1993年、日本テレビ、読売新聞が主催し、真言宗豊山派の協力のもと武道館に全国から千人もの集めて催された企画の様子と捉えた録音。お経に付せられた楽譜(博士という)によって唱えられる日本音楽の源流との言われる聲明を千人もの僧侶によって唱えるという壮大な企画である。もっと画期的だったのは、聲明と現代の音楽(現代音楽にあらず)と照明を合わせた壮大な試みであったこと。その音楽監督は佐藤允彦。林英哲、高田みどり、一噌幸弘、中川昌三、梅津和時、岡沢章、YAS-KAZと言ったジャンルを軽々と越えて活動をして来た強者を集めた。昭和41年国立劇場開場において聲明が一般人の前に登場し、これに触発された現代音楽の作曲家達によってかなりの量の新作が作られた。佐藤允彦は作編曲家・ピアニストではあるが、基本的にはジャズのフィールドの住人である。ここでは現代音楽臭を感じさせずに聲明と相対している。80年代的ジャズに聲明が重なり合った曲や、聲明にインドネシア・インド等の東南アジア・南アジアの感触を持つ音、さらに南アフリカまで飛ぶ。それにしても、千人もの僧侶による聲明の響きの力強さ、声の持つ豊かさには驚かされる。音楽において人の声は、どんな楽器をもってしても凌駕は出来ないものなのかと思ってしまう。DVDも発売されており、映像付きの方がお薦め。
これは、20世紀アメリカ実験音楽を代表する作曲家の作品を、ギターとハープで演奏したアルバム。アルバム・タイトルにもなっているように微分音や純正律を使って作曲された作品を集めている。元はピアノ、チェンバロで演奏するものをギターとハープにアレンジされた曲もある。John Cageの「Dream」、「In a Landscape」のような最近よく聴くことの出来る曲だけじゃなく、La Monte
Young,Harry Partch,Lou Harrisonの大変珍しい曲が聴けるのがよい。どれも共通して言えるのは、西洋音楽の枠組みの外にある非西洋、とくにアジアの音楽に影響を受けた曲が多いことだろう。特に興味深いのが、Harry
Partchの曲だ。彼は自作の楽器の為の曲が有名だが、ここではギターとハープで演奏されている。と、言ってもバリトン・ギターだが。どの曲も、「現代音楽」、「実験音楽」と肩肘張らなくても普段BGMとして部屋で流しっぱなしにしていても邪魔にならない。
揚琴(ヤンチン)奏者・張林(Zhang
Lin)とベーシスト吉野弘志による2007年録音のデュオ・アルバム。揚琴とは、中国の民族楽器でサントゥール、ハンマーダルシマーと同族の横に張った弦をバチで叩いて演奏するピアノの先祖と言われる。中国での使われ方は伴奏がほとんどのようだが、独奏曲もある。張林は、伝統にあぐらをかくことなく貪欲に新しい響きを求める。そんな中、ジャズに収まらない活躍をされている吉野弘志との共演の機会が増え、2005年からはデュオ活動を始める。演奏されるのは、ウイグル族、内モンゴル、モンゴルといった漢民族とは違う文化・宗教を持つ民族の音楽を元にしたメロディーでありリズムだ。そんな中に、佐藤允彦・作曲の「風紋」が2テイク収録されている。オリジナルは、「ダブル・エクスポージャー」(佐藤、エディ・ゴメス、スティーヴ・ガッド)に収録されている。佐藤允彦は民族音楽、特にアジアの音楽の造詣が深い。張&吉野は、この曲に彼らと共通するものを感じているのだろう。この曲に新しい光を当てることに成功している。張の高度で多彩な揚琴の技術も驚きだが、吉野のベースが大きな馬頭琴のような響きになるところが興味深い。
吉野弘志は、共演歴が示すように(武満徹、高橋悠治、三宅榛名、明田川荘之、坂田明、富樫雅彦、加古隆、山下洋輔、一噌幸弘、大貫妙子、アイヌ詩曲舞踊団「モシリ」、張林等々)ジャンルの壁が存在しない幅の広い活躍をするベーシスト。この「彼岸の此岸」という名前のバンドは、アジア全域の音楽に広く強い関心を持つ彼ならではの音楽が聴ける。吉野弘志(wood
bass)、太田恵資(violin,voice)、鬼怒無月(g)、吉見佂樹(tabla)という特異な編成の放つ音は、洋の東西南北を行き来する。アイヌの掛け声から触発されて出来た曲。アラブ民謡。トルコの古典曲は、9/8拍子で微分音程も出てくる。武満徹・作曲の「他人の顔」(吉野は、武満がプロデュースした「Music Today」「八ヶ岳高原音楽祭」などに出演されていた)。Jazzの名曲「My
Old Flame」。エリントン・ナンバーでビリー・ストレイホーン作曲「Lotus Blossom」等々。これぞ本当の意味での「フュージョン・ミュージック」が聴ける。
これは、ジョン・ケージが京都の禅寺・龍安寺(1450年創建)の方丈庭園の枯山水を見て、インスピレーションを得て作った曲。この石庭には15個の石が5箇所に設置されている。その間を箒目が走っている。ケージが集めていた石をチャンスオペレーションで配置し、その輪郭をトレースして楽譜は作られている。打楽器とトロンボーン、打楽器とヴオイスのヴァージョンがよく演奏されているようだが、ここでは打楽器の他コントラバス、フルート、トロンボーン、オーボエ、ヴォイスが同時に演奏している。異なる材質の2つの打楽器を同時に叩く音の間を各楽器が石の輪郭をなぞっていくようにゆっくりと音をすべらしていく。これが60分30秒続く。通常の音楽のような盛り上がりもなく淡々と音が浮いては消えて行くを繰り返す。ここに鈴木大拙に傾倒したケージの思想を読み取る作業も必要だろうが、ただゆったりと流れる音に時をまかせてじっと耳を澄まして、時をやりすごすのも間違った視聴態度とは言えないだろう。アンビエント・ミュージックとしての効用もあるのでは?
1970年4月15日 「スイング・ジャーナル・ジャズ・ワークショップ:4」と題されたコンサートが東京のヤマハ・ホールで開催された。その中から高木元輝&豊住芳三郎のデュオと菊池雅章・作曲のラージアンサンブルの演奏が収録されている。サキソフォン・アドヴェンチャーとなっているが、高木さんはここではバス・クラリネットに専念しているのが面白い。Side-Aに収録されている20分くらいの高木&豊住のデュオ演奏は、両人が人生最高の瞬間を記録したものと認める演奏なのだ。私は、この二人から実際に聞いている。高木さんは「あれこそフリーだよ。演奏してフリーになれたんだよ。」と何度も言われた。それは豊住さんも同じで今でも強くこのアルバムの再発を望まれている。Side-Bの菊地雅章(残念なことに先日亡くなられてしまった。合掌。)作のアンサンブル作品でも、高木さんは鋭いバスクラの演奏をされている。が、特にこの曲ではピアノの佐藤允彦さんのパワフルな演奏が強く印象に残る。未だ再発の機会が無く聴いた事のある人は少ないだろう。このまま埋もれさせるワケにはいかない重要作だ。
韓国の伝統音楽(国楽)と現代の作曲も学んだ打楽器奏者、朴在千(パク・ジェチャン)の「Mol-e mori」に次ぐ二作目。前作は作曲されたもので、フュージョンと言えそうなアルバムだった。その後、姜泰煥との出会いが彼の音楽の軌道を大きく変える事になった。彼は、3年に渡り、100回を越えるインプロヴァイザー達との演奏や、他ジャンルの芸術家とのコラボレーションを通じて、より広い認識と音楽性を会得して行った。前作から三年後、今度は即興によるアルバムを制作した。彼の師とも言える姜泰煥をはじめ、その後デュオ・アルバムを出す事になる佐藤允彦、渡韓し姜&朴とのコンサートがTV放送もされたWadada Leo Smithとのデュオ、そしてGustavo Alfredo Aguilar jr(perc)とRichard Maurer jr(perc)との三人の打楽器奏者と姜泰煥との演奏、最後は朴のソロでアルバムは構成されている。それまで録り溜めていた100本以上の録音から選ばれたそうだ。韓国伝統音楽(国楽)を下地に置いた彼独特の音と、佐藤允彦、ワダダ・レオ・スミスと言った巨匠達の放つ音が融合し、衝突し巨大なパワーを放出する。師と仰ぐ姜泰煥の演奏が二曲聴けるのも有難い。姜も自国で朴のような自分より若い世代の共演者が現れてさぞ嬉しかった事だろう。朴在千は、富樫雅彦を私淑し、音楽家としての指針としている。さぞかし共演をしてみたかったであろうが、ここではその富樫とは60年代から共演を続けて来た富樫の盟友、そして師姜泰煥とは同じグループ、トン・クラミのメンバーでもある佐藤允彦とのデュオが聴けるのも嬉しい。そして、ワダダ・レオ・スミスをソウルに呼んで実現したデュオも聴ける。だが、私はTV放送のヴィデオを見ているが、姜、スミス、朴のトリオも入れて欲しかった。それ以上に、この時の録音を全曲CD化して欲しいものだ。この三人による即興演奏の一時間番組が放送される韓国と言う国の文化・芸術に対する姿勢を侮るなかれ。
日本のフリー・ジャズ第一世代の豊住芳三郎と坂田明に、これこそ日本オリジナルと言ってよい元祖ノイズの非常階段が、JAZZの聖地・新宿PIT INNで合体してしまったライヴのセカンド・セットが丸ごと収録されたアルバム。正直言って、フリー・ジャズも型がある。ノイズですら発生して35年は経っている。こちらも、無いようで型は存在する。とは言え両方共総体とすれば「型」はあると言えるが、個々を見れば「一人ヒト・ジャンル」と言ってもいいくらいの個性を持つ。持たない者は瞬間消えて行かざるを得ない厳しい「ジャンル」でもある。そろそろ両者袋小路に入らんとする時期とも見受けられる現在だ。方やジャズのフィールドの専売特許だったのが、あれやこれやと周辺からの参入もあって「インプロヴァイズド・ミュージック」と呼ばれ出し、妙にソフィスティケイテッド・レディーになっちまって、牙を抜かれた”即興”になって行った。方や、せっせと試行錯誤してエレクトロニクスを自作していたりして個性的な音を作り上げていっていたノイズも、安価な市販品の登場により音も個性もだんだんと均質化して来てしまった。
だが、”元祖”(非常階段だけじゃないけど)の持つオリジナリティー&パワーは”均質化”のはるか上に存在する。フリー・ジャズの巨塔の二人も同じく。そんな7人が壮絶なバトルを35分間ぶちかます。フリー・ジャズの巨塔二人の年齢を考えると正直「大丈夫ですか?」と途中言いそうになるが、なんのなんのブッちぎりの疾走だ。フリー・ジャズとノイズの”邂逅”などと言う生易しいシロモノではない。ジャズ側から見ると「ノイズは自分の音をコントロールしていないからダメ。」と批判する。人間がコントロールしきれない音だから面白いとは考えてくれない。彼らの耳と意識の限界だ。ノイズ側からフリージャズを見れば「パワーが無い。」となる。だが、ここではそんな批判はどこかに吹っ飛んでしまうだろう。
アルバム・タイトルにModulation(調節、変調、転調)とある。そして、with 2 guitars and 2 amplifiers。これは、2007年 広島のオリエンタル・ホテルの教会で行われたコンサートのライヴ録音。正直「これを教会で演奏出来た?」と驚く。「大友良英が2台のギターと2台のアンプを使って演奏」とただ書いた字面で想像出来る音楽とは、相当違う。違うどころか、一般的リスナーやストレートな音楽しか演奏しないミュージシャンならこれをギターの演奏とは思わないだろうし、認めようとしない人もいるかもしれない。ギターを弾かない私には、一体どうすればこのような音を出す事が出来るのか正直よくは分からない。分からないからこそ惹かれると言う性格だからこそ、これを面白がって聴いているのだが、とにかく一般的な「ギター演奏」とは大きく異なるのだ。一聴ノイジーな電子音楽に聴こえる。だが、これはエレクトロニックではない。オシレーターから出て来る音を合成した電子音ではない。エレクトリック・ギターから発せられている音なのだ。あくまでもアナログなノイズサウンドだ。重層的な持続音が40分間ノンストップで時にはゆっくりと、時にはスピードを上げて変化する。既製の楽器を異化させ、全く異なる音響をここまで創出させるアイデアとセンスには恐れ入る。「ギター・アルバム 傑作Best 50」と言う企画があれば躊躇なく選出するだろう。多くの人は、真っ先に選盤から外してしまうだろうけど・・。それにしても、ギターと言う楽器の表現する音楽の幅の広さには、ほんの50年前(ほんのか?は、さておいて)では考えつかない事だ。マニタス・デ・プラタ、セゴビア、ジャンゴ・ラインハルト、チャーリー・クリスチャン、ジミ・ヘンドリックス、デレク・ベイリー、キース・ロウ、高柳昌行、灰野敬二・・。そして、このアルバム。今後一体ギターに何が出来るのだろう?
これは、元姜泰煥トリオのトランペッターとして韓国のフリージャズ/フリー・ミュージックを長年牽引して来た崔善培/チェ・ソンベのストリングスやシンガーも加えたジャズ・アルバム。2010年にハリウッドのノースヒル・スタジオで録音された。いつものノイズ発生器と化したような過激な演奏は、ここではほとんど聴かれない。ストリングスも含めたアンサンブルをバックに「When I Fall In
Love」「Cinema Paradiso」「Corcovado」「You Don't Know What Love Is」「Misty」「Moon River」「All The Way」「What Wonderful
World」等々をメロディアスに、軽快に朗々とトランペット、フリューゲルホーンを吹く。韓国で(日本でも)フリー・ミュージックだけで食べて行けはしない。普段、崔さんは、ホテルのラウンジ等でこのようなスタンダード・ナンバーを演奏して来ているので、突然降って湧いたような企画なのではない。これまでも、ライヴ中で全く即興部分の無いメロディーだけを演奏する等々と言う事も行って来ていた。クラシックではモーツァルトやヨハン・シュトラウスが好きな崔さんには、メロディーは深く自身の中に収められているのだ。4曲目に現れるのだが、甘味なストリングスに乗ったトランペットのソロの時、突然インプロヴァイザー・崔善培になるところが出て来る。そんなノイジーなソロでも曲の雰囲気は決して壊してはいない。これがセンスと言うものだ。これ私の隠れ愛聴盤。
Charlie
Watts/チャーリー・ワッツ。1941年ロンドン生まれのドラマー。言わずと知れたローリングストーンズのドラマーだ。1959年にアレクシス・コナーのバンドに参加したのがプロ・デビューとなる。彼がストーンズに加わったのは62年12月26日のことだ。さて、このアルバムだが、何とストーンズのドラマーのジャズ・アルバムなのである。彼がジャズ・ファンであることは知られていた。このアルバムを収録する数年前にはすでに8人編成のジャズ・グループを結成していたのだった。次第に人数が増えて行き、このコンサートでは何と通常のビッグ・バンドの二倍もの32人の大所帯となった。演奏されているのは「Stomping
At Savoy」「Lester Leaps In」「Moonglow」「BobbinsNest」「Scrapple From The Apple」「Flying
Home」といった具合で、モダーンも含まれるが、ほとんどスウィングと言って良い演奏だ。軽快にスウィングした楽しい演奏が続く。ところで、凄いのがメンバーの顔ぶれなのだ。イギリス・ジャズ界のベテラン&若手を総動員した感じだ。Courtney Pine、Alan Skidmore、Stan Tracy、Harry Beckett、Jack
Bruce(cello)あたりなら参加もあるだろうとは思う。驚いたのが、何とEvan ParkerにPaul Rutherford。そしてJohn
Stevensも参加しているのだ。イギリスだけじゃなく、インプロヴァイズド・ミュージック界の総帥的存在の彼らまでもが、喜々としてスウィングしている様を想像するのも面白い。一番喜々として演奏しているのはリーダーのチャーリー・ワッツだろう。正に夢が叶った瞬間。
日本を代表するベース奏者二人にによるデュオ・アルバム。井野信義は主にジャズ・フィールドでの活躍で有名で、日本人ジャズ・ミュージシャンのほとんどと共演をして来た。だが、それとは、別の顔も持っているのだ。70年代は高柳昌行のニュー・ディレクション・ユニットのレギュラー・メンバーをつとめた。グローブ・ユニティ・オーケストラとベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラのレギュラー・ベーシストでもある。レスター・ボウイとのツアーやレコーディングも行っている。方や、斎藤徹は、ジャズ・フィールドでの活躍は薄いが、それ以外での活躍は多岐に渡る。舞踊、演劇、美術、映像、書、邦楽、雅楽、能楽、タンゴ、インプロヴァイズド・ミュージック、韓国の国楽・農楽・シャーマンとの交流は目を見張るものがある。斎藤も高柳とのデュオ活動も経験しており、CDも出ている。このアルバムは、高柳門下のベーシスト二人によるデュオ・アルバムとも言えるだろう。全3曲を収録。1曲目は、二人共アルコ(弓)に徹した演奏で、ロングトーンを二人で織り成して行くのだが、知らずに聴けば電子音楽と言われても頷いてしまう程のびっしりと空間を埋め尽くす音響が広がっている。変わって2曲目はニュー・ディレクション・ユニットの暫時投射を思わせる音と音との距離を取った、空間的な演奏。だが、一音一音が強い。3曲目は、より弱音志向の演奏で、空間を緊張させる。
武満徹は「ノヴェンバーステップス」、「弦楽のためのレクイエム」等々の多くの作品が知られている。現代曲だけではなく、映画音楽も数多い。そんな中比較的少ないのが「うた」だ。実は、武満の名前は出てこないが、彼が実際は作曲したのに彼が従いた歌謡曲の作曲家の”先生”の名前で世に出てヒットした曲があるのだそうだ。このアルバムは、そんな武満が作った歌を、混声合唱用に編曲されたものが集められている。田中信昭の依頼で東京混声合唱団の定期演奏会のアンコール用に編曲されたものだ。それを一枚のアルバムに収めたのがこのアルバムだ。作詞は、武満の親友でもある谷川俊太郎が最も多く、秋山邦晴や武満自身の詩もある。武満自身の詩では「○と△の歌」が面白い。「死んだ男の残したものは・・」は、60年の反安保集会のために作られ、のち林光の編曲版が多くの合唱団で歌い継がれて来ている。今後も多くの合唱団でこれらのうたが歌い継がれる事を期待する。
佐藤允彦、1971年の幻の怪作がよもやCD化されようとは思わなかった。元々は雑誌の企画物として作られたらしい。当時の佐藤允彦はジャズのみならず邦楽、ロック、現代音楽、歌謡曲、映画やTVの音楽等々と八面六臂の大活躍だった。実験精神も多せいだった頃だ。当時日本に3台しか入って来なかったモーグ・シンセサイザーの1台は、佐藤の元へ行った。フェンダーローズに特注のリングモジュレーターを付けて、金属的なノイズ楽器に変身させてしまったり・・などと書くと今の彼には実験精神はもう無いのかと思われようが、さにあらず。現在もあいかわらずの貪欲さで、ピアノとシタールのデュオ・アルバムを作ったり、落語の出囃子をジャズにしてしまったCDをリリースしているくらいだ。このアルバムは、佐藤のロックビートに乗ったハモンド・オルガンの演奏を軸に、和太鼓、スキャット、高木元輝&豊住芳三郎のフリージャズ、ジャズのアンサンブル、現代的なストリングス・アンサンブルがコラージュ的に重ね合わされる。そのまた上に、ヒットラーや大隈重信の声が重ねられると言った具合だ。ごちゃまぜの混沌とした音空間が現れる。これが71年に作られたのだ。71年だからこそ作られたとも言える。万博も終わった71年、正に昭和の絶頂期。だが、ここではそのハレな部分と言うよりも、闇の部分を表したと言った方が似合っているどこか不穏な空気を醸し出しているのだ。LPで言うside 2は、どこかの祭囃子が鳴り始めたと思ったら、それに被せて高木元輝の演奏が強烈に切り込んで来る。それからは、高木&豊住の強烈なデュオ演奏と交互に、または重なって全く違う音楽や音が響き渡る。実は、この高木の相手は当初は富樫雅彦だった。が、収録の一か月前の事件で演奏が不可能になった為、急遽豊住がピンチヒッターとして登場となったのだが、ホームランを打ってしまった!
atavisticのUnheard Music Seriesの一枚。Han Bennink/ハン・ベニンクの1973年のソロ・ライヴから3曲を収録したアルバム。ブレーメンのRathausでのライヴ録音なのだが、Radio
Bremenで放送されたようだ。いつものようにドラムの後ろに座ったまんまの演奏に終わっていない。タブラ、トロンボーン、クラリネット、リズム・マシーン・・・その他色々な音が聴こえて来るあいかわらずのハンの独演会になっている。前後の繋がりとか、構成とかの堅苦しいお題目などぶっ飛ばした破天荒なパフォーマンスに我々聴き手は、身を耳を委ねるだけでよい。圧倒的なドラム演奏(前衛ドラムと言うよりも、シドニー・カトレット、バディ・リッチでも聴いているような感覚になる)から、すっと床に向かうハン。奇声を張り上げるハン。大人よりも、子供の方が素直に受け入れるかも
これは2003年にIDEE FIXE Studio(多分モスクワ?)で収録された梅津和時(as)とVladimir Volkov(b)のデュオ・アルバム。V・ヴォルコフと言えばトランペッター、Vyacheslav Guyvoronskyとのデュオ・チーム「レニングラード・デュオ」で我々を驚かせたものだった。高度なテクニックを持った二人の変幻自在な即興演奏は、鉄のカーテンの向こう側にも優れたインプロヴァイザーいることを知らしめてくれたのだった。彼らはおしなべて卓越した演奏技術を持ち、外界(西側社会)との接触が少なかった事から、独特な表現を純粋培養して来ていたのだった。梅津も卓越した技術とセンスを持ったリード奏者。情報過多とも言える日本で音楽家を生業にして来たが、その情報過多を逆手にとったような八面六臂の活躍を行って来た。一体いくつの顔を持っているのか分からない程多種多様な音楽を演奏しているのにもかかわらず、そのどれもが「梅津和時」の落款がドーンと押してあると言う稀有な存在。梅津は、今は亡きNYのチェリスト、トム・コラとの傑作デュオ・アルバム「アバンダン」(彼の数多くのアルバムの中でも最高の作品と私は信じる。)を残している。このヴォルコフとのデュオ作は、その「アバンダン」に全く引けを取らない演奏内容なのだ。お互いの幅広い音楽性と瞬発力の強さ速さ、展開を読む能力(ほとんど予知能力と言っていい)でもって、これぞ「フリー・インプロヴィゼイションの見本」たる演奏を聴かせてくれる。梅津和時はバンド形態の演奏が多いが、こういった演奏をもと聴かせて欲しいものだ。
これは、尺八・都山流の巨匠 山本邦山と日本ではフリー・ジャズのヴァイブラフォン奏者との認識が強いだろう1935年生まれのドイツ人で、60年代末からはアメリカに住んでいるカール・ハンス・ベルガーの共演アルバム。意表を突く組み合わせに見えるかもしれないが、このアルバムの吹き込みの前年の84年に、山本邦山は当時の西ドイツ、バーデンバーデンで開催された音楽祭に招待され、そこで8カ国、11人のミュージシャンからなるコンサートでカール・ハンス・ベルガーと同じステージに立っているのだった。このステージの様子は「World
Music
Meeting」(Eigelstein)からLPとなってリリースされている。(当レヴューのNO.416で紹介済み。) この時意気投合した山本とベルガーの再開は思いがけず早かった。翌年2月末にフィリピンで開催された「アジア伝統音楽作曲者会議」に招待されたベルガーが、山本に来日の打診をした事で来日が決まったのだった。スタジオ200でのライヴの他、こうしてスタジオ録音でのアルバム制作につながった。山本、ベルガーの他池田芳夫(b)、渡辺毅(ds)がサポートすることとなった。全曲ベルガーの作曲で、「We
Are」のようなすでに発表されている曲もあるが、ほとんどはこの日の為に作曲された曲が演奏された。曲名はベルガーに依頼された悠雅彦氏が色々な俳句から取って付けられたものだ。「フリー・ジャズ」のイメージの強いベルガーだが、ここではヴァイブラフォンとピアノを両方使って、時に力強く、時に柔らかに山本のサポートに回り、またソロをとる。山本のジャズ演奏は代表作「銀界」を持ち出すまでもなく、正に自由自在で尺八の特性を活かした演奏だ。時に尺八で西洋音楽を演奏する場合、特に尺八ではなくたってフルートで十分な感じの演奏もままあるが、さすがは山本邦山はそんなレベルにあらず。ベルガーが書いた曲も、尺八の音にピッタリの曲想になっている。
このアルバムの2年前、オスロのレインボウ・スタジオで、ポール・ブレイ(p)、エヴァン・パーカー(ss,ts)、バール・フィリップス(b)は、「Time Will Tell」を録音している。この三人による初めての共演アルバムだった。P・ブレイとE・パーカーはこの時が初めての共演だった。B・フィリップスは、P・ブレイともE・パーカーとも長年数多く共演をして来た仲だ。「Time Will Tell」では、トリオが7曲、デュオが4曲収録されていた。さて、それから2年後の96年、ノルウェーのサンクト・ジェロルド修道院に三人は集まりコンサートを行った。それを収録したのが本作だ。アルバムには、全12曲が収録されている。前作と違う所は、トリオ5曲の間にそれぞれの無伴奏ソロ、P・ブレイの2曲、E・パーカーの3曲、B・フィリップスの2曲が挟まれている。ソロでは、お互いのいつものスタイルで演奏をし、それをコンパクトに(1分29秒~7分13秒)収めて、トリオの演奏へ繋いでいる。全体が12曲の組曲風に構成してある。実際の演奏は、1曲1曲がもっと長く演奏されていたはずだ。アルバム用に短く編集してあることは間違いない。ひとつの作品としたワケだ。トリオの演奏を見ると、E・パーカー&B・フィリップスの演奏スタイルにP・ブレイが歩み寄った感が強い。だが、9曲目のP・ブレイのソロでは、彼流のどこか怪しさを含んだ他では聴けない個性を強く放出している。トリオだと、より抽象性の高い鋭い演奏に変わる。最後はE・パーカーの1分半ほどのソロで締めくくる。こう言った教会、修道院がImprovised Musicの演奏の場として普通に使われると言う事に文化の習熟度の差を感じざるを得ない。また、ImprovisedMusicがここまで洗練された音楽になって来た事には少々驚きもある。
X-Communicationは、1987年ニューヨークでLawrence"Butch"MorrisとMartin Schtz、Hans
Kochが出会った事から始まったプロジェクト。異なった出自を持つ者がグループ・インプロヴィゼイションを継続して行こうと集まった。最初は16~18名もが集まったビッグ・バンドのようになったが、すぐにそれは縮小された。メンバーは、当時のブッチ・モリスのトリオを核に集められた。本作は、1990年のベルリンとブッパタールでの演奏から、Part
1と2に分けて編集された。J.A.Deane(tb,electronics),Shelley Hirsch(voice),Jason Hwang(vln),Paul Lovens(ds,perc),Butch Morris(cor),Hans Reichel(g,daxophone,cello),Martin
Schutz(cello)の8人による集団即興。所謂フリー・ジャズの集団即興とは大きく異なる演奏になっている。ジャズの場合「俺が俺が」と個人の主張が大きく幅をきかせるが、このアンサンブルにおいては全体の中の個が徹底している。一人が突出してソロを取るような所はほとんど見受けられない。だが、各人即興の世界では強烈な個性を持った者達ばかりだ。多くの音が同時に鳴り響いている中でも、その強い個性で、こちらが聞き耳を立てればそれとすぐ分かる。特にS・Hirschのヴォイスは、言葉も多用している所からよく目立っている。それと、ブッチ・モリスの超個性的なコルネットの音は、控えめに演奏していても、それとすぐ分かる。フリー・ジャズとも、70年代に多く見られた集団即興とも違う新しい集団即興の形がここに見受けられたのだった。
韓国の打楽器奏者・朴在千/Park Je Chunは、姜泰煥/Kang Tae Hwanと出会うことで自身の音楽を大きく幅広く拡大する事になった。出会って3年ほどの間だけで100回を越える共演を果たしたそうだ。その間姜泰煥に加えて、佐藤允彦、Wadada Leo Smith等々のコンポーザー/インプロヴァイザーとの共演やアルバム制作も行って来た。朴在千にとっては師と言える姜泰煥と、ピアニストのMiyeon/ミヨンとトリオを結成した。これは、そのトリオのコンサートの記録だ。CDでは6つに分かれているが(indexは打ってあるが演奏は切られていない)、実際は50分弱のぶっ続けの演奏だったようだ。ミヨンと朴が加わらず、姜泰煥のソロが続く部分もある。朴は、姜と同じく床に座って演奏をする。富樫雅彦を尊敬する人でもある。一打一打が強く、また美しい。ミヨンのピアノも同じく強靭でもあり美しい響きを持つ。三人の有機的な繋がりが演奏をトゲトゲしくはせず、いくら演奏がヒートアップしても、意識は常に覚めている。こう言ったところは、姜がもう一つ結成している日本人ミュージシャン、高田みどり(perc)と佐藤允彦(p)とのトリオ「TonKlami/トンクラミ」と共通したところだ。だが楽器編成として同じでも、朴とミヨンと言う同じ民族、国民どうしのユニットでは、もちろん音の感触は異なる。特に姜と朴の間でより顕著に現れる。共に民族的出自を隠そうとはせず、自身の音楽に色濃く反映させた演奏をこれまでやって来た者どうしだから当然と言えば当然。だが、この民族的感覚は、演奏する当人達は特別意識している訳ではないかも知れない。それは自然と現れるもので、聴き取る側の方がより強く感じるものだ。インターナションルな感覚を持つトン・クラミか、韓国の民族的感覚が濃いトリオと、聴き手の側も聴き比べを楽しめる。ジャケット・デザイン、パッケージも凝った素晴らしいアルバムだ。
ONNYKこと金野吉晃は、盛岡市在住で、70年代から活躍するサックス、ギター奏者(他にも色々。第五列のメンバーでもある。マスタリングも、第五列のメンバーだったゲソが担当。)。本作は、盛岡市の「彩園子/サイエンス・画廊」で、1985年に行われた「John Zorn、豊住芳三郎、ONNYK」のライヴと、87年の「Fred
Frith、豊住芳三郎、ONNYK」のライヴから選曲された4つのトラックから構成されている。1曲目は「F・Frith,Sabu,ONNYK」のトリオ。2曲目は「J・Zorn、Sabu、ONNYK」のトリオ。3曲目はFred Frithのソロ。4曲目はJohn
Zornのソロとなっている。80年代の即興演奏の特徴に、カットアップ、コラージュが挙げられる。瞬時に別のパターンに移り演奏が目まぐるしく展開して行くのだった。F・FrithもJ・Zornも正にこのような音楽を作って来た張本人だ。ここでも素早い速度で演奏の局面が変化する。豊住のあまり聴く事の出来ない低速ビートを刻む所があったりもする。トリオの2曲目では、ONNYKのキーボードが活躍する。F・Frith、J・Zornのお互いのソロは、80年代当時の典型的な彼らのサウンドを聴く事が出来る。J・Zornのソロは、瞬時にたくさんのマウスピース、ゲームコール等を持ち替え、茶碗のブクブク攻撃?!もあるあのソロだ。80年代の復刻は珍しいので貴重なアルバム。
Chris Burn/クリス・バーンは、1955年イギリス生まれのピアニスト、作曲家。84年からフリー・インプロヴィゼイションを演奏するラージ・アンサンブルを結成し活動を続けている。全く楽譜も指揮も存在しない状態での完全即興となると、せいぜい4人くらいまでが限度で、それ以上となると何がしかのルールが必要となって来るところだ。このアンサンブルがどのような楽譜を使っているのか、はたまた全くの即興なのかは、その時々によって違っているのかもしれない。ここで演奏されている8個のピースを聴くと、全くの即興であるようにしか聴こえないのだが、どうなのだろう。全員がこのアンサンブルの姿への統一的な意思疎通が出来上がっており、演奏に破綻は見られない。メンバーは、バーンの他、Jim Denley(fl),John Butcher(ts,ss),Stevie Wishart(vln),Phil Durrant(vln),
Macio Mattos(cello),John Russell(g),Matt Hutchinson(syn,elec)と、そうそうたる面々。だが、これがリリースされた当時は、正直ブッチャー、デュラントの名前を見ても、新人くらいにしか思えなかった頃だ。バーンの名前でこのCDを買ったのではなくて、ラッセルやマットス、ハッチンソンの名前に釣られて買ったら、これが正解だったワケ。イギリスにはINCUSやBEADと言ったフリー・インプロヴィゼイションのレーベルで顕著に見られた即興演奏のある形が見られる。ドイツ、フランス、オランダとも違うイギリスと聞いたら思い浮かぶあのスタイルだ。このアンサンブルは、その特徴であるところの点描写的表現を8人と言うアンサンブルで表現しているところが特徴だ。このアンサンブルは激しく加熱はしない。どこまでもクールな表情だ。熱狂型のフリー・ジャズ、エネルギー・ミュージックを好む者には、あまりに素っ気ない音に感じるかもしれない。だが、この緊張感は簡単に作り出せるものではないのだ。
これはフォンテックがシリーズでリリースしている高橋悠治・リアル・タイムの5番。「翳り」と題されたコンピューター・ミュージックだ。高橋悠治は、コンピューター・ミュージックの初期段階から創作を始めている。当時はコンピューターに演算をさせて、その結果を元に楽譜に起こすと言ったものだったが、ここでのコンピューターの役割は、任意に取り込まれている68種の様々な具体音やシンセサイザーで作られた音(4×4のブロックに分けられている)を、コンピューター自身が、簡単なアルゴリズムを組み合わせて音をリアルタイムで選択し演奏するもの。サンプルされた音はどれも長くて5秒くらいで、ランダムに現れる自然界の音を聴いているように現れては消えて行く。じっと座って聴くといった類の音楽ではなく、部屋でBGMみたいに音量も少なめに流しっぱなしがいいようです。CDに固定されてしまっているのが残念。今の技術では固定するしかないが・・・。せいぜいシャッフル機能を使う事が解決策。実際のライヴだと、何度演奏をしても同じ順番で音が出現することはまず考えられないだろう。
ピアニスト、榎本玲奈が弾くGraham Fitkin、佐藤聰明、John Cage、Erkki-Sven Tuur作品集。アルバム・タイトルになっているケージの「In a Landscape」は、1948年に作曲された限られた音だけがゆったりと流れる美しい曲。佐藤の「コラール」は、2000年「J・S・バッハ没後250年」記念に作られた曲。このアルバムで重要なのはこの2曲ではなくて、グラハム・フィトキン(1963年イギリス生まれ)と、エリッキ=スヴェン・トゥール(1959年エストニア生まれ)の方だろう。現代音楽と言っても実際よく聴くのはせいぜい1940年以前に生まれたような年代の作曲家が多い。この二人は私と同世代。トゥールに至っては私と同じ。意外と耳にする事が少ない世代の作曲家だ。時代的にロック、ジャズ、ミニマル・ミュージック等々を通過して来た世代だからだろう、一つの技法(主義・思想とも結びついていた)に拘る事のない世代の音楽とも言える。部分的にはどこかヨーロッパのジャズ・ピアニストが自作の曲を演奏しているかのように響く所が結構多い。短い音型が重なり合うように進行する。前後の脈絡を切断したような過激な曲ではない。これも時代の流れか? 気分を落ち着けたい時にもってこいのアルバムだ。それが現代曲と呼ばれるのであっても許される時代になったと言うことか。ジャケット・デザインがアルバムの内容をよく現している。
これは、Wadada Leo Smith/ワダダ・レオ・スミスの二つのグループのライヴ演奏を収録した2枚組CD。一つは「Golden Quintet」。ゴールデン・カルテットにドラマーを一人増やしたクインテットになっている。レオさんの他は、Vijay Iyer(p,synth),John Lindberg(b),Pheeroan AkLaff(ds),Don Moye(ds)と言う正にオールスター・グループ。08年のNYC、Vision Ⅷでのライヴ。全曲レオさんの曲が演奏されている。伴奏に終わらないJ・リンドバーグのベースと、これ以上望みようのないドラマー二人による重厚なビート&リズム。その中をV・アイヤーのピアノとシンセサイザーのとレオさんの強力なトランペットが鳴り渡る。野放図なフリー・ジャズとは一線を画す。きっちりと構成的な演奏なのだが、各人の音の瞬発力・威力は絶大。もう一つは09年のNew HavenのFirehouseでのライヴ。レオさんの他は、Michael Gregory(g),Brandon Ross(g),Nels Cline(g),Lamar Smith(g),Okkyung Lee(cello),Skuli Sverrisson(el-b),John Lindberg(b),Pheeroan AkLaff(ds)と言うギターだけで4人(内2曲は3人)もいるグループ「Organic」による演奏。こちらは、Yo Miles!の路線を行くエレクトリック・バンド。タイトなリズムの上をエレクトリック・ギターの多彩な音が交錯する。その中をレオさんのトランペットの音が泳ぎ回ると言った演奏。エレクトリック・ギターは、ある種のエレクトロニクス的な効果が期待出来る。曲によっては、ギターと言うよりもエレクトロニックな音響空間を創造している所が有る。特に3曲目の「Organic」。ヘンリー・カイザーと組んだ70年代のエレクトリック・マイルスのトリビュート・バンド「YoMiles!」での経験は、レオさんに大きな影響を与えており、ゴールデン・カルテットのようなアコースティック・グループの他に、当時進行でYo Miles!とは別の形で、自己のエレクトリック&エレクトロニックなバンドを組織に活動する事に繋がった。2011年には、この「Organic」だけでの2枚組もリリースされている。こちらは、ヴァイオリン、2サックスに加えふたりのLaptopの参加した14人編成の大作「Heart’s Reflections」。これは聴き応えのある2枚組だ。
化転と書いて「けてん」と読む。仏教用語の一つで、「教化して悪を善に転ぜしめる」と言った意味。アルバムの副題が「打・管・絃」。打が藤舎呂悦の演奏する小鼓、管が山本邦山の演奏する尺八、絃が本條秀太郎の演奏する三弦すなわち三味線。この三人が集まり、古典を演奏するのではなく即興演奏を行っているのだ。邦楽では、この三種類の楽器の合奏は有り得ない。それだけでも、伝統を逸脱した演奏となっている。最初の三曲は各々の独奏で各自の楽器を披露し、あとの7曲で三人の即興演奏となる。元来日本の古典音楽は、即興的に演奏しながらある形を作って行くと言う性格のものだった。だが、即興とは言っても既製のパターンの集積といったもの。だが、ここではもっと現代的な即興演奏に踏み込んでいる。しかし特殊奏法を屈指して演奏されるアヴァンギャルドな演奏ほどには逸脱したものではない。伝統のパターンよりかは自由に演奏している程度なので、これを即興演奏と知らずに聴いても違和感なく聴けるだろう。ここで使われている三弦を、もしギターを演奏しているインプロヴァイザーが時にやるような特殊な奏法、例えば弓で弾くとか、テーブルに寝かせるようにして置いて演奏するとか、プリペアードにするとか通常の三弦からは出せない音を作ったり、小鼓の革を何かで擦るとか、スティックとかで叩くとか。尺八の音を拾って変調させるとか。こういった事にどれほどの価値があるのやらと考えてしまう。西洋楽器ならなんの抵抗もなくどころか期待してしまうのだが、どうもそれ以外の伝統楽器となると抵抗感があるのだが、一体どうしたことか。さて何曲か三人の即興演奏の録音し、後から佐藤允彦によってシンセサイザーの音が被せられているトラックもある。こうなると即興演奏と言うよりも、一歩踏み込んで作品化したと言えるだろう。
笙に類する楽器はアジア全域に形を変えて色々存在するが、雅楽で演奏されている笙は、8世紀唐から持ち込まれた。現在の雅楽は平安中期にだいたい今の形にまとめられたようだ。笙の独奏は有るにはあったが、ほとんど合奏に使われるだけだった。それが現代になって笙の独奏は復活したのだった。そんな中突如彗星の如く現れたのがこの宮田まゆみだった。真っ白な装束に身を包み笙を吹く姿は凛とした佇まいを感じさせた。元はピアニストだったが、あるとき突然日常性を超越した異次元の世界の存在を感じ、洋楽の常識を超えた音楽を探し求めて行く間に笙に出会ったそうだ。1986年に録音された本作は、珍しい笙の独奏曲「太食調調子」、合奏による「双調調子」、「春庭花」と続く。そして、一柳慧・作曲「笙独奏のための”星の輪”」、芝祐靖が復元した天平の頃の楽曲「曹娘褌脱」(古代の復元楽器が使われている。宮田は芋を演奏)、Cort
Lippe作曲の「Music For Sho and
Harp」では長澤真澄のハープと共演。笙は強いアタック、タンギング等の演奏法を意識的に避けていた。そんな事は下品とされ排除されて来た。コート・リッペのような外国人作曲家はそのような伝統意識の外にいる。よって、この曲は本来笙が行ってはいけない奏法のオンパレードなのであった。これを斬新とみるか、拒絶するかは難しいところだ。シュトックハウゼンが雅楽の伝統を無視し「Licht/光」を作曲し、賛否両論が巻き起こったことがある。あえて雅楽を使う意味がそこにあったのか?これなら西洋楽器を使っていればいいだろう?いや、雅楽器を使い伝統を打破した事に意味が有る等々。これは、現在でも悩みの種なのだ。
Roscoe Mitchell/ロスコー・ミッチェル、1978年に録音された各々3つの様相の異なる曲が並んだアルバム。「L-R-G」はTrio For Woodwinds,High Brass and Low Brassと副題が付いている。Leo Smith(tp,pocket tp,fl-h),Roscoe
Mitchell(piccolo,fl,oboe,cl,as,ts,bs,bass sax),George Lewis(sousaphone,wagner tuba,alto-tb,tenor-tb)の3人による演奏。各々が頻繁に楽器を持ち替えることによって、サウンド・テクスチャーが瞬時に入れ替わる。個人的にはロスコー・ミッチェルの数ある録音の中でも最も聴く回数が多い曲だ。「The
Maze」はR・Mitchell,T・Barker,A・Braxton,D・Ewart,M・Favors、J・Jarman、D・Moye、H・Threadgillの8人全員が、パーカッションだけで演奏している。音と音との間合いを取った空間的な打楽器の扱いで、リズムの面白さを追求するのではなくて、小物を多様したサウンドの変化を楽しむ曲だ。「S Ⅱ
Examples」は、ロスコー・ミッチェルの無伴奏ソプラノ・サックス・ソロ。17分半に及ぶ演奏は、大きな音を出すこともなく、変化も少なく、速度もゆっくりとした禁欲的な演奏に終始するもの。ジャケット・デザインは、Chief Recordsによる再発CD。
埼玉県岡部町(現在は深谷市)のスペース・フーでの2度のコンサートから編集されたアルバム。富樫雅彦と高橋悠治のデュオは88年から始められた。翌年にはそこに三宅榛名が加わりトリオとなった。89年7月のコンサートは、このトリオで行われ、9月のコンサートには、ちょうど来日中だったフランスのベーシスト、ジャン・フランソワ・ジェニー・クラークが参加した4人の演奏となった。富樫&ジェニー・クラーク(彼はシュトックハウゼンのグループに参加したりと、ジャズに収まらないが・・)のジャズ側のミュージシャンと高橋&三宅の現代音楽側のミュージシャンとが集まって行われた即興演奏をカルテット、トリオ、デュオに編集し、全体が組曲として聴けるようになっている。音楽性の違いや各々の音の好みも違う4人の7通りの組み合わせが、それぞれ違った様相を呈し、アルバム全体をカラフルに彩っている。高橋&三宅のデュオと富樫&ジェニー・クラークのデュオを比べると、明らかに出自の違いを感じる事が出来る。それが4人が集まると、ジャズとも現代音楽とも違った響きになるのだから面白い。それにしても贅沢なコンサートだ。もし、これを防府市でやろうとしたら、ホール・コンサートにするしか採算に合わず、とてもじゃないが不可能なコンサートだ。スペース・フー以上に、豪華なフリー系ライヴをやっている場所は日本には存在しない。やろうにも不可能なのだ。特に東京から遠く離れた我々のような地方の者では。深谷は地方都市には違いはないが、東京都内からの距離が何だかんだ言っても近い。だが、それだけで、これだけのミュージシャンは演奏には集まらない。演奏しやすい雰囲気や、スタッフのサポート優れている他ない。相当数の録音を所有しているはずなので、是非このように公開して欲しいものだ。
WAVEとは、富樫雅彦、Gary Peacock/ゲイリー・ピーコック、佐藤允彦によるトリオの名前。臨時編成ではなくこのアルバム以前に2枚リリースされている。1枚目「WAVEⅠ」が富樫雅彦の作品集。2枚目「WAVEⅡ」がゲイリー・ピーコックの作品集で、3作目の本作は佐藤允彦の作品集となっている。1,2作目はトリオでの演奏だったが、本作はトリオでの演奏は3曲。3曲目「White Caps」では、佐藤はシンセサイザーを演奏している。これら3曲はスタジオ録音。もう1曲の「コンチェルト・フォー・ザ・ウェイヴⅢ&オーケストラ」は88年2月26日五反田ゆぽうとで行われたTokyo Music Joyでのライヴ録音。これはWAVEと大友直人指揮、新日本フィルハーモニーの共演で、作曲したのは佐藤允彦。タイトル通りこれはフリー・ジャズのピアノ・トリオWAVEとオーケストラの協奏曲だ。30分におよぶ大曲。ジャズでよくあるwith ストリングスものとは一線を画す。オーケストラは緻密に書き込まれた楽譜を演奏し、即興部分は無いようだ。トリオは逆にいつものように自由に飛び回っている。自由とは言っても、クラシックのフル・オーケストラが背後にあり、分厚い楽譜も存在する上での自由であって、トリオでの演奏と比べると、自由度の度合いは少ないが、そこは名人達人の揃ったWAVEの三人だ。そこは全体像を把握し、今出来る事、すべきことが明確に理解出来ており、その中でスリリングな演奏を展開している。オーケストラのサウンドも、現代音楽にも精通する佐藤のペンによって誠に多彩な響きに満ちている。ゴージャスと言っても良い。ジャズとクラシカルなオーケストラの共演として、屈指のアルバムだろう。曲の終盤に出てくるテーマは「佐藤允彦;ピアノ作品集」の2曲目「Desert Ride/砂漠の舟に乗って」ではないだろうか?
日野皓正は、1975年に渡米し移住した。今日までそれは続く。このアルバムは、それ以前の70年に渡米した折り、日野自身のプロデュースによって制作されたニューヨークでのスタジオ録音。日野の数あるアルバムの中でも一際異色なもので、何とフリー・ジャズ、それも12名のラージ・アンサンブルでの演奏なのだ。アメリカ在住の長いベーシスト中村照夫が当時のニューヨークの若手を集めたのだった。3ベースに2ドラム。1ピアノ。2トランペット、リードが4人と言う編成。Olu
Dara(tp),Steve Grossman(ts,as,fl),Dave Liebman(ts,as),Dave Holland(b),Bobby
Moses(ds),日野元彦(ds)の若い頃の活き活きとした演奏が聴ける。まるでジョン・コルトレーンの「アセンション」を聴いているかのような錯覚に陥る所がある。特に1曲目は、ハードなコレクティヴ・インプロヴィゼイションが続く。一体どういう心境に至りこれが演奏されたのだろうか。当時のジャズの雑誌で読むことの出来る海外のミュージシャンによる日野皓正に対する意見は「何故彼はマイルス・デイヴィスの物まねをするのか?」と結構辛辣な意見が多く目に付くのだった。一度思い切って遠くに行ってみたかったのだろうか。
ジャケット写真は、95年TDK Recordsによる再発CDのカヴァー・
エイジアン・カルチュラル・カウンシルの助成を受けた吉沢元治は、1990年ニューヨークに乗り込んで、ソロやニューヨークを拠点とするラディカルなミュージシャンとの共演を重ねた。その成果の一部を一枚のアルバムに収めたのがこの「Gobbledygook」だ。タイトルは「ややこしい言い回し」、「ちんぷんかんぷん」、「わけわからない」と言ったところか。IkuMori(perc,electronics)とのデュオ。ButchMorris(cor),Elliott Sharp(g,ss)とのトリオ。Elliott Sharp(g,ss)とのデュオが収録されている。この頃の吉沢さんの演奏は、すでに自作の5弦ベースの音に加え、それを変調し、別の電子音を加え、エレクトロアコースティックなFree Improvisationを行っていた。それ故にIkue MoriやElliott Sharpの予測のつかないエレクトリック/エレクトロニックな演奏等とも十分渡り合えたし、噛み合ってもいた。この後盟友とも言える間柄になったブッチ・モリスの演奏は、まるでコルネットから発せられているとは思えないような音が聴こえて来る。これが吉沢さんとE・シャープのノイジーな演奏と混ざり合う。ブッチはこの後コンダクションの指揮に忙しくコルネットの演奏をやめてしまったので、このトリオの演奏が聴けるだけでも、このアルバムのリリースは有難い。ジャケットのカヴァー・アートはめぐら画伯。
1960年代のフリー・ジャズ・イーラでは、もっぱら演奏はスモール・グループで行われていた。Alexander von Schlippenbach/アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハは、何とかラージ・アンサンブルで表現出来ないものかと思惑を凝らしていた。66年Berliner
Jazztageの為にRIAS-BERLINからの依頼でラージ・アンサンブルによるフリー・ジャズが実現する事となった。当時のManfred Schoof QuintetとPeter Brotzmann Trioのメンバーを核に作られたオーケストラで、66年11月にBerliner Philharmonieで演奏されたのが「Globe Unity」と言う曲だった。この曲名から後にGlobe
Unity Orchestra又はGlobe Unityと呼ばれるようになった。この日の演奏は絶賛を浴びた。このアルバムはその翌年のDonaueschinger Tge fur Neue Musikと70年のBerliner Jazztageでの演奏が収録されたatavisticのUnheard Music
Seriesからの一枚。共に総勢18名のミュージシャンのよる壮絶なオーケストラ・サウンドが聴ける。メンバー的には、67年の方は66年のオリジナル・メンバーが多く、70年の方は後も参加することの多い正にオールスターな面々が顔を揃えている。70年の方は少々音質も録音バランスも悪いのが残念。ジャケットの内側には写真と共に楽譜も掲載されている。
Barre Phillips/バール・フィリップスは、ECMの初期から何枚もアルバムを発表して来た。ソロからアンサンブルまで色んな演奏が聴ける。その中でもこれは少々異色と言える一枚。Barre Phillips(b),Terje Rypdal(g,g-synth,org),Dieter Feichtner(synth),Trilok
Gurtu(tabla,perc)と言った面々で、いかにもECMらしいスペイシーな響きでジャケット・デザインのようなダークで沈み込むような雰囲気の演奏が多い。曲によってはまるでテリエ・リプダルのアルバムを聴いているかのような錯覚も覚える。全曲B・フィリップスの曲が演奏されている。フリー・インプロヴィゼイションのファンならB・フィリップスにはベースのソロを期待するところだろう。心配はいらない。T・リプダルのギターや全体を覆うシンセサイザーの滲むような音響の中をB・フィリップスのソロが縦横無尽に聴こえて来るのだ。90年代喫茶店をやっていた時、店のBGMによくこれを流していたものだった。ある日、よく顔を出される音大の先生がちょうどこれを流していたら、「ジャズでも無いし現代音楽でもないし、面白い音楽だなあ。」と感心されていたことがあった。
オーストリアのUlrichsberg(多分地方都市)では1973年からトラディショナル・ジャズとブルースのフェスティヴァルが開催されて来た。途中からそれが前衛ジャズのフェスティヴァルに変わって行ったようなのだ。会場のJazzatelierがユニーク。坂道の途中に作られたシアターなのだが、坂であることを利用してその斜面の傾斜をそのまま客席にしてある。このフェスはアート・ファーマーからフリードリッヒ・グルダ、アンソニー・ブラクストン、アルヴィン・ルシエまでと相当幅広く出演している。1993年ここで2日間、エヴァン・パーカーが国籍も文化的背景も異なった9人のミュージシャンを招集。そして、色んな組み合わせでFree Improvisationが行われた。ジャズを出自に持ちその後Free Improvisationに至った者は9人中3人だけ。後は伝統音楽や現代音楽/
電子音楽から参入して来た者達だ。参加したミュージシャンは、Evan Parker(ss,ts),JinHi Kim(komungo),George E.Lewis(tb,computer),Thebe Lipere(imbumbu,perc),Carlo Mariani(launeddas),Sainkho Namtchylak(voice),Walter Prati(electronics),Marco"Bill"Vecchi(electronics),吉沢元治(b,voice)と言った正に雑多な背景を持つ面々だ。特にユニークなのが、アフリカのディジェリドゥと言えるimbumbuとパーカッションのT・Lipere。韓国のスティックで弦を弾く琴のような楽器・コムンゴの金辰姫(Jin Hi Kim)。トゥヴァや北方シベリアの民謡から出発したサインホ・ナムチラク。サルジニアの民族楽器で、リードの付いた3本のパイプLauneddasを吹くCarlo Marianiの参加だろう。ソロから6人まで色んな組み合わせで多種多彩な音響が出現する。T・Lipereが演奏するimbumbuとジョージ・ルイスのコンピューター・サウンドのデュオなんて、まるで違和感なく響くのだ。これぞクリエイティヴ・ワールド・ミュージック。東西南北の交差点の中心となる役割を引き受けるエヴァン・パーカーやペーター・コヴァルト達のこうした試みが今現在の音楽シーンに具体的な成果として現れて来ているのだ。
Christian Wolff/クリスチャン・ウォルフは、1934年フランス、ニース生まれのドイツ人。41年に渡米し46年にはアメリカの市民権を得ている。ハーヴァード大学で古典文学を学ぶ傍らJ・ケージ、E・ブラウン、M・フェルドマンらと行動を共にし彼らはThe New York
Schoolと呼ばれた。このアルバムはH・Kieeb(p)、R・Dahinden(tb)、D・Polisoidis(vln,viola)によって演奏されたアメリカの先駆的女性作曲家Ruth Crawford=Seegerに捧げられた4曲を収録。R・CrawfordはPeggy Seegerの母親でPete
Seegerの義母にあたる。1901年生まれで53年に亡くなった。チャールズ・アイヴス周辺にいた当時の最前衛の作曲家の一人だった。彼女に捧げられたC・ウォルフの曲「Ruth」(1991)は、トロンボーンとピアノで、「Snowdrop」(1970)はtb,p,vlnで、「Peggy」(1993)はトロンボーンのソロまたはデュエットで、「Edges」(1968)はtb,p,violaで演奏される。どれも短い音型が繋がれ繰り返され、静かに進行して行く曲ばかりだが、一番古い68年の「Edges」が最も先鋭化した曲と言える。沈黙が支配するThe
New York Schoolらしい曲だ。それにしてもトロンボーンのR・Dahindenはこのような曲もジャズ/フリー・インプロヴィゼイションも演奏するのだから面白い。
ジャケットだけ見るとA・ブラクストンがデューク・エリントンの曲を演奏しているかのように思えるかもしれないが、スイスのミュージシャンがブラクストンとエリントンの曲を演奏しているアルバム。Roland
Dahindenは1962年スイスのZugで生まれ、ウェズリアン大学でブラクストンやアルヴィン・ルシエに学んだトロンボーン奏者。ジャズ、フリー・インプロヴィゼイション、現代音楽を演奏し幅広く活躍している。クインシー・ジョーンズの特別編成のオーケストラに加わり、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでマイルス・デイヴィスと共演もしている。Hildegard
Kleebは、57年Zug生まれのピアニスト。R・Dahinden夫人でもある。87年からデュオで演奏を始め、92年からはヴァイオリンのDimitris Polisoidisを加えたトリオで活動している。この3人にエレクトロニクスのRobert
Holdrich(oにウムラウト)を加え、ブラクストンとエリントンの曲を演奏したのがこのアルバム。ブラクストンのNO.257にNO.30,31,46,69,90,136も加えた演奏らしいが、一体どこがどこやら聴いて分かる類の演奏ではない。即興のきっかけ程度に思えばいいだろう。Dahindenのトロンボーンは、トロンボーンと聴いて想像するような音は微塵も出さず、ミュートを使って瞬時に短く色んな音を矢継ぎ早に放射する。ピアノとヴァイオリンはジャズ系インプロヴァイザーとは違うサウンドの展開だ。このアルバムではエレクトロニクスのHoldrichが大活躍する。全体的にエレクトロ・アコースティックな演奏になっており、それはエリントンの曲「Freedom
NO,1,4,6 from the Sacred Concert NO,2」でも言える。ノイジーな電子音の絨毯を敷き詰める。ところで何度聴いても、これのどこが「Sacred Concert」なのか皆目分からないのだが?
これはフリージャズにおける本家アメリカの第1世代の正に革新的ドラマーのSunny Murray/サニー・マレイと、ヨーロッパ第1世代の代表格Alexander von Schlippenbach/アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハの有りそうで無かった一騎打ちと言ったアルバム。1989年ベルリンでのスタジオ録音。セロニアス・モンクの「Trinkle
Tinkle」以外は其々が曲を持ち寄っている。一見(一聴)S・マレイの相手だった元祖フリー・ジャズ・ピアニストのセシル・テイラーとS・マレイのデュオ演奏と錯覚する者もいるかもしれない。パワフルな音のせめぎ合いなところは似ている。セシル・テイラーもシュリッペンバッハも現代音楽を学んでいる所も同じ。ブラック・ミュージックに直接ルーツを持ったものか、ヨーロッパの古典音楽を背景に持ったものかの違いは、演奏から薫って来るものが違うものだ。温度感の違いと言ってもいいかもしれない。こんな違いを聴き取る作業も聴衆の役目であり楽しいところだ。硬質で強固な音響を形作るいかにもドイツ的なシュリッペンバッハと、大きな音のうねりで相手に襲いかかるS・マレイによるデュオ・アルバムの傑作だ。
これはベルリン在住の高瀬アキの人によっては意表を突くアルバムだろう。何とW.C.Handyの「St.Louis Blues」、「Memphis Blues」、「Way Down South Where the Blues Began」、「Yellow Dog Blues」、「Morning
Star」と言った曲を、高瀬アキ(p)、ルディ・マハール(b-cl)、フレッド・フリス(g)、ニルス・ヴォグラム(tb)、パウル・ロフェンス(ds)と言うこれまた意表を突くメンバーで演奏しているのだ。W.C.ハンディを「ブルースの父」と称するのは、本家ブルースマンからすれば「俺達のモノを横から盗み取って大きな顔しやがって!」かもしれない。いや多分そうだろう。ここでは、そのブルースを、本来ブルースを根っ子に持たない、おまけにオーソドックスなジャズミュージシャンですらない日独英の先鋭的ミュージシャンによって演奏されたのだ。こういった場合「ただの素材です。面白そうだからやってみました。」か、「身に染み付いたものじゃないけど、ブルースへの憧れは捨てきれずに持っていて、自分達なりの解釈でやってみました。」だろう。彼らは後者であると思いたいし、そうなのは演奏からにじみ出ている。こうした素材を扱う時、中途半端に身に染まっているアメリカのミュージシャンよりも、海を隔てたミュージシャンの方が素材にどっぷりと浸り込まない分、演奏も素材の外に自由に飛び出す事が出来て、面白くなれるものだ。どっぷりの演奏は本家本元にまかせときゃいいのだ。
John
Butcher/ジョン・ブッチャーは、1954年イギリス、ブライトン生まれのテナー・ソプラノ・サックス奏者。サックスの達人エヴァン・パーカー、姜泰煥らと同じく循環呼吸、マルチフォニックと言った超絶技巧を屈指した彼の演奏は、まずは聴く者を驚かす。舌を巻くとはこのことだろう。今ではこうした高度な技術を持ったプレーヤーは、先人の手本もあって結構見受けられる。テクニックのショウケースに終わっている者も当然の如く多いだろう。J・ブッチャーは長年に渡って磨いて来た技術と自身の構築する音楽が破綻することなく結びついた稀有な例だ。このアルバムは、そんな彼の2013年真夏の日本ツアーから大阪の島之内教会と埼玉県深谷市のエッグファームでのライヴからセレクトされた3曲からなっている。共に響きの具合がサックスの演奏に適しているようで、ナチュラルな響きが心地よい。彼の演奏は姜泰煥のように複雑に織り交ざった一本の線が延々と続くようなタイプとは違い、演奏は断片的に切られ重ねられて行く。そう言った意味ではあくまでも「西洋音楽」の文脈から逸脱した音楽ではない。音色は澄んで美しい。ある意味洗練の極みに達した音楽と言える。「遠雷」、「打ち水」、「波紋」と付けられた曲名は、いかにも熱い日本の夏での演奏だったことを後年これを聴く者にも伝えることになるだろう。良いアルバムが誕生したものだ。
Tony
Williams/トニー・ウィリアムスの1978年の録音を集めたアルバム。全8曲。フュージョン系のオールスター・セッションと言った趣のアルバム。ヤン・ハマー、ハービー・ハンコック、トノー・スコット、ジョージ・ベンソン、スタンリー・クラーク等々と言った面々。1曲収録されているライヴ・アンダー・ザ・スカイでのロニー・モントローズ(g)らとの演奏はほとんどハード・ロック。そんな中最後の1曲に注目。何とも場違いな感じがするが、セシル・テイラーとの8分18秒の一騎打ち、つまりデュオが聴けるのだ。「Morgan's
Motion」とタイトルが付けられているが、多分テーマも無しの即興演奏だったと思う。T・ウィリアムスは、いつもの強力なビートを全く刻むこともなく果敢にC・テイラーの重厚なピアノにフリーに挑む。静かに始まった演奏もだんだんと熱を帯びる。T・ウィリアムスのドラムは、ただフリー・ジャズと言う言葉で想像するようなひたすら疾走するような演奏はしていない。同じパターンを繰り返すような所は無い。パワフルなImprovised
Musicと言った感じか。一打一打が強いのだ。この二人だけのアルバムを聴いてみたかった。
イギリスの即興シーンを支えて来た二人による1996年、ロンドンのRed
Roseでの録音。彼ら二人は、D・ベイリー、T・オクスリー、J・スティーヴンス、B・ガイ、E・パーカー達第1世代とは世代が違い、イギリスでの第2世代と言えるだろう。J・ラッセルはR・ターナーとも1世代若い。日本にいてはリリースされたアルバムでしか情報が無い。彼ら二人の演奏がアルバム上で聴けるのは、78年、79年のINCUS盤と、79年のCAW盤(これは彼ら二人に近藤等則によるトリオ)からになる。だから私自身は新世代のインプロヴァイザーのイメージが強い。アコースティック・ギターとパーカッションによるデュオ・インプロヴィゼイションなのだが、これぞイギリスのFree
Improvisationと言った伝統を感じさせるもの。ここに「伝統」の文字は似合わないかもしれないが、ドイツともアメリカともオランダともフランスとも違う独特の即興演奏がイギリスでは形作られて来た。それはINCUSで聴けるあのサウンドを指すのだが、彼ら二人の演奏も正にこれで、アンチ・クライマックスで基本的に弱音指向。近くで目を凝らしてもよし、遠くから全体を眺めてもよし。
「Iskra/イスクラ」とは、ロシア語で「火花」のこと。そして、ロシア社会民主主義労働党の中央機関紙「イスクラ」のことでもある。1903は、ロンドンで第2回党大会が開催された年を指す。「イスクラ1903」は、共産党員であるポール・ラザフォードがデレク・ベイリー、バリー・ガイと結成した即興グループの名前だが、このアルバムは、D・ベイリーが抜け、その後フィリップ・ワクスマン(vln)が参加した70年代から続く第2期「イスクラ1903」による、1992年カナダ、ヴァンクーヴァー、ウェスターン・フロントでのライヴ録音。点描写的なD・ベイリーのギターから線を描けるヴァイオリンに変わったことで、このグループの演奏も様相が大分変わった。P・ワクスマンはヴァイオリンだけではなくてエレクトロニクスもこのグループに導入した。P・ラザフォードのどこか掴みどころが無い、だがパワフルなトロンボーンと、B・ガイの瞬時に変化をするノイジーなベース(一方で、彼は古楽の復興にも積極的なのだから面白い)に、P・ワクスマンが多彩な彩を加えた演奏は、D・ベイリーの時とは違う即興演奏の醍醐味を味あわせてくれる。
1973年、渋谷の西武劇場(後パルコ劇場)のオープンにともない、武満徹を企画・構成に迎えた「今日の音楽・Music
Today」の第1回目が開催された。毎回世界中の新しい音楽(所謂現代音楽が中心となる)の紹介を様々な形で行って来た。武満徹と言う非常に開かれた感性から発信された音楽は、世界中の開かれた同時代的な音楽から、「ラグ・タイムとアフリカ民族音楽」、「笛の唱歌(しょうが)」、「音響と映像のパフォーマンス」、「ヴィデオ・アート+コンピューター・ミュージック」、ニエン・ティエン・ダオや劉詩昆と言ったアジアの音楽家の紹介、新人作曲科のコンクール等々となんとも多彩なイベントであった。この4枚組CDは、全700曲(内400曲が委嘱新作)!の中からCDに収録出来る音質を保ち、且つ演奏の良いものが24曲選ばれている。もっと聴きたい曲もたくさんあるが、音質が相当考慮されこの選曲になったようだ。どれもライヴ録音故に会場ノイズも相当入っている録音も多かっただろうし、ヴィデオ等を伴っているものはCDには向いていない。よって、所謂通常の西洋楽器を使用した「現代音楽」を集めたアルバムになっているのは仕方がない。だが、どれもこれも聴き応えがある曲ばかりだ。松平頼則「振鉾三節による変奏曲」が雅楽の舞楽曲を模した曲がクラリネット、フルート、打楽器を使って演奏されている。これがこの中で一番毛色が変わっていて興味深い。菅野由弘「透明な鏡」が個人的にはよく聴くトラック。
これは、1983年NYヴァンガード・スタジオで収録されたJoseph Jarman/ジョセフ・ジャーマン(ss,ts,c-fl,b-fl)の日本制作のアルバム。参加メンバーは、Geri Allen(p),Fred Hopkins(b),Famoudou Don
Moye(ds,perc)と言う豪華版。若きG・アレンの演奏が聴ける。アルバム・タイトルにもなった1曲目のInheritanceとは、伝統遺産の継承の意味。これが意味するように、シドニー・ベシェの「Petite Fleur/小さな花」と、チャーリー・パーカーの「Blues For
Alice」が演奏されている。他は彼の曲ばかりなんだが、AECで聴けるようなアグレッシヴな演奏と言うよりは、後期コルトレーンを思わせる凛とした佇まいを感じさせる演奏が多い。特に「オー先生に捧げる」は、尺八を思わせるフルートと、琴を思わせるピアノが印象的なトラックだ。彼は浄土真宗に僧侶で、合気道の師範でもある。この曲はそこから来ているのだろう。AEC的な演奏を望む向きには6曲目の「Love
Song For A Rainy Monday」がお薦め。
晩年高木元輝さんは、豊橋市に住んでいた。本作は、生前高木さんと親交のあった空間工房の松山聡子さんが地底レコードの協力を得て制作された高木元輝(ts)と不破大輔さん(b)、小山彰太さん(ds)のトリオによるHouse Of Crazyにおけるライヴ録音(2001/7/6)をCD化したもの。
オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」、チャールズ・タイラー「レイシーズ・アウト・イースト」を含む5曲が収録されている。2と3曲目の曲が特定出来なかった為か、ノンタイトルで日付だけで表記されているが、2曲目はアルバート・アイラーの「ゴースト」の頭の部分がよく出てくる。3曲目は高木さんの曲「バグワン」だと思う。高木さんの演奏は、演奏中の閃きで色んなメロディーが浮いては消えするので曲の特定は難しいのだ。出だしと終わりが違ってるなんてこともあった。組曲のつもりだったのかどうかと、こっちが悩んでしまう。ここでの演奏はA・アイラー、G・ピーコック、S・マレイのトリオを彷彿とさせる。ベースとドラムがガッチリと土台を築いた上で高木さんが自由に泳ぐといった感じだ。三者が対等な立ち位置なのは勿論のことだ。しかし、これが高木さんの音楽かと言われれば少し違和感を感じてしまうのも確か。どうやら高木さん本人もそう感じていたらしいのだった。「あれは、僕の音楽じゃない。」と言われたのを聞いたことがある。だが、私自身は「違う。」とは思うのだが、演奏自体は凄く気に入っていて、よく聴いている。これが音楽の面白いところ。一度パッケージされると、演奏したミュージシャンの意識とは違う印象を聴き手は勝手に感じ、解釈をしてしまう。それはそれで「正しい」のだ。
「姜泰煥は無伴奏ソロに限る。」と、常々思っていた。こう言う人は多いだろう。ちゃぷちゃぷレコードの第1弾CD「姜泰煥」には2曲のソロが収められているが、CD丸ごと無伴奏ソロ!は、レーベル主宰者としては夢のひとつだった。このCDは、IMA静岡の井上茂氏が2002年に制作された待望の無伴奏ソロ・アルバムだ。正直「先を越された!」と思った。そんな私の嫉妬心なんぞぶち破る「これぞ姜泰煥!」の素晴らしい演奏が二曲収録されている。自然なホール・トーンも好ましい限り。この2曲と言うのが姜泰煥ファンにとっては重要な事なのだ。姜さんのソロ演奏は、通常一つの演奏技術を主に用いた10分から15分くらいの単位が1曲とされていた。このアルバムでは共に30分くらいの長尺の演奏になっている。ひとつが組曲と考えてもいいかもしれない。長く続くことによって色んな姿を見せる。川の流れを辿って行くようだ。この2曲には姜さんの人生哲学、芸術家としての意識を込めた曲名が付けられている。1曲目が「黄想念」(黄は栄誉や成功を表す色。それに向かって研鑽し努力する。)。2曲目が「来歴諦念」(時が経ち、栄誉や成功を諦めて、芸術家として更に高い創造を追求する。)となっている。芸術家が歩む道をこの2曲で言い表しているのだろう。このような素晴らしいアルバムを残してくれた井上氏、姜さんに感謝したい。
これは、Anthony Braxton/アンソニー・ブラクストンの正反対とも言える両面を収録した1974年のアルバム。LPで言う所のA面、CDでの1曲目は、19分に及ぶA・ブラクストン(cl,contrabass-cl,chimes,bass ds)、Leo Smith(tp,fl-h,pocket-tp,perc,small instruments)、Richard Teitelbaum(Moog-synth,perc)のトリオ演奏。ジャズ的な熱狂は微塵も無く、ひたすらクールで抽象的な演奏。R・タイテルバウムのシンセサイザーは、そこに鍵盤の存在は全く感じられない。ふわっとした音が瞬時にノイジーな音に変化する。エレクトロ・アコースティックな音響だが、現代音楽臭は無い。一触即発の即興演奏なのだ。これは、私がこれまで最もたくさん聴いて来た曲のひとつだ。LPで言う所のB面に当たる3曲は、一転してジャズのスタンダード・ナンバーが並ぶ。だが、ブラクストンの相手はベースのDave Hollandのみ。アルト・サックスとベースのデュオだ。エリック・ドルフィーとリチャード・デイヴィスのデュオを想起させる。ブラクストンもドルフィーのように音の跳躍が激しい演奏をする。間違いなく彼はドルフィーの影響も強く受けている。ホランドのベースは、きっちりとビートを刻む。その上でブラクストンのアルトがイン、アウトを繰り返しながら歌って行くのだった。
写真はCDヴァージョン。
岡山で長年ジャズ/フリージャズ/インプロヴァイズド・ミュージックのライヴを企画されていた平井康嗣さんから1987年に岡山の画廊「Aix-en-provence」で行ったデレク・ベイリー、ペーター・ブロッツマン、豊住芳三郎の三人によるライヴ・ヴィデオをコピーしていただいた。それを、Improvised Companyを主宰されていた今は亡き大島孝一さんに見せたところ「ぜひCD化したい。」と、相談を受け平井さんを紹介してリリースが実現したのがこのアルバム。1曲目は、ブロッツマン&サブの21分少々の激烈なデュオ。スタートからフルスロットルでパワー全開!2曲目がベイリーの20分近いソロ。これが素晴らしい!20分間演奏が淀む場面は一瞬たりとも無い。3曲目が27分のトリオが収録されている。この時代のベイリーとブロッツマンのハードな演奏は他では聴けないので貴重。そこに豊住も加わるのだから、こんな貴重なライヴの企画をされた平井さんにも感謝あるのみ。この現場にいたかった! 会場ノイズも入り、音質も正直良いとは言えないが、どれも演奏の質は極上なので、問題なし。音質の悪さは、聴き手の想像力で補って音質アップをすればすむことだ。こういったマイナー・レーベルを聴くのなら、それくらいの「努力」?はすべし。他にいい条件での音源が存在せず、これを聴くしか方法がないのだから。ジャケットは一枚ごとの赤星啓介氏のアート作品になっている。リリースは、2000年。ヴィデオには、デレク・ベイリーの演奏中の指元を追っているような箇所があったりと、それは感動ものだったのだが、カビにやられて全く再生不能だった。泣く泣く即廃棄。だが、こうしてCDで聴けるようになり平井、大島両氏に感謝。残念ながら大島さんが亡くなられてしまい、今このCDの在庫はどうなってるのか(完売か)、今後の入手は可能なのかは不明。Improvised Companyからは「Peter Brotzmann-Sabu Toyozumi Duo:Live inJapan 1982」もリリースされている。
これは、ワダダ・レオ・スミス率いる「ゴールデン・カルテット」の2000年のTZADIK盤に続く二作目。Golden Quartetとは、レオさんが結成したMalachi Favors Maghostut(b),Jack DeJohnette(ds,synth),Anthony Davis(p,synth)が参加した正に黄金の四人組からなるグループだ。全員レオさんとは長い付き合いの面々だが、こうして揃うと改めて豪華な面々なので驚きが先に立った。それまでのレオさんの音楽と比べると、このグループが最もジャズ寄りのサウンドが響いている。とは言え、ジャズのクリシェにまみれジャズのフォーマットを保持(死守か?)する事が目標のような凡百のジャズ・グループとは一線を画す。とかくこのメンバーだと単に「フリージャズ」と一括りにされてしまわれそうだが、そこは各人これまでの長く芳醇んなキャリアがモノを言う。メンバー各々の特徴を活かしたレオさんのペンによる曲の数々は、構造的で且つ柔軟性に富み、演奏の強度は非常に高い。レオさんは、2000年に入って元々備わっていた多彩な才能が大きく開花し展開して行った。違った要素を持つグループやオーケストラを同時に持った。70年代マイルスのトリビュート・バンド「Yo Miles!」と並行して自身のエレクトリック・バンドも持ち、またエレクトロニクスとの共演やGunter Sommer(ds),Jack DeJohnette(ds),EdBlackwell(ds),Louis Moholo-Moholo(ds)と言ったドラマーとのデュオ。後ゴールデン・カルテットのメンバーとなったJohn Lindberg(b)とのデュオ。その他アンサンブルやオーケストラ等々とのCDが続々とリリースされ続け、正に八面六臂の活躍を見せている。「像の年」とは、イスラム暦でムハンマドが生まれた年を指し、西暦では570年頃を言うそうです。
カフェ・アモレスには、吉沢元治さんは何度も登場願っている。ほとんどは誰かとのデュオだった。トリオ以上となると経済的に無理があったからでもあった。そんな中、私自身元々は吉沢さんのソロ演奏にずっと惹かれて来た者なのでいつかはソロでと考えていた。そこで、1994年2月24日に念願のソロ・ライヴを企画したのだった。ベース・ソロと言っても、当時の吉沢さんは自作の5弦ベースにアタッチメント等を付けて、エレクトロ・アコースティックな即興演奏をされていた。今でこそPC等を使った即興演奏はそこらじゅうで聴く事が出来るが、当時はまだまだ数少なかった。所謂電子音楽やノイズとも違う電子音響が響き、尚且つアコースティク・ベースの質感も残した演奏は、他では聴く事の出来ないワン・アンド・オンリーな音楽だった。正に世界にひとつしかない音楽を創造されていた。ここの演奏を聴くと、音の粒子が、木の根から吸い上げられ、じわじわと幹の細胞内を通過し、やがて葉から空間に放出されるところをイメージする。ライヴに接していた者としては、少々編集を施しすぎているようにも思うが、自分でリリース出来なかった身なので致し方がない。このアルバムは、私が録音したDATを元にモダーン・ミュージックがCD化したものだ。このライヴの2ヶ月後には、バール・フィリップス&吉沢元治・デュオ・ライヴを行った。このファースト・セットはCD「吉沢元治;音喜時」の1曲目に収録された。カフェ・アモレスのライヴ録音としては、これが一番最初のCDリリースとなった。CD「姜泰煥」よりも先なのだ。
今も昔も、音楽(Live
Music)を聴く場合、ステージと客席とが二分された空間で聴く(野外ステージでも同じ)のが一般的だ。オーディオも2chでの再生が基本。この基本構造を打破しようと考えられ作られたのが、1970年の万博の鉄鋼館。文字通り会場を360度スピーカーで埋め尽くした大きな空間が出現したのだった。音が左右どころか前後も上下も飛び交う、クルクル回る巨大空間。この空間の為に作られた3曲がこのアルバムには収録されている。「武満徹;クロッシング」、「高橋悠治;エゲン」、「イアニス・クセナキス;ヒビキ・ハナ・マ」だ。しかし、悲しいかなこれらを2chの再生でしか聴く事が出来ない。実際どんな感じでこれらの音楽が鉄鋼館の中で聴く事が出来たのかは想像するしかない。特にクセナキスの曲は、巨大な音群が360度動き回る様を想像するだけでワクワクするものだ。こういった空間を常設したスペースが出来ないものか。
サティのピアノ曲「ヴェクサシオン」をアラン・マークスが演奏したアルバム。「ヴェクサシオン」は、52拍の音の断片を840回反復せよと言うマジでやったら丸二日じゃ終わらない曲だから、ここでは69分40秒でギヴアップ。サティには「家具の音楽」と言う現在の環境音楽の先駆的な曲がある。これは1913年or18年に作曲されたようだ。この「ヴェクサシオン」は1893年~95年(キャビー説)または1892年~93年(ゴヴァース説)に作曲されている。となると「ヴェクサシオン」こそが環境音楽の先駆と位置づけされるのではなかろうか。とにかくひたすらゆっくりと同じ短いメロディーが続く。じっと座って聴くと言うシロモノではない。CDをリピート再生にでもして、正に「家具」のごとく部屋で流しっぱなしにするのが正しい使用法だ。
このアルバムは、理髪店のオーナー松本渉氏の「シザーズ」レーベルの第1弾CDとしてリリースされたアルバムです。1992年のワダダ・レオ・スミスと豊住芳三郎の日本ツアーの4月13日、埼玉県上尾市の理髪店「バーバー富士」の店内ライヴの記録。当初は散髪する椅子を取り外して演奏場所を作っていたそうだが、現在は別室にピアノも設置してライヴを行っている。すでに100回を超えるライヴを行っており、出演者は内外のインプロヴァイザーが揃う。多分、理髪店で即興のライヴをやっているところなんて、世界中さがしてもここだけに違いない。そんなアットホームな雰囲気もあって、世界中からインプロヴァイザーが埼玉の地方の街にやって来る。さて、このアルバム。ライヴ・ハウス/クラブと違い狭い店内と近隣への騒音対策もあって、豊住さん(以降サブさん)は通常のドラムを用いず、色んなパーカッション類を集めて演奏された。レオさんは、トランペット、カリンバ、手製の竹笛を演奏。ドラムを使わないことで、トランペットとドラムのデュオとは様相の異なる演奏となっている。元々、この二人のデュオの場合はよくあるトランペットとドラムの演奏とは相当異なっていて、特にサブさんはドラムから離れての演奏(床を叩いたり、自分の体を叩いたり、壁を擦ったり・・)が多い。ここでの演奏はそうした部分だけで構成されていると考えれば、彼らのライヴを体験してこられた人には想像出来ると思う。特にレオさんが竹笛を吹いたりする場面では、ドラムよりもより効果的に作用している。フリーだとかインプロだとか言うよりも、レオさんの言う「クリエイティヴ・ワールド・ミュージック」と呼ぶ方がしっくりとくる演奏だ。このアルバムは、理髪店のオーナー松本渉氏の「シザーズ」レーベルの第1弾CDとしてリリースされたアルバムです。残念ながら、いやめでたく完売。入手は困難かと。
加古隆は、1971年パリのコンセルバトワール作曲科に入学しオリヴィエ・メシアンに師事した。翌年にはパリのフリー系ミュージシャンとフリー・ジャズの演奏活動を始めている。76年コンセルヴァトワールを卒業し、帰国を前にパリでの記念碑的なアルバムを作ろうと、沖至(tp,fh,bamboo-fl)、クロード・ベルナール(as)、ケント・カーター(b)、オリヴァー・ジョンソン(ds)を集め、パリ郊外の一軒家のスタジオを借りて2日間の収録を行った。ドラムは日本から中村達也を呼ぶ予定が果たせずO・ジョンソンに変更された。これが、後のTOKに繋がる事になる。収録された6曲は、ベースだけが譜面が存在しビートを刻み、後はフリーと言う曲、リズムはフリーだが和声進行は存在する曲、音の跳躍が激しいテーマを持つ曲、ハードなこれぞフリー・ジャズと言う曲等が並び、アルバムが構成されている。クロード・ベルナールはクラシックあがりのサックス奏者で、高木元輝の影響を受けたと言っている。これが、彼の初レコーディングだそうだ。沖至はフランスに留まりジャズの道を浸走り、加古は80年代に入ると大きく音楽の軌道修正を行った。
1975年の富樫雅彦は、ある種創作のピークにあったと言えるだろう。4月に「スピリチュアル・ネイチャー」、9月に本作「風の遺した物語」、11月にはソロ・アルバムの「リングス」、12月には「C.P.U」と名作が続いた。本作は、「スピリチュアル・ネイチャー」の続編と捉える事が出来るだろう。富樫の自然感が表現されているのは「スピリチュアル・ネイチャー」と同じ。本作の場合は「風」がテーマとなっている。風の音や感触が6曲の組曲となって演奏される。参加メンバーは、富樫(perc)の他、高木元輝(ss,perc)、池田芳夫(b,perc)、翠川敬基(cello,b),豊住芳三郎(perc)。最後の曲は、録音に居合わせたエンジニア、カメラマン等13人が鈴を持って参加している。高木、豊住らの参加から、所謂フリー・ジャズ的熱狂を求めてはならない。富樫の構想した風を通した自然感を、彼らも最大限に表現しようと努めている。間をいかした空間的な穏やかな時間が流れる。ここでの高木の演奏は、後年の沈黙も取り込んだ深い表現に繋がるものと言えるだろう。名作「スピリチュアル・ネイチャー」の影に隠れた感のあるアルバムだが、是非一度聴いていただきたい。
ジョージアの赤茶けた土は、マリオンの靴の底にいつもへばりついて、どんなに険しい道を歩もうとも、どこまで遠くに行こうとも、決して取れる事はない。
子供達がロープにぶら下がり、勢いをつけて川を飛び越える。「手を放すな!」「もっと高く!」指に力がはいる。深く暗い川底に落ちてしまわないように・・・。幼少のマリオンが川の向こうに見ていた物は何だったであろう。
マリオン・ブラウンの演奏はどのアルバムにおいても最上級であり、嘘やごまかしの無い、真実な音の芸術である。したがって聴く側にも、肉体・精神共に没入しなければならない最大限の感受性が要求される。そしてそこに生まれるのは、純粋な音楽によってしか味わえない、はっきりとした現実での感動、目覚めである。
「ポート・ノーボ」はベースのマールテン・アルテナ、ドラムスのハン・ベニンクとのトリオで1967年に録音された。「Simillar
Limits」、アルトとドラムスのリフレインされるイントロから、ふいごのようなベースに乗って、自由にのびやかに正体を表して来るマリオンのアルト。ベニンクのストレートなドラミングを活かしながらミュージカル・モーメントへ到達する時、メロディーは息吹となり、エネルギーは増幅される。一瞬の間を置いてからのベース・ドラムス・デュオ部分も作品としての流れに沿ったパフォーマンスであり、テーマに戻ってから即興を引きずらずにきっちり終わらせるのは、聴いていて気持ちが良い。「Sound
Structure」は闇の中の風景を想わせる魅惑的な作品である。ベースソロの後、浮かび上がって来るアルトが朧な月光となって路地を照らすと、昼間見えなかった物が姿を表し、音をあらゆる場所へと錯乱させて行く。「Improvisation」、マリオンの音はとにかく美しい。ベースもドラムスも力強い演奏を披露してるが、自分対楽器が有って初めて音楽が作れる人達と、楽器が自分になってしまう人の違いは歴然である。空間を埋める作業で終始しがちなヨーロッパ人の即興をも抱擁して行く優れた一例である。
マリオン・ブラウンにはジョージア三部作と呼ばれる、高い評価を受けた三枚のアルバムが有るが、それに加えて特筆しておかねばならない録音に、アミーナ・クラウディーン・マイヤーズの「ポエム・フォー・ピアノ」が有る。このアルバムは全編マリオンの作曲による物で、マイヤーズは自己の可能性を最大限発揮して、マリオンのジョージア魂を熱演している。
*牧野はるみさんが1999年に書かれたレヴューを掲載いたしました。
カラパルーシャはスピリテュアルな人である。アメリカで黒人として生きて行くのは、毎日が戦いであり、生まれた時から付いてまわるネガティヴな世の環境は死ぬまで尽きる事が無く、何をするにおいても障害となる物である。だからこそ支えになる物(時には者)が常に必要であり、一度掴んだ真実を手放す訳にはいかないのである。そこら辺がカラパルーシャのミュージシャンとしての強さの基であり、ホームレスになりながらも、楽器だけは売らずにいた意気込みにもつながっている。「Forces
and
Feelings」は、モーリス・マッキンタイアーがカラパルーシャと名前を変えてから製作された初めてのアルバムで、解説を他の者に任せなかった所にも、彼の音楽に対する信念が感じられる。グループ「ザ・ライト」結成から一年後に仲間入りしたリタ・オモロクン(ウォーフォード)が大変味のあるボーカルを披露している。彼女もAACMのメンバーであり、エドワード・ウィッカーソンのシャドウ・ビネッツで1990年来日し、歌姫健在である事を証明した。エレクトリック・ギターのサニー・ギャレットはカラパルーシャの意図を正確に表現すべく、才能を発揮している。この録音がどの程度スコアに基づいているのかは不明だが、ベースのパートは殆ど、フレッド・ホプキンスの自発的演奏である。カラパルーシャは旨い。彼がトラディッショナルなジャズマンとの演奏経験が有る事を知る人は少ないが、若かったその当時の基礎が良い意味で開花していると言えるだろう。そしてだからこそ、コマーシャルなジャズではこれからの黒人達を救えない事実を目の当たりに出来たとも言える。AACMも第三世代が40歳代になった今、現在62歳の筈のカラパルーシャ、ラヴ・アンド・ピースで長生きして欲しいものである。
*牧野はるみさんが1999年に書かれたレヴューを掲載いたしました。
このアルバムは、DISK UNIONからリリースされた、初台にあった「騒」で録音された阿部薫のソロ・アルバム 10枚を全部買った人への特典アルバムとして配布されたCD。こちらは、ソロではなくて豊住芳三郎とのデュオ・ライヴだ。場所は同じく「騒」。ALMからリリースされたアルバム「Overhang
Party」での阿部は、アルト・サックスの他、alt-cl,harmonica,p,g,marimbaも演奏している。録音年代は78年と、このアルバムと同時期だ。だが、ここではアルト・サックスに専念した演奏が聴ける。もっと、他にも録音が有り、サックス以外も演奏しているのかもしれない。ここに収録されているのは、78年3月26日の2nd-setと、77年11月25日の3rd-setだ。他の演奏がどうだったのか知る由もない。多分as以外も演奏しているのではないか? 1曲目は、左佐知子の「アカシアの雨がやむとき」。阿部がよく演奏した曲だ。2曲目は、そういったテーマも無い全くのフリー・インプロヴィゼイション。阿部は、フリー・ジャズ/アヴァンギャルドの権化の如く神格化されているが、では、今の耳で聴くと? いや、当時でもドロドロの演歌でも聴いているような錯覚を起こさせる所があった。突き抜けているようで、逆に聞き手の心の奥深くに侵入して来るようない心地の悪さを感じることもあった。阿部信者の多い現代、いや当時もこんな事を口に出すことがはばかれる雰囲気があったものだ。今はもっと強いかも。と言って、嫌いなワケでもないが、あまりの神格化は御免被りたい。共演の豊住芳三郎の演奏に関しては、神格化のオブラートが付いていない分自然体に聴ける。演奏もまさに自然体。この切れ味の鋭さ、反応の速さ、状況判断の的確さ、彼なくして日本のフリー・ジャズ・シーンは、どうなっていたことやら。何だかんだ言ったけど、今演奏に引き込まれているのであった。
Jay Hoggard/ジェイ・ホッガードは、1954年ワシントン・D・C生まれのヴァイブラフォン奏者。NYで育った。4歳でピアノを、10歳からはアルト・サックスを、16歳でヴァイブラフォンを始めた。ウェズリアン大学では、民族音楽を専攻し、アフリカン・ドラム、ジャワのガムラン、インド音楽を学んだ。クリフォード・ソーントンのグループで、プロ・デヴューを果たした。74年には、東アフリカのザイロフォンを研究する為にタンザニアに行っている。77年NYに戻ってからは、チコ・フリーマン、アンソニー・デイヴィス、サム・リヴァース、マイケル・グレゴリー・ジャクソン、セシル・テイラー、アーメッド・アブドゥラ、AEC,リチャード・エイブラムス、ヘンリー・スレッギル等々そうそうたるミュージシャンとの共演を重ねて行った。本作は、79年NYCのパブリック・シアターでのソロ・コンサートを収録したアルバム。アフリカン・アメリカンのヴァイブラフォン奏者としては通過しなければいけないライオネル・ハンプトンの「エアメール・スペシャル」も演奏しているが、ほとんどはオリジナル曲を演奏している。フリー系とされているミュージシャンとの共演が多かった時期の演奏だが、カチっと構成された曲が演奏されており、フリー・ジャズとは言えない。だが、演奏はダイナミックかつ繊細なもので、ウォルト・ディッカーソンに次ぐタレントの出現を期待されるに足る存在と言えた。その後は、メジャー・レーベルに移籍し、それまで研究して来た民族音楽の知識を使った大編成による音楽をクリエイトして行くことになる。
時々リーダーは知らないが、サイドメンが有名どころが揃ったアルバムと言うものが結構有ったりするものだ。私にとってはこれがその一枚。リーダーはギターリストのAllan Jaffe。サイドメンは、James Newton(fl),Ray Anderson(tb),Anthony Davis(p),Rick Rozie(b),Gerry Hemingway(ds),Pheeroan ak
Laff(ds)と豪華な面々。正直言うと、リリースされてあまり間がない頃に買ったのだが、その時は私にとっては全員がほとんどよく知らない存在に近かったものだった。その後全員が大きく成長して行った。だが、肝心なリーダーは、残念ながらこのアルバム以外は知らない。しかし、このアルバム自体は大変素晴らしい。当時のNYの最先端を行くジャズが繰り広げられている。サックスが入らず、フロントがフルートとトロンボーンのアンアサンブルは、響きのエッジに少し丸みを与えている。各人のソロは、さすがにこのメンバーならではのレベル。さて、リーダーはと言うとジャズと言うよりも少しロック・テイストなサウンドが特徴なんだが、何しろ耳がサイドメンに向いてしまい、いまひとつ印象に乏しいのは否めないか。だが、作曲面ではリーダーとしての仕事ぶりは評価出来る。ともあれ、いいアルバムには違いない。
フランスを代表するギターリスト二人によるTotemという所(ジャケットの表記もライナーノートも全てフランス語なので皆目分かりません)での1979年のライヴ録音。お互いのオリジナル曲の他、フランスのギターリストだけあって、ジャンゴ・ラインハルトは外せない。1曲目はジャンゴの代表曲の「Nuages」を演奏している。一方がリズムを刻み、もう一方がアタック音を消してあたかもヴァイオリンを弾いているような演奏をしている。ガーシュウィンの「Summertime」も演奏している。日本では、フリー系のギターリストと分類されているようだが、確かに共演歴を見ても、実際各々のリーダー作を見てもそう思われるかもしれないが、デレク・ベイリー、キース・ロウ、フレッド・フリスといったイギリス勢と比べて見ても、そこまでの先鋭性はこの二人には無い。これは、フランスのフリー・ジャズ全般にも言えるのだが、フランス的とも呼べそうなドイツ等とは違う柔らかさ、しなやかさがどことなく漂うものだ。
Arthur Jones/アーサー・ジョーンズは、1940年オハイオ州クリーブランド生まれのアルト・サックス奏者。ロックンロール・バンドで演奏していたが、オーネット・コールマンとエリック・ドルフィーを聴いて触発され、フリー・ジャズを目指した。67年ESPからリリースされた「Frank Wight:Your Prayer」が初めての録音だろう。69年にパリに移住。とにかくネット上でも情報がほとんど無いくらい現在では無名の存在。何しろリーダー作は、69年にパリで吹き込まれた本作だけなのだ。サイドメンとして聴けるのも、69年に大量に録音されたBYGのArchie Shepp,Burton Green,Claude Delcloo,Jacques Coursill,Dave Burrell,Clifford Thorntonくらいだ。BYG盤は、同じ顔ぶれが、色んな組み合わせでたくさんのアルバムを制作した感があるので、これだけのサイドメンとしての録音が経験出来たとも言える。そんなA・ジョーンズだが、マイナーに甘んじて当たり前の器かと言えばそうは思えないのだ。本作は、Beb Guerin(b)とClaude Delcloo(ds)とのトリオ演奏。これに、マルチニックからの移民の子として生まれたJ・カーシル(クルシル?)を加えたグループを組んでいたようだ。リーダー作がこれだけとは思えない素晴らしい演奏なのである。エネルギッシュなフリー・ジャズなのだが、彼のアルト・サックスの音はどこか暖かく、トゲトゲしさがない。演奏もスムースに流れる。演奏が破綻することはない。相当な力量なのだが、もっと注目し、リーダー作を吹き込む機会を与える者が当時いなかったものかと思う。その後の活動がどうだったのかは、まるで分からない。
これは、1977年NYCのワシントン・スクウェア教会で行われたLeroy
Jenkins/リロイ・ジェンキンスによる無伴奏ヴァイオリン・コンサートの様子を収録したライヴ・アルバム。彼のオリジナル曲5曲は、どれもアブストラクトなテーマ・メロディーからなっている。それに続くインプロヴィゼイションは、上下運動の激しいものや、逆にスムースな部分も混ぜ合わせながら進行して行く。かなりオンマイクで録ったのか、ヴァイオリンにマイクを取り付けていたのか、ヴァイオリンの発する直接音が弓の擦れるノイズまで拾って生々しい。他は、エリントン・ナンバーでビリー・ストレイホーン作の名曲「Lush
Life」と、ニグロ・スピリチュアルの「Nobody Knows de Trouble I Seen」を演奏している。これが滲みる演奏だ。教会の中でこのような演奏が聴けるのが羨ましい。
フランスのミュージシャン、Philippe Mate(ts),Andre maurice(cello),Jean-Pierre Sabar(p)の三人によって結成されたActing
Trioの1969年録音。アフリカン・アメリカンによるフリー・ジャズが主体のフランスのレーベル・BYGでは数少ない地元フランスのミュージシャンのアルバム。フリー・ジャズにもお国柄があって、国によって傾向が違ってくるものだ。フランスのフリー・ジャズは、クラシックで感じられるドイツあたりとは違う柔らかさが、ここでも感じられることが多い。だが、このトリオ演奏は、相当に過激なところがある。ピアノも内部奏法も含めて荒々しく弾きまくり、サックスも激しく吹きまくる。チェロもギシギシと負けてはいない。だが、BYGの他で聴けるアフリカン・アメリカンによる演奏とは、色合いが違うのだ。ブラック・ナショナリズムを前面に打ち出したA・シェップ、サニー・マレイらと違っていて当たり前なのだが、激しさでは引けを取らない演奏だ。だが、何かが薄い。これは良い悪いで言っているのではない。それが個性。ピアノのSabarだが、オルガンで、ポップスのカヴァーをやったり、エキゾチックな音楽を演奏しているJean-Pierre
Sabarと同一人物なのだろうか? あまりにやっていることが違いすぎるのだが。
70年代中期のロフト・ジャズ・シーンに猛然と現れたテナー・サックス奏者の若者David Murray/デヴィッド・マレイによる初期の無伴奏サックス・ソロ・アルバム。イタリアのレーベルHOROがリリースしたパリ録音。スタンリー・クロウチ作の1曲以外は全てマレイ自身の作曲。スピード、キレ、太くどデカイ音量、凄まじいテクニックで、縦横無尽にサックスの音をあたり一面にぶちまける。時おりマウスピースを離して雄叫びを上げもする。だが、野放図なフリーではないのだ。コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、ポール・ゴンザルベスからアルバート・アイラーを通過した伝統にどっぷりとはまったルーツのはっきりした所が強みだ。伝統と前衛の間を自由自在に行き来する。近年は、もっと幅の広い音楽を取り込んで多彩な顔を見せてくれている。今では聴けない威勢の良さが聴きもの。後年少々鼻につくようになるフラジオレットの突然の駆け上がりのような癖なのか、狙っているのかは分からないが、「来るぞ来るぞ。」と思っていたらやって来るあの音は、この頃にはまだ希薄。あっても、ちゃんと効果的な範囲で収まっている。これは、彼の一番最初の無伴奏ソロ・アルバムではなかろうか。77年には、India Navigationから、レスター・ボウイ(tp)、フレッド・ホプキンス(b)、フィリップ・ウィルソン(ds)と言う豪華なサイドメンを要したカルテットの、ロウワー・マンハッタン・オーシャン・クラブでのライヴ録音が2枚のLPでリリースされた。CDも出ているが、これはカットされて1枚に収録されている。当時の彼のグループのレギュラーは、ブッチ・モリスがコルネットを吹いていたが、ここではレスターに替ている。ブッチ・モリスの演奏は「D・Murray&Low Class Conspiracy」(77年)、「Let The Music Take You」(78年)、「Last Of The Hipman」(78年)、「The London Concert」(78年)と、色々なレーベルが彼のアルバムを競うようにリリースしていた。正に期待の星だった。
これは、なぜか日本では話題に上がることの少ない、だが60年代以降のジャズ史に重要な足跡を残して来たシカゴAACMの総帥でピアニスト/作曲家のMuhal Richard Abrams/ムーハー・リチャード・エイブラムスと、日本では山下洋輔 NY・トリオでよく知られるようになったベーシストCecil McBee/セシル・マクビーとの、1986年に収録されたデュオ・アルバム。AACMのドンのイメージが強く、聴く前から「あ、フリー・ジャズね。」と、セシル・テイラーのような疾風怒濤のパワー・プレイを想像されると、肩透かしを食うかもしれない。前へ前へと推進するエネルギーも確かに強いが、横軸へのスピーディーな動きよりも、低音を響かせ、重心の低い音響を重層的に重ね合わせた荘厳な音の宇宙を創造するのだ。セシル・マクビーのベースも、ムーハーのピアノの響きに合わせるように、重圧な低音を入り込ませ、重厚な響きのベースの音をムーハーのピアノの上に重ね合わせて行く。ピアノとベースのデュオアルバムの傑作だと思うのだが、いかんせんマイナー・レーベルの為に注目度は薄い。だが、これを素通りすると後で後悔するかも。要注意。だが、再発は難しいか。ところで、日本では通常Muhalはムハールと表記されているが、1971年単身AACMに乗り込んで行って、彼らと行動を共にした豊住芳三郎の証言によると、実際の発音は「ムーハー」とか「ムーホー」に近かったとのこと。「AACM突撃日記」に記されている。
Charles Tyler/チャールズ・タイラー」は、1941年ケンタッキー州カディス生まれの、サキソフォン奏者。62年にNYの前衛派のシーンへ飛び込んで行き、65年にはアルバート・アイラーのグループへ参加しアルバムも残している。自身のアルバムもESPからリリースしている。フリー・ジャズの2世代目と言える。本作は、79年、Verna Gillis' Radio Show
の為にSoundscapeで演奏された録音から収録された、彼の無伴奏ソロ・サキソフォン・アルバム。アルトとバリトン・サックスを演奏している。時に歌うように、時に吠えるように激しく演奏する。時折”Au
Privave"等の彼が影響を受けたであろうチャーリー・パーカーのフレーズが現れる。アイラーと拮抗したプレイを見せたアルト・サックスの演奏もいいが、バリトン・サックスも聴きもの。低音から超高音まで縦横無尽に音が駆け巡る。
Joe
Bouner/ジョー・ボナーは、1948年ノースカロライナ州ロッキーマウンテン生まれのピアニスト。マッコイ・タイナーのような迫力とリリカルな面も持ち合わせた当時期待の若手だった。実際、マッコイ・タイナーも、J・ボナーに注目していたようだ。日本ではWhynot盤(75年)で知られるようになった。本作は、74年と76年の録音を収録したアルバム。ソロ、トリオ、クィンテット、セクステットの全6曲。ソロは、マット・デニス作の「エンジェル・アイズ」と自作の「I
Do」、そして最後に収められたバンブー・フルートの演奏の3曲。バンブー・フルート(尺八かも)の演奏はスピリチュアルな小品。トリオでは、マッコイ・タイナーのグループで頭角を現したJuni Boothがベースで参加している。ドラムはJimmy Hopps。J・ボナーらしい力強いモーダルな演奏だ。クィンテットのメンバーにはこのトリオに、Billy Harper(ts)、Leroy
Jenkins(vln)と言う少々意表をつくもの。テーマが無く、最初にハーパーの強力なテナー・ソロが来て、続いてジェンキンスのヴァイオリン・ソロになる。ピアノのソロが終えると短くテーマが現れる構成になっている。続くセクステットは、クィンテットにヴォイスのソニー・シャーロックが加わる。ボナー作の詩を歌い即興ヴォイスを演奏に重ねて行く。一枚で色んな表情を見せるアルバムになっている。
Joachim Kuhn/ヨアヒム・キューンは、1944年ライプツィッヒ生まれのヨーロッパ屈指のピアニスト。クラリネットのロルフは兄。クラシック・ピアノを学び、コンサートも開いていた。50年代後半にはポツダムでバップを演奏していた。61年に西ドイツに移住した。翌年には自己のトリオを率いて演奏していた。63年に兄と再会し、兄弟でグループを組んだ。その頃セシル・テイラーを聴いて大いに影響を受けることになった。69年から71年にかけてパリに移住した。本作は、その間の69年に録音されたアルバム。ピアノの他、アルト・サックス、シャナイ、フルート、タンバリン、ベルも演奏している。ベースはJ.F.Jenny-Clark、ドラムはAldo Romano。彼のピアノは強靭かつ美しい。華麗、流麗とも言える演奏は、クラシックの素養の深さによるのであろうか。アルト・サックスの演奏は打って変わって肉声そのままで叫ぶような激しさがある。ピアノでは表現しきれないもどかしさを、サックスの演奏にぶつけているかのようだ。7曲中6曲は彼のオリジナルだが、最後はコルトレーンの「Wellcome」で締めくくる。
これは、1970年からAlan Silva/アラン・シルヴァ率いるCelestrial Communication Orchestraの、78年パリのスタジオで録音されたアルバム。アラン・シルヴァ作の「Portrait From A Small Woman」(7曲に分けられている)が演奏されている。シルヴァ自身は、ベースを弾かず指揮をしている。フリー・ジャズ・オーケストラということになるのだろうが、スウィングすることを拒否はしない。3人のヴァイオリン、1人のチェロも含めた大勢によるアンサンブルは、さすがにサウンドは分厚い。たくさん重なり合ったアンサンブルに乗って、沖至(tp)、Jo Maka(as,ss)、Francois Cotinaud(ts,oboe)、Bernard Vitet(tp)、Muhammad Ali(ds)、Denis Colin(b-cl,octcontralto-cl)、Michael Zwerin(tb)、Adolph Winkler(tb)、Jouk Minor(bs,contrabass-cl)らが、素晴らしいソロを取る。沖至は最初と最後の曲2曲でソロを演奏している。文字だけでデザインされた少々地味目なジャケットで、いかにもマイナー・レーベルの匂いを放っているが、中身は素晴らしい。知らずにスルーすると後々後悔すること請け合い!
これは1969年パリ録音の、Archie Shepp/アーチー・シェップとPhilly Joe Jones/フィリー・ジョー・ジョーンズの二人の双頭リーダーアルバム。ハードバップの名ドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズとA・シェップの共演と訝しることなかれ。69年には、BYGにも3枚の共演アルバムを残している。もっと驚くことには、これまたハードバップの人気テナー・サックス奏者のハンク・モブリーも一緒に演奏しているのだ。フィリー・ジョーくらいの強者だと、「フリーが出来るのか、出来ないのか」ではなくて、「するのかしないのか」なのだろう。ここでも、強力なドラムをビシバシ決めている。他のメンバーは、Anthony Braxton(as,ss),Leroy Jenkins(vln),Earl Freeman(b),Chicago Beau(vo,ss,harmonica),Julio Finn(harmonica)。両面1曲ずつの長尺の演奏。まず、ヴォーカルと言うよりもアジテイション、雄叫びから入り、後は全員の集団即興が続く。ミックスの具合でシェップの音が一際大きく聴こえるようになっており、彼の演奏がソロと捉えることが出来るだろう。2曲目はシェップのピアノソロから始まり、物悲しい雰囲気のテーマから、ブラクストン、ジェンキンスらのソロが続く。Julio Finnのハーモニカもいい。こちらでのフィリー・ジョーは、リズム・キープに務める。こういう役目も必要なので、彼のようなタイプのドラマーをシェップは必要としたのだろうか。この時代ならではの熱く、濃いフリー・ジャズだ。時代の真っ只中を突進しているエネルギーが感じられる。
1985年6月4日。日本楽器銀座店に、20台のピアノがずらっと並べられた。演奏されたのはジョン・ケージのチャンスオペレーションで作曲された「Winter
Music」。ウィンターには深い意味は無いようで、作曲された時期が冬だったと言うことらしい。20ページある楽譜は、1人から20人までのピアニストによる演奏が可能なので、ここでは日本で初めての20人での演奏が行われたのだった。企画したのは、「冬の音楽・4人の会」(島田璃里、徳岡紀子、山口博史、松平頼暁)。集まったのはピアニスト(山下洋輔のようなジャズ・ミュージシャンも)だけじゃなくて、浜田剛爾をはじめ評論家、会社社長、舞踊家、画家、詩人、バレエ団主催、作家と言った多彩な顔ぶれ。ようするに、音楽のシロートでも演奏出来るということだ。だが、そのお膳立ては島田璃里が行った。20項の楽譜を各自1項を渡し、それを演奏するワケだが、各自決められた音(シロート的に言えば、「決められた鍵盤」)を、各自の強弱、持続、タッチは自由に弾けばよい。たとえば、浜田剛爾は、9分44秒目に一回だけポンと弾くだけだった。誰もせいぜい2回くらいだったようだ。ストップウォッチを睨みながら、自分の番が来たらポンと弾けばよい。あっちこっちのピアノからポンと色んな音量、強弱で鳴らされるのだが、そこには前後の音の関係性は無い。ただ自然環境の音のように鳴っているのだ。だが、弾く方は弾くことの自身のなさから音が小さかったり、自信有りげに大きな音にしてみたりといった、弾く者の感情は入っているのは間違いない。次に演奏されたのは、フレデリック・ジェフスキー作曲の「パニュルジュの羊」。旋律楽器を演奏する音楽家が何人いてもよく、非音楽家が何人いても何を演奏してもよいと言う曲。ここでは、音楽家(ピアニストに限らない)8人によるピアノ演奏版。65の音からなる旋律の構成音それぞれの上に番号がふられ、それらを規則に従って演奏するのだが、もし間違えたらその箇所から弾き直さなければいけない。そこで、意図せざる狂いが生じ、旋律の崩れが起こる。すると音のモアレが起きる。そこを狙った曲なので、あまり上手な演奏家ばかりだと面白くないのだ。
これはクラウンが1969年に制作した、60年代に作られた日本人作曲家によるピアノ曲だけを集めた2枚組LP。佐藤慶次郎、武満徹、高橋悠治、三宅榛名、石井真木、福島和夫、松下真一、篠原真、入野義朗、安達元彦、神良聰夫の曲を、高橋アキ、小林仁、徳丸聡子、本荘玲子、平尾はるなのピアノで演奏される。元々が、昭和四十四年度芸術祭参加とうたってあることから分かるように、ただ「録音を並べて作りました。」には終わっていなくて、武満の「コロナ」の楽譜の他合計13枚のシートが収納されていて、それぞれくわしい楽曲の紹介、作曲家の紹介、演奏者の紹介、秋山邦晴の文章、馬場健による現代音楽の記譜法の解説(具体的に色々なグラフィクな楽譜のサンプルを見ることが出来る)、シュトックハウゼンとクセナキスによるメッセージ等々を読むことが出来る。個々の演奏は、60年代の日本の作曲家のヴァリエーションを伺いし得ることが出来る12曲だ。石井真木の曲だけには打楽器が入るが、ピアニストは鍵盤だけを演奏し、打楽器奏者(一人)はピアノの内部を様々な方法で演奏するというもの。シートには、曲の一部だが楽譜が載っている。シロートには、「これがこんな演奏になるのか。」と参考になるやら、不思議やら。
1973年ロンドンで収録された本作は、Kenny Wheeler/ケニー・ホィーラー(tp,fluegelhorn)の初めてのオーケストラ作品。6曲全て彼が作曲したもので、Norma Winston(voice),Mike Osborne(as),John taylor(el-p),Tony Oxley(perc),
Malcom Griffiths(tb)他総勢17~19名による重圧なアンサンブルと強力なソロがたっぷりと聴けるアルバムだ。後年聴ける彼独特の叙情性溢れたメロディーがここでもたっぷりと聴くことが出来る。前衛オーケストラという程でもなく、結構オーソドクスな響きのビッグバンドと言った演奏もある。だが、5曲目は、Derek Bailey(g)とEvan Parker(ss,ts)のいかにもINCUSと言った過激なデュオ演奏から始まる。終わり頃にも再び現れて大暴れをする。そう、これはINCUSからリリースされたアルバムなのだ。現在はpsiからCD化され再発されている。INCUSからこのような書き込まれた楽譜が存在するジャズ・オーケストラ作品がリリースされたことが不思議ではあった。ノーマ・ウィンストンのヴォイスが全編活躍する。ジョン・テイラーも参加しており、後のAzimuthのオーケストラ版とも言えそうだ。
Mal Waldron/マル・ウォルドロンは、日本でも大変人気のあるジャズ・ピアニストだ。今も昔も「Left Alone」のあの物悲しいメロディーにジーンと来る人が多い。だが、このアルバムに見られるようなハード・エッジな感性も同じく持ち合わしていることを、日本のジャズ・ファンは知ろうとしない。これは、1974年のニュルンベルクでのジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音。バンド・メンバーは、M・Waldron(p),Steve Lacy(ss),Manfred Schoof(cor),Isla Eckinger(b),Allen Blairman(ds)。バリバリのフリー・インプロヴァイザーのレイシーとショーフが参加しているのだ。M・ウォルドロンとS・レイシーは、何枚もの共演アルバムがあり、77年には同じくenjaにM・ショーフも参加したアルバムがもう一枚出されている。「One-Upmanship」レイシーとショーフがいるからと言って、M・ウォルドロンがフリー・ジャズを演奏しているワケではない。彼のオリジナル曲を演奏し、ジャズの範疇から逸脱するものではない。普通のジャズ・ファンも安心して聴ける。と、書きたいところだが、そこはレイシーとショーフ、己を曲げることはなくフリーなソロを取る。が、やはりそこは少々抑え気味ではある。レイシーの方は、元々マル・ウォルドロンとの相性の良さもあってか、自己の流儀の軌道をそらすことなく、いつものレイシー節全開のソロを取っている。ショーフの方は、だいぶマル寄りのスタンスでの演奏と言える。ショーフも、実は色々なスタイルで演奏をし録音もして来ている。グローブ・ユニティでの突き刺さるような演奏をしたかと思えば、Rainer Bruninghausの演奏するシンセサイザーに乗っかってフリューゲルフォーンを柔らかに鳴らしたりもする。マルは、いつものモールス信号を打つかのような独特なピアノ演奏を聴かせてくれる。彼はいつでもどこでも変わらない。78年には、マルとレイシーが、日野皓正と演奏した「Moods」もenjaから出ている。
これは、Sam Rivers/サム・リヴァース(fl,ss,ts)とAlexander von Schlippenbach/アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ(p)とが1997年の「Total Music Meeting」の期間中にベルリンで収録したデュオ・アルバム。実際に聴くまでは、サム・リヴァースとシュリッペンバッハのデュオと言うことで、一体どんな演奏になるのか、かみ合うのかと、不安がよぎったものだった。マイルスとも共演し(64年に来日し、「Miles in Tokyo」としてリリースされている。)、フリー・ジャズ/ロフト・シーンの中心的存在だったリヴァースと、長年ヨーロッパ・フリー・シーンを牽引して来たシュリッペンバッハと言ったステレオタイプ化した私の先入観をあざ笑うかのような、丁々発止のフリー・インプロヴィゼイションが聴けるのだった。正に変幻自在な二人のやり取りは、意外にクールな響きなのだった。シュリッペンバッハの方はともかく、リヴァースがこのようなグループでの表現ではなく、ピアノと相対した、おそらく全くの即興演奏を聴かせてくれる事自体に、聴く前から少々の驚きと期待とが入り混じっていたのだった。とかく、イメージでミュージシャンやその演奏を括弧で括り、噛み合うだの合わないだのを言ってしまうのはよくないと、思い知らされる見本のような演奏だ。正直サム・リヴァースのインプロヴァイザーとしての実力を、私は過小評価していたのではあるまいかと、反省することになった。ピアノとサックス(フルートも)のデュオ・アルバムとしても屈指のアルバムで、90年代FMPの傑作。
これはFMP初期の名盤と言うイメージがあるが、実は1969年にシュリッパンバッハの自身のレーベル「Quasar」からリリースしたアルバムで、後にFMPから再発したものだ。現在はAtavisticからCDが出ている。ドイツ、イギリス、オランダの三カ国のミュージシャンからなるアンサンブルで、A・Schlippenbach(p,perc),Peter
Brotzmann(ts,bs),Michel Pilz(b-cl,bs),Manfred Schoof(cor,fluegelhorn),Paul Rutherford(tb),J.B.Niebergall(b,b-tb),Han
Bennink(ds,perc)と言ったそうそうたるメンツで構成されている。もう少し加えればそのまんまグローブ・ユニティだ。正に70年前後の怒濤のヨーロッパ・フリーを絵に描いたような、我々リスナーにとっては、これが基本であり、基準であると言いたくなる演奏だ。目の覚めるような演奏とは正にこのこと。曲は、シュリッペンバハ、ショーフ、ブロッツマンが持ち寄ったものだが、69年という時代だからか、今の耳で聴くとしっかりJAZZの香りが立ち込めているのが面白い。
タージ・マハル旅行団(小杉武久、長谷川時夫、永井清治、木村道弘、小池龍、土屋幸雄、林勤嗣)は、1971年の6月から9月にかけてストックホルム近代美術館で開催された総合芸術展「Utopia&Visions
1871~1981」に参加した。バックミンスター・フラーが制作した「ジオデジック・ドーム」の中で演奏するためにドン・チェリーと共に招待されたのだった。タージ・マハル旅行団が結成されたのは69年12月とされている。この録音は彼らの初期の姿を記録した貴重な音源と言える。このイベントに出演後、小杉、小池、土屋の三人は中古のフォルクスワーゲンを買い、インドのタージ・マハルへと向かい、イランではサントゥールを購入したりした。その後のタージ・マハル旅行団の演奏はソニーや日本コロムビアで出された演奏のようにメロディアスでリズムも多用した演奏になって行く。ここではそれ以前のよりシンプルで弱音指向の演奏が聴けるのだ。各演奏者があくまで集団の核となりながらも、自分の周りで起こっている音と混ざり合いながら延々と音の旅を続けて行くタージ・マハル旅行団は、当時世界各地で作られた集団即興グループとは一線を画するものだ。単に音を出すだけではなくて、映像やイベントも含めたインター・メディアな即興集団だったのだ。
これは1968年から76年にかけて作曲された高橋悠治の曲を、自身で演奏されたアルバム。「毛沢東詞三首」(1975)は、歌曲「毛沢東詞三首」を元にして作られたピアノ曲。「ローザス Ⅱ」(1968)は、特殊に調律されたピアノの34音を使って演奏される。「橋 Ⅰ」(1968)は、数学者レオンハルト・オイラーのグラフ理論をメロディー構成原理に使った曲。元はエレクトリック・チェンバロ、チェロの持続低音、打楽器の曲だが、ここではエレクトリック・ピアノとSynthi AKS シンセサイザーで演奏されている。数学の理論を使ったと言っても、実際出てくる音は音のゲームを聴いているようなシンプルな音。「メアンデル」(1973/76)は、川が小さな渦を巻きながら流れて行くような感覚を覚える。数ある高橋のアルバムの中でも、代表的な一枚。
これは1975年、小倉の「ジャズストリート52」で収録され、インターヴァルからリリースされた高木元輝にとっても、日本ジャズ界にとっても史上屈指の名盤と信じるアルバム。共演は徳弘崇(b)と小野勉(ds)。高木は、テナー&ソプラノ・サックス、バスクラリネットを演奏。3つの高木の自作曲と、最後はアート・アンサンブル・オブ・シカゴの「People in
Sorrow」が演奏された。高木のテナー・サックスの演奏は、これ以上無いと思える激烈さを要する世界でも屈指の存在と言えた。だが、高木自信の繊細な内面を表すかのような、静かで落ち着いた演奏も聴きものなのだ。ここでは「Love Song」と題した徳弘のベースとのデュエット曲でそれは聴ける。バスクラの落ち着いた表現が沁みる演奏だ。これに続く「People in
Sorrow」はb-cl,ts,ss,b-clと持ち替えながらこの悲痛な叫びを持った曲を高木らしく表現したもの。
沖至は人気絶頂の最中の1974年に、ヨーロッパへの移住を敢行した。それは現在も続く。サヨナラ・コンサートを日本全国で行い、6月7日赤坂の草月会館で最後のコンサートを行った。立錐の余地も無いほどの超満員だったそうだ。これはそのコンサートから収録されたアルバム。メンバーは、沖至(tp)、宇梶晶二(bs)、徳弘崇(b)、中村達也(perc)、side
Bだけジョー水城(perc)が加わる。side Aの「しらさぎ」は、北陸に向かう特急「しらさぎ」の車中で作曲された。荘厳なテーマを挟みながら徳弘~宇梶~沖(後半はエコーマシンを用いる)~中村の順番で無伴奏ソロが繋がれて行く。ソロだけを抜き出して曲としてクレジットしても十分な程各自のレベルの高さだ。side Bは、スタンダードの「You Don't Know What Love
Is」と沖オリジナルの「October
Revolution」がひとつにつながった演奏。前半は沖のエコーマシンを効果的に使った無伴奏ソロから始まり、後ベースが入る。エコーマシンの発するノイズを効果的にトランペットの演奏に被せていく。後半はゲストのジョー・水城が加わり激しいコレクティヴ・インプロヴィゼイションの嵐が吹く。70年代日本のフリー・ジャズは独自の発展を見せた時代だった。本作はその中でも群を抜く傑作に違いない。
Dresch Dudas Mihaly/ドレッシュ・デューダス・ミハーイ(ハンガリーは日本と姓名の表記が同じ。ミハーイ・ドレッシュが本当か?)は、1955年ブダペスト生まれのサックス奏者。ベラ・バルトーク音楽院のジャズ科でサックスを学ぶ。80年代はじめに自己のカルテットを結成。このアルバムでは、ss,ts,b-clの他ハンガリーのロマ達が演奏するツィンバロムも演奏している。他のメンバーは、Lajko Felix(vln),Benko Robert(b),Geroly Tamas(perc)~CDジャケットの表記どおり)。楽器編成でも分かる通り、普通のジャズには終わっていないクリエイティヴな演奏。偉大な先人バルトーク・ベラ(ハンガリーの表記ではこうなる)や、ハンガリー・ジャズの重鎮ジェルジュ・サーバドシュ(ミハーイは彼のサンサンブルに参加していた)に習ってか、ハンガリーのフォークロアのみならず、ハンガリー周辺の広い地域の音楽の要素もふんだんに取り込んだまことにユニークなジャズ(には間違いない)を作り上げている。ハンガリーの民族音楽は農民達の間で歌われ演奏されて来たフォークロアと、ロマ達の音楽が共存しているが、ミハーイは、バルトークのように農民達のフォークロアの方に大きく影響を受けているみたいだが、ツィンバロムを演奏するようにロマの音楽も多く取り入れている。ここでも、ツィンバロムと相性の良いヴァイオリンとの演奏も聞ける。また、ルーマニアのトランシルヴァニアのフォークロアには特に興味を示しているようだ。ドレシュのサックスの演奏は、元々後期コルトレーンやファラオ・サンダースに大きく影響を受けたものだったらしいが、ここで聴ける演奏はそのような過激な演奏ではない。結構こぶしの利いた演奏だ。共演のライコーのヴァイオリンも素晴らしい。これをフリー・ミュージックとするには無理があるが、クリエイティヴなジャズには違いなく紹介。
Werner Ludi(uにウムラウト)/ヴェルナー・ルディ(ルとレの間)は、1936年生まれのスイスのアルト・サックス奏者。残念ながら2000年に亡くなっている。FMPのブロッツマンとのデュオ等でも知られている。Burhan
Ocal/ブルハン・オカル?は、トルコの打楽器奏者。チューリッヒに住む。共演者が幅広い。ジョルジュ・グルンツ、マリア・ジョアン・ピリス、ジョー・ザビヌル、クロノス・カルテット、ジャラマディーン・タクマ等々と豪華な顔ぶれだ。ジャンルも様々。1988年録音の本作は、二人のデュオ・アルバム。B・Ocalは、通常のドラム・セットにあらず。大小様々なダラブッカ、自作のドラム、シンバル、ゴング、ベル、そして弦楽器のタンブールも披露する。所謂フリー・ジャズのデュオとは大きく趣が異なる。たしかに、W・ルディーのアルト・サックスのプレイは、フリーキーなサウンドも厭わない激しさもあるが、B・オカルの独特なリズムと乾いたサウンドに乗せて、縦横にサックスのサウンドを繰り出して行く。4曲目では、オカルのタンブールの演奏が聴ける。それに合わせるサックスの音は、平均律では音と音の間隔が広すぎると感じてしまう。もっと、細かい音の動きが欲しくなる。
渡辺貞夫は、1962年にバークリー音楽院に留学。留学中にチコ・ハミルトンやゲイリー・マクファーランドのグループで演奏した。そこで、それまでのハードバップだけだったスタイルからもっと広くレンジを広げることになる。その後、ブラジルに渡り、サンバやボサノヴァを吸収。70年代に入り毎年のようにアフリカを旅することになって、音楽のみならず自然や人々にも大きく影響を受けた。本作は、そのアフリカからの影響をストレートに表現したアルバム。とは言え、アフリカの民族音楽を素のまま借用したものではなく、演奏そのものはホットなジャズそのものである。だが、曲によってはアフリカの草原の風を感じさせるサウンドも聴ける。このあたりは後のフュージョンの演奏に受け継がれているようだ。本作で特筆すべき事のひとつが、高柳昌行の参加だろう。相当にノイジーな演奏も聴ける。(特に2曲目) 彼の参加が、このアルバムを少し辛口な味わいにしている。流れるようなソロとは程遠い、重い単音を音数少なく奏しているのだが、他の一般的なギターリストだと、まずこのシチュエーションでこのような音は出さないだろうと言った演奏なのだ。渡辺は、当時自分に影響を与えるようなミュージシャンがいるとすれば富樫雅彦と高柳昌行以外にはいないと話していた。高柳のここへの参加は、正に渡辺の慧眼によるものだ。
本作は、高柳昌行・ニュー・ディレクション・ユニットのあわや幻となるところだった録音のCDだ。1975年ESPの為にスタジオ録音され、ジャケット・デザイン等も含めたマテリアルもESPへ送られ、75年秋にはリリースされることになっていた。だが、結局その後の音沙汰はぷっつりと跡絶え結局幻のESP盤(ESP-3023)となってしまっていた。だが、後年関係者の熱意でCDとしてリリースされたのだった。音を外界に大きく放射せず、内へ内へと凝縮するかのように演奏される「グラデュアリー・プロジェクション(暫次投射)」が3曲。音をまるでビッグバンの如く大量に放射し続ける「マス・プロジェクション(集団投射)」が1曲収録されている。私は、80年頃この幻になった録音のコピーを渡され、ずっと大事に所持していたが、こうして日の目を見ることになったことが大変嬉しかった。
旧東ベルリンで開催されていたJazzbuhne Berlin(buにウムラウト)の1988年にはオーネット・コールマンが出演した。これはその録音をRepertoire RecordsがCD化したもの。どうもミュージシャンの許可を取らずに出してしまったらしく問題になったようだ。オーネット・コールマン&プライム・タイムの演奏が8曲収録されている。2ギター、2ベース、2ドラムスにオーネットのas,tp,vlnと言う編成。このプライム・タイムの演奏こそ、古今東西どこにも似たものがない独特な音楽だ。中心が有るようで無いし、ズレているようでもあるし、ズレていないようでもあるし、アヴァンギャルドであるようでもあるのだが、どこかポップだし、ジャズと言ってもいいようだし、大きくはみ出しているようでもあるしと、なかなか一筋縄にいかないシロモノだ。一度はまると抜け出せない魅力に満ちている。7曲目はオーネットのテーマ曲のような「Dancing In Your head」。Calvin Westonはドラムだけではなくタブラも叩いている。数あるプライム・タイムのアルバムの中でも特に聴く機会が多い一枚だ。
Jazz jamboree/ジャズ・ジャンボリーとは、ポーランドで開催されているヨーロッパでも最も歴史のある大規模なジャズ・フェスティヴァルの呼称。1958年三日間行われた「JAZZ 58」から始まった。デューク・エリントン、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、ディジー・ガレスピー等々の大御所も出演している。62年からはフェスティヴァルでの演奏を収録したアルバムがポーランドの国営レーベルMuzaから多数リリースされて来た。「Jazz Jamboree 77」では山下洋輔トリオ(with坂田明(as)、小山彰太(ds))も出演した。これは、その演奏が収録されたLP。1935年生まれのイタリアのベテラン・ピアニスト Guido Manusardi(p)のカルテット~Pier Francesco Guidi(ts,ss),Lucio Terzano(b),Gianni Cazzola(ds)と、ハンガリーのJanos Fogarasi(org)、Gustav Csik(p)&Imre Koeszegi(ds)のオルガンとピアノと言う変則的なトリオも収録されている。77年と言えば、山下トリオのドラマーが、この前年に森山威男から小山彰太に変わっている。70年代を疾風怒濤に駆け抜けた山下トリオのポーランドでの勇姿が見られる(聴ける)。はずなんだが、残念ながら一曲しか収録されておらず、おまけに途中でフェードアウト。山下トリオの前に収録されているハンガリーのトリオが、えらくオーソドックスな演奏なので、山下ファン以外は驚くかも。突然音楽が180度変わるのだから。このアルバムのメインの扱いはグイード・マヌサルディ・カルテットに間違いなし。彼は、長らくルーマニアで活動をしていたので、東欧諸国のジャズ・ファンにはよく知られたミュージシャンなのだ。67年、ルーマニアのミュージシャンと演奏し録音したアルバムが「Free Jazz Avangarda」。山下洋輔のコレクターなら、それでも探すべし。
Walt Dickerson/ウォルト・ディッカーソンは、1931年フィラデルフィア生まれのヴァイブラフォン奏者。2008年に亡くなっている。音楽院の学生時代には、週末はクラブで演奏をすると同時にバルトーク、ストラヴィンスキーにも傾斜していたようだ。63年に自己のグループを率いてファイヴ・スポットに出演し、「メタリック・コルトレーン」と呼ばれた斬新な演奏は大きな反響を得た。同年、Austin Crow(p)、Henry Grimes(b)、Andrew Cyrille(ds)と演奏した「バイヴ・イン・モーション」(Audio Fidelity)は、映画「アラビアのロレンス」をモチーフにした傑作。「To My Queen」(New Jazz/1962)も良い。翌年に渡欧して一年間を過ごし、帰米後はMGMから「パッチ・オブ・ブルー」をリリースするも、まもなくして引退をした。70年に二度ソロ・コンサートを開いたようだが、それ以外は75年の復帰までにはほとんど人前では演奏をしていなかったようだ。本作は、その復帰してすぐの記録である。悠雅彦氏プロデュースのレーベルWHYNOTからのリリース。約20分の2曲からなるWilbur Ware(b)とAndrew Cyrille(ds)とのトリオ演奏が聴ける。Andrew Cyrilleは言わずと知れたCecil Taylorのグループで長年に渡ってレギュラーを務めたドラマー。そこで想像されるパワフル、スピーディーなフリー・ジャズをここで求められても困ることになる。特に後半の曲では、三者が数少ない音で緊張感溢れる音の交歓を繰り広げるのだ。これに比べれば1曲目は、より激しい演奏にはなっているが、中央突破的熱き「フリー・ジャズ」とは一線を画す。結構クールなのだ。WHYNOTに名盤は多いが、本作は特にすぐれたアルバムだと思う。モダーン・ジャズでヴァイブラフォンと言えば、ミルト・ジャクソンの一人勝ちがしばらく続き、後ゲイリー・バートンが出て来たが、ウォルト・ディッカーソンの存在を忘れないで欲しい。実力に比して、活動時期が飛んでいたり、短かったりするのが難点か。Steeple Chaseに好盤多し。サン・ラとのデュオ・アルバムも有る。
John
Carter/ジョン・カーターは、1929年テキサス州フォートワース生まれのクラリネット奏者。オーネット・コールマンと同郷で、歳も半年前の生まれだ。4つの大学で音楽を学んで、L.Aにウインド大学を自身で創設するくらいの学究肌。フリー・ジャズ・クラリネットの草分け的存在。スウィング期にはクラリネットは花形楽器だったが、モダーン期になるとバディ・デフランコ、ジミー・ジュフリー、トニー・スコットら少数となったが、フリー・ジャズの勃興と共に少し増えて来た。本作は、そんなカーターの79年西ドイツのデュセルドルフで収録されたクラリネット・ソロ・アルバム。タイトルが「アーリー・アメリカン・フォーク・ピース」となっているが、古いフォーク・ソングを掘り起こして演奏しているのではなくて、全曲カーター自身の作曲したもの。演奏自体も、これのどこがアーリー・アメリカン・フォークなの?と言いたくもなるような高周波を飛ばしたり、音の上下運動の激しい演奏が多いフリー・プレイなのだが、所々かすかにそれと感じさせる瞬間が無いでもない。
これは1975年、FMPからリリースされたGlobe Unity Special
(グローブ・ユニティから主要メンバーをピックアップした9人編成版)の「Evidence」と「Into the Valley」と言う2枚のLPを収録したCD。メンバーは、Kenny Wheeler(tp),Steve Lacy(ss),Evan Parker(ss,ts,Musical saw),Gerd Dudek(ts),Albert Mangelsdorff(tb),Paul
Rutherford(tb),Alexander Von Schlippenbach(p),Peter Kowald(b),Paul Lovens(perc,Musical Saw) and Unidentified Dog(と、書いてある。演奏中に犬がステージに上がって来たのか?)。収録された曲はMisha Mengelberg,S・Lacy、E・Parker,Thelonious
Monkの「Evidence」の5曲。ミシャ・メンゲルベルクの人を食ったような曲で、エヴァン・パーカーが激烈なテナー・ソロをぶちかます。だが、いつもとは違って、曲のアウトラインが分かる程度にメロディーをソロの中で崩して演奏したりもするのだ。これもグローブ・ユニティーならでは聴けるもの。ここにモンクの曲が出てくるのを不思議に思われる人もいるだろう。実はフリー系のミュージシャンはモンクが好きなのだ。それとハービー・ニコルズが。普通のジャズ・ミュージシャンが演奏するモンクの曲よりも、フリー系のミュージシャンが演奏するモンクの曲の方が格段と面白い。これは、そうと言い切っても良い。ここでは、スティーヴ・レイシーの独壇場だ。レイシーはモンクとの共演歴もある。
Third Eye/サード・アイの1977年録音の、メールス・ミュージックの前身のRingからリリースされたアルバム。メンバーは、Ali Haurand(b),Gerd Dudek(ts,fl),Wilton Gaynair(ts,ss,perc),Frank Kollges(ds,perc),Rob Van De Broeck(p,synth),Steve
Boston(congas)。A・Haurandとv・d・BroeckとG・Dudekの三人は、後に「The Quartet」(dsはTony
Oxley)を結成する者どうし。79年頃てっきりフリー・ジャズのLPと思って買ったら、いかにも70年代らしいジャズだったというシロモノ。レーベルがRingだったし、G・デュデックがいるし・・。ピアノが、この時代の主流とも言えるかもしれないエレクトリック・ピアノ。クロスオーヴァー/フュージョンではなくても、この時代はエレクトリック・ピアノが多かった。これはこれで、音楽の重心を少し上に上げて、軽快感を増す役目を果たす。モノにもよるが結構好きなのだ。ゲルト・デュデックと言えば、マンフレット・ショーフ・グループ、グローブ・ユニティ、ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ等でゴリゴリのコルトレーン直系とも言えるハードなフリープレイをぶちかましてくれるのだが、普段はこう言ったストレートなジャズも演奏し、大変魅力のある人なのだ。このグループにはもう一人テナー・サックス(こちらは黒人さん。国籍等不明)も参加している。お互いがソプラノ・サックスやフルートに持ち替えて演奏の幅を持たせている。目隠しして聴くと、これがドイツ盤とは分からないだろうな。
ハープ奏者Carol Emanuel/キャロル・エマヌエルは、カルアーツで学んだ後(卒業リサイタルでは武満徹、ヒンデミット、ドビュッシーを演奏)、1982年に活動の場をNYCに移した。在学中の79年に、彼女の姉妹三人とレオ・スミスのアルバム「Spirit Catcher」に収録された曲「The Burning Of
Stones~tp&3harps」の録音に参加している。91年と92年に録音された本作は、所謂現代音楽の作曲家の作品ではなく、NYダウンタウン・シーンの先鋭的なミュージシャン達に作曲を委嘱し、演奏された曲達が集められている。Evan Lurie,Butch Morris,Guy Klucevsek,John Zorn,Amy Rubin,Anthony Coleman,Marty
Ehrlich,Wayne Horvita,Bobby Previte,Bill Frisellの曲を、彼女のハープのソロの他、Mark Feldman(vln),Myra melford(harpsichord),Brandon Ross(g),Hank Roberts(cello),Marc Ribot(g),Marty
Ehrlich(b-cl)etc..が演奏に参加している。点描写的な曲、タブラのリズムに乗ってロック・テイストなギターが活躍する曲、ジャズっぽい曲、オーボエとの柔らかなデュオ、Nikki
greroroffのヴォーカルが印象的なB・プレヴィットの曲、心象風景を描いたようなB・フリゼールの曲、ブッチ・モリスの曲はharp,g,cello,harpsichordの演奏で、どこか懐かしさを感じさせるメロディーと屈折した音の絡みが面白い。クラシカルなハープとは一味違った世界が楽しめる好盤。
共に80年代のNYダウンタウンの先鋭的な音楽シーンからキャリアを積んで来た二人による83年と84年に収録されたデュオ・アルバム。多重録音も使ったもので、シンプルに二人で丁々発止とやりあったと言う類の演奏ではない。スタジオで作りこまれた「作品」だ。二人供、R&B、C&W、ジャズを始め多様な引き出しを持っている。ここでも、一言でこうと言えるような演奏が一つとして無いくらい多彩な表現に満ちている。独特な浮遊感と鋭利な刃物のような鋭さを併せ持つビル・フリゼールの作る土台の上で、ティム・バーンのサックスが飛び回る。そこにフリゼールのギターサウンドがさらに絡みつく。それまでのフリー・ジャズとも、フリー・ミュージックとも、はたまたジャズともつかない独特なサウンドは、フリゼールのギター・サウンドに負う事が多いようだ。彼はその後、このクリアーでいてどこかくすんでいて、滲むようなサウンドを武器にアメリカ人の抱いている心象風景を豊かな感性を持って描き続けて行った。バーンは、ジャズの伝統をしっかりと背負いながら、彼の師匠のジュリアス・ヘンフィルばりの豊かで多彩なサウンド・テクスチャーを構築し、80年代以降NYダウンタウン・シーンを駆け抜けて行った。バーンとフリゼールのアンサンブルでの共演盤は「Tim Berne:Fulton Street Maul」(CBS/1986)が有る。バーンのグループのレギュラー・ギターリストは、マルク・デュクレが務め、フリゼールに負けず劣らずユニークなギター・サウンドでグループの表現をより豊かにしている。
Irene Schweizer/イレーネ・シュヴァイツァーは、ヨーロッパ・フリーの黎明期から先頭切って前人未到の荒野を開拓して来た正に「女傑」である。これは75年のメールス・フェスティヴァル!のライヴ録音。CDでは、77年のアルバム「Tuned Boots」から1曲収録されている。シュヴァイツァーの他は、Rudiger Carl(as,ts,cl,piccolo),Louis
Moholo(ds)。70年代中期の典型的なスピーディーでハードなヨーロッパ・フリーが堪能できる好盤。モホロの強力な推進力とバネが、シュヴァイツァーとカールを鼓舞する様は爽快。77年録音の「Tuned Boots」は、ピアノの内部奏法を多用した、より過激な演奏になっている。ヨーロッパ・フリーの沸点を記録した重要作のひとつ。
これは、1972年に録音されたニュー・ジャズ・トリオと弦楽五重奏のストライヒ・クインテットとのアルバム。ニュー・ジャズ・トリオとはManfred Schoof(tp),Peter Trunk(b),Cees See(ds)によるトリオ。そこに弦楽五重奏団が加わった演奏が聴ける。ニュー・ジャズ・トリオは、70年に同じくMPSから「Page One」と言うアルバムをリリースしている。これはトリオだけの演奏だった。弦楽アンサンブルを加えたことで、楽譜の重要性が増す。では、楽譜による制約により演奏の自由度が下がり、フリー・ジャズらしい演奏になっていないかと言えば全くそう言うところはない。トリオの三人は元々が音楽学校で学んだ者達ばかりで、楽理にも長けている。ショーフは、ケッセルの音楽アカデミーの後、ケルン音大でベルント・アロイス・ツィンマーマンに師事している。そんな彼らだから、自分達のトリオに弦楽五重奏を加えることによる効果は、十分承知の上での起用している。演奏は弦楽が入っていようが、その言葉から来る緩さは、(これは、通常のジャズがいかに弦楽の使い方が下手かを意味している。)微塵もなくホットでハードな、時にクールなものになっている。弦楽のミュージシャンもただ書かれた通りに演奏しているだけではなく、ショーフ達と同等に即興部分でも張り合っている。書かれた部分と書かれていない部分の調和がよく取れた傑作。これも、即興と楽譜・楽理両方に強い者達だからこそのもの。クラシックの伝統が長く深く根ざしているこれがヨーロッパの底力だろうか。ヨーロッパの最近のクラシックのアンサンブルの演奏家は、即興演奏もロックも、バリバリこなすと聞いたが、時代も変わって来ているようだ。一昔前は、クラシックの演奏家もその周辺の者達も、「即興」の2文字だけで拒絶反応を起こしていたと言うのに。
1976年、日本コロムビアから佐藤允彦のピアノ・ソロ・アルバムが三枚リリースされた。これはシリ-ズの第2弾として出されたあるばむ。最初の「観自在」は、何通りかのアイデア別に分けて演奏を切り分けて収録されていたが、この「允」は両面に渡る1曲だけ収録されている。とめどもなく溢れ出てくる音の奔流に身を任せるのが、このアルバムを聴く時の秘訣だろうか。演奏の長さもだが、肉体の限界に挑むかのようなギリギリの世界に挑戦している感じがする。鬼気迫る演奏とはこのことか。このような演奏は、そうそうライヴの形では聴くことが難しい。演奏する側としても、よほど環境が整備された状態でステージに立てはしないだろう。だが、ぜひそういったコンサートを実現してもらいたいと思う。
これは、チック・コリアの1970年4月と8月の録音。チック自身が所有していた音源をブルー・ノートが78年にリリースした2枚組LP。私が所有しているのは、当時キング・レコードが1枚づつ分けてリリースしたLP(ジャケット写真はvol,1のみ)。
共演は、Anthony Braxton(as,ss,cl,ccontrabass-cl),Dave Holland(b,g,perc),Barry
Altschul(ds,perc,bass-marimba)。つまり「Circle」そのもの。サークルの公式な結成は10月からとなっているので、これは正式結成以前の演奏記録となる。1曲ブラクストン抜きのトリオ演奏があるが、他は全てカルテットの演奏になっている。このグループの演奏は、当時よほど新鮮に感じられたようで、コンサートにはミュージシャン達も数多く聴きに来ていたようだ。だが、一般客が少なく金銭的問題もあり、音楽的な相違も表面化して結局短期間でグループは崩壊してしまった。現在の耳で聴けば、まだまだJAZZの範疇で聴ける音楽だし(元々「ジャズ」表現からの逸脱までは考えてはいないようだ。)、さほど突出しての新しさは見い出せない。当時ヨーロッパではもっと過激な表現が行われていたし、日本でもフリー・ジャズの先頭集団はよりとんがっていた。だが、音楽そのものは、これほど鋭利な刃物のような音を繰り出す演奏集団は探すのが困難な程だ。そういう意味では今でも新鮮さは失っていない。サークルは、チックの哲学(唐代の高僧・義浄の思想やサイエントロジー)を音楽で実践するものであったようだ。グループの中で、そして聴衆との間でもコミュニケーションを大事に考えていた。だが現実は聴衆は少なく、メンバー間でも意見の相違が出てきた。そこで、サークルを解散したチックは、自身の哲学に沿うように新しいグループを結成したのが「リターン・トゥー・フォーエヴァー」だったのだ。音楽的には正反対を行くようだが、チックの中ではごく自然な移行なのかもしれない。まるで表現は正反対のような音楽なれど、リターン・トゥー・フォーエヴァーの1stアルバムも衝撃的だったし、今でも古さを感じさせない永遠の価値を有するアルバムだと思う。これが両方作れてしまうというのも、恐ろしい事だろう。政治的な見方なら、左翼が右翼に転向してしまった感があるのは否めないが。一人の人間の中でこれほど振れ幅が大きく存在するのも面白い。