ピアニストとしても活躍し、コンサートのオーガナイズ等も積極的だった。73年録音のこのアルバムは、彼のピアニストとしての姿を捉えたもの。1曲目は彼の作品「Stone Music」だが、あとはTomasz Sikorskiの「Zerstreutes Hinausschauen」、Waldemar Kazaneckiの「For One String」、Boguslaw Schafferの「Non Stop」、Witold Szalonekの「Mutanza」を演奏している。70年代前半という時代を反映したもので、ピアノの演奏と言えども、鍵盤を叩いてピアノらしい音を出しているところは、アルバムを通してもほんの一部。ほとんどは、内部奏法を屈指した曲ばかりだ。一体どうやって音を出しているのかLPを聴くだけではなくて、演奏の様子をこの目で見てみたい衝動にかられる。そもそも楽譜がどうやって書かれてあるのかも見てみたい。おたまじゃくしで書きようがない曲ばかり。中にはスポンジか何かで擦っているような音も聴こえる。こういうのを聴くと、アコースティック楽器を使った表現って、限界に来ているのかとも思ってしまう。
Wlodzimierz Kotonski(正確にはlの真ん中に斜めの/。nの上に ’ が付く。)は、1925年ワルシャワ生まれの作曲家。作曲を学んでいる頃の興味の多くは、ポーランド最南端の地域Podhaleの民族音楽にあったが、50年代に入ってからは前衛音楽にその興味は移っていった。このアルバムは、彼の1964年から74年までに作曲された作品を4曲収録したもの。A面は、「AELA」と「SKRZYDLA」という曲名の電子音楽作品。「AELA」とはラテン語の”Alea"~サイコロのこと。使われた音源は正弦波を様々に変調・加工したもので、それをアレアトリーに配置して作られた。「SKRZYDLA」は英語ではWING。Synthi Synthesizerを3台使って作られた。ともに時代を感じされるのは否めない。テクノロジーの発達によって、こういった音楽の変化・進化は早い。その中で生き残るのは並大抵ではない。B面は、アコースティックな演奏。「Muzyka Na 16 Talerzy I Orkiestre Smyczkowa」は、16のシンバルと弦楽アンサンブルのための曲。シンバルを16台も使ってさぞかしうるさいのだろうと思ったら、さにあらず。強打するような所は少なく、おそらく弓で擦ったりしている方が多い。ストリングスと混ざり合ってユニークな響きだ。「KWINTET DETY」はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、もうひとりはhornとあるが、ホルンのことか? といった柔らかい音色の楽器だけを集めた曲。色彩感豊か。
Valentina Ponomareva(Ponomaryova)/ヴァレンティナ・ポノワレワ(ポノマリョーワ?)は、1939年モスクワ生まれのヴォーカリスト。父親がジプシー・ヴァイオリニストだった。母親はピアニスト。ハバロフスク・アート・カレッジでピアノと声楽を勉強するも、ジャズに惹かれて行ったようだ。67年のタリン・国際・ジャズ・フェスティヴァルにも出演している。前衛ヴォイスと並行して自身のルーツ、ジプシーの歌やロシアン・ロマンスの歌も歌っている。この83年と84年と85年の録音は、イギリスのLeo Recordsがリリースしたアアルバムで、当時の鉄のカーテンの向こう側が垣間見れた貴重な記録。1曲目はファッツ・ワーラーの「Ain't Misbehavin'」。 V・チェカシンのサックスも参加した、まずはジャズからアルバムはスタートする。続くはビートルズのというかポール・マッカートニーの名曲「ミッシェル」。3曲目はソフィア・グバイドゥーリナの作品「Sheptalki(Fortune-telling)」で、オーケストラとの共演。side-Bは、セルゲイ・クリョーヒンとの共演が2曲続く。ジプシーの血を引くことと、その容貌からもあって、ヨーロッパのヴォイス・パフォーマーとは一味違う印象を受ける。妖気漂うが如し。エコーやディレイも多用し、益々その印象を膨らませることに貢献している。こんな妖気漂う「ミッシェル」なんて、ポールも「想定外!?」か。1989年には、S・クリョーヒン達とまさかの来日を果たした。「Live In Japan」というアルバムもリリースされた。どうもこのアルバム、日本側の許可を取らずにリリースされた模様。
これは、1993年松江市のWETHER REPORTでライヴ録音された姜泰煥/カン・テーファンとサインホ・ナムチラクのデュオ。当時はアジアから登場した、世界に向けた「アジア最終兵器」とも言うべき二人による誰もが思いつくが、しかし実現が難しいライヴが松江で行われたのだった。これを知った時は羨ましいかった。防府でも聴きたかった。お互いのソロとデュオが3曲収録されている。演奏の良さもさる事ながら、録音の生々しさが凄い。おそらく店が狭かったのだろう。正直もっと空間を感じる録音で聴きたかった気もしないではないが、これだけ二人の音を細かく録られると、本当に目の前で演奏していてくれている様な有り難さを感じてしまう。それにしても、二人の音は性格の違う双子のようだ。深いところで相通じるものが現れている。それがアジア人同士のメンタリティーなのか。だが、これが日本人となると、そうは感じない。それは姜泰煥やサインホに対する、こちら側の「こうあって欲しい。」と言った願望が集積した幻想なのだろうか。いやこれは決して幻想や過剰な期待ではないはずだ。彼ら二人には、明らかに東アジア、東北アジアの濃い血が流れ、それを素直に表現している姿が確かに有る。サインホの言葉に、「シベリアやトゥバの民族音楽、民謡から一歩足を踏み出しただけで、ヨーロッパの前衛に入って行けた。」と。実際彼女のソロ・ライヴの時、即興ヴォイスと民謡の両方をやったのだが、正直その区別がつかなかったほどだった。そんなサインホと韓国の濃厚な文化・芸術を背景に、それを大きく踏み越えた姜泰煥の濃密な邂逅の瞬間を記録した貴重な一枚だ。
このCDのジャケットは、エアコンから漏れた水に、一度濡れてしまい写真のように汚れて、グニャグニャになってしまいました。あしからず。
Phillip Wilson/フィリップ・ウィルソンは、1941年セントルイス生まれのドラマー。AACMのメンバーで、初期のアート・アンサンブル・オブ・シカゴに参加し演奏していたこともある。67年にPaul Butterfield Blues Bandに参加し、ウッドストックにも出演し、録音されアルバムにも入っている。ジャズ、ブルース、ファンク、R&Bと何でもござれのドラマーだ。その彼の77年と78年のパリ録音(Jef Gilsonが録音)のhutHat-Qというこのレーベルでもまだ初期のアルバムは、Olu Dara/オル・ダラ(tp)とのデュオ。オル・ダラは1941年ミシシッピ州ナチェズ生まれ。63年にNYCに移住している。P・ウィルソンと同じく、ジャズ、ブルース、ファンク、R&B、レゲエに精通する。こんな二人がデュオをするとどうなるか? オル・ダラは、現在の彼の姿とはまるで別人。98年にアフリカン・アメリカンの音楽を全部混ぜたようなアルバムを出して驚かせてくれたが、この頃はフリー・ジャズのトランペット奏者として、活躍していたのだった。この二人の演奏は、フリー・ジャズと言えども、パワープレイは引っ込めて、トランペットとドラムで会話をしているかのようなもので、実際オル・ダラのトランペットからは、本当にじゃべっているかのような音が出ている。レスター・ボウイの影響が濃いと思ったら、「Lester B Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」という曲だった。hatHutでもこのアルバムは相当地味な存在だろうが、近年CDで再発された。
L.D.Levy/L.D.レヴィーの経歴その他謎だらけ。おそらくミルウォーキー在住のミュージシャン。80年か81年頃輸入盤店に、この何から何まで手作り感満載のいかにも自費出版でございといった感じのLPが出回っていた。初めて聞く名前だし、いかにもマイナー中のマイナーな感じがして・・・と、避けるのが普通だが、私はすぐ購入。L.D.レヴィーは、アルト・サックス、バス・クラリネット、フルート、チェロ、エレクトリック・ピアノを演奏。多重録音をしているようだ。もうひとりはパーカッションのJohn Kruger。ほとんどレヴイーの独壇場。演奏する楽器を見れば分かるが、エリック・ドルフィーの影響を強く受けた演奏で、その腕前もなかなか達者なものだ。本家ドルフィー程の音の跳躍や凸凹感もスピード感は無いものの、相当聴かせるプレーヤーなのは確か。思わぬ拾い物だった。当時は結構ジャズ雑誌でも、輸入盤コーナーで紹介されて、高評価をされていたと記憶する。いくらドルフィーに熱中したとは言え、扱う楽器までまったく一緒にするとは、気持ちは分からないではないが、聴く方はどうしても本家ドルフィーと比べてしまうのは致し方がない。どうしてもサラっと軽めの演奏に聞えてしまう。が、これも彼の持ち味。その後2枚のLPをリリース。79年ミルウォーキーのスタジオで録音されたリチャード・デイヴィス(b)とのデュオ!「Cauldron」と、80年の「Invisible Man」。91年Mike Lucas(perc),Vince Coleman(b),Jack Martinsen(vib)との「Peshtigo Blues」と、93年前作にDan Ciel(p,keyb)を加えた「Cedilla」とCDもリリースしている。
これは、近藤等則による1979年に、パリ、ボローニャ、NYCで録音されたトランペットとアルト・ホーンの無伴奏ソロ・アルバム。レーベル名のBellowsとは日本語ではフイゴ(風を送る道具)の事。ロゴは、Bellowsの「ベロ」と音のまんまの「ベロ=舌」の絵になっている。駄洒落である。こういうところが自主制作らしくて楽しい。さて演奏だが、トランペットとアルト・ホーン(これを聴く機会は少ないのでは?)から発せられる断片的な、そして様々な音が、まるで擬音を発しているかのように鳴らされる。1分に満たない演奏から、10分の演奏までの計8曲だが、一度全部解体して、ランダムに置き換えても通用してしまう感じもするが、どうだろう。演奏に連続性や物語性を求める向きにはお薦め出来ない。その彼も昔は、土取利行と二人でマックス・ローチとクリフォード・ブラウンのコピーをしては練習に励んでいたと、インタビュー記事を読んだ記憶がある。「思わず遠くへ来たもんだ。」という感じ?
今では、エレクトロニクスとトランペットを組み合わせて、もっと遠くに行ってしまわれている。
土取利行は、ジャズ・ドラマーを出発点にし、フリー・ミュージック、ピーター・ブルックの劇団の音楽、そして日本先史時代の音楽探求へと歩みを進めた。坂本龍一は、このアルバムの録音時(1977年)はまだ芸大の学生だった。全く肌が合わず、行ってはいなかったそうだが。後YMOで一世を風靡することになる。その後の活躍はご存知の通りだ。一見まるで噛み合いそうにない二人のデュオをプロデュースされたのは竹田賢一氏。アルバム・タイトルの「ディスアポイントメント」は、オーストラリアの砂漠の中にある湖の名前。「ハテルマ」は、人の住んでいる島としては日本最南端の島「波照間島」の事。なんだか「南」を暗示している。その当時は、とにかく「北」だの「ノール」だのがキーワードだった時代だったと記憶している。「これは、ナントカの極北に位置するナントカカントカ・・」という表現をあっちこっちで見かけた。となると、このアルバムは、そういった前衛の向く方角さえも、反対を向いているというメッセージが込められているのだろうか。さて、演奏だが、プリペアード・ピアノとドラムによる疾走感のあるもの、EMSシンセサイザーの電子音とパーカッションの織り成す空間を意識したもの、坂本の声を打楽器のように使ったもの。現代音楽ともフリー・ミュージックとも言えるようなユニークな音楽になっている。その後現れたYMOの坂本龍一の名前を見て、同一人物なのかどうか測りかねた。音楽もそうだが、あの容姿の違いに。
レーベルはECM。ジャケット写真はクリスチャン・フォクトのブルーな美しい写真。正に「おしゃれ~」なレコードなのだ。そこまではよい。さてどんなメンバーが演奏しているのやらと確認すると、一体これはどう言う演奏が飛び出して来るのだろうとしばし頭を悩ますことになる。本作のリーダー、Kenny Wheeler/ケニー・ウィーラー(tp、fh)、Evan Parker/エヴァン・パーカー(ss、ts)、J・F・Jenny-Clark/J・F・ジェニー・クラーク(b)、Edward Vesala/エドワード・ヴェサラ(ds)というフリー・インプロヴィゼーションの強者に、「何でも任せなさい。」のEje Thelin/エイエ・テリン(tb)に、この中ではもっとも異色な、でも普通の感覚だと、唯一マトモなTom van der Geld/トム・ファン・デル・ゲルト(vib)といった面々。ECMのクリスタル・サウンドはそのままに、K・ウィーラーの特徴的な叙情性溢れる曲が並ぶ。さて、この中で最も意外性の有る人選がエヴァン・パーカーだろう。後の面々はどんな演奏になろうといかようにも演奏するだろう。はたしてエヴァン・パーカーやいかに? 聴く前からワクワクするではないか。クールなサウンドの中から突然飛び出す例のE・パーカーの必殺技、サーキュラーブリージングと高速タンギングと複雑な指さばきで鳴らされるマルチフォニックな音の渦巻き。もう快感である。その後は、エヴァン・パーカーもECMの常連となった。もちろんK・ウィーラーも。
Albert Mabgelsdorff/アルバート・マンゲルスドルフ。一本のトロンボーンから同時に何個もの音を鳴らしてしまうドイツの巨匠。ウェザーリポートの元ドラマーのAlphonse Mouzon/アルフォンス・ムゾン。ウェザーリポート在籍中で人気実力NO,1だった驚異のエレクトリック・ベース奏者のJaco Pastrius/ジャコ・パストリアス。誰がこんな組み合わせを考える? 1976年のベルリン・ジャズ祭でA・マンゲルスドルフとA・ムゾンの二人までは決定していたが、ベースを誰にするかで難航していたそうだ。エディ・ゴメスらが候補に挙がっていたそうだが、最も異色な組み合わせに決まり、結果は予想以上の大成功となったのだった。ベルリン・ジャズ祭の聴衆をノックアウトしてしまった。フリーだけじゃなく、元々ジャズ・ミュージシャンだったマンゲルスドルフと、強力にスウィングする(4ビートで、という狭い意味ではなく・・)A・ムゾンの相性は想像出来るが、果たしてジャコは噛み合うのか? いざ演奏をしてみたら合うなんてもんじゃない! 凡百のベーシストならさぞかし無難なベースランニングで終わっただろう。が、ジャコの場合はA・マンゲルスドルフに対等に対応出来る技術とセンスを持ち合わせているのだった。「この三人でツアーに出たい!」と、ミュージシャンならではの本能が刺激された。演奏後の聴衆の反応がそれを物語っている。
Arthur Blythe/アーサー・ブライス(as)がCBSと契約したと聞いた時は、期待と不安がよぎったものだった。A・ブライスのIndia Navigation盤を愛聴していたので、彼がメジャーに移籍して一体どんな音楽になってしまうのやら、不安の方が大きかったのが正直なところだった。一作目の「レノックス・アヴェヴュー・ブレイクダウン」を聴いてほっとしたものだ。この80年録音の「イリュージョン」はCBSの三作目。メンバー的にはIndia Navigation盤と似た感じで、Bob Stewart(tuba)とAbdul Wadud(cello)の参加が嬉しい。それに加え本作には当時飛ぶ鳥の勢いだったJames Blood Ulmer(g)が加わっている。その為自ずとファンク色が濃くなった。その為音の意匠は派手目になったが、A・ブライス自身のあの特徴あるサックスの音はそのままで、期待を裏切らない。J・B・ウルマーに耳が向かうだろうが、ここで大事な役割を担っているのがB・スチュアートのチューバとA・ワダドのチェロと言う事は忘れてはいけない。
1978年、アート・アンサンンブル・オブ・シカゴ(以下AEC)はECMに「ナイス・ガイズ」を録音した。当時はAECとECMのイメージが結びつかなかったので少々驚いたものだった。ECM特有のクリアーな音質でAECが録音されるという事、そしてマンフレート・アイヒャーのプロデュースはどう演奏に反映されるのか? M・アイヒャーは「口も出す。」プロデューサーとして殊に有名だ。正直言って「ナイス・ガイズ」はAECにしては軽い出来で、少々肩透かしをくらった感じがした。しかし、次の「フルフォース」はAECらしい重量級の出来で満足したものだった。が、その録音の4ヶ月後、ミュンヘンでライヴ録音された本作「アーバン・ブッシュマン」には驚かされた。スーパーヘビー級のアルバムの登場だった。2枚に渡って、それまでの彼等の集大成と言ってもよい演奏が続く。「グレイト・ブラック・ミュージック」の名の通り、彼等の血液の中に流れるブラックの歴史を俯瞰したような音が演奏のいたるところに現れる。非常に強い構成感が有り、野放図な咆哮を繰り返すフリー・ジャズとは一線を画す。AECを初めて聴こうとするなら、これか「Live In Japan」をお薦めする。ともに2枚組なれど、初めからこれくらい行かないと、こういう音楽をその後聴き続けられる根性は座らないのだ。
これはデレク・ベイリー、エヴァン・パーカー達を代表とする音楽表現の一つ、「ノンイデオマティック・インプロヴィゼイション」による集団即興演奏の最初期のイベントを記録したアルバムとして貴重。そしてECMの初期を飾る重要作。メンバーは両巨頭の二人の他、後仏教研究の為に音楽から身を離したJamie Muir/ジェイミー・ミューア(perc、キング・クリムゾンへの参加でロック・ファンの方が知名度が高い。)、シュトックハウゼンのテクニカル・アシスタントも勤めたエレクトロニクスのHugh Davies/ヒュー・デイヴィーズ、全曲ではないがヴォイスのChristine Jeffreyも参加している。時にジャズ的な熱狂も伴う瞬間もあるが、全体的には点描写的音の連続である。かと言って所謂現代音楽の響きとは一線を画す。現代の視点からすると、今多様されるライヴ・エレクトロニクスを演奏するヒュー・デイヴィーズだろうか。当時は、演奏者は自らエレクトロニクスを組み上げなければならず、逆に言えば、各自個性豊かだった。だが、まだまだライヴでコントロールするには苦労がいったことだろう。ここでのH・デイヴィーズの出す音は、かなりの部分D・ベイリーのギターと被ることになっているようだ。「ノンイデオマティック」な演奏を求めてエレクトロニクスを加えたら、逆にエレクトロニクスの方が「イデオマティック」な音を出すようになった。との、D・ベイリーの証言もある。これは、エレクトロニクス云々と言うよりも、H・デイヴーズ自信の方向性の違いと言える。即興も同じメンバーで続けると、予定調和の罠にハマる危険性をいつも孕んでいる。どうりで、このグループは解散せざる得なくなったが、この教訓からかD・ベイリーは、ミュージシャンを集めては、一回こっきりの出会いから生まれる輝きを追い求めカンパニーを始めることになる。その後ついに恒常的グループを組織しなかった。
Dave Holland/デイヴ・ホランドは、1946年イギリス生まれのベース奏者。一般的ジャズ・ファンにとっては60年代後半からのチック・コリアが在籍していた頃のマイルス・バンドのベーシスト。エレクトリック・マイルスの初期の土台を支えたひとりだった。ちょと先鋭的なジャズが好みの人には、A・ブラクストン、C・コリア、B・アルトシュルとの伝説的グループ「サークル」のベーシストあたりのイメージが強いだろうか。近年は、バンド・リーダーとしての風格が漂う。とにかくヴァーサタイルな活躍を現在まで続けている名ベース奏者だ。そんな彼の経歴の中でも最も左寄りなアルバムがこれ。何と、デレク・ベイリーとのデュオ! 演奏するのもベースではなくチェロ。71年ロンドンのリトル・シアター・クラヴでのライヴ録音。リリースしたのがECMと、どこまでもファンの度肝を抜く取り合わせだ。ところで、ECMは初期にはイメージと異なる先鋭的な音楽も結構リリースしていたのだった。D・ベイリーとしては、INCUSのソロの収録の一か月前といった時期で、最もトンガっていた音を出していた頃だ。そんなD・ベイリーにD・ホランドはベースではなくチェロで戦いを挑んだ。ベースよりも小回りのきくチェロで、D・ベイリー相手に丁々発止のフリー・インプロヴィゼイションを仕掛けたのだった。ECMと言うよりも正にINCUSそのものの演奏だ。ジャズ・ファンが知らずに聴いたら、同姓同名のミュージシャンだと思うことだろう。イギリスという所は、ジャズもロックもアヴァンギャルドも自由に行き来出来るシーンそのものがヴァイタリティーを有するのだ。
1976年イタリアのレーベル「Black Saint」に、オーネット・コールマン・グループの同窓生が集まったグループ「オールド・アンド・ニュー・ドリームス」がそのファースト・アルバムを録音した。メンバーはドン・チェリー(tp、p)、デューイ・レッドマン(ts、Musette)、チャーリー・ヘイデン(b)、エド・ブラックウェル(ds)の四人。御大オーネットはこれには参加せず、あくまでサイドメンのみ。この四人にオーネット・コールマンが加わった形での録音は無いのではなかろうか? 76年と言えば、親方のオーネットはすでに「プライム・タイム」をとっくに始めていた時期(「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」は73年の録音)だし、「オールド・アンド・ニュー・ドリームス」はえらく後ろ向きのグループの印象を持ったのは確かだった。マイルス抜きの「VSOP・クインテット」とか「ミンガス・ダイナスティー」とか・・。79年のこのECM録音にしても「ロンリー・ウーマン」をやっているし。だが、よくグループ名を見よ。「ニュー・ドリームス」ともなっているではないか? そう、メンツ的にはオーネット組の旧友ばかりのようだが、この時期全員バリバリの現役。バンド・リーダーとしてお互いが独自の個性を発揮し演奏ていた。フリー系オールスター・バンド(オーネット色は濃厚だが)と解釈すればよい。実際、70年代前後あたりまでのオーネット・グループを基調にして、D・チェリーやD・レッドマン達の個性を十分発揮した音になっている。単なる懐古趣味バンドとは一線を画す。過去を踏まえ前を見据えた演奏だった。ドン・チェリーは、アトランティックに吹き込んでいた頃は、オーネット以上にフリーな感覚で演奏をしていたが、こうして御大抜きで演奏したら、あのドン・チェリーでさえ、オーネットの宇宙の中で泳いでいる感がある。ECMには80年にオーストリア、ブレゲンツでのライヴ録音も有り。
Dollar Brand/ダラー・ブランド~現在は本名のAbdullah Ibrahim/アブドラ・イブラヒムは、1934年南アフリカ、ケープタウン生まれのピアニスト。祖父が教会でピアノを弾いていたこともあって、賛美歌や黒人霊歌を聴いて育った。59年「ザ・ストリームライン・ブラザーズ」と言うヴォーカル・グループで歌ったのが彼のプロ・デビューとなった。61年自己のバンド「ジャズ・エピストルズ」で南アフリカ初の黒人グループでの録音を行った。62年渡欧。2年間はスイス、チューリッヒの「カフェ・アフリカーナ」で演奏。63年エリントンに認められ録音。64年と65年コペンハーゲンの「モンマルトル」で演奏。その後渡米し3年間滞在。その間、コルトレーン、コールマン、チェリーらと共演をしている。70年半ばまでは欧米、アフリカを往来しては演奏をしていたが、76年に開催した「南アフリカ・ジャズ祭」が反アパルトヘイトとみなされ、国外退去となり南アを去った。(現在は戻っている。)69年録音のアルバム「アフリカン・ピアノ」はそのユニークさにおいて右に出るものはなく大評判になった。72年、コペンハーゲンのクラブ「ジャズ・ハウス・モンマルトル」で録音されたDon Cherry/ドン・チェリー(tp、vo、perc)、Carlos Ward/カルロス・ワード(as、vo、perc)とのトリオ演奏もユニークさでは負けてはいない。ドラムレスのトリオなのだが、A・イブラヒムひとりいればベースもドラムも必要としないくらいなのだ。彼がピアノを弾けば、ピアノは早々巨大なムビラやコギリと化す。その一音一音の存在感の大きなこと!力強いこと! D・チェリーとC・ワードは、その上に乗かって自由闊達に各自のオリジナルや南アのトラディショナルを演奏する。D・チェリーとA・イブラヒムの共演盤は意外なほど少ない。もっと共演して欲しかった。アルバム・タイトルの「第3世界―アンダーグラウンンド」が正にピッタリだ。
ジョン・コルトレーンの「アセンション」に呼応するように、翌年ベルリン・ジャズ祭に委嘱された「Globe Unity」を世に問うたアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハは、その後も「Globe Unity」と称するオーケストラを率いて来た。「Globe Unity」は、元々は委嘱された曲に付けられた曲名だった。79年録音の本作はアルバム・タイトル「コンポジション」が示すようにオーケストラのメンバー達の曲も取り入れた作品。前年録音された「インプロヴィゼーションズ」と対をなす。総勢14名のオーケストラが、ケニー・ウィーラー、スティーヴ・レイシー、ギュンター・クリストマン、マンフレート・ショーフ、エンリコ・ラヴァ、それとシュリッペンバッハの曲を演奏する。各人それぞれの個性を反映した曲が、一枚のアルバムを多彩に彩る。が、そこは「Globe Unity」色に統一された感がある。リリースされた翌年、このメンバーにトリスタン・ホンジンガーを加えた総勢15名での日本公演が実現したのだった。私は虎ノ門の久保講堂に聴きに行った。客席は超満員だった。歴史的瞬間を体験しようと大勢がおしかけたのだった。正直「こんなにフリー・ジャズのファンていたのか?」と考えてしまった。普通のジャズのビッグバンドとは違いメンバーはステージ上に半円形状に並んでいた。これだけのメンバー、正にヨーロッパ・オール・スター(一部アメリカ人も)がズラッと並んだところを見るだけで興奮を抑えられなかった。とにかく各人の個性が強い。同じ楽器がそれぞれソロを取るのを聴き比べると、その違いは明らか。スティーヴ・レイシーのステージ上での佇まいは、そこにいるだけで貫禄を湛えていた。エヴァン・パーカーのソロの最初の1音で、「おお!」とのけぞった。後日FM東京で放送もされた。だが、その後この録音テープは、別の録音に使う為に消去されたと聞く。「文化遺産を破壊!」の文字が頭を駆け巡った。
John Coltrane/ジョン・コルトレーンは、64年12月の録音「至上の愛」でジャズの最高峰に登りつめた。インド哲学を彼なりに音楽で具現化してみせたこのアルバムは、ジャズだのフリーだのを越えた普遍的価値を有する傑作だった。(翌年のライヴ・ヴァージョンもCD化されているが、これはオリジナルよりも壮絶な演奏になっている。)65年録音はされたが、彼の死後にリリースされたレギュラー・カルテットでの「Transition」を収録後すぐに、彼は当時の若手俊英達を集めて11人編成で集団即興演奏の「アセンション」を2テイク録音した。集団即興演奏といえどもテーマ部分は存在するし、ソロ・オーダーもあらかじめ決められている。まだジャズの範疇を逸脱してはいない。そこはムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァやタージ・マハル旅行団等とは違う。ジャズ的熱狂を伴うこの集団即興演奏は、当時賛否両論を呼んだようだが、今の耳にはエルヴィン・ジョーンズやマッコイ・タイナーの演奏が今ひとつ周りについて行けていないように感じられることも無きにしも非ずというところ。しかし、当時のアヴァンギャルドを自負していた者達には相当の刺激になったに違いない。ヨーロッパでは翌年、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハさんがヨーロッパの精鋭を集めて「Globe Unity/Sun」を録音している。アメリカのJCOAは68年録音だったことを考えると、ヨーロッパの勢いは相当なものがあったと言えよう。それにしても、フレディー・ハバードと言う人は面白い。60年の「オーネット・コールマン/フリー・ジャズ」と、この「アセンション」というジャズの問題作に両方参加しているのに「フリー系」とは誰も、本人も全く認識していないんだから。
これは、Steve Lacy/スティーヴ・レイシーが、70年代にピエール・バルー主宰のレーベル「Saravah/サラヴァ」に録音した5枚のアルバムが、まとめて聴ける有難いCDセット。「Lapis」~71年録音。多重録音された実験的なソロ。「Scraps」~74年録音。ピアノにマイケル・スミスが参加したセクステット。「Dreams」~75年録音。デレク・ベイリーが参加。彼がグループ表現の中にいること事態が注目される。「Roba」~69年録音。エンリコ・ラヴァらイタリアのミュージシャンも参加。「The Owl」~77年録音。アポリネール、ダリら詩人、画家のテキストに曲を付けたもの。イレーネ・アエビのヴォーカルをフィーチャー。~を、3枚のCDに収めたもの。年代順に聴いて行くと、集団即興から固定したグループでの表現に移行して行く様が見て取れる。75年には待望の初来日を果たし、日本人演奏家との共演盤とソロ・アルバムを5枚も残したのだった。80年以降のレイシーは、円熟した彼の世界を聴けた時期だった。正直なところ、これ以上の彼の変化は無いだろうと思いながら聴いていた。こっちが期待していることを、期待通りに演奏してくれると。ベテラン邦楽演奏家の演奏を聴くような感じだ。それでも、高次元の演奏の話だが。だが、70年代の演奏は違った。彼の年齢によるものでもあっただろうし、そう言う時代でもあっただろう。このSaravahの5枚を聴くと、1枚1枚が大きく違う。音のエッジが鋭利な刃物でも見ているが如き演奏になっている。では、70年代のレイシーと80年代以降のレイシーのどっちを取るかと言われると、返答に困る。変化あるのみの時期か、年齢も重ねた円熟期か。音楽の良さは、そして価値は、前進あるのみの姿勢だけに賞賛を送るべきでもないだろうし、同じことを繰り返し繰り返し磨き上げて行く姿勢もアリだ。最悪なのが、無反省にフォーマットを守るだけに存在するような演奏だ。
これは、Art Ensemble Of Chicago/アート・アンサンブル・オブ・シカゴが、まだArt Ensemble/アート・アンサンブルと名乗っていた頃の1967年と78年にNessaに録音した演奏を集めた5枚組CD・BOX。アルバムで言えば、「Roscoe Mitchell/Old Quartet」(67年)~R・Mitchell(as、ss、cl、fl、little-inst)、Lester Bowie(tp、fh、little-inst)、Malachi Favors(b、little-inst)、Phillip Wilson(ds)。「R・Mitchell/Congliptious」(68年)~dsがRobert Crowderに変わる。「Lester Bowie/Number 1&2」(67年)~dsが抜け、Joseph Jarman(as、ss、cl、basoon、bells etc)が加わる。これは、もうAECと呼んでもいいのでは。LPにして三枚のところを、未発表録音が多数収録され、CD5枚組のヴォリュームとなっている。R・ミッチェルとL・ボウイのアルバムとしてリリースされているが、実質アート・アンサンブル・オブ・シカゴと言ってもよい内容だった。セッションによりゲストを加えた演奏もある。我々はAECをとっくに知っている現在の耳だが、この当時のリアルタイムで経験した耳には、さぞかし衝撃だったことだろう。ジャズに顕著な一点突破の勢いが希薄で、より空間的な音の処理がなされている。かと言って現代音楽のように音を記号化するのでもない。ジャズらしい音の血肉感はそのまま存在している。広く音楽全般から捉えてもユニークな音楽だった。このような新しい音楽を、同じように指向している者が複数存在し、グループが作られ長く存続出来るのは、シカゴにAACMと言う理念を共にする集団があったらばこそだ。このBOXにジョセフ・ジャーマンのリーダー作が入っていないと思われるかもしれないが、同時期ジャーマンは、Delmarkに「Song For」(66年)と「As It Were The Seasons」(68年)を録音している。だが、ここにはロスコーもレスターもマラカイも参加していない。AEC名義での録音は1969年「The Spiritual」(Freedom)から始まる。これらは、正にAEC前夜と言った録音の数々だ。
Andrea Centazzo/アンドレア・チェンタツォは、1948年イタリア、Udine生まれの打楽器奏者・作曲家。2000年以降はアメリカの市民権を取りロサンゼルスに住んでいる。彼は演奏家・作曲家としても優れているが、プロデューサー・教育者としても数々の業績を上げている。76年に設立された「ICTUS」は、数多くの名作をリリースした重要なレーベルだ。その中でも特にユニークなのがこのアルバム。エヴァン・パーカーとアルヴィン・カランを招いてのローマでの録音。A・カランは現代音楽の作曲家のイメージが強いが、「ムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ」という集団即興のグループを、リチャード・タイテルバウム、フレデリック・ジェフスキーらと結成し、即興のコンサートを続けて来た。即興のキャリアも長いのだ。「リアル・タイム」は、A・カランにとっては意味深なタイトルではある。当時のシンセサイザーは、ライヴの現場で、それも即興演奏の場で使いこなすのは大変だった。ツマミを1mm回しただけで、音はガラリと変わってしまう。使う方も細かい予測は不可能に近い。「こんな感じか?」でキーを押すことになる。出て来る音は演奏者の期待通りだったり、はぐらかされたりと、その不安定さ加減が、逆に言えば即興では面白かったりするのだ。A・カラン・クラスとなると、そんな曖昧さはないのかもしれないが。曖昧さも即興では魅力なんだが。まあ、そんな意味でアルバム・タイトルが作られたとは思えないが。エヴァン・パーカーは、現在でこそ「エレクトロ・アコースティック・アンサンブル」を率いているが、当時はまだまだ即興の世界では、電子音を操る者はごくごく少なかった。反面、エヴァン・パーカー達は、エレクトロニクスに早くから着目していたが、ヒュー・デイヴィスやタイテルバウム、ワイシュヴィッツそしてカランくらいなものだった。そんな時期のこのアルバムは貴重。Vol.2も有る。
「Beak Doctor」は、アメリカ西海岸で活躍するピアニスト、Greg Goodman/グレッグ・グッドマンが主宰するレーベル。1978年11月1日と2日、バークレーにある「フィンガー・パレス」で、G・グッドマンとエヴァン・パーカーのコンサートが行われた。そこで演奏された二人のデュオを選曲して一枚に収められたのがこのアルバム。2日に演奏されたエヴァン・パーカーのソロは、「At The Finger Palace」として、E・パーカーの数あるアルバムの中でも特に評価の高いものだ。このデュオでは、E・パーカーはテナー・サックスだけを吹いている。G・グッドマンは、内部奏法を多様しながらE・パーカーに対抗している。ここでは、せわしなくピアノを鳴らしている彼が、ヘンリー・カイザーとワダダ・レオ・スミスのプロジェクト「Yo! Miles」に参加していたのには驚いた。
Gato Barbieri/ガトー・バルビエリ(本名はLeandro J Barbieri。ガトーも本当はガートに近く、猫の意味)は、1934年アルゼンチンのロサリオ(チェ・ゲバラの生誕地でもある)生まれのテナー・サックス奏者。ブエノスアイレスに移住後の50年代後半にはアルゼンチンでは結構知られた存在になっていたようだ。62年出国し、ブラジルに一旦滞在し、イタリアに移り住んだ。軍事政権を嫌ってのことも出国の理由の一つでななかったか? ローマでドン・チェリーに出会い行動を共にし、アルバムも出した。その後NYCに進出し、67年に録音されたのがこのアルバム。チェロを加えたカルテットなのだが、全編G・バルビエリの火を噴くようなテナー・サックスの咆哮に包まれる。正にこれぞフリー・ジャズ、エレルギー・ミュージックといった感じだ。とてもこれが「ラスト・タンゴ・イン・パリ」と同じミュージシャンの仕事とは思えないほどこの二つは乖離している。この録音の後、「何かが間違っている。」と感じたそうで、彼にとってはこの怒涛のフリー・ジャズは、この時期だけの「間違った」演奏だったのかもしれない。しかし、こうして記録され残された音源は、本人の意識からも離れ、我々リスナーを感動させてくれているのだから「間違い」も時と場合によっては歓迎すべきことだ。
Theo Jorgensmann/テオ・ヨルゲンズマンは、1948年ドイ、Bottrop生まれのバセット・クラリネット奏者。18歳でクラリネットを始める。エッセンでFolkwang Hochschuleにプライヴェート・レッスンを受ける。同時に、ルール工業地帯周辺のミュージシャンと演奏を開始。75年プロとして活動を始めた。78年ストゥットガルトのスタジオでの録音の本作は、彼の3rd アルバムに当たるまだ初期の頃の作品。発売当時店頭で見かけた時は、勿論全く知らないミュージシャンで躊躇したが、ジャケットの雰囲気が気に入って買ってみたらこれが正解だった。T・Jorgensmann(cl)の他は、Ulrich Putz-Lask(ts、ss、fl、alto-cl)、Thomas Schulte(b)、Ulrich-Dionys Kube(ds)。ヨーロッパ・フリーの第2世代のつもりでLPに針を落としたら(いまだCD化ならず)、予想を裏切る音が出て来ることになる。ちょっと微温でクールな演奏なのだ。ドイツのフリーの重戦車の如き演奏(ステレオタイプ的な聞き方ではあるが、当時ならあながち間違ってはいないだろう。)とは対局にある。LP・sideAの最初、ベースのアルコによる低い持続音に乗って、彼の柔らかな感触のクラリネットの音が現れる。この瞬間に、これまでのフリー・ジャズの音とは違うことを理解出来るだろう。そもそもこの音色で攻撃的なフリー・ジャズの演奏は無理だと分かるし、フリー・ジャズも新たな局面に入って行ってるのだと分かる。アンサンブルになってからの演奏も、軽やかに進んで行く。決して突っ走りはしない。マイナーなミュージシャン(即興シーンの中で)だと思っていたら、いつの間にかリーダー作だけでも何十枚も出ている存在になっていた。共演もBarre Phillips,Lee Konitz,Paul McCandless,Kent Carter,Kenny Wheeler,John Fisher,Jimmy Giuffre,Karoly Binder,Bernd Koppen,John Lindberg,Charlie Mariano,Jeane Lee,Vincent Chancey,Mike Richmond等々。クラリネット・アンサンブル(Perry Robinson,Hans Kumpf,Bernd Konrad,Michel Pilz)を結成したりと活動は活発。
これは副島輝人のレーベル「Mobys」最後のアルバム。Lauren Newton/ローレン・ニュートン(voice)と佐藤允彦(p)の82年と86年の録音を収録。82年「第16回 パンムジーク・フェスティヴァル」では「ジャズと現代音楽」をテーマにジャズ側による即興演奏と、即興を盛り込んだ曲を現代音楽の作曲家が書き、それをジャズ側のミュージシャンも入っての演奏が行われた。同時にシンポジュームも行われた。当時のNHK・FM「現代の音楽」でも一部放送されたが、放送では、現代音楽作品の演奏だけが流された。はっきり言ってゲテモノだった。即興を楽譜に閉じ込めることの意味がこれらの作品には見い出せなかった。シンポジュームもまるで噛み合わないシロモノだったそうだ。お互いが歩み寄るなんて姿勢すらなかった時代だったといえよう。日本では今もそんなに状況は変わってはいないが、ヨーロッパのクラシック(と言うよりはコンテンポラリー・ミュージックか)アンサンブルのメンバーが、即興演奏もロックも普通にやっていると聞いたことがある。そのフェスでの数少ない成果といえるが、この二人による演奏だ。声でここまでの表現が出来るとは。声が楽器をはるかに越えた”楽器”なのは当然としても、佐藤允彦の変幻自在のピアノに、それにまた同じく変幻自在に対応するL・ニュートンの技術と感性には恐れ入る。見方を変えれば、こんなヴォイスに対応出来る佐藤のピアノこそ、恐れ入るべきなのかも。多分両方正しい。86年になるとヴォイスにエフェクターをかけるようになり、ローレン・ニュートンの表現の幅はより広くなる。これは副島輝人の最後のアルバム制作となった作品。感謝。
これは副島輝人さんの自主レーベル「Jazz Creaters」(その後Mobysに)から1970年にリリースされた沖至トリオ(翠川敬基、田中保積)のアルバム。当時レコードを自費出版することは現在と違い大変資金的にも苦労がいった。大手レコード会社では、少なからず音楽面でもジャケット・デザインでも妥協が必要。そこで、自分達のやりたいようにと考えれば、今も昔も自腹で勝負するしかない。それを70年という時代に実行された副島さんや沖さん達には、敬服するしかない。68、69年頃が日本の「ニュージャズ」の実質的始まりと考えると、これは大変貴重なアルバムと言える。当時沖さん29歳。翠川、田中両氏といえばまだ21歳。翠川さんはまだ大学生だったのだ。ここでの演奏には音にスピードがある。早い音の波が矢次早に次々と押し寄せてくる。いわゆる「フリー・ジャズ」的熱狂だとか、怒涛の音の奔流が聴けるワケではないのだ。物理的音のスピードというよりは、感覚的音のスピードが鋭く早い。現在「インプロ」と称されている音楽の先祖と言える音楽だが、今この音のスピード感を感じることは非常に稀になった気がする。テンポが早いとか、迫力が有るのとは違う「音のスピード」。
Steve Reid/スティーヴ・リードは、60年代にチャールズ・タイラー、サン・ラ等と共演していたが、兵役拒否をした為、4年間も投獄された経験を持つ。70年に仮出所後は、音楽の第一線に戻り、ウェルドン・アーヴィン、フランク・ロウ、チャイルズ・タイラー、アーサー・ブライス等と共演を重ねた。75年録音の本作は、自己のレーベル「Mustevic Sound」からの第1作目。スティーヴ・リード(ds)、アーサー・ブライス(as)、レス・ウォーカー(p)、デヴィッド・ワートマン(b)、マイケル・キース(tb)のレギューラー・メンバーに、ゲストで、クリス・ケイパース(tp)、メルヴィン・スミス(g)、チャールズ・タイラー(bs)を加えた8人編成。このメンツから想像出来るフリー・ジャズではない。リズム、ビートを強調した曲がほとんどで、その上を各人の熱いソロが飛び交うといった演奏。伝統に片足を入れて、もう片方の足を未来に向けたもの。かっちりと形を持った曲ばかりだが、途中からフリーな展開になる曲もある。今からこれからと期待をしていたら、録音がフェードアウトしてしまう。ここが少々残念。アーサー・ブライスのソロが一番光る。彼がアルト・サックスを吹く始めると、もう一体誰のリーダー作なのやら分からなくなるほどの独壇場だ。ひと吹きで彼と分かる個性を持った者は強い。デヴィッド・ワートマンのベースが終始力強く全体をプッシュする。スティーヴ・リードの演奏は、ここではゲスト参加のチャールズ・タイラーのアルバムでもたくさん聴くことが出来る。この後も、彼のアンサンブルは、自身のレーベルからコンスタントにアルバムをリリースしている。「Nova」(76年)、「Odyssey Of The Oblong Square」(77年)、「New Life “Visions Of The Third Eye」(78年)
David Wertman/デヴィッド・ワートマンは、1952年NY生まれの、70年代からニューヨークのジャズ・シーンで頭角を現したベース奏者。アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、チャールズ・タイラー、ビリー・バング、アーサー・ブライス、アイラ・サリヴァン等と共演歴がある。バディ・グレコ、フォー・フレッシュメン、パティ・ペイジといった歌手のショーやツアーをこなすといった一面もあった。彼のベースはチャールズ・ミンガスを思い起こさせる力強さを持っている。このアルバムは、彼のアンサンブル「サン・アンサンブル」の78年の録音。John Hagen(ts,ss),David Swerdlove(as,ss),Greg Wall(bs),Jay Conway(ds),John Sprague Jr.(fl,perc),John Zieman(synth)と、知名度のあるメンバーは一人もいないが、皆コルトレーンの子孫を自認しているかのような、熱くスピリチュアルな演奏を繰り広げている。バンド名といい、ピラミッドのジャケットといい、この音楽は彼等の精神世界を表現しているのだろう。サン・ラーに通じ合うものをアンサンブル名からも、ジャケット・デザインからも感じられる。近年、スピリチュアル・ジャズ・ブームが起こったおかげで、彼のこの次にリリースしたアルバム「Wide Eye Culture」(83年)の国内盤がリリースされ驚かされたが、こちらはいまだ再発されず。
Luther Thomas/ルーサー・ト-マスは、1950年ミズーリ州セントルイス生まれのアルト・サックス奏者。当地のBlack Artists Groupのメンバー。Charles Bobo Shaw/チャールズ・ボボ・ショウ(ds)らのアンサンブル「ヒューマン・アーツ・アンサンブル」に長らく参加。73年セントルイスの教会での録音(LPのジャケットには77年と誤記されていた)の本作では、彼の名前を冠したアンサンブルの名義になっている。「BAG」のメンバーで構成された11名のラージ・アンサンブル。シカゴからレスター&ジョセフ・ボウイ兄弟も参加。勿論チャールズ・ボボ・ショウも参加。マーヴィン・ホーンのギターは、ほとんどR&Bだ。M・ホーンとエリック・フォアマン(el-b)、アブドゥラ・ヤ・クムとロッキー・ワシントンの二人のパーカッションが、全体をグルーヴさせる。時にエレクトリック・マイルスを彷彿とさせてくれる。トランペットはレスター他3人いる。それとJ・D・Parranのフルートも参加。演奏するのは、シカゴAACMのAECと同じ「Art Ensemble」を名乗っているが、こちらはファンクを基調としたもの。ノリの良いリズムに乗って各人の自由闊達なソロを楽しめる。こういうのを「フリー・ファンク」と呼ぶのだろうか。ファンクとは貪欲で懐の広く深い音楽だ。このリズムの上では、ジョン・ゾーン、ペーター・ブロッツマン、ソニー・シャーロックだって泳げてしまう懐の広さを有す。オリジナルのLPは盤質が悪かった。まさかのCD化に驚喜! 同じく「Luther Thomas&Human Arts Ensemble」を名乗るアルバム「Banana」(73年)がCDで出ている。こちらは、ボボ・ショウの他はトーマス(as,p)、ジェームズ・マーシャル(as,ts,fl)、アブドゥラ・ヤクブ(a-hr),キャロル・マーシャル(voice,accordion)といった小編成。
Marvin Peterson/マーヴィン・ピーターソン(現在はハンニバル・ロクンベと名乗っている)は、1948年テキサス州スミスヴィル生まれのトランペット奏者。ノース・テキサス州立大学を卒業後、70年にNYCに進出。ロイ・ヘインズ、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダースらのグループで活躍。74年にサン・ライズ・オーケストラを結成。77年アンティーブ・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音の本作は、盟友ジョージ・アダムスと共に、バリバリと吹きまくる熱演を聴くことが出来る。ニューオリンズ時代からの伝統「ラッパはとにかくデカイ音でバリバリ吹くもんだ!」を地で行くハンニバルに対して、G・アダムスも持ち前のキレ具合を見せる。と、書くと何だか大雑把な演奏のように思われるかもしれないが、そんなことはない。スピリチュアルな感動の熱演といったところか。
Ornette Coleman/オーネット・コールマンは、1930年テキサス州フォートワース生まれのアルト・サックス、トランペット、ヴァイオリン奏者。チャーリー・パーカー以降最大のジャズの革命家。プロ・デビューは、R&Bのバンドだった。49年に初録音を経験している。その頃から今に通じる演奏をしていたらしく、楽器を壊されたこともあったようだ。59年録音の本作は、アトランティックにおける第1弾。記念すべきオーネット・コールマン・カルテット~O・Coleman(as)、Don Cherry(cor)、Charlie Haden(b)、Billy Higgins(ds)の初陣を飾るアルバム。後有名になった曲「Lonely Woman」が収録されている。リリース当時は賛否両論の嵐が吹いたそうだが、今の耳で聴けば、これのどこがそんなに衝撃的なのだろうと思う人も多いかもしれない。時代がやっと彼(この時代の)に追いついたということか。同じく59年録音といえば、マイルス・デイヴィスの「Kind Of Blue」がある。これはモード・ジャズの実質的出発点といえる傑作。O・コールマンのこのアルバムは、同じくフリー・ジャズの出発点と言えるだろう。そう考えると、巷で言われる、ジャズはモード・ジャズに至って、その後必然的にフリー・ジャズに行かざるえを得なかった。という表現は間違いだということが分かる。この二つ、ほぼ同時に生まれたようなのであった。
Jackie McLean/ジャッキー・マクリーンは、1932年NY生まれのアルト・サックス奏者。子供の頃はソニー・ロリンズ、ケニー・ドリューとバンドを組み、近所にはバド・パウエルが住んでいて、彼に教えてもらっていたとう環境に育った。なんるべくしてなったジャズ・ミュージシャンの道だ。このディスクガイドを「フリー・ジャズ/フリー・ミュージック/インプロヴァイズド・ミュージック」専門と思っている人にとっては、(たしかにそうなんだが)ここにジャッキー・マクリーンが出て来たことに驚く人、当然と考える人、そもそもこんなミュージシャン知らないという人に分かれるだろう。三番目の人はロックなんかからインプロに興味を持った人かな? ハイ、ジャッキー・マクリーンはジャズど真ん中のアルト・サックス奏者です。それも1951年録音のマイルス・デイヴィスのアルバム「DIG」が初録音という大ベテラン。その彼がオーネット・コールマンと共演? 実は、60年代前半からフリー・ジャズに接近していたのです。63年ブルー・ノートに録音した「One Step Beyond」(トニー・ウィリアムス、グラチャン・モンカーⅢ、ボビー・ハッチャーソンらが参加)あたりからその兆しが見え始めた。「オーネット・コールマンと録音するのは避けられないと感じていた。」と、言ったとか。これはもう格闘家の感覚ではないか? ここでのオーネット・コールマンはトランペットだけ吹いている。あえてアルト・サックスは避けたようだ。あくまでも、J・マクリーンがO・コールマンに歩み寄っての演奏で、O・コールマンはいつもの流儀で対応している。J・マクリーンは、その後これで気が済んだと見えて、元のジャズの世界に帰って行った。
Karel Velebney/カレル・ヴェルブニーはチェコのテナー・サックス奏者。ジャケットだけ見ると、いかにもアンダーグラウンドだし、一体どんな音楽をやっているんだか分からないようなデザインだ。ちょっと店頭で手に取るのは気が引けるか、はたまた変わったモノが好きな人は思わず手に取るか? 体裁はこんなだが、中身は予想外に面白いのだ。プラハの春の前年の67年の録音。彼のグループ「SHQ」は、当時チェコで人気のあった人形劇場で音楽を担当していたそうだ。人形劇中にも、このような演奏をしていたのだろうか。フリー・ジャズではあるが、単にフリーキーなソロを取ったり、回したりの単純なものではない。多様な音楽がドサッと詰め込まれている。劇伴がプラスに作用している。
ジャズの名門レーベル、サヴォイは活動の晩年に当たる66年、67年に「サヴォイ・ニュージャズ・シリーズ」として、このヴァルド・ウィリアムスの他、ロバート・F・ポザー、マーク・レヴィン、マーゼット・ワッツ・アンサンブル、ジョセフ・シャンニ&デヴィッド・アイゼンソンのアルバムをリリースしている。どれも今ではお目にかかることのない大変難しいものばかり。私がこのアルバムを入手出来たのは以前国内盤が出たからだ。彼のピアノに、Reggie Johnson(b)、Stu Martin(ds)というピアノ・トリオ。アルバム・タイトルが「New Advanced Jazz」と威勢のいいことこの上ない。しかし録音されたのが67年と考えると、いささかハード・バップを引き摺りすぎか。果敢にフリーに挑戦する姿は敢闘賞もの。しかし幕内上位は少し厳しいか。
Edward Vesala/エドワード・ヴェサラは、1945年フィンランド(スオミ)生まれのドラマー。シベリウス音楽院で打楽器を学んでいる。自ら音楽学校を運営したこともある。弟子達の中から精鋭を選び「サウンド&フュアリー」を結成。ECMから多くのアルバムをリリースしている。このアンサンブルでの来日もあった。76年ヘルシンキ録音の本作は、ラージ・アンサンブルにストリングス、合唱も加わった曲もあるスケールの大きな作品。フィンランド人のサックス奏者Juhani Aaltonen/ユアニ・アールトネンの他、ポーランド人のトランペット奏者Tomasz Stanko/トマシュ・スタンコも参加。素晴らしいソロを取っている。どの曲もシベリウスの音楽に通じる、柔らかく明るい曲なんだが、どこか仄かな光加減なのだ。これは、どう転んでもアメリカのアンサンブルでは出せない味だ。
グローバルに広がったジャズの良い所だ。
John Surman/ジョン・サーマンは、1944年生まれのイギリスを代表するバリトン・サックス奏者。イギリスどころか、ジャズ史上屈指のプレイヤーと言ってもいいだろう。バリトン・サックスの他ソプラノ・サックス、バス・クラリネット、シンセサイザーも同等に達者だ。バリトン・サックス一本で、重低音から超高音まで楽々と自在に吹き放つ。69年録音の本作は、初期の傑作。小編成から12名のラージ・アンサンブルまでの曲が並び、一枚を通して聴くと一つの組曲のようにも聴こえる。美しいジョン・テイラーのピアノをバックに、ソプラノ・サックスでバラードを吹いたり、ラージ・アンサンブルの轟音をバックにバリトン・サックス一本で、ゴイゴリ、バリバリと豪快なソロを取ったりと、聴く者を一瞬たりと飽きさせはしない。The Trio名義のアルバム「Conflaguration」も同様に必聴。
フリー・インプロヴィゼイション界の2大巨頭の二人による、1975年に行われたデュオ・コンサートの記録。二人は、66年にお互いが別々にロンドンのリトル・シアター・クラブで演奏を始めた。67年、二人は「スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル」に参加。そしてデュオ活動も開始した。68年にはカンパニーの前夜の重要グループ「ミュージック・インプロヴィゼイション・カンパニー」を結成。二人共ギター奏者として、サックス奏者として前例のない革新的奏法を編み出し衝撃を与えた。それは単に技術面だけに終わらず、音楽の表現そのものを根底から覆すほどだった。フリー・インプロヴィゼイションの何たるかを常に問い続け、示し続けた彼等の功績は今後も永遠に残るであろう。87年以降二人は袂を分かち共演はないままに終わってしまった。その意味でも、本作は重要である。即興演奏の最も理想的な姿の一つがここにある。
Paul Rutherford/ポール・ラザフォードは、1940年ロンドン生まれのトロンボーン奏者。ジョン・スティーヴンスの「スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル」に参加。70年には、デレク・ベイリー、バリー・ガイと「イスクラ 1903」を結成。グローブ・ユニティに参加。と、ヨーロッパ・フリー・シーンのど真ん中を常に歩んで来た重要人物の一人。74年録音の本作は、彼の最初の無伴奏ソロ・トロンボーン・アルバム。ミュートと声を使っての、驚異的なソロが続く。華麗、流麗とは正反対の歪な音を響かせる。とは言え、音の流れは流線型を作り、破壊的な演奏ではない。A・マンゲルスドルフは、この2年前に無伴奏ソロ・トロンボーン・アルバムを出している。二人の違いはジャズ度の違いか。マンゲルスドルフは、超絶的な演奏をしても、ジャズ・ミュージシャンを捨ててはいないが、P・ラザフォードは、ジャズを突き抜け、D・ベイリーやE・パーカーらと肩を並べる地平に立っている。彼はその後2年間隔でRINGに「Old Moers Almanac」とSweet Folk And Countryに「Neuph」というソロ・トロンボーン・アルバムをリリースした。
1980年頃はよく新宿PIT INNにアパートから歩いてよく行っていた。当時は山下洋輔がよく出演していたものだった。あるときからメロディーの美しい、だがどのアルバムでも聴くことが出来ない曲が演奏されるようになった。新曲を演奏しているのだろうとは思っていたのだが、このアルバムが出て謎が解けた。「ノスタルジア」という曲だった。80年に録音されたこのアルバムだが、当時は結構話題になったものだった。富樫雅彦と山下洋輔という、シロートの私にはどう見ても交わりそうにない二人のデュオだというのだ。60年代二人は渡辺貞夫のグループに参加していたが、音楽的な相違で喧嘩別れをしてしまい、その後交流はなかったようだった。音楽を見ても到底交わりそうにないものでもあった。それが15年ぶりに共演したというのだから、ジャズ界ではニュースになったのだ。「噛み合うのか?」とも思ったが、そこはすでに百戦錬磨の二人、感動的な演奏を繰り広げている。当時、山下が富樫側寄りの演奏をしたなどという論評も目にしたが、その前から山下トリオや色々なセッションを生で聴いていた私は、所謂「山下トリオ」の疾風怒濤の演奏からは軌道を変え始めているのがよく分かっていたので、ここでの演奏は想像はついたものだった。が、そんな想像を越える名演である。
Cecil McBee/セシル・マクビー、1938年オクラホマ州タルサ生まれのベース奏者。子供の頃はクラリネットを吹いていた。17歳の時ベースを買ってもらった。61年デトロイトでプロとしてスタート。64年にNYに進出。66年に参加したチャールズ・ロイドのグループで大いに注目を浴びる。このグループには若き日のキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットも参加していた。その後の共演歴を書き連ねて行ったら夜が空ける。日本のジャズ・ファンには山下洋輔NYトリオのベースとしてよく知られていると思う。このトリオで山口市でコンサートが行われたことがあった。74年録音の本作は、彼の遅すぎたファースト・リーダー・アルバム。全曲彼のオリジナルで、全てタイプの異なる演奏になっており、彼の作曲家としての力量を知らしめるアルバムにもなっている。1曲目は、アルコのみで多重録音された曲。伴奏者としか認識していない人は、驚くことだろう。力強くスケールの大きな演奏だ。これ1曲だけで、このアルバムを買う価値あり。「Voice of The 7th Angel」では、ヴォーカルでディーディー・ブリッジウォーター活躍。タイトル曲「Mutima」は、14分近いスピリチュアルな曲。その他彼の息子がエレクトリック・ベースで参加したファンキーな曲もある。また、フリーなソロが爆発する曲もある。引き出しの多さは彼らしい。79年には、India Navigationから、「Alternate Spaces」がリリースされた。こちらは、Joe Gardner(tp),Chico Freeman(ts),DonPullen(p),Allen Nelson(ds),Don Moye(perc)と言う強力な布陣でどっしりと正面から迫る。
今でも続くAlexander von Schlippenbach/アレクサンダー・フォン・シュッリッペンバッハ・トリオの1972年録音のファースト・アルバムがこれ。Evan Parker/エヴァン・パーカー(ss、ts)とPaul Lovens/パウル・ローフェンス(perc)との鉄壁のコンビネーションは不滅。アレックスさんの夫人でもある高瀬アキさん曰く「このトリオの瞬発力は、プロの私が聴いても凄い!」。ある日本人ミュージシャンは「これを聴いてショックを受け、今のスタイルになった。」と言った。プロをも刺激する演奏だったのだ。お互いの反応の速さ、読みの深さ、音の強度とスピードは、フリー・ミュージック史上でも屈指の存在だろう。79年のことだ。新宿にあったジャズ喫茶「DIG」で、このLPをリクエストしたら、すんなりと応じてくれて、すぐにかけてくれた。すると、満席だった客席があっという間にカラになってしまった。中には私の方を怒こったような目つきで睨んで帰って行く者もいた。JAZZファンとは今も昔も結構保守的な人が多いものだ。
Rudiger Carl/リュディガー・カールは、1944年東プロイセン、ゴルダプ生まれのアコーディオン、テナー・サックス奏者。ウィーンとカッセルで育ち、66年に西ベルリンに移住。70年にはヴッパタールに移っている。72年録音のこのアルバム「キング・アルコール」は、FMP初期の傑作。ギュンター・クリストマン(tb)とデトレフ・シェーネンベルク(ds)のコンビにR・カールが加わったのか、はたまたその逆かは分からないが、ヨーロッパ屈指のコンビネーションを誇るデュオ・ユニットとの共演は、ヘタをすると母屋を取られかねない。今でこそR・カールはアコーディオン奏者の方のイメージが強い感じもあるが、この当時はテナー・サックス奏者として、イレーネ・シュヴァイツァーのグループやグローブ・ユニティで活躍していた。だから現地での活動を知らない私達は78年録音のハンス・ライヒェルとのデュオ作「Bnben」でconcertinaというアコーディオンに似た楽器だけを演奏するR・カールに驚いたものだった。ここでは母屋を取られることもなく、クリストマン&シェーネンベルクのコンビと対等に渡り合うR・カールが聴ける。ヨーロッパ・フリーと聞いて想像する正に典型がこういった演奏だった。
「NOMMO」はGerard Siracusa/ジェラール・シラキューサ?(perc)、Andre Jaume/アンドレ・ジョーム(sax)、Raymond Boni/レイモン・ボニ(g)の三人のフランス人によって結成されたトリオ。サックス、ギター、ドラムのトリオ演奏なのだが、これを当時のイギリスの、ドイツのミュージシャンの同じ編成での演奏を比べてみると、明らかに違った様相を呈すことになる。クラシックでもドイツ音楽とフランス音楽では明らかに違うように、ジャズ/インプロヴィゼーションでもそれは同じように感じられるものだ。「ノモ」の三人は、フリージャズには違いないが、三人ともある種のしなやかさ、柔らかさを音に有しており、優雅といってもあながち嘘ではないだろう。これをフランス的と言ってもいいのだろう。だが、決してヤワな演奏ではない。常にピーンと張り詰めた空気感が漂っている。変幻自在のA・ジョームもよいが、R・ボニのギターは、他を見渡しても例が無いようなユニークさを持っている。
これは1980年に録音されたポーランドのトランペット奏者Tomasz Stanko/トマシュ・スタンコ?の無伴奏ソロ・トランペット・アルバム。しかし、ただのソロ・アルバムとは少々違うのだ。その録音された場所が、なんとインドのタージ・マハルとカルーラ洞窟というではないか。だいたいそんな所でこんな録音をさせてくれるのかどうか、正直疑問符は付く。だが、本当だと信じて聴けば、電気処理されたエコーではないナチュラルな響きにも聴こえる。それはともかく、場所が場所だという先入観があるせいなのか、T・シュタンコの演奏がスピリチュアルに聴こえて来る。抽象的な演奏なのは確かなのだが、人を苛立たせたりするようなものではない。元々彼の書く曲もトランペットの演奏も、叙情的で美しい響きが特徴だ。こうした場所での演奏もよく似合っている。アルバム・プロデューサーはフィンランド人のドラマーEdward Vesala/エドワード・ヴェサラ。リリースしたのはLeo Records。と言っても、ロンドンのLeoではなくて、ヘルシンキのLeoです。
Meredith Monk/メレディス・モンクは「声の魔術師」と呼ばれるように、声の可能性の拡張に多大な貢献をしてきた作曲家でありヴォイス・パフォーマー。本作は、1972年から79年にかけて作られた曲を集めたもの。1~4までは、M・モンクのヴォイスとピアノと、パーカッションのCollin walcott/コリン・ウォルコットによる演奏。5曲目のDokmen Musicは、彼女の率いるヴォーカル・アンサンブルの演奏する23分を越える大作。これらは「現代音楽」の範疇に入るにだろう。その言葉から想像されるCOOLとは、少々違った温もりを感じさせる音楽だ。クラシカルなヴォーカル・トレーニングも受けて来たが、それと並びフォークやロックも歌って来た経験を持つ彼女の声や表現は、暖かさが宿る。彼女の声を聴いていると、遠い過去の記憶が呼び起こされ、懐かしい感情が湧いてくる。
これは、Jay Clayton/ジェイ・クレイトン(voice)の1980年録音のファースト・リーダー・アルバム。その前の73~75年にかけて録音されたPeter Fish(p)/The Silver Apple(Ellips)が初録音らしい。
ジェイ・クレイトンの名前は、Steve Reich/Music for 18 Musiciansのメンバーとしてくらいしか認識していなかった。さすがに、これだけ大勢ではその声を特定するような聴き方はしていない。ヴォイスだけで4人いるし、そのような音楽でもないし。ちなみにこの曲は必聴! さて、このアルバムだが、ジェイ・クレイトンは63年にNYCに出て来て、フリー・ジャズの渦中に身を置いて以来、何と17年目にしてやっと作られたリーダー作になるらしい。透明感のある声は、これだけといった狭い範囲に身を置くことから、いい意味で解放することの出来るツールだったのかもしれない。同じヴォイスのShelly Hirshら三人も参加したエスニック&アンビエント風な曲や、H・スタッドラーの曲もある。長いキャリアに裏打ちされた多彩な表現を聴くことが出来る。共演のJane Ira Bloom(ss、as)も良い。
廣木光一さんは、1956年生まれのギターリスト。高柳昌行氏に長年師事された。だからと言ってフリー・ジャズ/インプロヴィゼーションを指向されている訳ではない。渋谷毅さんは、1939年生まれのピアニスト。自己のオーケストラを組織されていたり、歌謡曲、映画音楽等の作曲でも活躍されている。この二人が演奏するのは、オリジナルの他、アントニオ・カルロス・ジョビン、C・ミンガス、D・ブルーベック、T・モンク、H・アーレンに加え「C'est Si Bon」といった選曲。演奏は派手さも無く、一見淡々と進んでいるように聴こえるかもしれない。これは「中庸の美学」と言って良いのではないか。じっと聴き込むも良し、何かをしながら聞き流すも良し。このような演奏は余程の技量とセンスがないと出来ないものなのだ。
サイン入りの説明をしておこう。実は、このアルバムの存在を知った時には、なかなか手に入らないようになっていた。廣木さん本人に伝えたところ、何とご自分の所有される唯一のCDをわざわざ送って下さったのだった。嬉しいやら恐縮するやら。高橋悠治さんの時も同じようなことがあり、今後こんなことは言わないようにしなければ・・・。
「Minerva/ミネルヴァ」とは、ローマ神話に出てくる知恵と武勇の女神。まるで高瀬アキさんそのものではないか。サッカー・ワールド・カップ・ドイツ大会では(ブラジル大会でも・・・)、日本代表は正に蹴っ飛ばされて帰って来たが、彼女は違った。彼の地で確固たる地位を築いたのだった。今やヨーロッパ屈指のピアニスト、バンドリーダーだ。リリースされたアルバムが、ドイツの年間最優秀賞や批評家大賞に選ばれる程なのである。80年録音の本作は、Dave Liebman/デイヴ・リーブマン(ss、ts)、井野信義(b)、日野元彦(ds)を迎えて演奏されたこの時期の代表作。当時の彼女の作る曲はフォーク調であったり、幻想的な美しいメロディーが多い。D・リーブマンはコルトレーンを彷彿とさせる演奏だ。一曲演奏されるソロ・ピアノは、後年の演奏を思わせる「自由」な演奏。ベースの井野も独創的な演奏を聴かせる。自己確立前夜といったところか。これはこれで聴かせるアルバムだがなあ。
ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ委嘱シリーズの中では、最もジャズ・オーケストラらしい、Rosewell Rudd/ラズウェル・ラッドのアルバム。残念ながら、私の軽い脳ミソでは「Numatik」の意味がさっぱり分からないが、「Swing Band」は理解出来るつもりだ。そう、このアルバムは、豪快にスウィングしているのだ。所謂30年代、40年代のスウィング・バンドのスウィングとは勿論違うのだが。他のジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ作品は、パーカッションが鳴り響くアフリカ回帰色の強いものが多いが、R・ラッドは白人で、ディキシーランド・ジャズ出身。そのせいかどうか、3フレンチ・ホルン、2チューバ、3トロンボーン、4トランペトとブラス楽器が多い。古き良き伝統と、前衛の混在。
それにしてもとんでもないCD・BOXが出たものだ。Albert Ayler/アルバート・アイラーの未発表録音が、CD9枚組みとなって固くてしっかりとしたケースにビシっとた詰まっているのだから驚くなという方がおかしい。アイアラーの未発表録音は結構リリースされてはいるが、まさかここまでの未発表録音集がリリースされるとは!噂には聞いていたアルバート・アイラーとセシル・テイラーの共演が聴けるこの喜び!カフェ・モンマルトルでのセシル・テイラーのライヴ録音に先立つ一週間前、ラジオ放送用に録音されているのが有ったのだ。その他、「スピリチュアル・ユニティ」一か月前の、セーラー・カフェでのライヴ。コルトレーンの葬儀での演奏。ファラオ・サンダースのグループのメンバーとしての演奏。弟ドン・アイラーのグループのサイドメンとしての演奏というものある。音質的には相当厳しいのも中には混ざっているが、それがどうした!正座して拝聴すべし! ビートルズのアンソロジーが出た時、相当売れたが、相当中古盤店に売り払われて、Amazonなんかで、一枚1円などという呆れた値段が付けられていたものだ。ようするに、ビートルズ初心者がオリジナルのアルバムをろくに聴かない内こっちを先に聴いてしまった人が多かったのが原因と聞く。このアイラー・BOXも、先にESP、Impuls盤等を先に聞き込んでから購入されることをお薦めする。「サイラーとセシルの共演!!」とか言って盛り上がってるのは、年季の入った者くらいだろうから。こういう輩は、少々の音質の悪さくらい、脳みその中で音質の補正をして聴いているのです。チャーリー・パーカーのファン然り。この音質の悪い録音の彼方から聞こえて来るアイラーの雄叫びが、五臓六腑に染み渡るこの幸せよ!
現代音楽の作曲家Jon Appleton/ジョン・アップルトンとDon Cherry/ドン・チェリーが、1969年ダートマス・カレッジの電子音楽スタジオ(この当時のカレッジに電子音楽スタジオがあったとは! 日本では考えられない。)で制作したアルバム。現代音楽の世界では、これを「エレクトロ・アコースティック」と呼ぶのだろうか。この音楽にはその言葉から受ける冷たさは無い。有る訳がないだろう、何しろドン・チェリーがいるんだから。「電子音楽」という言葉が、所謂現代音楽でのそう呼ばれる音楽を指しているのみならず、近年はもっと幅広い領域をも指すようになった時代にあっても、エレクトロニックなサウンドとアコースティック楽器のサウンドが水と油の如く混ざり合うことなく違和感を感じさせる場面が多々有る。ドン・チェリーはそれを避けようと考えたのか、「通常のトランペット奏者」であることをひとまず横に置いて臨んだようだ。よりノイズ成分の多いサウンドを選んでいる。コルネットには通常のマウスピースを使わず、古い時代のマウスピースやバスーンのリードを取り付けていたりする。その他木製、竹製、金属製の各種笛、カリンバ等を演奏している。電子音を使っているが、「Human Music」のタイトル通りそこはドン・チェリーらしい有機的な音楽を目指している。ジョン・アップルトンも電子音響からHumanなサウンドを出そうと狙っているようだが、正直ドン・チェリーの出す音とは、少々違和感を覚える場面も無きにしも非ずといったところか。
Roscoe Mitchell/ロスコー・ミッチェルは、1940年生まれのマルチ・リード奏者。基本的にはアルト・サックスのようだ。63年Muhal Richard Abrams/ムーハー・リチャード・エイブラムスの「エクスペリメンタル・バンド」に参加。AACMの創設メンバーの一人でもあり、ご存知アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーでもある。66年録音のこのアルバムでは「ロスコー・ミッチェル・セクステット」となっているが、L・ボウイ、J・ジャーマン、M・フェイヴァースとはすでに「アート・アンサンブル」を名乗っていたようだ。ここでは、J・ジャーマンが抜けLester Lashley(tb、cello)、Maurice McIntyre(ts)、Alvin Fielder(perc)、Lester Bowie(tp)、Malachi Favors(b)が参加している。同年の他のフリー・ジャズと呼ばれていた演奏の録音と比較して見よ。いかに彼等の音楽が一歩先を行っていたか。すでに「フリー・ジャズ」からもステップ・アップを図っていたのだった。自らと他者との距離を広く取り、見た目の速度より内なる速度を大切にしている。
Eddie Gale/エディ・ゲイル(tp)は、サン・ラのようなコミューンを作り共同生活をしていたようだ。その同志達でメンバーを集めて「ゲットー・ミュージック」の標榜の元、ブルー・ノートに2枚のアルバムを吹き込んだ。これはその第1作目。E・ゲイルは同じブルー・ノート盤の66年録音のラリー・ヤングのアルバム「オブ・ラヴ・アンド・ピース」でも演奏が聴ける。それから2年後、自身のアルバムでは、11人のコーラス、ツイン・ベース、ツイン・ドラムスで、彼の主張してやまない、アメリカ黒人の過酷な現実を強く訴える音楽を展開する。拳を突き上げた様を、まざまざと見せ付けられるような感覚にさせられる音楽だ。サン・ラのようなエンターテイメント性が希薄な分、少々息苦しさを感じるかもしれない。しかし、これは必要な音楽なのだ。いつの世にも。
Andrew Cyrille/アンドリュー・シリルは、1939年NYC・ブルックリン生まれのドラマー。52年から57年に個人についてドラムを学んだ。フィリー・ジョー・ジョーンズに師事していた事もある。59年から63年までは、イリノイ・ジャケー、ローランド・ハナ、ローランド・カーク、そして特にウォルト・ディッカーソンとは多くのアルバムをリリースしている。65年から75年にかけてセシル・テイラー・ユニットのドラマーとして名を馳せた。78年ミラノでの録音の本作は、彼のグループ「Maono」のアルバム。リリース当時は、テナー・サックス奏者のDavid S.Ware/デヴィッド・S・ウェアの演奏がたっぷりと聴ける事が嬉しかった。現在の彼のアルバムのリリース状況を見ると信じられないだろうが、これがリリースされた当時は、デヴィッド・S・ウェアの録音は数枚のアルバムでしか聴けなかった。おまけにマイナー・レーベルな為に買うことも困難だった。そして、フロントのもう一人はTed Daniel/テッド・ダニエル(tp、fh)。当時のロフト・シーンのツートップといったところだ。ベースは、Nick Digeronimo。ドラマーらしく、ユニークなリズムを使った作曲が冴える。セシル・テイラー・ユニットで見せる疾走する怒涛の演奏はここでは横に置いて、自身のグループの特徴を出すべく曲作りをしている。セシルのユニットの時ような「フリー・ジャズ・ドラマー」アンドリュー・シリルを求める人は肩透かしをくらうかも。だが、セシルのユニットの時も、セシルが朗読したりダンスをしたりしているときは全く別の顔になるのも知っておいた方がよい。我々日本人は、彼のような力強いバネのあるドラマーの生演奏を聴く機会が本当に少ない。アンドリュー・シリルの生演奏に接した人の「生で聴くシリルは凄かった。」という証言アリ。Black Saint盤の、一人でたくさんの楽器を演奏し、ジー・リーとジミー・ライオンズも参加した「Nuba」(79年)も必聴!
「ザ・フォレスト・アンド・ザ・ズー」と書くよりも「森と動物園」と書く方が、古くからのレイシー・ファンには、演奏もユニークなジャケット画も思い出されるのでは? 1966年ブエノス・アイレスでライヴ録音された本作は、同年のGTA盤「Sortie」に次ぐアルバム。前作同様イタリアの新進気鋭のトランペッター、Enrico Rava/エンリコ・ラヴァが参加しているが、ベースとドラムはkent Carter/ケント・カーター(b)、Aldo Romano/アルド・ロマノ(ds)から、南アフリカ出身のJohnny Dyani/ジョニー・ディアニ(b)とLouis Moholo/ルイス・モホロ(ds)に変わっている。南ア勢から間断なく放出されるエネルギーをS・レイシーとE・ラヴァは受け取る。そして、お互いが所謂フリー・ジャズ的な熱狂とは違い、断片的なフレーズを出し合い、絡み合い、演奏は続く。元々はディキシーランド・ジャズからスタートしたミュージシャンであったことは知っててよい。
Giorgio Azzolini/ジョルジオ・アゾリーニは、1928年生まれのイタリアのベース奏者。50年代から活躍しており、ヴァッソ=ヴァルダンブリニのグループのベーシストとしてデビューした。ステファン・グラッペリ、ボビー・ジャスパー、ラルス・ガリン等ヨーロッパの主要ミュージシャンとも共演を重ねて行った。60年代にはイタリア・ジャズ・シーンの牽引者の一人となった。64年には、ガトー・バルビエリ(ts)やフランコ・アンブロゼッティ(tp)らと「Tribute To Someone」をリリース。68年録音の本作は、Franco D'Andrea/フランコ・ダンドレア(p)、Enrico Rava/エンリコ・ラヴァ(tp)、Aldo Romano/アルド・ロマノ(ds)とのカルテット。現代イタリアを代表する者達の若き頃の演奏を聴くことが出来る。アゾリーニは後ろからフロントのラヴァ達にゴンゴンと力強いピチカートで煽り立てる。ラヴァやダンドレアもそれに応え、バリバリと吹き、弾く。アゾリーニはピチカートだけではなくアルコも達者で、ソロも取る。アゾリーニのアルコとダンドレアのピアノのデュオになるところもある。全体的には60年代のマイルス・グループの演奏から少し飛び出たあたりの演奏を、行ったり来たりと言ったところか。ラヴァは、同時期のスティーヴ・レイシーとの共演時の演奏と比べると、かなりオーソドックス寄りな演奏ではある。今も昔もラヴァは、TPOに合わせると言うか、そこは器用にどんなシチュエーションでも演奏出来てしまう。それは、ロマーノも同じで、フリー・ジャズ・ドラマーのイメージだけで聴くと肩透かしを食うこともある。ダンドレアは、キレのよいピアノを弾くが、プログレッシヴ・ロックのバンド「ペリゲオ」に5年間在籍したりと、みんな一筋縄ではいかない連中だ。何はともあれ、このアルバムは、イタリア・ジャズの傑作。
Muhal Richard Abrams/ムーハー・リチャード・エイブラムス(日本では「ムハール」と呼ばれているが、実際は「ムーハー」に近い。豊住芳三郎さんの証言)は、1930年シカゴ生まれのピアニスト。1961年「The Experimental Band」を結成。65年AACMを組織。AACMのドンである。悠雅彦氏の自主レーベルWHYNOTの為に75年に録音された本作は、ムーハーのソロ・ピアノ・アルバム。ムーハーのそれまでにリリースされたDelmark盤の先鋭的なピアノ演奏を思い浮かべると、このアルバムでの演奏には意表を突かれるかもしれない。ムーハーのイメージは、AACMのドン、オーケストラ作品を書く(と言ってもクラシカルなのではなく、ジャズ・オーケストラ)作曲家。ピアニストとしての姿を前面に出したアルバムは意外と少ない。そんな少ない中の貴重なアルバムが、この「アフリソング」と言えるだろう。当時はキース・ジャレット、チック・コリアを筆頭に色々なジャズ・ミュージシャンがソロ・ピアノ・アルバムを作っていた。クラシカルな響きを持つもの、ただ単にいつものジャズ演奏を一人でやっただけみたいなもの等粗製濫造ぎみでもあった。そんな中、このムーハーのソロ・ピアノは、一際光っていた。いつもの過激さを控え、クラシカルな方向に向かわず、ブラック・ミュージシャンとしての立ち位置をしっかりと見極めた演奏を行っている。過激なフリー・ジャズ・ピアノを期待する向きには期待はずれかも知れない。しかし、普段は己の奥底にしまいこんでいた本質に迫った感動的な演奏を聴くと、演奏スタイルという表層的な部分だけを聴いている普段の自分が恥ずかしくなる。リリカルで美しい響きだが、それはアフリカン・アメリカンの歴史を遡る過程から生まれ出た響きなのだ。
Arthur Doyle/アーサー・ドイルは、1944年アラバマ州バ-ミンガム生まれのテナー・サックス奏者。私は彼の演奏は、このアルバムと、ミルフォード・グレイヴスの「BABI」(Bの頭に・・が付く)と、ノア・ハワードの「ザ・ブラック・アーク」でしか知らない。レコードは無いが、デイヴ・バレルやビル・ディクソンらとも共演していたようだ。テネシー州立大学で作曲を学んでいるそうだが、それを俄かに信じられないような、ひたすら吠えまくる熱演型。ここでも、Rashied SinanとBruce Mooreの二人のドラムと、Richard Williamsのエレクトリック・ベースの迫力のあるビートに乗っかってテナー・サックスを吹き倒している。もう少し冷静なCharles Stephesのトロンボーンが演奏に幅を持たせている。近年復活して、CDも何枚かリリースされ来日もしたことがある。千鳥足のまま吠えているようなカワユイおじさんになっていた。これはこれでほほえましくもあった。
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Jane Ira Bloom/ジェーン・アイラ・ブルームは、1955年マサチューセッツ州、ボストン生まれのサックス奏者。最初はピアノとドラムを演奏していたが、9歳でアルト・サックスに変える。68年から79年まで、Joseph Violaに師事。エール大学で学ぶ。NYに移り、自身のレーベル「Outline Records」を設立した。Mark Dresser,Bobby Previte,JayClayton,Kenny Wheeler,Julian Prester等々と共演。81年までは、ヴァイヴラフォン奏者のデヴィッド・フリードマンのグループに在籍し、その後独立。何と、チャーリー・ヘイデンとエド・ブラックウェルをメンバーに迎えた自己のグループを結成した。82年にはドイツのジャズ・レーベル「ENJA」からアルバムをリリース。周囲の期待も知れようというものだ。78年録音の本作は、デヴュー間もない頃の自身のレーベルからリリースしたアルバム。ベースのケント・マクラガンとのデュオだ。マクラガンの軽快なベースに乗っかって、ソプラノ・サックスの音がスイスイと泳ぐかのような演奏。時に柔らかく、時に力強く。同じソプラノ・サックスでもスティーヴ・レイシーやロル・コックスヒルのようなクセの塊のような演奏の後に聴けば、一服の清涼剤になります。エレクトロニクスを使い、サックスの音を変調させたりもする新進性を持っている。近年は、ジン・ヒ・キムやミン・シャオ・フェンといったアジアの民族楽器とも共演している。
ジャズ界きっての才女、いや女傑Carla Bley/カーラ・ブレイ、一世一代の超大作! Paul Haines/ポール・ヘインズの書いたテキストに音楽を付けた「ジャズ・オペラ」。68年に録音を開始するも、最終的には71年までかかっている。演奏は、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ、そしてジョン・マクラフリン、カーラ・ブレイ、じゃっく・ブルース、ポール・モティアンのバンド「ジャックズ・トラヴェリング・バンド」、そしてリンダ・ロンシュタットも。まだまだその他大勢が参加。ジャズ・オペラというくらいだから「歌」が本命。元クリームのベーシスト、ジャック・ブルースが大活躍する。その後ろで、J・マクラフリンがロック・テイストのハードなギターを弾きまくる。ソロで目立つのは、ここでもドン・チェリーだ。最後は20分近い持続音のみ。全部通して聴くと結構疲れます。
「CODONA」は、Collin Walcottコリン・ウォルコット(sitar、tabla、hammered dulcimer、sanza、voice)、Don Cherry/ドン・チェリー(tp、fl、doussin'gouni、voice)、Nana Vasconcelos/ナナ・ヴァスコンセロス(berimbau、cuica、perc、voice)の三人の頭文字を取った名前のトリオ。私にとっては、正にオールスター・トリオ!このアルバムが発売されると知った時は嬉しかった。早く聴きたかった。新宿のジャズ喫茶「DIG」にはすぐ入ったので、行っては何度もリクエストをして聴いたものだった。何の知識もなくこの音楽を聴いたら、どう思うだろうか。どう感じるだろうか。インド音楽でもなく、ジャズでもなく、フュージョンでもなく、現代音楽でもなく、ワールド・ミュ-ジックと呼ばれるようになったポップスでもなかった。純粋に「フュージョン」の言葉に間違いはなさそうだが? インドとブラジル(リオの海岸ではなくて、アマゾン河流域)とジャズが混じりあった新感覚の音楽としか言いようがなかった。今でこそ色んな音楽が混ざり合った時代だが、この当時では、この音楽は相当ユニークに映った。C・ウォルコットが全体の主導権を握っている感じだ。彼のアルバム「グレイジング・ドリーム」にもこの感覚は繋がっている。スティーヴィー・ワンダーの「サー・デューク」をやっている。これ瞬間芸!よく聴いていないと分からない。
Charles Brackeen/チャールズ・ブラッキーンは、1940年オクラホマ生まれのテナー・サックス奏者。最初はピアノとヴァイオリンを学んでいた。56年カリフォルニアで、アート・ファーマー、ジョー・ゴードン、デイブ・パイク達と共演。66年NYに移る。ドン・チェリー、デヴィッド・アイゼンソン、エド・ブラックウェルらと共演。もう、ここからオーネット・コールマン繋がりのような雰囲気だ。この68年録音の「Rhythm・X」がデビュー作になるが、その後87年録音のSilkHeartのアルバムまで19年間リーダー作を吹き込む機会がなかったようだ。ポール・モティアン「Dance」(ECM/77年)、「LeVoyage(ECM/79年)、ロナルド・シャノン・ジャクソン「Eye On You」(About Time/80年)に参加していた時の録音はあったのだが・・。さて、本作のサイドメンを見よ。ほとんどこれはオーネット・コールマン・バンドではないか。ブラッキーンの演奏も「オーネット・オン・テナー」しているし。作った曲までが、オーネットが作ったと言っても疑わないような曲だし。じゃあ、ただのエピゴーネンかと問われると「ハイ、そうです。」と言いそうになってしまうし、「いや只者ではないです。」と言いたくもなる。シルク・ハートからは、87年のアーメド・アブドゥラ(tp)、87年、88年のデニス・ゴンザレス(tp)のアルバムや、87年には立て続けに「Bannar」、「Attainment」、「Worshippers Come Nigh」と、3枚のリーダー作がリリースされている。ちなみに、奥さんはジョアン・ブラッキーン(p)です。奥さんの方がはるかに知名度は高いだろうなあ。
SOSはイギリスを代表するサックス奏者、Alan Skidmore/アラン・スキッドモア(ts)、Mike Osborne/マイク・オズボーン(as)、John Surman/ジョン・サーマン(ss、bs、b-cl、synth)の三人で73年に結成されたサキソフォン・トリオ。三人の頭文字を取って「SOS」となった。数多くのツアーをこなし、モダン・バレエの音楽も担当した。形態としてはサックス・トリオだが、サックスの他にもパーカッションを使い、J・サーマンのシンセサイザーも大きく使われているので、多彩な表現を聴く事が出来る。トリオの録音より前にJ・サーマンはシンセサイザーの音を録音を済ませ、オーヴァーダビングも効果的に使いスケールの大きな音楽になっている。そのせいもあってか、アルバム全体のイメージは、サーマン色が濃くなっている感は否めない。もし、このアルバムがECMからリリースされていても違和感はないだろう。
Jurgen Wuchner/ユルゲン・ヴュヒナーは、1948年ドイツ、Kleinostheim生まれのベース奏者。ダルムシュタットの音楽院で学んだ。Hans Koller/ハンス・コラー、Helbert Joos/ヘルベルト・ヨーズ、Heinz Sauer/ハインツ・ザウアー(ts)らと共演。78年録音のファースト・リーダー・アルバムの本作には、そのハンス・コラー(ss、b-cl)とヘルベルト・ヨーズ(cor、fn)も参加している。その他Bob Degen(p)、Christoph Lauer(ts)、Thomas Cremer(ds)が参加。アルバムの冒頭、ピアノの内部奏法と、ゴング、バス・クラリネットの低音が響き、抽象的な音の断片がカラフルに飛び交う。4分程した後ゆったりとしたテーマが現れ、コラーの素晴らしいソロが始まる。そしてヨーズの無伴奏ソロに移る。2曲目の途中、ユルゲン・ヴュヒナーのアルコ・ソロが聴ける。これがよく歌う素晴らしい演奏。こんな書き方していたらいつまでたっても終わらない。日本では知名度が少ない、いや全くと言ってもいいほど知られていないミュージシャンかもしれないが、これはヨーロッパ・ジャズの傑作だ。彼の演奏の聴けるアルバムは、「Hans Koller:For Marcel Duchamp」(77年)、「Helbert Joos:Ballad 1」(79年)、他Wiener Art Orchestraの諸作でもたくさん聴ける。83年にストリング・プロジェクトを開始。アルバムも2枚リリースしている。近年もUwe Oberg Quartetでの演奏や、Rudi Mahalとの録音もある。
Clifford Thornton/クリフォード・ソーントンは、1936年フィラデルフィア生まれのコルネット、ヴァルブ・トロンボーン奏者。テンプル大学、モーガン州立大学で学ぶと同時にドナルド・バードに師事した。61年から活動を開始。サン・ラ、ファラオ・サンダースらと共演。64年渡欧。帰国後「ニュー・アート・アンサンブル」を結成。69年再度渡欧し、クロード・デルクローのグループに参加。74年のジャズ・コンポーザーズ・オーケストラとの共演の本作は、ブラック・パンサーのメンバーでもあった彼の思想を強く示す大作。JCOA作品の中でも、質量共に最大の規模を誇る。総勢25名の内8人が打楽器奏者で、全編鳴り響く。曲のほとんどは、西アフリカ、カリブ海の歌をアレンジしたもので、最後は「ブルース・シティ」ハーレムへと辿り着く。アフリカン・アメリカンの歴史を綴った物語。
Grachan Moncur Ⅲ/グラチャン(グラシャン?)・モンカー Ⅲは、1937年NYC生まれのトロンボーン奏者。マンハッタン音楽院、ジュリアードで学んだ。レイ・チャールズのバンドに参加していたこともある。G・モンカーⅢのアルバムといえば2枚のブルー・ノート盤「エヴォリューション」、「サム・アザー・スタッフ」を思い出す人が多いだろう。それらを越える力作、大作が74年録音の本作「エコーズ・オブ・プレーヤー」だ。カーラ・ブレイらいつものジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの面々に加え、ジーン・リーのヴォイスや「タナワ・ダンス・アンサンブル」の打楽器類が「前衛オーケストラ・JCO」を「アフリカン・ダンス・オーケストラ」に変身させていると言うと大袈裟か? ポリリズム渦巻く中、G・モンカーⅢ、ハンニバル、L・ジェンキンスらの力強いソロが現れる。当時のアフリカン・アメリカンのアフリカ回帰思想を最も壮大に表現したアルバム。ソーントン盤と双璧をなす。