LP/CD Review 7

452~Barry Altschul:"Another Time/Another Place"(MUSE/1978)

Barry Altschul/バリー・アルトシュルは、1943年NYブロンクス生まれのドラマー。チック・コリアらとの「サークル」のメンバーだった。アンソニー・ブラクストンとのアルバムでも数多くの演奏が聴ける。これは、78年の録音の5組みの組み合わせが聴けるアルバム。Arthur Blythe(as)、Ray Anderson(tb)、Bill De Arango(g)、Anthony Davis(p)、Brian Smith(b)とは、三曲のモンク・チューンを。A・デイヴィスとAbdul Wadud(cello)とのトリオは、一見ピアノトリオだが、チェロ・トリオと呼んでもよさそうなくらいA・ワダドのチェロが活躍する。メロディアスなドラム・ソロの次は、Dave Holland(b)、B・Smith(b)、A・Wadud(cello)、Peter Warren(cello)といった重心の低い弦楽器とのユニークな共演。最後は、R・アンダーソン、A・デイヴィス、B・スミスとのB・アルトシュが子供の頃ブロンクスで聴いていたようなリズミカルな音楽になっている。彼の多面性を凝縮したようなアルバムになっている。

451~Warren Smith&Nakagawa Masami/中川昌三:邂逅・彩雲(RCA/1977)

Warren Smith/ウォーレン・スミスは、1934年シカゴ生まれのパーカッション奏者。ニューヨーク州立大学に、ケン・マッキンタイヤーと共にジャズ・黒人音楽を正課として取り入れさせた功労者でもある。ジャズ、クラシック等々幅広く活躍した。中川昌三は、1947年生まれのフルート奏者。クラシック、現代音楽、ジャズと演奏の幅は広い。富樫雅彦のグループでは、アルト・サックスも演奏していた。1977年に幅広い音楽性を持った二人が、インプロヴィゼイションを行ったスタジオ録音。当時最も音質が良いとされたダイレクトカッティング盤。そのため収録時間が少ない。両面とも8分くらいしか演奏していない。しかし、演奏は凄いとしか言いようがない。とにかく上手い。当時、フルートでジャズや即興となると、アイデアに技術が追いついていないような者が多かった。サックスの持ち替えばかりだったのだ。フルート専門は数えるほどだった。そんな中でも、中川昌三(クラシックを演奏するときは昌巳と書く)は群を抜くテクニックの持ち主だった。同じくW・スミスもティンパニ等の技術は一級。二人共バックグラウンドそのものが幅広いので、演奏中にアイデアがどんどん湧き出て行っているのが分かる。それをリアルタイムに具現化出来る技術も合わせ持つし、即興のセンスも抜群なのだ。W・スミスは、76年のギル・エヴァンス・オーケストラの防府公演に来ている。

450~Bernd Alois Zimmermann:Die Befristeten,Improvisationen,Uber Die Oper"Die Soldaten",Tratto(Wergo/1965)

Bernd Alois Zimmermann/ベルント・アロイス・ツィマーマンは、1918年ケルン郊外のビースハイム生まれの作曲家。最初は新古典的な作風だったが50年代に入ってからは、他様式主義と呼ばれるようなバロック、ロマン、民俗音楽、ジャズを引用した演奏のはなはだ困難な曲を作って行った。このアルバムは、「Die Soldaten」、「Tratto」等を収録したアルバム。ジャケットに何の解説文も掲載されておらず、誰が演奏しているのかすら書かれていない。作曲家の名前を知っているというだけで買ったものだった。聴いてビックリ。ジャズ、それもかなりフリー寄りのジャズが演奏されていた。「Tratto」は、電子音楽作品だった。買って得をした感十分といったところだった。後に調べて分かったことなんだが、何と演奏していたのはAlexander Von Schlippenbach(p)、Buschi Niebergall(b)、Manfred Schoof(cor)、Jaki Liebezeit(ds)、Gerd Dudek(ts、ss、cl)! この時知ったのだったが、シュリッペンバハさんは、ケルン大学でツィマーマンの生徒だったのだった。ツィマーマンの多様式主義を受け継いでいて、同時に違う要素が進行するような演奏を好まれるのはここから来ているのだった。どうも、この「Die Soldaten」という曲は、元々オペラらしく、オペラ以外にもこうしたジャズ・ヴァージョンとかあるみたいだ。どうも情報不足で間違いもあるかもしれない。「Tratto」は、わりと控えめな電子音響となっている。ツィマーマンは、私生活の疲れや、自分の音楽が理解されないとの理由で自殺してしまったそうだ。

449~David Rosenboom&Donald Buchla:Collaboration In Performance(1750 Arch Records/1978)

David Rosenboom/デイヴィッド・ローゼンブームは、1947年アイオア州フェアフィールド生まれの作曲家、ピアニスト。脳波を使った音楽等実験音楽の世界でも有名だが、即興演奏もする。カルアーツの音楽部長でもある。Donald Buchla/ドナルド・ブックラは、1937年カリフォルニア州サウスゲイト生まれのシンセサイザーの開発ではパイオニア的存在。持ち運びが出来るサンセサイザーをいち早く制作し、電子音楽やロックで重宝された。これは、その両分野で先駆的な二人が1978年にコンサートを開催し、その時のパフォーマンスを収録したアルバム。1曲目は、デヴィッド・ローゼンブームがエレクトロニック・システムに繋がれたピアノで即興演奏を行ったもの。ピアノの演奏そのものはフリー・ジャズと呼んでもいいくらいのエネルギッシュなもの。そこに電子音が絡んで行く。特定の周波数に反応するようにインプットされていたり、手元でセンサーをコントロールしているのかもしれない。電子音そのものは、ピアノの音に比べ控えめな鳴り方をしている。エレクトロアコースティクなフリー・ジャズという感じ。2曲目は、テリー・ライリーの演奏を思い浮かべれば、似たような感じと言えそうだ。電子音によるミニマルな音使いは、テリー・ライリーを聞いているかの様。さて一体ブックラは演奏にどこまで関わっているのだろうか? 「David Rosenboom/Anthony BraxtonTwo Lines」では、ブラクストンとのデュオ・インプロヴィゼイションが聴ける。

448~Dave Burrell:After Love(America 30/1970)

 

 Dave Burrell/デイヴ・バレルは、フリー・ジャズのピアニストで作曲家なのだが、そのスタイルはジェリー・ロール・モートン~デューク・エリントン~セロニアス・モンク~セシル・テイラーまでを横断する幅広いもの。その分セシル・テイラーのように聴いてすぐ彼と分かる強い個性は希薄と言えるかも知れない。この録音当時はアメリカからパリに演奏の機会を求めて大量のミュージシャンが渡った時期だ。このアルバムもアフリカン・アメリカンと地元フランスのミュージシャンの混成となっている。D・バレル(p)の他は、Alan Silva(cellovln)Ron Miller(mandolin、b)、Don Moye(ds)Bertrand Gauthier(ds)Roscoe Mitchell(reeds)Michel Gladieux(b)という布陣。アラン・シルヴァはここではアンプリファイされたチェロとヴァイオリンを弾いている。side oneは20分あまりのコレクティヴ・インプロヴィゼイションが続く。誰かが突出してソロを取るという場面はほとんど無い。各々が周りの音に反応しながら演奏は続くのだが、野放図な自己主張はしない。そもそも音楽でそればかりだと演奏が成り立たないが。とかく集団即興は、あるパターンにみんながはまってしまって、どうにもならなくなる危険性が往々にしてあるものだが、さすがにこの手練手管なメンバーにはそれは起こらなかったようだ。この時代声高に主張することが強く求められていたが、この演奏のように全体に協調し合う姿勢もあったのだ。音楽はそういった時代の姿を映し出す鏡でもある。少しだけ出て来るマンドリンのソロが意表をつく。side twoは、デイヴ・バレルのピアノ・ソロから入る。続いてロスコー・ミッチェルのソロになる。二人共いわゆるフリー・ジャズのイメージ=エネルギッシュな演奏とは趣を異にする。続くはアラン・シルヴァのヴァイオリン・ソロがギシギシと音を立てる。その後は全員が加わり、マーチ風の演奏となる。このマーチでまっすぐ歩くのは難しいかも。

 

447~Bob Reid:Africa Is Calling Me(Kwela Record/1974)

ベーシスト、Bob Reid/ボブ・リードが作曲し演奏した五幕からなるオペラ「アフリカ・イズ・コーリング・ミー」は、1974年パリのThe Centre American for Students and Artistsにおいて初演された。これはその様子を録音したもの。出演は、B・リード(b、voice、p)、Oliver Lake(ss、as)、Gustavo kerestezachi(p)、Louis Armfield(congs、bells)、Makan Milola(deep bass、congas)、King David(vocal)、Roxianne De Montaignac(vocal)、Freddy Roach(recitation)。歌やレシテイションに挟まれてO・レイクのサックスが時々爆発する。当時のアフリカ回帰思想に根ざしたオペラなので、端から端まで黒々とした情念が渦巻いている。こういうものは実際見てなんぼのところがあるのは否めない。正直なところもう少し出演した歌手がもう一ランク上だったらと思う。印象に残るのはフレディー・ローチのレシテイションか。これは存在感がある。時代の記録として貴重。

446~Planet Oeuf~Eine Formation Der Musikwerkstatt Basel(XOPF RECORDS/1985)

Planet Oeuf/プラネット・ウフ(卵惑星?)とタイトルされたアルバム。ジャケットのクレジットが全てドイツ語なので、楽器名だけでも読むのに苦労する。総勢11名のコレクティヴ・インプロヴィゼイションが聴ける。メンバーは、Hans Anliker(tb)、Phil Wachsmann(vln)、Alfred Zimmerlin(cello)、Felix Bopp(p、org)、Gunter Muller(ds、electronics)、Andi Rathgeb(technik)、Phil Durrant(el-vln、tb)、Jaques Widmer(ds)、Sami Eugster(Buhnenbild/Planttenumsclag)、Andres Bosshard(Kassettenmaschinerie)と、ドイツ語表記だと何だか分からない楽器までいる。もうここにはジャズの香りは全く存在しない。インプロヴァイズド・ミュージックとしか呼びようがない音楽が展開される。誰も長くソロを取って目立とうとはしない。音の断片を各々が空間に放り投げていく。それが混ざり合って様々な展開になる。空間が緊張を孕む。でもやはり現代音楽とは肌触りが違うのだ。こういった演奏でも、ジャズなんかとは違うのだが、ある種、ノリは存在する。前へ前へと推進する力が存在するのだ。この感覚は惑星や、物体の重力を感じるようなものだろうか。音楽における重力。だからこそ、現代においてはImprovised Musicとして一つのジャンルとして存在し得るのだ。だが、そうなったことでクラシックやジャズのように「博物館に入った。」と揶揄されもする危険性も孕んでいる。だが、この音楽版重力も否定すると、一体音楽はどこへ向かうのだろう。全く前後関係の見当たらない音のイベントが不確定、不連続に現れては消える空間。ケージらの不確定性の音楽だろうか。だが、これらも時間の流れからは逃れられない。前へ前へと進んで行こうとしているものだ。こうした即興の方法を取ると、いつ誰がやっても似たような結果したもたらさないと思われるかもしれないが、参加するミュージシャンが変われば、そこに大きな化学変化が起きるもので、その作用に聞き耳を立てるのも、こういった音楽の聞き方でもある。確かに、流し聴きしてるとみんな同じになってしまうかもな。

 

445~Borbeto Jam(Cadence Jazz Records/1981)

Borbetomagusは、1979年Jim Sauter(sax)、Don Dietrich(sax)、Donald Miller(g)によって結成されたフリー・ジャズとノイズを合体させたような演奏をするグループ。来日し非常階段ともアルバムを出した。1981年録音の本作は、Borbetomagusのアルバムとはなっておらず、「Borbeto Jam」とタイトルされ、ジャムの原材料として、J・SauterもD・DietrichもD・Millerも、近藤等則(tp)、Tristan Honsinger(cello、voice)、Peter Kowald(b)、Milo Fine(p、cl、ds)と並んでクレジットされている。しかし、演奏はBorbetomagus&ゲストと言っても良い演奏になっている。とにかくサックスを吹き倒す。ギターは轟音をブチまける。いつもの彼等のスッキリ爽快な演奏だ。近藤以下の4人も負けじと狼藉の限りをつくす。Borbetomagusの三人が引いて、近藤達が表に出てくると、とたんにずっとジャズ寄りの音になって行く。「これじゃいかん。」と?、三人が狼藉を働く。と、こんな繰り返しが続く。リリース当時は、これでも十分「ジャズもここまで来たか。」と思ったものだった。当時はまだ「ノイズ」として確固たるジャンルは無かったような気がするが?今で言うノイズは、ロックとして聴いていたような気がする。

444~Peter Davison:Selamat Siang Music On The Way...(Avocado Records/1980)

Peter Davison/ピーター・デイヴィソンは、1951年生まれのコンポーザー。このアルバムは、どんな音楽か全く知らずに、ジャケットのハープやシンセサイザーの写真と、演奏がチェロ、ハープ、フルートとクレジットされているところに惹かれて購入したもの。リリースしたのがAvocado Recordsという、アヴォカドなんてまだお目にかかったことがない時代のレーベルだ。さて演奏は、正直、想像していたものとは違っていた。今で言うところのヒーリング・ミュージック、ニューエイジ・ミュージックとか「一体どういう意味なんだ?」の音楽だった。これを買った当時はそんな呼び方すら無かったと思う。環境音楽という言い方をされたはこの頃だったろうか。ともかく、ゆる~い演奏が続く。時折雷鳴が轟いたりもするが、基本的に瞑想をする時、ヨガをする時に流す音楽らしい。瞑想するのに音楽は必要ないと思うのだが?じゃあ、聴くに値しないシロモノかと言えばそれがそうでもなくて、時々思い出したように聴くというか聞き流す時がある。タイトルの「スラマッ・スィアン」はインドネシア語で「こんにちは。」の意味。たまには、こういうのも、耳と心をリセットする為にはいいかもよ。

 

443~Art Lande:The Story Of Ba-Ku(1750 Arch Records/1977&78)

Art Lande/アート・ランド?(ランデとジャズ雑誌では書いてあったが)は、1947年NYC生まれのピアニスト。1st アルバムがECMからのリリース「Red Lanta」だったということもあって、しばらくはヨーロッパのピアニストとばかり思っていた。彼のECMのアルバムに「ルビサ・パトロール」というタイトルのアルバムがあった。それは、彼がMark Isham(tp)、Bill Douglass(b)、Glenn Cronkhite(ds)と結成したグループの名前で、1977年と78年に録音された本作はECMに続くこのグループの第3作目に当たる。ドラムは、Kurt Wortmanに変わり、リード楽器のBruce WilliamsonとMark Millerが加わっている。アルバムはタイトルにある「バクの物語」の二章を両面に分けて演奏され、A面は「The Story of Ned Tra-La」(これは、サンタ・クルーズのKuunbwa Jazz Centerでのライヴ録音)、B面が「The Story of Ba-Ku」となっている。劇音楽のように短く分けられた演奏が連なっている。ピアノのソロやトランペットとのデュオ等々色々な展開をして行く。結構激しいやり取りも聴ける完全にフリーな演奏も聴ける部分もある。ECM盤とは少しイメージが違うかもしれない。

 

442~Beaver Harris:African Drums(OWL/1977)

これは、1977年パリのスタジオで録音されたBeaver Harris/ビーヴァー・ハリス(ds)のソロとDavid S Ware/デイヴィッド・S・ウェア(ts)とのデュオ(1曲のみ)。5曲のソロは、それぞれブラシだけ、マレットだけ、スティックだけと使い分けたドラム・ソロを披露している。1曲ほど、あらかじめ録音していたスティックを使った演奏を流しながらマレットを使ったデュオ演奏?もある。正に怒涛の演奏とはこのこと。アタックの強さ、スピード、パワー、そしてバネのある演奏はアフリカン・アメリカンの血のなせる技か。音の瞬発力が一桁違う。音に重さを感じるのは、現代よりもチューニングがかなり低いせいもあるのかもしれない。S・ウェアもハリスに負けじと吹き倒す。

 

441~Byard Lancaster:Documentation;The End Of A Decade(Bellows/1979)

これは、1979年に録音されたByard Lancaster/バイヤード・ランカスターの色んな側面を並べたショウケース的アルバム。Michael Ray(tp)Youseff Yancy(fh)ら9人編成のThe Broadway Local Dance Bandと共演したファンキーな演奏からアルバムはスタートする。その中からヴォーカルのJaan Hansonとテレミンを演奏したY・ヤンシーとのトリオも収録されている。B・ランカスターのフルートとY・ヤンシーのテレミンが歌の周りを飛び交う小鳥のようだ。また、gbdsとのカルテットでファンクナンバー/Philly Funkを演奏したトラックもある。無伴奏アルト・サックスと、バス・クラリネットのソロ。David Eyges(cello)とのデュオ。Keno Speller(conga)とのデュオ。Edward Crockette(el-b)とのデュオ。そんな中に、Y・ヤンシーのトランペットとテレミンによるソロが1曲収録されており、ちょっと他では聴けないようはテレミンの演奏が聴ける。これは面白い!どれも1曲ずつで、もっと聴きたい曲もあった。バイヤード・ランカスターと言う名前だけ聞くと、アフロ色の濃いディープな音色の演奏だと思いがちだが、実際はこのように何とも多彩な引き出しを持っているミュージシャンなのだ。こうしたアルバムを残すことで、彼に対する評価も軌道修正を行わなければならなくなったりするのだ。それにしても、同じような時期に色々な演奏をやっているもので、驚くやら感心するやら。特にテレミンとの共演は、79年と言う時期を考えると、そうそうお目にかかれるものではなかった。あくまでも、初期電子楽器のひとつくらいにしか認識はしておらず、まともに音を聴いたこともなかった頃だ。今でこそテレミンは、TVショピングにも出てくるくらいにポピュラーになってしまったが。ランカスターの好奇心に乾杯だ。

440~Gunter Hampel:Out Of New York(MPS/1971)

Gunter Hampel/ギュンター・ハンペル(vib、fl、b-cl)は、1971年ヴォイスのJeanne Lee/ジーン・リーに会うためにニューヨークに渡った。リーと共に様々なセッションをこなしていったが、Perry Robinson(cl)とJack Gregg(b、vln、wood-fl)を加えた自己のグループを持てたことが最大の成果だった。グループは、ブロードウェイにあるスタジオで録音をすることが出来た。「Symphony No,7」と「Symphony No,8」と題されたそれぞれ四つのパートに分かれた曲が片面づつ収録されている。三つの楽器を操るハンペルは、パートごとに楽器を持ち替え、P・ロビンソンのクラリネットやJ・リーのヴォイス、J・グレッグのベース等と、多様性のある楽曲を表現して行く。特にヴォイスの使い方が秀逸。J・リーのヴォイスは、テクニカルではあるが、人声の暖かさを感じさせるものだ。G・ハンペルの作る音楽は、アヴァンギャルドかもしれないが、破壊的なエレルギーを放射することを目的としてはいない。バレーやダンスにも興味のある彼ならではの、リズミックなアプローチに見るべきものが多い。

439~Diamanda Galas:The Litanies Of Satan(Y Records/1981)

Diamanda Galas/ディアマンダ・ギャラスは、1955年サン・ディエゴ生まれのヴォイス・パフォーマー、シンガー、ピアニスト、作曲家。5オクターヴ半の声域を持ち、驚異のテクニックと表現力を併せ持つ。79年にソロ・パフォーマンス・デヴュー。クセナキス、グロヴォカールとも共演。レッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズとも録音を残している。79年Metalanguageからリリースされた「Jim French:If Looks Could Kill」のB面でフレンチとヘンリー・カイザーとのトリオ演奏が、ギャラスの初録音になる。81年ロンドンでの録音の本作は、彼女のファースト・アルバム。(これより先に片面17分くらいの2曲入りのプロモーション用カセット・テープが作られている)初めて聴いた時は衝撃を受けた。凄まじいばかりの声! 人間、ここまで声を屈指し、ここまでの表現力を持つことが出来るものなのか! この力強い声は、正に地獄からこの地表に届くが如し。この世のものとは思えない。声だけでも十分なところに、テープやエレクトロニクスも導引して、その怪しさに輪をかける。ギャラス以前にも優れたヴォイス・パフォーマーはいたが、彼女ほどの強烈な個性とテクニックを持ち合わせた者はほとんどいなかった。その表現の力強さ、幅の広さ、声の力、その声を変調してしまうセンス、作曲能力では、彼女を凌駕する者は今でもそんなにはいないだろう。ギャラスの場合は、彼女がひとつのジャンルと言ってもよいほどの確固たる表現の形を持っているところが凄い。この声と、何か楽器で共演するとなると、それは相当にしんどい作業になるのではないだろうか。

 

438~Electronic Music~John Cage,Luciano Berio,Jacob Druckman(VOX/1958,66)

これは、John Cage/Fontana Mix(1958)、Luciano Berio/Thema(Omaggio a Joyce)(1958)、Jacob Druckman/Animus Ⅰ(1966)の3曲の電子音楽作品を収録したアルバム。ケージの「フォンタナ・ミックス」は、不確定性の曲を作り出した頃の作品。数枚の透明なシートに点、線、曲線等を描き、それらを任意に重ねていって、偶然に出来上がった図から演奏可能な状態の起こすのだが、ここではベリオの誘いで、ミラノの電子音楽スタジオ(56年に創設された)でテープ音楽として作った。フォンタナとは、曲の製作中にやっかいになった宿の女主人の名前。前後の関係性が全くない様々な電子音や具体音が、騒々しく飛び交う様は、これが50年代の音楽とはにわかには信じられないほどだ。ベリオの「テーマ」も、同じく58年にミラノで作られた。ジョイスの小説「ユリシーズ」の朗読をしている声を、電子変調し加工したもの。電子音楽なのではあるが、ここではあくまでも朗読の声を変質、変容させたもので、いわゆる電子音は使われていない。それでこれだけの音楽にしてしまうベリオの感性は素晴らしいとしか言い様がない。以上2曲は電子音楽史上でも最も優れた作品の一つと言えるのではなかろうか。ドラックマンの曲は少し時代が先に進んで66年の作品。トロンボーンと電子音(テープ)による曲。コロンビア・プリンストン電子音楽センターで作られた。トロンボーンとテープ音楽による共演というよりもデュオと言った方が当たっているだろう。実際にステージでパフォーマンスする時は、演奏者は演劇的要素も加えたものになるようだ。このアルバムは、私にとっては、ビートルズの「リヴォリューションNO.9」を除けば、最初の電子音楽の体験だった。これで一気に興味を深くしたものだった。

437~Zeitgeist:Bowers/DeMars/Stockhausen(Sound Environment/1979?)

Zeitgeist/ツァイトガイスト(時代精神)は、1977年にJames DeMars(p)、Joseph Holmquist(marimba、cymbals、gongs、tam tam)、Jay Johnson(vibes、cymbals、gongs、tabla、siren、p~Stockhausen-only)の三人で結成された現代音楽のアンサンブル。このアルバムをリリースしたSound Environment Recordingがネブラスカ州 リンカーンだから、ローカルな場所で結成されたのかもしれない。演奏されるのは、「Stacey Bowers/Pattern Study #2」、「J・DeMars/Premonitions of Christopher Columbus」、「Stockhausen/Set Sail For The Sun」の3曲。演奏は、彼らに加え、el-b、tb、asも参加。「Pattern Study #2」は、かなり即興の要素の濃いミニマル的な音楽で、細かなメロディック・パターンが重なって行く。「Premonitions・・」も、即興性の高い曲で、タブラや2台のピアノの演奏にアルト・サックスが重なる。アルト・サックスやエレクトリック・ベースを使っているせいか、全体の響きがジャズっぽくもある。シュトックハウゼンの曲は、直感音楽として有名な「Aus Den Sieben Tagen」の中の1曲だ。書かれた言葉のイメージを演奏するというもの。当然他の2曲とは異なる響きで、打ち鳴らされるゴング、サックスとトロンボーンの演奏等で喧騒に包まれる。

436~Gunter Christmann,Gerd Dudek,Albert Mangelsdorff,Paul Rutherford,Manfred Schoof,Kenny Wheeler:Horns(FMP/1978)

G・Christmann、G・Dudek、A・Mangelsdorff、P・Rutherford,

M・Schoof、K・Wheelerというグローブ・ユニティのフロント陣で、ヨーロッパの大御所達がずらっと揃ったジャケット写真を見ると、この6人による集団即興が聴けるものと思って当然。しかし、要注意! アルバムに収録されているのは、各人の無伴奏ソロがリレーのように回されているものなのだ。ショーフ~クリストマン~デュデク~マンゲルスドルフ~ホィーラー~ラザフォードの順で続いて行く。それぞれが言わずもがなの名人芸を披露しては次にバトンタッチをする。この時少しだけデュオになる。普通のジャズだと、これにリズムセクションが後ろにいるのだが、ここではそれが無伴奏になったと思えばいい。何しろソロで十分聴かせる連中が続くのだから、聴き応え十分なのだ。もし、このライヴ会場にいたとしても、不満はないどころか興奮していただろう。

435~Herbert Joos,Wolfgang Czelusta,Bernd Konrad:Blow!!(FMP/1976)

Herbert Joos/ヘルベルト・ヨーズは、1940年カールスルーエ生まれのトランペット、フリューゲルホーン奏者。Vienna Art Orchestraでも活躍した。グラフィックアートも得意とする。このアルバム・ジャケットも彼の作品。これは、彼とトロンボーンのWolfgang Czelusta、そしてソプラノ&バリトン・サックス、バス・クラリネットのBernt Konradの三人が、1976年ベルリンのFLOZで行ったライヴから収録したアルバム。いわゆるリズムセクションを外した管楽器だけによる演奏。今でこそ、こういう演奏は当たり前のように行われているが、70年代の中期は、まだまだ演奏する方よりは、聴く方はJAZZのくくりでこういった音楽も聴いていたので、このアルバムを手に取った時は、一体どんな演奏になるんだろうかと、色んな想像をしたものだ。ジャズから見ると変則的な編成の演奏は、AACM系ではすでに当たり前のように聴けたが、今ほど普通に聴けるものではなかった。アルバムタイトルは、「BLOW!!」と威勢がいいし、ジャケットでは、マリリン・モンローのスカートまでがめくれている。でも、H・Joosの吹くトランペット、フリューゲルホーンの音色は暖かく豊かな響きで、演奏が激しい展開(そもそもこういう場面自体が少ないのだが)になろうとも、演奏のエッジはとんがってはいない。現在のインプロと呼ばれる音楽に直結した表現と見てよいだろう。そういう意味では先見性のある演奏だ。「変則的な編成」と前記したが、今現在のインプロヴァイズド・ミュージックとか、略してインプロと呼ばれている音楽だと、変則でも何でもない。そもそも「変則」の言葉がそぐわない。そこまで、音楽は変化して来たのは来たのだが、さて、それは「変則」が「変則」と認識せずに済むようになったと言うだけで、演奏自体はそんなに大きく変わったわけではないのかも? このアルバムを聴くとそう思ってしまう。

 

434~Roswell Rudd:The Definitive Roswell Rudd(Horo/1979)

これはフリー・ジャズ・トロンボーンの草分け的存在、ラズウェル・ラッドがトローンボーン、ピアノ、ベース、ドラム、ヴォイスをひとりでみんな演奏し、多重録音したローマでの録音。バンドの演奏をひとりでみんなやってしまった。フリー・ジャズからスウィング以前のジャズに至るまでのアメリカン・ミュージックを横断したような演奏で、過激なフリー演奏ばかりを期待する向きには、少々肩透かしを食らうかも。でも、彼は元々がディキシーランド・ジャズから出発したミュージシャンで、決して付け焼刃的演奏ではないのだ。古いタイプの演奏も自然と移行出来る。一曲歌を歌っているが、なかなか味がある歌声だ。でもやっぱり、ピアノ、ベース、ドラムはその道の専門を雇うべきではなかったのではないだろうか?と、言う疑問は残る。わざわざ苦労して一人で多重録音をするまでのことはここの音楽には感じられないのだが?

433~Stafford James:Jazz A Confront(Horo/1975)

Stafford James/スタフォード・ジェームズは、1946年イリノイ州エヴァンストン生まれのベース奏者。7歳でヴァイオリンを始める。シカゴ音楽院でリチャード・デイヴィス、ルドルフ・ファースヴェンダーに師事し、ベースを習う。AACMに参加。AACMでは、チャールズ・クラークに師事。69年NYに移住。アルバート・アイラー、モンティ・アレキサンダー、サン・ラー、アリス・コルトレーン、ファラオ・サンダースと共演。71年ゲイリー・バーツのグループに参加。当時は、オリヴァー・レイク、アンドリュー・シリル、ラシッド・アリ、チコ・ハミルトン、アンドリュー・ヒル、デクスター・ゴードン、チャールズ・サリヴァン、ベティ・カーター、ハンニバル・マーヴィン・ピーターソン等々多数共演。74年アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加。80年ウディ・ショウのグループに参加し、多くのアルバムを残している。ビー・バップ、ハード・バップ、フリー、R&Bと幅広く演奏する。本作は、75年ローマでの録音。スタッフォード・ジェームズ(b)、エンリコ・ラヴァ(tp)、デイヴ・バレル(p)、ビーヴァー・ハリス(ds)のカルテット。アルバムは、師のチャールズ・クラークに捧げられている。ラヴァ、バレル、ハリスと言う強者を揃えたグループで、さぞかし暴れ回っているかと思えばそうではなくて、ジェームズの曲をきっちりとノリノリで熱く演奏しているジャズ・アルバムなのであった。バックからグイグイとプッシュするベースとドラムの上でラヴァがバリバリとトランペットを吹く。リーダーがベース奏者なのもあって、ベースソロのスペースも多い。2曲目は、ほぼベース・ソロだけ。バレルの出番がちょっと少ない気もしないではない。ジェームズの演奏は、アイラー、サンダース、レイク、シリル、アリらのアルバムでも聴くことが出来る。フリーでも、実力の程を示しているので一聴を。

432~Airwaves(One Ten Records/1977)

この二枚組のLPは、1977年頃に様々なアーティストが様々なギャラリー等で行った、主に人の声を伴った作品を断片ながら多数収録したアルバム。収録されているのは、Laurie Anderson、Meredith Monk、Dennis Oppenheim、Jullia Heyaward、Diego Cortez、Vito Acconci、Jana Haimsohn、Terry Fox、Jim Burton、Leandro Katz、Connie Beckley、Jacki Apple、Richard Nonasといった面々。ただの弾き語りとしか聞こえないシロモノ(こういう時、映像が無いのは痛い)から、高度なヴォイス・テクニックを屈指したモノまで、様々なパフォーマンスが聴ける。彼らのほとんどは音楽家ではなく、メレディス・モンクやローリー・アンダースンのような者も含まれてはいるが、オッペンハイム、ヘイワード、テリー・フォックス、バックリーらのような、マルチメディア、パフォーマンス・アートを主として行っているアーティスト達の、声と音を取り込んだパフォーマンスとしてのアプローチが主体となっている。80年代に「パフォーマンス・アート」として知れ渡ることになるローリー・アンダースンや、声を追求し大いなる成果をあげたメレディス・モンクは、音楽ファンにもよく知られているが、こうしてディスクに固定された音として聴くぶんにはさすがにこの二人の作品は郡を抜いて面白い。その他の広い意味で美術家のオッペンハイム、ジュリア・ヘイワード達のは、やはりこうして音を聴くだけよりは、画像があった方がよくこちらに伝わるのは、致し方がないか。なにしろ、ホーム・ヴィデオと言う言葉すら無かった時代だ。おそらく、8m等の画像は少しは残っているだろうが、そっちを見てみたくなる。

 

431~Julius:Lullaby For The Fishes'(Kunstlerhaus Bethanien Berlin/1985)

Rolf Julius/ロルフ・ユリウスは、1939年ドイツ、ヴィルフェルムスハーフェン生まれのサウンド・アーティスト。最初は平面作品やオブジェを制作していたが、何かが足りないと考えたら、それは「音」だった。36歳以降からサウンド・アートを始め、屋外でのパフォーマンス等を行って来た。43歳からはサウンド・インスタレーションを始める。このアルバムは、その直後の作品から「音」だけを収録したLP。1981、82、84年の作品から選ばれている。彼の作るサウンド・インスタレーションが発する音は、自然の音を聴く事が出来るが、これはただ自然音を録音しているだけではない。テープ録音した音の素材を変調加工して作りあげられたもの。ある日、鉄のカンと鳴った音を録音したところ、再生した時たまたま再生不良の為にカンがコンに変わった面白さに気付くという経験をした事から、音の加工をするようになったそうだ。人の意思によって変化せず、ただそこで鳴り響く音が永遠と続くかのようなサウンド・インスタレーションに、非常に惹かれるのだ。でも、それはユリウスの意思によって加工され作り上げられた作品と言う事を忘れる訳にはいかないが。

 

430~Hampel-Centazzo-Rabold-Tommaso-Bues-Keyserling:Freedom Out!(PDU/1976)

これは1976年ミラノで録音されたドイツ、イタリア混成バンドのアルバム。グループの方向性はおそらくGunter Hampel/ギュンター・ハンペルに負うことが多いようだ。彼の曲や、彼のアイデアに基づく集団即興演奏が聴ける。G・ハンペル(vib、b-clflperc)の他は、Andrea Centazzo(dsperc)Frederic Rabold(tpfhperc)Bruno Tommaso(bperc)Martin Bues(dsperc)Tomas Keyserling(fltsprec)というドラムが二人、管楽器が三人という大きめのアンサンブル。おそらく、ハンペルらドイツ勢がイタリアにツアーで行った時に、臨時で編成された一回だけの演奏だったのだろう。イタリア勢がドイツ勢を迎え撃つと言った風情の「全者一丸となって怒涛のフリー」という所はほとんど無い。一部有る所も有るのだが、ヴァイブラフォンやフルートという使われる楽器の特性からか、混沌としていても騒々しくない。だが、手数の多いドラマー二人の迫力はさすがだ。ベースのブルーノ・トマソはホーン奏者と対等の活躍を見せる。ここでの、彼の存在は、このアンサンブルの軸として大きく貢献している。フレデリック・ラボルトの演奏が聴けるのも、有難い。彼は、70年代「Frederic Rabold Crew」と言うユニークなグループを率いて活躍していたが、他で彼の演奏が聴けるのは少ない。このクルーのメンバーの中には、ヴォイス・パフォーマーのLauren Newton/ローレン・ニュートンがいて、彼女の若かりし頃の声も聴ける。

429~Paolo Bordini,Franco Feruglio,Andrea Centazzo:Ratsorock(ICTUS/1976&77)

これは1976年から77年にかけて録音されたPaolo Bordini(el-p)、Franco Feruglio(b)、Andrea Centazzo(ds、perc)のアルバム。80年頃にA・チェンタツォの名前と、ジャケットの手作り感に惹かれて買った。P・ボルディニはエレクトリック・ピアノを弾いている。当時のジャズ界はアコースティック・ピアノよりも、エレクトリック・ピアノを弾く方が多いような印象すらあるが、さすがにフリー・ジャズとなると皆無に近かった。シンセサイザーは使われていたが、音のエッジが丸いエレクトリック・ピアノはいかにも不向きだ。だが、ここではそのエレクットリック・ピアノで全編勝負している。これが意外にいいのだ。ベースもパーカッションも手加減なく切り込んで行く。それに負けじとエレクトリック・ピアノで応戦するするのだが、手数が増え、スピードも増すとエッジの柔らかさ以上に、音の混濁感がいい意味で増幅されて面白い音になっていくのだ。A・チェンタッツォはあいかわらずキレのあるプレイを見せるが、ベースのF・フェルグリオ?がいい。ピアノと正に対等といえる活躍だ。

 

 

428~Brother Malachi Favors Magoustous:Natural&Spiritual(AECO/1977)

Brother Malachi Favors Magoustous/マラカイ・フェイヴァースは、1937年シカゴ生まれのベース奏者。50年代はアンドリュー・ヒルらのバンドで演奏していた。その後ロスコー・ミッチェルやムーハー・リチャード・エイブラムスと出会い、61年にムーハーの実験的なバンド、エクスペリメンタル・バンドに参加。AACMの創設メンバーの一人。66年ロスコー・ミッチェル・アート・アンサンブルに参加。これがアート・アンサンブル・オブ・シカゴへと発展する。これは、77年シカゴ大学における彼のソロ・コンサートを収録したもの。AACMやAECの他楽器奏者としての一面を強く現した演奏になっている。ベースの他各種打楽器や声を使ってのソロ・パフォーマンスを繰り広げている。8分半の1曲目は、全くベースを弾かず小物打楽器や声のパフォーマンスなのだが、これだけで十分聴かせる。森の中のざわめきのようだ。続くベース・ソロ(ベースはアンプリファイされていない生音)は、聴き手の心の奥底に問いかけてくるような深い表現。ベースの演奏中に時折響く鈴の音や、ベースから離れて鳴らされるゴングの音、ホイッスルの音、声等々がシカゴという都会の喧騒から、聴衆を精神世界へと誘った。

427~Frank Wright Quartet:Uhuru Na Umoja(America 30/1969&70)

Frank Wright/フランク・ライトは、1935年ミシシッピ州グレナダ生まれのテナー・サックス奏者。ソプラノ・サックス、ベース・クラリネットも。育ったのはオハイオ州クリーブランドで、そこでこのアルバムにも参加しているBobby Few(p)や、Albert Ayler(ts)と出会った。当時はベースを弾いていて、ローカルのR&B・バンドで演奏をしていた。B・B キングのバックも務めたこともあったようだ。A・アイラーの影響もあって、ベースからテナー・サックスに転向。フリー・ジャズ創世記の重要なテナー・サックス奏者の一人となった。69年、70年にかけて録音された本作は、F・Wright(ts)、Noah Howard(as)、Bobby Few(p)、Art Taylor(ds)というベースレスのカルテットで演奏された。全曲N・ハワードの作曲。ドラムのアート・テイラーは、本来バップ・スタイルのドラマーなのだが、ここではフリー・ジャズをパワフルに叩いている。どの演奏も、N・ハワードの濃いテーマに続いて、怒涛のフリーで押しまくる。こういう暑苦しい演奏こそが「フリー・ジャズ」の典型的スタイル。正にあの時代の音楽なんだが、こういう演奏だからこそ、後世でも聴き続けてもらえるエネルギーを持っているのではないだろうか。なにがしか強く訴えるものがあるからこそ、聴き続けられるのだ。

426~David Tudor:Rainforest Ⅳ(Gramavision/1980)

これは、Composers Inside Electronics(CIE)がDavid Tudor/デヴィッド・テュードア作曲の「Rainforest Ⅳ」を作曲者と共に演奏したアルバム。「レインフォレスト」は、最初は66年に作られ、その後改訂版がⅡ、Ⅲ、Ⅳと続いた。ここに収録されたヴァージョンは、室内に様々な形をした物が並べられ、天井から吊り下げられた中をオーディエンスは自由に歩き回っては、音を聴いていくといもの。これは日本でも一度催されたことがあったと記憶する。「Electroacoustic Environment」と呼ばれたのではなかったか? 音響彫刻とは少し違っている。天井からぶら下げられている物体に、ある周波数の電気信号を伝えると、それに合わせて物体も共振し音を発する。と、いう原理だったと記憶しているが、くわしいことは分からない。教えていただけると有難い。このアルバムで聴こえる音響は、正に森の奥深くにたたずみ、周りの音を聴いている感じだ。人の感情でコントロールされた音楽とは遠く離れている。ただ音がそこにある。この会場に集まった者達が、自分の意思で右の方、今度は左の方と決めながら歩き回り、そこで鳴っている音に耳を澄ます。そこで何を想像するか、何も想像することなく、無心で聴くか。または、じっと佇んで会場の風景を楽しむか。それは来場した者の自由。ステージで演奏されている音楽を聴くのとは、また別の音楽の楽しみ方がここにはある。はたして、これを「音楽」ととらえるか否かも各自の自由。コンサートに行くよりも、こっちの方が私には興味深い。

 

425~Donald Knaack:John Cage&Marcel Duchamp(Finnandar/1977)

これは、Donald Knaack/ドナルド・ナック?(perc)が、1977年に録音した、マルセル・デュシャン作曲「The Bride Stripped Bare By Her Bachelors ,Even.Erretum Musical」と、ジョン・ケージ「27’10.554"~for A Percussionist」収録されたアルバム。デュシャンの曲は、通称大ガラスと言われる作品と全く同じタイトルだ。1913年に作られたチャンス・オペレーションの曲。色んな音価を書いたボールをランダムにワゴンに入れておき、それを5つの穴に入れる。タイムラグのあるロートを通ったボールが、それぞれ落ちていく。落ちて来たボールの音価に合わせて五線譜に書き込んでいく。それを読み取りながら演奏するというもの。私は、軽井沢の高輪美術館でのジョン・ケージのコンサートで、この曲の出来上がる工程と演奏を体験したことがある。このアルバムでは、D・Knaackは、「大ガラス」にちなんで、ガラスで出来た風鈴や、ボトルを並べたシロフォン等を使って演奏している。このには演奏者の感情の入り込む余地は全く無い。音がそこで鳴るというよりも、起こる感じだ。J・ケージの曲は、4つのカテゴリーに分けられた打楽器(金属、木、革、そして他は何でもアリ)の演奏で、沈黙も音楽の一つであることが重要視されている。4つ目の要素「何でもアリ」は、ここではシンセサイザーで作られた音をテープに固定し、これを流しながらの演奏になっている。デュシャンの曲ほどにはアッチにいってはいなくて、「音楽」として聴こえる。でも、これが作曲されたのは1956年なのだ。そう考えるとデュシャンの曲が1913年は恐ろしい。よく音楽は美術よりはるかに遅れてると言われるが、この年号を比べると実感出来る。

424~Dexter Gordon:Live at 'The Amsterdam Paradiso'(Catfish or Heary Soul Music or Odeon? /1969)

Han Bennink/ハン・ベニンクは、ミシャ・メンゲルベルクと共に参加したエリック・ドルフィーの最後のアルバム(その後もっと後の録音も世に出ているが)「Last Date」が一般的ジャズファンにも知られている(ドルフィー以外眼中に無い人は別)。60年代には、アメリカのジャズマンが単身ヨーロッパに行って、現地のミュージシャンを集めてツアーをすることが一般的だった。そんな中、現地組のドラマー?だったハンさんが、デクスター・ゴードンと共演したアルバムがこれ。他にはCees Slinger(p)、Jacques Schols(b)。J・ショールズは、「Last Date」でも一緒だった。それもあって、リズムセクションの音が「Last Date」を思い起こされる。69年のハンさんと言えば、デレク・ベイリーとのデュオで、破天荒な演奏を繰り広げたアルバムが有る。そんな中、こうしたオーソドックスなジャズも演奏していたことは知っていて損はないだろう。ウェス・モンゴメリーとクラーク・テリーと共演したアルバムも残されている。フリーだとあれだけ大暴れする人が、ジャズの時はえらく大人しいのが面白い。現在のハンさんは、ピアノ・トリオに入ってウェーザー・リポートの曲を演奏しているようなアルバムも有ったりするが、「ドラム・トリオ」と呼んでもいいような目立ちまくった演奏をしている。それがスネア・ドラムとブラシだけだったりするのだから恐れ入る。ところで、これのオリジナル・リリースはどこなのだろう?

423~Han Bennink:Solo(FMP/SAJ/1978)

ヨーロッパ最強のドラマーと書けばいかにも屈強で怖そうだが、大きな外見(198cm!)とは裏腹に、凄く楽しく優しい性格の持ち主のハン・ベニンクさんの1978年録音のソロ・アルバム。「最強のドラマー」と書いたが、期待に反して、または期待通りにドラムはそこそこに音が出そうなものを総動員しての独演会である。使用楽器は、ds、perc、megaphone、viola、cl、banjo、stones、cassette rec、harmonica、p、b-cl、typewriter、watch、sticks、conch shell、ladder、bulroarerというもの。どうやらハサミもカシャカシャやっているようだ。広い部屋にこれやを散らばせて、飛び回りながらあっちこっちで音を出しているのだろう。いい意味でとっ散らかっている演奏。どれもこれもぶつ切りで、瞬時に他へと移って行く。よくこういう演奏を「計算尽くされた」などと、一見メチャクチャな演奏を擁護したいからなのか、こんな表現が昔はよく使われていた。自由な即興が計算されていたらそれこそつまらない。やってる方もこの先どうなるのか分からないくらいじゃないとつまらない。スリルがないだろう。やる方にも、聴く方にも。それでも、きちんと落とし前をつけられるのが一流の条件。

422~Louis Armfield's Spiritual Jazz Quintet:The Seven Spirits(Victria-Judith Records/1981)

Louis Armfield/ルイ・アームフィールドは、アメリカ生まれのアルト・サックス奏者。1967年から82年の間はパリに住んでいた。81年録音の本作は、アムステルダムのスタジオで録音されている。メンバーは、L・Armfield(as)、Sumire Nukina(p)、Rashid Al-Akbar(b)、Roger Bairds(ds)、Helga Mezas(congas)。ピアノは日本人だろうか? アルバム・タイトルが示すように、今ではこういった演奏はスピリチュアル・ジャズと言うのだろうか。オーソドックスなジャズではないが、過激なフリー表現とも違う。だが、サックスは激しく吹きまくる場面も多い。だが、野放図な咆哮にはならない。ミックスのせいかサックスの音が奥に少し引っ込んで聴こえるのが残念だ。彼のことを調べていたら「The Road Of Life」というタイトルの本を出版していた。詩や短編小説なんかが収録されているようだ。録音は、Francois Tusquesの「Intercommunal Music」に、パーカッションで参加しているのが見られるくらいだ。

 

421~Jemeel Moondoc & Muntu;The Evning Of The Blue Men(Muntu/1979)

Jemeel Moondoc/ジャミール・ムーンドックは、1951年シカゴ生まれのアルト・サックス奏者。日本ではとてもスタープレーヤーとは言い難いが、これまで20作を越えるリーダー・アルバムをリリースしているのだ。これは、Muntuという自主制作レーベルからの77年の「First Feeding」に次ぐ、79年録音の第2弾。Saint Marks ChurchというNYCの教会での録音。教会の中での演奏とはいかに。両面1曲づつの超尺の演奏。メンバーはJ・Moondoc(as)、Roy Campbell(tp)、William Parker(b)、Rashid Baker(ds)という達人ぞろい。と、言っても当時はみんな新進気鋭の若手だった。A面は、ハイ・スピードで駆け抜ける。「これぞフリー・ジャズ!」と言った感じで、爽快感すら感じる。B面は、少し速度を落とした演奏なれど、全く演奏が淀むような場面は無い。こういった音楽を聴くと、つくづく「アメリカの都会の黒人達の都市型民族音楽」だよなあと感じる。他の地域や民族には真似出来るものじゃない。ただ、技術の上手下手だけで表現しきれない何かがここには有る。

420~Giorgio Gaslini Quartet:Murales(Dischi Della Quercia/1976)

これは、映画音楽(アントニオーニの「夜」等)でも活躍し、若い頃はシンフォニーオーケストラの指揮もしていたというイタリア・ジャズ界の重鎮Giorgio Gaslini/ジョルジオ・ガスリーニのカルテットの1976年にリリースされたアルバム。G・ガスリーニ(p)の他は、Gianni Bedori/ジャンニ・ベドリ(ssts)Bruno Thomaso/ブルーノ・トマソ(b)Andrea Centazzo/アンドレア・チェンタッツォ(ds)と言う、イタリア・ジャズ界の最高のメンバーが揃った。各人時にはフリーキーなソロを取るも、全体的にはジャズの範疇からはみ出すことはない。G・ガスリーニの作った曲の中で自由度の高い演奏をしているといったところか。意外と一番暴れているのがガスリーニ自身のピアノだったりする。作曲家として名だたる仕事をこなしてきたG・ガスリーニだから、ここで演奏されている曲も、アドリブのキッカケ程度のシロモノなんかではない。テーマ部分だけでも聴かせるだけのモノになっている。普段は先鋭的な演奏をしているA・チェンタッツォがジャズ・ドラムに専念している珍しいアルバムでもある。このグループは、70年代中期はかっちりと固定したメンバーだったようで、この4人のアルバムは、「Concert Della Resistenza」(74年)、 「Giorgio Gaslini Quartet」(74年)、「Concert Della Liberta’」(75年)の3枚が、このアルバムの前に、コンスタントにリリースされていた。この他、ラズウェル・ラッド(tb)とのデュオ「Sharing」(78年)や、アンソニー・ブラクストンとのデュオ「Four Pieces」(81年)もお薦め。

419~Enrico Rava:Katcharpari Rava(BASF/1973)

Enrico Rava/エンリコ・ラヴァは、1943年イタリア、トリエステ生まれのトランペット奏者。60年代は、ガトー・バルビエリやスティーヴ・レイシーのグループでフリー・ジャズを演奏していた。75年からはECMからアルバムがリリースされるようになり知名度も上がって行って、今ではイタリア・ジャズ界の大御所の一人だ。73年ミラノ録音の本作は、当時のE・ラヴァのグループのレギュラーメンバーだったJohn Abercrombie/ジョン・アバークロンビー(g)、Bruce Johnson/ブルース・ジョンソン(el-b)、Chip"Superfly"White/チップ・ホワイト(ds)のカルテット。B・Johnsonは、元々ギターリストとしてE・ラヴァのグループに参加していたところ、J・Abercrombieが入って来たので、エレクトリック・ベースを演奏することになった。彼はGil EvansやBeach Boys、Wilson Pickettなどとの共演歴がある。C・Whiteは、Carmen McRae、Sonny Rollinsなどとも共演している。つまりこのバンドは、メインストリーマーで構成されており、フリー・ジャズを期待されては困る。演奏される曲は7曲中5曲がE・ラヴァの作。1曲がB・ジョンソンの短い曲。もう1曲はEl Incaの「Katcharpari」というアルバム・タイトルにもなっている曲で、南米のフォルクローレだ。この曲の強烈な印象を引きずっているのか、このアルバムの全体的な印象がフォルクローレの雰囲気が漂う。だが、けっしてそのような演奏をしているワケではないのだが。「Katcharpari」にしても、テーマ部分はともかく、その他はホットなジャズになっている。それ以外の曲もフリー・ジャズではないが結構ストレートに押して行く演奏で、輪郭の柔らかな音色のギターを弾くJ・アバークロンビーのギターも、ロック・テイストのハードな音色でガンガン弾いているくらいだ。E・ラヴァは持ち前のスピード&パワーは全快に吹きまくり爽快だ。私個人は、E・ラヴァのアルバムは、これを最もたくさん聴いて来た。グローブ・ユニティのメンバーとして来日した時は、M・ショーフ、K・ホィーラーと並んで、バリバリと吹いていたのが印象的だった。

418~Electronic Art Ensemble:Inquietude(Gramavision/1981)

Electronic Art Ensembleは、ニューヨークでGregory KramerとClive Smithによって80年頃に結成された。G・Kramerは、Robert Moogの新しい楽器の制作に関わり、Buchlaにも関わっていた。70年代中期にソロ・パフォーマンスをしていたが、78年にC・Smithと出会い電子音楽をライヴで行うアンサンブルを結成することとなった。アンサンブルのメンバーは、Russel Dorwart(engineering/Mixing、electronic and tape processing)、Stephen Horelick(analogue  synthesis、drum computer、electronic processing)、Gregory Kramer(analogue synthesis、electronic organ、piano、voice、percussion)、Clive Smith(electric -g&b、electric -tp、electronic and tape processing)。シンセサイザーやエレクトロニクスばかりを使うのではなく、ギター、ベース、ドラム・マシーン、トランペット、パーカッション、ヴォイスも導入された演奏で、エレクトロ・アコースティックの性格も有する。ギター、ドラム・マシーンの使用からも分かるように、現代音楽、実験音楽からも少し距離を置いた立ち位置となっている。同時期を考えてみれば、すでにロックの世界では当たり前のように行われていたエレクトロニクスの使い方とも言える。勿論そこは電子音楽の専門家だっただけに、電子音響の使い方は達者。人の声をゆっくりと変調し、最後には電子音の渦に巻き込まれるところが面白い。

417~Canadian Electronic Ensemble(Music Gallery Editions/1977)

Canadian Electronic Ensembleは、1971年に当時のカナダの若い作曲家・演奏家達によって結成されたライヴ・エレクトロニクスのアンサンブル。メンバーは、David Grimes(EMS Synthi A syhthesizer、Roland SH-5、Dyna-Soar、tb)、David Jaeger(EMS Synthi A synthesizer、ARP Odyssey synthsizer)、Larry Lake(EMS Synthi A synthsizer、tp)、Karen Kieser(p)、Jim Montgomery(EMS Synthi A synthsizer、ARP Odyssey synthsizer、Dyna-Soar、Pin-pong ball、p、fh)。1977年に録音された本作は、彼等のファースト・アルバム。ライヴで電子音楽と言えばDavid Tudorなどが思い出されよう。彼らはエレクトロニクスを彼等自身で組み上げ、システムを構築し独自の音響を作り上げて行った。しかし、このアンサンブルは、EMS Synthi やARP Odyssey等のライヴでも使いがっての良いコンパクトなシンセサイザーを主に使って演奏した。よって、今の耳で聴くと、出て来る音がどこにでもよくある音に聴こえてしまうのは致し方がないのも確かだろう。どこかプログレッシブ・ロックのような音色ではある。だが、71年という結成年を考えれば、当時とすれば斬新なアンサンブルだったことだろう。以後も活動は続いている。

416~Lloyd McNeill;Treasures(Baobab Record Company/1975)

Lloyd McNeill/ロイド・マックニールはジャズ界では数少ない専業フルート奏者かと思いきや、絵も描く、詩も作る、作曲もする、写真も撮る、教育者でもあるという各方面で八面六臂の活躍を示す人なのだ。75年録音の本作はBaobab Record Companyという、おそらく彼の自主レーベルからのリリースされたアルバム。L・マックニールの他は、Don Salvador(p)、Cecil McBee(b)、Brian Brake Portinho(ds)、Ray Armando(perc)。知名度的にはセシル・マクビーの他は地味なメンツ。ブラジル出身のD・サルヴァドールの参加もあってか、全体的にトロピカルな雰囲気が漂う。リズムが色々と変化に富んでいて楽しい。勿論そこは軽いフュージョン・タッチの演奏とは違う。特にA面1曲目のL・マックニール作曲の「Griot」と、B面1曲目の、ピアニストのD・サルヴァドール作曲の「Salvation Army」は聴き応えのある演奏だ。最後はエリック・ドルフィーへの想いを表現したのだろうか「You Dont Know What Love Is」で締める。美術家でもある彼がデザインしたジャケット・アートもいい。

415~Ahmed Abdulluh;Life's Force(About Time/1979)

Ahmed Abdullah(本名Leroy Bland)/アーメッド・アブドゥラは、1947年 NYC、生まれのトランペッター。76年にDouglasからリリースされた当時のロフト・ジャズ・ムーブメントを記録した5枚のアルバム「Wildflowers」の第3集に彼のグループも収録されていた。同年から93年までの間はSun Ra/サン・ラのアーケストラに所属。79年録音の本作は、A・アブドゥラの他、Vincent Chancey(fh)、Jay Hoggard(vib)、Muneer Abudul Fatah(cello)、Jerome Hunter(b)、Rashied Sinan(ds)という興味深い編成になっている。フレンチホルン、ヴァイブラフォンを加えたことで全体が柔らかな空気が流れる。ジャケットの雰囲気とは違い、ホットでハードなフリー・ジャズはここでは聴けない。トロピカル・ムードな曲からスピリチュアルな雰囲気の曲が多い。チェロを加えた事も功を奏している。ベースとのコンビで演奏の底辺を支えたり、チェロの場合はソロも取る。全体的にアンサンブル重視の演奏で、各人のソロを際立たせるよりも全体の雰囲気を大切にしたものになっている。彼の作編曲能力もたいしたものだ。1曲Cal Masseyの曲も演奏している。フリージャズもこの時代になると、破壊のための破壊から、次への創造へ階段を登って行った。ここで聞かれるような、アフロ・アメリカンのルーツを広く参照したクリエイティヴな演奏が、当時のロフトで行われていた。だが、その一歩外側では、フュージョン旋風が吹き荒れていた時代だった。隠れ名盤!

414~Pierre Favre Trio:Santana(PIP/1968)

これは1968年スイス、チューリッヒで録音されたスイス人ドラマーのPierre Favre/ピエール・ファーブル(本当の発音は?)率いるトリオの傑作。ピアノはIrene Schweizer/イレーネ・シュヴァイツァー、ベースはPeter Kowald/ペーター・コヴァルト。三者一丸となった疾風怒涛のパワープレイがこれでもかと続く。そんな中に挟まれるスローな演奏は現代のインプロヴァイズド・ミュージックに直結するようなクールな表情を見せる。そこで直ぐ様思い出されるのがセシル・テイラーだろう。この68年当時のC・テイラーの録音自体が甚だ少ない。ソロが残されているのみ。当時のC・テイラーのグループのドラマーはアンドリュー・シリル。ベースは、そのスピードについて行ける者がいなかった為かレギュラー・メンバーには置かなかった。さて、P・ファーブル・トリオとの違いは? ピアノのI・シュヴァイツァーの正に女傑と言ってもいい(これって性差別?)力技と速度を有するピアノは、驚きに値する。内部奏法も見せるので、現代音楽からの影響も隠そうとはしていない。P・コヴァルトのベースは、こんなスピーディーでパワフルな演奏に付いて行くどころか、ガンガン押しまくり、変幻自在ぶりを示す。こんなベースは当時他に何人いただろうか。P・ファーブルのドラムは、強烈なスピード&パワーを有するが、A・シリル、ドン・モイエ等のアフリカン・アメリカンのドラマーのような粘っこいバネが見られない。だからこそ彼等との違いを表現しやすいのだ。どこかの国の一昔前のドラマーのような「本場アメリカ」への追従、模倣とは違う方向に早くから舵を切ることで、オリジナリティーを獲得することにもなる。P・ファーブルは、その後ドラマーというよりも打楽器奏者と言った方が似合うようになって行った。ここに掲載したジャケットはFMPから再発されたもの。アルバム・タイトルのSANTANAとは、勿論あのサンタナとな縁もゆかりも無い。インドの言葉で(多分)継続・持続の意味らしい。

413~Bob Degen Trio;Celebrations(Calig/1968)

Robert William 'Bob' Degen/ボブ・ディゲンは、1944年ペンシルベニア州 スクラトン生まれのピアニスト。フランクフルトのジャズシーンで活躍し、Calig,Enja等からアルバムがリリースされているのでてっきりドイツ人かと思っていたら、アメリカ人だった。アメリカ時代はバディ・デフランコ率いるグレン・ミラー・オーケストラで演奏したこともあるようだ。ヨーロッパに移っても、デクスター・ゴードン、アート・ファーマー、リー・コニッツらとも共演している。これは、ヨーロッパのジャズ・ミュージシャンなら誰もが経験していることだ。ハン・ベニンクさんにしても同じく。B・ディゲンのピアノの演奏は、ビル・エヴァンスとポール・ブレイの中間あたりを想像されると間違いではないと思う。クールな表現をするピアニストだ。このあたりヨーロッパで人気が出たところだろうか。共演はドラムがFred Braceful/フレッド・ブレイスフル。ベースがManfred Eicher/マンフレート・アイヒャー。言わずと知れたECMの創設者。元はベーシストだったのだ。三者対等のインタープレイが楽しめる。Side Aの2曲目を作曲したのが、これもベーシストのMark Levinson/マーク・レヴィンソン。こちらは本家ポール・ブレイ・トリオのベーシストで、後スピーカーで有名なJBLの創設者だ。

412~ハープの個展/武満徹、坪能克裕、小杉武久~篠崎史子(ハープ)、小杉武久(ヴァイオリン)(日本コロムビア/1973)

1973年録音の本作は、ハープ奏者篠崎史子が、「武満徹;スタンザ Ⅱ」、「坪能克裕;リンの詩」、「小杉武久;ヘテロダイン」を演奏したアルバム。「スタンザ Ⅱ」は、元はウルスラ・ホリガーの為に書かれたハープとミュージック・コンクレートの為の曲。鳥の鳴き声とかがハープのわりと早めのパッセージに重なり合う。穏やかな情景が浮かんでくるようだ。「リンの詩」のリンは鈴のリンと輪のリンも含め色んなリンの意味が込められている。円形の図形楽譜らしい。ハープの音も多重録音されているようだ。時折鈴の音や声も聴こえる。どこが中心といった感じでは無い。音が無限に続いて行く感覚になる。「ヘテロダイン」は、小杉さんのヴァイオリンと、ヘテロダイン(可聴波を越えた高周波どうしが電子回路の中で干渉し合うと、可聴波として聞こえて来る)の音のウネリとハープが共演したもの。正に音による波の姿だ。ここには何の周期性もない。ただ音が小さく大きく打ち寄せて来るだけ。ハープのアルバムとしては、最も優れて異質なものだろう。

411~Takehisa Kosugi/小杉武久;Performance(芦屋市立美術博物館/1996)VHS・VIDEO

これは1996年、芦屋市立美術博物館で催された「小杉武久 音の世界 新しい夏」の様子を記録したヴィデオ。5月18日から7月7日までの間開催され、その間サウンド・インスタレーションの展示の他、レクチャー、パフォーマンスも行われた。「Micro 1」、「Organic Music」、「Anima 2」、「Mano-Darma,electronic」、「Film&Film #4」といった60年代のイベント作品の実演は貴重。「Catch-Wave'96」は、LP・CDアルバムにもなっているキャッチ・ウェイヴ(1974年)の22年ぶりの再演。この22年の間にどこかで演奏されているかまでは分からないが。レコードを何度聴いて来たか分からないほどなので、この再演には狂喜したが、美術博物館には行けなかったのは残念でならなかった。レコード・ジャケットには、扇風機やトランスミッター等のイラストが描かれてあって、どうようにして演奏されているかが伺い知れたが、これでやっと画像として確認出来た。背後のスクリーンに映される波のフィルムもあってこその「Catch Wave」なので、このヴィデオ作品は有難い。「Streams」等の90年代の作品は、マース・カニングハム舞踊団の委嘱作でライヴ・エレクトロニクスが中心となる。その他、ワイヤレス・マイクを付けたヴァイオリンを演奏しながら会場内を回るパフォーマンスも見ることが出来る。90年代中期までの小杉武久の歩みを集大成した企画だ。その後の歩みも含めてもう一度このような企画を期待したいものだ。小杉の作品は、ステージでのパフォーマンスにとどまらず、サウンド・インスタレーションのような音の出る「見る作品」も多く、また音のほとんど出ない、身体表現もある。そのような視覚を必要とする作品を鑑賞するためにも、このようなヴィデオがあると有難い。

 

410~Joe McPhee;Graphics(hatHut/1977)

Joe McPhee/ジョー・マクフィーは、サックスとトランペットと言うまるで発音原理の違う楽器を同じレベルで演奏すると言う稀有なミュージシャン。マルチプレーヤーは結構いるが、せいぜい同族の楽器か、ピアノや打楽器もやりますといった具合だ。これは、そのJ・マクフィーが1977年に行った無伴奏ソロ・コンサート(2日続けて同じ場所で行われている)から収録した2枚組LP。使用する楽器はトランペット、ソプラノ&テナー・サックス、ポケット・コルネット、ベル類、貝殻で、これらを使い分けながらのソロ演奏となっている。テナー・サックスはベン・ウェブスターがフリーをやったらこうなるかもと思わせるところがある。図太い音色にズルズルともれたブレス音を混ぜ合わせている。トランペットの音も太くたくましい。ソプラノ・サックスでシドニー・ベシェに捧げた曲もある。テナー・サックスでコルトレーンに捧げられた曲も演奏されている。それにしても、この頃のhatHutは売れそうにない無伴奏ソロ・アルバム、それも2枚組でリリースするという商売度外視的なところがある。聴く側とすればその意気込みが伝わって来て嬉しい。まさか、後年スイス銀行のバックアップが付くとは!しぶとく続けていれば何かいいことがあるもんだ。

409~Claude Bernard&Raymond Boni;Pot'Pourri Pour Parce Que(hatHut/1977)

フランスのギターリストRaymond Boni/レイモン・ボニとアルト・サックス奏者のClaude Bernard/クロード・ベルナールの1977年のライヴ録音。スイスのレーベルHatHut初期のLPでいまだにCD化はされていないのが不思議な名作。この頃のhatHut盤のジャケットは全て手書きで書かれ、いかにも自費出版レーベルの匂いを醸し出していた。演奏は、同時期のFMPやINCUSで聴くことの出来たものとは、同じ即興でもかなり趣の違うもので、音のエッジもトンガっていなくて、柔らかめだ。ギターの破壊的な演奏にはならず、エコーも深めにかけて音の輪郭をぼかし気味にしている。サックスにもエコーを深めにかけているが、ライヴ時もそうだったのか、マスタリングの段階でそうしたのかは不明。だが演奏事態が甘くヤワなワケではない。即興演奏ならではの、丁々発止の緊張感を孕んだものになっている。クロード・ベルナールの録音は非常に少ないのでその点でも貴重なアルバムだ。長年の愛聴盤のひとつ。

408~Hugh Davies;Shozyg Music For Invented Instruments(FMP/SAJ/1979)

Hugh Davies/ヒュー・デイヴィーズは、1943年イギリス生まれのコンポーザー/パフォーマー。60年代はシュトックハウゼンのパーソナル・アシスタント/エンジニアを3年間勤めていた。数多くのシュトックハウゼンの曲を具現化出来たのは彼に負うところも多かったようだ。68年から71年にかけてはD・ベイリー、E・パーカー、J・ミューアらとMusic Improvisation Companyに参加。1979年録音の本作は、ユトレヒトとベルリンでのフェスティヴァルでの演奏で、全て彼の自作の楽器のソロだ。その自作の楽器の写真がジャケットにも載せられていない為具体的にどういう形をしているのか、どういった構造なのか、どうやって音を出しているのかは推測するしかない。テーブルの上に置いてあるだけのようだからおそらくそんなに大きなものではないのだろう。出て来る音も弦を弾いて出された音のようだ。エレクトロニックな音ではなくて、エレクトリックな音だ。短い弦状の物を弾いたり擦ったりして、それを変調を加えることもなく増幅させているのだろう。自作楽器の場合は不完全な場合が多く(だからこそ面白いとも言える)、結局出せる音は逆に制限されることも多い。だからこそ進化させるという面白さもあるのだが。彼の場合は、その後見ていても楽しい自作楽器に成長して行った。

407~Guitar Solos 2(Caroline/1975&76)

Fred Frith/フレッド・フリスは、Caroline Recordsから1974年に「Guitar Solo」をリリース。翌75年から76年にかけて録音された自身とDerek Bailey、Hans Reichel、G・H・Fitzgeraldの4人のギターリストの各々のソロを集めて「Guitar Solo 2」をリリースした。彼等が何者かもよく知らない頃に、ジャケットの面白さにつられて買ったアルバムだった。どれもこれも、それまで自分の聴いていたギターの概念をはるかに越えた演奏ばかりだった。せいぜいジャズやロック、クラシック、フラメンコくらいしか聴いた事の無い者には衝撃以外何者でもなかった。4者それぞれがユニーク極まりない演奏だった。一体どうやって演奏しているのかも分からない。だが、裏ジャケットに、イラストや写真が掲載されており、どうにか理解出来た。ベイリー、ライヒェル、フリスはその後シーンを常にリードする役割を果たして来たが、G・H・フィッツジェラルドはその後どうなったかは知らない。だが、ここでの演奏はギターの音をピアノの内部に向けてスピーカーから発し、そこで生まれる複雑な倍音も演奏に取り込んだもので、凄く興味深い音響を作っている。ベイリーの演奏は、彼の語りにギター伴奏を加えた感じ。このアルバムと、これに続く「Guitar Solo 3」を聴くと、ギターの演奏はこの時代から、まだそう遠い所まで到達してはいないような気がするがどうだろう。ベイリーとフリスの演奏は、今では彼等のCDに其々収録されている。

406~Altered Atates featuring Otomo Yoshihide;Lithuania And Estonia Live(Trigram/1993)

当時はメンバー三人ともが関西に在住だったバンド、Altered States/内橋和久(g)、ナスノ・ミツル(b)、芳垣安洋(ds)に大友良英(turntables)が加わった形で1993年、リトアニアとエストニアをツアー。これはEstonian Radioと、Tallinn International Festivalと、Vilnuis Jazz Festivalの録音から選曲されたアルバム。曲の演奏も一部有るが、基本的にはほとんどが即興演奏だ。だが、これまでのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックをイメージされると面食らうかもしれない。大友良英のターンテーブルからは、人の会話やTVアニメの音声、アジテーションまでの具体音もかなり多く含んだ様々な音響が飛び交う。その中を一見どこにもいるようなギター・バンドが、そんな過剰な音響空間に変幻自在に切り込んでいく様は、衝撃だった。それまでには無かった音楽だった。一言で、「カッコイイ!」のだ。これはカッコイイ音楽なのだ。音楽にカッコイイなんて感じたのはこのアルバムを聴いて初めて感じたかも。スピード感もいっぱいでスリリングなアルタード・ステイツの演奏に、大友のターンテーブルから発せられた音達が、何の違和感もなく、また演奏の速度に全く遅れることもなく、それどころか先へ先へと演奏を導いて行っているようなところもあるくらいだ。大友のセンスと反射神経(音楽的な)には恐れ入る。また、アルタード・ステイツも、大友の変幻自在さに、全く引けを取らずに相対している様は爽快でもある。彼らの演奏技術と感性の豊かさの賜物だ。この頃になると、ジャズだ、即興だ、ロックだといった垣根を聴く方もとっぱらって、アマルガムな状況を楽しんでいた。何か得体の知れない新しさが、ふつふつと湧き出し始めたような感覚だった。

 

405~Otomo Yoshihide;We Insist?(Sound Factory/1992)

1992年9月香港のフリンジ・クラブでのコンサート「We Insist? Hong Kong-Japan,Extreme Music Meeting vol,1」の開催に合わせて大友良英の自己紹介的なアルバムとしてリリースされたCD。音源はそれまでに録音されていたサウンドトラックや劇伴用を集め、再リミックスされた。未発表も含まれる。では、ただのオムニバス・アルバムかといえばさにあらず。15秒から長くても5分32秒の曲が24曲収録されている。それが統一感を持って、組曲として聴けるようになっている。ノイジーな演奏からワルツまで様々な音楽が次々と現れる。その背後にには天安門事件の実況音声等が生々しく流れる。アルバム・タイトルの「We Insist」は、ジャズ・ファンにはアビー・リンカーンの絶叫が突き刺さるマックス・ローチの「We Insist」が思い起こされるだろう。このアルバムにはinsistの後ろに?マークが付いている。日本人がWeという時は、そこに「日本人だけ」が暗に含まれており排他的意味合いが込められている。そこへの疑問と抵抗の意味合いが?マークに込められているのだ。これは、私にとっての「戦う音楽」だ。現在は、NHKの朝のドラマの「あまちゃん」の音楽を担当し、紅白歌合戦にまで出演し、一躍メジャーなステージに駆け上がった感のある大友だが、彼の精神はこの「We Insist?」から離脱するどころか、益々意気盛んで、日本のアンダーグラウンド・シーンを飛び越えて東アジア、東南アジア全域をカヴァーするネットワークを構築し、新たな音楽の創造に余念がない。

 

404~広瀬淳二/Hirose Junji&大友良英/Otomo Yoshihide;Silanganan Ingay(Tanga-Tanga/1989)

ある日、広瀬さんから(兄やんの方だったか?)LPが一枚送られて来た。デュオのようだが、もう一人のYoshihide Otomo(まだOtomo Yoshihideと表記していなかった)がどんな人なのやら、どういう演奏をするのやら全く知らなかった。使用楽器にTurntables、Handmade-mixerとかHundmade-gとある。すでにクリスチャン・マークレイで、ターンテーブルを使った演奏は聴いていた。さて、LPに針を落としてみた。もう驚いたのなんの。広瀬さんのガラクタがコンパクトに組み立てられて、電子的変調も含めてノイジーな鳴らされている所に、その何倍かの様々な音楽の断片やら具体音が重層的に重ねられて、おまけにスピード感もあるという驚きの音達が被さっているではないか。たった一曲広瀬さんがテナー・サックスを吹いているトラックがある。対する大友さんは、ここでは手作りのギターで対抗するのだが、このギターが凄まじい。以前高橋悠治さんと大友さんのことを話したとき、高橋さんはターンテーブルには触れず、「大友君はギターがいい。あれはいい。」と、何度も言われた。ギャーとしか鳴っていないのだが、あれだけでいいと思わせる凄い存在感だ。再発求む!

403~本木良憲/Motoki Yoshinori&広瀬淳二/Hirose Junji;Chi-Chi-Chi-Nngacah(CACOON/1982,83&84)

今では東西を代表する(と、思われる)アンダーグラウンド・シーンの両巨頭の二人、本木良憲さんと広瀬淳二さんの82~84年にかけて録音されたライヴ・アルバム。基本的にはデュオ・アルバムだが、お互いのソロと諸岡範澄さんとのトリオも含む。当時の広瀬さんは、富樫雅彦さんのバンドのレギュラーメンバーとして、ジャズも演奏されていた。それと同時に裏稼業?として、より先鋭化したサウンドを求めて活動もされていた。サックスはほどほどにして、床にばら蒔かれたガラクタをガチャガチャ鳴らしたり、ホースを加えて回していたり、小型のシンセサイザーも使ってみたりと、富樫バンドとはまるで違った演奏をし始めていたころだった。共演の本木さんは、ギターやサックスのマウスピースを付けたフルートを演奏。一曲チェロ奏者の諸岡さんが参加し、トイピアノ、ピアニカ等を演奏したトリオも収録されている。この時私が録音したカセット・テープをダビングして広瀬さんに渡したら、そのテープを使ってLPに収録していた。B-2の3分程度の曲がそうです。実際は90分近いノンストップの演奏だった。この演奏は、「とっちらかってどこが悪い?」と開き直ったような、自由奔放なもの。あえて、まとまろうとかカタチにしようとかを、はなから放棄したよう。聴く方も次の展開が全く読めなくて面白かった。そんな演奏がコンパクトにまとめられて作品化されたアルバムです。これは私の名前がクレジットされた最初のアルバムになります。

402~高砂族の歌・Songs Of Takasagos/Taiwan Aboribines(キング・レコード/1973)

現在の台湾人と一般的に呼ばれている人達は、十七世紀以降中国南部から移住して来た者達の子孫を指す。それとは別に紀元前2000年頃南方より移り住んだインドネシア語族に属した人達(その最古が高砂族)が山岳地域に住んでいる。このアルバムは、その山岳部族から10部族の歌を収録している。パイワン、ルカイ、ヤミ、プユマ、ツォー、アミ、サワ、ブヌン、セデック、サイシヤットの各部族だ。彼らを総称して高砂族と付けたのは日本人である。この呼称も日本だけに通用するもの。「高砂族」、以前はひどい話だが「蕃族」と呼んでいた。1935年以降「高砂族」と呼んだ。いずれにせよ日本統治下の事だ。彼らは元々首狩り族であった。いつ襲われるとも分からない状況にあった為か、音楽も個人の為ではなくて集団の為に存在した。よって、独唱は少なく合唱が歌われた。合唱にもフリー・リズムが用いられ拍節がはっきりと区切られていないものもある。誰かひとりが目立つのはいけないのだ。共同体の在り方が歌にも強く反映している。部族ごとにもシンプルな歌から高度な合唱を得意とするものなど様々な特徴を有す。始めて聴いたとき、何より合唱の素晴らしさには驚かされた。西洋の合唱では味わえない独特な響きを一度知ってしまうともう抜けられない。学校教育の弊害か、我々の世代は、和声は西洋音楽にしか存在しないかのような教え方をされ、また和声の無い音楽は原始的とも言われ続けてきた。だが実際は、こういう言い方は良くないが、その社会が原始的であればあるほどポリフォニーの歌が存在するのだ。

401~Songs Of The North American Indians/北米インディアンの歌(キング・レコード/1967&71)

アルバム・タイトルは「北米インディアンの歌」とある。現在ではインディアンのことを「アメリカ先住民」と呼んでいる。この呼称も白人からの上目線を感じる。他に何かいい呼称はないものだろうか。さて、このアルバムは、A面が「平原インディアンのパウワウ」が収録されている。パウアウとは色んな祭りの総称で、特に何かを指すワケではない。ここではスー族の若者達による太鼓と歌が聴ける。数名がフレーム太鼓を1ビートで延々叩く。「単純だ。」とか思ってはいけない。他部族との戦闘をしなければならなかったので、部族の団結を乱さない為にも、1ビートを決して乱してはいけないのだ。歌も音頭取りの後を合唱が続くのだが、どんどん音が高くなって行き、とうとう歌えなくなるまで続くと、また低いところから始まっている。これが25分収録されている。B面は、ナバホ、ブエブロ、コマンチ、ズーニー各部族ごとの歌が収録されている。どれもシンプルな2拍子系のリズムの歌だ。ここでは二人の歌い手が、各部族の歌を歌い分けている。基本的には独唱は無いが、ここでは一人で歌っている。A面の祭りの歌と太鼓も、都会に住んでいる者達が保存を目的に練習し、NYCのYMCAで録音したもので、生きた音楽とは言いづらい。実際の生活から滲み出た歌ではもはやない。観光化された歌や演奏が残るのみ。16世紀以降迫害を受け続けた彼らに、それを求めるのは酷というものだろう。

400~Baikida Carroll;The Spoken Word(hatHut/1977&78)

これは、hatHut初期にリリースされたBaikida Carroll/バイキダ・キャロルによるトランペットとフリューゲルホーンの無伴奏ソロを収録した2枚組LP。B・キャロルと言えば、セントルイスのBlack Artists Groupのメンバー。ジュリアス・ヘンフィル、ムーハー・リチャード・エイブラムス、デヴィッド・マレイ、オリバー・レイクらとの数々の共演盤やSoul Noteから出ている彼のリーダー・アルバム等に馴染んでいる人には、このアルバムは結構死角になっているのではなかろうか。何しろ無伴奏ソロの2枚組である。地味なことこの上ない。私は逆にこのアルバムから彼の音楽に入ってしまったのだった。一本のトランペットから、輝かしい音、暗い音、人のおしゃべりのような音、メロディアスな演奏、音の跳躍の幅が広い演奏、楽器の音と言うよりも唇の振動そのままを伝えたような演奏等々、2枚のアルバムの中に色々な音が詰め込まれていて飽きさせない。地味すぎて再発は無理かなあ?

399~Jon Rose;Forward Of Short Leg(Dossier/1980~86)

Jon Rose/ジョン・ローズは、1951年イギリス生まれのオーストラリア人のヴァイオリン奏者。このアルバムでは、その他にピアノ、チェロ、19 strings erectric violin、19 strings celloという自作楽器も使用している。本作は1980年から86年までの様々なセッションが収録されている。参加ミュージシャンは、80年前後に現れた新感覚のインプロヴァイザーからエヴァン・パーカー、バリー・ガイらヨーロッパ・フリーの初期から活躍を続ける大御所(録音当時はまだまだ若かったが)、国籍も様々。くわしくはジャケット写真を参照して下さい。これら多くのミュージシャン達が、デュオからDense BandやThe Relative Bandといった7人編成のバンドまで色んな組み合わせで演奏が聴ける。全16曲も有ることから分かるように、一曲が41秒というのから、せいぜい6分弱。多くは2分台と短い。ジョン・ローズの80年から6年間のサンプルを並べたアルバムと言ってよいであろう。せっかく面白いのに突然プツリと演奏が切れるのは、少々フラストレーションが貯まるのも確か。ここで聴ける演奏は、それまでのフリー・ミュージックに見られた長いソロがあるとか、疾風怒濤の熱演とかは、一切無い。細かく刻まれた音の断片が目まぐるしく変化して行く。こういった演奏も今から見ると、その後は一時の流行のようにあっちこっちで行われるようになって行った。しかし、彼等のようにその最先端で牽引して行った者達には賞賛しかない。本作は、たくさんの演奏の、たくさんの録音を短く切り刻んで並べ合わせ、一つの音響作品としたのかもしれない。

 

398~The Milo Fine Free Jazz Ensemble;Against The Betrayers(Shih Shih Wu Ai Records/1979,80)

Milo Fine/マイロ・ファインは1952年ミネソタ州ミネアポリス生まれのドラム、クラリネット、ピアノ奏者。ずっと地元ミネアポリスを拠点に活動を続けてきた。61年からドラムを始め、66年にピアノを始める。69年からFree Jazz/Improvised Musicを演奏し始める。74年からはクラリネットも始める。79年から80年にかけて録音された演奏を収録した本作は、自身のレーベル「Shih Shih Wu Ai Records」の第3弾。長く共演を続けているギターリストのSteve Gnitka(g)に、Anthony Cox(b)が加わったトリオの他、ソロやデュオも聴ける。M・ファインのドラムは、細かく刻み続け、所謂ドラマーらしい演奏とは少々異質なもので、ジョン・スティーヴンスの影響を感じる。ピアノの演奏もせわしない。クラリネットの演奏も同じく。S・Gnitkaのギターは、通常のエレクトリック・ギターの奏法の範囲を大きく逸脱するものではなく、所々ベース・ギターのようにも聴こえる。ベースのA・コックスが全体をしっかりと支える上でクラリネットやギターが暴れ回っている感じ。ローカル・ミュージシャンのイメージが強いM・ファインなんだが、初期のhatHut(76&77年)にはギターのS・Gnitkaとのアルバムが2枚出ていたりする。現在も現役でミネアポリスで活動中だ。

397~Michael Smith;Geomusic(Muza/1976)

Michael Smith/マイケル・スミスは、1938年ケンタッキー州Tilline生まれの作曲家、ピアニスト。6歳で、自作曲のピアノ・ソロ・コンサートをナッシュヴィルで行った。作曲家と先に書いたのは訳がある。彼の経歴を見ると、このアルバムで聴けるようなジャズ・ミュージシャンの姿はごく一部でしかないようなのだ。ニュー・イングランド音楽院とジュリアード音楽院で、エレクトロ・アコースティック・ミュージックを学んでいたりする現代音楽の作曲家としての姿がある。ピアノ・ソロ、オーケストラ等々と様々な曲を書いている。アメリカ人だが、ヨーロッパを転々と渡り歩いており、72年にはパリに住み、スティーヴ・レイシーやアンソニー・ブラクストンらとツアーをした。東欧も含め数多くの国で演奏し、各地で録音を残している。76年のこのアルバムは、ポーランドでの録音だ。地元ポーランドからはZbigniew Namyslowski(as、cello)、Jacek Bednarek(b)が参加。Laurence Cook(as)、Kent Carter(b、cello)、Claude Canille Bernard(ds)という2アルト、2ベースの編成。経歴から現代音楽のようなクールな響きと思われるかもしれないが、紛れもないジャズが演奏されている。参加メンバーからするとそれは分かるだろうが、意外にもマイケル・スミスのピアノにも同じ事が言えて、セシル・テイラーばりの疾走感満載の力強い演奏をしている曲もある。ベースのケント・カーターとは、デュオ・アルバムも残している、「La Musique Blanche」(75年)。ところで、Laurence Cookはドラマーだったはずだが、ここではアルト・サックスとクレジットされているし、実際演奏もしているが、同姓同名なのだろうか? アルバム・タイトルにもなっているGeomusicとは、彼が考案した楽譜の書き方の呼称。という事は、ここで演奏されている曲は全てその書き方で表わされていたのだろうか。

 

396~Dwight Andrews;Mmotia-The Little People(Otic/1979)

Dwight Andrews/ドゥワイト・アンドリュースは、1951年デトロイト生まれのマルチ・リード奏者。ワダダ・レオ・スミスのNew Dalta Arkhriメンバーとして「Go In Numbers」、「Spirit Catcher」、「Divine Love」、「The Mass On The World」、「Leo Smith Creative Orchestra:Budding Of A Rose」、または「Roscoe Mitchell Creative Orchestra:Sketches From Bamboo」(レオ・スミス盤と同メンバー)。または、Jay Hoggard/ジェイ・ホガード(vib)の「In The Spirit」(Muse/1992)に参加しているが、リーダー・アルバムとなると、おそらくこのアルバム1枚だけなのではないだろうか。演奏するよりも、主に教育者として活躍している。エール大学を出て、母校やハーバード大学でも講義を持つ。1996年から98年にかけては、National Black Arts Festivalのディレクターも勤めている。アフリカン・アメリカンのアート全般を後世に伝える役割を担った重要人物の一人。79年録音の本作は、Dwight Andrews(ss、as、b-cl、contrabass-cl、alto-fl、indian wood-fl、perc)、NanaVasconcelos(perc,flextone,corpo,voice,bottles,beads,atumpan)と、Nat Adderley(p)の三人による演奏。三人同時は少なく、ドュワイト・アンドリュースの様々な楽器による無伴奏のソロになる曲が多い。そこにナナ・ヴァスコンセロスが加わると、彼の色合いが突然濃くなる。誰の演奏だろうがナナが加わると、どれも彼の色に染め上がってしまうほどの強い個性を持っている。ここでも、どっちのリーダー作なのか分からなくなってしまうところがある。だが、一見そう見えてもD・アンドリュースの曲の中での個性発揮には違いない。N・アダレイは、あのナット・アダレイの息子で、ピアニスト。正直言うと、あのナット・アダレイがピアノを弾いているのかと、しばらく思っていた。87年には、バーニー・ウォーレル、ジャラマディーン・タクマも含めたブッチ・モリス以下9名が参加した、ジャズ、ロック、ブルース、ファンクが渾然一体となったようなユニークなプロジェクト「Fool Proof:No Friction」にも参加して4曲を提供して、演奏もしている。

 

395~George Lewis;Shadowgraph(Black Saint/1977)

George Lewis:Shadowgraph (Black Saint/1977)

 

George Lewis/ジョージ・ルイスの1977年録音の本作は、作曲と即興の理想的な融合が聴ける傑作。1,4曲目はAnthony Davis(p)、Douglas Ewart(b-cl、fl、bamboo-fl、perc、cassette -recorder)、Leroy Jenkins(vln)、Roscoe Mitchell(ss、as、bs、sn、fl、cassette -recorder)、Abdul Wadud(cello)、Muhal Richard Abrams(p)らのアンサンブル。特に4曲目は、D・ユアートとR・ミッチェルが操作するカセット・テープに録音されている人の朗唱も含めたアンサンブルの中をムーハーとジョージのソロが時折浮かび上がる。ソロといっても、アンサンブル自体が音の断片が飛び交うようなものなので、特に「ソロ」というイメージが沸かない。ジャケットにはSoloistsとは表記されてはいる。2曲目は2台のピアノとジョージのスーザフォンによるトリオ。スーザフォンの低音によるドローンのような音の上を、2台のピアノが内部奏法と声も含めて自由に泳ぐ。3曲目は、D・ユアートとジョージのデュオ。ユアートはcl、bassoon、sn、percを、ジョージはシンセサイザーとテナー・トロンボーン、ワグナー・チューバを演奏。シンセからトロンボーンに移行しても、ジョージのトロンボーンの音がまるで電子音のように聴こえることもある。ユアートとジョージはまるで正反対の資質を持ったミュージシャン同士のように感じるのだが、不思議と相性がいい。ルイスは、AACMのミュージシャンだが、興味は現代音楽、それもエレクトロニック・ミュージックに向かい、ついにはコンピューター・ミュージックで一家をなした。コンピューターが、即興してしまう「ヴォイジャー」を考案。私は、防府で彼のライヴを企画し、彼のトローンボーンとボイジャーのデュオを聴いた。もう驚いたやら、感心したやら。今やコロンビア大学で学部長にまでなってるが、水戸黄門の物まねまでやってくれるほどの面白く、楽しい人だった。

 

394~Hamiet Bluiett;Resolution(Black Saint/1977)

Hamiett Bluiett/ハミエット・ブルーイェットは若い頃ボストンで、デューク・エリントン楽団のHarry Carney/ハリー・カーニー(bs)の演奏を聴いたことで、バリトン・サックスを始めた。今やH・カーニー以降では最高のバリトン・サックス奏者と言って良いのではなかろうか。69年にチャールズ・ミンガスのバンドに参加し大いに注目され、76年からはワールド・サキソフォン・カルテットに参加。リーダー作も数多い。77年NYCでの録音の本作は、Don Pullen(p,、organ)、Fred Hopkins(b)、Billy Hart(ds、perc)、Don Moye(sun perc)という強力な布陣。H・ブルーイェットもバリトン・サックスの他、クラリネット、フルート、バンブー・フルートも演奏している。フルート等で落ち着いた表情を見せる曲以外は、バリトン・サックスを縦横無尽に吹きまくる豪快な演奏が聴ける。これがバリトン・サックス?と疑うような高音域を吹き鳴らしたと思ったら、地を這うような低音の響きを轟かせる。F・ホプキンスとB・ハートとD・モイエのバネの効いた強力なリズムが、演奏をより強力にバックアップする。これはアフリカン・アメリカンならではのものだ。最後の曲は、マヘリア・ジャクソンに捧げられたゴスペルに根ざしたディープな演奏。D・プーレンのオルガンがいい。

393~Henry kaiser;Ice Death(Parachute/1977)

Henry Kaiser/ヘンリー・カイザーは、1952年生まれのギターリスト。70年代からフリー・ジャズとは違う新感覚の即興演奏を開拓して来た。また、フリー・インプロヴィゼイションのギターの表現領域を拡張して来たひとりでもある。1977年録音の本作は、彼を中心とした9名によるデュオやトリオの演奏を17曲収録されたアルバム。15分と10分の演奏も有るが、あとは1分そこそこの短い演奏が多い。「もっと長く聴いていたい。」と感じるものもあるのだが、この時点のショウケース的意味合いのあるアルバムなのかもしれない。共演は、Eugene Chadbourne(acoustic-g)、Evan Cornog(el-g)、John Gruntfest(as)、Henry Kuntz(ts)、Loren Means(tb)、Chris Muir(el-g)、John Oswald(as)、Kaurel Sprigg(cello、voice)。初めて聴いた時は、まだ即興と言えばせいぜいロフト系、ヨーロッパ・フリー止まりだった頃で、「これもアリか?」と衝撃を受けた。INCUSやBEADあたりで聴ける演奏に近いのは間違いなかったが、名人芸に陥らないある種のシロート臭さが逆に新鮮だった。本当にシロートでは出来ないのだが、日本では本当にシロート(テクニック皆無。楽器をきのう買ったばかり?と聞きたくなるような)が「即興」と称して人前で演奏しているのを何度か 聴いて「しまった!それはないだろう?」ということもあった。

392~Hans Reichel;Wichlinghauser Blues(FMP/1973)

Hans Reichel/ハンス・ライヒェルは、1949年Hagen生まれのギターリスト、そしてダクソフォンという創作楽器(美術品として見ても秀逸)を演奏した。残念ながら2011年に亡くなっている。来日も多く、山口県にも何度も来てライヴを行っている。ギターを始める前はヴァイオリンを弾いていたそうで、それが後年のダクソフォンの弓を使っての演奏に役立っているようだ。ギターリストと言っても、彼の場合は改造どころか、全く別物に造り変えられてしまう。ネックが左右にあって、両方の手でタッピングを行い、まるで二本のギターを同時に弾いているような演奏だったりする。これは73年の初リーダー作で、ソロ・アルバムでも、すでのあのH・ライヒェルの音は確立されている。D・ベイリーやS・シャーロックほど破壊的ではなくて、ミニマル・ミュージックを聴いているような演奏もある。音がクルクルと輪になって回っている感覚だ。とにかく他に例がないのだ。世界で唯一!

391~James Newton;From Inside(BVHAAST/1978)

James Newton/ジェームス・ニュートンは、1953年ロス・アンジェルス生まれのフルート奏者。17歳の時フルートを始めるが、それ以前はアコースティック・ベースでジミ・ヘンドリクスなどを演奏していた少年だった。1978年アムステルダムで携帯録音器で録音された本作は、無伴奏のフルート・ソロ・アルバム。よって、音質に少々難が有るのはご勘弁。リリースしたのがBVHAASTというのも興味深い。当時のJ・ニュートンは、David Murrayなんかとは共演していたものの、まだまだ無名の存在。特に日本では。78年といえば、まだ自費出版のアルバムとCircle盤が2枚あるのみ。しかし、その演奏は驚異だった。とかくジャズ系のフルートと言えば、ハービー・マン、サム・モスト、ヒューバート・ロウズ等数得るほどしか専業はおらず、せいぜいサックスの持ち替えが関の山で、技術的にもなかなかひどいものが多かった。そんな中エリック・ドルフィーだけが突出していた。そこに現れたのがJ・ニュートンだった。アルバムは「Take The ”A ”Train」で始まり、盟友D・マレイの「The Hill」で締めくくる。途中自作曲が4曲挟まるが、その中の1曲は「Toru」という武満徹に捧げられた曲もある。

390~Karl Berger;The Piece Church Concerts(CMC/1974)

Karl Hans Berger/カール・ベルガーは、1935年ハイデルベルク生まれのヴァイブラフォン奏者でピアニスト。ニューヨーク、ウッドストックでOrnette Coleman,Ingrid SertsoとCreative Music Studioを設立。このアルバムは1974年、NYCの「Washington Square Church(Peace Church)」で行われたCreative Music Studioに所属するミュージシャン達によるコンサートの模様を収録したもの。INGRID(vo、perc)、K・H・Berger(vib、p、perc)、Dave Holland(b)、Bob Moses(perc)、Richard Teitelbaum(various instruments、Synth)、Betty McDonald(vln)、Irene Marder(fl)、Tom Schmidt(b)、Savia&Eva Berger(voices、other initial sound)、Garrett List(tb)による集団即興演奏が繰り広げられている。決して誰かひとりが突出して全体を引っ張るような演奏や騒々しいだけの喧騒には陥らない。ベースのD・ホランドの堅固なサウンドが演奏の柱となって、演奏の軸を作る。その周りを色々な楽器や声が現れたり消えたりと、演奏は続く。R・タイテルバウムのシンセサイザーの存在が特にユニーク。出しゃばらず、影にもならず絶妙なスタンスの取り方だ。こうした基本的にはアコースティックな空間に電子音は違和感を感じさせることも多いが、彼にはこの公式は当てはまらない。70年代の貴重なアルバムの一つ。再発を乞う。

389~Good Old Circus Interjazz Ⅳ(FMP/SAJ/1979)

これは1979年プラハで行われた「INTERJAZZ Ⅳ」で「Good Old Circus」(このオーケストラの名前なのか? おそらくこのコンサートの為だけに集められたものだろう)による演奏を6曲収録したアルバム。チェコ、イギリス、東西ドイツ、南ア、オランダのそうそうたるミュージシャンが集結した、ある意味グローブ・ユニティ以上の広がりを持った人選だ。Antonin Matznerのシンセサイザー、Tony Oxleyはドラムではなくてヴァイオリン、Jiri Stivinのフルートといったように、使われる楽器もジャズ・オーケストラと少し違いを含んでいる。特にオーケストラのリーダーを設けなかったようで、作曲した者が指揮をとったのであろう。オーケストラのカラーは、その分多彩になっている。この企画だけで存在したであろうから、その後話題になった様子もないが、知ってて損はない。と言うか、ぜひ一度聴いて欲しいアルバム。

388~Fred Van Hove;Requiem For Che Guevara...&Wolfgang Dauner;Psalmus Spei(MPS/1968)

これは1968年のベルリン・ジャズ・フェスティヴァルで行われたWolfgang Dauner/ヴォルフガング・ダウナーとFred van Hove/フレッド・ヴァン・ホフ(ホーフェ?)二人による意欲作を2曲収録したアルバム。ジャケットではチェ・ゲバラ(この演奏が行われた前年に、ボリビアで革命闘争中に射殺された。)がデザインされていかにもヴァン・ホフのアルバムのようだが、LPのA面はW・ダウナーのグループ(M・ショーフ、G・デュデック、E・ウェーバー、ユルゲン・カルグ、F・ブレイスフル)にクワイヤーが加わった演奏になっている。フリー・ジャズの過激な演奏にクワイヤーのヴォイスが決して添え物に終わっていない秀逸な内容。B面が、ヴァン・ホフのチェ・ゲバラ、M・ルーサー・キング、マルコム・Xそれとケネディー兄弟(彼らをゲバラ達と同列に扱うのには抵抗を感じる)に捧げた曲。P・コヴァルト、H・ベニンクによるヨーロッパ最強のリズム・セクション(を、越えているが)に煽られW・ブロイカーやヴァン・ホフが強力なソロを取る。特にここでのヴァン・ホフのオルガンのソロは星の数有る(ほどでもないか)フリー・ジャズのアルバムで聴けるソロの中でも特に強力!正に燃える60年代を象徴するような熱い演奏は、これぞ「フリー・ジャズ」! 逆に言えば、フリー・ジャズはこの時代に沸点に到達したとも言えよう。


387~Kunimori Saneyoshi Units:Free Association(LLE-IMI/1982)

Kunimori Saneyoshi Unitsによる82年のスタジオ録音。トランペットのKunimori(國盛実吉か?)がリダーとなったユニットらしく、他はギター、ベース、ピアノ、ドラムが参加しているが、全員が演奏することはなく、トランペットを中心にしてデュオを主に聴かせる。トランペットの演奏は中庸を行くもので、ハイノートをヒットしながら激しく行くというようなところは無い。一音一音フレーズを紡いで行くタイプ。常に落ち着いた表情を見せる。フリー・ジャズの喧騒からは抜け出た後のインプロヴァイズド・ミュージックに通じるところがある。最後の曲は、トランペットの多重録音。時折シャンソンのメロディーが浮かんで出て来る。

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