ちゃぷちゃぷ通信

フリージャズ&フリーミュージック1960~80:開かれた音楽のアンソロジー(ディスクガイド編:ワイド版)

検索が困難で、出版した当人もたどり着けない「Free Jazz&Free Music 1960~1980:開かれた音楽のアンソロジー」のワイド版のAmazonのアドレスが判明しました。

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King International Japanから、高木元輝さんのCDがリリースされました!

「日本のサックスは高木元輝と阿部薫のふたりだけでいい」 副島輝人 (ジャズ評論家)
たまらない質感 (ts、ss) で紡がれる不変のメロディーは夢か現か幻か…
東京のミニ・ギャラリー「伝」での5回の伝説的ソロ・コンサートを完全収録、初CD化!
貴重な未公開写真やインタビューを収めた36ページの豪華解説書付き。


[商品番号 : KKJ-9014/18] [5CD] [Import] [日本語帯・36頁解説付] [Nadja 21]

高木元輝 / Love Dance ~Solo Live at Galerie de Café 伝 Tokyo 1987-1997

【CD1 「Love Dance 1」】 1987.5.27
1. ストーン・ブルース 23.42
2. アリラン〜悲しき願い 12.53
3. Love Dance 1987.5.27 P2M1 10.18
4. 小さな花 8.17
5. 家路 7.20
6. バラ色の人生 (ラ・ヴィ・アン・ローズ) 5.38
7. 小雨降る径 5.24
高木元輝 (ts : TR.1,2,3, ss : TR.4,5,6)
【CD2 「Love Dance 2」】 1987.9.02
1. Love Dance 1987.9.02 P1M1 30.10
2. エピストロフィー 5.42
3. Love Dance 1987.9.02 P2M1 25.18
4. 家路 8.44
高木元輝 (ts : TR.1&2, ss : TR.3&4)
【CD3 「Love Dance 3」】 1989.5.10
1. ストーン・ブルース 19.56
2. Love Dance 1989.5.10 P1M2 11.49
3. Love Dance 1989.5.10 P1M3 11.15
4. アリラン 15.55
5. Love Dance 1989.5.10 P2M2 5.25
6. 家路 9.36
高木元輝 (ts : TR1,2,&3, ss : TR4,5&6)
【CD4 「Love Dance 4」】 1989.9.06
1. Love Dance 1989.9.06 P1M1 44.26
2. Love Dance 1989.9.06 P2M1 14.17
高木元輝 (ts)
【CD5 「Love Dance 5」】 1997.4.08
1. MC (桑原敏郎) 1.17
2. Goodbye Pork Pie Hat 16.46
3. ストーン・ブルース 7.04
4. Love Dance 1997.4.08 M3. 16.21
5. Love Dance 1997.4.08 M4 8.35
6. 不屈の民 5.56
高木元輝 (ts except Tr4 : ss) 杉本 拓 (g, Tr4)

#2146 『高木元輝/Love Dance~Live at Galerie de Café 伝 1987/1997』

text by Takeo Suetomi 末冨健夫

Nadja21/King International KKJ9014-18 ¥10,000 (税込)

KKJ9014
CD1 「Love Dance 1」 1987.5.27
1ストーン・ブルース 23.42
2 アリラン〜悲しき願い   12.53
3 Love Dance 1987.5.27 P2M1 10.18
4 小さな花 8.17
5 家路   7.20
6 バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ)5.38
7 小雨降る径 5.24

高木元輝 (ss, except TR.1&7:ts)

KKJ9015
CD2「Love Dance 2」1987.9.02
1 Love Dance 1987.9.02 P1M1*  30.10
2エピストロフィー 5.42
3 Love Dance 1987.9.02 P2M1* 25.18
4 家路   8.44

高木元輝 (ts:TR.1&2, ss:TR.3&4)

KKJ9016
CD3「Love Dance 3」1989.5.10
1 ストーン・ブルース       19.56
2 Love Dance 1989.5.10 P1M2*       11.49
3 Love Dance 1989.5.10 P1M3*    11.15
4アリラン               15.55
5 Love Dance 1989.5.10 P2M2*       5.25
6 家路   9.36

高木元輝 (ts:TR1,2,&3, ss:TR4,5,&6)

KKJ9017
CD4 「Love Dance 4」1989.9.06
1 Love Dance 1989.9.06 P1M1        44.26
2 Love Dance 1989.9.06 P2M1        14.17

高木元輝 (ts)

KKJ9018
CD5 「Love Dance 5」1997.4.08
1 MC (桑原敏郎) 1.17
2 Goodbye Pork Pie Hat  16.46
3 ストーン・ブルース 7.04
4 Love Dance 1989.4.08 M3.  16.21
5 Love Dance 1989.4.08 M4    8.35
6 不屈の民   5.56

高木元輝 (ts except Tr4:ss)
杉本 拓 (g, Tr4)

Concerts produced by Toshio Kuwabara 桑原敏郎
Recorded & mastered by Tsutomu Suto 須藤 力
A&R: Satoshi Hirano 平野聡
Album produced by Kenny Inaoka & Toshio Kuwabara for Nadja21


近頃、高木元輝さんの再評価の機運が高まっていると聞く。この度、キング・インターナショナルから高木さんのソロ5枚組のCDが発売になった。「機運の高まり」の象徴とも言えるCDのリリースだ。以降、高木さんと小杉武久さんとのデュオ3枚組CDと、高木さんと吉沢元治さんのデュオ3枚組CDのリリースも控えている。合計11枚の高木さんのCDがリリースされるなんて誰が想像しようか。それもキング・インターナショナルというメジャーから!

世田谷区の経堂(ちなみに私も経堂に1年間住んでいたことがある)に、「Galerie de Café 伝」というギャラリー喫茶があった。その「ギャラリー・カフェ 伝」で、1987年~1999年までの間に、高木さんの定期演奏会が写真家 桑原敏郎氏の主催によって通算11回行われていた。そのライヴの中から、音源が残されているものを全部CD化するのが、このシリーズだ。これはもう快挙というしか他に言葉が見つからない。当初のライヴはソロを中心に行う予定だったが、2回目にはすでに吉沢元治さんとのデュオになり、4回と5回は小杉武久さんとのデュオになった。ライヴの詳しい経緯はCDを買ってブックレットを読んでいただくとするが、桑原敏郎氏、杉田誠一氏、金剛督氏のライナーに加えて、1969年のJazz誌創刊号に掲載された杉田氏による高木さん(高木さんの兄も!)のインタヴューが転載されているのが何より嬉しい。桑原敏郎氏撮影による高木さんの写真も数多くブックレットに掲載されており、これもファンにはたまらない。因みに、ちゃぷちゃぷレコードのジャケットにたくさん使用されている写真の撮影者の松本晃弘氏によれば、「桑原さんこそは日本屈指の写真家です!」との事でした。
さて、その松本さんがある日「ギャラリー・カフェ 伝」の共同オーナーの一人秋川伸子さんを同行して、私がアルバイトをしている防府市のオーディオショップ「サウンドテック」に突然現れたのだった。秋川さんは防府市の隣の山口市の出身で、その時帰省されていたようでした。店内で、秋川さんにカセットテープをたくさん手渡されたのだが、その中に今回リリースされることになった高木さんの演奏が入ったカセットテープがたくさん混っていたのだった。
この時は、この録音の経緯を知る由もなく、カセットテープからコピーしたCD-Rでこれらの演奏を長らく聴いて楽しんでいた。
後に、このテープはダビングされたものと判明し、ライヴの主催者は桑原敏郎氏で録音は須藤力氏と判明。間章氏と70年代の日本のフリージャズを強力にサポートして来た伝説の両人と言っていいだろう。
その後は、Nadja 21の稲岡邦彌氏と桑原敏郎氏が強力タッグを組んで、CD化の準備が行われ今こうして形になったのだった。

このCDに収録されている高木さんの演奏は、70年代の『パリ日本館コンサート』や『モスラ・フレイト』までしか知らないリスナーには、どう映るのだろう。巷で言われる「スティーヴ・レイシーの影響云々」だろうか? どうもこのフレーズが独り歩きをして80年代以降の高木さんの音楽を色眼鏡で眺めたり、ステレオタイプ化してしまって、正当な評価を得ないでいるとしか思えない。この時期の高木さんには「歌・メロディーへの回帰」が見られ、このCDでも「アリラン」、「小さな花」、「家路」、「不屈の民」、「バラ色の人生」(この曲は吉沢さんや小杉さんのプライヴェート録音の中でも時々聴ける。)等々が聴ける。もちろんストレートにメロディーを吹くだけではなくて、断片だったり破片?だったりがくっついたり離れたりと自由に変化して行くのだが。先を読みながら一音一音を大事に紡いで行く演奏は、レイシーの影響かもしれない。だが、70年代までの激烈な演奏の中でもそのような音はいくらでも耳を澄ませば聞こえて来るではないか。これこそが高木さんの大きな特徴の一つだと思うのだが。高木さんのサックスの音は、凄くピュアーな音色を持っている。それがこのCDでは特によく分かる演奏になっている。その後の高木さんの演奏は、世界中のどこを探しても類例のない唯一無二の存在だ。金大煥さんがよく言っていた「高木は深いねー。」が一番よく高木さんを表している言葉だと思う。

『Love Dance』と同月には、ちゃぷちゃぷレコードからも1枚の高木さんのCDがリリースされます。1985年に行われた高知市の薫的神社で行われた高木さんと小杉さんのデュオ・コンサートから収録されています。小杉さんの強烈なエレクトロニクスの音に切り込んで行く高木さんのサックスの演奏は、「スティーヴ・レイシー云々」なんて吹っ飛んでしまうだろう。この当時は、高知の即興シーンが凄く熱かった季節だったようで、毎年のように高木さんや小杉さん、近藤等則さん、土取利行さんらが演奏を繰り広げていたようだ。
現在あまり振り返られることが少ない1980年代という時期の日本の即興演奏の姿を公開できることは、今回の「ギャラリー・カフェ 伝」のCDシリーズの大きな特徴でもあるし、高木元輝という稀代の名演奏家の再評価につながるものだ。

高木元輝|吉沢元治/Duo&Solo〜Live at 伝 1987・1989

Nadja21/King International KKJ-9019/21(3枚組)¥6,000(税込)36頁ブックレット解説付

CD1 & CD2
高木元輝 (tenor- & soprano-saxophone) ,
吉沢元治 (bass)
CD3
吉沢元治 (bass)

CD1「Duo」 1987.7.08
1 ストーン・ブルース 35.05
Stone Blues
(Mototeru Takagi)
高木元輝 (tenor-sax)
吉沢元治 (contrabass, effectors)

CD2「Duo」 1987.7.08
1 アリラン変奏曲 26.08
Arirang Variations
(Trad. arranged by Mototeru Takagi & Motoharu Yoshizawa)
2 バレリーナ~家路 19.03
Ballerina~Going Home
(Motoharu Yoshizawa-Antonín Dvořák)
3 バラ色の人生(ラ・ヴィ・アン・ローズ) 14.27
La Vie En Rose
(Édith Piaf-Pierre Louiguy)
高木元輝 (tenor-& soprano-sax)
吉沢元治 (contrabass, effectors)

CD3「Solo」 1989.8.23
1 Solo 1989.8.23 Part1 M1 19.31
2 Solo 1989.8.23 Part1 M2 19.03
3 Solo 1989.8.23 Part2 M1 21.00
4 Solo 1989.8.23 Part2 M2 14.36
(Motoharu Yoshizawa)
吉沢元治 (contrabass, effectors)

CD1:1987年7月08日
CD2:1987年7月08日
CD3:1989年8月23日
Concerts produced by Toshio Kuwabara 桑原敏郎
Recorded at Galerie de Café 伝, Tokyo
Recording & mastering engineer: Tsutomu Suto 須藤力
Album produced by Kenny Inaoka & Toshio Kuwabara


1987年5月27日の第1回目をスタートに世田谷区経堂にあった「Galerie de Café 伝」を舞台に、写真家の桑原敏郎の主催による高木元輝のソロを基本にしたライヴが第1期、2期に分けられて1999年7月まで行われた。

Nadja 21/キングインターナショナルによって先に高木のソロだけを集めた(一部、杉本拓gとのデュオも含まれる)『Love Dance』がCD5枚組のヴォリュームでリリースされ、我々高木ファンの度肝を抜いたのだった。これに続く 『Duo&Solo』は、高木元輝と吉沢元治による2枚と1989年8月23日に行われた吉沢のソロ1枚を加えた3枚組CDとしてリリースされた。

高木と吉沢は、60年代半ばから共演を重ねており、1968年に結成された吉沢元治トリオ(高木元輝、豊住芳三郎ds)こそが日本では初のフリージャズ・グループと言われている。その後も、高柳昌行や富樫雅彦を中心にしたグループで、高木や吉沢は共に演奏を重ねて行った。1969年のアルバム『深海』は、当時の二人のデュオを収録したアルバムとして特に重要だ。本作『Duo&Solo』は、『深海』以来の二人によるデュオの記録として貴重だ。「伝」での高木のライヴは基本的には高木のソロが基本としてスタートしたが、1回目のソロのライヴを客として聴いていた吉沢の「次、高木とやるよ。」の一言で2回目にして二人のデュオが久しぶりに実現したのだった。

『深海』から18年。二人の音楽はそれぞれ進化・深化して行き、それぞれ別の道を歩んでいた。さて、そんな二人はいかに同じ時間と空間を共有したか? 高木は、この時期70年前後のヨーロッパを震撼させたあの激烈な演奏から、元々高木の中にあった歌への回帰が顕著に見られた。吉沢は、どこかのサークルに属することなく無伴奏ソロを中心とした活動を行っており、世界中を眺めても突出した個性を見せていた。このアルバムでも聴けるように、ベースにアタッチメントを取付けエフェクターを通して変換・変調された音と生の音を変幻自在に混ぜ合わせながら、世界のどこを眺めても見当たらない個性的で独創的な音楽を創造し続けていた。このCDの3枚目の吉沢のソロは、この時期の無伴奏ソロがまとまって聴ける大変貴重な録音と言える。まさに名演!

そんな二人のデュオはどんな演奏になったのか。異なって少し離れて並行して建っている螺旋階段を二人が上っている最中、少し離れたり絡み合ったりをしながら時間と空間を共有している。長い演奏の途中に高木の曲<ストーン・ブルース>の他<アリラン>、<家路>、<バラ色の人生>といったメロディーが浮かんでは消えを繰り返す。高木のサックスの音色の美しさは特筆ものだ。吉沢が加わることで演奏の空間をぐっと広げ、演奏の密度を一気に濃密にしている。吉沢のベースの演奏は過激でもあるが、高木同様の「歌」を感じさせるものだ。実際吉沢は歌が好きだった。二人の共演はその後90年代に入って、豊住芳三郎を加えた吉沢トリオの復活ライヴや、崔善培tpを加えた吉沢、高木、豊住のカルテットが韓国で演奏をしたりと続いて行った。

さて、ここからは私と吉沢さん(ここからは、さん付けで)との関りを少し書いておこうと思います。

私が防府市内の新興住宅地の一角で喫茶店café Amoresを開店したのが1989年5月のこと。一年後から店内でライヴをやり始めました。当初は地元のジャズやクラシックのアマチュア・ミュージシャン達の演奏を提供していましたが、1992年に入ってからフリー・ジャズ、フリー・ミュージックのライヴも行うようになりました。最初は、学生の頃からの知り合いだった広瀬淳二さんを呼んではライヴをやっていましたが、ある日吉沢元治さんのマネージャーから電話が入りました。私は、広瀬さんの次は吉沢さんをなんとか防府に呼びたいと思っていたので、あちらからコンタクトを取って来られたことに驚いたものです。もっと驚いたのが、一緒に防府まで行くと言われたのが、なんとブッチ・モリス!

店内ライヴを始めた早々に吉沢元治&ブッチ・モリスのライヴを実現出来たのでした。この時の演奏の素晴らしさは、いまだに肌感覚のレベルで記憶に残っています。ブッチ・モリスの東京でのコンダクション公演と、私の船の仕事の事で上京する日がぴったり同じだったので、東京での2回目のコンダクションを見る事が出来ました。ブッチ・モリスさんと金大煥さんと、新宿の焼肉屋で昼間から焼肉を三人で食べたのはいい思い出です。モリス、吉沢&金トリオのライヴをやろうと金さんと二人で直談判するも、ブッチ・モリスさんは、コンダクションがメインになっていて、コルネットを吹いていないので、演奏するとなると練習しなきゃ。と、言っていました。と、言う訳で実現はしませんでした。

その後は、吉沢さんと金大煥さん、吉沢さんとバール・フィリップスさん、吉沢さんとエヴァン・パーカーさんらとのデュオや、吉沢さんのソロを。さらに吉沢さんの紹介でジン・ヒ・キムさん、ジョージ E.ルイスさんのライヴを防府で出来ました。

吉沢さんの紹介でデレク・ベイリーさんのライヴを防府でやろうとなりましたが、「ベイリーのギャラは高いから、俺がマネージャーとして付いて行くよ。演奏はしない。」と、吉沢さんから提案がありました。しかし、ベイリーの招聘先の人が「東京ではギャラが取れないから田舎でしっかり取ろう。」と言っていたのを吉沢さんが横で聞いて、吉沢さんらしく?一気に沸点に達したようで、「デレクのライヴは中止だ!」と電話して来られ、あえなく中止になってしまいました。こっちは、そんな事は百も承知で地方でライヴをやって来ているので、残念でした。

大阪で、白桃房の公演があり、吉沢さんと金さんが出演するというので大阪まで行きました。これにはもうひとつ理由があって、吉沢さんと小杉武久さんのライヴを防府でやろうと吉沢さんと計画し、そのために小杉さんに直談判するというものでした。しかし、小杉さんにはその気は無くライヴは流れてしまいましたが、その後の私と小杉さんとのお付き合いが始まり、昨年(2021年)、CD『小杉武久&高木元輝:薫的遊無有』に形となって残りました。

やっとここで、吉沢さんと高木さんが出て来ます。崔善培さんが、韓国に吉沢さんと高木さんと豊住芳三郎さんを呼んでカルテットで演奏しようと計画し、彼らを韓国に呼び寄せたのですが、私と私のカミさんも一緒に来て欲しいと言われるのでした。二つ返事でソウルまで行きました。ライヴの会場は大きなジャズクラブのJANUS。私一人でソウルに行ったときもJANUSには行きましたが、そのJANUSが移転して立派になっていて驚いたものです。とてもフリージャズが演奏できるような雰囲気ではありませんでしたが、そこは崔さんの顔なのでしょう。客席には姜泰煥さん、金大煥さん、朴在千さん他韓国オールスターといった面々が顔を揃えていましたが、反面客席はガヤガヤとあまり聴いている感じではありませんでした。

吉沢さんは、色々なライヴ録音をカセットテープで送って来られていました。「70年以前のはダメだけど、それ以降はどの録音を出しても文句は言わない。」と言っていましたが、それだけ自身の演奏に自信があったのでしょう。その中から選んでCD化できればと思っています。

 

高木元輝 1975~1986 データ

1975年から86年までの音源やフライヤーをまとめたデータが掲載されています。

こちらをご覧ください。

 

 

Jazz Tokyo レヴュー 「沖至・ラスト・メッセージ・ウィズ・佐藤允彦」

#2057 『沖至・ラスト・メッセージ・ウィズ・佐藤允彦』
『Itaru Oki Last Message with Masahiko Sato』

text by Takeo Suetomi 末冨健夫

『Itaru Oki/Last Message with Masahiko Satoh』
Super Fuji Discs/DiskUnion FJSP422 ¥2,500+税

沖至 (trumpet, native American flute)
佐藤允彦 (piano)

1.メッセージ 1
2.メッセージ 2
3.メッセージ 3
4.メッセージ 4
5.メッセージ 5
6.メッセージ 6
7.メッセージ 7

2018年10月1日 渋谷公園通りクラシックス「邂逅/佐藤允彦・沖至DUO」より
録音・編集:佐藤允彦


2018年9月4日 私は、1996年1月2日以来の久しぶりの沖至さんのライヴを防府で開催した。96年のライヴは当時経営していたcafé Amores/カフェ・アモレスで行った、沖さん、井野信義さん、そしてスペシャル・ゲストでわざわざこの日の為だけに来日してもらった崔善培さんとのトリオ・ライヴだった。この日の録音は、No Business Chap Chap Seriesから『紙ふうせん』としてCD&LPでリリースされ、なかなかの好評を得ることになる。

2018年のライヴは、防府天満宮を下った場所にあるcafé Opus。ピアノが置いてある瀟洒な店だ。この日は、沖さん、川下直広さんと波多江崇行さんとのトリオ・ライヴ。久しぶりに会う沖さんは、相変わらずの異国情緒?を漂わせる強いオーラを纏ったままだった。演奏はというと、噂だけは聞いていた自作のユニークな形をしたトランペットや、民俗楽器の笛を操ってのフリーからスタンダード・ナンバーまで、沖節と言えそうな沖さんしか演奏しえない個性を持った演奏を堪能させていただいた。

このライヴの後に、東京では沖さんと佐藤允彦さんとの久しぶりの共演があると知り、胸が躍ったのだった。沖さんと佐藤さんは、富樫さん、高木さんを含めた日本のフリージャズ史の最初期を飾る伝説の(幻のと言ってもいいかも。なにしろ音源が残っていないのだ。あるいは発掘されていないのか?)Experimental sound space group (ESSG) のメンバーだった。だが、それ以降は、1985年と1993年の佐藤さんの欧州ツアーでの共演くらいという数少ないもので、2018年10月7日公園通りクラシックスでのライヴは実に25年ぶりというものだった。これは、沖さんからの「是非トーサとDUOをやりたいんです。」と、たっての願いが実現したライヴ。我々ファンとしても是非是非聞きたいDuo Liveではないか。これを知った時は、東京まで飛んで行きたかったが、残念ながらそれは叶わなかった。

だが、ライヴの音源(佐藤さんが録音していたもの)が、こうしてCDと言う形になって、我々の耳にも届くことになった。私は、まだCDが発売前にこれを書いているのだが、佐藤さんから送られて来たデータ・ファイルをCD-Rに焼いて(古い人間ですから)聴いていたのでした。実は、早くから佐藤さんに「ちゃぷちゃぷレコードから出さない?」との打診があったのだけど、色々と事情がありまして?断念したという経緯もあったりしています。

さて、発売されるCDでは、お互いのソロが2曲。デュオが5曲の合計7曲。曲名は「Message1~7」と書かれている。佐藤さん自身が編集されたもの。

ライヴの始まりは、まずは沖さんの無伴奏ソロ・トランペットが10分くらい続く。佐藤さんは、沖さんの気持ちを乱すのを恐れてその間一音も弾かれなかった。25年ぶりの沖さんのトランペットの音を聴衆も含めて一番堪能していたのは佐藤さんだっただろう。佐藤さんの頭の中を走馬灯のように、沖さんとの懐かしい想い出の光景が浮かび上がっていたのではなかっただろうか。10分くらいたって、ここぞという場所に佐藤さんの打鍵が振り下ろされる。低音の一撃だった。瞬時に空間が緊張するのが分かる。沖さんのトランペットの音も一気に緊張をはらむ。しばらくDuoが続き、その後佐藤さんのピアノのソロになる。この演奏が凄まじい!色々なピアノ・ソロを聴く機会が多いが、近年まれにみる壮絶なソロなのだ。言っては悪いが、「1941年生まれですよね?」と聞きたくなる。パワーもスピードもあふれ出るアイデアも、とめどもなく奔流となって聴き手に襲い掛かる。無尽蔵のアイデアとパワーに圧倒されるのみ。続いて二人によるLush Lifeをモチーフとした演奏が始まる。壮絶な嵐の後の日の当たる海を感じるもので、一旦こちらの耳もリセットされる。そして、「待ってました!」と思うのは私しかいないかもしれないが、沖さんの民俗楽器の笛の演奏だ。シンプルな笛だけで、ここまで豊かな表情を見せるのは、あとはドン・チェリーとワダダ・レオ・スミス以外にはいない。素朴な音が沁みる演奏。これに見事に合わせられる佐藤さんのピアノもさすが。その後もデュオが続くが、この日の〆はシャンソンの名曲「バラ色の人生」だった。沖さんのトラペットの音がよく似合う。ドラマチックな25年ぶりの邂逅の〆にふさわしい演出だった。

全部で70分あまりの演奏だが、25年ぶりの邂逅とはいえ、おそらく「次はどうする?」といった事前の会話は一切なされていなかっただろう。これがインプロヴァイザーたる所以であり特権であり、我々もそこから湧き出て来る他では味わえないスリルを共有するのだ。沖さんの色彩感溢れる音色と変幻自在の演奏がもうライヴで聴けないのは残念だが、こうして残されたアルバムで後50年、100年と聴き続けられるのだ。佐藤さんには、まだまだ20年はこのままのエネルギーで突っ走ってもらいたいなあ。それだけ、凄い演奏でした。また、沖さんのトランペットのような肌触りの演奏を出来る者は本当に少なくなっている。これも時代の流れかもしれないが淋しい気がする。

兎にも角にもCD化実現に感謝!(ChapChap Recordsオーナー/プロデューサー)

2019年 John Russell レクチャー・ワークショップ・コンサート  武蔵野美術大学

Tne New York Jazz City Records review 2020 by Andrey Henkin

The New York Jazz City Records

 

The Aiki Masahiko Satoh/Sabu Toyozumi (NoBusiness) Future of Change Sabu Toyozumi (Chap Chap) ReAbstraction Sabu Toyozumi (FMR) by Andrey Henkin

 

Drummer Yoshisaburoh “Sabu” Toyozumi is Japanese free jazz royalty, a lifer in a range of situations since the late ‘60s, when he was in his early 20s, through to the current day and elder status, both with countrymen like Mototeru Takagi, Masayuki Takayanagi, Kaoru Abe, Toshinori Kondo, Masahiko Togashi, Tetsu Saitoh and Masahiko Satoh and international improvisers such as Bob Reid, Peter Kowald, Wadada Leo Smith, Peter Brötzmann, Paul Rutherford, Kenny Millions, Arthur Doyle, Barre Phillips and more. The Aiki is another entry in Lithuania’s NoBusiness’ partnership with Japan’s Chap Chap, co-produced by the former’s Danas Mikailonis and the latter’s Takeo Suetomo, from whose archive of concert recordings the series derives. Toyozumi is found in duo with pianist Satoh—a couple of years older and as seminal in their country’s avant garde world—in Yamaguchi City in 1997 for two improvisations, just over 30 minutes and a hair under 20, respectively. In this equal partnership, the roles of each player are pliable, Satoh at points emphasizing the piano’s foundation as a percussion instrument and Toyozumi light and airy around his kit, creating whirls of melody and texture. The titles, “The Move for The Quiet” and “The Quiet for The Move”, are descriptive as the first is expansive and stays at a reasonable volume while the second is much more explosive. Drummers, perhaps more than any other instrumentalist, can shape free improvised encounters to their liking. While every player is capable of dynamics and density, those behind the kit can prod their partners into shambolic overdrive or egg them on into near-silence. Collaborators of more recent vintage for Toyozumi are alto saxophonist Rick Countryman (14 years younger), expatriate in Manila, Malaysian tenor saxophonist Yong Yandsen (33 years younger) and Filipino bassist Simon Tan (27 years younger), the four men working in various combinations since 2016. Two concert recordings from the Philippines made three days apart in early 2020, one as a trio sans Tan, the other as a full quartet, show how much free improvisation is of the moment, sounding completely different even with the same principals. Future of Change comes first and, although being a trio date, feels more like a duo, as the dueling saxophones of Countryman and Yandsen become a wall of sorts against which Toyozumi can volley his rolls, cracks and crashes. The three pieces are of descending length, 35:53, 24:34 and 12:46, respectively, and maintain a certain energetic focus typical of such performances. Despite disparities in their age and origin, Countryman and Yandsen come at the music similarly, even often occupying one another’s range. Toyozumi doesn’t prod so much as he corrals. Surprisingly, the addition of Tan for ReAbstraction, rather than making the proceedings more dense, opens up the five pieces, creating a more balanced ensemble and one that takes increased chances by varying the volume and layering. That the improvisations are shorter also displays more attention to detail, knowing when to finish up rather than missing cues as to good conclusions. Also of note is a long stretch of Toyozumi playing erhu (Chinese spike fiddle), sawing away with the fury of Nero waiting for the fire department.

 

追悼 近藤等則 Jazz Tokyo

時代を駆け抜けた近藤等則 chap chap Records 末冨健夫

 

text by Takeo Suetomi 末冨健夫

手元に、「音楽’74 10月号」(日本現代・ジャズ・音楽研究所)という雑誌がある。

「日本のミュージシャン 今、我々は・・・」というコーナーで、近藤俊則トリオの3人によるインタヴューが載っている。まだ「等則」と名乗る以前の近藤さんの貴重なインタヴューだ。トリオのメンバーだった徳弘崇(b)と土取利行(ds)も一緒だ。上京してまだ2年ほどの時期の、演奏できる場所がまだまだ少なかった頃の彼らの心情、信条が吐露されている。

ニュージャズ・シンジケートへの参加等、70年代半ばの日本のフリージャズ・シーンの様子が窺えるインタヴューだ。ちなみに、この後、このサークルは「ミュージック・リベレーション・センター・イスクラ」と名乗るようになり、私はイスクラになってから参加したのだった。

このトリオの後、近藤さんは高木元輝さんとのEEUを結成。モルグ舎を主宰する。76年、LP『コンクリート・ボイセス』をリリース。78年からNYCに拠点を移し、杉山和紀と共にBellowsを、日本ではIMAという自主レーベルを興した。Bellowsでの無伴奏トランペットのLPは当時買ってよく聴いたものだった。

私自身は近藤等則さんとの直接の面識はとうとう持てずじまいだった。だが、70年代半ばからジャズを聴き始めていた事もあって近藤さんは常に私の視界の真ん中にあった。上京してからは、機会を見付けては彼のライヴを見に行ったものだ。

Peter Brötzmann&Han Bennink+EEU+1」を中野と市ヶ谷で、「Evan Parker、森山威男&近藤等則トリオ」を青山で、「近藤等則、河野雅彦、Billy BangPaul Lovens」を吉祥寺で、「近藤等則、小杉武久、豊住芳三郎、羽野昌二、郷津晴彦」を池袋で見ている。

写真は、青山でのコンサート後に、一緒に行った友人が近藤さんとも知り合いだったので、楽屋裏まで押しかけて行って撮らせていただいたもの。まさか、後年私がEvan Parkerさんのライヴを企画し、CDLPをプロデュースするなんて夢にも思わなかった頃です。

正当な訓練を受けているとは思えない彼のトランペットのいい意味で自己流の(私の認識違いかもしれないけど)破天荒な演奏は、私には粋でかっこよく感じられた。音だけではなくて、Tokyo MeetingICP Orchestraの日本公演を実現するなどのヴァイタリティー溢れた行動力に惹かれたものだった。TV-CMに出たり、トレンディードラマに出演したり(これは、私には縁が無かったが)と、世間一般への露出は、アンダーグラウンドの世界を世間につなげる大きな役目を果たしていたと思う。

この辺りから、近藤さんは、日本での顔と海外での顔を使い分けていたようだ。海外では、Peter Brötzmannをはじめとするインプロヴァイザー達と丁々発止と渡り合う姿を、日本ではロックに接近した音楽を見せた。ひとつエピソードがあって、シュリッペンバッハさんが日本に来ることになって、近藤さんに共演を依頼したら断られたそうだ。シュリッペンバッハさんは、日本に来て近藤さんがやっている音楽を聴いて、「これじゃあ、私と日本でやりたがらないはずだ。」と言われたとか。

その後、エレクトリック・トランペットを演奏しTVで特番が放送されたりと、常に変化をし続ける姿は、歳を重ねる毎に益々輝いて見えた。YouTubeへ動画を配信し、元気そうに見えていたのに、突然逝ってしまわれた。ついこないだ沖至さんが逝かれたばかりだったのに、特に近藤さんは今どき71歳で逝くのは早すぎませんか。合掌。

 

 

追悼 沖至

2020年8月25日パリで沖至さんがお亡くなりになられました。

 

「社長、元気?」

                                                             末冨健夫

 

沖至さんは、気さくな人柄だった。私にも、「社長、元気?」と、メールをよく送って下さっていた。

でも、本当なら、そんなに気楽に接していい人ではないのだ。何しろ、あの生きる伝説のトランペット奏者、Itaru Okiなのだから。

 

1974年、沖さんがパリに移住をされるとき、朝日新聞は「これは、頭脳の流出である。」と書いた。

 

1960年代末の日本のジャズ界には、高柳昌行、富樫雅彦、佐藤允彦、吉沢元治、高木元輝、豊住芳三郎、そして沖至という未知の領域に足を踏み入れた正にサムライがいた。

彼等は、アメリカの模倣に終わらない新しい自分たちのJAZZを創造した。今だからこそ、彼等の音楽が世界のどこにもない独自なものだった事が理解できるのかもしれない。

彼等の多くはすでに鬼籍に入っている。だが、沖至は佐藤允彦と豊住芳三郎と共に、現役で、最前線で活躍をしていた。

彼の音楽は、唯一無二の個性を持つ。前衛でありながらも、どこか人肌の暖かさを持っていた。これは、まさに彼の性格そのものだ。

 

私は、1996年1月2日、当時経営していたcafé Amoresで、沖さんと井野信義さんとのデュオを企画した。私は、沖さんを私淑する韓国のトランペッター、崔善培さんに、共演をしたいかどうか連絡をしてみたら、即答で「OK!」だった。崔さんは、たった1回のライヴの為に奥さんと来日された。

井野さんは、崔さんとは旧知の仲だったが、沖さんとは初めて会うのだった。だが、演奏は初めての共演とは思えない音の交流が聴けた。

現在、この時の録音は、No Business Recordsから「紙ふうせん」と題したCDLPでリリースされている。

 

2年前には、久しぶりに沖さんを防府市にお呼びしてライヴを行った。ユニークな形をしたトランペットを始めて生で聴くことが出来た。打ち上げでは、ビージーズのレコーディングに参加した昔話等に話の花が咲いたものだ。

 

つい最近までメールのやり取りをしていたのがウソのように、突然あの世に旅立たれてしまった。あちらの世界では、旧友たちと、もうセッションを楽しんでおられる事でしょう。

 

合掌。

 

こちらは、Alan CummingsさんによるThe Wireへの追悼記事です。

 こちらは、Jazz à  Paris

 

沖至 告別式 

 

沖至さんが、1974年パリに移られた時、朝日新聞の天声人語で「沖至のパリ移住は一つの頭脳流出である」と書きました。しかし、この度の沖至さんの死去は、「世界における頭脳の喪失」に他なりません。私は、70年代から沖さんのレコードやCDに親しみ、90年代には沖さんのライヴの企画やCD,レコードのリリースも含めて深く関わらせていただくことが出来ました。大変光栄な事でした。私なんかにも気さくに「社長、元気?!」といつもメールを送って下さっていた沖さんがいなくなるなんて、ぽっかりと心の中に穴が空いた感じです。来年には、沖さんに託された録音が、日の目を見る事になる予定です。これをお見せ出来ないのが残念で仕方ありません。あちらの世界では、高木元輝さん、田中保積さん、富樫雅彦さんら旧友とのセッションをお楽しみください。合掌。

 

末冨健夫 9/3

 

Jazz Tokyoに追悼文が掲載されています。